はてなキーワード: お買い得とは
ヴァイマールの宮廷楽長を辞任したリストは、ラティボル公に招聘され、公の弟グスタフ・ホーエンローエを通じてローマ教皇庁と接点を持つことになり、宗教音楽に取り組む意欲を持つことになる。「巡礼の年」や「詩的で宗教的な調べ」のように、前期・中期から既にリストには宗教的な要素が強い作品があったが、これ以降そのような作品はさらに増えていく。一方、子どもたちが相次いで亡くなったことで大きな精神的打撃を受け、1860年には遺書まで書いている(マリーとの関係はまだ悪かったようで、マリーのことは遺書にない)。カロリーヌは夫との婚姻を強制されたものであり無効であるとする枢機卿会議の決定を一旦勝ち取ることに成功するが、その後、婚姻が有効であると述べる証人が新たに現れ風向きが変わってしまう。というのも、ラティボル公の実子とカロリーヌの娘が結婚することになっていたのだが、カロリーヌの結婚が無効だったとするとカロリーヌの娘は私生児ということになり、大変都合が悪いわけで、グスタフが手を回して妨害させたようである(リストも後に状況を悟ったらしい)。愛する人と結ばれることに再び失敗し、重ねて精神的なショックを受けた。それでも、グスタフを初めとするローマのパトロンを見出し、ローマに腰を落ち着けて宗教音楽に熱心に取り組むことになる。ところが、1869年に度重なるヴァイマールからの要請で宮廷楽団の指導役として復帰し、さらに70年代からはピアノ教師としての活動も非常に活発になり(ローマでも週1ではやっていたらしい)、以降リスト曰く「三分割された生活vie trifurquée」、春はブダペストなどで音楽教師とコンサート、夏はヴァイマールの宮廷楽団の指揮、冬はローマで作曲とピアノのレッスンというスター時代に負けず劣らずの忙しい生活を死ぬ日まで送ることになった。晩年のリストのレッスンの記録をとっていた弟子アウグスト・ゲレリヒの日記(翻訳あり)を見るとリストの生活ぶりが良く分かる。
晩年のリストの代表作である。出版も最晩年。頻繁な不協和音の利用、レチタティーヴォ風の単純な旋律、独りごちるようなモノローグが目立ち、華麗な作風からの一変を感じることができるだろう。全7曲あり、第1・4・7は明るめで、宗教的な救いを示している。前期・中期作品でいうと、「孤独の中の神の祝福」」に近い作風である。それに挟まれた2・3・5・6は、「葬送――1849年10月」などと同じで、死を嘆くエレジーで、とても暗い。
この曲集の中で最も有名なのは第4番の「エステ荘の噴水」だろう。文字通りリストが住んでいたティヴォリのエステ荘の噴水を活写したものだ(その様子はググってくれ)。晩年作品の中では例外的に明るく、輝かしい作風で、しかも印象主義の先取りになっている画期的作品だ(ラヴェルの「水の戯れ」やドビュッシーの「水の反映」と比べると良い)。第2・3曲「エステ荘の糸杉にI・II」は大変暗い曲なのだが、続けて聴くと本当に救われる思いになる。絶望からの救済は、リスト本人が強く望んでいたことだ。
第三年だけの録音というのはあまり聴かないような気がする(エステ荘の噴水の録音はたくさんあるが)。第一年なども含めた全曲録音は前期の項目で書いたが、ベルマンとロルティが良いだろう。特に美しいロルティが好き。
1863年にリストは僧籍を取得し、聖職者となっている(ずいぶんな生臭坊主生活が死ぬまで続くが、リストのことなので仕方がない)。丁度その頃に作曲されたらしい。ローマに引っ越したリストを教皇ピウス9世が訪ねてきた時に(下級聖職者のくせにローマ教皇に足を運ばせる男なのである)、第1曲「小鳥に説教するアッシジの聖フランチェスコ」を演奏したらしい。フランチェスコが小鳥に説教する様子を描く絵だったか詩だったかをモチーフにした曲で、小鳥たちのさえずりを模倣したトリルがかわいらしい。明るく、聴きやすい作風である。
第2曲の「波をわたるパオラの聖フランチェスコ」は、嵐の中の船出を拒絶されたフランチェスコ(アッシジの人とは別人)が自らのマントを船にしてメッシーナ海峡を渡ったとかいう伝説をモチーフにしている。波を模倣したうねるような力強いアルペッジョが印象的。出だしこそ暗いが、明るく、輝かしく、充実した展開を迎える。
両曲とも1865年にリスト自身がブダペストにおける久しぶりの公開のコンサートで初演された。サン=サーンスがいたく気に入って、オルガン編曲を作っている。
