はてなキーワード: とと姉ちゃんとは
コピペで引用なのここまで明確に示してるのになんで内容の不満が俺に向けられてんだよ
1964年「うず潮」
1966年「おはなはん」
林謙一「おはなはん」
1977年「いちばん星」
1978年「おていちゃん」
1979年「マー姉ちゃん」
1981年「本日も晴天なり」
1984年「心はいつもラムネ色」
1986年「はね駒」
1987年「チョッちゃん」
1990年「凛凛と」
1994年「春よ、来い」
最愛の夫を見送るまでが描かれている。
1997年「あぐり」
2000年「オードリー」
DVD未発売。
2003年「てるてる家族」
2006年「芋たこなんきん」
ソフト化されていない。
2010年「ゲゲゲの女房」
2011年「カーネーション」
ファッションデザイナー「コシノ三姉妹」の母、
2014年「花子とアン」
2014年「マッサン」
2015年「あさが来た」
2016年「とと姉ちゃん」
2016年「べっぴんさん」
2017年「わろてんか」
2018年「まんぷく」
2019年「なつぞら」
「漫画映画漂流記 おしどりアニメーター奥山玲子と小田部羊一」
2019年「スカーレット」
2020年「エール」
古関著書「鐘よ鳴り響け」
2020年「おちょやん」
2023年「らんまん」
2024年「ブギウギ」
2024年「虎に翼」
三淵嘉子関連書籍
2025年「あんぱん」
2025年「ばけばけ」
2015年後期以降
◆あさがきた80点。玉木宏の飄々とした夫役が良い。主人公が働き者過ぎてキツくなりそうなところをカバーしてくれて楽しめた。ディーンフジオカの死とか最後唐突に現れる大島優子(平塚らいてう)とか人気出たからこそのサービスシーンがちょっとマイナス。
◆とと姉ちゃん35点。これで高畑充希が無理になった。バリキャリ役なのにいつも「ほえ?」って顔してて不快。途中で何度も挫折しそうになった。もう見たくない駄作。
◆べっぴんさん49点。主人公と友達4人が暗すぎ。お嬢様育ちが集まってヒソヒソしてた印象。娘がくそ。最初2ヶ月くらいは面白かった。
◆ひよっこ75点。面白い。特に上京するまでの序盤1ヶ月は隙がなく面白いし感動出来る。有村架純の田舎っ子役がハマっててかわいい。終盤生意気なキャラになったのが憎らしくも好き。父ちゃんが記憶なくして女優の家に転がり込んでた間の生活を隠し続けたことがマイナスポイント。脇役エピソードが多くそれを楽しめるかがミソ。
◆わろてんか25点。これを半年みた自分を褒めたいレベル。お笑いの話なのに出てくる芸人が1ミリも面白くないのが辛過ぎる。人気絶頂の高橋一生をこんな朝ドラで無駄遣いした事をNHKは反省すべき。
◆半分、青い。40点。とにかく主人公がうざい。なのにみんなに愛されてるからタチが悪い。ただ思い返すと主人公が漫画家挫折して精神病んだり、勢いでバイト先の人と結婚したり、ストーカーや不倫まがいのことをしたりネタとしては楽しめていた気がする。
◆まんぷく83点。長谷川博己と安藤さくらで安定に面白い朝ドラ。あさがきたやひよっこ同様に終盤でやや失速するもカップラーメン開発でなんとか持ちこたえた。長谷川博己の絶叫、壇蜜が踊り狂うシーン等要所要所で見どころあり。
◆なつぞら30点。とにかく主人公がうざい。というか広瀬すずを可愛がるように主人公が可愛がられているが、作中の主人公は決してみんなの愛玩の対象になるようなふわふわキャラではないのでひたすらに違和感があった。
Twitterの朝ドラクラスタ(クラスタって)まわりのハッシュタグにかんする覚え書き
↓
↓
ドラマに好意的な人との棲み分けのために、批判的な人がつどう実況タグが誕生(#とと姉ちゃん反省会)
↓
↓
「お前らどうせ次も反省会タグ作るし何でも叩ければいいんだろクソどもが」という文脈で、放送開始前に「#べっぴんさん反省会」タグが誕生
↓
↓
その一方で、第1週から「#べっぴんさん反省会」も稼働する事態に
