はてなキーワード: D論とは
知らんかった。さんくす。
そして、最近の人の博士論文は https://dl.ndl.go.jp/ で全文見られるのか...
当時の自分も29歳、博士課程3年目、といっても学校にはほとんど行かず、D論のテーマすら決まってなかった。
妻子のためにちゃんと稼がないといけないので、大学での研究は向いてないと目処をつけて、適当に就職した。
まぁ、とくに深く考えずに適当に就職したので、そこが多重請負の下請け専門ということもよく知らなかった。
けど、新しい分野で新しい経験をすることは、それなりに面白いもので、IT系の素養もそれなりにあったので、いろいろ学んだ。
それから、何度か転職を繰り返して今はある程度満足感をもって仕事をできる職場にいる。
博士課程というところまできたからには「学ぶ」ことについてはそれなりに自信もっていいと思う。
知識とか知恵は、大卒の新卒と比べたら、大学生と中学生くらい差があるので、仕事の上では結構無双っぽいこともできる。
働いてからつけた専門知識や技術のおかげで十分やっていけているので、アカデミックな世界でポスト争奪と薄給にあえぐよりは、随分いい選択だったと思う。
なんにせよ、今はまだスタート地点。これから40年前後、働かなくてはいけない。
後ろを振り返らず、前向いて走り出せばいいだろう。健闘を祈る。
社会学は哲学と同じ善だの悪だのバイナリゲームのお遊戯の一種なのでいいかげん学問になるかお遊びのままでいるか進む方向を選ぶべき
学び問う、問えるだけの情報整理と定義とそのための集積、それらと分け隔てなく接し理解するための時間を費やす学び、それらを合わせて学問
学問によって定義ができる情報群ができたとき、その情報を応用できる手段にしたものが論
多くの意見や情報や視野を集める学びを会す場をつくることが学会でそれを基軸に題名をつけるなら学、何々学
あつまりもしてないし意見も聞かないし問うに情報が整理されていない、ただ罵倒するためだけにつけた蔑称で独自の定義を披露する社会学はそれらのどれにも少しもあてはまらない
学問という文字から大きくそれた「社会学」なんてものはもう言葉遊び
西暦何年~何年までとする それ以外は「社会学以外からの引用や参照や比喩」として理解できる 逆に範囲内に言及する場合は学会の方針に沿う
実在した人物や組織の名前をそのまま使い、個人的な評価をその名前を付け合せて妙な名前を都度生成しない
結果や行動について集積、分類するために評価基準を定義する 大虐殺なら評価基準は人数なのか方法なのか効率なのか等 それにより救われた人数や伸びた産業はどう評価するか等
・共有する
これが一番問題なのだろうけど、定義基準ができたとしてそれを利用できなければ意味がない
現在の社会学は他の社会学者が歌ったポエムにアンサーポエムを返したりしているだけ
社会学が学問として学が成り立ったとしたら次のような表現方法ができるはず
「ナチス」という一時期に存在した集団がとった行動の評価は「100(例として作った数字なので意味はない)」
これはAの時代のBという状態にあったCという組織や、同系統の例を定義上の要素で評価採点した方法による D論 の評価
のようになるべき
善だった悪だった悪だが民衆に好かれた、当時の価値観としては善だったが、などただの時系列を無視した正確性を欠くジャーナリズムでしかない
正確性も欠いているし時系列も現在とのつながりが話題性以外になく、善とか悪とかの価値観に巻き込まれた関係者の人数分布や思想の強度を行動や現象で数字化して比較するわけでもなく個人が判断しただけ等となると愚の骨頂
事実、現時点において何らかの問題を解決するのに歴史的な事象や統計にある手段を用いようとしたところで社会学のなにが方法としてだせるのか
D論の提出期限がもう2か月後だーー助けてくれーーグワーーーーーッッッ
何もかも面倒くさい。
投稿論文を書くのも、D論を書くのも、学会に行くのも面倒くさい。
研究について指導教員と相談するのも面倒くさいし、実験をするのもデータをまとめるのも面倒くさい。全然おもしろくない。
今年でD論書かなきゃ博士号とれないし卒業もできない。今年で卒業できなきゃJASSOの奨学金も切れる。だから今年で出なきゃいけない。
ああー面倒くさい。
今年で出るってことは来年から就職しなきゃいけない。JASSOの奨学金の返還も始まる。正直すごく面倒くさい。
博士を出たらアカデミアに残りたい!研究者になりたい!みたいなモチベーションなんて無い。
ただ朝仕事しに家を出て、夕方仕事を終えて家に帰るような穏やかな毎日を過ごしたい。
仕事は正直よっぽど辛くなければ何でもいい。お金くれれば何でもいい。
でも職探しするのも面倒くさいなー。
最近こんな感じで嫌になってて夜も眠れないんだけど、これっていわゆる「病んでる」ってやつ?
