はてなキーワード: ニックネームとは
在宅でずっと一人で仕事をしているので人と話がしたい。
そんな理由でオンラインカフェ会を探しているのだが、中々いいのがない。
読書会とかにも参加したけど、参加者の持ち寄った本のジャンルがてんでバラバラで、あらすじや感想を聞いても、わぁ読みたい、と思わなかったし、たぶん私の本もそう思われてた。
難しいよね。
若いころオフラインのものに参加したら、勧誘の嵐でこんなものに数千円も払ったかと思うと腹が立って仕方がなかったから。
後、異様にポジティブで「夢を語ろう」とかいう系も、胡散臭すぎる。
で、穏やかそうな会があったので試しに参加したのが先日。
これもひどかった。
臨床心理士主催の会、とは聞いていたけど、普通に雑談という体だったので気にしなかったのだが、1人ずつ自己紹介が重い。
発達障害の子供のサポートが~、介護士をしていて老々介護の現状が~、新宿を歩くと家庭環境に問題がある子供が~(いわゆるナンチャラキッズだよね?)、等々、何でそんな重いの?
かと思えば、参加者同士、合いそうな人が居ればLINEグループを個別に作ってつなげることをしてる、とか。
多分、そういう「つながり」(←手あかがつきすぎて大嫌いな言葉)を求める人たちのためにカフェ会ってあるんだろうけどさ。
私が求めてるのは違うのよ。
確かに一人で在宅勤務でずっとやってるけど、毎日人と話してるの。
仕事で(コールセンターなどでない)クライアントさんとオンライン通話したり、営業ビデオ通話したりしてる。
ただ、基本ずっと話を聞く側になるので、プライベートな会話をサラッと楽しみたいだけなのだ。
あとね、よくオンライン会であるのが「顔だしお願いします」の一言。
あれね、いらねーーーーーーーーーーー!!!
仕事では止む無く顔出ししてやってるけど、常に画面上に相手の顔と自分の顔が映し出されてるのって怖くない?
仕事中は極力画面共有したり、ビデオ画面を最小化してみないようにしてるけど、ただし、失礼のないようにビデオカメラを必ず見つめる、リアクションを大きめにとるなど、オンラインならではの接客の苦労があって。
顔出しも勘弁してくれよ。
ネットリテラシーはここにはないのかよ?と思う。
先日の会では「大きなリアクションをもらえると司会者として助かりますねー」とか「ビデオ通話だからこそ、興味がない話の時の表情も丸見えなのでご注意ください」とか言われて。
ここに来る人たちって、普段オフラインで話してる人たちなのかもしれない。
だから、平気なのかな?
私は毎日やってるから、オフの時ぐらい、すっぴんでビデオなしで、飲み食いしながら頬杖ついたりだらけた感じでダラーッと好きなことをしゃべりたい!
私の選び方が間違っていたのかもしれない。。
とはいえ、対面のカフェ会に参加した時は、その場は良かったけど、職業を話したら、変な人に執着されて、かなり困った。
LINE無視してたのに、半年以上たって、またLINEきてギョッとしたもの。
はっきり断ってブロックしたけど。
(以来。職業名も伏せている。めんどくせえわ)
匿名で、ビデオオフで、サラッとその場限りの会話を楽しめるオンラインのカフェ会が欲しくて、こっそり企画して募集をかけている。
今のとこ反応なしw
まぁいつか誰かが来るかな、というくらいのうっすい希望でやってる。
きっとそういう場を求めてる人っているはず。
顔出ししてくれる方が安心、っていうけど、ネット上に顔出すリスクは無視なのかな?といつも思う。
仕事上、ネットに顔と名前(の一部)を出してるけどそれでも嫌だもん。
万が一カフェ会で私のクライアントと鉢合わせたらとか考えるほど身バレが怖い。
すごく疑問。
大阪万博に行ったら抜かれる個人情報量が半端じゃないんだけど。
万博失敗したら大変なことになるのに、メタンガス爆発とか岩のバーゴラとか液状化しやすい土地とか、津波からの逃げ道がないとか、物理的恐怖の他に、個人情報抜かれすぎて怖いまで追加してくるなんて、維新はやる気あるの?