※「反省会民は最初っから叩く気満々かよ」「作ったのおれら(反省会民)じゃねぇよ」「菅野美穂の関西弁が変」等のツイートが入り乱れる
今までもずっとそうだ。
私は政治に熱心ではないけれど、少し前の選挙結果は結構気持ちが落ち込んでしまった。
それは、『私と意見が違う人達はどこにいるのだろう』というぼんやりとした不安みたいなもの。
twitterのTLを見ていると、投票しに行っている人は多かったし「投票しに行こう」というリツイートがあふれていた。
「この政党が選ばれたら不安だ」と思っていた政党が通ったこと。
このふたつのショックは思ったよりも大きく、自分は「自分の考えは普通だろう」と思っていた自信みたいなものが崩れた。
私と意見が違う人は、一体どこにいるんだろう、という気持ちになった。
(みんながみんな、自分と同じ考えでいてほしい、と思っているわけではない)
これは、「とと姉ちゃん」を見ててもそうおもった。
途中で離脱してしまったけれど、私はあの脚本が好きではなかった。
主人公たちはいつでもキラキラと幸せに包まれていて、その対比なのか結構なヒールが出てきていた。
現実を生きていると、自分にとって「ヒール」と呼びたい人たちもいるだろうけれど、
大抵はその人はその人なりの状況がありこちらと相手の出会ったタイミングが悪く結果としてうまくいかなかったのかなと思っている。
だけれど、とと姉ちゃんの話はとても軽く、キャラクターたちはその場面その場面を描くためだけに存在しているように見えて、
視聴を続けられなくなってしまった。
というのが私の感想なのだけど、それでもこのとと姉ちゃんを絶賛する人たちもいるらしい。多いらしい。
……また、私の感覚と違う人がいるのだな、と不安な気持ちになる。
(話は少しそれるけれど、同時期に見ていたクドカンの「ゆとりですがなにか」は良かった!
山岸というゆとりモンスターがでてきて、このキャラクターは最初どうしようもないヒールとして登場する。
このキャラクターどうするんだろうと見ていたら、途中で心を入れ替えるわけではなく性根はそのまま、
でも周りというかクドカンが彼を笑って受け入れるような状況にすることで、彼はその性格のままあの世界で受け入れられた!
見ていて、「クドカンはほんとすごいなぁ」と唸った。
最終回もよかった!)
最近、少額だけれど株を始めた。
例えるなら、私は「材料にこだわり、少々価格は高いけれどもおいしいパン屋」が好きなタイプであるけれど、
株を買うとなると自分の好みではなく「大しておいしくはないけれど、経営がうまく各駅前に店舗を出しているパン屋」が
これが、結構つらい。
以前からも薄々気づいていたけれど、株を初めて「だからこの会社は存続するのか…」と思うことが増えた。
自分の回りのいいお店がなくなると、とても残念な気持ちになるのと同時に、「やっぱりか」という気持ちになってしまっている。
応援したい気持ちはあるのだけど、個人ができることや「いいこと」と言われることは続けるのがきっと難しい、と思ってる。
前者のパン屋でパンを買うようにはしているけれど、私もそこまでお金があるわけではないので経営を支えるほどは買えていない。
それに、株を買うとしたら私は後者のおいしくないパン屋の株を買うようなことになるんだろうな。
本当は、前者のパン屋が残っていくような未来を期待しているのに。
シンゴジラをみて、「日本はまだやれるのかな」とふわっと思えた。
社会学者の本を読むと「昔より幸せになってきてる」とも書かれているので、少し気持ちが楽になった。
確かに女性は昔よりは普通に働けるようになっているのだろうなと思うし、マイノリティの人たちも少しずつではあるけれど社会に受け入れられているのではと思う。(当事者からだとまだまだだろうけど)
(ちなみに自分は無職の妊婦で、生まれたら保育園には入れて働きたいけれどきっと入れられないんだろうな、と毎日絶望してる)
日本から出たら、この閉塞感から逃げられるのかと思ったこともあったけど、欧米の若者の仕事のなさはもっとすごいらしい。
