はてなキーワード: はやぶさとは
はやぶさの頃は盛り上がってた気がするやで😟
何万回、何十万回と読み継がれた本があり、何万回、何十万回と読まれたページがある。
レイチェルは考える。
何百万回読まれた本の中で、何十万回しか読まれていないページとは、すなわち十回に一回は読み飛ばされているということである。もしくは、何十万回目かに突如として読まれなくなるような、そんなページである。
そんなページにはおそらく、こんなことが書いてあるのだろう。
、おばあさんは深呼吸をした。
ここを読んでも読まなくても物語にさした影響がないような文。もしくは、
であった。
とか。
他には、
Supercalifragilisticexpialidocious
など、もうすっかり覚えてしまって読む価値もないと思えるような文とか。
いずれにせよこんなページは、ある日突然書き換えられていたって誰も気付きはしないのだ。
例えばー
、おばあさんが深呼吸をすると目の前のおじいさんにドロップキックを食らわせた。
とか。
であったかのように見えたが、実際におばあさんは竹から生まれて来たのだ。
とか。
Supercauliflowerilisticexpialiboorish
とか。
修正されても読者は気づかない。
同じ本ならばいつ読んでもどれを読んでも同じことが書かれていると信じているからだ。
何百万回何千万回と読まれた本ですら、みなが同じ文字を読んだのだと期待する。
誰にも読まれないのだから、理屈なんか全く通っていなくたっていい。
レイチェルの本にはどれもこのような仕掛けが施されているのだが、未だにそれに気づいたと思われるような報告はない。
レイチェルはおおむね普通のおばあさんだった。百回に一回は普通でないおばあさんになるとしても。
おじいさんの方も、百回に一回くらいドロップキックを食らってみることはやぶさかではなかった。
おじいさん、ほら起きて。起きないなら、
おばあさんが深呼吸をすると、
向いてないですよって言われておとなしく諦める人とかいるかな…まあ多少はいるかもだから全く効果がないわけでもないかもな?
少子化については日本国内で見ると明らかに減少してるわけで、この国がやばくなったらさっさと移住するつもりならそれでもいいんだろうけど、外国に移住するってそんなに楽なことではないと思うんだよね…
日本国民はよほど能力のある人でもない限り普通は日本国内にいるときが一番国から優遇されるので、できればこの国にいたい人のほうが多いと思うし、そういう人にとっては日本の少子化問題はせめて軟着陸できる程度には緩和されないとつらいんじゃあないだろうか。
まあ適性がある人が子供をもってくれるのはより喜ばしいことなので支援するのはやぶさかじゃないけど、だからといって適性がない人が子供をもった場合と差をつけるわけにもいかないしな…
https://nejiko.hatenadiary.com/entry/2014/02/22/234204
この記事を読んで、あぁ分かるぅとなったので自分の不合理さ&可愛さも記録しておきたい。
うちは2歳1ヶ月と7ヶ月の息子ーずと自宅保育している。春から保育園入園予定。
不合理なのは2歳1ヶ月のほう。7ヶ月の子は基本パヤパヤしている。
7:00
長男に「おーきーてぇー」と言って起こされる。
目を開けて「起きたよ、おはよう」と言うと、体まで起き上がらないとダメらしく何度も「おーきーてぇー」と言われる
あまりにも私が寝てると次男と「いらっしゃいませ〜、えーっと、たこ焼きぃー!」などと適当な言葉を話してキャッキャっ笑っている
7:30
8:00
ヨーグルトをパンの上にかけ、「ケーキ」と言ったり牛乳の中にバナナを沈殿させて遊んだ後、最終的に食べない
最近あまりにも朝食を延々と食べてるのでタイマーを導入したら少し改善された
8:30
朝ごはんを食べ終えた息子はプラレールが入った箱を床にぶちまけて遊ぶ
その他にもブロックやおままごと遊びもやらないのにとりあえずぶちまける
9:30
お出かけの準備
いくら早く支度をしたくても不合理すぎて時間がどんどん溶けていく
パジャマから服へ着替えさせるが、「違ったー!」といって脱ぎ捨て、靴下を履かせると「逆だったー!」と泣き喚く(決して逆などではない)
逆だったー論争が本当に大変でお出かけできなくなるレベルに泣くので、最近は玄関で靴下を履かせその後すぐ靴を履かせている
全ての用意が整ったと思ったら極めつけに💩
💩も中々変えさせてくれないのでしばらく放置
いざ外へ出ると電動自転車の鍵を自分が指したいと言い、やらせる
10:30
スーパーに到着
私がコントロールするとぶちぎれるので、放っておくと人にぶつかったりしててほんと迷惑
アンパンマンお菓子コーナーがあり、自らそこへ赴き永遠に流れてるアンパンマンお菓子紹介動画を見ている
早く帰りたいので、お菓子を一つ入れてアンパンマンへバイバイを告げさせるも何回か失敗する
