はてなキーワード: ワガママとは
本当に本当に可愛がっていた愛猫が、亡くなった。
とんだ2025年の幕開けだよ。
特に大きな持病もなく、心臓は少し怪しくなりつつあるけれどまだ治療する段階ではないので、定期的にエコーで見ましょうねって状況だった。
年明けに病院へ行く予定だった。
全体的な健康診断もする予定だった。
でも死んでしまった。もし12月中に行っていれば、何か変わっていたのだろうか。
悔やんでも悔やみきれない。
わからないけれど、恐らく、心臓が急に止まったのだろう思う死に方だった。
普通に元気だった。ご飯も全部食べていた。おやつも貰った。立ち上がって喜んでいた。
撫でられてご機嫌だった。
180センチ程の高さがあるキャットタワーの一番上に駆け上り、そこでいつものように横になって寝た。
朝、そのままの姿で死んでいた。
たぶん、苦しくなかったと思う。寝ているようにしか見えない穏やかない顔だったから。
でも、なんの心の準備もさせて貰えなかった飼い主達は、とても苦しい。
いつかは先に死ぬのはわかってた。その覚悟はあった。でも今日じゃないだろ。
もっと段階を踏むと思ってたんだ。
病院で、あー心臓悪くなってきてますね、治療始めましょうって言われてさ、お薬貰ってさ、お薬飲ますのむずかしーとか言ってさ、定期的に検査して現状維持ですねとか悪化してるからお薬増やしましょうねとか言われてさ。
そういう未来があると思ってたんだ。
でも苦しいのは本当に可哀想だから、どっちが彼にとって良かったのかはわからないや。
今は、凍結しないように水道の水抜きをした冷蔵庫のように寒い部屋に彼を寝かせて、その横で飼い主は毛布にくるまって尿意を我慢しながらこれを書いている。
左に手を伸ばして彼の大好きだった首筋を撫でれば、生前と全く変わらないふわふわの感触がそこにある。
これが失い難くて失い難くて。
燃やしてたまるか精神が発動してしまいペット火葬業者に全く連絡できないでいる。
寝ているようにしか見えなくて、今にも起き上がって私を見つめてくれそうで。無理。やだ。拒否。
あの、火葬の、扉を閉めるあの瞬間。
骨になってしまえば、多少の諦めがつくだろうというのもわかってるんだけど。なかなかね。
もうちょっとここにいてほしいな。ワガママかな。さみーよ!ふざけんなって思ってるかな。
彼が最後に食べたご飯。そのお皿。数粒のフードが残ったそのお皿も片付けられずにいる
給水機の水も捨てられない
ついこないだ、大容量の猫砂を買ったばかりだった。
おやつも残ってる。
猫草、枯れてきたから、新しく種を撒いたばかりだった。
まだ数センチしか伸びてないよ。あと数日経ってしっかり成長したら、
ほら新しい草だよ〜ってあげる予定だった。
そしたらきっと喜んでムシャムシャ食べて、その後毛玉を吐いただろうな。
ペット可の物件が少なくて、なんか変な形の狭いアパートしか借りれなかったから、
ペット可の一軒家を探してたんだ。
階段があったら、喜ぶかなと思って
全く使わせてくれなかった。
まだまだ未来が続くんだとばかり思ってた。
さっき後悔してもしきれないって書いたけど、後悔してない事もある。
めちゃめちゃ愛したし、めちゃめちゃ愛された。
彼は飼い主が大大大好きなマザコンボーイだった。
私も幸せだった。
本当に優しい猫だった。
私と彼は毎日毎日、愛のキャッチボールをし合って楽しく幸せにふわふわと暮らしていたのに。
突然、わたしにボールを投げてくれたきり、もう二度と受け取ってくれなくなっちゃった。
投げる宛のなくなったボールを手に、私はひとり途方に暮れている。
彼はこれからどこに行くんだろう。
お母さん大好きマザコン子供部屋おじさんだった彼が、たったひとりで、どこかに行けるものなのかしら。
いつもみたいに、お気に入りの白い猫じゃらしを咥えて、高い声で「んんん!」って言いながら、行っちゃうんだろうな。
向こうがあんまり楽しそうだったとしても、頼むから一度くらいは振り返ってよ。寂しいよ。
この文章を読んでくれた方、ぜひ、心の中で彼の旅路を祈っていただけたら幸です。