ニコライ・デミジェンコ(Hyperion/Helios)のCDにソナタ、スケルツォとマーチと一緒になって入っていて、よく聴く。
元々はヴァイマール時代にオルガン曲として作った曲だが、この時期にピアノ編曲された。BACHの主題といっても、バッハの曲が引用されているのではなく、ドイツ音階のBACH(シ♭・ラ・ド・シ)をモチーフにした勢いのある曲。暗い曲だが、豪壮無比な超絶技巧を披露する曲であり、重苦しい感じはない。
面白い曲なのに良い録音が中々ない。昔韓国のクン・ウー・パイクの録音を聞いた気がするが記憶に残っていない。アムラン(Hyperion/ソナタなどとカップリング)が良いと思う。若手だとリーズ・ド・ラ・サール(naive)の演奏は非常に録音も良く、技術的にも良い感じである(naiveは廃盤になるのが早く、入手が難しいのが困りものだが、配信あり)。(追記)ハワード全集の演奏も彼のヴィルトゥオーゾっぷりを味わえるものだったと思う。しかしアムランやラ・サールと比べると分が悪いか。
長女ブランディーヌの子ダニエラ(死んだ息子と同じ名前)のために作った曲(父は「自由帝政」時代の首相エミール・オリヴィエ。なお産褥熱でブランディーヌは死んだ)。当時のクリスマス・キャロルの編曲だが、リストオリジナルの曲も入っている。第1曲(編曲)がとても良い曲なのだが、リストお得意の左手高速オクターヴの連続があり、子どもに辛いのでは(しかもご丁寧に軽くleggieroという指示がついていてピアニストは悶絶する)。第11曲の「ハンガリー風」はおそらくリスト、第12曲の「ポーランド風」はカロリーヌを暗示しているのだと思われるが、後者は明らかにショパンのマズルカ的な作風。やっぱりショパンのこと大好きなんすね~
実はハワード全集しか聞いたことがない(しみじみとした良い演奏だと思います)。
5. 暗い雲 S.199(死後旧全集に収録/1881年作曲);不吉な星 S.208(死後旧全集に収録/1881年作曲);調性のないバガテルS.216a(1956年出版/1885年作曲)
反則だが、リストの無調音楽の代表格を一挙紹介。リストの無調音楽は、機能和声が崩壊しているという意味では無調だが(その意味ではワーグナーの「トリスタン和音」も同様)、シェーンベルクの十二音技法のような意味で無調というわけではない(ドイツというよりフランスの無調音楽の先取りっぽい)。行くあてが未定まらないまま、タイトル通り曖昧な響きに終始する暗い雲、西洋音楽で不吉とされる音の組み合わせをこれでもかと盛り込んだ不吉な星は、これでも生前に既に演奏されてはいたのだが、調性のないバガテルは「無調」と銘打った音楽史上初めて(ではなかったとしても極初期)の作品で、発見されたのも20世紀後半になってからである(1956年出版というのは誤記ではない)。ただ、元々メフィスト・ワルツ第4番として作られていたので、舞曲の要素があってそこまで聞きにくい曲ではない。リストの精神状態もあって暗い感じだが、とにかくリストの前衛音楽家っぷりがよくわかる曲である。
いずれも録音はそこそこあるが、代表的な盤はあまり思いつかない。不吉な星はポリーニの録音したソナタのCDにカップリングされているので聴いたことがある人もいるだろう。暗い雲も入っていたと思う。調性のないバガテルはまあまあ取り上げられているが、昔カツァリスが日本で大ブレイクしていた頃に出したメフィスト・ワルツ全集(Teldec)に入っている。
初稿(21世紀に新発見され出版)、第2稿(悲しみのゴンドラI)、第3稿(悲しみのゴンドラII)がある。よく演奏されるのは第3稿(II)で、ヴァイオリンやチェロのための編曲もある。
ヴェネツィア所在だったワーグナーを訪問した1882年に作曲された。完成した曲をワーグナーに紹介する手紙を送り出した直後、ワーグナーが亡くなり、リストはこの曲を虫の知らせだったと感じたらしい。「巡礼の年」のヴェネツィアとナポリと対比すると良い作品。
不安を煽るような曲だが、それほど聞きにくい曲ではない。色々なCDにカップリングされているが、個人的にはブニアティシヴィリ(SONY/ソナタのCD)が好きなのでよく聴く。
