はてなキーワード: ランドセルとは
うちの息子は今小学4年生で、夏休みが終わってから学校に行かなくなった。
どうして行きたくないのか、俺は聞けなかった。聞く勇気がなかった。
夏休みに入る前まで、息子は学校が好きで好きで仕方がないという感じだった。
朝一番にランドセルを背負って家を出ることも珍しくなく、なのでおそらく夏休み中に友達と何かあったのだろう。
うちはマンション暮らしで、2年前に妻が亡くなった。事故だった。本当に突然のことだった。それで俺は少し病んでしまい、塞ぎ込んで、休職して、それから会社も辞めた。
幸い伝手もあって今はフリーランスとしてなんとかやっている。しかし当時は本当に駄目だった。
息子も相当つらかったはずだ。それなのに、俺には弱音ひとつ吐かなかった。むしろ、駄目になった俺のことを気遣ってくれていたんだと思う。子供の癖に、俺なんかよりよっぽど立派だ。
だからこそ、夏休みが終わり「学校に行きたくない」と言われたときには驚いたものの、否定することはしなかった。
「そうか」とだけ言って、「じゃあ、ちょっと休むか」と息子に提案した。
息子は俯きがちに「うん」とだけ言って、ランドセルの方を見ようとはしなかった。
部屋の中でずっとゲームをやっているようだった。
あまり良くないことだとは分かりつつも仕事もあって、それを言い訳にしていたのかもしれないが、とにかく少し様子を見ることにした。
転機が訪れたのは10月のことだった。市で大きなお祭りがあって、その日は関連施設が無料になるという年に一度の大きなイベント。
仕事も一段落しており、せっかくだから何処かに出かけようと思って、息子に声をかけた。
すると意外にも、息子はすごく乗り気だった。早起きして「お父さん、早く行こうよ!」と急かしてくるくらいだった。こんな元気な息子を見るのは久しぶりで、俺はそれがすごく嬉しかった。
動物園なんて、本当に久しぶりだった。当然すごく混んでいたけど、久々の動物園とあって息子も俺も興奮していた。
色々な動物をじっくりと見て回り、コアラのエリアに来た時のことだった。
そこにはコアラの生態についての解説があり、その中に「コアラの寿命は約10年」と書いてあった。
それを見た息子がぽつりと「じゃあ人間の10分の1ぐらいだから、僕らの1日がコアラにとっては10日分なのかな」と言った。
その考え方がなんだか妙に大人びていて、少し驚いた。
「そうかもな」と答えると、息子は続けて「じゃあ、コアラは10分待たされると、人間だったら100分に感じるのかな」と言って、それから「それって、なんか退屈だよね……」とつぶやいた。
その後も他の動物を見て回ったけど、息子は例のコアラのことがずっと気になるのか、どこかぼぉっとしており物思いに耽っているように見えた。
動物園から出て「楽しかったか?」と聞くと、「うん!」と弾むような返事が返ってきて、心から笑っている顔を見るのはいつ以来か分からず俺は嬉しかった。
翌日から息子は少しずつ、自分の部屋以外で過ごすようになった。
そして11月になると、自らの意志で学校に復帰した。どうやら、ゲームの中で学校の友達とも連絡を取っていたらしい。それで自然と学校に戻りやすい状況になっていたようだ。
息子がどうして学校に行きたくなかったのか、それは今でも分からない。
それでも今の状況に正直ホッとしている。
息子は強い。強すぎるが故に弱音を吐かず、妻が亡くなったことで反抗期さえなくなってしまったのかもしれない。
そう思うと悪いことをしたなと思うし、ふがいない父親であることを申し訳なく思う。
でも、11月4日。息子が学校に行き、笑顔で帰ってきたとき、本当に嬉しかった。
その日の夜、息子が眠ったあと、俺は妻の遺影の前で思わず泣いてしまった。
遺影の中の妻は笑っていた。その顔を、しっかりと見ることができた。
朝から社内で、課長がまた「前向きに検討しておくよ」なんて言いながら、全然動いてくれへんし。ほんま、たまらんわ。おかげでワイが尻ぬぐいや。
昼飯は、駅前の立ち食いそば屋で天ぷらそば食べたけど、なんか油っぽくてなぁ…でもまあ、サラリーマンの味やな。わびしいが、これがワイの現実やな。
午後は得意先に行って「すいません、すいません」って頭下げまくってきた。これも仕事、これも仕事…と自分に言い聞かせつつ、なんとか一日を乗り切ったわ。
なんや、バブルの影響もあるのか、最近の若いモンは浮かれとるなぁ。
「トレンディやね」とか言いながら、新しいファッションばっかり気にしとるし、ほんま、何が「シティボーイ」やねん。俺らは、黙って仕事して帰るだけやぞ。
