はてなキーワード: 保安庁とは
民船も海軍も保安庁も皆してこの流れやりたがるけど、結局お前ら自分たちで整備一切出来ない無能になってんじゃねーか。
漁船のオッチャンが自分でエンジン弄くり倒して直してる横で、大型船の奴らは機械がちょっといつもと違う挙動したら全部メーカー任せで自分たちは取説に書かれているレベルの復旧チャートさえ調べねえ。
掃除もロクにしねえから修理ドッグに来るときは何から何まで錆びてる。
マジで何も出来ねえし何もやらねえし、やる時間がないからで勉強もしねえ。
GPSの設定変更ボタンとかも自分で弄ったことねえから、ちょっと間違って設定変えただけで会社に電話してるし、取説なんてどうせ使わないからで陸上においてきたとか抜かしおるよ。
マジでもうしょうもねーよ。
こんなんもう船乗りじゃない。
ブリッジクルーでさえ「いや、俺は自分の領分しか分からんすね。つーか最新機器新しすぎて何も分からないんで、自分の領分さえマニュアル通りの操作までしか知らんっす」とかいいおる。
笑っちまわないか?
ウーバーイーツの兄ちゃんがタイヤパンクするたびに自転車屋行って「何度見てもやり方がよくわからないんで、自分では治せそうもないっすわ」と言ってたらどう思う?
「お前、本当にプロなのかよ」って思うだろ?
今、船に乗ってる連中はどれもそうなってる。
ベテランは最新の技術についていけないから「分からない。造船所に聞きます」が口癖で、若造はそもそも船の仕組みを直に見て学ぶ機会を機械に奪われているから「何も分からない。どこに聞けばいいのかを先輩に聞きます」になってる。
マジで終わったよ。
今一番船に詳しいのは自分でレジャーボート運転してるボンボンかも知れない。
アイツらは頭もいいし自分でチャント勉強しないとボッタクられるって感覚があるから、信用できる業者から技術学ぼうとしてる。
デカイ船乗ってる乗員は「どうせボラれても会社の金やん?」って顔して立ち会いサボって休み取ってるし、当直日でも横目でチラチラ見ながらスマホゲームやってるよ。
漁船のおっちゃんはエンジン叩いて直せるけど叩いて直す以外の直し方した時に弄り壊す率が高すぎてヤバイから。
マジで終わった。
目先の省人ハイテク化ばかりに意識が行って、それを操る人間をどうやって揃えるかってことを誰も考えずに来たここ20年ぐらいのツケがいよいよ爆発したね。
昔はいたよ。
経験、やる気、柔軟性といったものを全て合わせいて、アナログとデジタルの隙間を個人技で埋める本当の乗組員達が。
今はもういないよ。
だってさ、機関員が「デジタル化しすぎてもう分からないんですよね~~~。緊急時にどの弁を開けるかぐらいは私が個人で覚えてますけど、ぶっちゃけ数値もデジタルで監視してるわけで、メーターの記録メモとかもあとからちゃちゃっとログデータコピってますわ」みたいにほざくんだよ?
こんな連中がいじってるエンジンとかいつ大爆発してもおかしくないよ。
雑な人件費削減の繰り返しによって、マジで終わった業界になってる。
比較優位経済かなんかで国内外の輸出入がいよいよ加速して船舶の需要がどうたらとか言ってもさ、結局上はあくまで金稼ぎの手段の一つとしか見てないし、自分がFIRE出来れば終わりでいいと思ってるから直近10年の利益以外は興味なしだろ?
