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2024-10-31

anond:20241029220006

あくま選択的だから同姓にしたい人に迷惑かけないって本当?

無駄休みを取りたがる阿呆として吊し上げる気満々

からない。無駄休みとはなにか。「姓を変える諸手続き休みを取るな、夫婦別姓しろ」みたいなことが言いたいのか。

ただ、元増田の言うことには一理あり、迷惑をかけないということはないと思う。

人間社会で生きる生き物なので、隣の芝生が気になるのは本能みたいなものだ。

隣の住人が裸で歩いていたら、直接の被害がなくても「気持ち悪い」「怖い」「はしたない」と思ってしまうのが人間なのだ

家族で姓が違うなんて社会の秩序を乱すものだ」と考えている人には間違いなく迷惑をかけることになると思っているし、迷惑をかけたからなんだというのかと思っている。

子供の姓どうするの?

どっちの姓にするかどうせ揉めるんじゃないの?

もめるだろうね、夫婦同姓と同程度には。

選択夫婦別姓がないと、男尊女卑が温存されるの?

問題を先送りにするだけの夫婦別姓

まあ、それはそう。韓国の家庭は母親だけ別姓なのが多いけど、これはよい状態ではないと思う。

なんで結婚したいの?

その権利パートナー制度とか作って保証できるようにした方がよくない?

よくわからない。

パートナー制度の姓はどうするんだろ。もし結婚と同程度の権利保障されたパートナー制度で別姓なら、結婚制度でそれをやればいいんじゃないの?

手続きめんどくさいとかはマイナカードに言えば?

簡単にできるような施策は走ってるわけで、そっちには触れないどころかないことにしてるのよくわからない。

よくわからない。本人確認の手間が少し削減されるだけでは。

マイナンバーに紐づいた姓が変更になったら、自動的民間契約情報が書き換えられるとか、ちょっと怖くないですか……?

しろ姓にこだわってアインデンティティをそこに求めてる人たちなの?

選択夫婦別姓賛成派の人たちは「そこにこだわりはない」と言い張るけど、とてもそうとは思えない。

自分の姓名にアイデンティティを感じるのは当然の感情であって、それを「先祖から繋いできた苗字を守り次代に残したい」という家を中心としたアイデンティティ混同する必要はなかろうと思う。

2022-12-01

着る毛布を買った

首も肩も腰も膝もあったか

素材が軽くて袖にゴムが入ってるのもよかった

動いてもあったかいままだからちょっとあれ取ってこようなんてのもすぐ動ける

これはよいもの

2022-04-21

実況動画をやってみてわかったこ

声優ってすごい

実は今まで声優に対してそれほどすごいと思ったりすることはなかったんだけど、実況動画自分で喋ってみて、「なにを言ってるかちゃんとわかる」という最低限のレベルですらめちゃくちゃ難しいなと感じ、

これをキャラクターの動くに合わせながら様々な感情を乗せて、何回も同じことを繰り返すことができる声優ってめちゃくちゃすごいなと考えを改めた。

自分は話すこと自体比較的得意なほうなので実況も大丈夫だろうと思っていたんだけど、やってみて内容を確認してみると聞き取りが難しい箇所がとても多い。

そしていわゆる実況系のYoutuberで人気がある人達動画も改めて見てみると、滑舌がとてもしっかりしてるんだと気付かされた。

努力して聞き取りがいいように喋っているのか、たまたま声質とか話し方が元々きれいなのかはわからないが、人気のある実況動画の人たちの声はやはりどれも聞き取りやすいのだ。

普段から実況動画などはよく見てるんだけど、普通に聞き取れるというのが当たり前と思っていたので、自分でやってみてこんなに聞き取りづらいものなのかとショックだった。

間を埋めるしんどさ

これは実況系というよりどちらかというと編集ありきの動画でより顕著になるんだけど、Youtuber動画ってめちゃくちゃ細かくカットしていてなんでそこまで切り刻むのか不思議だったんだけど、

