ロベルト(Roberto)とは、1969年生まれのアイルランドの競走馬・種牡馬である。鹿毛の牡馬。
欧州競馬界では最大の悪役とも言われる馬。
名前の由来はメジャーリーグの名選手ロベルト・クレメンテで、本馬の生産所有者だったジョン・ガルブレスがクレメンテが所属するピッツバーグ・パイレーツのオーナーだったことから名付けられた。
通算成績14戦7勝[7-4-0-3]
主な勝ち鞍
1971年:ナショナルS(G2)、アングルシーS(G3)
1972年:ダービーステークス(G1)、ベンソン&ヘッジスゴールドカップ(G1)
1973年:コロネーションカップ(G1)
概要
父は大種牡馬Hail to Reason、母はCCAオークスなどを勝った活躍馬Bramalea、母父は米二冠馬Nashua。血統が示す通りアメリカ産馬である。血統表を見てもらえばわかるがなかなか複雑なクロスがかかっている。NearcoやBlue Larkspurなど名馬のクロスもあるので、案外このクロスが力の源泉かもしれない。
ガルブレスはロベルトをアイルランドへ送り、名伯楽ヴィンセント・オブライエン(現在アイルランドで無双中のエイダン・オブライエンと血縁関係はない)に預けた。
そのロベルト、2歳時は4戦3勝。遠征したフランスのGⅠグランクリテリウムでは*ハードツービートの4着に負けたが地元では3連勝で、アイルランドの最優秀2歳牡馬を受賞するなど順調な滑り出し。陣営は英クラシック戦線に照準を定める。
明けて3歳、まずは英2000ギニーを目標にトライアルレースを快勝。堂々と本番に臨むが半馬身差の2着に敗れてしまう。しかし3着には6馬身差をつけており、道中に不利を受けた影響もあった敗戦だったので、ロベルトの評価はむしろ上昇。2000ギニー馬High Topがダービーを回避したこともあり、ロベルトは英ダービーの有力候補と見られるようになる。
しかしここで、ロベルトの人気が落ちる第一の事件が発生する。
ロベルトにはそれまでビル・ウィリアムソンという豪州出身のベテラン騎手(当時49歳)が騎乗しており、2000ギニーで不利を受けながら2着まで持ち込んだのも彼だったのだが、そのウィリアムソン騎手がダービー10日前に落馬し軽いケガをした。幸い大事に至るものではなく、医師も「ダービーに騎乗しても問題ない」と診断。しかしガルブレスは万全でない騎手を大一番に乗せたくないと乗り替わりを強硬に主張、ついにレース2日前(!)になって名手レスター・ピゴットに騎手を変更してしまった。これにファンは反発、ロベルト陣営を非難する声が上がり、ロベルトは大きく人気を落としてしまう。
とはいえ馬券では1番人気で迎えた英ダービー、道中は中団で進み、直線で早々に先頭に立つと追ってきた後の凱旋門賞馬*ラインゴールドと壮絶な叩き合いを演じた末に短頭差で下し勝利。見事ダービー馬となり、ガルブレスは史上初めてケンタッキーダービー馬(1963年*シャトーゲイ、1967年Proud Clarion)とエプソムダービー馬を両方所有したオーナーとなった。しかし前述の理由もあってか、写真判定でロベルト勝利の結果が出てもファンからは拍手一つなかったという。
ただレース自体は非常に評価が高く、後に英競馬史の名レース100選では第14位に選ばれている。ちなみにこのダービーには、日本でもお馴染みの名種牡馬Lyphard(*ダンシングブレーヴ、*モガミなどの父)も出走していた(15着)。
続くアイリッシュダービーは雨と風で競馬にならずSteel Pulseの12着と惨敗。名誉挽回をかけて、この年新設されたGⅠのベンソン&ヘッジス金杯(現:英インターナショナルS)に出走する。しかしそこに待ち構えていたのが、英国の英雄Brigadier Gerardであった。デビュー以来スピードにものを言わせた圧倒的なレースで勝利に勝利を重ね無傷の15連勝。Ribotの持つデビュー16連勝という記録に1勝まで迫っていた。もっと昔にはKincsemとかいうチートもいたがそれはそれである。
陣営は英ダービーで騎乗したピゴット騎手に騎乗を依頼するが、英ダービー後フランスでGⅠを勝って同レースに出走した*ラインゴールドの騎乗を優先され断られてしまう(ピゴットは情より勝利の可能性を考える騎手だった)。ウィリアムソン騎手にもベルギーで騎乗のため断られる。困った陣営がガルブレスに相談したところ、ガルブレスはアメリカで騎乗していたパナマ出身のブラウリオ・バエザ騎手を呼び寄せることにした。この抜擢、実はある理由があった。