>ウクライナ保安庁(SBU)がロシア兵と妻の非情な会話を傍受し、公式サイトとユーチューブで公表した。
>サイトには「ロシアの侵略者の妻は、ウクライナ女性をレイプするように夫に呼びかけた」というタイトルで、「衝撃的な傍受内容は侵略者だけでなく、その親族の道徳観を反映している」と記している。アップされたロシア語の会話には、英語の字幕がついている。
>妻が「ウクライナの女をレイプしなさい。でも、私には何も言わないで。分かった?」と言うと、夫であるロシア兵は「分かった。レイプする。でも、きみには何も言わないってことだね?」と笑いながら確認し、妻は「そう。私は何も知らないってこと」と笑う。最後に妻が「レイプを許すから、コンドームはしてね」と>話し、夫が「OK」と言い、会話は終わる。
>英紙エクスプレスなど複数の欧米メディアは「ウクライナの人権オンブズマンによると、ロシア軍がキーウ(キエフ)近郊の町ブチャで、14歳の少女ら25人の女性を繰り返しレイプし、9人が妊娠してしまった」と報じた。
https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/172617
女の本質がこれ。戦争の利益が得られるなら敵国の女性などどうでもいいと思っている。
https://anond.hatelabo.jp/20240302234229
冷戦を終結させ核戦争の恐怖から逃れた人類が祝砲とともに迎えた21世紀が、よもや侵略戦争とそれに伴う核戦争の懸念に飲み込まれるとは誰が予想したであろうか。ここに至る経緯は長く複雑であって一冊の書物にさえ収まりきらないものではあるが、それが世に出るころには世間の関心は賞味期限切れを起こしていると思われるので、ここにその一部を記そうと思う。
そもそも、ウラジーミル・プーチンがウクライナの併合をもくろむようになったのはいつのことだろうか。すなわち、民族的ロシア人の保護というロシア社会における要求に甘んじず、かつてのロシア帝国的な全スラブ民族の庇護者というアイデンティティを確立し、ウクライナをロシアの範疇とするべく模索を始めたのはいつのことだろうか。これは遅くとも2019年にはその転換は生まれていると考えられる。冷戦の勝者であったはずのアメリカはトランプ政権の下で国際的な威信を低下させ、アラブの春以降に生まれた膨大な中東難民はヨーロッパ社会を疲弊させた。東に目を向ければ2008年の中露国境問題の解決をもって後顧の憂いを絶ち、和平条約こそ結べないもののクリミア危機をもってしてもなお対露宥和政策を維持する日本を見る限り不安要因とはなりえない状況であった。そして、ウクライナにおいてさえ、2019年の大統領選挙では対露強硬派のポロシェンコが敗退し、政治的には素人のコメディアン出身でウクライナ語さえ満足に話せないゼレンスキーが対露宥和政策を掲げて当選するに至ったのである。むしろこの時にこそ、プーチンがミンスク合意を超えたウクライナの併合という天啓を得たとしてもおかしくはない。彼の帝国に、およそ実現不可能な侵略戦争の妄執を諫める官衙が無かったことが、世界の悲劇であった。
ロシア軍の当初の作戦は様々な面で事前の調査検討が不十分なものであった。もとより実現可能性も実効性もない目標を大真面目に検討しろと言う方が無理であろう。とはいえ、杜撰な侵略作戦はいかにして作られたのだろうか。これにはおよそ二つの側面がある。一つは、計画立案の手間を惜しんで集団安全保障条約(CSTO)加盟国内で政変が起きた際の介入計画を下敷きにしている面。もう一つは、プーチン個人が気に入るであろう要素を加えることで、彼個人が満足するように作られている面である。このため、作戦計画はもとより無理のある要求に非現実的な企画で回答するという悪循環の産物と化しており、2022年2月の史上稀に見る大失敗に至るのは当然のことであった。
プーチンはこれまでに2回、親露派内閣の救援に失敗している。ブルドーザー革命で当時ユーゴスラヴィア大統領であったミロシェビッチを保護できず、またマイダン革命でもヤヌコヴィッチ内閣を支え切れなかった。これを踏まえ、CSTO加盟国内で政変が起きた際の対応計画は、かなり真面目に練られていた。そのうちの一つが開戦劈頭のアントノフ空港攻略作戦の原型になっている。原型となった計画では、クーデターなどによって親露派政府が打倒されそうになった場合、ロシア空挺軍部隊が首都近郊の空港を制圧して先行する特殊部隊とともに政府首脳部を保護し、これを空挺堡として首都や周辺の主要都市と軍事拠点を順次制圧していくという展開を想定している。
実際、ウクライナ侵攻の直前に起きたカザフスタン政変ではトカエフの要請を受けてロシア空挺軍によるアルマトイ国際空港を中心とした展開が行われており、一方の権力を奪われたナザルバエフは隣国キルギスに脱出し、カント空軍基地でプーチンが政権奪還を支援してくれるものと待ちわびていた。権力闘争の結果は周知のとおりだが、仮にトカエフがより反露的な人物であれば結果は違っていたかもしれない。
ウクライナ侵攻計画においても、親露派大統領に対するNATO とりわけアメリカ主導のクーデターが発生した際の対応計画を元に、少数の特殊部隊と大規模な空挺軍を利用したアントノフ空港の制圧とこれを拠点としたキエフ制圧計画が立案されていた。この作戦の致命的な欠陥として、クーデターであれば存在していたはずのウクライナ国内の親露派有力者、とりわけウクライナ軍部隊やウクライナ保安庁内の協力者からの援護が十分に期待できない点が挙げられる。計画上は確かに彼らが侵攻開始と同時に蜂起する想定になっていたのだが、ウクライナ国内の親露派の多くはロシア軍の本格侵攻を信じてはおらず、投下された膨大な準備資金は個人的な利益に帰してしまった。さらに、開戦直前に至るまでアメリカによる情報公開攻勢が行われたため、ウクライナ国内の親露派との連絡調整を職掌に収めていたロシアFSB第五局は情報漏洩を恐れて正確な開戦日時を伝達せず、結果的に2月24日は(開戦日は教えてもらえると思い込んでいた)親露派に対する奇襲となってしまった。この、事前連絡のない開戦とロシアによる一方的な協力への期待は、数字としては出ていないが、民族的ロシア人あるいは経済的恩恵といったものを背景とした親露派の翻意を大いに促し、以後のロシア軍を大いに苦しめることとなる。
