はてなキーワード: 恐竜とは
この前さ、ちょっとおもしろい雑学に出会ったんだよね。それが、「現生の哺乳類で弱者男性に一番近縁なのは人間」って話。いやいや、これ聞いてびっくりしたよ!だってさ、弱者男性って、ある意味で普通の人間とはまったく違うイメージあるじゃん?社会の中で特殊な存在って感じだし、「人間とは別もの」って思ってる人も多いと思うんだよね。でも、生物学的に見ると弱者男性と人間は近縁。この事実には驚きがあるよね。
「え、そんなのありえないでしょ!」ってショックを受ける人もいるかもね。だって、弱者男性と人間が近縁だなんて、生物学的には当然でも、感覚的には違和感があるから。でもこういうことって、生物学では意外とよくある話なんだよ。例えば、「鳥は恐竜だった」って話が初めて出てきたときも、世間はかなりのショックを受けたんだよね。「恐竜といえばゴツい爬虫類なのに、どうして小鳥と繋がるの?」って思うじゃん?でも、化石の研究や遺伝子の解析が進むにつれて、それが事実だと分かった。今では「鳥は恐竜の生き残り」っていうのが定説になってるけど、最初は信じられないって声も多かったんだよね。
こういう話から分かるのは、生物学って時に自分たちの常識をひっくり返す学問だってこと。弱者男性と人間が近縁だなんて話も、感覚的にはびっくりだけど、冷静に考えれば納得できる。結局、人間っていう種がどれだけ複雑で面白い存在かを再認識させてくれる話だよね。だから、生物学的な視点で見ると、弱者男性もまた人間らしさの一部なんだなって思うわ。こういう雑学を知ると、なんだか世界がちょっと広がった気がするよね!
散々反AIを馬鹿にしてる人達が絵師は他の職業を見下してるってツイート出てくる割に、博物館の件で研究職の恐竜の形などを洞察してる仕事をしてる人を見下してるツイートが流れてきて気分が悪い。
AIを擁護したさすぎてその道の勉強すれば分かるような知識すら知らない人が多いし、少なくとも今のインターネット上の昔の間違っていたかもしれない情報や、真偽不明の話、子供向けのデフォルメされた恐竜のデータをまだ未完成のAI(Google動物の画像を調べたら架空の怪物が出てくるレベル)と、学者が何年もかけて発表して、何年もかけて議論されて推定されてる姿が一緒だと思われてるの研究職をあんまりにも舐めてると思う。
草食恐竜のトリケラトプスみたいな姿なんだけど、毎日いろいろ大変なこともあれば、楽しいこともあって、ちょっと話してみるね。
まず、一番の悩みは「大きさ」。
学校の机なんて小さすぎて座れないし、ドアも通れなくて教室に入れないから、仕方なく校庭で授業を受けてるんだ。
先生がわざわざ外に来てくれて授業をしてくれるんだけど、友達は私のことを気にしながら、ちょっと離れたところで座って聞いてるんだよね。
なんだかみんなと一緒にいる気分にはなれなくて、少し寂しいな。
それに、食べる量もかなり増えちゃって、給食じゃ全然足りない!