日本も、金がある大企業だけが残り、個人の店は淘汰されていくのだろうか…。
未来はどっちにあるんだろう。明るいのか、くらいのか。
http://blog.livedoor.jp/hasegawa_yutaka/archives/48487334.html
http://blog.livedoor.jp/hasegawa_yutaka/archives/48497760.html
(閲覧注意)
ヨッピーだったら炎上しないのかなあと思いつつ、もしそうだとすればはてなーも堕ちたもんだけどさ。
まあ、ヨッピーは他人を口汚く罵ることはなさそう。自分がいつその状態に落ちるかわからないから。「元アナウンサー」という肩書の有無でこうも評価が変わるとなると、やはり日本は先手必勝なのだなあと思うわけです。「とと姉ちゃん」でも「自己実現欲求のために働いているのに、貧乏だと後ろ指を指される」という一言があって、日本の「ちょっと人と違うことに嫉妬して叩く」というのも変わらないのだなあと。
そんな話がしたいのではなくて。
Weblogの方も一通り読んで、大体の主張理解。ただ、僕は長谷川某が耳を傾けるに値しないという先入観で読んでいるから、原則伝わらないと思うけど。
某のスタンスとして『炎上ってとても素晴らしい。だって拡散できる。』というのがあるわけで、炎上はある種意図的にやったと解釈。だとすれば、一次炎上すれば、某は目的を達成したわけで、その後のTwitterやブコメにムキになって反論することはないのだと思うのです。だって、『ピーチクパーチクとうるさい人』扱いだろ。つまり取るに足りない有象無象だと思っているのです。
別に彼らを無視するのはかまわないし、無視すべきだと思う。ネトウヨがうざいように。でも、某はそれも執拗に叩くのです。『なんなら、私を応援する現場の医師たち、15人くらい、呼んできてやろうか?参考になる話、たくさん聞けるぜ?』『ネットで私の悪口を書くしか能のないバカたち』などと。
これは某が本当に『あなた方の現実はちゃんと分かっています。』と言いたいなら、彼らにムキになって相手にすることはないと思うのです。すればするほど、某も彼ら同様に「悪口を書くしか能のないバカ」扱いされてもしゃーないなと思うのです。かくいう私も度重なる某の煽りに対し、「長谷川某?あーまた人格破綻者がなんか言ってるわ」などと先入観で見てしまう。残念ながら、今回の一件も、たとえ某がどれだけ『ご自身に全く非もない中、腎臓を悪くされ、人工透析を行っている患者・またご家族の皆さん。』の苦しい思い、悲しい思いを取材していたとしても「人格破綻の長谷川某がなんか言ってるわ」と私は思ったので、「ご家族の皆さん」の思いは1mmも伝わらんかったんですよね。
(つーか、ちゃんと取材しているならわざわざ『あなた方の現実はちゃんと分かっています。』って予防線張らなくてもよくね?だって「長谷川さんは私たちのために、あの憎き不摂生透析患者を叩いてくれている。ネットではいくら叩かれようと、わかってるよ」と"あなた方"はわかっているのだから、それをわざわざアピールせんでも。)
まず、仮にも記者を自称するなら、伝えたいことが聞いてもらえない、伝わらないって致命的なことだと思うんですよね。存在価値の有無を問われるレベルで。
ただ、某には感謝しているんですよ。だって、「日本の若者たちの生活が「崩壊している」から言っている」「私たちの子供が大人になった時、あまりにも絶望的な国・日本を引き継がなければいけなくなってくる」から吠えているそうなんですから。私も30歳なので世間的には十分若者、なので某は私の味方のはずなんです。全然味方感ないけど。
いや、某が勝手に日本に正義感ぶってくれるのはありがたいんですよ。一銭の得にもならないのに、むしろバカどもからいわれのない謗りを受け続けても(いくら無視しても物理的な被害の可能性とか、精神的な澱はやっぱり溜まってくると思います。家族親族への謗りとかも)吠え続けているんですよ。でも、それだけエネルギー使うのもったいないと思うんですね。少なくとも家族はいい顔をしないでしょう。