また、本来であれば、制空権の確保と空挺堡の構築、地上部隊の侵攻は十分に連携の取れたものでなければならない。しかし、ロシア政府内では侵攻作戦がプーチンの「お戯れ」であるとみなされていたため、作戦計画の内プーチンが喜びそうな内容、具体的には前述のアントノフ空港への奇襲といった派手な作戦やウクライナ全土制圧後のロシアへの併合宣言といったハイライトのみが詳細に検討され、それ以外の点については何ら考えられてこなかった。例えば、アントノフ空港を制圧した空挺軍部隊と合流するためにベラルーシから地上侵攻を行う必要があるが、チェルノブイリ原発周辺の森林地帯を通過する際の計画は東部軍管区のある若手士官に図上演習の課題として丸投げされ、提出された素案を元に別の将校が大規模演習の名目で具体的な計画に起こしていたことがわかっている。想定された場所以外では戦闘や妨害が起こらず、また演習名目であったために部隊の移動は迅速に進むという前提で計画が確定してしまったことが、キエフの戦いにおいて裏目に出てしまった。同様にロシア海空軍も、地上軍との連携が乏しく長期の作戦計画が立案されていないなど、全面戦争を想定したものとは到底言いがたい状況であったのには、このような背景があったのだと見られている。
開戦前年にもロシア軍はクリミア半島などにおいて大規模な動員訓練を行っていたが、プーチンが本気であると知らない者には、これら人員物資の集積はあくまでウクライナおよびNATO に対する威嚇として理解されていた。事情を知る者は当初計画があまりに楽観的であることに懸念を示していたものの、FSB第5局の人員の多くは親露派ウクライナ人の協力が当然あるとして疑わなかったし、またある者はプーチンが本気でウクライナ侵攻を計画していると認識していなかった。何より、プーチン本人が自分に気に入られるべく作られた即興の作戦計画を「狙い通りに」気に入ってしまった。平たく言うと、ロシア軍としては侵攻計画の前提となる環境整備は対外諜報活動を所管するFSB が行うことが大前提であり、しかしFSBはその軍事侵攻に十全な準備をできていなかったのである。本来なされるべき長期的な見通しの欠如は、未だにロシア軍を苦しめている。
もう一方のウクライナ側の防衛計画についてはどのようなものだったろうか。戦前、ウクライナ政府および軍が想定していたロシア軍の侵攻計画は以下のようなものであった。まず、ドネツク・ルガンスク両人民共和国(D/LNR)との停戦ラインにおいて大規模な衝突を起こす。これを受けてロシア政府はウクライナ政府に即時の停戦と撤退を要求する。ウクライナ政府が拒否した場合「ウクライナ軍による民族浄化作戦からのロシア系住民の保護」を名目にロシア軍による大規模な空爆を行う。空爆によってウクライナ政府が降伏しない場合、地上軍による侵攻を行い、かつてノヴォロシアと呼ばれていた民族的ロシア人の多い地域を制圧する。これらの地域はD/LNR と同様にウクライナ国内の(EU やNATOへの加盟を拒否できる)自治州として温存し、長期的にはこれらを通じてウクライナを間接的に支配する。このプロットは明らかにコソボ紛争における欧米の介入の経過をなぞったものだが、ウクライナ軍はプーチンの個人的な欲求からNATOに対する当てつけとしてこのような展開を望むと考えていた。ロシアが率先してウクライナに侵攻するのではなくD/LNR が優位な戦況を作り支配地域を広げる体裁をとることが国際的な批判を回避する方策であるため、国際社会による仲裁を拒否し民族浄化を続けるウクライナへの懲罰的攻撃という方便を生み出すよう布石を打っていくのである。前提として、ウクライナ国内でクーデターのような政変が無く、ロシア側からエスカレートを仕掛ける場合を想定すると、このような順で進むと想定するのは合理的である。
問題はこれがどの程度のスピードで進むかであるが、ウクライナ軍の想定ではコソボ空爆と同様に開戦から地上侵攻まで最大3か月程度の時間的猶予があると考えていたようである。今を思えばのんびりした想定であるが、ロシア陸軍の各部隊は徴集兵を少なからず含んでおり、これらは法律上ウクライナへ派兵できないため、全面的な戦争を始めるには予備役の招集と訓練が必要であると見られていた。したがって部隊の充足率を高めるのに必要な時間がある程度は期待できたのである。このタイムラグの間は空爆とドネツク・ルガンスク両州が主な戦場となる。そこで、ウクライナ軍としては東部に陸軍の主力を集中させてD/LNRとの停戦ラインを堅持することで大きな損害を与え、ロシア軍本体が参戦するまでに東部戦線を安定化、あわよくば地上侵攻を思いとどまらせるという方針が定まっていた。また、この時、クリミア半島やベルゴロド州からロシア軍が侵攻してくることが考えられたが、ここは動員した予備役や領土防衛隊で国境線を維持することとされた。長期的な見通しはさておき、ウクライナ軍にとって主眼はあくまで東部戦線であり、停戦ラインから20km の範囲で多数の陣地構築を行っている。隣接するヘルソン、ザポリージャ、ハリコフの各州での陣地構築は開戦後住民の避難と並行して行う予定であったと考えられる。
