はてなキーワード: 小牧とは
我逞兵皆な君に小田原に従ひ微兵を以て対抗する最も難しと為す如ず
主君が不在のあいだに城を攻められ、留守居役の武将が「我らの精兵は主君に従って小田原にいる、残ったわずかな兵で対抗するのは難しいだろう」と言っているようだ。
「東北の藩のわずかな兵をもって明治政府の軍とよく戦ったのには理由があることを知るべきである」といった感じだろうか。ちゃんと「びへい」とふりがながあるので「微兵」であることに間違いない。
「あの大軍に私がわずかな兵をもって立ち向かっても利益はないだろう」といった感じ。
縦令信長請に応せすとも我今軍を出さすんは貞昌か死亡眼前に在り是を救はすして豈弓矢の本意ならんや然れとも微兵を以て大軍に当ること容易に非らす
徳川家康が「たとえ信長が援軍に応じないとしても、私がいま軍を出さなければ(奥平)貞昌の死は目前であり、これを救わなければ武士として失格だが、とはいえ、わずかな兵で大軍に当たるのは容易ではない」と言っている場面。
家康の使者として秀吉に謁見した本多忠勝を、「特に去年の長久手の戦いで、(忠勝は)龍泉寺でわずかな兵を率いて、私の三万八千の大軍を相手に活躍していたときは、すぐに討ち取れと言ったものだが、今はもう講和を結んだので、家康の家臣は私の家臣も同じだ」と秀吉が称えている場面のようだ。
今従兵僅か七八騎に過ぎず。此微兵を以て大敵に向ひ、横死して何の益かあらんや。
桶狭間戦記と似たような文章。四戦紀聞の成立は1705年らしい。
姉川の戦いの場面か。「家康の家臣たちは味方の兵が少なくても朝倉の軍に立ち向かうことをまったく恐れなかった」みたいな感じか。
中国視点で「あまつさえ秀吉は、日本が小国で、兵がわずかであっても大人しくせず、朝鮮を侵略した」みたいな感じか。朝鮮征伐記は1665年の成立だが、だいぶ怪しい史料ではあるらしい。
此度大坂陣長重手エ得ル首級都合十四、是僅ナリト雖モ、長重討死ニ決シ、微兵ヲ以テ粉骨ヲ尽シタル戦功ハ、具ニ上聞ニ達シ公籍ニ載ラレ、且諸侯伯知之所也
「大坂の陣で丹羽長重はそれほど首級を挙げることはなかったが、長重が討ち死にの覚悟を決めてわずかな兵で頑張ったことは、みんなが知っているので安心してください」といった話か。丹羽歴代年譜っていつ成立したんだろ。
大正7年『泗川新寨戦捷之偉蹟』
忠恒公ハ本丸ヘ入此合戦味方纔ノ一千有余ノ微兵ヲ以テ敵ノ百倍ノ猛勢ニ接シ衆寡ノ勢天地懸隔ストイヘドモ其戦略図ニ中リテ一挙ニ大敵ヲ鏖殺ス
朝鮮出兵で「島津忠恒が一千あまりのわずかな兵で百倍の敵を皆殺しにした」という話。
「朝廷に訴えて幕府を残せないかとわずかな兵を挙げて同志を伴って甲州黒駒まで至ったが田安中納言(徳川慶頼)に諭された」でいいのかな。一夢林翁というのは林忠崇という人物のことらしい。
昭和以降は略。
今回は「微兵を」で検索しただけなので「微兵の」とか「微兵たる」とか「微兵にて」とか他にも用例はあろうと思う。
文語調の古めかしい文章には多く登場している一方で、口語としてはまず見かけず、昭和以降ともなるとほぼ古文書の引用とかでしか出てこない、という印象。
ともあれ「徴兵(ちょうへい)」ではない「微兵(びへい)」という言葉がかつて存在していたことは確実で、「OCRの読み取りミスによる存在しない言葉である」と切り捨てるには惜しいのではないかと思った次第。
14:58でクリア
ほぼ15時間ちょうどだな
桐生編がどんだけ長くなるか戦々恐々としてたけどあっさり終わってよかった
ほんとファン向けのおまけって感じだった
1つの事件を複数キャラで多面的に追っていく構造はよかったけど、収束のさせ方とオチとラストがダメダメだった
敵がスウェイしすぎ&スーパーアーマーでひるみなしで反撃&連続攻撃してくる&ガードしまくり&こっちはすぐピヨったりダウンするのがめちゃくちゃストレス
動作キャンセルとか攻撃中の方向転換できねーからスウェイしまくる敵とアクションの相性が悪すぎた
敵がスウェイしまくってもそれをおっかけながら=攻撃方法変えながら攻撃したりだとか、
敵が攻撃してきたら今のモーションキャンセルして回避に転じるとかそういうのが全然できない
操作不可時間ができるだけ短い弱攻撃をペチペチあてては離れるみたいなのの繰り返しでマジつまんない
スカると隙だらけ
前作のままいじってないんだろうけどまったく使う気にならん
5やる前にff7のユフィやる
西田敏行の年表とは、日本史に燦然と輝く西田敏行の業績である。
1180 西田敏行、父と共に源頼朝の挙兵に加わり、山木館を襲撃
1561 西田敏行、武田信玄に啄木鳥戦法を献策するも謙信に見抜かれ討ち死に
1600 西田敏行、真田昌幸に進軍を阻まれ西田敏行の叱責を受ける