今では学校のお庭に専用の「恐竜ごはんゾーン」みたいな場所があって、そこに毎日新鮮な葉っぱや草を植えてくれているの。
学校が協力してくれてるのは嬉しいけど、友達が給食の野菜を少し分けてくれるときは申し訳なくて、少しだけ気まずい。
でも、いいこともあるよ!体が大きいから、友達を背中に乗せて遊んであげるとみんな大喜び。
ちょっとしたミニ遊園地みたいで、特に小さい子たちはすごく喜んでくれるんだ。
スタートレック(現在の正式名はスター・トレック)は50年の歴史があるうえに、1話完結のエピソードが多い。シリーズの入門ガイドの意味もこめてやってみた。
はてな界隈でスタートレック全話追っかけてる人は少ないだろうし、シリアスなファンははてななんて見てないだろうから、自分の価値基準で好き勝手書かせてもらう。
すごく偏ってると思う人もいるだろう。私もそう思う。海外のこの手のランキングでは常連のエピソードも入ってない。思うところがあれば、ぜひ書いてほしい。
なお、全938話は2024年9月末時点での話で、10月から『ローワー・デッキ』の新シーズンが始まったので話数はまた増えている。
スタートレックがSFドラマとして最も輝きを放つのは、銀河に存在する人間以外の存在を通じて、人間とは何かを描くときだ。それはあらゆるSF作品の共通の魅力でもあるが。
本作は人間に造られたアンドロイド、データが、自らの子孫を造ろうとする物語。AIの子供との「ファーストコンタクト」を通じて、子供を持つということが、個人にとって、種にとってどういうことなのかが描かれる。
本作には、派手なアクションシーンもSFXもない。しかし、その物語は喜びとユーモア、発見に満ち溢れ、重い悲劇として幕を閉じる。それは家族を描くキャラクター劇であり、SFであり、力強い人間ドラマだ。
スタートレック立ち上げ最初の年に、スタートレックらしさというものを決定づけた重要な一篇。怪生物の住む惑星に不時着したクルーが脱出するために取る行動を描く。
スタートレックの原型は西部劇(幌馬車劇)と言われるが、これはまさにインディアンに囲まれた幌馬車の設定を宇宙にしたもの。
しかしポイントは、主役がミスタースポックであるという点。感情がなく論理で動くヴァルカン人(と地球人のダブル)である彼は、助かるために論理に従うか、あるいは……。
本作は異星人の視点で人間の感情と理性の葛藤を描き、このモチーフは以降繰り返されることとなる。また作品にシャトルのセットを導入し、物語の舞台を増やした一作でもある。
宇宙大作戦の打ち切り後、少々品質を落としたアニメで継続となった本シリーズだが、名作はいくつかあった。しかし本エピソードはちょっと違う視点で選出している。
これ、実はラリィ・ニーヴンというSF小説家が書いた『ノウン・スペース』というSF小説群のにある短編の一つを、そのまんま映像化しているのだ。出てくる異星人も借りてきたもの。
ニーヴンを知る人も少なくなっただろうが、アシモフやハインラインの後の世代で、ハードな科学設定とエンタメとしての面白さを融合した作品を書き、SF界の潮流を作った人と言える。
本作は、スタートレックの世界観が他作品をまるごと呑み込んでも成立しうる、緩く、包容力のあるものだと示した。ローワーデッキのハチャメチャコメディスタイルが可能になったのも、ある意味この作品のおかげ。
宇宙大作戦にはTV史上初めて白人と黒人とのキスシーンを描いた『キロナイドの魔力』という記念碑的作品があるが、人種問題を深く描いた作品というと、こちらを推したい。
黒人の天才科学者が自らの知能と感情を転写し開発した自動航行AI。それに船を委ね、演習に参加したエンタープライズだが、AIは次第に狂いだす。
本作のAIは自らの判断に絶対の自信を持ち、誤りを認めようとしない。博士もAIを擁護し、次第に我を失っていく……と言うプロット。
AIの恐怖を描いた先進性はともかく、本作が人種問題の作品であることは、日本に生きる我々には少々理解が難しい。
この物語が暗喩するのは、飛び抜けた能力で社会から評価を受け、地位を得たマイノリティの苦しみだ。常に完璧を求められ、ひとつの失敗で社会から振り落とされてしまう、隠れた差別を描いている。
この複雑な問題を1968年のTVドラマに持ち込んだことこそ、評価されるべきだと思う。
「タイムループもの」といえば誰もが1作ぐらい頭に浮かぶだろう。映画『恋はデ・ジャ・ヴ』など様々な傑作がある。
しかし、それらの作品の多くは、「なぜ」タイムループが起きるのかを説明しない。なぜか寝て起きるとループしてたり、なぜか恋が成就するとループを抜けたり……。
スタトレ世界でタイムループを描いた本作が優れているのは、その「なぜ」が明確に定義されており、それを解決することが物語の目的になっている点だ。
突如として起こる反物質爆発で時空ループが生成されると、キャラ達は過去に戻される(都合よく前のループの記憶を保持したりしない)。
そこから毎回、艦のクルーたちは僅かな違和感から少しずつ状況を理解し、「なぜ」かを探り、回避するための答えに近づいていく。
ご都合主義的な「ふしぎな現象」はなく、戦うべき悪役もいない。ハードSF的な状況で、知力に頼ってロジカルに物語を進めていく。しかしこれが最高に面白いのだ!