アンパンマンのぬいぐるみを持って「ナスを買いに行こう」と言うと喜んでその場を離れてくれる
11:30
息子に手洗いうがいをお願いすると必ず服をビシャビシャにするので服交換
うがいをしている間に、自転車をしまいに一旦外へ出ると「うがい、飲んじゃった」と家の中から何度も報告してくる声が聞こえる
12:00
お昼ごはん
朝ごはん同様ダラダラ食べる
ダラダラ食べてもういらんのかな?と思ったら、ソーセージ!バナナ!などとデザート要望
13:00
あと片付け
息子は延々とプラレール
13:30
次男と寝たふりをしていると、眠くなった息子が突然やってきて布団にダイブ。即昼寝
2時間ほど束の間の休息が訪れる
15:30
昼寝から起きる
一番に私のところへ駆け寄ってきて抱っこする
おやつなどを食べるなどして過ごす
この時間はYouTubeを見せてるのだがとんだクレーマーで3分おきにYouTubeの内容を「ちがったー!」と言ってくる。
アンパンマン→新幹線こまち→新幹線はやぶさ→新幹線かがやき→アンパンマン
17:30
お風呂
最近は冷蔵庫の前でチューペット(めちゃ小さい)をわたし、その場で全裸にさせお風呂場まで突撃シャワーをかけるということをしている
浴槽は好きらしく長時間滞在してしまうので、10.9と数字を数えて上がろうとするが、0のタイミングで違ったー!と言うので何回か10.9に付き合わされている
最後は違ったーと言われても無理やり連れ出して体をふく
インナーがアンパンマンじゃないと服を着ないのでアンパンマンのインナーを着させる
19:30
(明日続きを書く)
はい、ボイジャーは十分に幸せだったと思います。 打ち上げ当初の短期的な目的を達成した後も、健在で長期間にわたり稼働できたことは大きな幸せです。壮大でロマンあふれる使命を担うことができたと自負しているはずです。 そして地球外の宇宙空間で花道を飾りつつある今も、探査機としてこの上ない幸せを感じているのではないでしょうか。健在な活動を続けられるだけでも幸運なことですが、NASAの技術者達に惜しみない支援と心配りを受けていることも大きいと思います。 人知の限界に挑み続けた先駆者として、栄光あるキャリアを全うできる幸せ。ボイジャーこそが、そんな夢を叶えた探査機なのだと信じています。 半世紀以上にも渡る使命をまっとうした彼らこそ、「ミッション・コンプリート」と言えるのではないでしょうか。偉大な先輩として、後続の探査機へバトンを託す番なのかも知れませんね。
機械に感情移入するのきしょいと思ってたんだけど。特に探査機はやぶさとかがもてはやされて映画とか作られたときは寄書するぎてブチギレていました。
私が求めているのは平等であって自由ではないので、「未成年という設定の空想のキャラクター」なんかよりも「生きた人格のある実在の成人」のほうがよほど「生きた人格のある実在の児童」に近い存在であることを認めて、「生きた人格のある実在の人間」を性的に見てはいけないという建前を守るために対人性愛とその文化・ジェンダーや"ふるまい"といったものが子供たちの目に触れないようきちんと規制した後であれば、空想のキャラクターを性的対象とする文化についてもある程度の自粛はやぶさかではないよ。
まず対人セックスが禁止されるのであれば、空想ポルノ表現にある程度の規制があっても仕方ないと思う。
まずジェンダーレスでない服を着て外を歩く行為が禁止されるのであれば、ジェンダーレスでないキャラクターを描くことにもある程度の規制があっても仕方ないと思う。
まず対人性愛者たちが、対人セックスを行うたびに「今この瞬間のこの行為が、差別や暴力を増長させている側面もあるんだよな」と反省し続けるのであれば、「空想ポルノ表現が差別や暴力を増長させている可能性もなくはないな」とぼんやり心にとどめておいてもいいかなと思う。
まずジェンダーレスでない服を着て外を歩くたびに「今この瞬間のこの行為が、差別や暴力を増長させている側面もあるんだよな」と反省し続けるのであれば、「ジェンダーレスでないキャラクターを描くことが差別や暴力を増長させている可能性もなくはないな」とぼんやり心にとどめておいてもいいかなと思う。
まず、LGBTQに対しての私の見地は「LBTQは私には無害なので好きにすれば良いが、我が身にゲイ加害が降りかかるのは困るので、TFとゲイはちょっと生理的に無理」というものである。
さて、そろそろ秋であり、各地ではなんとかパレード的な催しが企画されるところだが、レインボーの名を冠するイベントも自治体主催で検討されていたりする。
理解促進という話であるが、人手の点で自身にもボランティア依頼が届いた。社会的に優良な市民を装っているため、協力はやぶさかではないのだが、ここで一つ疑問が湧いた。
同性愛やその他特殊な性愛に理解を求めるイベントは社会的に受け入れられるのに、例えば「結婚しよう!家族を作ろう!」ということを看板に書いてパレードをした場合、昨今の世では袋叩きにあうのではなかろうか?
