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はてなキーワード: 火災とは

2024-12-12

最近できた秘匿命令決定申立(匿名裁判)って、家庭裁判所の秘匿制度が拡大あったよね

相手方自分関係している組織だったら、名前や住所隠蔽しようとしても、すぐバレるだろうなぁ

国や自治体医療機関金融機関不動産関係

裁判所は資料マイナンバーを書くなというし、DV保護対象者は医療機関マイナカード使うなと言われる

特に医療保険裁判では、裁判外の乱闘がありそう(今、玄関ピンポン攻撃電話攻撃されたみたい)

 

まあ、裁判引っ越しとき、元の医療機関から住所を隠せるのは損ではないが

火災地震保険会社で、住所漏れしないところってあるのかね?

 

追記

配達証明の書留配達だったので訂正)

2024-12-09

日曜劇場「海に眠るダイヤモンド」7話までの考察

以前、こちらの増田を書いた者だ。

https://anond.hatelabo.jp/20241101181425

以下、7話までのネタバレが含まれるので、未視聴の方はTverU-NEXTで観てから読むのをおすすめする。

まず、澤田の正体についてから書き始めたい。

私の予想では、澤田=荒木まこと、そう、進平とリナの息子では無いかと予想している。

いづみは何らかの情報を頼りに、進平とリナの息子を探し続け、出会い秘書にしたのではなかろうか。

澤田は玲央の部屋の水道を修理した際、いづみに「私にも端島の話をしてください」というようなシーンがあった。

ということは、澤田は端島生活を知らない人間という事になるが、

進平とリナの息子であるならば、2歳前後でリナと島を出ているので端島生活を覚えている可能性はほぼない。

では、なぜ「荒木」姓でもなければ「日下」姓でもでもないのか?という事になる。

(※日下姓はリナの本名仮定した上での話だと思って読んでほしい)

以下から自分でも大胆過ぎる予想だと自覚の上で書くので当たらなかったら申し訳ない。

まず、リナは恐らく第二子を身篭った状態1話冒頭にあった夜の海を船で去る事になったのではないか

ではおそらく7話で行方不明もしくは死亡したと思われる進平の残した子なのか?と最初は思った。

しかし、公式サイト8話のあらすじに「鉄平の良からぬ噂も流れていて…」とある

予告編では、リナ、鉄平まことの3人が仲睦まじく過ごす描写がある。

さらに、鉄平の母ハル鉄平に「リナさんと一緒になり」と告げるシーンがある。

まり鉄平は表向きは朝子と付き合いながら、リナとも仲を深めるのではなかろうか。

そして、進平を亡くし悲しみに暮れるリナと一夜を共にする、

これが「鉄平の良からぬ噂」の正体なのではなかろうか。

鉄平の子を身篭ったリナは、これ以上荒木家を巻き込みたくないと思ったのか、

または「自分の愛した人が死んでしまう」呪いを断ち切るため、鉄平も殺さないために、

夜逃げするように端島を出たのではないかと考えている。

そして、リナが産んだ2人目の子女の子であり、彼女が玲央の母親なのではと予想している。

さて、澤田はなぜ「荒木」姓でも「日下」姓でも無いのか?という話に戻ろう。

おそらく本土で2人の子を抱えてリナが生きていくのは相当困難だったはずだ。

からまこと養子に出す事にしたのでは無いか

それが「澤田家」だったのではなかろうか。

しかすると、妹も養子に出したか施設に預けたかし、リナが育てることはなかったのかもしれない。

最後に、鉄平の話をしたい。

鉄平現代パートの「いづみ」が語るところによると、

行方不明

という事らしい。

初めは炭鉱火災行方不明になったと予想していたが、そうではなく、

朝子がいながらリナとの子供を作ってしまった自分を責め、

逃亡した・・・?のではないか

流石に現状の情報では鉄平行方不明になった経緯を正確に予想することは出来ない。

今日の時点で書けるのはここまでだ。

全く別の展開であればそれはそれで面白い

既に来月2度目の軍艦島ツアーを予約してある。

2024-12-05

anond:20241205111349

先日火災に遭った猪口議員住まいとかのような、低層高級マンション正義ってことやな

(あの失火は稀な事故から、戸建やタワマンにすれば防げるって類のものじゃない)

2024-12-01

とある火災事件について「事件性はない」という警察の発表やマスゴミ報道を信じてるバカ

アホなの?

