シンボリクリスエスとは、1999年生まれのアメリカ生産の競走馬(外国産馬)である。
馬主はシンボリ牧場[1]。所属は当時タイキシャトルやバブルガムフェローなどで知られた美浦・藤沢和雄厩舎。
馬名の意味は冠名+父馬の名前から。ファンからの略称は「ボリクリ」。
主な勝ち鞍
2002年: 天皇賞(秋)(GI)、有馬記念(GI)、青葉賞(GII)、神戸新聞杯(GII)
2003年: 天皇賞(秋)(GI)、有馬記念(GI)
この記事では実在の競走馬について記述しています。 この馬を元にした『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するウマ娘については 「シンボリクリスエス(ウマ娘)」を参照して下さい。 |
概要
シンボリクリスエス Symboli Kris S |
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生年月日 | 1999年1月21日 |
馬種 | サラブレッド |
性・毛色 | 牡・黒鹿毛 |
生産国 | アメリカ |
生産者 | Takahiro Wada |
馬主 | シンボリ牧場 |
調教師 | 藤沢和雄 (美浦) |
初出走 | 2001年10月13日 |
抹消日 | 2003年12月28日 |
戦績 | 15戦8勝[8-2-4-1] |
獲得賞金 | 9億8472万4000円 |
受賞歴 | |
競走馬テンプレート |
父Kris S.(クリスエス)、母Tee Kay、母父Gold Meridenという血統。
父のKris S.は、競走馬としては殆どめぼしい実績を挙げられないまま引退したものの、安価での種牡馬入りを果たした後は、ジェロームHのEvening Kris、ブリーダーズカップ・ターフを制したPrizedと競走馬時代の鬱憤を晴らさんがばかりに活躍馬を次々と輩出した上に、北米リーディングサイアーにも輝いた名種牡馬。この馬の後にもイギリスダービーのKris Kinが生まれている他、Kris S.を母父に持つ馬としてはかのZenyattaが存在している。詳しくは当該記事を参照。
母のTee Kayは現役中全31戦4勝、内1勝はGIIIのマーサワシントンステークスを勝利するなどまずまずの成績を残している。シンボリクリスエスはその3年目の産駒にあたる[2]。
母父のGold Meridenは米国三冠馬のSeattle Slewを父に持つ種牡馬。Tee Kay以外でめぼしい産駒はサンタ・マリアHのSupah Gemくらいで、取り立てて実績が残っているわけでもない。
父系はRobertoを祖に持つ、いわゆる「ロベルト系」に属する馬である。この時点の日本でもロベルト系の流れを汲む*リアルシャダイや*ブライアンズタイムが導入され、その産駒達が活躍していたが、彼らと比べると馴染みの薄い、いかにもアメリカといった感じの配合ではあった。そんな具合に一見何も関わりがなさそうなこの馬は、何の因果か日本へとやってくることになるのである。
競走生活
誕生~入厩前(1999~2001年):思いもよらない来日
かのスピードシンボリやシンボリルドルフらの生産、果敢な海外挑戦などで知られていたシンボリ牧場であったが、紆余曲折を経て90年代では社台グループ系牧場などの後塵を拝し始めていた。そんな中1994年に2代目オーナーであった和田共弘氏が死去。この跡を長男の孝弘氏が継いで3代目に就任することになる。
新オーナーとなった孝弘氏は先代までのヨーロッパ流のスタイルを転換、アメリカの馬産や市場に対して目を向け始めた。その過程で日本へと持ってこられた*シンボリインディが、99年のNHKマイルカップに勝利。新たな方針は一定の実績を挙げることに成功したのである。