氏名
生年月日
パスポート番号
クレジットカード番号等
生体情報
顔画像
音声
指紋等
団体名
部署名
役職等
LINE、X、Facebook、Instagram又はGoogle等のアカウントやプロフィール、パスワードに関する情報等
言語設定
既婚・未婚の別
子どもの有無
趣味嗜好その他当協会の入力フォーム等の当協会が定める方法を通じてユーザーが入力又は送信する情報等(上記に含まれる情報を除く。)
端末の種類
端末識別子
あとこの個人情報を本人への同意なく第三者へ提供する場合が多すぎてガバガバでは。
(1) 当協会は、次の場合を除き、事前にユーザー本人の同意を得ることなく、個人情報を第三者に提供しません。なお、ユーザーは、当協会が提供するプラットフォーム上の管理機能を利用して、個人情報の第三者提供の同意について、撤回できる場合があります。
①当協会が利用目的の達成に必要な範囲内において個人情報の取り扱いの全部又は一部を委託する場合
②合併その他の事由による事業の承継に伴って個人情報が提供される場合
③人の生命、身体又は財産の保護のために必要がある場合であって、ユーザー本人の同意を得ることが困難であるとき
④公衆衛生の向上又は児童の健全な育成の推進のために特に必要がある場合であって、ユーザー本人の同意を得ることが困難であるとき
⑤国の機関若しくは地方公共団体又はその委託を受けた者が法令の定める事務を遂行することに対して協力する必要がある場合であって、ユーザー本人の同意を得ることによって当該事務の遂行に支障を及ぼすおそれがある場合
⑥当該第三者が学術研究機関等である場合であって、当該第三者が当該個人情報を学術研究目的で取り扱う必要があるとき(当該個人情報を取り扱う目的の一部が学術研究目的である場合を含み、個人の権利利益を不当に侵害するおそれがある場合を除きます。)
普段の何気ない会話の端々に、妙な言葉づかいや独特の言い回しを感じることがあった。たとえば、やけに「はてブがどうの」とか「増田でこんな話があって」などといったフレーズを使うのだ。わたし自身は以前からSNSはTwitterくらいしか触れてこなかったし、「はてブ?」と訊いても「はてなブックマークのことだよ」と軽く流されるだけだった。もちろん、わたしには特に興味もなく、「そんなものがあるのね」という程度でいつも終わっていた。
今思えば、彼のなかで何かを吐き出すための行為が「はてな匿名ダイアリー」だったのだろう。わたしが初めて「匿名ダイアリー」というものにピンときたのは、職場の同僚と雑談をしていたときだった。そこでは、ニュースサイトやSNSには決して書けないような本音や愚痴、あるいは日常の裏側を覗き見ることができるという話題で盛り上がっていた。わたしは正直、その場に居ながらあまり話についていけなかった。ふだんの生活で、そこまで"裏の声"に触れたいとも思わなかったし、それを必要とするほどの秘密や不満を抱えているとも感じていなかったから。
だけど、そのとき話に出てきた「増田」というニックネームの存在だけは頭に残った。なんでも、はてな匿名ダイアリーの投稿者を「増田」と呼ぶらしく、投稿される記事の多くは日常の不満や、家族や恋人への隠された感情、職場の内緒話などが一気に吐き出されている、いわば"匿名文化"の最前線なのだそうだ。
あまりにも秘密めいていて、少し不気味に思った。身近な誰かが、あそこに匿名で何かを書いているのかもしれない。そう思うと、世の中のどこに潜んでいるか分からない"本音"のかけらが、いつか自分自身に向けられる可能性だって否定できないわけで、なんだか落ち着かない気分になった。
それから数週間後、わたしはパートナー――以下、彼と呼ぼう――の部屋で何気なくノートPCを眺めていた。というのも、彼がシャワーを浴びているあいだ、友人からのメッセージを処理しようと思ってパソコンを借りたのだ。もちろん勝手にプライベートなフォルダを覗き込むつもりはなかったし、最初は本当に必要な作業だけを終わらせるつもりだった。