ついでに、私が火葬業者に連絡できるようにも祈ってください…。
本当に大好きだよ。
いってらっしゃい。
またね。
特大の愛を込めてあなたへ。
仕事柄電車やバスでの移動が多い。私は、神経質な人間だ。横に座ってスマホを覗く人、前に立って新聞を広げる人、どこか遠くのほうで喋り立てる人、自分の周りに存在するあらゆる人々が、私にとっては、ストレスのもとになる。そんなことを書いてみると、自分がいかにもワガママな人間に思えるが。実際ワガママなのだろう。でも、さすがに周りの人々に、何か文句を言うほど愚かではない。というより、そんな勇気はどこにも無い。私は、臆病な人間だ。
スーパーコンピュータかなにかで、マスクをせずにせきやくしゃみをした時の飛散の模様をわかりやすくシミュレーションした映像が、コロナ禍以来ほとんど常に脳裏に焼きついている。電車やバスで誰かがせきやくしゃみをしただけで、私はうろたえる。あからさまに不快な表情を出しはしない。目を瞑って、息を止め、時間が経つのをひたすら待つ。吸わないように、吸わないように。飛沫の粒子が空気中に広がり、徐々に自分の気道には関わらない場所へと離れていく様を、勝手に想像する。そろそろ大丈夫かな、という頃にようやく息を吸う。また誰かがせきやくしゃみをすれば、同じことの繰りかえし。あとで駅のホームのベンチに座って、アルコールシートで手指、スマホ、メガネ、時には顔や髪の毛まで、除菌する。さすがにファブリーズは持ち歩いていないが、帰ってから入念に振りかける。ここまでするのは馬鹿馬鹿しい。我ながら笑ってしまう。いつか親に聞いた話だと、私は赤ん坊の頃からよほど神経質だったらしい。
こうやってとりとめのない内容をつらつら書いているのには、全然目的は無い。冷えた体で帰ってきて、胃の中いっぱいに食べ物を詰め込み、洗い物をする元気もなく、シャワーを浴びるのさえ億劫で、ただ、ネットでくだらない情報を寄せ集めていた。どうにか歯磨きだけはするが、この時点でなんとなくノドが痛かった。恐れていたインフルエンザか。もう1日、出勤が待っているのに。ああ、あと1日出勤すれば連休なのに。どうせ一人で部屋にこもっている。最後の出勤の後であれば誰にも迷惑がかからないのに。もしインフルだったらどうしよう。年末に上司に連絡しないといけない。あの人にも、あの人にも迷惑をかけるかもしれない。考えれば考えるほど不安になってくる。夕飯はあきらかに食べ過ぎで、くだらない情報で頭の中はいっぱい、さらにノドの痛みと不安とが一緒くたになって、どうせ眠れないだろうと諦めながら、いつもより遅い時間に床についた。入眠には難儀しない。いつも途中で目が覚めてしまうのだ。夜が怖い。
案の定、2時間ちょっとで目が覚めた。ああ、さっきよりも、ノドの痛みは増している。熱は無さそうだ。このままであれば、月曜日仕事に行くことができる。いや、こんなに痛いようでは、熱は上がってくるだろう。熱が出てきたら早めに連絡をいれよう。あの人と、あの人と、一応あの人にも入れたほうがいいか。どうやって謝ろう。復帰した後はお菓子でも持って行こうか。まだインフルエンザと決まったわけでもあるまいに。私の文章を読んだ人は、どこかの小心な人物のどうでもいい話を笑うにちがいない。別に構わない。事実私自身、こうして書きながら、自分のことを心のどこかで笑っているのである。睡眠薬が効きはじめるまでの間、神経質で臆病で小心な自分を笑うつもりで、ありのままの言葉を吐き出してみたまでである。
書き始めてしばらく経つけれど、まだ眠気は来ない。このまま結局眠れないのだろうか。ノドの痛みは、龍角散を舐めたらちょっと良くなった。熱が上がりそうな気配は今のところは無いようだ。そういえば、今年は今のインフルエンザの流行だけではなくて、ほとんど年中コロナの心配もあった。人のせきやくしゃみに怯えながら、よく一年を乗り切ったと思う。そうだ、たまには、自分を褒めてあげることも、必要なのではないか。いい子だね、よく頑張ったね。神経質で臆病で小心な私は、こうしてだらだら書きながら自分を慰める。まるで小さな子供をよしよしするみたいに、心の中の私自身を労る。睡眠薬が効くまでの時間で吐き出した言葉が、自然と自分を落ち着く場所へと導いてくれた気がする。とすると、これも無駄ではなかった。眠気が、だんだん迫ってきたようだ。ああ、1年間、よくがんばったものだなあ。お疲れ様でした。願わくは、もう1日、出勤したいものなのだが。これを読んでくれたみなさんもお身体に気をつけて、よいお年を。おやすみなさい。