信用が高いとされた会社組織崩壊しつつある

氷河期世代若いころに信用が高いとされていた会社組織が続々と信用崩壊を起こしている

自分氷河期世代だが苦しかたことの一つとして、上司が信用できなかったこと、また不正不都合強要されること、があったことを思い出させてくれる

貶められ、口を封じられ、反抗すれば組織からはじき出すのが彼らのやり口に嫌気がさしたはず

はじき出された人たちの多くがインターネットに逃げ込みYoutubeやXなどで情報交換することでようやく自分の状況を把握できるようになり、結果としてインターネット情報のほうが正確になってきているのは滑稽であり、因果応報とは正にこの事を示すと思っている

 広島県安芸高田市前市長に対するローカル新聞から報道

 兵庫斎藤知事パワハラ告発報道問題

 猪口邦子議員の自宅火災報道問題

 貸金庫窃盗事件

 猟銃所持取り消し事件

 クルド人不正外国人へのデモ禁止する仮処分

 クルド人不正外国人への十分でない対応

 貸金庫盗難への十分でない対応

 円安の定着と海外投資への過熱ぶり

2024-11-28

自民党議員の家の火災よりUNRWA活動禁止の方を詳しく報じるべきだと思うんですけど

2024-11-24

anond:20241123090113

ポップ吉村が存命中活躍中の自伝進出移住したアメリカブランド乗っ取り詐欺に遭いそれでも必死に頑張ってたら作業場火災で大火傷を負い入院中に妻にシモの世話をして貰ったことを非常に感謝している、ってエピソードを思い出したがソレとは違うほうかよ😔

2024-11-23

anond:20241123171049

あら、アンタ、なかなかいいところに目をつけたわね!貸金庫ってのは、基本的に信頼に基づいて運営されてるもんよ。ただし、当然、盗難火災自然災害みたいなことを想定して、保険がかけられてることもあるわ。

でも、何か起こったときに、どっちが悪いか証明するのは難しい場合もあるわね。だからこそ、利用者には、貸金庫に入れるものについての記録をちゃんととっておくことが重要なのよ。限度を超えるケースが起きたら、その時こそ、お互いの信頼とコミュニケーションが試されるってわけ。

アンタもちゃんと気をつけて、大事もの自分でしっかり管理するんだよ!貸金庫は便利だけど、万能じゃないからね!

断章のグリム」完全版が出るらしいが、絵師変わるのかー

新しい絵師も良い感じではあるが

正直、少女漫画っぽい前絵師より新絵師の方があってる気もする

でも変わるの悲しい気持ちもある、出版社変わると仕方ないのかな

Missing新装版で絵師変わったのは、そもそも絵師が上手いが書き込み多すぎる繊細な絵柄で工程も多いのでかなり遅筆で

絵師スケジュールがずれこんでいくのにあわせて刊行も遅れ

ついには絵師Missingして絵抜きで発売にまで至ったという事情があった

そういう事情なしでも出版社変わるとしゃーないのか?

でもノロワレは違う出版社で続編出した時も絵師は続行してたんだよなあ


断章のグリム」はメルヘングロライトノベル

ヒロインは片腕がリスカ痕だらけで腕中を血の滲んだ包帯で常に覆っているやべえメンヘラのように見えるのだが

実は彼女は痛みをトリガーにした発火能力者であり、人々を守る戦いの中で、敵を燃やして殺すために自分の腕を切り刻むのでそうなっている

戦闘主翼であるヒロインは毎回バトルの中でリスカしまくっており、腱が切れてもう指が動かないなど描写がとても痛い

戦いの後には治癒能力者がある程度治してくれるので日常生活できる程度には戻るが、完全に治すことはできず常に腕が傷まみれのやべえ人になっている

事件解決後の遺体処理班には、大量のゴキブリ召喚して全部食わせて消す能力者とかもいる

彼らの能力過去トラウマが影響しており、ヒロイン火災事故の生き残りで、ゴキブリの人もゴキブリにまつわるトラウマを持つ

2024-11-09

秋の火災予防週間で炎上

防災無線で住所バレれてて草

2024-11-03

猫は街にいたほうがいい

東京大阪等の鼠が猛烈に増え始めてすごいことになっているらしい。

疫病食害火災等々ネズミの害は計り知れない。

野良猫がいたら彼等を一掃してくれるのに、人間は庭に糞をする程度の理由で猫を駆除してしまった。

ペスト流行しても自業自得だ。

2024-10-27

次に自分を怒らせた人間をズタズタにしてやる

そんな思いに取り憑かれてる

本当にヤバいって自分でも思うが、とにかく怒りが強すぎる

これまでの人生で受けた屈辱をぜんぶ覚えていて、怒りが一切消化されることなく全てが蓄積されてて、地下火災みたいに心の底で沸々と憎悪燃えてて、何かの拍子で簡単に理性が吹き飛んで、次に自分を怒らせた相手の顔を原型無くなるまで殴る妄想をずっとしてしま

