REVIEWS : 002 海外インディ(2020年3月)──井草七海
毎回それぞれのジャンルに特化したライターがこの数ヶ月で「コレ」と思った9作品+αを紹介するコーナー。今回はTURNをはじめとしたさまざまなメディアでのディスク・レヴューや、ライナーノーツなどの執筆で各所で注目を集める気鋭の音楽ライター、井草七海が登場。シンガー・ソングライターを中心に、海外のインディ注目作をご紹介!
Rachael Dadd『FLUX』
コロナ・ショックの最中に貴重なライヴをここ日本で見せてくれた、レイチェル・ダッド。1年の半分は日本で過ごしているとはいえ、このタイミングで新譜を引っさげたライヴを敢行した心意気には頭が下がる。その新譜が、昨年11月にリリースされたこの『FLUX』。正直、昨年のベストに挙げられなかったのを後悔するほど、驚きの意欲作なのである。キャリア15年超のブリティッシュ・フォークの担い手である彼女だが、今作には地元・ブリストルを代表するポーティスヘッドのジム・バーも参加。複雑な、それでいて鮮やかなバンド・アンサンブルを実現させている。変拍子や曲中のテンポ・チェンジも取り入れたリズム・ワークや、テクニカルなギター・フレーズは圧巻のひと言。だが、穏やかな歌声やフリューゲルホルン、クラリネット、バンジョーなどのやわらかな音色に彩られ、不思議と息苦しさはない。もし、現代にリンダ・パーハクスが新譜を作ったらこんな風になるんじゃないだろうか、なんて思いも頭をよぎる。流麗かつ、心浮き立つ遊び心に満ち溢れた、ニュー・フォークの傑作。
Beck『Hyperspace』
聴くほどに「これはベックの本領発揮の1枚ではなかろうか」という想いを強くしている。スカスカとしたビートにチープなサウンドを重ねつつも、メロウに聴かせる今作。たしかに、ヴェイパーウェイヴやローファイ・ヒップホップのブームに乗っかった…… と言ってしまえばそうなのだが、そこはやはりベック。よく聴いてみれば、今作にはもっと広範な”過去”にオマージュが捧げられているのがわかるだろう。“Chemical”や“See Through”の1990年代R&B風の切な懐かしいメロディ・メイク、そして『One Foot in the Grave』(1994年)を思わせるブルージーなスティール・ギターやアコースティック・ギター。それは、過去への風刺という側面も持つヴェイパーウェイヴとは逆の、「過去を受け継ぎリビルドする」という彼が四半世紀貫いてきた姿勢そのもの。思えば『Odelay』(1996年)だって、1980年代ヒップホップのカット&ペーストが軸となった作品だ。そもそもベックこそがいまのブームの源流に近い存在だとも言えなくもない…… そんな再評価への気づきをも与えてくれる1枚だ。
Alexandra Savior『The Archer』
この作品こそが彼女の本当の姿だろう。3年前に無名ながらいきなりメジャー・デビューした、アメリカ・ポートランド出身のSSW=アレクサンドラ・セイヴィアー。ケレン味あるメロディ・センスが独特ではあったが、蓋を開けてみればそのデビュー作は、共作・プロデュースを手掛けたアレックス・ターナー(アークティック・モンキーズ)の色が強い仕上がり。大衆志向なロック・サウンドを無理に狙った感も否めなかった。だが、今作をサポートするのは抜群に相性の良さそうな相手だ。デンジャー・マウス主宰のレーベルからの再出発というだけでなく、プロデューサーはケヴィン・モービーとの仕事の長いサム・コーエン。オルガンをはじめとしたレトロなサウンドが打ち出され、彼女の魅力であるダークながらもドリーミーなソングライティングが引き立っている。ドライなギターの音色にキャット・パワーやファイストを想起させられつつ、ラナ・デル・レイ…… というより、むしろ中森明菜? とさえ思わせるマイナー調のメロディと気だるげなヴォーカルもおもしろい。「レトロ・ゴス・ポップ」などとあだ名したくなる独創性…… それは、この再出発が成功したことの証だと思う。
Squirrel Flower『I Was Born Swimming』
スクワレル・フラワーこと、ボストン出身のエラ・オコナー・ウィリアムズのデビュー作。ジャケットの印象からドリーム・ポップかと思っていたが、一聴して意外な印象を受けた。エモなのである。緩急をつけながらかき鳴らされるギター・フレーズの応酬が胸に迫る2曲目(“Red Shoulder”)なんかは、Mitskiの“Your Best American Girl”に匹敵する感情の爆発力を持っている。とはいえ、筆者のカンもあながち間違いではなく、全体のサウンドはどこか夢見心地でもある。この、エモとドリーム・ポップの良いとこどり感は、さすがはアメリカン・フットボールやジェイ・ソム擁する《Polyvynal》のアーティストだ。
ただ、作品後半に進むと、フォーキーとも呼べそうなシンプルな楽曲構成に。深く染み入ってくるエモーションは、ビッグ・シーフのエイドリアン・レンカーのようだ。そのビッグ・シーフにもエモの影響を感じることからも、実は昨今、静かにエモ・リバイバルが起こっているのかもしれない、などとも思いはじめた。ただし男性が牽引していた1990年代のそれに対して、いまそのシーンの担っているのは間違いなく、彼女のような女性たちなのだが。
Aoife Nessa Frances『Land of No Junction』