ところが、ブラウザのタブを見ていると、どうやら「はてな匿名ダイアリー」で何か投稿しようとしていた様子がうかがえた。たまたま前に開いていたタブの履歴に「投稿完了」みたいな文字が残っていて、わたしは一瞬、まじまじとそのタブ名を凝視してしまった。もちろん、タブをクリックすればどんな記事を投稿したのか、あるいはすでに誰かがコメントしているのかを見られるのかもしれない。でも、そこに手を伸ばすかどうかで、わたしはものすごく迷った。
たぶん、わたしは彼を信じていたし、勝手にプライベートに踏み込むことは、もうその時点で裏切り行為のようにも思えた。とはいえ、同時に好奇心に燃え上がる心が抑えられなかったのも事実だ。「ほんとうに彼が書いたものがそこにある? もしかしてわたしに関する話題が載っているかもしれない?」そんな疑問が頭をぐるぐると駆け巡っていた。
結局、数秒だけ躊躇して、わたしはマウスカーソルをそっと動かした。そして「投稿完了」と書かれたタブを開いてしまった。そこには、ほんの数分前に投稿されたばかりらしい文章が表示されていて、タイトルの部分に「恋人と意見が合わない」とあった。
胸がドキリとした。わたしと彼は最近ちょっとだけ意見が食い違うことが増えていた。お互いの仕事が忙しくなってきたこともあるだろうし、生活のリズムが違うのがストレスになってきたというのもある。だから内容を確かめるまでもなく、「ああ、やっぱり彼はわたしのことを書いているんだな」と直感的にわかった。
しかし、そこに綴られていた文章は想像を超えていた。ここ数日の出来事を通じて、彼はわたしの態度が冷たくなったと感じており、自分の存在意義すら疑いかけているようだった。わたしはそんなに冷たくしていたのだろうか。仕事が大変で、たしかに気持ちに余裕がないことは認める。でも、彼がそこまで自分の心を追いつめていたなんて、気づいてあげられなかった。
もちろん、エントリは匿名で書かれているから、わたしの名前なんてどこにも出てこない。ただ、「同棲中の彼女が最近忙しくて、何か話しかけても気のない返事ばかり」というような表現がはっきりと状況を示していた。彼女がわたしだということは、少なくとも当事者のわたしならすぐにわかる。書き手が彼であることも、間違いなかった。
わたしはそのエントリを最後まで読んだ。彼のささやかな悩みと不安、そして寂しさが、行間に滲むように浮かび上がっていた。それと同時に、まったく別の感情がわたしの中に湧きあがってきた。――これは、一方的な言い分じゃないか。彼も忙しい時期だったのに、わたしばかりが冷たい態度を取っているかのように書かれている。でも、わたしがただ無視していたわけじゃない。そうせざるを得ないときだってあったし、お互い様の部分もあるでしょう、と。
苛立ちと申し訳なさが入り混じって、わたしはブラウザをそっと閉じることにした。戻ってきた彼に問い詰めるべきか、それとも黙っているべきか。その数秒のうちにたくさんの考えが頭をめぐり、結局わたしは何事もなかったようにパソコンを返し、「ありがとう」とだけ告げた。
ところが、それで終わるはずがなかった。わたしは自分でも意外だったのだが、その日の夜、こっそりスマホから「はてな匿名ダイアリー」を覗きに行った。さっきのエントリのコメント欄が気になって仕方がなかったのだ。そして、誰かが「同棲中ならしっかり話し合ったほうがいい」「忙しいのはお互い様だよ」といったコメントを書いているのを見つけて、わたしは複雑な気分になった。他人の言葉なのに、なぜか耳が痛い。そう言われると、わたしが彼の話を聞く時間を本当に作ってあげていたか、自問することになる。
翌日、仕事が終わってからわたしは勇気を振り絞って彼に切り出した。「ネットでさ、匿名で気持ちを吐き出すのって、どう思う?」当たり障りのない聞き方だったけれど、彼はやけに「ん?」と反応して、目を逸らすようにして笑った。「まあ、人によってはそういうのもアリなんじゃない?」彼が答えたのはそれだけだった。
その直後、わたしは仕事や家事の合間をぬって、さらにいくつかのエントリを読んでみた。同じIDかどうかはわからないけれど、タイトルや文章の雰囲気、細部でふと感じる気配から、「あ、これ彼が書いたんじゃないか」と思しき投稿がいくつかあった。テーマは多岐にわたっている。仕事の愚痴、家族の問題、ゲームの攻略メモのようなものから、恋人とどこでデートすべきか悩む話まで、本当にいろいろだ。わたしの知らない彼の一面がそこにあった。