さて、今日は早めに帰ったら、家でビールでも飲みながら、娘と遊んだろか。娘も小学校2年生になって、最近は「ファミコンやりたい!」ってしょっちゅう言うとるしな。
まぁ、たまには父親らしいところ見せてやらんとな。「オヤジもやるか!」って言うたら、きっと喜ぶやろ。
家に帰ったら、嫁さんがちゃんと夕飯作って待っとるはずや。たまには何か手伝った方がええんかな…と思いつつも、結局座って待っとるんやけど。まぁ、そんなこんなで今日も一日、無事に終わったわ。
家に帰ると、玄関先で娘が「おかえり!」って元気に飛び出してきた。おぉ、今日も元気いっぱいやな。
ランドセルがでかく見えるその背中をポンポンと叩きながら、「宿題は終わったんか?」って聞いたら、「うん、もう終わった!」と返事。
ほんなら、ファミコンでもやるか?と聞くと、目をキラキラさせて「うん!」って。まったく、この笑顔に弱いんやから。
リビングに入ったら、嫁さんが台所でせっせと晩ご飯の準備中。「おかえり、今日は早いのね」って言うとるけど、ほんまはちょっと早退してきたんや。でもまぁ、そんなこと言うても、嫁さんもバタバタしとるし、わざわざ話さんでもええやろ。
今日の晩ご飯は、どうやら肉じゃがらしい。湯気が立って、ええ匂いが漂っとる。これやこれ、これが家の味やな。
晩ご飯を待ちながら、娘とファミコン対決や。「オヤジ、勝てると思ってんの?」なんて生意気なこと言うとるが、ワシも負けてられん。
「マリオブラザーズ」でバトルスタートや!最初は余裕ぶっこいとったけど、気づけば娘が圧勝。最近の子どもは器用やなぁ…ワシが子どものころは、外で遊んでばっかりやったから、こういうのは苦手や。
ゲームが終わって、晩ご飯の時間や。嫁さんが肉じゃがと味噌汁、焼き魚を並べてくれた。やっぱり、こういう家庭の味が一番やな。
「いただきます!」って言うて、箸をつけたら、口いっぱいに広がるホクホクのじゃがいも。ビールを一口飲んで、「あ~、やっぱりこれがサラリーマンの癒しや」って心の中で思うとる。
飯を食い終わって、風呂も入って、あとはテレビ見ながらゴロゴロするだけや。
嫁さんが「明日の弁当、何がいい?」って聞いてきたけど、そんなん何でもええんや。「簡単でええよ、なんか適当にして」って返したら、「いつも適当でいいって言うけど、ほんとは唐揚げが好きでしょ?」って言われてしまった。おお、バレとるがな。そう言われたら、「じゃあ、唐揚げ頼むわ」ってお願いするしかないやろ。
結局、今日は早めに寝ることにした。明日も仕事やけど、こうして家族と過ごす時間があるから、頑張れるんやろな。最近、バブルで浮かれてるやつも多いけど、ワシはこうやって、地道に家族のために働くのが性に合ってるんや。
中学生とか高校生当時だったら面白く読めたんだと思うんだけどアラサーの今となっては「制服で恋愛w」「この間までランドセルだったくせにw」「自分の食い扶持も稼げないくせにw」「学生は大人しく勉強しとけよw」と登場人物を馬鹿にする言葉ばかりが頭に浮かんでしまった
私には夫がいて子供も作ろうかという話もしているんだけど将来「ガキが色気づいてるw」くらいのことを言いかねない自分に気付いて愕然とした
私自身学生時代にはカッコつけて調子のって色々やって、結果としてそれを青春と思っていて、親はそれについて何も言わずに見守ってくれてたのに自分は子供に対して「調子乗るなw」とか思ってしまうのかと
※はじめに、この話はなんの比喩でもありません。
結構前から、小学生の背負うランドセルの色が多様になってきてるよね。30代の私は、小学校入学した時は同級生みんな赤か黒だったけど、私が高学年になるくらいにはピンクや水色の女子達が入学してきてた。最近は、男子も色んな色のランドセル持ってて、いいよね〜…。
でも、
人に説明できるような理由なんてない。ただ、男子は赤ランドセルダメでしょ。だって女の子の色だもん。だって私は赤ランドセル背負って小学校行ってたもん。ダメだよ。気持ち悪い。
赤が好きなのは別にいいけど、それをランドセルでやる必要なくない?近所にもいるんだよね、赤ラン男子。背中から見るとさ、一瞬女子かと思うじゃん?ややこしいことするなよ。
私には幼稚園児の息子がいるけど、ランドセル買うって時に赤は絶対選ばせない。6年間も、自分の息子が赤いランドセル背負って登校して、近所の人に見られ続けるなんて、あってはならないこと。そんなの恥ずかしすぎる。「あそこの家の子、男の子なのに赤いランドセルなんだねえ」って思われるでしょ?耐えられないよ。普通じゃない。変な子って思われる。赤ラン男子の家の教育はどうなってんの?