狂ってるんだろうけどどうしたらいいかわからん

助けてくれ

2024-10-24

結局、電気毛布には通電火災防止機能はないのだから5000円もするタイマー付きでなく、2000円のにリーベックスタイマーで十分だったのではないかという気はする。

2024-10-23

anond:20241023002950

湯たんぽは熱源なのに火災リスク無いし、時間経過で熱も失うから火傷リスクも低くて冬場の寝具アイテムとしては中々有能。

2024-10-13

名作といわれるドラマおしんをみたので感想を書く その4

https://anond.hatelabo.jp/20241010224911から続く

おしん物語根底を流れているのが、「恩」であり「仁義であるということをこれまでの感想でも書いてきた。おしんイコール辛抱する精神というイメージが広く流布するなか、金儲けに走った息子の根性を叩き直すために、田倉家を滅ぼしてでもライバル会社に利する行動に出た、という物語ハイライトは、意外にもあまり注目されていない。私も正直なところ、全話を通してみるまで知らなかった。

今回は、物語類型としての「おしん」をみてみたい。

流浪するおしん股旅物としての評価

おしんは一代記ものとしては、タイムスケールがとても長い。おしん1901年昭和天皇と同年に生まれた設定である

そしておしんが生きた少女時代から後期高齢者の83歳になった1984年まで、それぞれの時代があまりにも違い過ぎるので、1983年の田倉家のシーンから明治回想シーン時代を一気に2世代くらい遡るときタイムトリップ感が半端ない

1983年おしんが息子・仁を裏切って、並木商店への説得どころか、積極的大手スーパーへの並木土地の売却を進めてくれとお願いした背景には、並木商店隠居の大旦那並木浩太に対する並々ならぬ恩があるからである

それは、どのような恩だったのか。おしんは息子たちには何も過去を語ってこなかったので、仁には知る由もなかった。そもそも並木浩太とは何者なのか。

おしんも誤解されるのが嫌でそれまで息子には一度も語ってこなかった。しかし、前年の1982年17号店進出を知ったおしんが息子の行動を阻止しようとしたとき、仁は、それが母の初恋の人への配慮であることを悟る。そして、仁はいう。商売ってそういうものじゃない、「母さん、みっともないよ。」と。今風にいえばいい歳してエモいことを言い出してんじゃねえよと思われたのであろう。案の上、誤解されてしまったおしんであったが、なすすべなく工事は進み、ついに開店当日を迎える。おしんはこれまでの人生の回顧の旅に出るのである

おしんと人の縁

おしんと浩太のいきさつをかいつまんでかくのも、がっつり書くのもいずれもけっこうしんどいしかし、今回のテーマの「股旅物」がわかるように、ややガッツリ目に書いておこう。股旅とは、大正時代に生み出された物語類型ひとつで、一宿一飯の義理人情に従って流浪する物語であり、多くは渡世人やくざなどが主人公である股旅物の元祖長谷川伸は、その後の日本小説戯曲、そして映画テレビドラマに至るまで多大な影響を与えた人物である。「飢餓海峡」で知られる水上勉は、長谷川伸の「夜もすがら検校」を読んで作家を志したことはよく知られている。「夜もすがら検校」を発表したのは1924年である明治が遠く過ぎさり、大衆大正デモクラシー自由への過大な期待から人々が少しずつ醒め始め、もう一度生き方を見直そうしていた時代である

おしん回想シーンだけをみると、浪花節にあふれた、まごうことな股旅であるしかし、おしん物語面白いところは、浪花節陳腐化し、古臭いものになってしまった現代1980年代)と交差している点である

キーワード加賀屋への恩】

並木浩太とおしん最初出会いは、おしん16歳、山形酒田の米問屋加賀屋奉公へ来てから7年が経った頃だ。おしんは、加賀屋の跡取りの長女・八代加代と姉妹同然に育ちながらも、大奥様・八代くにからは、肉親の孫娘・加代よりも商売イロハから茶道裁縫など良家の子女としての教養を徹底的に教え込まれていた。このときにの指導によって身に着けたものの考え方や教養が、のちのおしん人生で役に立つのである。加代はというと、将来は良家から婿をもらって加賀屋をどうせ継がさせられる自分のつまらない運命うんざりしていた。絵画が好きだった加代は、東京で別の”自由”な人生があるのではと夢をみる少女だった。そんな折、農民運動活動家・浩太と出会った。酒田訪問した際、官憲の目を逃れるためにおしんとお加代に助けを求めたのが最初出会いであるおしんとお加代は同時に、浩太に恋心をもってしまう。大正デモクラシー時代だった。インテリかぶれした加代は平塚雷鳥の本を手元におき、人形の家を著したイプセンなどに憧れを抱いていた。当時、大衆のなかで勃興していた人権運動先進的だと中身もわからず憧れていたのである農民運動、カッコいい!加代は浩太の活動ロマンを感じて恋に落ちてしまった。一方、おしんは、土地を持たない小作農民の自立を助けたい、という浩太の純粋な思いに心を打たれていた。おしん小作の娘であった。小林綾子が主演した「おしん少女編」では、おしんの母・ふじが冬の川に下半身を沈めて妊娠中絶を図ったり、小作農民の悲哀がこれでもかというくらい暗く描かれていた。そしておしんは冬の川に入った母の姿をみて、6歳で材木問屋奉公へ行く決心をしたのであるいかだに乗って、母ちゃんと叫ぶ、有名なシーンのアレである