作り手に回ってみると、たしかちょっとした間でも急に黙ってしまたかのような印象になると感じた。

なのでできるだけ間が開かないようにカット編集するか、あるいは喋りまくるか、意味なくアハハと笑い出すかとか、とにかくなにかしら間を埋めたくなる。

話すのが得意と言っても所詮素人であり、台本があるわけでもないからどうしても言葉に詰まることは出てくる。

話し方の訓練にとても良い

新人研修とかで人前で話す練習とかやらされた記憶があるんだけど、そんなのよりよほど話し方の練習になるなと思った。

人前で緊張しないとかそういうのとは違うけど、単純に自分の話し方の欠点がすごくよくわかる。

そして話し方ひとつでその人の印象もけっこう変わるだろうということも改めて感じた。

声色を変えるとかまでやると、それは無理があって生活の中に取り入れるのはしんどすぎるけど、

話す時の抑揚やイントネーション、語尾の切り方など、ちょっとした工夫で印象は大きく変わりそう。

イケボじゃなくても話し方が上手ければ心地よさを出すことは不可能ではないんだと思う

マイクはそんないいやつじゃなくていい

音楽やってる人から本格的なコンデンサーマイクを借りた。自分でも5,000円くらいの実況とかでよく使われてます、みたいなUSBマイクを買ってみた。

本格的なコンデンサーマイクは、めちゃくちゃ音質がいいんだけど、良すぎて声の繊細な部分まで拾いすぎてしまった。

喋りが上手な人ならその性能をフルに活かせるんだと思うけど、下手な人が高性能なマイクを使うとかえってアラが目立つと感じた。

素人ちょっとやってみるレベルだと5,000円でもけっこう高いとは思うけど、このクラスだとノイズはそこそこ取ってくれて、マイクから少々距離が離れてもそれなりに集音してくれる。

まあ今はiPhoneなんかでもマイクの性能はかなり良いのでそういうのでも代用できるんじゃないかって気もする。

話すって体力を使う

普段からそれほど多く人と話してるわけじゃないんで余計そうなんだけど、実況しながら喋って、何回か取り直しとかして時間にして1~2時間という感じなんだけどめちゃくちゃ疲れる。

話し方にも気をつけながらやるからなのか、話すことを考えながら頭使うからなのか、とにかく終わったらどっと疲れを感じる。

普段電話とかリモートで人と話すとき姿勢とかもリラックスしてだらだら話してるからまりからなかったけど。

実況だとマイクからまり位置を変えないようにとかで姿勢にも気をつけるので、思った以上にかしこまりスタイルで話し続けてるようだった。

こんなようなことを毎日続けてるヒカキンはめちゃくちゃ体力あるなあと思った。


やってみてよかった

特に金儲けしたいとかそういうのではないので気が向いた時に細々と続けてみたいなと思った。

ぶっちゃけ誰も見てなくてもいいかもしれない。

Youtubeに上げる動画なんだと意識することで実況してる間は気が張るし、録画したのを見返してると話し方の問題点なんかも見つかりやすい。

実は元々自分の声や話し方にはコンプレックスがあってもう少しなんとかしたいなと思ってはいたので、

これはよい訓練になるんじゃないかと思っている。

まあやり過ぎると意味不明にハイテンション漫談みたいになってしまうかもしれないので、あくま日常の延長線上での趣味として。

2022-02-20

Macbook Proの長い冬の時代

どうも、吾輩は増田である

そしてプログラマーである

普段Macbook Pro使用しているのだが、ここ暫く冬の時代が続いており、MacBook Pro Early 2015 13インチ最後に買い換えることができない。

2016年、史上最大の劣化バージョンが発売された。

悪名高き、バタフライキーボードというゴミが搭載される。打ちにくいだけでなく故障もしやすい酷さ。日本製かと疑うレベル品質の低さだ。

さらに当時まだまだ現役であったUSB Type-Aのポートもなくなり、こともあろうに、MagSafeまでなくなってしまった。

新登場、Touch Bar。これのせいでfnキーヘビーユーザー暴動を起こしApple Store破壊した。夢を見た。

何を聞かれても問題ない一辺倒の菅元首相も「問題・・・ない」と詰まるレベル劣化である

SDカードスロットがなくなったが、まあこれはよい。許す。

2017年、流石にすぐにデザインを変更すると、パーツの使い回しができず、コストに影響するためか、糞デザイン踏襲。もう何も言うことはない。

元首相も「問題ない」といつもの即答だ。

2018年、なんとなんと、あの不評だったバタフライキーボード第3世代進化

からなんやねん。糞をバージョンアップしたって、糞は糞だ。

しかし、Apple信者なら言うだろう、「Appleはんはようやっとる」と。

2019年、吾輩のMacbook Proも性能的に厳しくなってきた。まず、ストレージが256GBでは足りなくなってきたのだ。

電子書籍が増えてきたり、インストールされるソフトウェアの種類やサイズも大きくなってきたからだ。

さあ、Apple。吾輩の期待に応えてくれ!