昔、10歳のときからプロテスタントの教会に通ってて、そこにいる人たちはほんとにあったかかった。
悩んでる人がいたら話を聞いて、奉仕も頑張って、「神の家族」ってやつを信じてた。
でも社会に出てみたら、月の手取りは14万でパワハラもキツい、彼女ともうまくいかない。
もう、教会に行くまでは死んだみたいに寝て、日曜の朝にギリギリ起きて奉仕して、みんなに笑顔振りまいて。
心底「神って憐れみ深いんじゃないの?」って疑問を抱きながら、それでも祈り続けた。
だけど、どれだけ祈っても状況は変わらない。教会の人たちも「あなたのために祈るよ」って言ってくれるけど、みんな同じように報われないまま。
そんなとき、ある人たちがすごく目についた。
権利を主張しまくり、他人に責任を押し付け、自分のワガママ通すために平気で誰かを踏み台にする。
なのに、そいつらは表向き裕福で仕事でも評価され、結婚して子どももいる。まさに自分とは正反対で、いわゆる「勝ち組」っぽい感じ。
で、そいつらに踏みにじられたのが決定打になって、「こんな神いらなくね?」って思って、実際、「神を捨てて」みたらどうなったか。
正直、自分もそいつらみたいに、弱そうな人に責任を押し付け、義務は果たさず権利だけ主張して、ワガママ通すために周囲を生贄にしてったら、収入はどんどん増えて人間関係も広がり、結婚して子どもまでできた。
昔の俺と同じようにずっと教会で祈ってる連中は、未だに報われないままだけど、俺はもう穏やかな顔して「幸せだなぁ」って言えるようになった。皮肉だよね。
それで最終的にわかったのは、「神は悪人にも善人にも同じように太陽を昇らせ、雨を降らせる(マタイ5:45)」っていうこと。
要するに、神ってたぶんみんなに「チャンスの場」みたいなのを与えてるだけで、憐れみとかは関係ないんじゃね? だから、「神がどうにかしてくれる」みたいな他力本願で待ってても意味ない。
結局、自分で行動しないと何も手に入らないし、「現実世界の救い」なんて与えられないもんなんだなって。
でも少なくとも、俺らが今生きてる地上の生活を良くするには、与えられた能力やカネやモノをしっかり活かして、「欲しいものは欲しい」って声を上げて、自分で歩くしかない。
教会でただお祈りして「神のルールを守ってます」って言ってるだけじゃ、いつまでたっても何も変わらない。
自分で何かしようとしないと、何も起こらないままなのよ。
をやろうと思ったのですが、私の知識不足で企画倒れが決定しました。
多分、俺以外の誰かがやると思うので期待して待ってます。
直感的にそれがあることは分かっていても知識と検証能力の不足によって尻尾を掴めないのがとても歯がゆいですね。
ある種の前世症候群の如く「そうか!俺は実は発達障害だったんだ!」と「目覚めて」しまっている人達の急増はもはや社会問題と言っていいわけですからね。
この状況に対して何らかの調整弁を働かせなければ本物の発達障害の人達が「発達障害を自称するただのワガママな人」と同列に扱われて苦労するのは目に見えています。
誰かが正義の一石を投じてこのブームの暴走を食い止めて欲しい限りです。
正直、漫画ランキングに対してのツッコミなんかでそんなことをやっても仕方がないのは事実ですけどね。
本当に動き出すべきは「本物の発達障害を診ている精神科医師」達だと思います。
実際どうなんでしょうね?
偽物が次々にドアを叩いてくれるぐらいの方が自分たちの客が増えるからラッキーとか思ってたりするんですかね?
それとも、偽物であるか本物であるかを調べる機会を得るためには玉石混交の状態でいいので篩に一度かけさせて欲しいという感じなんでしょうか?