英国最強のBrigadier Gerardが出てくるとあってみんな逃げてしまい、僅か5頭立てのレース。勿論1番人気はBrigadier Gerard。2番人気が*ラインゴールド。ロベルトはオッズにして13倍の低評価だった。いくら前走惨敗だからって英ダービー馬がそこまで低人気とは……ずいぶん嫌われたものだ。
そして本番、それまで差す競馬をしていたロベルトがなんと逃げを打つ。それも「地獄から来た蝙蝠のように悪魔的」と言われるほどの超ハイペースで。
実はこれこそバエザ騎手を呼んだ理由だった。ガルブレスはかねてから、このレースはスタミナのあるロベルトに逃げを打たせてBrigadier Gerardを出し抜こうと考えていた。そこでアメリカで逃げの競馬に慣れているバエザ騎手を騎乗させ、Brigadier Gerardに奇襲を仕掛けようという作戦だったのである。
ここまでハイペースになってはBrigadier Gerardも深追いするわけにはいかず、つかず離れずの位置でロベルトを見る競馬。ロベルトは先頭のまま直線に突入する。そこに外から並びかけてきたのが誰であろうBrigadier Gerard。観客の誰もが「よし、16連勝もらった」と思ったに違いない。
……が、ロベルトはBrigadier Gerardと競り合うどころか、二の脚を使って引き離していく。なんとロベルトさん、超ハイペースで逃げていたのにまだ余力たっぷりだったのだ。Brigadier Gerardの鞍上ジョー・マーサー騎手も死に物狂いで追うが、一向に詰まらない差を見て敵わないと思い、ついに追うのをやめてしまった。ロベルトはそのままBrigadier Gerardに3馬身差をつけ世界レコード勝ち。Brigadier Gerardのデビュー以来の連勝は15で途切れ、記録更新ならず。この年のシーズン一杯で引退したBrigadier Gerardにとってこれが生涯唯一の敗戦だった。Brigadier Gerardはこのレースの前に不向きと言われた12ハロンのキングジョージを使っており、体調不良だったための敗戦といわれているが、残っているレース映像を見ると、体調がよくてもロベルトが勝ったんじゃないかと思えるくらいヤバいレースをしている。是非ご覧いただきたい。
さて、ロベルトからすれば、奇襲作戦が見事にハマった大金星である。しかし大人気馬をただでさえ不人気な馬が出し抜けで勝ったとあって、ロベルトは世紀の悪役として完全に定着してしまったのである。
その後ロベルトはニエル賞を挟んで凱旋門賞に挑むが、後に日本に来てウインザーノットを産む牝馬*サンサンの前に7着と惨敗(このレースには日本からメジロムサシが出走しブービーに惨敗していたほか、ハギノトップレディの父*サンシーも出てたりした)。翌年はコロネーションカップでもう一つGⅠ勝利を積むがキングジョージで名牝Dahliaの前にブービー負け。このレースを最後に引退した。
引退後は故郷のアメリカで種牡馬入り。米芝王者*サンシャインフォーエヴァーや英セントレジャー馬Touching Woodなど多くの名馬を送り出し、Hail to Reasonの系統拡大に貢献した。19歳とやや早い死にはなってしまったが、十分な活躍を見せた。
輩出したGⅠ馬の多くは繁殖馬として大成できなかったが、それとは裏腹に現役時代は二流以下だった馬たちが種牡馬として成功。Kris S.は93年に米リーディングサイアーに輝き、Red Ransomは快速馬Electrocutionistを、Dynaformerは薄命のケンタッキーダービー馬Barbaroを輩出しサイアーラインを広げた。
そしてロベルトの子孫は日本でも活躍。日本に輸入された*リアルシャダイはライスシャワーなど長距離馬の父として活躍し93年に日本リーディングサイアーを獲得、(実はGⅠ馬の)*ブライアンズタイムはナリタブライアン、マヤノトップガンなど数多くの一流馬の父となり日本に一大勢力を築いた。他にも先述のKris S.からはシンボリクリスエス、Silver Hawkからはグラスワンダーが日本でGⅠを制している。
父系としては日本では豊富なスタミナを特に伝えたが、スピードやパワー、成長力も兼ね備えた馬が多かった。特に孫のライスシャワーは無尽蔵のスタミナとレコードを叩き出すスピード、そして主役殺しの悪役という点までロベルトと似通っていた。ライスシャワーやナリタブライアン、Electrocutionist、Barbaroなどの大物が早世したこともあり一時に比べて父系は勢いを失いつつあるが、Kris S.の子孫が日米で安定した活躍を見せており、とくにエピファネイアの活躍が素晴らしい。他にも日本ではグラスワンダー ― スクリーンヒーロー ― モーリスのラインもあり、しばらくは一系統として存在感を示し続けると思われる。