しかし発売したのは、中身のアップグレードのみ。まだまだ続くよ、糞デザイン。もう4年目だぜ?そんなに同じデザインを長く使い続けないとコスト的にカバーできないのか?

さすがのApple信者も「Appleはんは・・・ようやっとる」と詰まるレベルだ。

まだMacbook Proを買い換えるわけにはいかず、1TBのSSDを購入し交換。

2020年コロナ元年。

ついにAppleバタフライキーボードを捨て、Magic Keyboardに!さらApple M1チップという高性能チップを搭載。噂レベルはいろいろ爆速らしい。

しかし、これは買い替えてもいいレベルかもしれない、とはならない。

2019年辺りからMacbook Pro 14インチモデルの噂もあって、そろそろ出るのではという期待もあり、もう少し待つかという気持ちが強くなる。

さらM1という新しいプロセッサ3rdパーティーソフトウェアがもろもろ対応しないと元々の環境を構築するのが大変そうだし、2年くらい落ち着くのを待とうかという気持ちもあった。

2021年、遂に出ました。フルモデルチェンジMacbook Pro 14インチが。

キーボードはもちろん、Magic Keyboard。MagSafeも復活。SDカードスロットはどうでもいい。

これは流石の我輩もGoです。Appleはんはようやりました。これは我輩の声だ。

しかし、近所の家電量販店現物を見に行ったのだが、ここでかなりショックを受けた。

なんかデザインが古臭いんだよな。2010年あたりに主流だった丸みを帯びたボディー。さらに、200gくらい重たくなった。このマイナスポイントはでかい、でかすぎる。

ノッチもさあ、ダサすぎない?ノッチって、おい!

SSDも少し前に交換したところに加え、リモートワークによって、会社から至急されている最新のMacbook Proを使っている時間が長く、購入したい欲求が低下。

さて、2022年、次はどのようなモデルが出るのか期待したいところだが、5年くらいは大きなメジャーアップデートをしないだろうし、このデザイン妥協する以外にない。

もしくは、リモートワークによって支給されたMacbook Proを使い続けて、プライベートマシン放置か。

Macbook Proの長い冬の時代はまだまだ続きそうだ。

2021-12-13

anond:20211213010636

これはよい指摘

法制化される氏名の読み仮名もこうすべき

ワイの名前もJOJIじゃなくGEORGEにしたい

2021-10-19

anond:20211019122250

社会的合意強制力を持たせたのが法律やって言ったやろ。

国民代表である議員たちが議会議論する過程のものが「社会的合意形成プロセス」なわけやし、

たとえ法制化までいかなくても「これはよいね」「これはよくないね」という判断はそこでされるもんやろ。

司法のほうも、単に法律だけに依拠するのではなく、

裁判での議論を通して社会的合意判決に反映され、それが判例として残るやろ。

そうやって議論を重ねて積み上げていったもの社会的合意なんやで。

2021-08-06

anond:20210806104320

これはよい考察

こういう分析書き込みがすげーすき

しかにすべて妥当すると思う

からこそ年少・犯罪者になるのだと思うのだけど

社会価値論とかの話題だな

2021-04-16

伊是名夏子さんの件でもやもやしている

もやもやしている

私は本当にもやもやしている。発端は例の伊是名夏子さんのこの投稿

http://blog.livedoor.jp/natirou/archives/52316146.html

バリアフリーは推進されるべきだ。その方向性異論はない。そしてバリアフリーを訴える目的はよいと思うし、その目的批判している人はほとんどいない。

でもこの記事最初に読んだ時、「これは炎上するな」と思った。

そして案の定炎上した。

私のこと

片目の視覚障碍

私は、きちんとした教育を受けそれなりの大学を出て、結婚もして家族もあるし、収入はそこそこあり持ち家にも住んでいる。

いわゆる「強者男性」に分類されるのだろうと思う。

私は自分社会的弱者というつもりは全くない。

ただ片目があまり見えない。病気というか、発達障碍というか、弱視という視覚障碍がある。ちなみに弱視というのは、眼鏡などで矯正しても視力がでないことをいう。

だが片目だけの視覚障碍なので、私は身体障碍者ではない。健常者だ。もっとも正常な方の目も、近視、乱視はいって矯正しないと0.5ぐらいなので、そんなに見えるわけではないけれど、視力矯正できるかできないか全然違う。

普段生活には全く支障はない。

もっとも、もしかすると両目がきちんと見える人よりも、遠近感の把握ができなかったり、視野が狭いのかもしれないが、両目見えていた経験がないので、違うのかは全くわからない。