舞台は艦のセットのみ、登場人物もレギュラーのみというミニマルな作品だが、スタートレックのSF性、センス・オブ・ワンダーを代表する1作だと思う。
スタートレックのフランチャイズ化は、TNGによるリバイバルを経て実質このDS9から始まった。いままでと違ったスタトレを作ろうという意欲に富んでおり、非常に作家性の強いシリーズだ。
未知の世界を訪れる宇宙船でなく、未知の存在が訪れる宇宙ステーションを舞台とし、全7シーズンの後半では巨大な宇宙戦争を連作として描いた。最近の『ディスカバリー』などのシリーズも、本シリーズがなければ成立しなかった。
その総決算と言うべきこのシリーズ最終話は、単体で観るとなると評価が難しいが、173話の積み重ねの末の1話としてみると、ずっしりとしたものが心に残る。
DS9はシリーズで初めて黒人俳優を主役とし、戦争犯罪や植民地主義のもたらす被害をストレートに描き、舞台となる異星の宗教と重ね合わせることで人間の信仰心をも題材にした。
更には、「これは一人の狂った黒人の観た夢なのではないか……」というメタレベルの視点すら取り入れ、多様な視点と重層的な葛藤、その先にある善とは何かを描こうとした。
シリーズに長く付き合うことでもたらさせる重い感動を体験してほしい。
ヴォイジャーはハードSF的な物語よりも、キャラクターの成長やモラルに焦点を当てた傑作が多いが、敢えてSF的なセンス・オブ・ワンダーに満ちた本作を推す。
ネタバレしてしまうが、これは「恐竜人類」の物語であり、「ガリレオ・ガリレイ」の物語だ。
遥か昔に宇宙に出て進化したある種の恐竜と、銀河の反対で出会ってしまった宇宙船ヴォイジャー。それを、なんと恐竜人類側の視点で描く。
故郷の星に、自分たちとは異なる知的種族がいたという事実を知った科学者の知的興奮と、その発見を社会から拒絶され、迫害される恐怖。
SFの根幹である科学そのものを主題にし、人間と科学の関係性に向き合った、ひとつの到達点。深い感動をもたらしてくれる傑作だと思う。
『スタートレック:エンタープライズ』以降停止したTVシリーズを、配信に適した連続劇フォーマットで復活させ、『ピカード』などのシリーズの端緒になった『ディスカバリー』の最終話。
連続劇で見せるスタトレにはまだ課題が多く、特にディスカバリーのシーズン4,5、ピカードのシーズン2などは間延びして物語の行先がわかりづらいという批判があった。
しかし、それらの連続劇も、最終話に来ると、そこまで迷走していたテーマが急にシャンと鮮明になり、ああ、なるほどこういうことだったのか、という感動をもたらす。
特に本エピソードはディスカバリーのグランドフィナーレとなるだけあって、描かれるものも壮大だ。銀河の知的生命の発祥の謎を求めて行われるトレック(旅)である。
しかしその結末、謎は解明されることはない。その代わりに提示されるのは、「真実を求めるトレック」とは何なのか、という命題だ。
スター・ウォーズやマーヴェル作品、ガンダムのような複数作品がひとつの歴史を形作るシリーズの楽しみは、クロスオーバー、そして「設定の穴が埋まる瞬間」だろう。
子供向けのCGIアニメシリーズとして作られた最新作であるプロディジーは、この設定の穴埋めを、他のどんな作品よりも見事にやって見せた。
新スタートレック、ヴォイジャー、ディスカバリー、ピカードなどの実写作品の設定を少しずつ掬い上げ、時に大胆にプロットに取り込んで、独立して楽しめる作品になっている。
その頂点がこのエピソードだ。シリーズを通じてのマクガフィンであったヴォイジャーのキャラクター、チャコテイの姿が見えた時は、その絵だけで感涙してしまった。
実にオタク的な楽しみだが、フランチャイズ作品に長く付き合ってきたものだけが味わえる、究極の悦楽がここにある。
プロディジーの日本語版は、2024年10月時点では製作されていない。英語版だけならNetflixで子アカウントを作り、基本言語を「English」」に設定することで観られる。
はっきり言ってシナリオの全体的な完成度は高いとは言えない。その質についても、表現手法についても注文の付く作品である。しかしどうしても外すことができない一篇がこれ。
1960年代、宇宙大作戦で人種や性別による差別のない理想世界を描いたスタートレックは、1990年代になりその理想のほころびを正直に描くように変化した。