1つの有意義な結論として、審査体制がしっかりしてれば通ることはなかった、とはっきりと言っている。
どんな圧力や思惑があるか知らんが、どうしても剥奪はしたくないみたいで、
そのごまかし方も、一部、著作権違反等そもそも法に触れそうな部分は無理やり草稿段階のものを出した、ということでごまかしてるけど
(だけどコレも実はD論は公開物なわけで、営利なものではないとは言え、それを国会図書館に寄贈し公開してる時点で本来誰かが著作権についても責任取らなきゃいけないことだとは思うが)
それでもごまかしきれない部分で、こんなの普通には通らないけど審査が甘かったから通っちゃった、と言っている。
通っちゃったものは法的に取り消せない(要するに、提出者側に非があって通ったわけではなく通した方が悪い。その場合は通っちゃったら消せない、と。)
まあ、これ、とりあえずその方針で取り消さないなら、通しちゃった審査員、バカンティ含め処分しないと話が通らない。
んで、もう一つ重要な話として、小保方の論文は博士には該当しない低次元で無意味なものだが、博士号は取り消さないであげるだけ、ということをしっかりと公表しないといけない。
これによって彼女はもはや「博士号取得レベルの能力」は認められないので
どこも雇う基準には満たせない。
通しちゃったアホな審査員を厳正に処分してその辺の話をしっかりと公表すれば、
もちろん、他のコピペ論文についてもすべてきっちりと審査し、審査員を処分するなり取った人間を処分するなり進めないといけないが。
誰も「まるまるコピーした」なんて言ってないけど。文章そのまま引用だって、数行程度ならありと上にだって書いんだけど…(こっちにしてみりゃ数行もしねーけどな)
小保方さんの場合、ただの丸写しの割合がデカ過ぎでしょ。あれで引用元書いたとしてもアウトでしょーよ。もしかして、あのレベルのコピペが使われるD論って横行してるの?だとしたら、終わってんね。
一理ある。何故コピペD論が有り得るのか甚だ疑問。修論・博論は何度もボス(教授)なりメンター(助教とか)に修正されまくって、最初に自分で書いた原型は留めない、というのはある意味研究者に共通のネタでもある。程度の違いはあるにせよ。
仮に論文本体内でのコピペや嘘っぱちリファレンスリストを許容したとする。しかしデータの使い回しは有り得ない。例えばPCR画像使い回しなんて完全に黒。余談だが、修論提出締切に間に合わなくて先輩のリファレンスリストをコピペして審査員に提出する"裏技"というのは聞いたことがある。しかし当然減点対象になりうるし正本では直すのが普通。
三年前のデータと?そんなん有り得るか。理論科学と違って実験の面倒なことは再現性をとるためとか綺麗なデータをとるために何度も同じ実験を繰り返さなきゃいけないこと。投稿論文への掲載に値するデータを取るのにいくつもパイロット実験があったりする。で、そうゆう膨大な下積みデータってフォルダやファイル名に日付を入れて管理する。細かな作法は人それぞれだけど、日付の他に、実験の名前とか、株の名前、対象遺伝子・タンパクの名前もデータ管理に使う情報。どうやって数年前のデータと取り違えるのか理解し難い。
http://anond.hatelabo.jp/20140317015734
わからんでもないが。実験詰め込み過ぎてノート書くの一週間放置とかデータ整理二週間さぼるとか。でも最低限どの条件で実験したとかはメモ書きしておく(そうじゃなきゃ後で困るのは自分)。しかしそれ以前に、自分のデータ、しかもうまくいったデータって覚えてないもんか?というのが本質的に疑問。まして顕微鏡写真なんか、DNAの泳動写真に比べたら憶えやすいのは。視野内の細胞の配置とかで。顕微鏡に関しては確かに膨大な数の写真を撮るけれど、「これ!」というデータはそのあと研究室内での発表とか学会発表で繰り返し見ることになるから、自分どころか教授が憶えてたりするぐらい。
コピペや泳動写真の切り貼りがいけないことだとは知らなかった、は理研ユニットリーダーとしては有り得ない発言だと思うが、これまでの研究教育環境が悪かったことも否めなくはない。しかし既に書いた通り一つのデータを「異なる実験」と言って使い回すのは単なる嘘偽り。研究教育以前の人としての問題。二月中旬だか下旬頃に「いま必至に追試・再現性の確認を行っている」と発表されていた気がするが、そもそもきちんと実験されていないもの・存在しないかもしれない現象に再現性もくそもあるかい。いったい真実は何なんだ、おぼちゃんよ。
3本以上論文PublishしてないとD論通らないんじゃなかったっけ?