1605 西田敏行、西田敏行に将軍職を譲り、後に駿府城に移る
1614 西田敏行が西田敏行を「関ヶ原には遅すぎ、大坂には早すぎる!たわけうつけ間抜けーッ!」と怒鳴り付ける
1745 西田敏行、徳川家重に将軍職を譲り、江戸城西の丸に移る
1861 西田敏行、愛加那との間に西田敏行を授かる(ナレーション:西田敏行)
1867 西田敏行、西田敏行に命じられて江戸薩摩藩邸を本拠として江戸市内を混乱させ、薩摩藩邸焼討事件を起こさせる(ナレーション:西田敏行)
1868 薩摩藩の西田敏行らと長州藩の西田敏行らが協力して幕府を倒す(ナレーション:西田敏行)
1877 西南の役で、長州閥西田敏行総指揮の官軍に西田敏行軍は鎮圧され、城山で自刃(ナレーション:西田敏行)
1904 西田敏行、日銀副総裁として日露戦争の戦費を調達する
1904 西田敏行、京都市長に就任し、父である西田敏行のことを、部下に語りだす
PRESIDENT Onlineの記事を拝読いたしました。https://president.jp/articles/-/50651
自衛隊には「国を守る」という崇高な大義があるだけに、「みんな頑張っているのに、これを乗り越えられない自分はダメなんじゃないか」と思い悩んでしまう真面目な人間が必ずいる。でもそれは違う。組織がその人に合わなかっただけなのだ 。
私は決して真面目な人間ではありませんが、このパラグラフに救われた気がします。退校して20年経過してなお負い目を感じ続ける人生に、すこし光が差したように感じました。ありがとうございました。
どうやら明日の27日から長篠合戦と小牧・長久手合戦の屏風が展示される様子でしたわ。
インターネットで簡単に事前確認できる情報からは分かりませんでした。
作業中のシャッターの隙間から少しだけ長篠合戦の屏風が見えましたわ
およよ・・・
代わりにデジタルで拡大して屏風絵をみれるタッチパネルを触ってきました。
兜を脱いだ姿はみんな髪型が同じですわ。
あそこに大砲を据えられたら大変なのでは?
そうでなくても木曽川の対岸に大砲を設置されると滅多撃ちですわね。
模型にあった城内の馬場で飼われている馬は二カ所あわせて17頭でした。
180度ターンの説明を読んで、どんでん返しの語原に気づきましたわ。
という気になったけれど、検索したら忍者屋敷か歌舞伎が語源みたいですわね。
道を挟んで向かいには同じチケットで入館できる「からくり展示館」が
ありました。
木の歯車やクジラの髭で複雑な動きをするからくり人形に驚きです。
自分で操り人形を操作してみれる展示があり、からくりサーカスを
ふと思い出しましたわ。
ちょっとざわざわしてるCCC(カルチュア・コンビニエンス・クラブ)の個人情報の件。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/yamamotoichiro/20151119-00051607/
自分が担当してる客先にTポイントの加盟店がいくつかあって、加盟検討してるところもあるんだけど、さてどうなんるんだろう。
どちらもいわゆる大企業で、普段依頼をうけて仕事している限りではかなり厳格なラインで個人情報保護法を運用してる感じがある。
つかやまもといちろう情報を見る限りだと、組む相手としてはアウトになる可能性のが高い。
客先や上司の決定権を持つおっさんどもは、ちょっと前までツタヤ図書館も代官山TSiteもいいじゃんいいじゃんとバカが無防備万歳でほめそやしてたんだけど
さすがに、小牧の住民投票あたりで潮目が変わった感じあるんだよなー
まだ週刊朝日読めてないんだけど、おっさんメディアの週刊誌にネガ記事出るとなると更にそっち方面になりそうだけど。
Tポイント加盟検討中だったクライアントは、ツタヤ信頼性に欠けるし俺らの顧客情報を出すのが惜しいから、と、かなり長い間検討中が続いてたっけな。
色々と多すぎるんですが、分かる範囲で。
尚、ソースは全て市のホームページから。(市HP及び市議会記録)
例えば http://www.city.komaki.aichi.jp/shogaigakushu/library/010859.html
あとは http://komaki.gijiroku.com/voices/g08v_search.asp
http://www.asahi.com/articles/ASH9Z3D16H9ZOBJB006.html
まず、現在の小牧図書館が老朽化と手狭になっている問題は事実です。
そういうこともあり新図書館建設自体は早急に行なわなければならない事項ではあります。
しかし東西に長い市の形状と後述する交通アクセスの不便さ(+駐車場の少なさ)もあり