アイルランド・ダブリンのSSW=イーファ・ネッサ・フランシスのデビュー作だが、《Ba Da Bing! Records》からのリリースと知って納得した。《Ba Da Bing!》といえば、ベイルートを輩出したレーベル。アメリカとヨーロッパ、現代と近世、果ては中世までをも行き来するトラベラー、ベイルートの後輩とあって、これがまたなんとも時代や土地を飛び越えた味わいの作品なのだ。カチコチ…… と冷たく刻むリズムボックスのビートにあたたかなヴィンテージなギター・サウンドが重なる1曲目はさながらスティーヴ・ハイエットのようだし、かと思えば、コンガとフィドルが共存し、ボサノバとアイリッシュ・トラッドが混ざり合う2曲目の奇妙な異国感にも驚かされる。一方で、作中最もアップテンポな6曲目などには、どこかサーフ・ミュージックのような趣きも。映画を専攻していたという彼女の音楽は、「ノスタルジック」という曖昧な言葉の中にも、様々な時代と場所の風景を描き出す。これから時間をかけて何度も聴きこんでいきたい1枚だ。
Mura Masa『R.Y.C』
昨年11月の来日公演に足を運んだが、驚いた。平日ながら洋楽不況もどこ吹く風、Zepp Diver Cityがパンパンだったのだ。ただおもしろかったのは、その場にいたのは生粋のパーティー好きばかりではなかったということ。インディ・ロックのライヴにいそうな人たちから、B-BOY風の若者までもが大盛り上がりする会場。そしてその中心に立つことができる、Mura Masaの多面性を垣間見た。 年明けにリリースされた今作は、そこで感じ取った予感そのものだった。享楽的なダンス・アルバムだった前作に比べ、今作はギター・サウンドや四つ打ちのビートをフィーチャー。歪みやノイズもいたるところに聴くことができ、前作のつるりとした未来的なサウンドはほとんどない。ザラついたサウンド、クレイロやスロウタイといった同世代のニュー・カマーたちとのコラボ、そして“No Hope Generation”などといった曲名…… 今作は、好みは様々なれども漠然とした未来への共通の不安を抱く若者の声を、まとめて代弁する作品なのかもしれない。
Tame Impala『The Slow Rush』
今年のフジロックのヘッドライナーにも決定、いつの間にやらビッグ・ネームとなったテーム・インパラ(こと、ケヴィン・パーカー)。各所ですでに絶賛されている今作だが、思うにそれは現代の空気感をズバリ捉えた作品という側面も大きいだろう。前作からすでに匂わせてはいた1970年代AORからの影響が、一層色濃く現れた今作。が、前作を出した5年前とは音楽シーンを取り巻く状況はだいぶ変わった。いまやそうした音楽はニッチではなく、むしろ流行りのひとつにすらなっているのだから。
そんな状況にふと、時間軸の歪みを感じることは少なくない。今作における、極端に変調された音の波はいままで以上に濃密で、サウンドにドロドロとした質感をもたらしている。それは、過去に意識が注がれ、前に進んでいるのかどうかわからなくなっている、現代人の感覚にもよく似ている。加えて、1960年代のサイケ・ロックに、前述の1970年代AORや、ディスコ・ファンク的なビート、シカゴ・ハウス風のピアノリフ、そして1990年代R&B風のメロディ…… と、様々な時間軸の音楽が交錯し流れていく今作。そんな時間の表現方法こそ、まさに「いま」を投影していると言えるのではないだろうか。
U.S. Girls『Heavy Light』
ステージ・ネームは“U.S. Girls”…… だが現在はトロントを拠点にしている、メグ・レミー。10年超のキャリアの中でも、いちばん脂が乗っているのはいまなんじゃないだろうか。キャリア初期は、グライムスにも通じるようなキッチュなシンセ・ポップという趣きが強かったが、前作あたりから多国籍な趣きのソング・ライティングが目立つようになっていた。その証拠に、前作のラスト曲はほぼほぼトーキング・ヘッズの“Crosseyed and Painness”だったりもするのだが、今作はまさにその続きのような作品と言えるだろう。前作よりもアフリカン・リズムや、サンバ、ボサノバなどが幅広く取り入れられぐっとカラフルな、言ってみればポール・サイモンの『Graceland』を現代風にアップデートしたようなアルバムになっているのだ。とはいえ、(ポール・サイモン同様)彼女自身は白人。1曲目なんかは、コンガが鳴り響きながらも、メロディはノーランズのようなキャンディ・ポップ風なのだが、それは自分にとってはコンガの響きだって他の文化の借り物であることを自覚しているがゆえなのだろう、とも思わされる。
JFDR『New Dreams』
私事だが年初にアイスランドに行ってきた。日本からはマイナーな行き先だが、ビョークやシガーロスを筆頭に、実は隠れた音楽大国。帰国後も興味深くそのシーンに注目していたところリリースされたのが、こちら。レイキャビクのバンド、サマリスのヴォーカルのソロ2作目だ。レイヤードされた囁くヴォーカルはビリー・アイリッシュ風なのだが(それをサラッとできるのもすごいのだが)、それがミニマルかつ開放的な楽曲によく合う。
打ち込みとアコースティックな楽曲が同居する本作だが、打ち込みサイドの曲の中では2曲目(“Taking a Part of Me”)が白眉だ。パルスのようなビートに断片的なサウンドを絡ませて曲として成立させる手腕は、さながらジェームズ・ブレイク。また、アコースティック・ギターがメインの曲も、テクスチャーのはっきりした音の鳴りとフレーズの反復が際立ち、エレクトロニック・トラックを作るかのような感性が光る。まるで、ポスト・ダブステップとフォークトロニカの幸福な出会い、と言えばいいだろうか。緻密かつダイナミックなアイスランドらしい作風に、グローバルなサウンドのトレンドも押さえた秀作だ。
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