種牡馬としてのロベルトの成績は、ライバル(?)の*ラインゴールドはおろかベンソン&ヘッジス金杯で破ったBrigadier Gerardすら上回る偉大なものだった。
血統表
Hail to Reason 1958 黒鹿毛 |
Turn-to 1951 鹿毛 |
Royal Charger | Nearco | |
Sun Princess | ||||
Source Sucree | Admiral Drake | |||
Lavendula | ||||
Nothirdchance 1948 鹿毛 |
Blue Swords | Blue Larkspur | ||
Roberto 1969 鹿毛 |
Flaming Swords | |||
Galla Colors | Sir Gallahad III | |||
Rouge et Noir | ||||
Nashua 1952 鹿毛 |
Nasrullah | Nearco | ||
Mumtaz Begum | ||||
Segula | Johnstown | |||
Bramalea 1959 黒鹿毛 FNo.12-c |
Sekhmet | |||
Rarelea 1949 鹿毛 |
Bull Lea | Bull Dog | ||
Rose Leaves | ||||
Bleebok | Blue Larkspur | |||
Forteresse | ||||
競走馬の4代血統表 |
クロス:Nearco 4×4(12.5%)、Blue Larkspur 4×4(12.5%)、Sir Gallahad III=Bull Dog 4×4(12.5%)、Mumtaz Begum 4×5(9.38%)、Pharos 5×5×5(9.38%)、Plucky Liege 5×5×5(9.38%)、Sardanapale 5×5(6.25%)
関連動画
関連項目
子孫たち
Roberto1969
|Kris S. 1977
||Hollywood Wildcat 1990
||Arch 1995
|||Blame 2006
||||*ナダル 2017
||*シンボリクリスエス 1999
|||サクセスブロッケン 2005
|||ストロングリターン 2006
|||サナシオン 2009
|||エピファネイア 2010
||||アリストテレス 2017
||||イズジョーノキセキ 2017
||||デアリングタクト 2017
||||エフフォーリア 2018
||||ディヴァインラヴ 2018
||||テンハッピーローズ 2018
||||サークルオブライフ 2019
||||ブローザホーン 2019
||||ステレンボッシュ 2021
||||ダノンデサイル 2021
|||ルヴァンスレーヴ 2015
|Silver Hawk 1979
||*グラスワンダー 1995
|||マルカラスカル 2002
|||スクリーンヒーロー 2004
||||ゴールドアクター 2011
|||||ウマピョイ 2020
||||モーリス 2011
|||||ジェラルディーナ 2018
|||||ジャックドール 2018
|||||ディヴィーナ 2018
|||||ノースブリッジ 2018
|||||ピクシーナイト 2018
|||||Hitotsu 2018
|||||カフジオクタゴン 2019
|||||モーメントキャッチ 2020
|||||シュトラウス 2021
|||||アドマイヤズーム 2022
||||ウインマリリン 2017
||||ボルドグフーシュ 2019
|||アーネストリー 2005
|||セイウンワンダー 2006
||*シルヴァコクピット 1997
|*リアルシャダイ 1979
||シャダイカグラ 1986
||イブキマイカグラ 1988
|||イブキライズアップ 1998
||ライスシャワー 1989
||ステージチャンプ 1990
|*ブライアンズタイム 1985 →ブライアンズタイムの記事参照
|Dynaformer 1985
||Barbaro 2003
||Point of Entry 2008
|||*ロータスランド 2017
|Red Ransom 1987
||Intikhab 1994
|||Snow Fairy 2007
||Electrocutionist 2001
||*ロックドゥカンブ 2004
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