時を前後して98年の11月、アメリカ・キーンランドの繁殖牝馬セールでこの馬の母Tee Kayがシンボリ牧場によって落札される。Kris S.の仔を受胎済みであった彼女は、翌々月の99年1月21日に委託先のミルリッジファームで牡馬を出産。だがこの馬どうやら誕生当初ではあまり期待されてなかったようで、1歳に達した際に幼駒セールへと売りに出されてしまう。結果としては主取りとなったために売却はされずにすんだが、この時点での彼はセールの売れ残り馬というとてもバツの悪いポジションに収まってしまっていた。
しかし運命とはどう転ぶか分からないもの。主取りから少し経った後のこと、シンボリインディの活躍を受けて、日本でのデビューを期待されていた別の馬がいたのだが、その馬が日本へと移動する前に死去してしまったのだ。そこで代わりに白羽の矢が立ったのがこの馬。記事冒頭にもある通り、冠名と父馬の名前を合わせるスタンダートな命名法から「*シンボリクリスエス」と名づけられて、日本の美浦・藤沢和雄厩舎でのデビューが決定することに。いわば代打起用からの日本行きであった。
もちろん当初売れ残りとなっただけあって、この馬なかなかのネックを抱えており、一言で表すと「馬体の大きさの割に仕上がりが悪く、かつ疲れが残りやすい」という難儀な代物であった。よほどその具合の悪さは印象的だったのか、担当調教師の藤沢和雄、現役前半の主戦騎手・岡部幸雄、調教を度々担当した鹿戸雄一(元騎手・現調教師)は、後年になってからも何かとその酷さ(と成長力)を回顧している。
2歳~3歳春(2001年後半~02年前半):無慈悲な宣告
上記の通り仕上がりの悪さが尾を引いたこともあって、競走馬としてはやや遅めの2歳後半、2001年10月13日に東京競馬場1600mで岡部騎手を背にデビュー。騎手・調教師が共に掲げる「馬優先主義」のモットーもあってかあまり無理はさせないという前提の騎乗であったが、ギリギリクビ差分先着して勝利。レース後も長い目で見ていくために、十分に疲労を取るべく3ヶ月ほどの休養を挟むことに。とりあえず初戦は勝てたということで2歳シーズンは終了。
年が明けた2002年、3歳となったシンボリクリスエスであったが、やはりどうにもイマイチだった様子。鞍上を横山典弘に変え、500万下(現在の1勝クラス)の条件戦を2戦するが2着・3着、岡部騎手が戻ったレースでも3着と、届かない着順が続いていく。4度目の500万下挑戦となった4月6日の山吹賞で何とか勝利を収めるもの、この時点のシンボリクリスエスは世代のモノの数にも入っていなかった。
転機となったのは、次走の青葉賞(GII)。岡部・横山両騎手が騎乗出来ないということで、骨折から復帰したばかりの武豊を乗せたシンボリクリスエスは、好位からの先行競馬で抜け出して後続に2馬身半差をつけ快勝。数々の名馬を知る武騎手も手ごたえを感じたのか「いいですねこの馬!秋には絶対よくなりますよ!」と絶賛した。こうして将来へのお墨付きを得て、シンボリクリスエスとその陣営はダービーへの切符を見事に掴み取った……ん?
迎えた5月26日の東京優駿(日本ダービー)(GI)、単勝2.6倍の一番人気は武騎手の乗るタニノギムレット。ここまで皐月賞・NHKマイルカップの両GIで3着と安定した成績を残している。続いて皐月賞を制した蛯名正義騎乗のノーリーズンが5.0倍の2番人気。岡部騎手が戻ったシンボリクリスエスは単勝6.2倍の3番人気であった。
レース本番では中団に位置取り、レースを見つつじっくりを脚を溜める形に。迎えた最終直線、わずかに外に持ち出して進出を開始、凄まじい勢いで先団の馬を差し切っていくシンボリクリスエス。しかしゴール板を目前に大外から飛んできたタニノギムレットの強襲を受けてしまい1馬身差で2着に。「秋にはよくなる」と言った武豊その人に阻まれる形でダービーの夢はならなかった。
開業から14年、ようやく手が届きかけた「ダービー調教師」の称号を逃した藤沢師は悔しくて悔しくて仕方がなかったという。この5年後に出演した『武豊TV!』でもタニノギムレット陣営と武騎手に対して辛辣な言葉を向けていた辺り、心境が伺い知れる(勿論ウケ狙いのネタ半分トークである。半分は本気かも)。