昔は学校教育の中で「コイツ脳の構造が生まれつきヤバイだろ!病院いけ!」みたいな話をオブラートに包んで親御さんに相談したり、保険医が勝手に病院に連れて行ったりも出来ましたが、今はそういうのは難しいでしょうね。
そうなると自然と発見が遅れるリスクがあるわけですから、「気になった時点で一度発達障害かどうか確かめる機会を増やしたほうがいい」という意味では、この「俺俺発達障害」のブームは結果としてプラスなんですかね?
まあ、単なるワガママによる人格破綻であっても、ある種の思考の癖によって本人や周りが生きづらくなっているなら、そこに精神医学や心理学の技術を介入させて軌道修正を行ったほうがいいわけですから、自称だろうが発達障害を理由に医学的なサポートを必要とする姿勢は正しいんですかね?
確かに、自分が発達障害である可能性を視野に入れたうえで検査を受け、そこで出てきた医者のアドバイスを素直に聞くというのは実際正しい気はしますね。
でもそこで「デパスで元気になるから」と薬に頼る道を安易に選んでしまうパターンもゼロじゃないのが恐ろしい。
マイナンバー保険証の件で再燃しましたが、世の中にはちょっと精神病っぽければいくらでも向精神薬を投げつけてしまうような医者も少なくはないと聞きますからね。
単なる「自称発達障害の普通の人」がそういった医者にひっかかって「薬物の力を借りなければ脳内物質のコントロールが出来ない体になってしまった人」になるリスクも無いとは言えません。
うーん。
私が思うに、単にこれは次なる「社会の闇に切り込み現代社会の生きづらさを描くセンシティブな漫画」の人気ジャンルとして立脚するだけなんじゃないかという懸念さえありますね。
実際、一時期の青春文学などにおいては医者から処方された薬物を濫用するという場面が現代人の闇(ニチャァ)の描写として流行ったことはありましたからねえ。
完全自殺マニュアル後の自殺コンテンツブームの如く、自称精神病薬物乱用コンテンツブームが雨後の筍の如く乱立し、それがこのマンガがすごい!として持ち上げられるという流れもあるかもですね。
まあ、それで一度キッチリ社会問題として顕在化することまで含めてのPDCAサイクルとも言えるんですかね。
無断学習が一番の問題で反対と大騒ぎしていたが、Xユーザーはは規約の通りAI学習を了承した上で画像投稿しており同意学習である。
え?学習は嫌だけどXを使ってる?規約に同意もできないのにXは使いたいとか赤ちゃんのワガママじゃないんだからさあ。学習されたくない画像の投稿止める責任くらい取りなよ。
ワイが試した時がそうだったが、無課金ユーザーで利用できる最新版で生成された画像には右下にGrokのロゴが表示され
明示的にAIだと表示されるようになった。(エゴサで見つけた適当な下記リンクの通り)
その気になれば意図的に削る加工をすれば削除も簡単だが、各種ウォーターマークを入れてもそれは簡単だろう。
https://x.com/llama17/status/1866007466594722259
Xが自分のユーザーをGrok等で学習してるのは周知のとおりだが、外部からの学習についてはrobots.txtで拒否する姿勢を明示している。
クリーンなAIでは学習を拒否するポリシーであるかは重要なのでGrokを除けば反AI系SNS並である。
Xの新天地だ~とかアホが騒いでたblueskyはAI学習をrobotsで排除しておらず、クリーンな無断学習がし放題であることには気づけなかったようだ。
画像生成AIは100枚とか200枚生成して良い画像をピックアップする世界なので大量の無課金ユーザーが絵描きを妨害するために濫用する使い方は難しいだろう
アニメ化などでファンが増えるって本来作品にとって喜ばしい事なのに
どうしてわざわざファンを排除して減らすような真似をしてしまうのか。
「パパじゃない我々」って何処目線?お前はただの読者であって、原作者でも制作会社でもないんだが…何か勘違いしていないか?
とど丸@ウマ息子アグネスタキオン
@todomaru2
結局鬼滅にしてもヒロアカにしても呪術も今回のダンダダンも、アニメ化などで有名になったらフェミや活動家が噛みつき出したって事は、女性特有の試し行為「私のワガママはどこまで通るか?」の対社会版であると容易に想像できる訳で
https://x.com/todomaru2/status/1864574156555293183