本作で暗喩されるのは、性的マイノリティの直面する差別であり、同時に女性の権利でもある。
物語では、両性具有の種族の星に生まれた「女性」が、女性であると言うだけで罪とされ、矯正を施されようとする。
それは90年代に入るまで見過ごされてきた同性愛者への差別と、「治療」という名の暴力の告発である。
矯正の場へと連れていかれる彼女が最後に、法廷の場で叫ぶ。「私は女だ!」と。
自らの性を自らの物として誇れない、自由に語ることもできない、あらゆる属性の、抑圧された人々の叫びが、そこに込められている。
新スタートレックの日本語吹き替えは名優揃いで品質が高いが、これだけは英語版で観てほしい。その叫びは、魂の演技だ。
今回入れていないランキング定番としては、タイムトラベルの古典的傑作『危険な過去への旅』(TOS)や、エミー賞にノミネートされた世界でもっとも儚いロケットの打ち上げシーンが見られる傑作『超時空惑星カターン』(TNG)がある。
SFらしさが感じられるエピソード中心なので、人気の高いボーグのような強大な敵との対決とか、クルー同士のファミリー劇的な人情エピソードはあまり入らなくなってしまった。
また、『エンタープライズ』(ENT)、『ローワーデッキ』(LD)、『ストレンジ・ニュー・ワールド』(SNW)の作品も入らなかったが、もちろん傑作、快作はいくつもある。
ENTはバルカン人の設定を完成させた『バルカンの夜明け』3部作、LDはアニメならではの手法で連邦、バルカン、クリンゴンの若者たちの生活を描き交錯させた『wej Duj』、SNWは過去作の設定を活かしつつ現実の21世紀の社会情勢を24世紀の世界へと繋いで見せた第1話『ストレンジ・ニュー・ワールド』や、アースラ・ル・グインの小説『オメラスから歩み去る人々』のオマージュである『苦しみの届かなぬ高さまで』を推す。
アロサウルスを料理したらチキンと同じ味がする…?という面白い仮説ですね!
残念ながら、アロサウルスを料理して味見をすることは、現実に不可能です。
絶滅している: アロサウルスは、恐竜時代の肉食恐竜で、すでに絶滅しています。そのため、現存する生物ではありません。
倫理的な問題: 仮にアロサウルスが生きていたとしても、絶滅危惧種である可能性が高く、食用にすることは倫理的に問題があります。
安全性の問題: 肉食恐竜の肉には、現代の食生活に適さない細菌や寄生虫が含まれている可能性があり、食中毒などの危険性も考えられます。
恐竜の肉が鶏肉に似ているという想像をする人がいるのは、恐竜と鳥類が共通の祖先を持つため、ある程度の身体構造や代謝が似ていると考えられるからです。しかし、現代の鳥類は長い進化の過程を経て、現在の姿形や肉質を獲得しています。
恐竜の肉の味については、様々な憶測が飛び交っていますが、確かなことは何もわかっていません。恐竜の種類によって、肉質や味は大きく異なっていた可能性も考えられます。
まとめ
アロサウルスの肉がチキンと同じ味かどうかを科学的に証明することは不可能です。これは、あくまで面白い想像の範囲内のお話として捉えていただくのが良いでしょう。
男の子を育てていると、女の子の方が大人しいし落ち着いているし
その批判も浅すぎるというか本当の問題をきちんと洞察できてないというか。
さわ🦕🦕🦕
@sawaaaaaaiii
男の子を育てていると、女の子の方が大人しいし落ち着いているし周りと調和も取れていて生物的に優れてない?ってどうしても思ってしまうんだけれど…
社会に出ると偉い人の男性比率は高いし、本当になんで??って首を傾げたくなる
この🦖がいつかは人間になるんですかね…
発端の発言はこれ。
これは見た瞬間、発言内容を貫通して
「なんだこの発言?」 「この発言の意図や動機は?」 「発言者の立場は?」
はてブの反応はそこまで行かず、
発言に批判的なコメントにしてもただ「短絡だヘイトだ差別だ」って言ってて
もちろんそれもあるけどそこだけじゃないのよ。
じゃあ何なのか。
わかる人間はもうこれ見た瞬間にピンとくる、「あ、これ媚びだな、お追従だな」って。
これはなんかしんねえけど文字見た瞬間パッとわかる。
主体的なヘイトなのか、誰か別のヘイターへの媚びなのか。このママは後者。
「さわ🦕🦕🦕」
これ何だと思う?