(タニノギムレットにそっくりな娘・ウオッカを管理する角居勝彦調教師が「(一族の)ロマンですね」と評されて)
藤沢「『ロマン』じゃないですよ、私は……。唯一ダービーのチャンスがあったのがシンボリクリスエスで。あのタニノギムレットで、きれーいに豊くんに乗ってかわされた……」
武「スイマセン」
藤沢「……それで(ギムレット一族で)ずーっとやりたいとか、全然『いい話』『ロマン』じゃないですよ……。どういう番組なんですかこれは?」
師の悲願はこのダービーから15年の時を経て、奇しくもシンボリクリスエスの血を引くレイデオロによって果たされることになる。一族のロマンである。
3歳秋(02年後半):黄金の秋
こうして夢破れたシンボリクリスエスだったが、陣営は青葉賞・日本ダービーと明らかに力量を付けている事を確信。武騎手とタニノギムレットへの報復に燃える藤沢師はきっちり仕上げ、夏を挟んだ神戸新聞杯(GII)で怪我から復帰明けのノーリーズンを2馬身つけて難なく打ち破る。なお、出走を表明していたタニノギムレットはレース前に屈腱炎を発症して出走することもなく引退、日本ダービーが最初で最後の戦いとなってしまった。
勢いに乗った陣営は、菊花賞ではなく古馬混合重賞の天皇賞(秋)(GI)への出走を表明する。東京競馬場の改修工事に伴い中山競馬場での開催となる今年の秋天には、同期が次々とターフを去る中でも未だに走り続けていた古強者・ナリタトップロードなど、強豪ひしめくメンバーが秋の盾を狙っていた。その中で3歳馬はダービーの時と同じ3番人気に支持されたシンボリクリスエスのみ。2000mへの短縮後に3歳で天皇賞(秋)を制したのは、これまででは彼の先輩にあたるバブルガムフェローただ1頭だけということもあってか、力量はあれど有力馬であれど、この年齢で勝つには流石に物足りないと下馬評では思われていた。
ここへ来た理由
何故ここにいるのかと 問われた若者は
相手に吠え掛かろうとする。練達の師が彼の肩に手を置く。
止まらなかった身震いが 自然とおさまっていく。そうだ言葉ではなく 結果で教えてやればいい。
君がここへやってきた ただ一つの理由を。
このレースがコンビとして組む最後でもある相棒・岡部幸雄を背に、抜群のスタートを決めたシンボリクリスエスはこれまた中団最内に陣取り脚を溜める。終盤になって周りが慌ただしくなっても息を潜め続けて短い最終直線。溜めに溜めた勢いを一気に爆発させて先頭に突っ込んでいく。ナリタトップロードがあの時のタニノギムレットのように外から追い込んでくるものの、今度こそ真っ先にゴール板を駆け抜けた。
こうして短縮後史上2頭目の3歳馬による天皇賞(秋)制覇をやってのけたシンボリクリスエス。岡部騎手の「53歳11ヶ月」という最年長GI制覇記録[3]を手向けに念願のGI戴冠を果たした。
次走のジャパンカップ(GI)では当時大人気だった短期外国人ジョッキーオリビエ・ペリエが予定通り騎乗。岡部氏に代わる主戦騎手としてこれ以降シンボリクリスエスを担当している。
前走の勝利もあって1番人気に推されるが、開幕の出遅れがダイレクトに影響を及ぼす形に。最終的には叩き合いに持ち込んで*ファルブラヴの3着と、日本勢の中では最先着ではあったのだが、その分初動が何とも惜しまれる結果に終わってしまった。よほど悔しかったのか、検量室に戻ったペリエ騎手の顔からは血の気が引いていたという。
3歳最後のレースとなった有馬記念(GI)に対しては当初見送る姿勢を見せていたが、人気投票2位に選ばれたこともあり、出走を決定。なお、同様に投票1位だったナリタトップロードも香港遠征プランを変更して出走してきた。
当日のオッズ人気では秋華賞・エリザベス女王杯を含めてここまで無敗で来た3歳牝馬の*ファインモーションに1番人気単勝2.6倍の支持が集まったこともあって、2番人気3.7倍に甘んじる結果に。