なお、ワーグナーの死を悼む作品もリストは作っている(R. W. ――ヴェネツィア S.201とリヒャルト・ワーグナーの墓に S.135)。前者は不安を煽る曲だが(ポリーニのCDに入っている)、後者は敬虔な追悼音楽で、「パルジファル」の動機が使われている。ピアノより弦楽四重奏盤を聴くと良いだろう。
7. 村の居酒屋での踊り――メフィスト・ワルツ第1番(1862年出版)
前期の曲と思いきや、実は後期の作曲(作曲開始も50年代末のはず)である。やはり最後は明るく華やかな(そして生臭坊主な)リストで締めたい。着想自体は1836年に書かれたレーナウの叙事詩「ファウスト」で、ファウストを連れて村の居酒屋にやってきたメフィストフェレスが、ファウストを誘惑するためにヴァイオリンを弾き出し、みんなノリノリになって踊り出し、魔法の音にあてられてファウストは女の子と一緒に森の中に消えていくというしょーもない内容である。技巧的な見せ場も多いのだが、ヴァイオリンの調弦を模倣した五度の音程を重ねるところ(地味に安定させるのが難しい)、中間部の重音トリル(ピアニスト泣かせ)と幅広い跳躍、終盤の怒濤の追い込み(メフィストフェレスがファウスト堕落に成功してめっちゃ喜んでノリノリで弾いている様子なんだろう)が主なところである。
有名曲なので演奏はたくさんある。今ならブニアティシヴィリ(SONY)が良いと思う。ソナタも悲しみのゴンドラも入っているのでお買い得。自由奔放にやっちゃってるが、そのくらいの方がこの曲に合っている。映像もある(https://www.youtube.com/watch?v=n1tM9YSLYdc)。なお、評判の良いエコノム(Suoni e Colori)とルガンスキーのデビュー盤(Victor)は廃盤で聴いたことがない。早く再版しろ(激怒)
いかがだったろうか。リストのいずれも強烈な個性を持つ曲、もし良かったら楽しんでほしい。YouTubeに乗っている曲だけでも良い。音楽の楽しみが増えれば幸いだ。
(※その後超絶技巧七選も作ってみました。超絶技巧すぎてかえって推薦音源が少なくなったかも→anond:20241213224533)
追記:
前期のブコメに「愛の夢が落選した」というのがあった。申し訳ない。3つの演奏会用練習曲をその手の曲の代表例として入れたので。あと「コンソレーション」も同様に落選させた。同じような性格の曲集なのでどれを突っ込むか迷ったのだが、結局「ため息」のある3つの演奏会用練習曲にした。文字通りため息が出るような優美な「ため息」以上に愛の夢は優美で、明るく感動的な曲なのだが、実は元となっている歌曲の歌詞を見ると結構説教くさくて引くというのはここだけの話。
「エステ荘の糸杉に」が好きというブコメを頂戴した。リストのエレジーはどれも本当にもの悲しく、個人的にはちょっと辛い感もあるのだが、気持ちは大変よく分かる。
わかる。
好きな音楽やテレビ番組や本や映画や俳優の話をする時、母親の顔色を窺わなくていい。
免許を取って車の運転をして好きな時に好きな場所に行っても良い。
母親が好みそうな服を買わなくてもいいし
お買い得じゃない物を買う時に罪悪感に駆られなくてもいい。
距離をとれば父親に容姿やセンスや年収や運動神経や容量の悪さをバカにされる事もない。
長女は先に生まれてズルいんだからお姉ちゃんは我慢しろ…がしみついてるせいで
人より少しでも得をするたびに死にたくなっていたけど、ラッキー!って思って良いんだ。
私は姪がそのころの自分と同じ年齢になった時に気が付きました。
うちの親、まだ低学年のこんなに小さい子に対してあんな扱いしていたんだ。引く。
なんとなく記憶の中では「今の自分が」「今の両親に」されてた感じになっていたけどもそうじゃない。
体格も力も知恵も圧倒的に弱く小さい子供に毎日呪いをかける気持ちってなんなんだ…
記憶の中の自分を、自分ではない小さい女の子に置き換えてみてほしい。
でも、いまだに親と話す時は萎縮して顔色を窺ってしまう。刷り込みだ。
それっておかしいな?!って思いもあるから、習性+感情と理性が矛盾してしまい、折り合いをつけられずにとても苦しい。
なので今はひとまず距離を取って会わないようにしているよ。
※中国下げ日本上げじゃないのでそれを期待してる人は読まないでね。日本もずっとやばい。というか最近やばくない国がない。みんな違ってみんなやばい。しかし中国のやばさの加速とやばさの質が凄いねという話です。悲しくなってるのでお気持ち多すぎて完全に怪文書になってごめん。