でも、私はこの話を人に言ったりはしない。
例えば親戚の男の子が赤いランドセルを買っていたら、「かっこいいね〜!」と言うだろう。
だって、赤ラン男子反対なんて、今のご時世言ってはいけないと分かってるから。
リアルでは他人に絶対言わないし、SNSでもそんなこと投稿しない。
だけどもし「男子赤ランドセル禁止」を掲げている政治家が立候補していたら、私はその人に投票する。投票してしまうと思う。
誰にもこんなこと言えないけど、明らかに今の時代に合っていないけど、こんな意見正しいとは自分でも思ってないけど、
その候補者を支持していることも、もちろん誰にも言わない。政見放送でこんな馬鹿げた公約を口にしていたら、ネットで炎上するだろうし、「誰がこんな奴に投票するんだよw」ってみんな言うと思う。なんなら私もそうコメントするかも。
だけど投票する。
そんな人当選しないだろうけど。
赤ランドセル禁止条例について、きっとこんなことを言う人がいると思う。
・これに賛成してる奴、もう小学生じゃねえだろwwww
・自分が、男の赤ランドセルが嫌いだからって、他の小学生達には関係ないでしょ。
・小学生男子が赤ランドセルを使うことによって、賛成派の大人達になんの影響があるんだよ。お前らの生活、何も変わんねーよwwww
いや全部その通り。ぐうの音も出ないほどの正論。私はなんのロジカルな反論もできない。
ただ嫌なだけだもん。
近所に、赤いランドセルを背負ってる男子小学生達が普通にいて、なんの違和感もなく当たり前に受け入れられている。男子のランドセルの選択肢として、他の色と全く同様に赤色が存在している。そんな世界は、気持ち悪いから、絶対に嫌だって、ただ思ってるだけで。
私だけなのかなって思う。
もはや、そんなことに文句言ってる大人は存在していないんだろうな。ネットで「赤いランドセル 男子」で検索して、私の代わりに誰が否定してくれよって思うけど、誰もそんなこと言ってない。私だけが頭がおかしくて、だけど自分の意見をを公の場で言うこともしない。
だって、そんなこと言ったら、赤ラン男子や、その親・祖父母・友達が、傷つくかもしれないから。
私はきっと、「気に入らないなー」と思いながら、この変わった世界を受け入れていくしかないんだと思う。
だけど、赤ラン男子禁止条例に賛成している政治家に、私は投票するよ。
間違ってるってちゃんと分かってるよ。
でも、投票用紙がこんなカスにも配られて、秘密投票なんだから、票を入れるよ。
初めてホテル(えっちなホテルじゃないよ)ビジネス泊まった時、カードキーが無いと動かないエレベータに「うわ!すげぇ」ってなった
初めて鶯谷で信号待ち、虫かごを複数人で眺めている制服の小学生を見た時は「うわ!かわゆ!」
ってなった
初めて山手線でLINEで母親にメッセージ送ってるランドセルの子を見た時は「うわ!えらっ!」
って撫でてやりたくなった
初めて高いビルのエレベーターに乗って、エレベーターガールを見た時は
「うわ!本当にいたんだ!」ってわくわくした
初めて上野のラブホテルで牛革のソファを触った時は「うわ!」ってなり、何回も触った
初めて五反田で君にケツの穴を弄られた時は
「うわぁ…俺なにされてんだ」と死ぬほど
恥ずかしかった
34歳、独身女、性行為の経験なし。急に気持ちを吐き出したくなり、とりあえずネットの海に文字を放流することにした。
同級生たちは半分ほどが結婚し子どもを持つ人も多い。結婚式には何度も出席した。友人たちの嬉しそうな顔は美しかった。子どもと遊ばせてもらったこともある。小さくてもしっかりと自我を持つ子どもたちはとても愛らしく、そうやって育て上げた親たちを心から尊敬している。
そのような光景を見ても、結婚したいとか子どもを持ちたいとかいう気持ちが湧いてこない。まあそういう人生もあるだろうと納得しているつもりだ。