ともあれ、加代とおしんは同時に同じ男性に恋をした。そしておおらかで情熱的な性格の加代は恋心を隠すことができず、おしんに打ち明けていた。そしてやがて加賀屋の跡取り娘でありながら、何もかも捨てて浩太へ会いに東京家出してしまう。しかし、おしんは、奉公先の跡取り娘であるお加代様の恋を大切に思い、自分の思いはそっと封印した。一方の浩太は、東京に出てきた加代の猛烈な求愛を受け止めつつ(東京で加代と同棲までした)、本心最初からおしんが好きだったのである

おしんは加代の家出理由加賀屋に伝えることが忍びなく、おしん加賀屋から暇をもらって帰郷する。帰郷したおしんを待っていたのは、おしん女郎部屋へ売り飛ばそうとする父・作造と口利きの男であった。さら実家で目にしたのは、奉公先の製紙工場の過重労働健康を害し、肺結核で放り出され、今や死を目前にした姉・はるの姿であった。いまわの際に、はるは女衒に騙されそうになっているおしんを救うべく、自分の夢が髪結いになることだったことをおしんに告げ、東京の知人の髪結い師匠長谷川たかの住所を訪ねるように、伝えて息絶えた。

一方、加代は、浩太の心がおしんしか向いていないことを悟り、浩太のいない東京を去り、加賀屋を継いで見合い結婚する。

キーワード日本髪結いのおたかへの恩】

こうして、はる姉ちゃんが叶えなかった夢を託されたおしん東京へ出た。女郎部屋を売り飛ばそうとした父のいる故郷に心を残すものはなかった。髪結い師匠たかは、江戸時代から続く髪結いの昔気質職業観を持った女性だった。一人前になるための6~7年の下積みの苦労は当然であり、弟子には甘えを許さなかった。

しかし、大正という時代は、江戸から明治まで続いてきた日本髪の伝統の衰退期であった。大正浪漫とか大正モダンと言われる時代が到来しており、洋髪が東京流行し始めていた。おしんが修業している3年間の間に大きく時代が変わりつつあったのである

大衆身分から解放され、より自由髪型を求めるようになっていた。髪型をみれば、人妻なのかそうでないのか、はたまた、その人の職業身分がわかる、という時代は終わりつつあった。弟子入りなんてせず洋髪の専門学校をでて、理髪を仕事にする時代がきていた。おしんには洋髪のセンスがあった。たかおしん独立をすすめる。たかはいう。「昔は厳しかったんですよ。6年も7年も修業してやっと一人前になったら、それからまた、お礼奉公をして。10年近くもただ働きをして覚えたもんなんですよ。そんなことは今は通んなくなっちまったけど。やっぱりご時世ってもんですかね」。これは紆余曲折を経ておしんたかの元から独立し、その後、客先で出会った男性・田倉竜三と結婚挨拶たかを訪れたとき言葉である。その時、5人いたたか弟子はついにたった一人だけになっていた。

田倉商店を竜三の妻として支えるようになったおしんであったが、商売は順風ではなかった。おしん夫婦を陰で支えていたのはたかであった。田倉の経営が傾くと、おしんたかを訪れ、髪結いをして夫を支えた。たかもまた、洋髪の時代おしんの才覚を必要としていた。客商売は人の縁、ひととのつながりを大切にすることだと心に刻んだのはこの頃である