中国がわりとやばいという話をたまにしてた日本と中国頻繁に行き来してる元中国住みの中年です。
https://anond.hatelabo.jp/20230611231950
https://anond.hatelabo.jp/20231001225541
本格的にわりとやばくなってるので久しぶりに。ニュースを見た人たくさんいると思うけど…なんかもう悲しさしかないよね。
【たぶん政府が一番焦ってる】
前に「中国が一番恐れてるのは人民だ」と書いたことがあるんだけど、この考えは今でも変わってない。
政府「えっと、まあそうなんだけど、ほどほどにね」
人民「(無視)(デマ拡散)(尾びれ背びれついてさらに拡散)(行動力のあるバカが暴走)(実害)」
政府「」
日本「」
ってなってる。日本にヘイト向けてガス抜きしたのは紛れもなく中国政府だけどここまで人民が暴走するなんて考えてもなかったはず。今自国やばいからそんなことしてる暇ないと思うけど。
良くも悪くもエネルギッシュなのが人民の特徴で、いい方向に行くと最高なんだけど悪い方向に行くともう最悪です。荒ぶる人民たちは本人らにさえ止められない。現実逃避だって本人らも分かってないというか気づきたくないんだろうね。
日本人として日本ヘイトずっと悲しかったけど、最近はもう「それであなたの将来への不安が少しでも消えるならどうぞ」みたいな感じになっちゃってる。いやよくはないけど。
日本ヘイトしてると色んなものがぼやけていいんじゃない。あのストゼロの有名な画像みたいな感じ。
これさ、対日本だからまだマシだけどほかの国に人民が喧嘩売ったらどうすんだろね。大問題になりそう。カウンターでぶっ殺されそう。
自分はガチでプーさんの次がどうなるのか心配してる。プーさんはなんやかんや言われてるけどようやっとる。こんな危ない人民たちのまとめ役()になりたいやついる?いねえよな…
次ガンギマリのやつきたらマジで中国どうなるのか考えたくもないわ。まあどうせ自分の好きだった中国は戻ってこないと思うから若干どうでもよくなってるけど。
【メンツどこいったの】
経済の危うさを感じ取れる指数は色々あるけど、なんせ前にも書いたように成長し続けられるメンタルじゃなくなってるんだよね。老若男女。
メンタルってなんだよデータ出せよって言われそうだけど、国が成長したり人が元気だったりするのに国民のメンタルってめちゃくちゃ大事だからね。我が国見たらわかるじゃん悪い意味で。
なんかもう悲しくなったのが、中国人のいいところでもあるかっこ悪いこともかっこよく面白く見せようとするようなのがなくなって、あろうことか弱者であったり状況がひどくなったことを武器にしたりしてるんだよ?中国人がだよ?メンツどこいったの?悲しくなるよ。
面白い自虐とかは昔からあったよ。でもそういうのじゃなくてさガチなのよ。怒りと悲しみがにじみ出てるのよ。
あんたらのいいところってしんどさや悪い状況を楽しんだり笑い飛ばしたりするところじゃん。それなくしてどうすんのよ…ガチで悲しいわ。
自分が中国にいたころは、「中国の若者はエネルギッシュだなあ。暗い日本の若者とぜんぜん違う」と思っていたのだが、その印象が逆転しつつある。環境がすべて悪いんだけど。
逆に日本の若者の方が「お、こんな楽しいもの見つけたw」「これめっちゃいいじゃん!」「こういうのやりたいなー!」って希望があると思う。なんか皮肉なことに景気悪いのがデフォになっちゃってるからそれを普通に受け止めて逆にいいことがあれば素直にいいじゃん!って思えるしいいことを見つけようとしてるのかもしれない。考えも柔軟な子が多いし。すごく良い傾向だと思う。希望をサポートできるように頑張りたい。
今の中国の若者って、今までガンガン成長してきてそれが頭打ちになって今度は隠しきれない悪いニュースがガンガン出てきて…みたいなので、日本の「不安」とはまた質が違うんだよね。日本は不安煽りすぎるくらい煽るから不安耐性つくんだけど、中国って政府が「問題ないっすよ」みたいな顔するし日本の比じゃないくらい事実捻じ曲げるしなんなら100を0にするしもうむちゃくちゃなのよ。そんな中「やばくない?」って一回思っちゃったらもう怖いの止まらないよね。普通に同情します。
というかいつも思うんだけど、日本の報道の自由が~とか言ってる人って中国行ったら気絶するのかな?