でもたまに、恋愛や結婚をすっ飛ばした人生ってもったいないのか?と考えてしまう。他人が羨ましいというよりは、なんだか損をしているような気持ちになる。今ちょうどそんな気分。
記事のタイトルを『男嫌いか、ただの喪女か』にしたが、正直なところ若い頃はどちらの自覚もなかった。私は自身を恋愛に興味がない人間だと思って生きてきた。彼氏が欲しいと思ったことがなかった。でも恋愛そっちのけで勉強ばかりしている女が珍しいのか周囲は放っておいてくれない。男性にトラウマがあるのかとか奥手なのがいけないとか色々言われてきた。この歳になってそんなお節介を焼いてくれる人はだいぶ減ったけれど。
でもまあそうやって言われるうちに男嫌いと恋愛下手(喪女)を自覚し始めてしまったのだ。そっとしておいてくれたらよかったのに!
暇で暇でしょうがない人は読んでいってね。
野山を駆け回る女児だったので女の子よりも男の子のほうが気が合った。いつも男の子の集団に混じって(というより私が男を引き連れているように見えたらしいが)遊んでいた。だから男が嫌いだなんて思ったことがなかったが、ひとつだけトラウマ級の事件があった。
小学2か3年生の頃だったと思う。下校中、上級生(たぶん4、5年生の男)に呼び止められた。知り合いではなかったが同じ学校の児童に警戒心などなく、素直に話を聞いた。「目をつぶって」と言われて従った。次に手のひらで目を覆われた。そして口にぬるぬるしたものが当たり、舐められているのだと分かった。でも訳が分からなくて動けなかった。恐怖というより困惑とただただ不快感。唇の隙間に舌をねじ込まれそうになり、とにかく侵入を許すまいと歯を食いしばった。かなり長い間舐められていたように思う。口と手のひらを離した見知らぬ上級生は「先生に言っちゃダメだよ」と言い残し走り去っていった。顔なんて覚えられなかった。でもランドセルの横にぶら下がるヒョウ柄の体操着袋をはっきりと見た。
ベタベタした口が気持ち悪い。走って家に帰り、真っ先に歯を磨いた。レイプ被害にあったらシャワーを浴びてはいけないと言うけれど、小学生でもすぐに汚れを落としたいと思ったんだ、無理な話だよ。母親に言いつけ学校に電話をしてもらった。ヒョウ柄の体操着袋が犯人だと。
犯人は翌日かその次の日には見つかり教師立ち会いのもと謝罪された。今考えるとこれ良くないよな。被害者と加害者とを会わせるなんて。そのせいだろうか、私は相手の顔と名前をはっきり覚えてしまったし相手もそうだったのだろう。この後数年に渡って嫌がらせを受けることになる。
口を舐められただけでかなりの不快感だった。これが性器を触られたり挿入されたり、また加害者が大人だったらと思うと可哀想で仕方がない。全ての被害者の心が救われてほしい。
私はまだ性的に未熟な頃の被害だったのと男友達が多かったためか、男性が怖いとはならず加害者個人を恨んだ。だから男嫌いではないと思っていた。
ちょうど進学のタイミングで隣の学区に引っ越した。そのためヒョウ柄体操着袋とは違う学校になり安心した。
しかし運悪く再会してしまった。私は小学生のときから同じピアノ教室に通っていた。当時あまり気にしていなかったが、その教室の目の前は口舐め事件現場で、犯人はその近所に住んでいたのだ。
レッスンが終わりドアを開けるとヒョウ柄体操着袋がいた。気づかぬふりをして自転車で帰ろうとしていると背後から「もう一回する?」と声をかけられギョッとした。確実に覚えていやがる。気持ち悪い。すぐピアノ教室に逃げ込んだ。先生に何と話したかはよく覚えていないが、優しいお婆ちゃん先生は私をしばらく匿ってくれた。30分くらいだったろうか、奴がいないことを確認して自転車に跨がろうとしたときサドルに唾が吐かれていることに気がつき再び先生に泣きついた。先生は箱ティッシュを丸ごと持ってきて片付けてくれた。私には片付けをさせてくれなかったのをよく覚えている。あのときの先生の様子を思い出すと、もしかするとあれは唾ではない別の体液だったかもしれないと今では思う。