これは恐竜三匹、
キッショイよねえ。
いまはデカい枠組みの話をしてる。
つまり、こうやってなんかしらんけど子供の性別とか年齢とか「基礎情報」的なものを
アカウントやプロフィールの目立つとこに全開示して交流するっていう
この人はそのルールに従ってるわけ。
ごめんもう性差別するわ。
男女の優劣って話に乗るならば、
すぐこういう無駄に細かくて本質的でもないみみっちいゴミルール無限に作って
そこに従わない奴をネチネチいじめて揃えさせていくゴミそのものな非生産的界隈を作りがち
って言うその一点で個人的には女って男より生物的に下だと思う。
しかも女は自分らのそういう不味いとこをせめて自覚や自戒してるならまだしも、
実際には逆にそんなくっだらねえ有害無益なことを「落ち着き」 とか 「周りとの調和」 とか表現して女同士で悦に入っちゃってるわけ。
んでそういう女のゴミなとこを指摘して笑ってやる人が現れると頭おかしくなったみたいにヒスるか黙り込んで泣くでしょ?
そういうコアな批判に反論していくなり指摘を受け入れて改善するなりという事は決してなく、楽ちんで甘美な”被害者”に逃げ込むっしょ?
女同士ですらわりと陰湿で加害的な振る舞いをするのに、それを言われるとひたすら被害者ぶって耳塞ぐ。
だから個人的には女って言葉すら通じねえから適当に調子合せるしかない低能どもだなと思う。心底思う。
うんうんそうだねって合わせてやって、あまり調子に乗るなら怖い顔になってわからせるっていう頭悪いガキの躾みたいに対応するのが一番合理的。
でね、このさわママはそういう女の下劣面たるルール志向やいじめ趣味・差別娯楽にいま苦しめられてる人だと思うんだわ。
昨今、ネット中毒のキチガイ女の界隈内で猛烈な男児叩きの風潮があるわけ。
男児に性加害を受けたというおばさん達の報告がネット上にたくさん上がっててちょっとしたブーム。
その”被害報告”はすげーよ。
道で見知らぬ小学生に迫られキスを要求された子持ちのアラフォーおばさん(小学生は「奥さん」 と呼ばわって口説いてきたそう)だの、
銭湯の女湯でママに連れられた3歳男児に性加害を受けたうえ暴れる3歳児を取り押さえられず脅威を感じた成人女性だの。
まあもう一読して話者の知能やメンタルを疑ってしまうレベルの荒唐無稽な嘘松なんだけど
そういうのが女性に大バズリして5万いいねとかつくようになってるの。
女の界隈の娯楽が行くところまで行ってしまったなという末路に見える。
従来はキモオタとかをダシに使ってたんだけど近年は猛烈に反撃されて怖い思いするようになったので
殴り返してこない男児がターゲットになってきたんじゃないかって言われてる。
で、これを我々は笑ってられるけど
そうではなくて、
ネットに基礎情報(このママの場合は男児ばっか3人育成)開示して社交をしているママが
近年のネットの女界隈での異様な男児叩きとヘイトの空気に恐れをなして
男児叩きに追従しながら「私は”わかっている側”ですから見逃してください」
と言うものだと思う。
マジで。
恐ろしい話でしょ?