なぜ性的少数者への理解は私のように少なからず良識的な市民を演じることができる者は増えており、今更公費によりそのようなイベントを打つ必要はどこにあるのか?
除外と言うよりも大幅減点と言ったほうが正しいか。
自分の婚活市場の価格を100点としたときにマイナス100点をつけるぐらいのイメージだ。
それ以外の部分で私の婚活市場価値の倍近い価値を叩き出せばデブであることを妥協して結婚することはやぶさかではないが、そういった条件を満たせる人間は物凄く少ない。
効率を考えたらデブの時点で相手をしないほうがいいという結論に達している。
なぜ私がここまでデブの価値を低く見積もるのかと言うと、体脂肪率程度のものをコントロール出来ない人間は、その他の多くのものをコントロール出来ないからだ。
体調・感情・金銭・人間関係・欲求…etc、その中だと体型のコントロールはだいぶ簡単な部類だ。
生まれつき太りやすい人がいるのは知っているし私は何もガリガリのモデル体型しか認めないと言っているわけではない。
筋肉をつければ体重が重くなるのは知っているから体重そのものに対して話をするつもりもない。
腹回りに中年太りが広がっていても顔の形が変わるレベルでないならまだセーフとする。
「筋肉をつける過程で飢餓状態を回避しようとすると多めにカロリーを取ることになりやすくどうしても脂肪がついてしまう」と言い張って筋肉を理由に体脂肪率を誤魔化そうとする人間は得てして顔が風船みたいに膨らんでいるものだ。
私が体重のコントロールを簡単だと考える最大の理由は数値化のしやすさとリカバリーの効きやすさにある。
自分の現在の体重と生活習慣を記録しておけば大まかな必要カロリーは算定できる。
体脂肪率も測っておけば体重変化が筋肉や水分によるものなのか脂肪によるものなのかもハッキリする。
個人差があるので「体脂肪率が理想値に近づいていける食生活」を加齢による代謝の変化も踏まえて管理していけばいい。
体重管理に関する情報は巷にありふれており、痩せすぎ太りすぎの対処方法を学ぶのはゼロから始めても半日ほど図書館にこもるだけで十二分なモノになる。
自分に必要なカロリー量が分かれば、あとはそれを管理するだけになる。
カロリーが脂肪に変わるまでの間には猶予があるので、飲み会で食べすぎた場合はそこから2日ほどの食事量を減らすなどの管理も、自分に必要なカロリー量がわかっていれば可能になる。
飢餓状態を防ぐ場合においても直近2日のカロリーで考えてコントロールしていく意識を持てばいい。
体重コントロールは「自分の状態を観測する」「観測した状態に合わせて軌道修正を行う」というコントロールの基本を守れば決して難しくないのだ。
対して感情・金銭・人間関係などは、自分がコントロール出来ない要素が多くなり難易度が上がる。
仕事でトラブルがいつ起きるのかなんて自分で選べるものではないし、悪いことが重なっている時にどこを優先するかなんて簡単には決められない。
ストレスが溜まりだすとそもそも自分を冷静に観測すること自体が難しくなるし、短期的にストレスを大きく回復させようとすると問題を先送りにするだけのことになったり金銭コストが跳ね上がってしまうものも多い。
人間関係なんかは勘違いによる突発的な事故のリカバリーを長期的に行う根気のいる作業となる。
現状を把握することがまず難しい中で、効果が出ているのかも分からないままに長い戦いを続けることになることが人生には多すぎる。
その中をともに生きる相手がたかだが自分の体型程度もコントロール出来ないというのは恐ろしいものだ。
体型管理が終わりのない戦いとなりうるのは事実だが、それを言うなら人生そのものが終わりのない戦いの連続だ。
その終わりのない戦いを生きるためには「甘っちょろい行動をとればそのツケを払うのに大きな苦労をすることになるから、常に気を引き締める」という感覚が必要だ。
「暴飲暴食のツケで増えた体重を戻すのは大変だから最初からそんなことはしない」という感覚さえ持てない人間は、「散財のツケで借金まみれになると大変だから最初からそんなことはしない」という感覚を持つことも難しいと私は考えている。
そんな人間とは一緒に歩めない。
長い長い人生の中で続く様々なリソースのコントロールの中で、自分の摂取カロリーさえまともにコントロールする意識・知識・感覚(センス)のない奴と一緒に過ごす余裕なんて自分にはない。