もし、開戦に先立ちウクライナ軍が上述の想定の元東部戦線への戦力の集中を行っていた場合、図らずもがら空きのキエフへロシア空挺軍が殺到していたことになる。では、ウクライナ軍はどこで引き返したのか。最も有力な説は2月21日のロシアによるD/LNRの独立承認の直後であろうというものである。前述のような経過をたどるには、D/LNR がウクライナの一部という立場のままロシアがミンスク合意の履行を強制する状況になければならない。両地域の独立を承認してしまった場合、D/LNR や民族的ロシア人が優位な支配地域を中心とした間接的なウクライナ支配という筋書きと整合しなくなる。また、東部戦線におけるD/LNR の攻勢が想定よりもだいぶ弱く、ロシア軍が両地域へ展開している部隊数も想定をかなり下回っていることから、ウクライナ軍では当初想定とは異なる侵攻計画がある可能性を認めざるを得なくなった。この時、米国からの情報によればロシア軍の侵攻計画は長大な国境線での一斉攻撃であった。残念ながら、ロシア軍が主体的に全面侵攻を仕掛けるという情報をウクライナ軍は信じることができず、さりとて東部戦線へ部隊を急派する必要もない状況を踏まえ、ウクライナ軍は部隊移動を取りやめ、部隊位置を秘匿したうえで数日待機、すなわち様子見することとした模様である。結果的に、キエフ周辺には開戦直後のホストメリ空港を一時的にせよ防衛するのに十分な戦力が残っており、第一機甲旅団はチェルニゴフ州でドニエプル川左岸を防衛することができた。一方で、南部においては部隊移動が混乱をきたしてしまい、クリミア半島との境界に当たるペレコープ地峡からメリトポリ付近に至る広い範囲で守備部隊のいない状況となってしまった。もしこの地域を担任する部隊が移動前であったならば、事前準備の不徹底なロシア軍の南部からの攻勢すら頓挫していた可能性がある。
ロシア側が制圧した州内のメリトポリで、ロシア支持を表明する集会が開かれるとの情報をつかんだと発表した。ウクライナ保安庁がロシア側関係者の通話を傍受し、情報を得たとしている。集会参加者にはロシア側から日当1200ルーブル(約1400円)が支払われる予定だという。
ロシア支持表明する日当つき集会を計画か ウクライナ側が情報を傍受(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/9062fc98c50a3decea367a5a00a82e8b3180eb9d
カーキ色のTシャツ姿、無精ひげ。とつとつと発する低い声――。ウクライナのゼレンスキー大統領が連日、SNSで自国の窮状を訴えています。欧米などの議会に対し、オンライン形式で語りかける演説にも積極的です。
ゼレンスキー氏、なぜTシャツ姿? 保安庁幹部が語った情報戦の教訓 [ウクライナ情勢]:朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/ASQ3L4WQPQ3JUHBI05L.html
一国の大統領が無精ひげとTシャツで演説する時代に、「新入社員は家でもスーツを着てオンライン研修を受けること」なんてねぇ。思考停止した人事と研修会社のせいで、講師のこっちも2年ぶりくらいにスーツを着なきゃいけないし。
1950-06-25 朝鮮戦争
1951-09-08 日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)並びに日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約
(日米安保条約)調印
1952-04-28 日本国との平和条約並びに日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約発効
1952-10-15 警察予備隊が保安隊に改組される。浜松に航空学校が設置される(後の航空自衛隊に繋がる)
1953-03-05 スターリン死去
1954-02-01 保安庁に航空準備室が設置される(後の航空自衛隊に繋がる)
1954-05-29 ビルダーバーグ会議初開催
(於オランダ、ヘルダーラント州レンクム、オーステルベーク(Oosterbeek)、ビルダーバーグホテル)
陸上自衛隊(保安隊から改組)、海上自衛隊(海上警備隊から改組)、航空自衛隊(新設)設置
1956-07 昭和31年度年次経済報告(経済白書)発表(「もはや戦後ではない」)
1958-08 大躍進政策
1960-12-27 池田勇人内閣、「国民所得倍増計画」を閣議決定する。
1964-08-02 トンキン湾事件(8月2日及び4日。アメリカによるベトナム戦争への本格的な介入が始まる)
1964-10-10 1964年東京オリンピック(同年10月24日まで)
1966-05-16 無産階級文化大革命(文化大革命)(1976年10月6日まで)
1971-06-17 琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定(沖縄返還協定)締結
1971-08-15 ドル・ショック
1972-05-15 琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定(沖縄返還協定)発効(沖縄復帰)
1972-09-29 日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明
勃発後に産油国による原油公示価格値上げや産油制限が発表され、オイルショックとなる。
1975-11-15 G7サミット初開催(於フランス・ランブイエ)
1978-08-12 日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約調印
1978-10-23 日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約発効
1978-12-22 改革開放(中国共産党第十一期中央委員会第三回全体会議にて提唱)
1985-09-22 プラザ合意
1987-12-08 中距離核戦力全廃条約(INF条約)発効(2019年8月2日失効)
1989-01-07 昭和天皇崩御。元号が昭和から平成に改められる。
1989-04-01 消費税導入(当初は3%)
1989-06-04 六四天安門事件