レースでは彼女と*タップダンスシチーのハナ争いを尻目に、早々に5番手辺りに取りつきながら追走。中盤タップダンスシチーの大逃げのような形でレースが進み、焦った周囲が早めに進出を始める中でじっくりと待ち続けるペリエ騎手。最終直線を迎えた瞬間からタップダンスシチーへグイグイ迫っていき、見事半馬身差に差し切って勝利。年末の大舞台でGI2勝目を飾った。
これら秋古馬GIでの成績の良さもあって、2002年度JRA賞では「最優秀3歳牡馬・年度代表馬[4]」に選出。
3歳春までは500万下を勝ったばかりだったこの馬は、「秋にはよくなる」の予言的中と言わんがばかりに、同じ年の下半期から圧倒的な追い上げを見せて現役トップの座を掴み取ったのだ。
4歳(2003年):連覇の鬼
有馬記念を勝った翌2003年、藤沢師は(走り切った後の消耗や距離的な部分を考慮して天皇賞(春)を早々に諦めた上で)「年末の有馬記念に余力を残しながらGIに出走できるローテーション」という逆算から宝塚記念・天皇賞(秋)・ジャパンカップ・有馬記念の年4走での出走計画を発表。今日では外厩などの発達もあってトップホースには珍しくないGI直行・鉄砲ローテであるが、当時は始動の遅さや出走数の少なさで何かと物議を醸した部分でもあった。同時に社台スタリオンステーションでの種牡馬入り予定も発表され、現役は今年1年で最後ということも明らかにされた[5]。
ともあれシンボリ牧場での放牧などでじっくりと疲労を抜きながら調整を行い、心身の成長を促して迎えた宝塚記念(GI)。去年の年度代表馬の待ちかねた出走ということもあり、単勝2.1倍の1番人気に支持される。本拠地・フランス競馬のスケジュールの都合で騎乗がならなかったペリエ騎手に代わり、今回はケント・デザーモが代打として起用された[6]。
レース本番はいつも通りに中団内側に構えて脚を溜め、最終直線でゴボウ抜きの戦術を取る…はずだったのだが、進出を焦り最終コーナーで抜け出しを図ってしまう。タップダンスシチーとの激しい競り合いをする中、外からのツルマルボーイ、ネオユニバース、そして3角からロングスパートをかけ続けてながら飛んできたヒシミラクルにかわされ、最終的にはタップダンスシチーとの競り合いにも負けてしまう。結果、勝ち馬のヒシミラクルから生涯最低着順の5着で敗北。皮肉にもこのヒシミラクルはシンボリクリスエスの同期で、距離や疲労を理由に回避した菊花賞・天皇賞(春)の勝ち馬でもあった。
だが万全に万全を期した間隔と仕上げでありながら、掲示板ギリギリの5着で負けてしまったショックこそあったが、陣営はローテーションの変更をせずに、オリビエ・ペリエともども残り3走のGIへ全力を挑みかかる姿勢を貫いた。
まずは昨年勝利した天皇賞(秋)(GI)。昨年の中山競馬場を経て、改修工事を終えた東京競馬場で従来通りでの開催となったこのレースでは、一度勝った身ながら、前走の負けと絶対不利とされる大外枠(8枠18番)が響いてか、1番人気とはいえ単勝2.7倍というそれなりのオッズがついた。
本番ではいきなり*ローエングリンとゴーステディが揃って大逃げで後続を突き放す。この二頭が作り出した前半1000mを56.9秒で通過するスプリント戦並みのハイペースでレースが進んでいく傍ら、中団の外目から追走してレースを見る形に。最終直線では内に切り替えながら、あえなくズルズルと後退して来る二頭を悠々と追い抜きつつどんどん加速。ツルマルボーイの追撃も振り切ってあっさりと1馬身半差ほどでゴールインしている。これでGI3勝目。
勝ち時計は01:58:00、大逃げの二頭がペースを引っ張ったこともあって貫禄のレコード更新となった。ちなみにこの勝利により、当時史上初の天皇賞(秋)連覇を達成[7]。
前年のリベンジがかかったジャパンカップ(GI)ではまたしても単勝1.9倍の1番人気に支持される中、もはや定番の中盤追走。