視覚障碍があってよかったこ

不自由はないといいつつも、ほんの少し、両目が見えたらいいのにと思うことがある。例えばVRゴーグルをかけてみた時などにそう思うことがある。でもそれは総じて大したことではない。

逆に見えなくてよかったと思うこともほとんどないのだけど、ひとつだけ、心からよかったと思うことがある。

私は、健常者の目と、視覚障碍者の目と、2種類の目を持っている。社会を、健常者の目と、視覚障碍者の目と、2種類の目で見ることができる。それは本当によかったと思う。

視覚障碍の目で街を歩く

私は、時々、自分の健常者の目をつぶり、視覚障碍の目だけで街を歩くことがある。特に、今回は、もやもやし続けているので、いろんな場所で何度もそうしている。

通しでやったことはまだないが、眼帯などで健常者の目を隠し、視覚障碍の目だけで自宅から会社まで通勤するのは可能と思う。

記憶と音や他の感覚で補いながら歩く

なぜ可能と思うかというと、私は、自宅のドアを開けたところから会社入り口まで、健常者の目で何度も通勤しているので、途中の、道路通路の硬さ、すべりやすさ、段差、②曲がるときの角度、直線で歩くべき距離、③階段のおおよその段数やエスカレーターなどの位置、こういうものを覚えている。

見えないものは、記憶で補いながら歩く。ゆっくり歩けば、弱視の目でも歩くことができる。

そして音は重要だ。自動車が近づいてくる。こういうものは音で判断する。

自転車は、音が小さいから、怖い。電気自動車も、音が小さいから、怖い。

大変なのは情報を得ること

電車時間も、発着ホームも、だいたい覚えているので、目的電車に乗ることはできる。ただし、遅延などが発生し、行き先が違う電車普段とは違う時間にやってきたりすると、困る。

そういう時は駅員さんしか頼りにできなくなるだろう。

本当の視覚障碍者の人は、情報を得るのにとても困るだろうなと思っている。ホームに駅員さんがいれば聞くことができるのだろうけど、いつもいるわけではない。視覚障害者はそうたやすホームを歩けないので、同じホームに駅員さんがいても、距離が離れていたら聞くのは難しくなる。

少なくとも私は、視覚障碍者の目で歩くとき普段と違う状況になると状況を把握できず、いらいらする

声をかけて

私が、視覚障碍者の目で歩くときは、記憶と、耳と、手と、足の裏の感覚と、それ以外の感覚も総動員しながら、歩く。

から情報が少ないのを、全身の他の感覚で補おうとする。

集中しているので、いきなり肩や腕をつかまれたりすると、とてもびっくりするだろうと思う。怖いと思うかもしれない。

もし皆さんが視覚障碍者に何か情報を伝えたい、手助けしようと思ったら、白杖身体をいきなり触るのではなく、まずは声をかけてほしい。もし声をかけて手助けを断られたり、声をかけるのを躊躇するなら、見守ってほしい。

ホームの端が見えにくい

私の弱視は、光線の具合で、見えたり見えなかったりすることがある。

広い平坦な場所で、突起に気づかずつまづくぐらいなら笑い話かもしれないが、ホームの端がみえにくくて転落することがあれば、それは生命問題に直結する。((ホーム線路の彩色、彩度が似ていると、ホームの端がわかりにくい。))

その対策だが、蛍光色で10cmぐらいの幅のラインを描くことで、ホームの端の視認性はかなり上がる。これをCPラインというらしい。

一部、導入されつつあるが、まだまだ普及がすすんでいない。

https://ameblo.jp/milkyht2/entry-12244392124.html

ホームドアがあれば死なずにすんだ命も多い

CPラインよりももっと効果的な方策がある。ホームドアだ。

ホームドアは、視覚障碍者のためだけではなく、酔っ払いなど一般の人の転落事故も防止する。ホームドアがあれば死なずにすんだ命は多い。できる限りペースを速めて、設置してほしいと思う。

ネックは、ご存じの通り、多額の費用がかかることだ。

でも、生命にかかわることだから優先順位は一番高くていいのではないかと思う。

日本視覚障害団体連合ホームドアの設置を求め続けている。2020年7月の阿佐ヶ谷駅での視覚障碍者の転落死亡事故をうけて、同年9月にも国土交通大臣要望書を提出している。こういう働きかけは大切だ。政治企業への働きかけは、絶え間なく行わないといけない。