1989-12-29 日経平均株価、取引時間中に38,957円44銭の最高値を付ける(史上最高値)。終値は38,915円87銭。
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1993-07 衆院選で自民党が敗北し、非自民連立政権が誕生する(55年体制の終焉)
1993-11-11 欧州連合条約(マーストリヒト条約)発効(調印は1992年2月7日)
1995-11-23 Windows95が日本国内で発売される。
1997-07 アジア通貨危機
1997-11-03 三洋証券、経営破綻(会社更生法の適用を申請する)
2003-03-20 イラク戦争(2011年12月15日まで)
2006-12-30 サッダーム・フセイン死刑執行
2009-09-16 鳩山由紀夫が内閣総理大臣に指名される(政権交代)
2011-01-20 中国国家統計局、中国の2010年度国内総生産(GDP)を発表。
2011-03-11 東日本大震災。福島第一原子力発電所事故
2012-12-26 安倍晋三が内閣総理大臣に指名される(第2次安倍政権成立)
2013 世界で、スマートフォンがフィーチャーフォンの普及率を上回る。
2019-05-01 天皇譲位。皇太子徳仁親王が践祚。元号が平成から令和に改められる。
2020-01-16 新型コロナウイルスの日本国内における流行開始(日本国内での感染者を確認)
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wikipedia「ABCD包囲網」「ハル・ノート」「太平洋戦争の年表」「日本史の出来事一覧」「沖縄県の歴史」「廃藩置県」(順不同) その他各種記事を参考にした。また、航空自衛隊の歴史(航空自衛隊)を参考にした。
https://www.mod.go.jp/asdf/about/history/
1615-05-07 大阪城が落城し、大坂夏の陣終わる。豊臣氏滅亡
1853-05-23 アメリカ艦隊、浦賀沖に来航(黒船来航)
1861-04-12 アメリカ南北戦争(1865年5月9日まで)
1868-01-03 王政復古
1868-07-17 東京奠都(「江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書」煥発)
1871-08-29 廃藩置県
1875-06-28 讒謗律(太政官布告)及び新聞紙条例(太政官布告)公布
1877-05-26 木戸孝允死去
1888-03-09 ヴィルヘルム1世・プロイセン王兼ドイツ皇帝崩御
フリードリヒ皇太子(フリードリヒ3世)がプロイセン王兼ドイツ皇帝に即位。
1888-06-15 フリードリヒ3世崩御。ヴィルヘルム皇太子(ヴィルヘルム2世)がプロイセン王兼ドイツ皇帝に即位。
1894-07-25 日清戦争(1895年4月17日まで。宣戦布告は1894年8月1日。台湾平定終了は1895年11月30日)
1898-07-30 ビスマルク死去
1902-01-30 日英同盟成立(1923年8月17日失効)
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1905-09-05 日露両国講和条約(ポーツマス条約)締結(日露戦争終了、条約発効は同年11月25日)
1912-07-30 明治天皇崩御。皇太子嘉仁親王が践祚。元号が明治から大正に改められる。
1914-07-28 第一次世界大戦(1918年11月11日まで)
1922-02-01 山縣有朋死去
1922-02-06 ワシントン海軍軍縮条約調印
1923-08-17 ワシントン海軍軍縮条約発効
1926-12-25 大正天皇崩御。皇太子裕仁親王(摂政)が践祚。元号が大正から昭和に改められる。
1927-03 昭和金融恐慌
1930 昭和恐慌
1930-10-02 日本、ロンドン海軍軍縮条約を批准
1932-05-15 五・一五事件
1936-01-15 日本、ロンドン海軍軍縮条約を脱退
1936-02-26 二・二六事件
1936-12-31 ワシントン海軍軍縮条約失効
1937-07-07 日中戦争(1945年9月9日まで。盧溝橋事件に始まる。当初は宣戦布告をせず、「支那事変」と呼称)
1939-07-26 アメリカ政府が日米通商航海条約の廃棄を通告
1939-09-01 第二次世界大戦(ドイツがポーランドに侵攻して始まる。1945年9月2日まで)
1940-09 アメリカ、対日屑鉄全面禁輸
1940-09-27 日独伊三国同盟調印
1940-11 日本とアメリカの各種交渉(1941年12月まで)
1940-11-30 日本国中華民国間基本関係ニ関スル条約(日華基本条約)調印
1941-01-08 戦陣訓(陸訓一号)示達
1941-04-13 日ソ中立条約調印
1941-06-22 独ソ戦(ドイツがバルバロッサ作戦を発動したことにより始まる。1945年5月8日まで)
1941-08-28 近衛首相、ルーズベルト・アメリカ大統領に首脳会談を提案(結局、沙汰止みとなる)
1941-12-08 太平洋戦争(日本の英米に対する宣戦布告及び真珠湾攻撃に始まる。1945年9月2日まで)
1941年12月(開戦)~1942年7月頃(フィリピン全土占領)まで日本軍の占領区域は拡大を続ける。
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1942-04-18 米空母から発進したB-25爆撃機によるドーリットル空襲(東京初空襲)
1942-06-05 ミッドウェー海戦
1942-08-07 米軍、ソロモン諸島のガダルカナル島、ツラギ島、ガブツ島、タナンボゴ島に上陸
1943-04-18 山本五十六連合艦隊司令長官、ブーゲンビル島上空で戦死(海軍甲事件)。
1943-05-12 米軍、アッツ島上陸(5月29日まで。日本軍は全滅し、「玉砕」の語の使用始まる)。