一方、田倉商店開店休業状態に陥るほど経営悪化していたが、おしん髪結いで稼いでいたので竜三はプライドを傷つけられ、すっかりおしんが稼ぎ出した金で遊び歩くようになってしまった。師匠たか相談すると別れちまえという。「ダメな男はどこまでいったってダメなんだよ」とすっぱり切り捨てるが、おしんは亭主をダメにしたのは自分だとと気が付いた。夫の更生のために妻の自分は黙って夫についていく姿勢を示すことを決意し、長谷川洋髪をやめることをたかに申し出る。稼ぎ頭のおしんに辞められるのはたかにとってもつらいが、受け入れる。やがて蓄えもつき、明日食べるコメもないどん底におちて初めて竜三は再起を決意する。しばらくは順調に田倉商店再生が進んで、おしん洋裁の才能も手伝って、田倉は子供服店を開店することになった。しかし、その直後、関東大震災おしん夫婦の夢を完膚なきまでに打ち砕いてしまうのである工場火災で焼かれ、絶望した竜三は「佐賀ゆっくり休みたかおしん佐賀はいいとこばい。。。」といって佐賀への帰郷の心を固める。竜三は大地主の三男坊なのである。こうしておしんにとって地獄佐賀編がスタートすることになった。

さて、佐賀に三男の嫁として入ったおしんを待ち構えていたのは、姑による徹底的な虐待だった。数か月もすると、おしん佐賀地獄から脱出を心ひそかに誓い、東京師匠たかのもとに、東京に戻りたいと手紙を書くのであるたかの元にいけば助かる、自分の腕一本で生きていると信じた。必死の決意で脱出し、やっと髪結いを再開しようとするも、さらなる不幸がおしん絶望に突き落とす。佐賀で夫に振るわれた暴力が原因で、右手の神経に麻痺が残ってしまっていた。髪結いを諦めざるを得なくなった。

こうしておしん流転の人生が始まる。屋台出店からまり故郷山形酒田と流れ流れ、ついに浩太の紹介で三重伊勢の魚の行商に落ち着き先を見出すのである佐賀に残った夫といつかは一緒になれると信じて手紙を書き続けるのである

キーワード:浩太の恩】

浩太の実家貴族院議員の父を持つ、太い実家だと先に書いた。しかし、浩太にとって本当のやすらぎのふるさとは、おばの伊勢実家網元のひさの家であった。浩太は、流浪人生を送るおしんを見かねて、伊勢網元をやっているおばのところに下宿し、行商を勧めるのである。これまで米問屋での奉公に始まり、ラシャ問屋子供服洋裁、洋髪・日本髪、農家の嫁地獄酒田の飯屋をやってきたおしんめし加賀屋は加代とおしんが切り盛りし、おしんにとって加代の元気な姿をみた最後の思い出となった。その職業遍歴に今度は魚売りが加わることになった。

伊勢に来て、笑顔を取り戻したおしん。竜三もおしん魚屋をやる決意をしてくれ、おしん人生好転し始めていた。

一方、加代の人生は、暗転した。加賀屋本体が夫の先物取引の失敗で負債を抱え倒産した挙句、夫は自殺してしまう。八代家の両親は過労で衰弱、入院費を工面するために加代は借金のかたに売春宿に沈められてしまう。両親は相次いで亡くなり、生まれたばかりの希望を抱えた加代をみて、おしんは救出を誓うが、借金の額に手が出せなかった。加代は翌日酒を煽って死んでしまった。希望は田倉で引き取ることにし、加賀屋の再興を果たしたい思いから、養子にはせず、八代苗字も変えなかった。

一方、浩太は長く続けてきた農民運動に行き詰っていた。治安維持法により、弾圧が厳しくなり、ついに6年間も投獄され、苛烈拷問の末、転向を迫られた。敗北者となった浩太は、心身の傷をいやすために伊勢のおばのところに帰るのである。すっかり引きこもってしまい、おしんとも口を聞こうとしなかった。やがて、浩太は実家の縁談に応じて、並木家へ婿入りすることになって静かな人生を送るのである。やがて少しずつおしんとも再び心を開くようになるまで十数年を要した。

田倉家では、雄、次男の仁、そして希望がすくすくと育っていった。雄は戦争で亡くなるが、戦後も仁と希望兄弟のように母おしん魚屋を支えていた。大人になった仁が商才を発揮する一方で、希望商売に向いていない自分を見つめ直し、自己実現のために陶芸の道を歩みだす。

屈折10年、陶芸師匠の元で修業した希望がようやく独り立ちできる時期が来た。そのときに、希望のための釜・新居の支援をしたのは浩太である。お加代さんとの縁を思い出してのことである。浩太は、折に触れて田倉家のおしんを見守るように生きていた。おしんセルフサービスの店に挑戦するときも、銀行からの借り入れにあたって、浩太は並木の自宅を抵当にいれてくれたこともあった。