小牧中心部から離れた人たちなどは周辺自治体の図書館を利用している場合も多かった印象です。
ツタヤ図書館計画が出てきた当初は武雄市の問題もそこまで明るみに出ていなかったこともあり、
「図書館が立派になってちょっとおしゃれになるならそれもアリじゃない」程度の感想でした。
しかし、ここ数ヶ月で武雄市の問題がメディアで取り上げられるようになると「こりゃまずいな」と思うようになりました。
初期のころから反対運動を行ない住民投票までこぎ着けた方たちには感謝しています。
小牧駅前再開発の問題はもう何十年も定まらず、何とかしたい市の思惑は分からなくも無いです。
名鉄小牧線は元々本数が少なく地下鉄接続計画も進まず、接続後も名駅や栄などの繁華街に直通で行けるわけでもなく
もたもたしているうちにピーチライナーも廃線となり何とか持ちこたえていた駅前周辺が一気に寂れていきました。
鉄道を利用するにも西側は岩倉(名鉄犬山線)、東側は春日井や高蔵寺(JR中央線)の方が便利なので流れるのが実情です。
もっとも東名名神中央道が接続する自動車交通の要衝でありほとんどの住民は自動車を利用しますし
逆に自動車で移動するとなると古い区画が多く残り、狭い道も多い小牧市中心部は近づきにくいので不便な場所です。
そういった現実もあり、「駅前の賑わい創出」はツタヤ図書館ができた程度では難しいだろうなぁと言うのが実感です。
過去にも市役所の新庁舎を建てるとかいろいろ計画は上がりましたがいずれも頓挫。
近くの第三セクター商業施設「ラピオ」もテナントを揃えるのに苦労しているのが実情です。
車で移動する住民としては近づきにくく駐車場も有料でテナントも微妙なラピオよりは
駐車場も無料で広くテナントも魅力的な周辺の大型商業施設に行くのは当然です。
持て余した土地を何とか活用したい小牧市の長年の思いもあるでしょうし
前述の老朽化・蔵書の限界の問題は待ってはくれず、新図書館建設それ自体は賛成です。
一言坂の戦いは、忠勝が殿を務めて、相手は引いて、
んな逸話ねーよ!
むしろ武田軍が少し武士の情けをかけて見逃してくれた。忠勝はあとで感謝を伝えてる。
忠勝が評価されるとすれば
そういう辛い局面で見せ続けた健気な忠誠心だ。
小牧長久手でも同じようなシチュエーションで秀吉が哀れんで寡兵の忠勝を討ち取らせなかった
みたいな逸話ならある。(もちろん与太話くさい)
西の立花宗茂を気に入って褒め上げてたのも超忠義者の息子だったからだ。
忠勝が名乗っただけで敵が引いた~みたいな与太話はどっかにはあったが
一言坂じゃないのは間違い無い。
一体誰にそんなデタラメ話吹き込まれたんだ?
幸村の知名度は個人的武勇に拠るものじゃないと思うけど…。
だから忠勝のもそうじゃん。
それを指摘されたら「逸話が乏しくても知名度があればいいんだ!」っていうから
「知名度なら幸村の方があるじゃん」って言ってんの。
これぐらいの話の流れは理解しろよ。
「俺はこっちの武将のほうが忠勝より知名度が高いと思うぜ」という反論は、
むしろ大歓迎なので、ぜひ挙げていただければ。
いや、無数に居すぎて…
何言ってんだおめえ?
http://anond.hatelabo.jp/20090804113828
??? 要するに、無料区間から高速に入って、有料区間を通って、無料区間で出る場合のことですか?
環状(というか、迂回路が考えられるパターン)になってる部分のどちらか一つのルートだけが無料にならないようにすればいいんでは?と思います。例として、中国道(中国吹田以西)と東名の豊橋以東を無料、中間の中国吹田〜吹田 JCT〜[名神]〜名古屋(小牧 JCT だっけ?)〜[東名]〜豊橋を有料とするケースを考えます。この場合、草津 JCT〜[名神]〜[東名]〜豊田 JCT の間で、1. [新名神]〜四日市 JCT〜[東名神]〜名古屋 IC〜豊田 JCT、2. [新名神]〜四日市 JCT〜[伊勢湾岸]〜豊田 JCT、 の 2 つの迂回路が考えられます。この場合、1., 2. の両区間も有料のままにすればいいのかなと。
あなたは知ってるか、今からおよそ三百年前、江戸城の中で名古屋弁がはやっていた事実を!
あなたは聞いているか、アメリカ航空宇宙局NASAが、UFOとの極秘通信暗号に名古屋弁を使っていることを!
あなたは気づいているか、はなやかな芸能界の中に、じわり、じわり、と名古屋出身者が増えつつあることを!
もしも、東京が直下型大地震で壊滅したとしたら、そう!日本の中枢は名古屋に移り、瑞穂(みずほ)グラウンドが国立競技場に、小牧が国際空港に、そして!名古屋市役所が国会議事堂になるのだ!
ですね、分かります。