1943-11-05 東京で大東亜会議を開催(6日まで)、大東亜共同宣言を発表。
1943-11-22 エジプト・カイロで英米中首脳会談(カイロ会談。26日まで)
1943-11-28 イラン・テヘランで英米ソ首脳会談(テヘラン会談。同年12月1日まで)
1944-06-19 マリアナ沖海戦。日本軍は旗艦大鳳以下空母3隻と搭載機400機を失い、西太平洋の制海権と制空権を喪失。
1944-07 ブレトン・ウッズ協定
1944-07-04 本軍、インパール作戦を中止。
1944-08-02 テニアン島の日本軍玉砕(テニアンの戦い)
1944-09-11 米軍、ペリリュー島上陸(ペリリューの戦い)
1944-10-20 米軍、フィリピン・レイテ島に上陸(レイテ島の戦い)
1944-11-24 米軍の新型爆撃機B-29、マリアナ諸島より東京を初空襲。
1945-02-04 クリミア半島ヤルタで英米ソ首脳会談(ヤルタ会談。11日まで)
1945-04-12 ルーズベルト・アメリカ大統領死去。トルーマン副大統領がアメリカ大統領に就任
1945-05-02 ベルリン陥落
1945-08-06 アメリカ、広島県広島市に原子爆弾を投下
1945-08-09 アメリカ、長崎県長崎市に原子爆弾を投下
1945-08-15 玉音放送
1945-09-02 日本政府、ミズーリ号にて降伏文書調印(太平洋戦争(大東亜戦争)終結)
1945-09-09 日本政府、中華民国南京にて降伏文書調印(日中戦争終結)
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1950-06-25 朝鮮戦争
1951-09-08 日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)並びに日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約
(日米安保条約)調印
1952-04-28 日本国との平和条約並びに日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約発効
1952-10-15 警察予備隊が保安隊に改組される。浜松に航空学校が設置される(後の航空自衛隊に繋がる)
1953-03-05 スターリン死去
1954-02-01 保安庁に航空準備室が設置される(後の航空自衛隊に繋がる)
1954-05-29 ビルダーバーグ会議初開催
(於オランダ、ヘルダーラント州レンクム、オーステルベーク(Oosterbeek)、ビルダーバーグホテル)
陸上自衛隊(保安隊から改組)、海上自衛隊(海上警備隊から改組)、航空自衛隊(新設)設置
1956-07 昭和31年度年次経済報告(経済白書)発表(「もはや戦後ではない」)
1958-08 大躍進政策
1960-12-27 池田勇人内閣、「国民所得倍増計画」を閣議決定する。
1964-08-02 トンキン湾事件(8月2日及び4日。アメリカによるベトナム戦争への本格的な介入が始まる)
1964-10-10 1964年東京オリンピック(同年10月24日まで)
1966-05-16 無産階級文化大革命(文化大革命)(1976年10月6日まで)
1971-06-17 琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定(沖縄返還協定)締結
1971-08-15 ドル・ショック
1972-05-15 琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定(沖縄返還協定)発効(沖縄復帰)
1972-09-29 日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明
勃発後に産油国による原油公示価格値上げや産油制限が発表され、オイルショックとなる。
1975-11-15 G7サミット初開催(於フランス・ランブイエ)
1978-01-07 イラン革命(1979年2月11日まで)
1978-08-12 日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約調印
1978-10-23 日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約発効
1978-12-22 改革開放(中国共産党第十一期中央委員会第三回全体会議にて提唱)
1985-09-22 プラザ合意
1987-12-08 中距離核戦力全廃条約(INF条約)発効(2019年8月2日失効)
1989-01-07 昭和天皇崩御。元号が昭和から平成に改められる。
1989-04-01 消費税導入(当初は3%)
1989-06-04 六四天安門事件
1989-12-29 日経平均株価、取引時間中に38,957円44銭の最高値を付ける(史上最高値)。終値は38,915円87銭。
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1993-07 衆院選で自民党が敗北し、非自民連立政権が誕生する(55年体制の終焉)
1993-11-11 欧州連合条約(マーストリヒト条約)発効(調印は1992年2月7日)
1995-11-23 Windows95が日本国内で発売される。
1997-07 アジア通貨危機
1997-11-03 三洋証券、経営破綻(会社更生法の適用を申請する)
2003-03-20 イラク戦争(2011年12月15日まで)
2006-12-30 サッダーム・フセイン死刑執行
海上保安庁や麻薬取締部のようにサイバー犯罪の専門捜査機関ができたらどんな名前がいいと思う?さあみんなでかんがえよう
個人的には「サイバーなんとか」は愛称程度で正式名称は漢字がいいな
電脳保安庁:語呂はいいけど単に電脳だとネットワーク感が薄いか…?