ちょっと違う話になるんだけど、今英語圏(ラテンアメリカもちょっと)のX(Twitter)やTiktokで日本叩きが流行っている。すげえバカな内容の。
「日本人は黒人フェチで、日本人女性は常に黒人の遺伝子が欲しがってる。気持ち悪い」「今日本はブラジルを征服中」「日本人は中国人を3000万人殺した」とか。そんなのに「日本のイメージが崩れた。悲しい」とかコメントいいね大量についてる。
頭おかしいでしょ?日本人のIQが高い!とか言ってるやつを今まで鼻で笑ってたんだけど、英語圏のバカどもを見てるとガチで日本人のIQが高い気がしてくるよ。
で、「中国凄い!」がセットで言われてるからこのブームはチャイナが起こしたものなのは間違いないとみてるんだけど
こういうのに釣られるアホどもを味方につけてどうすんの?これで「そうなんだー!」ってなる層に日本下げ中国上げすりこんでどうすんの?きたねえうんこにたかるきたねえハエ集めて役に立つの?立つわけねえじゃん。というか人民の暴走も大変なのに変なのまでついてきちゃってどうすんの?偉大な国家()として不利になるよ?
本当の「中国すごい」ができなくなったから苦し紛れでやってるんでしょ?かわいそうすぎて見てられない。嫌味とかじゃなくてマジで。
でもまあ日本人でも中国のありえないデマに騙されてるバカいるから人のこと言えないけどそれにしてもひどいわ。
【疲れた】
悲しい悲しいうるせえよって感じだけどさ、本当に悲しいんだよね。
前まで、愛があるゆえに軽口叩いて中国をいじって遊んでたけどそれもする気なくなるくらい悲しくなってる。
でもこの気持ちは前の中国に魅了されて夢中になって関わったり住んだりしたことある人たちにはわかってもらえるんじゃないかな。
でも今の中国の悪いところがなかったら中国は成長しなかっただろうし、そう考えるとこうなっちゃったのは必然だったのかとか。とりあえず中国スゴイ系インフルエンサーの日本人の方々は撤収作業に入ったほうがいいと思う。
十数年前から中国崩壊!!とかいう本出たり日本の愛国者(笑)が壊れたように中国オワタ連呼したりしてさ、今回もどうせしないんだろと思ってるだろうけど、今回はガチだから。崩壊!!!って感じにはならないだろうけど、気づいたらボロボロになってると思うよ。別に驚くようなことでもない。すごいスピードで成長した国の宿命だよね。
どうせ釣りとか創作とか言われるんだろうなあ。中国やばいと思わないならどんどん中国株を買ってね。フルレバでどうぞ。すごくお買い得になってるよ。
さんま2尾250円で買ってきた。今年初値88円ってテレビで言ってたけど2尾250円は去年と同じぐらいだからお買い得じゃない?
今年初めて見たさんまだ。色も銀ピカだし目が死んでない。死んでるけど。いいさんまと思う。
早速昼ご飯として食べよう。水洗いして汚れを落とす。きれいな青い物が流れ落ちる。何かな?
キッチンペーパーで水分をふき取る。食べやすいように側線辺りに薄く切れ目を入れる。両側に切れ目を入れてしまったけど片側だけの方がよかったかな?