ただ、好奇心と同じくらい罪悪感も大きくなっていった。だって、やっぱり勝手に彼の書いた記事を探し回るなんて、うしろめたい行為だと思ったからだ。一方で、彼が匿名で吐き出している本音を「知りたい」という欲求は抑えられなかった。
それならば、いっそわたしも「増田」になってしまえばいいのかもしれない。そう思ったのは、このまま何も言えないままでいるよりも、同じフィールドに立ったうえで彼の心の動きを感じたいという衝動があったから。自分で文章を書くことで、彼の気持ちに近づけるものがあるかもしれない。そう考えて、わたしは深夜、初めてはてな匿名ダイアリーに投稿しようとした。
ところが、いざ投稿画面を開いてみると、何を書いていいのかわからない。彼について書けば彼の秘密を暴露しかねないし、それは誰かを傷つけるかもしれない。だから結局、日常のささいな感想や仕事で感じたストレスを数行だけ書いては消し、書いては消し、を繰り返すだけだった。
そのとき感じたのは、彼があれだけ多種多様な感情を匿名で自由に吐き出していたのは、単純に自分を守りながら本音を書けるからだけではなくて、書く行為そのものが彼の救いになっていたのかもしれない、ということだった。わたしにはなかなか打ち明けられないことでも、見知らぬ誰かに向けてなら素直にぶつけられるのだと。そこに共感やアドバイスが集まれば、一瞬だけでも孤独を感じずにいられるのだろう。
そう考えると、わたしは彼が自分に隠れて匿名ダイアリーを書いていたこと自体を責めるよりも、むしろ「もっとちゃんと話してほしかった」と思うようになった。もちろん、ネットに書くよりもずっと勇気のいることだろう。けれど、一度でもいいからわたしを信じて本音を話してくれていたなら、ここまでこじれなかったかもしれない。――これはわたしの勝手な言い分かもしれない。もしかすると、すでに彼なりに努力した結果として、それでも言えなかったのかもしれない。
わたしはある晩に彼を真っ直ぐ見つめて言った。「最近、わたしすごく忙しかったし、言葉が足りなかったかもしれない。それは悪かったと思ってる。でも、もし何か思うことがあるなら、ネットじゃなくて、わたしと直接話してくれないかな」。すると、彼はしばらく黙ったあと、不意に笑って頷いた。「ごめん。あんまりにも気軽に吐き出せる場所があったから、そっちに逃げてたんだよね。話すのが苦手で……」
その夜、わたしたちは今まであまり触れてこなかった話題――将来のことやお互いの家族観、仕事のストレス、そしてずっと言い出しにくかった本音――を一気に共有した。どこまで理解し合えたのかは自分でもよくわからない。でも、彼がはてな匿名ダイアリーのユーザであるという“秘密”は、悪いものばかりじゃなかったのかもしれない。もしあのときわたしが気づかずにいたら、彼の不満や不安はネットの海のなかで増幅し、わたしたちの距離はもっと開いていたのではないかと思う。
匿名ダイアリーをすべて否定する気はない。それは誰にでも必要な逃げ場になりうるし、そこに書かれる文章が誰かを救うことだってある。だけど一方で、わたしは彼と直に話し合うことでしか埋められないものもある、ということを強く感じている。「匿名の場所だからこそ言えること」もあるだろうけれど、「顔を合わせてだからこそ言えること」もまた存在するのだ。
いまでも、彼がどんなエントリを投稿しているのかはわたしにはわからない。おそらく、匿名で書き続けているのだろう。わたしはあえて踏み込まないようにしている。知りたい気持ちがまったくないわけではないけれど、結局のところ、「誰が何を書いているのか」を追いかけるのはきりがないし、それこそ信頼を損ねる行為だと思うから。
それよりも、彼が本当に苦しいときや寂しいときに、わたしに言葉を投げかけてくれる関係でありたい。はてな匿名ダイアリーのユーザであることは、彼のひとつの側面でしかない。たとえどんな匿名の場所に書き込んでも、現実世界で隣にいるわたしへの思いが消えてしまうわけではないはずだ。