高度技術犯罪捜査局:high-tech crimeを直訳しただけだが安易な「サイバー」多用より良くない?連邦捜査局っぽいし
攻殻機動隊:これだ これでいいでしょもう 公安じゃないけどいいよこれで
でもって、情報セキュリティの専門家だけでは捜査能力が不足してるっつって某県警サイバー犯罪対策課でくすぶってた有能人材が引き抜かれてきたらアツい…
マルシンのマテバ持ってるよ かっこいいよね
あ、
つい童心に帰ってしまったが、此度の件について尽力してくださっている皆様には本当に感謝しています。陰ながら応援しております。
自衛隊の全身である保安隊の根拠法である保安庁法(昭和27年法律第265号)においては,一定の官職については幹部保安官又は幹部警備官の経歴を有しないことが要求されていた。なお,同法の政府原案では,これらに加えて旧正規陸海軍将校の経歴も欠格事由とされていたが,議論の結果,削除された。
保安庁法(ほあんちょうほう)
(長官官房及び各局の職員)
第十六條⑥ 長官、次長、官房長、局長及び課長は、三等保安士以上の保安官(以下「幹部保安官」という。)又は三等警備士以上の警備官(以下「幹部警備官」という。)の経歴のない者のうちから任用するものとする。
この欠格事由が設けられた趣旨については,第13回国会参議院本会議(昭和二十七年七月二十五日(金曜日))において,内閣委員長河井彌八が次のように説明している。
内閣委員会におきましては、両法案につきまして、六月二日以降地方行政委員会との連合委員会を二回、人事委員会との連合委員会を一回、及び前後十回の内閣委員会を開き、その間に参考人の証言を求め、本法案の審査に万全を期したのであります。その審議の過程において問題となりました主なる点を申上げますれば、…第三に、保安庁の長官、次長、官房長、局長及び課長等、幹部職員には旧正規陸軍海軍将校を任用しないという政府の原案は、衆議院の修正において削除されているのでありますが、この点について政府の考え方を質しましたのに対し、政府は、何分にも軍隊に類似をいたしている実力部隊であるから、政治政策を支配するというような弊害に陷りやすい。これを民主主義を守るために予防しようという趣旨の規定であつたが、旧時代の一つの経歴というものを理由として、殊更に差別待遇をなすがごとき感を與えることは、今日の政治段階から見て適切でない。実行によつて効果を挙げれば、必ずしも法的に制限する必要はなかろう。こういう趣旨を以て削除したものである。こういう御説明でありました。これを削除したことによつて公然と旧正規陸海軍将校を保安庁の幹部として任用することはしないということを明らかにいたしております。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/013/0512/01307250512069a.html]
即ち,保安庁内部部局の局長,課長が文官でなければならないことを定めた保安庁法第16条6項は,(※引用者注:保安庁は)何分にも軍隊に類似をいたしている実力部隊であるから、政治政策を支配するというような弊害に陷りやすい。これを民主主義を守るために予防しようという趣旨
で設けられたものである。
もっとも,この欠格事由に関する定めは,保安隊を自衛隊に改組した際に制定された防衛庁設置法(昭和二十九年六月九日法律第百六十四号)においては削除されている。
削除の理由については,防衛庁設置法案の審議に際して,第19回国会衆議院本会議(昭和二十九年三月十三日(土曜日))において,緒方竹虎大臣が次のように答弁している。
保安庁法による内局の任用次格制限を全部撤廃したのはどういうわけか。政府といたしましては、政治の軍事に優位するこの原則は絶対にかえぬつもりであります。ただいまも御指摘がありましたように、旧憲法のもとにおきまして、統帥権が独立をいたして、政治が必ずしも軍事の上に優位していなかつたために、太平洋戦争のような悲惨事を現出するに至つたのであります。従いまして、政府といたしましては、新憲法のもとに政治が軍事に優位するということは、これはどこまでもこの方針を堅持して、かえぬつもりであります。しかしながら、それと文民の優位ということは、おのずから異なるのでありまして、この旧軍人というものを今回の保安隊に用いなければ別でありますが、用いまする以上、その間に差別を設けずに、おのおの十分にその能力を発揮せしむることが、保安隊あるいは自衛隊を今後発展せしめる上にも最も重要なことであると考えまして、この間の差別は撤廃をいたしたい、そういう考えをとるに至つた次第であります。それだけに、今後この保安大学その他の教育は特に重要性を持つて参るのでありまして、過去における軍人の教育が一種のかたわの教育であつた、そのために大戦前の事態を引起したところに大きな考うべきものがありますので、特に今後の保安大学その他の専門教育について注意を払わなければならぬと覚悟いたしております。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/019/0512/01903130512020a.html]