タップダンスシチーが大逃げを図る中、おりしも芝が重馬場ということもあり、前走と同じくわざわざ後退して来るだろう相手を捕まえにいくこともないと判断してか、3角手前まで悠然と構えて……タレてくるはずのタップダンスシチーが先頭を走り続けている。流石に不味いと思って捕まえにいくペリエ騎手とシンボリクリスエス、しかしここに来て重馬場が牙を剥く。道悪ではタップダンスシチーとの差が中々埋まらないのである。そうこうしている内に遥か先頭でタップダンスシチーがゴールイン。ここで記録した2着馬との着差・9馬身差は、グレード制採用後の中央GIにおける最大の着差である。かたやシンボリクリスエスは、菊花賞馬ザッツザプレンティの3/4馬身差で去年と同じ3着に甘んじることになった。
手痛い敗北から気が付けば年末、泣いても笑ってもこれがこの馬の現役最後のレースとなった有馬記念(GI)。ラストランということもあってか、ファン投票・オッズ人気でともに1位に選ばれている。
メンバーはこれで4度目の対決となる宿敵タップダンスシチーの他、同藤沢厩舎から後輩にあたるダービー2着菊花賞4着の素質馬ゼンノロブロイなども出走表明しており、油断の出来ない面々が揃っていた。
当日は単勝2.6倍を背負い、8枠12番からスタートしたシンボリクリスエスとペリエ騎手。いつものようにゼンノロブロイらと中団に位置取りつつ、逃げてハイペースを作り出す先団勢を見る形に、もはや定番も定番である。しかしこの日の彼らはここからが別物だった。
「明らかにジャパンCのときよりも、怒りを感じるね。タップダンスシチーが目に入って、あの9馬身3/4差を思い出してさ、めらめらと燃えてきたのかな」
私にもシンボリクリスエスの戦闘意欲があふれるほどに伝わってくる。
「たしかに、くやしさに満ちているな。ペリエだって、今日はジャパンCのくやしさを晴らしたいしね。タップダンスシチーのつかまえどころがむずかしいレースになるだろうけど、ペリエだからなぁ、しっぺ返しをするよね」
ジャパンカップの反省と言わんがばかりに、3角で逃げ馬を捉えてから凄まじい加速を始めるシンボリクリスエス。中団勢からは最終コーナーで抜け出して早々に先頭に立った瞬間、脚の回転が他より何倍も違って見える動きで後続を突き放し始める。ここからの中山の直線は短いぞ。
1馬身…2馬身…2着との差はまだまだ伸びる、3馬身…4馬身…伸びは止まらない、5馬身…6馬身…後方集団までようやく直線に差し掛かかりきったか、7馬身…8馬身…ゴール板に突っ込んで9馬身。
勝ち時計は02:30.05。91年ダイユウサクの有馬記念レコードを更新、2着のリンカーンとの着差は9馬身[8]。もちろんこれもグレード制採用後のJRAGIでの最大着差タイ。
文句なしの大圧勝とGI総計4勝の実績を手土産にその日の内に中山競馬場で引退式を行い、そのままターフを去ることとなったシンボリクリスエス。
なお年明けの2003年度JRA賞でも昨年度に引き続いて「最優秀4歳牡馬・年度代表馬[9]」に選出されている。
種牡馬入り後~死去(2004~2020年):一翼を担って
当初の予定通り社台SSにて種牡馬入りを果たしたシンボリクリスエスだが、初年度の2004年から216頭の繁殖牝馬に種付けを行うなど人気を博しており、その初年度産駒からサクセスブロッケン、2年目産駒からストロングリターン、5年目産駒からはアルフレードといった具合に幸先よくGI馬を輩出。以降も2013年辺りまでは安定して1年に200頭前後の種付けを行っていた。6年目産駒からは自身初のクラシックホースとなるエピファネイア、そのしばらく後にルヴァンスレーヴと最終的には総計5頭のGI馬をこの世に送り出す事に成功している。特筆すべきは(上記のGI馬を含めて)輩出した重賞馬の9割以上が牡馬なことだろうか[10]。重賞馬の詳細に関しては、以下「主な産駒」の欄を参照。
その後、高齢化による受胎率の低下や後継種牡馬たちの登場などもあり、2016年にブリーダーズスタリオンステーションに移動[11]。最終的には2019年シーズンの種付けを最後に種牡馬を引退。ちょうど後継代表として目されたエピファネイアの産駒が走り出した時期と入れ替わるような形で現役を退くこととなった。