股旅物を取り込んだ現代劇~義理人情は古臭い観念かという現代人への問いか

さて、長いことおしんの半生を振り返ってきたが、一旦冒頭の仁のセリフ1983年の場面)に戻りたい。

仁が17号店の出店を並木商店の近くに計画していることを知っておしんが反対したときのことである初恋のひとに迷惑がかかる?「母さん、みっともないよ。」というのが仁の反応であった。しかし、もし仁が母おしんの半生をもう少し知っていればそんな言い方はなかっただろう。おしんは人の恩に深く支えられて生きてきたのである。田倉スーパーの出発点となったセルフサービスの店にしても浩太の支援があってこそであった。

ここには、自ら築き上げてきたスーパー廃業も辞さなおしんの思いは、長谷川伸の「夜もすがら検校」で大切な琵琶を燃やしてまで恩に報いたい思いと通じるものがある。

ドラマ構成として興味深いのは、おしんの半生を、徹底的に(一年間のドラマの大半部分を費やして)一宿一飯の義理人情で「世話物」的に(つまり当時の生活感覚として)描いておきながら、おしん戦後現代にいたる高度経済成長おしん自身義理人情を忘れてしまたことに気が付く、というメタで重層的な構成であるおしんにしても、商売は食うか食われるかだ、という厳しい姿勢戦後を突っ走り、16号店までたのくらスーパー事業拡大させてきた戦犯なのである。それが今になって17号店は昔に世話になった人に迷惑がかかるから反対、はない。突然反対し始めた母を見た1983年の仁の目からは、義理人情なんて古臭いものだという感覚であり、母の物語は「世話物」ではなく完全に「時代物」なのである。大切なものを置き忘れてしまった気がしたおしん問題17号店開店当日、失踪する。この世話物時代物が交差する、ところもドラマおしんの魅力である

2024-10-04

リチウムイオン電池ブラックホールに捨てる

空想だが、もし可能なら問題ないんじゃないか

膨らんだリチウムイオン電池処分する方法は、住んでるとこの自治体によってはかなり厄介らしい。

というのも、リチウムイオン電池の処理は通常のゴミとは段違いの難しさがあるからだ。

保持してるエネルギー量が大きいので適当燃えるゴミかに混ぜてしまって、ごみ収集車が発火、火災になるケースも多々あるとのこと。

いっそブラックホールに纏めて吸い込ませてしまえば、環境への害は無いのでは、と思って調べてたんだが…。

なんとブラックホール、回転してる種類は一方通行じゃないらしい。

高速でブラックホールからジェットを噴射してるんだってさ…。

2024-09-30

借金完済したったwww

総額数百万の借金をようやく完済した。

社会人になりたての時期からアラフォーに至る今まで、約20年にわたる返済人生を歩んで、ようやくここまで来た。
これまでに借りた総額で言えば数百万円ではきかないと思う。借りては返し、返しては借り、を繰り返していた長い時期を考えると、これまでの所得10%を借りていたとしても、総額1,000万円近い金額だったのかもしれない。恐ろしいことだ。



借金問題に詳しい増田読み手ならお察しだろうが、多額の借金を返済できたのは任意整理を行なったかである。数年前に思い立って法律事務所へ赴き、相談を経たのちに任意整理に至った。借入先には忍びないが背に腹はかえられぬ。実行可能な返済計画に従って、利子を除いて淡々と返済を続けた結果、ある程度前倒しで完済することができた。

任意整理によって信用情報に傷がつくのを躊躇していた私に司法書士が放った「客観的に見てあなた家計は終わっています任意整理すべきです」という言葉が強く印象に残っている。


ではなぜそのような借金をするに至ったのか。借金問題に詳しい増田読み手ならばお分かりだろう。


そうです。ただの浪費です。


私はギャンブルもせず、酒も人並み、衣食住も身の丈にあった暮らしをしていると自認している。少しずつではあるが人並みに地位を築き、所得を絶やさず増やしてきた。にも関わらず振り向けば常にそこに借金があった。


新卒入社した会社手取りは約18万円。当時にしても決して低くない金額だった。将来に投資しようとかなり安いアパートにひとり暮らしをして、家賃を除いた生活費が毎月13万円程度あったはずである携帯代1万円、ネット電話代1万円、奨学金返済が1万5千円、光熱費8千円。残りは少なく見積もっても毎月7万円程度は生活費・食費として残るはずだった。今振り返ってみても、余裕のある生活が送れる所得、なんなら貯金をしっかりすべき所得に思える。


所得だけを見て「自分は人並み程度にはお金心配がない生活が送れるはず」「支出傾向から考えても普通生活が送れないわけがない」という思い込みがあったことが、借金生活スタートする土台であったと確信できる。要するに、自分借金とは無縁の生活が送れる、借金などとは無縁の人並みの暮らしができないはずがない、という甘えた考えがあったのだ。