もしまた、どこかではてな匿名ダイアリーを眺めているときに「これは彼が書いたかも?」と思えるエントリに出会ってしまったら。わたしは今度こそ、そっと画面を閉じるだけにするか、あるいは何も知らないふりを貫くかもしれない。けれども、わたしはもう「わたし自身の気持ち」を、誰かのコメントやスターに委ねるのではなく、ちゃんと彼と共有していきたいと思っている。
そう思えるようになるまでには、いろいろな感情の波があった。読んでは傷つき、読んでは見えない敵を探すような、そんな時期もあった。だけど最後にわかったのは、相手が何かを隠しているのではなく「言い出せないものを抱えている」状態こそが孤独を深めるのだということ。匿名ダイアリーの投稿を追い回すより、横にいる人間としてやれることが、たくさんあったのだ。
そして今、わたしたちのあいだには以前にはなかった小さな合言葉がある。「ネットに書く前に、ちょっとはこっちにも言ってみてね」――彼が困ったように笑って頷く、その顔がわたしにはなにより愛おしい。彼が誰かに向けて匿名でつぶやく言葉を無理に止めることはできない。それもまた、彼の大事な表現方法だろうから。でも、そんな彼をわたしは真っ向から受け止めて、一緒に笑ったり泣いたりしていたい。それが、ふたりでいる意味なのだと思う。
https://haiku2.hatenastaff.com/entry/20120831/1346390016
2012-08-31 はてなハイク2(仮称)を2012年10月1日に終了します
2009年11月28日からサービスを開始して以来、ユーザーの皆さまにご利用、ご愛用いただいてきた「はてなハイク2 (仮称)」ですが、2012年10月1日をもちまして終了させていただきます。
現在もご利用いただいているユーザーの皆さま、誠に申し訳ありません。深くお詫びいたします。ユーザー様にご投稿いただいたデータやコンテンツのうち必要なものは、2012年9月30日までにお手元への保存をお願いいたします。
はてなハイク2(仮称)の過去の投稿については、はてなココにある「ともだちの新着」ページで閲覧できます。はてなハイク2(仮称)のともだちは、10月1日以降は、はてなココに限定したともだちになります。ハッピィははてなココ、ニックネームはMyはてなとそれぞれ共通で、10月1日以降もそれぞれのサービスから編集できます。
「何を言うかより、誰が言うかだ」とはよく言われる話だ
いくらキレイなCMだろうと、最後に「創○○○」とわかれば誰もそのCMを信用しない
では具体的に誰が信用できるのか、それについてスペクトラムの観点から話す
注意点: ここでいう交友録は、その人物がフォローしている人物と、フォローされている人物両方を指す
つまり「ある人物Aは意識高い系だけど、ある人物Bはギリギリ意識低い系である」という境界点を見つけたいのだ
これは具体名を出すと名誉棄損の恐れがあるので、架空のニックネームHORIとHIROとしよう。架空であるので、具体名は任意である
HIROも意識高い系ではないか?と思うかもしれないが、基本的にはダラダラしたいおっさんなので、意識は低い
つまりHORIの交友録をたどれば、信頼できない次元の一つである「意識他界系」を割り出せる
HORIとHIROの共通属性、HORIにのみ強く関係する属性、HIROにのみ強く関係する属性、HORIとHIROに共通しない属性、の4つに分類される
最も信用できるのはHORIとHIROの両方に共通しない属性の人々で、発言力はないが、まともな仕事をしている
次に信用できるのはHIROにのみ強く関係する属性で、基本的に胡散臭い頭脳労働者の部類になる (つまり楽して稼ぎたい系)
HORIに関係する属性の人は、バリバリ働きたい詐欺師、といった感じの人たちで、基本的に信用できない
HORIとHIRO両方に関係するのは虚栄心で「有名だからフォローしている」といった連中だから信用できない
つまり胡散臭さのベクトルが違うわけである。HIROは意識の低い頭脳労働虚業系の胡散臭さ、HORIは他界してるゾス系詐欺師の胡散臭さがある