その後は千葉のシンボリ牧場で功労馬として安らかに余生を過ごしていたが、翌2020年9月に蹄葉炎を発症、約3ヶ月後の12月7日に起立不能となった末、翌日の8日に死去。21歳での大往生であった。奇しくもその1年ほど前には、彼のオーナーブリーダー・和田孝弘氏も天へと旅立っていた。
ロベルト系の血を引く彼の産駒は、同時期に衰退を始めたブライアンズタイムの産駒たちに取って代わるように国内で繁栄。2022年現在、世界的にやや押され気味なロベルト系の中では*グラスワンダーのラインと共に珍しく隆盛を極めている。
直孫の代の話題でいうと、後継種牡馬のエピファネイアの産駒から初年度に無敗三冠牝馬のデアリングタクトが登場。更に2年目産駒ではエフフォーリアという馬が出現。このエフフォーリア、奇妙にも「ダービー2着の後に」「天皇賞(秋)・有馬記念を制覇して」「3歳でその年の最優秀3歳牡馬と年度代表馬に選ばれる」というどこかで聞いたことのあるような活躍を見せている[12]。
一方他では、種牡馬入りしたばかりのルヴァンスレーヴも初年度から連続して200近くへの種付けを行うなど、ダート方面の種牡馬としての高い期待が見て取れるだろうか。
上記の通り、圧倒的な牡馬の産駒比重に対して牝馬からはめぼしい戦績の馬は出なかったものの、一代おいた母父としては輩出した顔ぶれがごっそりと層を厚くしており、G1級馬だけでもオジュウチョウサン、レイデオロ、アルクトス、アカイイト、ソングラインといった面々が挙がる。この内レイデオロは先述した通り、祖父と同じ藤沢厩舎に入厩し、師にとって悲願であったダービーの他、天皇賞(秋)も制覇している。
生まれてすぐは期待にもされずセールに出されて、あえなく主取り。寂しく売れ残ってしまっていた馬は、奇妙な偶然から日本に渡り、世界的な名手たちに支えられ、多くのライバルとの戦いを経て、何度もの敗北にまみれた末に、ついには時代を代表する存在へと大成を遂げた。そんなシンボリクリスエスの血脈は代を重ねて着々と異国に根付きつつある。
今日もターフで、ダートで、あるいは厩舎で、外厩で、もしくはテレビで、ラジオで、ネットで……彼の子孫たちは多くの人々を賑わせて続けているだろう。
余談・逸話
- シンボリクリスエスが03年有馬記念で9馬身差をつけて勝利した出来事について、一部では「前走ジャパンカップでの9馬身差負けをやり返すために、陣営が強烈に調教をつけて馬を追いこみまくった」という風評がネット上では多々見られる。この「シンボリクリスエス」の項目にも「このレースの敗北に怒ったのか、藤沢調教師は引退レースの有馬記念を前に、シンボリクリスエスに珍しく強い調教を掛けたという。」(以上原文ママ)という記載が、記事初稿の2012年3月からおおよそ10年以上に渡って残り続けていたことからも、この説の根深さがお分かりいただけるだろうか。
この言論に関して、師は2008年刊の自著でこう反論している。さて、クリスエスに対する余談ですが、彼は3歳時の有馬記念で2着に半馬身つけた差を、4歳時では9馬身差に広げました。「引退の決まっている最後の一戦なので藤澤が完膚なきまでに仕上げた」などと言われたりしましたが、それは大きな間違いです。種牡馬入りの決まっているお馬さんに対し下手に余計な負荷をかけて壊してしまっては、馬主さんだけではなく競馬界全体に向ける顔がなくなります。つまり、最後の一戦で無理をさせないことはあっても、その逆はありえないわけです。
―藤沢和雄『勝つためにすべきこと』から
- ペリエ騎手は、上記の9馬身差をつけた圧勝の後に「パントレセレブルと肩を並べる最強馬だ」とかつて自身が乗った90年代欧州屈指の馬を引き合いに出しつつ大変高く評価。