その後もピアノ教室には通い続けた。奴と鉢合わせすることはなかったがサドルは汚され続けウェットティッシュを常備するようになった。
市か何かの俳句コンクール入賞者の中に奴の名前を見つけたことがある。
手と手をつないで
デートがはじまる
気持ち悪い。
こういう犯罪者予備軍が賞をもらい、普通に恋愛を楽しみ、そのうち結婚して子どもが生まれて良いパパだねって言われていると思うと許せない。
特に理由があった訳ではないけれど女子校に進学した。通える範囲で、自分のレベルに合っていて、校風が気に入っただけ。男を避ける意図はなかった。
女子校生活はとても快適だった。進学校だったので治安が良く、学校行事も活発。女子校っていじめがひどいでしょ?なんて良く言われるけれど、勉強に忙しくいじめている暇なんてない学校だった(たとえ暇でもいじめはなかっただろうと思える良い学校だったよ)。
女子校は性別の概念がない空間だった。女ではなくただの人間でいられる場所。進学したり就職したり色々な環境を経験したが、女子校以上に過ごしやすい場所は今のところない。
ただ、学校の「マニア」と呼ばれる人たちが存在した。待ち伏せ、盗撮、校舎に侵入など、不審者(全て男だった)がしょっちゅう出現した。文化祭、体育祭の撮影は家族のみの許可制にするなど対策は取られていたが、登下校時の付きまといなどが酷く生徒は不審者に慣れきってしまっていたように思う。
【大学時代】
勉強が好きな私にとって大学は天国だった。定額講義履修仕放題、今でいうサブスクだね。成績が優秀だったため授業料が半額になった。それでも履修仕放題!なんてお得なの!
他学部の面白そうな講義にも顔を出し、スポーツ系のサークル活動もして充実していた。
ただサークル内での恋愛のいざこざってほんとに面倒くさい。勝手に揉めていてくれたらいいのに何故か巻き込まれる。カップルの女側に呼び出されたことがある。
女「私、〇〇くんと付き合い始めたんだ」
私「そうなんだ!おめでとう!」
女「だから〇〇くんとはもう遊ばないでほしいんだ」
私「そうだね、わかった」
女「〇〇くんと一夜を共にしたことがあるって聞いたよ」
私「(なにそれ知らんこわ……オールでトリキいったときのこと?)そんな関係じゃないよ」
女「もう私のだから。取っちゃってごめんね」
怖すぎる。恋愛経験のない私はただビビリ散らすことしかできない。
この「取っちゃってごめんね」は他の人にも何度か言われたことがある。男を狙っていたことなんて一度もないのに。
これに関しては自分で考えて反省した。たぶん、子どもの頃に男友達と遊んでいたような距離感のまま接していたのが悪いのだ。あまり男の人と仲良くしないよう意識するようになった。
そういえば、このカップルの男側〇〇とは就職後に誘われて一緒に飲んだことがある。そのとき周りがみんな結婚してさびしい結婚したいと嘆いていた。そんなことがあったが、後日FBを見ると入籍報告をしていた。良かったじゃん!と思ったけれどよく見たら入籍日が一緒に飲んだ日より前だった。
怖すぎる。
たぶん私はそんなに不細工ではないのだと思う。正直そこそこモテた。絶世の美女ではないがブスでもない、ちょうど良いレベルの顔。男性から告白されることもはっきり言って多かった。しかしそれを全て断ってきた。故に自分からアプローチする方法を知らない。その結果の喪女である。
