本来の意味
元は仏教用語「往生」であり、"往"とは死後仏の国(浄土)に往くこと、"生"とはそこに化生することを指す。
化生とは誰の力(特に母の胎内)にも依らず、自らの生前の業(カルマ)によって(浄土に)生まれ出ずることであるという。
また、仏の国に往くということから、往生は必然的に成仏を伴うということでもある。
後世、「往生」は死後の概念であることからこの語そのものが逝去を示す語となり、やがて俗な意味で「進退窮まり、もはやホトケになるしかない」または「思い残すことなく死ぬがよい」という状況を指して使われるようになった。
「往生際が悪い」というのはまさにこの意から派生した言葉である。
そして、真に仏に成れるような死に方、特に自身の遺志をしっかりと残し大きな諍いや残念悔恨なく子孫親類に敬われ見守られて静かに天寿を全うする様を、俗な意味と区別して大往生と呼ぶようになったのである。
(単純に「生を全うして老衰死する」場合も大往生と表現する場合がある。)
さらに、叡山の僧兵であった武蔵坊弁慶が矢の雨を全身に受けて立ったまま往生し、源義経を死守した故事「弁慶の立ち往生」から転じて、機体などがトラブルにより動かなくなることを、部品が死ぬことにかけて「立ち往生」と言うようになった。
(これも、「立ち行かなくなること」「手詰まり」の比喩として立ち往生と表現する場合がある。)
もちろん…
ニコニコ動画上で人が老衰死(大往生)を遂げる瞬間を追った動画は挙げられるわけもなく、今後もアップロードされないだろう。
ということで、概ねこのタグは往生に至った故人・故獣を偲んでの動画に使われることが多い。
関連動画
関連項目
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