それから20年近くたった2022年2月、藤沢師の引退に際してコメントを寄せた際も「彼は本当にスペシャルクラスのストロングホースだったよ」と回顧している。同じく藤沢厩舎で騎乗したゼンノロブロイの話題と合わせて、当時の思い出話に花を咲かせていた。 - そのペリエ騎手とコンビを組み、翌年秋古馬三冠を達成する同厩のゼンノロブロイは大変なボス馬気質であったことで知られており、両者ともに所属の03年には衝突していたようだ。しかし師の言をみる限りでは、競走成績でも厩舎でも一歩もあちらに譲らずに現役生活を終えた彼の姿が見て取れる。この馬も相応に負けず嫌いだったのだろうか。
(ゼンノロブロイを天皇賞秋ではなく菊花賞に出走させた話題に触れた上で)
何より、その年の天皇賞にはシンボリクリスエスがいた。その時点では、ゼンノロブロイはまだシンボリクリスエスに迫力負けしていたから、恐らく勝てなかったのではないかと思う。 - 一方で社台スタリオンステーションに種牡馬入りした後では、何やらディープインパクトと意気投合していた模様。ネットでは仲良く戯れる姿が撮影されている。必見。(外部動画リンク)
- 彼の外見的特徴としては、何と言っても一風変わった耳が取り沙汰されやすい。画像検索でもしてもらえば見つかる通り、その大きさに加えて反り返った形状もあって大変目立っている。ファンの間では(彼の略称から)「ボリクリ耳」と呼ばれていることも多いようだ。
ちなみにこの耳の形、彼の産駒や孫たちにもしっかりと遺伝しているようで、彼の血筋を引いているか見極める要素としてもそれなりに機能している。父であるKris S.も写真などからよく似た耳を確認出来るので、恐らくこの遺伝子はそちらから来たのだろう。受け継がれるのは競走能力だけではないのだ。
血統表
Kris S. 1977 黒鹿毛 |
Roberto 1969 鹿毛 |
Hail to Reason | Turn-to |
Nothirdchance | |||
Bramalea | Nashua | ||
Rarelea | |||
Sharp Queen 1965 鹿毛 |
Princequillo | Prince Rose | |
Cosquilla | |||
Bridgework | Occupy | ||
Geale Bridge | |||
Tee Kay 1991 黒鹿毛 FNo.8-h |
Gold Meriden 1982 黒鹿毛 |
Seattle Slew | Bold Reasoning |
My Charmer | |||
Queen Louie | Crimson Satan | ||
Reagent | |||
Tri Argo 1982 黒鹿毛 |
Tri Jet | Jester | |
Haze | |||
Hail Proudly | Francis S. | ||
Spanglet | |||
競走馬の4代血統表 |
主な産駒
2005年産
- サクセスブロッケン (牡 母 サクセスビューティ 母父 *サンデーサイレンス)
- '08ジャパンダートダービー(JpnI)、'09フェブラリーステークス(GI)、'09東京大賞典(JpnI)
- ダンツキッスイ (牡 母 サンフラワーガール 母父 *タイキシャトル)
- マチカネニホンバレ (牡 母 *マチカネチコウヨレ 母父 Deputy Minister)
- モンテクリスエス (牡 母 *ケイウーマン 母父 *ラストタイクーン)
- '09ダイヤモンドステークス(GIII)
2006年産
- アプレザンレーヴ (牡 母 *レーヴドスカー 母父 Highest Honor)
- クリーバレン (牡 母 アズサユミ 母父 *サンデーサイレンス)
- '11新潟ジャンプステークス(J・GIII)
- サンカルロ (牡 母 ディーバ 母父 Crafty Prospector)
- ストロングリターン (牡 母 *コートアウト 母父 Smart Strike)
- '12安田記念(GI)、'11京王杯スプリングカップ(GII)
- ダノンカモン (牡 母 *シンコウエンジェル 母父 *オジジアン)