まんべんなく塩をふる。以前他の増田が「塩の使い道が無い」と言ってたけど私もさんま以外に使わないかな。それとだけどそういえば朝採れトウモロコシ茹でる時にも塩使うわ。
さんまに塩をふってちょっと置いておく。別に置いておかなくてもいいような気がするけど。まだ塩は皮の上残っている。しみこまないのかな?
ガス台グリルを温めてから焼き始める。1分でひっくり返す。もう1分でひっくり返す。約2分やいてひっくり返す。最後に様子を見ながら2分ほど焼いて完成とした。おいしい焼き方ってあるのかな?おいしい焼き方教えてください。お店で使っている高さ調整式両面焼きで焼けばもっとおいしいと思う。
しょうゆは使わずに食べる。大根おろしもゆず・すだちもない。塩だけで食べる。おいしい。おいしいけど店で食べるより油が少ない気がする。焼き方の問題かな?魚個体の問題かな?
背骨をしゃぶる。外食では背骨しゃぶりはできない。しゃぶるだけで背骨は食べない。そして内臓を食べる。ごはんを食べる。内臓とごはんは合う。外食堂のさんまの内臓はうろこいっぱいで食べられないけどスーパーのさんまの内臓はおいしい。うろこもない。なぜかな?だけど外食堂のさんまは油が多くておいしい。焼き方の違いかな?
40%引きでも売れ残ったルルーシュ。
僕はなんてことをしてしまったんだ。
友だちを「買う」なんて。
これ以上ルルーシュがスーパーの陳列棚で売れ残るさまを見たくなかったんだ。
そんなの許せないよ。
だから。
決して僕が僕の欲望を満たすためにルルーシュを買っちゃったわけじゃあない。
それにしても。
ギアスで頭の中身はパッパラパーにされてるけどそんなの関係ないね。
今のルルーシュとは言葉で語り合うことは出来ないけどカラダなら存分に語りあえるのさ。
だって僕は半額のルルーシュをセルフレジでバーコードを読み込んでお会計したんだ。
もうどんなことでもできる。
いや違う!
何を言ってるんだ僕は。
ルルーシュがこれ以上赤の他人から辱めを受けないように僕だけの奴隷ちゃんにするために買ったんだ。
いや違う何を言ってるんだお前は?
一体誰だ俺を操作してるのは?
やmろ。ルルーシュが着てる女物のブラウスをやさしく脱がせるのはやめてくれ。
ああルルーシュ、やめてくれやめてくれやめてくれ僕の僕の負けだやめてくれ
昨日築地の吉野家一号店に牛丼食べに行ったんですよ。500円から1000円の予算で。
普通は長考して自分に合うの探すじゃないですか。そもそもメニューが薄くて限られたものから探すんですが、自分が候補を比べてる間にインバウンドの人が乱暴な買い方(鰻重牛小鉢セット[2枚盛])をして、無くなるんですね。
インバウンドの人からしたら、円安でお買い得なので爆買するわけですよ。
明らかに普通の買い物とは異なる買い方なんですが、別に制限ができないのでしょうがない。
結果として吉野家はウハウハ、わざわざ来店した日本人はまともに買い物ができない。
今やインバウンドが盛んな地域では、「現物を見て検討し、その場で購入、持ち帰る」という従来の買い物体験の価値が著しく落ちている。
小市民はグローバリゼーションのデメリットしか享受できない、、と。
昨日京都の一澤帆布に鞄買いに行ったんですよ。一万から二万の予算で。
普通は長考して自分に合うの探すじゃないですか。そもそも在庫が薄くて限られたものから探すんですが、自分が候補を比べてる間にインバウンドの人が乱暴な買い方(同じ商品の別色を全部買う)をして、無くなるんですね。
インバウンドの人からしたら、円安でお買い得なので爆買するわけですよ。
明らかに普通の買い物とは異なる買い方なんですが、別に制限ができないのでしょうがない。
結果として小売店はウハウハ、わざわざ来店した日本人はまともに買い物ができない。
今やインバウンドが盛んな地域では、「現物を見て検討し、その場で購入、持ち帰る」という従来の買い物体験の価値が著しく落ちている。
小市民はグローバリゼーションのデメリットしか享受できない、、と。