悲しいことにモテる一番の要因はおそらく体型なのだ。アンダー65のFカップ、平均身長くらいのややぽちゃと言われるくらいの肉付き。小5くらいには私の体型は完成されていたため、不審者によく遭遇したし中学生以降は常に身体目当てでモテていた。痴漢被害にもよくあった。大学生になるとますます声をかけられるようになった。もう多すぎてうんざりした。こっちは勉強しにきているのに邪魔をするなとさえ思っていた。同級生も先輩も後輩もバイト先の店長も取引先のよく知らんおじもみんなワンチャン狙ってくる。いつか信頼できる人が現れると信じたかったが、体型を褒める言葉や視線を浴び続けているうちに身体を曝け出せる人になんてこの先出会えないと思った。
こういう話は誰にもできない。モテ自慢と言われてしまうから。身体だけを気に入られることのなにがモテなのだろうか。理解できない。
ひとつ付け足すが私は私の体型が結構好き。筋トレも頑張っている。私の身体は私だけのものだ。
博士課程まで進むつもりで進学した。結婚出産のタイミングを逃すから女性にはおすすめしないと言われたがそんなことに興味はなかった。
しかし院生(男)たちはそうではなかった。ここで相手を見つけなければ一生独身だと焦っているようで、数少ない女性院生だった私は標的になった。また院生だけでなく教授からもセクハラ(の自覚はないだろうが)を受けた。密室での指導や2人きりの出張(酒を飲みながら身体に触ったり混浴に行きたがったりひどかった)など、これがあと数年続くのには耐えられないと判断し博士課程への進学は諦めた。ただ勉強したかっただけなのに。
【就職後】
セクハラ教授から逃れるため離れた土地の一般企業で研究職として働くことにしたが、就職後も教授からの連絡は続いた。郵便物を送りたいからと住所を探られることもあった。全無視したけど。
就職後、しばらくは楽しかった。博士課程には進めなかったけれど研究所でバリバリ働けると思うと嬉しかった。しかし就職から半年ほど経ったころから飲み会やら何やらで独身男性を紹介されるようになってきたのだ。同じ大学出身の研究員がいたのだが、付き合ってもいないのに2人の子どもは頭が良いだろうなぁ可愛いだろうなぁと勝手に想像されたり独身男性社員と無理矢理電話番号を交換させられたりもした。
絶望した。どこに行っても同じような扱いを受ける。
数年は研究職にしがみついてみたがある日ぷつっと糸が切れたように諦めの境地に至り、結局仕事を辞めた。現在は研究から離れて他の仕事をしながら比較的穏やかに暮らしている。
長々と書き殴ってみたが、これが私の半生だ。同じことの繰り返しで薄っぺらくて悲しくなる。結婚出産を経験した友人たちは異なるステージで悩んでいることだろう。それなのに私はずっと同じところで同じことを悩んでいる。
こうやって振り返ってみてもまだ、自分が男嫌いだとは断言できない。仲の良い男友達がまだいるし(しかし彼らも結婚すると会えなくなるのだ。奥さんに恨まれたくない)。
喪女なのは確かだろう。私は身体しかモテたことがない。性格を気に入ってもらえるほど他人と深く関わることができないのだ。人付き合いが下手な、明らかな喪女だ。
ひとりでいるのは嫌いじゃない。むしろ好き。孤独死の問題がクリアできれば上手くひとりで生きて死んでいけるはずだ。
ただやっぱり、同級生たちを見ていると自分が損をしているようなもったいないような感情になるのだ。こんなにナイスバディ()に生まれたのに性行為の機会もない!キスもできない!子どもに好かれやすいのに自分の子どもは持つ機会がない!そうだ、身体と時間がもったいないのだ。
毎日毎日老けていく。卵子の数が減り白髪が増える。自分の身体は自分のもの。己が満足できるように整えておけたらそれでいいと自分に言い聞かせる。
60歳になってからでもいいから、いつか心から信頼できる人が現れないだろうかとまだ希望を捨てられない。いつか白馬の王子様が迎えに来てくれるの!と夢見る子どもと同じステージにいる34歳。
気色悪いな。