働きかけを行うべき先は、政治企業しかるべき権限もつ者=責任者であるべきだろう。「なんでホームドアがないんだ!」と現場で駅員さんに怒鳴っても、何も改善しない。

http://nichimou.org/notice/200923-jimu/

ホーム上の点字ブロック

歩道施設などの通路ホーム上にある点字ブロック日本発祥のものだ。これはよい発明だと思う。かなり普及しているのも評価したい。

また、2016年に近鉄大阪線河内国分駅ホームから視覚障害者が転落死した事件をうけ、対策として「内方線付き点状ブロック」設置を推進していたが、これはかなり進んだと思う。評価したい。

https://www.sankei.com/affairs/news/161017/afr1610170045-n1.html

でも、「なんでこうなった?」というような謎な点字ブロックも多々ある。そんな役に立たない点字ブロックや、かえって危険を作っている点字ブロックがある。

ホームなどの点字ブロックの配置についてはガイドラインがあるが、まだそれが守られていないことがある。2019年の京成立石駅視覚障碍者が転落死した事件は、規格外ブロック問題と指摘された。

https://s.mxtv.jp/mxnews/kiji.php?date=14s53i742ax788in6

ガイドラインに沿っていても、転落事故(死)が起こることがある。視覚障碍者は、目から情報が少ないため、点字ブロック認識しつつも、現在地と歩く方向を間違い転落することがある。

点字ブロックはとても有効設備だが、点字ブロックだけでは転落事故はなくせない。

https://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/437710.html

次に、弱視から視点追記したい。

点字ブロックは、黄色のものが多い。(私も健常者の目で見た時はそう思うが)黄色ブロックは、色がガシャガシャして、うるさく感じないだろうか?

そこで、街並みをおしゃれにするため、点字ブロック歩道の色と合わせて設置することがある。最近増えた感じがする。

でも弱視者には、これがわかりづらい。

視覚障碍者全盲の人ばかりではないという認知もっと広まってほしい。

視覚障碍者は見えないのだから点字ブロックは何色でもいいのでは?」と思わないでほしい。

少ない視力を使って点字ブロックの上を歩きながら、足の裏の感覚などで点字ブロックの助けを得て歩く視覚障碍者もいる。

私には、色がガシャガシャしていても、黄色の方がありがたい。

白杖について

視覚障碍者は、道路交通法によって、白杖を持つこと、または盲導犬をつれることが義務づけられている。(第14条第1項)

また、視覚障碍者でなければ、白杖を持つこと、または盲導犬をつれることを禁止されている。(第14条第2項)

さきほども書いたが、視覚障碍者全盲の人だけではない。ロービジョンといわれるのだが、若干の視力はあるのだが日常生活に支障がある人がいる。白杖の使い方は、人それぞれだ。

ところで、視覚障碍者白杖を持つ理由は次の3つとされている。

https://nippokai.jp/wp/formembers/canes/

  1. 視覚障害を持つことを周囲に知らせる
  2. 触覚を通じて路面の情報収集する
  3. 路面上にある障害物を検知する

障害物もなく、路面が確かな場合ロービジョン視覚障碍者は、白杖を「視覚障害を持つことを周囲に知らせる」だけに使うことがある。つまり周囲の人に自分存在を知らせるために、白杖を動かさず抱えることがある。

それを白杖を使っていないと思わないでほしい。白杖で地面を叩いていないからといって、「こいつは視覚障害ではないのでは?」なんて思わないでほしい。

白杖を持つ人が近づいてきたら

点字ブロックの上や近くで立っていたり、荷物を置いていたりしていないだろうか?

いわゆる歩きスマホはしていないだろうか?

視覚障碍者は、器用にぶつからないようにしたり、避けたりするのが苦手だ。

視覚障碍者安全に歩くためには、健常者の人の協力が必要だ。

もやもやしているのはなぜか

伊是名夏子さんの投稿とその後の議論、動きなどみて、私がもやもやした理由は主に次の3つになる。

バリアフリーとは?

私が、ここに書いた話題は、全部が「視覚障碍者にとってのバリアフリー問題だ。

伊是名夏子さんの投稿は、さまざまな議論を呼んだが、その議論は、エレベーターとかスロープとか、「車いす利用者にとってのバリアフリー」だけしか議論されていないでは?と感じた。

かに伊是名夏子さんは自分自身の障碍のため、「車いす利用者にとってのバリアフリー」を問題にしている。それは当然だと思う。

でも、「バリアフリー」を必要としている人は、車いす利用者だけではない。視覚障碍者も、聴覚障碍者も、妊婦精神障碍者なども、「バリアフリー」を必要としている。

それぞれの障碍やハンディキャップが違えば、「バリアフリー」として求めるものは違う。でもそこまで広く捉えた「バリアフリー議論ほとんどなかった。

いつでもどこにでも自由に行ける自由はとても大切なことだと思うけど、毎日、命の危険を感じながら鉄道を使う人のことも思い出してほしい。

からもやもやした。

伊是名夏子さんの手法をもてはやすことは何を呼ぶか?