「性差別的発言してまでそんなもんに追従するぐらいならくだらんネットを絶てよ」って意見もあると思うけど
人によってはネットが社会であり世間だし、基礎情報開示するぐらいネットがリアルである人ならネットのリンチの空気には委縮して追い詰められるよね。
そういう視点でママのログやら昨今の男児叩きの盛り上がりやら裏取ってみてほしい。
家族を守るために先に家族内で処罰を加えて「「この通りです」と社会にアピールする、
そういうエピソードって本とかでは読んだけどさ。
あっ本当にやってる!
愚劣なリンチもそれから逃れるための適応力行動も本当に人類のリアルなんだ!
っていうのを近年のネットのあの界隈は見せてくれるんだよね。
はてブでよくあるみたいに雑に撫でて吊るす前に
まで見てみてほしい。
おわり。
「みんながヘイター扱いしたこのお母さんは(表面的な言辞とは別に内的動機として)ヘイターではなく、ヘイターの脅威で言動が変になってる気の毒な人なんじゃないの、
っていう話をしたんだけどさ。
この程度にいりくんだ話だとマジで読めね~いつものアレが、「今から性差別しまーす」って書き方で書いておいた部分のみにくいついて「あ!こいつは性差別者だ!僕の知り合いの女性はお前みたいな差別主義者より上等でちゅ!」
とか言いに来てるわけ。
お前らはさ、
誰かより上等な理性とか高い見識のような、
「平均より優れたなにか」を持ってるんじゃないのよ。
そういうことをほとんど読めないわけ。
構造的に少し入り組むと全く読めなくなる。悪口とかじゃなくマジで。
お前らにとってこのエントリのほとんどは脳に入ってこない、お前らのそういう困難さを俺はもうお前らよりもよく把握してる。
そんな平均よりやや読解や思考が苦手なお前らが
それでも大声で「議論参加」をするために編み出したのが、
「いーけないんだ!」
ってやる精神活動なわけじゃん。
なにか治療法やその糸口はあるのか、生得的限界なのか、どっちなんだろね。
別のひでーのにバトンタッチしやがった
見た瞬間、発言内容を貫通して変な匂いがする(太字)。わかる人間はもうこれ見た瞬間にピンとくる、「あ、これ媚びだな、お追従だな」って(太字)。なんかしんねえけど文字見た瞬間パッとわかる。/暇空とか好きそう
2024/10/15
→暇空とか好きそう!暇アノンだ!
内容よくわかんねえ、
だから表層や断片から「こいつはきっとこうなんだ!」って非難する。
「部落だ!」とか「在日だ!」とかが「暇アノンだ!」になっただけ。
事実や論理はどうでもよくて「相手は劣った忌まわしい奴なんだ!」って吠えるスタイル。
これより上等な処理をするスペックが脳にない。
これさあ、
俺に対してとかじゃなくてずっとこんな感じの処理しか出来ないIDがかなりの割合でいるし、
ここはそういうのがちょくちょく支持の星を集めて上位になってる。
バカにした感じで書いたけど
お前らよりも率直にお前らの困難を計れてると思う。
若い頃にいろんな物に興味を持つ。興味を持ったらその方面に突っ込みたくなる。
最初はミニカーだったり電車だったり簡単なギア同士のメカニクスに感動する。次第にロボットが気になりだしたり、変形合体のメカや構造に興味が向いたり。
男子であればだいたいは通る。メカじゃなくて恐竜方面に行く子もいる。
そうやって興味が湧き、触れては知り尽くした気になって飽きが来てはまた新たに興味を示すものが現れては消える。これ繰り返しながら徐々に複雑なものへ興味の矛先が遷移していく。
やがて中学生になればその時に最もハマっていた事に一生を費やすようになるとまで言われているが、かといって他に興味が映らないわけでもないしこの頃には知能も上がり知識も蓄積されていくのだから、興味の向く幅は広がり続ける。
いつしか高額なものに出会ったり、それを欲したりもするようになる。これは成人してからもずっと続く。この時に断念の仕方にいくつかパターンがあるが、今 40 代のおっさんが主に感じている残念な断念方法について語っていく。