レシピ系とは、仕事に対する具体的手順を公開できるタイプの知識である
数式、ソースコード、料理レシピ、楽譜、農作業手順、インフラの設計、などがこれにあたる
それに対し、発信系とは、哲学・文学・自己啓発、など、言葉が主体となっている知識である
例えばリーナストーバルズはレシピ系、Tom Scottは発信系となる
アウトプットを残している人々を観察し、まったくレシピを公開しておらず、文章ばかり書いたり自己啓発系動画ばかり発信している人がいたら、その人は全く信用できない
具体的交友録としては「メディアに頻繁に顔を出すが、学術界の実績が皆無または詳細が不明」といった学者の交友録をたどれば、信用できない人間を炙り出せるだろう
他人に嘘をついたり騙したりする人というのは、詐欺手法以外の具体的レシピを持っていない、だから発信を好むわけである
ただし、詐欺手法以外の、価値のあるレシピを持っていて、発信もしている、というタイプは比較的信用できる
一方、レシピも持ってないし、発信もしていない、というタイプはサイレントマジョリティーであり、発信しているタイプよりも友人として信頼できる
創○、統一教会、共産主義者。これらは信用のできない政治系の人々である
政治系と最も遠いのがゲーム系で、ゲーム情報を追いかけるためだけにXを登録している
ゲーム系の人々は、しばしば数学、コンピュータサイエンス、物理学などの知見を持っていることがある
20で増田を産んだら(産むのは母だけど)増田がハタチになるころ父ちゃんが40さいでしょ?すご!わっか!って感じだよね。40なんてまだまだ見た目若いし元気だし最早ともだちまであるよね。で、そういう現役で元気な父ちゃんと酒飲んで語り合ったり釣りしたりキャンプしたりなんかそういう思い出つくりたかったなーって時折うっすら思うのよ。ともだちみたいな父ちゃん、ほしかったなーって。
まあそもそも増田は父ちゃんいないんだけどさ、小学校にあがるちょうど手前で離婚しちゃってそこからずっと母親の手ひとつで育てあげられてさ。爺ちゃんはいたけどなんか部屋にひきこもってずっと静かに本読んでたまに出てきたと思ったらむずかしい顔して録画した映画(ビデオ)みたりするような陰気な爺ちゃんだったから、なんか不完全燃焼なんだよね。
ちなみに両親の離婚理由は父ちゃんがある日いきなり「種子島で宇宙開発をやるんだ!それでひと儲けするからおまえも一緒にこい!」などと言い出して母親を誘ったらしいのだけど、それで母親はもう付き合い切れんってなってバッサリ離婚されちゃったんだって。ダッサ。そんな昔話を数年前に爺ちゃんから聞いてうわーそんなことがあったのーっていうかまさか増田のおめでたい幼稚園卒業の裏でそんなバカなことやってたんだなーって驚いたよ。父ちゃんはロクな仕事してなかったみたいでほぼフリーターみたいな人だったんだってのも聞いて、たしかにずっと家にいたような気がするなーとおもいつつも流石に幼稚園の記憶なんておぼろげもおぼろげだからわかりっこないんだけどね。よく肩車してもらった思い出しか残ってないや。
そんなわけでちょうど小学校にあがるころに親の旧姓に戻った増田だったけどまあ運がよかったというか、幼稚園では皆から下の名前のニックネームで呼ばれてて小学校にあがったら上の名前のニックネームで呼ばれるようになったので、割合切り替えはスムーズだったのよね。小学校以来みんなからマッスー!って呼ばれ続けるようになってもうどれくらい経つだろうか。運とタイミングがよかったなあってしみじみと思う。
なんの話だっけ?ああそうだ若い父ちゃんが欲しかったって話。でも夢見てるだけかもしれないんだよな。若いからと言ってあかるく元気に楽しくやっていけるかってそうでもないというか。逆に20で産んだとしてさ(産むのは母だけど)増田がぴちぴちの12さいのときに父ちゃんが32さいだぜ??32とかほぼお兄ちゃんじゃん。いやお兄さんか。どっちでもいいが、なんか若気の至りでやっちゃっていろいろかかえてしまった鬱憤を一切合切増田にぶつけてきそうじゃん?やだなー。そうだったらやだなー。