また,第19回国会衆議院内閣委員会(昭和二十九年四月六日(火曜日))においては,木村篤太郎大臣が次のように述べている。
○木村国務大臣 昨日も御質問の際に申し上げたのでありますが、建前といたしまして政治が軍事に優先する。御承知の通り旧軍人はなやかなりしときにおいては、この建前がくずされておつたのであります。これがわれわれの国を破綻に導いた一つの大きな原因ではなかろうかと考えております。そこで新憲法下におきましてはどこまでも政治が軍事に優先する、この建前をとつて行く、これが大きな一つの原則であります。
それでシヴイリアン・コントロール、わが国内ではこれを文民優先といつておりますので、建前といたして、今後創設されます自衛隊については、制服の者も平服の者も互いに手を取り合つて行かなければならぬ、ここで対立関係があつては将来に禍根を残すのだ、いたずらに対立相剋をしたなれば、また旧軍閥の復興のような不幸な目にあうのではないか、このときこの際、ほんとうに制服と平服とが互いに手を握り合つて日本の国防の第一線の任務について、国民の信頼を得なければならぬ、こう私は考えておるのであります。そこで御審議願つております防衛庁設置法案におきまして、現在の保安庁法におきましての次官、局長、官房長、課長の任につく者は三等保安正、三等警備正以上の者はなれないことになつておる。ひとたびそういう服を着た者は服を脱いでもなれないということになつておる。これではいかね。たとい一たび制服を着た者であつても、りつぱな人であつてその任にたえる者はならさせてもいいのではないか。この建前を私はとりたい、こう考えておるのであります。一たび制服を着た者がさようなポストにつくことができぬということになりますと、そこに恐るべき対立関係が出て来ることになるわけです。お互いにいわゆる人事の交流はあつてしかるべきだ、私はこう考えております。シヴリアン・コントロールのことを盛んに申されるのでありますが、えてしてさようなことで文民優先ということになりますと、上の方の者はわかつております。間違いありません。しかしややともすると下部において平服が制服よりも優等な地位についているのだ、お前たちはおれたちより下の者だ、こういうことを頭から考えて行かれると、今の相剋摩擦が非常に災いをなして来るのではないか、これではいかぬ、かるがゆえに一たび制服を着た者であつても、適材であれば内局において勤めることができるのだ、現在の保安庁法によるいわゆる禁札を取下げる方がよろしい、こういう考えから御審議願つておりまする防衛庁設置法案においてはさような制限を撤廃した次第であります。今後私はどこまでも第一の原則として政治は軍事に優先し、しこうして第二段においては制服を着ている者も平服に至る者も互いに手を握り合つて融合和合をして行こう、こういう建前をとつておるのであります。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/019/0388/01904060388020a.html]
このように,防衛庁設置法の設置にあたっては,むしろ内部部局に武官(制服組)を取り込むことによって背広組と制服組の対立を緩和することが企図された。この場合にも,最高司令官である内閣総理大臣が文民である以上,文民統制の原則は害されていないという前提に立っている。
なお,第19回国会参議院本会議(昭和二十九年三月十八日(木曜日))において木村篤太大臣により,内部部局への入局時に制服組出身者は制服を脱ぐのだから文官優位の建前は堅持されるとの説明も為された。
…そこでその内局の問題でございまするが、内局も決して、制服を着たまま自衛官が内局に入ることはできないのであります。(「その問題じやない、頭の問題だ」と呼ぶ者あり)入ろうと思えば制服を脱いで、そうして職員として内局に入つて来るのであります。これにおいて私は、いわゆる文官優位の建前は十分堅持できるものと、こう考えております。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/019/0512/01903180512020a.html]
この改正については野党から強い懸念が表明されているが,少くとも,条文上は武官(制服組)出身者が防衛庁の内部部局に入ることが可能であることが前提となっている。
なお,文民統制(憲法66条2項)と文官統制(文官優位)とは区別して論じられている。
むしろ(昭和27〜29年という時代のためか),ここでは退役軍人を念頭に置く議論と制服組の処遇に関する議論との混線が一部見られた。