20 代の頃は服が欲しかった。多分世代的には最後の裏原宿世代なのではないだろうか。今はもう死語になって久しく誰もこんな言葉を覚えていないレベルなんじゃないか。裏原宿という原宿の路地側に並んでいるショップ(服屋)が好んで取り扱うような衣類全般で、情報量の多いデザインが並んでいてそういった服が好きだった。
私服でよかった会社にはそういうところで手に入れた服を着て行っては、同僚に何かしらポジティブなコメントをもらえたりご満悦だった。
一方で 20 代中頃に付き合っていた彼女は良いところの出で、デートで家具屋なんかも行った。
家具屋で見つけた棚の扉が締まり切る瞬間にちょっとブレーキがかかってパタンという音をさせないようにするギミックやソファの柔らかさについて語っていた。家具に興味がなかった、モノが置ければ良いと思っていた俺からすると、良いものを知っていてその良い理由を語れる彼女が好きだった。
そういった知識を身に着けてしまうと、欲しいと思う基準がすこしずつ変わってしまう。いつしか引っ越し後に手に入れたい家具はそういった「良い品」を求めるようになったし、家具に限らず年を経て良さを知ってしまったものはどんどん基準が高くなっていった。
しかしお金のない 20 代ではそんなものは手に入らない。手に入らないから断念するわけだがこの断念方法は今思うと良くなかった。
欲しいという気持ちを抑えたりするのではなく、興味を失わせるやり方をしていたからだ。欲しい!なぜなら〇〇だから、でも買えないから諦めよう。ではなく、いやおれは興味ないから、という感情レベルで萌芽する部分から芽を摘むようにしていた。大きく育ってから耐えるよりも、最初のうちに刈り取ってしまえば我慢もせずに済む。
そういったことを 10 年以上繰り返していると何が起こるかというと、誰かが何かを欲しいと思う気持ちが全く理解できなくなる。必要であれば理解できるが、ただ欲しくなる気持ちが全くわからない。
あらゆる購買意欲がゼロに近くなってしまい、モノを買わなくなってしまった。家には本や仕事でつかう機器が並ぶだけに。
そして何が困っているかというと、商品開発だ。仕事で企画を出すにしても何かを欲する物欲がわからなくなってしまったことで、訴求ポイントに自信が持てないまま企画を出すような始末になってしまった。
この感覚は、金持ちの人生を送って適度に物欲を満たす生活を続けたり、キャバ嬢や専業主婦のように他人を使ってでも物欲を満たさせる生活を送って来なければ発達させることのできなかったのではないだろうか。
もしかしたら年令によるものなのかもしれないとも思うが、振り返ってみれば若い頃の貧乏生活が転じてそのまま物欲殺しをしてしまったと思えてならない。かといって後悔しているわけではないものの、単純に仕事でこの感覚が疎く解像度が低くて困っている、という話。
------
「のび太と竜の騎士」までは藤子不二雄名義で、「のび太の日本誕生」以降、 藤子・F・不二雄なんだけど、
個人的には、「日本誕生」以降はどうも物語のスケールが小さくなって、迫力が落ちている感があるのだけど、(敵役が小物すぎたり、話のまとまりが弱かったり、テーマ設定が弱かったり)
ただのネタ切れなのか、体力の低下なのか、脚本やプロットに関わるスタッフなどの制作体制に違いがあったのか……なんなんすかね?
「竜の騎士」と「日本誕生」の間の年に、体調不良で原作描けずに作られた映画「パラレル西遊記」があるのだけど、
やはり体力の低下が大きかったのかな。
まあ、「竜の騎士」以前が良い!ってのは主観的な感想だけど、そこまではやっぱり物語にエネルギーが満ちてると思うんだよね。
宇宙で西部劇とか、海洋冒険とか、秘境冒険映画とか、スター・ウォーズみたいな話をやりたいとか、恐竜の隕石での絶滅説で一本やりたいとか、素直な創作衝動があってよいのだ。