当時の暮らし。毎朝起きてすぐタバコを吸って、朝食は会社デスク菓子パン缶コーヒー、昼食は数百円の弁当、夜もラーメンやら外食やら。一杯ひっかけて帰ることもしばしば。たまに自炊休日映画館やらDVDレンタル、欲しい本や漫画があれば躊躇せず買い、ブックオフ古本を買いあさり、季節が変われば新しい服やスニーカーを新調。出かけたらタバコが吸えるコーヒーショップ一服。誘われれば飲み会にも行くし、彼女には奢るし、休日はどこかで外食をする。


気がつくと、手元にお金は残らなかった。残るわけがなかった。
自分欲望ささやかもので、日々の労働の対価として当然に享受してもよい消費だと思っていた。
これくらいの消費行動・金銭感覚は周りを見渡しても当たり前で、パチンコで数万円負けた、なんて笑う同僚よりも自分はまともなんだと思っていた。
だが当然に現金はすぐになくなり、給料日を心待ちにする日々が続いた。

ある時、ATMキャッシングという項目を見つけ、クレジットカードを入れて1万円を引き出してみた。すると現金が現れた。
返済方法リボ払いという選択肢がある。押すと返済額が毎月定額になった。
当時よく上司や友人がクレジットカードのことを「魔法カード」などと笑っていたが、買い物だけではなく、まさか現金までも引き出せるとは。
給料日までの現金に飢えた自分にとって、まさに魔法であった。


ここから先の展開は予想に難くないだろう。足りない現金を埋めるためにキャッシング預金がなくとも借入金の上限はまだまだある。毎月遅れことなく返し続けていれば問題ないのではないか。だが一向に元本が減らない。まあそんなもんか……。今月も借りては返し、返しては借り……。

若い時の苦労は買ってでもしろ、などと見栄を張って、自分は劣っていないと思い込むために金を使うことは未来への投資

そんな欺瞞自分正当化する。
結局、そんな生活を15年以上送ってきた。


そんな私でも結婚をした。結婚式なんてできず、子どもを作る余裕なんてなかったが幸せだった。この人を幸せにしたいと心から思っていた。

短い結婚生活だが幸せだった。借金はあったけど幸せだった。正しく言うならば、幸せだったけど借金はあった。

借金とは別の問題離婚をしたが、借金は遠因のひとつであった。自分本位の生活を送ってきた仇だ。

夫婦間のストレス言い訳風俗に通いを覚えて浪費する額が一気に増えた。離婚ストレス言い訳女性遊んだ。遊ぶ金はもちろん自転車操業だ。住宅ローンなんて組めやしない。

自分はこれでも極度の貧困よりはマシなほうで、借家もあるし仕事収入もある。地位も得てきたし、借入先も銀行系で闇金ではない。だから自分普通暮らしをしてしかるべき、という勘違いをこの期に及んで続けてきた結果、皮肉にも、自分は明らかに普通ではない生活をしていたのだった。


自分の愚かさを認めるのは、決して難しいことではない。毎月1万円ずつ返済していた時ですら自分は愚かだと自覚はしていた。

難しいのは、その愚かさを改めることだ。

借金借金と思わずに、限度額いっぱいまで余裕があると感じてしまっていた愚かさ、自分普通収入を得ているし闇金にも手を出していない、それゆえ金銭的苦悩とは縁がないという短絡さ、支出を抑えてもどこかで気を緩めて使ってしまう消費依存傾向、こうしたアホ思考マネーリテラシーの低さ、それを改めようとしないバカさ。

それらの問題根本的に見つめ、改めることが早い段階で必要だったはずだ。

自分はアホでどうしようもない、という自己憐憫だけにとどまらず、何がなんでも事態改善する行動、改める意思。それが何より困難なことだった。

もちろん固定費を削ったり、家計簿をつけたり、支出管理したり、食費・交際費節約したりもした。だがそうした行為破綻してからでは遅かった。アンコントロール状態に陥った借金と利息はもはや手がつけられない。燃え広がった火災にコップで水をかけるようなものなのである


世の中は様々な借金に満ちている。闇金消費者金融キャッシングリボ払い住宅ローンに割賦サービス、おまとめローン奨学金

これを読んでいる増田読み手におかれては、借り入れなどとは無縁で、支出収入バランスを保ち、資産形成にも励んでいることだろう。

だが、もしそうでない方がいるのであれば、どうか借金とはうまく付き合っていってほしいと心から願う。

返すために借りるとか、複数社の借入であるとか、イリーガル借金に手を出すなど、引き返せない状況に差し掛かるまえに、信頼できる人、あるいは窓口へ相談してみて欲しい。そして、どうか思いとどまって欲しい。どんなに苦しくても引き返す手段ちゃんとある。私だって完済できたのだ、まずはあきらめないことだ。