昔聞いた話だから違うかもだけど。
まあ小保方叩きたい向きにはD論の元になっている3本(以上)の論文に
不備がないかチェックしてみるといいかもね。
が、まあせっかくだからなんか書捨てておこう。
D論が取り下げになるのは確実だろう。
良くても書き直し、最悪だと学位取り消しだろう。
まあコピペ部分はイントロであって、それ以降に新規性のある結果が含まれてれば、
内容的はセーフ、書き方がアウトというわけで、書き直しで許してもらえるんじゃないかと予想。
ホントに新規性があればネ☆
Natureの論文の方も、取り下げか、最低でも大幅に下方修正が必要でしょうな。
大幅に論旨を変えた上でしょぼい雑誌に掲載というのが現実的かな。
まあそれまでにオボちゃんが研究者やめちゃったらお蔵入りになるかもだけど。
私の知りうる情報をまとめる限り、やっぱりいちばん悪いのは小保方だろう。
でもどうしても同情心も湧く。
共同研究って言っても実質一人で実験・論文執筆したんだろうしね。
その割には追試など手を動かす作業には参加してくれない、という伝統的形式がまずかったね。
理研を責める向きもあるが、それはちょっと違うんじゃないかな。
Natureに乗っちゃったって言われたらやっぱスゲー論文なんじゃないかと思うし、
そもそも今どきの研究なんてむちゃくちゃ細分化されてて同じ研究室でも
違うテーマで研究してたら何やってんだかよくわからんことも多いし、
ましてや広報とか一線引いた責任者のセンセーがその辺見抜けって言われても無理でしょ。
そう考えると、一度は撥ね付けた論文を、バカルディだかなんだか先生の
まあそうは言っても、最も研究に詳しかった小保方さん本人がその瑕疵に気づいていなかったとは思えないし、
言い出せないうちに周囲のヨイショが加わって、
なんか分かってない人が多い気がする。
小保方さんなんてのは、駄目な教育しか受けられなかったかわいそうな学生。
Nature に「記念投稿」したけど速攻で蹴られたという、よくいる亜流研究者。
それを叩くのは面白いだろうけれど、そのせいで本丸から目をそらされてないか?
早稲田や女子医のずさんな教育指導体制や、ハーバード附属病院のおもしろ医
師はそれなりに問題だが、それだけじゃ「ノーベル賞級の発見→根幹部分がコ
ピペ」の喜劇は生まれない。生物学の歴史をまさに愚弄し、世界中の研究者を
困惑させ、日本の恥を世界にさらし、青少年の科学への夢をぶちこわした主犯
は誰か?
自分のD論すらまともに書けない人間が、どうして Nature 論文の本文に見ら
れるような、それなりに格調と説得力のある英文を書けた?何回にも渡ったと
いうエディターとの丁々発止のリバイス交渉を、いったい誰がやった?原稿を
書くためにデータの真偽や整合性をチェックするという当然の仕事すら怠る一
方で、論文をねじ込むためだけに自分の知識、筆力、評判を悪用した誰かが、
いたんじゃないのか?ほとんど論文実績のない彼女を、誰がユニットリーダー
に据えた?彼女1人でできるわけが無いあんなに異例な広報を、誰がオーガナ
イズした?学術会議や首相との面談を、小保方が自分でアレンジできるか?要
するに、「野ブタをプロデュース」した人物がいる。
つづきは
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/life/1394541726/726
あと若山氏は先にゲロったからといって非難はまぬがれない。共著のくせに論文を読み込んでなかったんでしょ?いくらそれがならわしとはいえ、問題になった以上責がある。ことさらに「勇気ある行為」と評すると本質を見失う。
だから一旦論文は撤回のうえ改めてきちんとデータを揃えてやり直すって言ってるんじゃないかな。それはひとつの誠実な責任の取り方だと思う。
胎児写真の重複や不自然なマテメソ(コピペとわからずとも、いくつか妙なところはある)は、ドラフトをじっくり読んでれば気づけたんじゃないかって指摘はもっともだろうね。「ファイナルドラフトです」って渡されたものには無くて、そこから提出までに差し替えられていた、なんてことをされてたんなら同情するけど (責任を免れる、というわけじゃないが---そういう人を信じてしまったのが間違いだった、ってことで)。
D論の使いまわしとか泳動写真の切り貼りは気付けっていうのが無理筋じゃね? 共著者が彼らの分担分についてデータを偽造してくる可能性を考えてるならともかく、普通は出してくるデータは矛盾がなければ信用するでしょ。いちいち偽造の可能性を疑ってチェックしないとならないならそもそも共著者なんておっかなくてやれないよ。でもこういう事例が続いたら、そうせざるを得ない時代になってゆくのかもね。