案の定、伊是名夏子さんの投稿炎上した。あの投稿批判的に見る人は、来宮駅を巡るトラブル作為性を問題にしている。作為性とは、バリアフリーを訴えるために、わざとトラブルを起こしたのではという見方だ。ご本人は否定している。しかし私も実は、作為性はあっただろうと思っている。

現場でのトラブルを、乗車拒否などの強い言葉を使った非難を行い、耳目を集める手法というのは、そのトラブル作為性を巡って反感を買いやすい。

伊是名夏子さんご本人が、それが戦いだとお考えになることは、批判できない。こうしなければ、耳目を集められないという気持ち理解できる。

しかし、何かバリアフリー課題改善したいと考えた時、この手法が一番効果的となってしまえば、他の障碍者も(少々作為性があろうと)トラブルを起こし、それを声高に訴えないといけなくなってしまうのではないか? 私は、そういう状況が本当のバリアフリー社会とは思えない。

そして、あの手法に反感をもつ人と、支援する人との分断は、更に広がったように思う。

分断されたバリアフリー社会とか、笑えないブラックジョークだ。

からもやもやが続いている。

個人攻撃している人にも協力を願う矛盾(心の中のバリアフリー

伊是名夏子さんの投稿に対しては、私も批判的だし、批判する人の気持ちはわかる。

一方、こういったネット炎上が生じると、その人の過去の行動を洗い出し、それらも併せて執拗非難するような行動がよく見られる。晒しと呼ばれる行為だと思う。

かに、伊是名夏子さんの過去の行動で、「それはよくないな」と思う事例はいくつか見つかった。

しかし、既に法的には時効を迎えたと思われる古い過去を、声高に非難する合理性はないように思う。

話は変わるが、視覚障碍者投稿を読むと、白杖を持って歩いている時に誰かとぶつかった後、その人から心無い言葉を浴びせられたという投稿がいくつも見つかる。

他の障碍者ハンディキャップを持つ人も、そういう経験をしているのだろうと思う。

そんな心無い言葉を浴びせる人は、たぶんその人の心の中に、障碍者への「偏見」というバリア障壁)を持っていると思う。

心の中のバリア障壁)は、目に見えるものではないので、取り除く=バリアフリーを作るのはとても難しいと思う。

インフラは整っているが、人の心の中はバリア障壁)だらけのバリアフリー社会って、何かのアイロニーだろうか?

今回、伊是名夏子さんの過去の行動を非難した人の心の中に、障碍者に対するバリア障壁)ができないことを願う。そして本当のバリアフリー社会を作るには、あなたの協力が必要だと訴えたい。

インフラけが整っても、バリアフリー社会にはならない。

たくさんの人の理解と協力が必要だ。

私はまだもやもやしている。

2021-03-17

ttps://ncode.syosetu.com/n8395dn/

ガールズラブっぽくしてる小排気量バイクレースもの検索してて(ブックマークしてたけどタイトル忘れたので)みつけた。

・・・地味で朴訥だけどこれはよい。(ガールズラブではないよ!)