借金は、欲望ブーストさせ、思った以上に人生スポイルし、自らの可能性を削っていく。

それが私の愚かしい借金人生を通じて学んだことである

もしこの世に「人生に利する賢い借金」というものがあるのならば、あなた自分が思うよりずっと賢くなければならない。

少なくとも私はそう思う。


今日最後の返済をした。これで完済となります、と電話口でオペレーターが言うのを聞いて、電話を切った。

空に向かって「……やっと終わった」と言った。やっと終わった。何回か口に出した。身体が軽くなった気がして、めまいがした。

人生の半分をともに過ごしてきた借金負債文字通り負ってきたものをようやく手放すことができたのだ。

さあ、これからどうしよう。どんな生活をしよう。

ずっと我慢していた本を買おうかな、ぱりっとしたシャツを仕立てようかな、スマホを新しくしようかな。

もう給料日10万円を借入先へ振り込む必要はないんだ。これからストレスのない、幸せ生活が待っている。


別れた妻が笑う顔が好きだった。

なのに泣かせてしまった。

将来は人並みに結婚式をして子どもを育てるものだと思っていた。

ずっとなりたかった職業があった。せまくても自分の家が欲しかった。心から友達が欲しかった。親孝行をしたかった。

幸せ人生だと胸を張りたかった。


今はただ後悔しかない。

借金なんてしなければ良かった。

これからいくら幸せになれたとしても、得られず失ってしまったものばかりが目にうつる


長かった夏が終わり、秋が始まろうとしている。

さようなら、おれの借金よ、おれの後悔よ。

もう二度と帰ってくるなよ。

anond:20240930142536

今日関東大震災が発生したら何人死にますか?

関東大震災が発生した際の死者数は、当時の都市構造防災体制など、現在の状況とは大きく異なっていたため、単純に比較することは困難です。

しかし、現在都市構造人口密度などを考慮すると、仮に今、同規模の地震が発生した場合、甚大な被害が予想されます

なぜ被害が大きくなると考えられるのか?

人口の増加:

当時と比較して、東京横浜などの都市部の人口は大幅に増加しています

高層建築物の増加:

高層建築物が多数建設されており、地震による倒壊や火災危険性が高まっています

都市機能の集中:

交通網やライフラインが集中しており、これらの機能がマヒした場合都市全体の機能が停止する可能性があります

具体的な被害想定「死者最大2万3000人」

内閣府中央防災会議では、首都直下地震(M7.3)の被害想定をまとめ、全壊、焼失家屋が最大約61万棟、死者同2万3000人、被害額約95兆円などとしています。これはあくまでも一つのシミュレーション結果ですが、関東大震災はるかに超える規模の被害が想定されています

2024-09-26

固める天ぷら油がなかった頃ってそのまま流してたんかな

世の中処理することの前に普及させちゃう悪い大人が多いかダメだよね

バッテリーなんかもいざ捨てようとなるとどうしていいのかわからないし

手元にあっても知らぬ間に膨らんで発火、火災危険性があるし

無責任大人が多いのは純粋に悪だよね

2024-09-21

子どもとき、戦中派の毒母日本キリスト教会熊本県)に、「戦争でそんなに辛い思いをしたんだったら、原因を調べたいなー」と言ったら殴られかねない勢いで、怒られた

のちに、その教団も戦争推進団体だったことが分かり、私が彼らから敵視されている理由もやや分かったが、

しろキーワード 「日清火災海上」なんて、種々のgoogleマイナス検索をしても1件もヒットしないぐらいだ

\ブロック代金 \いくらだろう

2024-09-20

むかし兵庫県財閥が、裁判所相談して、再保険専門の会社である日露火災設立し、一般保険会社から、厳しい年貢契約料として取り立てることにしました

当時は日本会社外国再保険会社契約できなかったからだと言われています

日露は濡れ手に粟の商売で栄えましたが、一般保険会社貧乏になり、悪徳営業や不払いが増えました

日露は巨大資産ができると、関東大震災経営困難に陥ったと言って営業を中断し、3年後には軍産系の大倉財閥吸収合併されました

資産は、かなりの部分が裁判所大本営山分けされ、地下に隠されました

それは政治家法制賄賂として渡されたり、戦時裏金としてナチスに使われました

戦後最高裁長官関係者から選ばれたのも当然のことです

彼らが今でも正義面で踏ん反り返っているのは、その地下資金があれば、いつでもハマズのようなテロ団体設立できるからだそうです

  

神戸居留地にやってきた外国人と一緒に計画したとも言われています

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