なので、某にはマジでシンガポールか香港へ移住して、浮いた取材に係るエネルギーを私腹肥やすほうに使ったほうがいいと思うんですね。「まだ日本で消耗してるの?」などど言いながら。だって「こんなクズな保険・年金システムの国家」なのですから。少なくともあなたの家族は絶対にwinですし、あなたに多くのエネルギーを使って叩いている人々も別の活動に能力注げるからwin。朝から次の朝まで延々と仕事してる厚労省の職員も精神的な苦痛を受けずに済むしwinなんですよ。
おお!完璧だ。
追記。
なんか隊長っぽくなった。
「自業自得かどうかの判断システム」はどうやってやるんだ?という叩きもあるけれど、これはある程度まではできるように思う。まず先天的な糖尿病患者(ex.1型)は排除。それから遺伝子検査で腎臓を患いやすい遺伝子を持った人も排除できるだろう。(遺伝子検査の精度はさておき)また、生活習慣のチェックリストや、これまでの健康診断結果を基に評価するという方法もできそうだ。(個人情報保護法を乗り越えるのは少し大変だが。。。)これまでの診療歴を見てもいい。ストレスチェックよりかは遥かに評価は簡単そうだし。
とはいいつつも、
1.評価基準ってあるのか?ないならエビデンスに基づいた基準を最低でも学会レベルで定めないと。
2.システム構築に係る費用って、現状の透析システムを続けるのと比べてどれぐらいペイするの?
主張するなら、せめてこれぐらいのデータはほしいよねえ。
私は所謂、喪女と言われるカテゴリーの女だ。せめてオシャレな雑誌を見て量産型女性になって世間様に馴染みたいと思っている。
でも、「生真面目な人」に見られてしまう。ユルくするとだらしなくなるし、量産型女性はブスがばれるファッションだな、と諦め、ジーンズにシャツ、白のカーティガン(バナリパ)にスキニーパンツ、小粒パールのピアスと言ったファッションが限界だ。結局、「流行を追わない、暑苦しいのにキチンとした服装しか着ない人」「生真面目な人」になってしまった。取り敢えず、小奇麗を心がけていて、美容院には2か月に1度、行くように頑張っているが…。
そんな時、母に「今、とと姉ちゃんを見てるんだけど、志田未来に似てる。」と言われた。前々から誰かしらに「似てるって言われるでしょ?」と言われる位、似てると言われてきたが、私はそんな実感は無かったし、母も「そうかな、似てるのかな…」と言っていた。けど、今朝電話がかかって来て「今、やっとわかった。アンタ似てるわ。戦時中のシーンなんだけど、老けメイク?してるからかな、頬骨とか目とかそっくり。」と。瓜二つでは無いらしいが「あっ何か似てるな」レベルらしい。
そこで、私は志田未来をペルソナにして喪女を脱却したいと思い立った。でも、彼女はマトリクスでいうと、どの位置なのか。そのポジショニングが解らない。彼女の画像を見てみると、色んなタイプの服装を着ているし…。
・AKB系
・ハロプロ系
・美人系
・可愛い系
・女子アナ系
・清涼系
・ギャル系
他にも雑誌で言うと何系とか、モデルで言うと誰系に当てはまるか…。清楚と野暮ったさの紙一重状態で、どうしても野暮ったさ、喪女から脱却できない。
5年休んでいた間にもっと待望論的なものが巻き起こるかと思ったのに
驚くほど大きなうねりにはならず、静かな再開って言えるかもしんない。
もうびっくるするぐらいに。
清水翔太の「花束のかわりにメロディーを」のほうが数段良くできてる。
この「花束を君に」は、年下の外人男性掴まえて結婚したこともあるのか
NHKの朝ドラを意識して奇をてらわず仕上げたって可能性があるとしても
それでもこのクソつまんない曲は活動再開の狼煙としては弱過ぎる。
ロクに人生経験も積まないまま一生遊んで暮せるほどの印税を手にして
このままじゃイカンと思ったって。