2021-01-28

XX民主党 はなぜ論理的に主張できないのか

XX民主党とは

「XX民主党・・・ 自由民主党立憲民主党国民民主党 のことを指してます

この人らって、「相手を納得させるために、自分意思ロジカル表現しようとする習慣」

が欠如しているように見える。これってなんなんだろう。なぜなんだろう。と、考えています

ダメな例:立憲民主党コロナ対策提案 by 枝野

論理性の無さの具体例がコレ。

https://note.com/edanoyukio0531/n/n5fab565585bc

提案内容の良し悪しは僕には分からないが、立論のしかたが超イケてない。

枝野なんて政治家のなかではかなり頭いい方(僕よりも全然頭イイはず)なのに、これですよ。

上の記事のどこがイケてないか、念のため書いてみるとですね。

導入:台湾NZうまくいってるよね。→うんうん

冒頭で、台湾NZうまくいってるよね、参考にできるよね と始めています

本当は冒頭は「各国がコロナに苦しむ中、NZ台湾では感染封じ込めに概ね成功し、経済も順調に回復しています」とかの方が

キャッチーなんだけどね。でもまあこれはよい

つづいて:台湾NZうまくいってるのは、ゼロコロナを目指したから →雑すぎないか

うまく行っている理由が、ゼロコロナを目指して「徹底的な感染の封じ込めに取り組んだ」ことが奏功、

としている。これはさすがに雑すぎるだろう。

ゼロコロナを目指すことは、原因ではなくて、結果なのだろうに。

というのも。そもそも はじめから Withコロナを目指す国なんて いるわけがない。

しくじってコロナ蔓延させてしまった国たちが、

仕方なく Withコロナいかにして国民生活を回していけるか考えているわけですよね。

ゼロコロナを目指しさえすれば、ゼロコロナが達成できる、だったらパンデミックなんて起こってない。

つづいて:台湾NZうまくいってるのは、島国から →おいおい

んじゃ、なぜ台湾NZではゼロコロナが達成できてるんだろうか?

この問いを立て、彼らのやっていることを分析し、日本も真似よう! まあそういう筋立てになるべきですよね。

ところがこの問いに対する答えは、「台湾NZ島国日本も同じ島国からできるはずだ」で終わっているw

おいおい。

結論:ぼくの考えたさいきょうのたいさく →待ってくれよ

こんなふんわりした掛け声から、どう具体的な対策はが生み出されるかというと

台湾NZ成功との関連性が全く見えない、3つのプラン唐突に出てきておわり。

なにこの「ぼくの考えたさいきょうのたいさく」。

結論が正しくても 論理破綻していたら無意味

なんとも、極めて残念な立論だと思うのですね。

たとえ提案内容が正しく、丹念に検討されたものだったとしても、それを納得させるための論理破綻している。

これじゃ誰も立ち止まって聞いてくれやしないっすよ、残念極まりない。

XX民主党ダメ理由

なんでこんなことに、なってしまうのでしょうか。

僕が思うに。「自分意見を、違う意見の持ち主に納得させようとする」

という良い大人なら、極めて日常的に行われる営み、XX民主党の人たちには欠如しているのではないか

本来選挙で勝つための王道っていうのは、自分意見を、異なる意見もつ有権者に訴えて、

ほおアイツの言うこともモットモだ、と思わせること(小泉純一郎なんかはそれだな)。

野党であればなおのこと、その戦略に頼らざるを得ないはずなんだが

XX民主党与野党わず、全員この試みを放棄して、次の戦略をとっている。

  1. 多数派意見自分意見として訴える(例:「国民はこう考えているんですよ!」)
  2. 集票力のある支援者意見を、自分意見にする(連合、教団、後援会・・・

そうして票を集めるために、最初から結論多数派意見に合わせようとするから論理おざなりになる。

論理おざなりになることの副作用

論理おざなりになるということは、大変深刻だと思うのですね。

政策決定プロセスブラックボックス

モリカケ桜、学術会議問題なんかで共通する

問題本質は、政策決定プロセス不透明性ですよね。

結論が正しければ正しいんだ」「連合意見と一致したからこれがいいんだ」

政策を決められると、困る。なぜか。

状況変化に対して無力

結論に至るプロセスブラックボックス化されると何が問題かというと、

状況の変化に対して政策を柔軟に変えることができなくなる。

政策の前提となるINPUTに変化があれば、それは政策変更のトリガになるべきなのに

どのようなINPUTから政策立案されているか可視化されていないと、その変化を検知できない。

かくして1945.8.15まで戦争が続けられる、と、まあこれは飛躍ですが

やばいねこれは。

この問題が、自民党だけでなく、すべての XX民主党政策立案共通してんだよな。

フルーツバスケット

いきなり乱暴結論に飛躍しますが。

この構造を変えるには、まずは人を全取り換えしてみるしかなさそうな気がしてます

多選の禁止、すなわち現職・元職の議員出馬禁止

こうすれば属人化も防げてあらゆる議論可視化され、一石二鳥なんでないの。

僕今まで選挙に行ったことないけど、もしフルーツバスケット党ができれば、一票いれるよ。

2020-08-13

anond:20200813192026

例えば千代田区条例には以下のようにあるが、基準客観的にはわからないぞ。これはよいのか?