- パワーストラグル (牡 母 ビッグハッピー 母父 *アフリート)
- ランフォルセ (牡 母 *ソニンク 母父 Machiavellian)
2007年産
- アリゼオ (牡 母 スクエアアウェイ 母父 フジキセキ)
- '10スプリングステークス(GII)、'10毎日王冠(GII)
- サイレントメロディ (牡 母 サイレントハピネス 母父 *サンデーサイレンス)
2008年産
2009年産
- アルフレード (牡 母 プリンセスカメリア 母父 *サンデーサイレンス)
- '11朝日杯フューチュリティステークス(GI)
- サナシオン (牡 母 ジェダイト 母父 *サンデーサイレンス)
- '15東京ハイジャンプ(J・GII)、'16阪神スプリングジャンプ(J・GII)
2010年産
- エピファネイア (牡 母 シーザリオ 母父 スペシャルウィーク)
- ソロル (牡 母 ラバヤデール 母父 *サンデーサイレンス)
- マイネルフィエスタ (牡 母 フェリアード 母父 *ステートリードン)
- '17京都ジャンプステークス(J・GIII)
- ユールシンギング (騸 母 ジョリーノエル 母父 スペシャルウィーク)
2011年産
2013年産
2014年産
2015年産
- ルヴァンスレーヴ (牡 母 マエストラーレ 母父 ネオユニヴァース)
- '17全日本2歳優駿(JpnI)、'18ジャパンダートダービー(JpnI)、'18マイルチャンピオンシップ南部杯(JpnI)、’18チャンピオンズカップ(GI)、'18ユニコーンステークス(GIII)
2017年産
関連動画
関連静画
関連コミュニティ
関連リンク
関連項目
- 競馬
- 競走馬の一覧
- 2002年クラシック世代
- 岡部幸雄/オリビエ・ペリエ(主戦騎手)
- 藤沢和雄(調教師)
- クリスエス(父)
- ロベルト(競走馬)(父父)
- ライバルたち
- ゼンノロブロイ(1つ下の後輩)
- 主な産駒たち
- エフフォーリア(何か似てる直孫)
脚注
- *ちなみに生産者は、生まれた牧場の「ミルリッジファーム」名義ではなく、アメリカでの方式に則って母馬の所持者である「Takahiro Wada」名義になっている。
- *2年目の産駒が不受胎に終わったため、この馬は3年目の産駒ではあるが2番仔ということになる。
- *この記録は2023年の大阪杯で武豊が「54歳」で破るまで20年間トップに君臨し続けた。
- *全281票中で前者は280票・後者は277票での選出。
- *「スタッドイン後はシンボリ牧場と社台グループとの間で所有権を折半する」という共同所有契約での種牡馬入り。
- *ちなみにかつての主戦・岡部幸雄も、02年有馬記念でのコイントスへの騎乗を最後に一旦左膝の治療に入っており、そのリハビリにも1年以上の歳月を費やしていた。デザーモ氏の起用は岡部氏のこの事情もあったと思われる。
- *この後ではアーモンドアイが2019・20年での連覇を果たしている。
- *この有馬記念での最大着差記録も2022年現在破られていない。参考程度に近年の有馬記念での圧勝として記憶に新しい13年オルフェーヴルの着差が8馬身、19年リスグラシューの着差が5馬身である。
- *全287票中で前者は257票・後者は220票での選出。
- *2022年にようやく牝馬産駒のプリティーチャンスが地方交流重賞を制した頃には、シンボリクリスエスの没後2年が差し掛かっていた。
- *ブリーダーズSSで過ごした種牡馬生活の数年間では、後継の一頭であるストロングリターンと同時繋養されていた。シンボリクリスエスの種牡馬引退後、使っていた放牧地・厩舎は彼に引き継がれているようだ。
- *極めつけに年度代表馬に選出された際の票数が、シンボリクリスエスと全く同じ277票だったこともちょっとした語り草となった。
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