第14条(健全環境の確保)

何人も、善良な風俗を害し青少年に悪影響を及ぼす活動を行い、その活動に関し広告物の 掲出、チラシ、パンフレット等の配布等を行ってはならない。

2020-07-25

みんな疲れていないか?私は疲れている

いろんなお気持ち表明が盛んだ。

私もお気持ち表明してみる。

(「お気持ち」の使い方合っているか?)

コロナ禍でみんな少なからずこのひとのここ嫌だとか今まで親しかったけど話してたらなんか疲れるとかそういうことにだんだん気づき初めて、その次は習慣を変えたり趣味をしたり自分自分の機嫌をとっていくことへシフトしている人が多いと思う。

私もそう。

4月5月は家にいるしかないのでもっぱらtwitterゲームをしたり映画などを見ていた。

でもなんか最近twitterみて疲れてきた。ちょっと気になることを書き留める。

どうぼやかしてもどのゲームかバレると思うのだけどあるソシャゲ界隈での二次創作ファン民度をめぐって日夜炎上、ボヤ騒ぎをみている。

愚痴垢:絵や小説が伸びないでも相互あいつはのびてる、いいねじゃなくてリツイートしろ日常ツイートいいねしろ日常ツイートは反応するくせに絵や小説に反応してくれない相互なんていらない、顔カプだろ、●●なんてありえない、175うざい、自分は175じゃない(根拠にしたい画像)など。

上記の方々は本当にお疲れさまですと思う。あとネットから離れたらちょっとラクになるのでは?と老婆心が顔を出してしまう。

ときにはわざわざ検索までして自分不快ものを見て勝手イラついてて、ヒートアップしている。

決めつけんな!とメンチ切ってるわりには「こいつ〇〇」と決めつけてて特大ブーメランぶっかましてて

キャラぶれてない?やりきって」と私はひそかに思っている。

元気なのか?元気だからお疲れさまです、は不適切か?

愚痴自体存在していてもいいし誰だって愚痴りたくなるのはわかるけど、たえず人の悪いところ、なにか動きのあるアカウントターゲットにしてボヤ起こしてるのはなんだかな、と個人的に思う。トラブル当人同士でしか解決できないのでは?(例えば、トレ●ク擁護か!と変な方向に読み取る人がいるかもしれないけど、擁護じゃなくて「お前の出る幕はない」ってことだよ。落ち着けよ)

いかい、愚痴自体はあってもいいと思うけどトラブルにのっかってるやつは片っ端からアカウントチェックしてあなたFFあなた先行ブロックしてるからね、ってことですよ。(私見

交わることがないと思うけどなんかの事故で交わりたくないしお互いのためですよ。

ファンアートタグの乱用:ルールが明確にわからない人も多いと思う。私も実際間違えているかも知れない。

ファンアートというタグを使うのならば

下ネタ

グロ

・カプ要素

・夢要素

・その他公序良俗に反するもの

・あとなんか見る人を選ぶようなもの

のあるものに関しては避けたほうがよいのでは?

私はファンアートタグは「原作公式アカウントがみるかもしれない」という見解なので、上記の要素が含まれているものは少々ひやっとしながらスルーしている。

ちょっとこれはアウトなのではと思うのはファンアートタグとカプ名タグ、異性化タググロ注意を一緒に使っちゃってること。

これはよいのか…???と思いながらもどうすることもできないのでリツイートいいねもできないでいる。

頼む、

いいねをさせておくれ

リツイートをさせておくれ

お前の絵と小説をいいと思ったから。

公式も見るかもしれないようなタグぶら下げていながらちん●ん、おっ●いが出てるものはさすがに拡散できないよ。

とまあおここまで書いて気づいたのだが私も相当疲れているのでしばらくネット見ないでいるほうがいいのかもしれないな。

コロナが収まる気配ないのでここでパワー使うのものちのちよくないかもしれない。

公式画像転載したアイコン使用しておきながらの〇〇(ゲーム名)速報という半ば炎上に加担しているアカウントアイコンそれでいいの?

公式アカウントに意地でも造語でリプしたい人:楽しいの?それ

公式アカウントメンテのたびに詫び石よこせと強気なリプする人:配るか配らないか公式が決める。黙ってなさい。

サ終しろアカウント名にまで表記してるのにばっちりとイベントまでプレイしてイベントストーリーケチつけている人:疲れてるの?ちゃんと寝な。

色々書いたけど、他人をどうにかしようとしたい人が多いなってざっくりと感じます

それってとても無駄なことだと個人的には思うのでそういうの見かけたらブロックミュートしてます

自分の快適は自分で守る。

とにかく疲れているので何事もほどほどに、でやっていこうと思う。

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