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買ってよかったもの
d.hatena.ne.jp/using_pleasure
承前(http://d.hatena.ne.jp/using_pleasure/20061115/p1) トラバをいただいたのでお返事。 遺書を書くのもすごく消耗するっていうし無理矢理気持ちを整理しようとすると考え方とか気持ちを単純化するしかないわけで。それは単純化されたものなのか短慮なのかあるとは思うが合理的なんてものはないと思う。 (中略) だけど「あ、死んでいいよ、死ぬ自由は誰にでもあるから。」 間違い。大間違い。子供に向かって言うのは完全に間違い。バカ。これがネタ振り前提であろうとも。 http://d.hatena.ne.jp/nvs/20061115 前回のエントリの「逆説的に」って箇所が読みとれてないと、こういう読み方になる。バカ。 あらかじめ立場を明らかにしておけば、私は子どもにおいても何らかの自律性はあるはずだ、と考えているので(一寸の虫にも五分の魂程度には――ということ
承前(http://d.hatena.ne.jp/using_pleasure/20061110/p1) 子どものいじめや自殺について取材をつづけている渋井哲也さんもロブ大月さんも、いじめられる側の子どもに対して「死なないで」なんて言いません。ふたりとも「逃げろ!」といっています。いまいる場所から、学校から、人間関係から、ただちに逃げよう。とりあえず逃げてから、あとのことを考えればいいじゃん。 http://d.hatena.ne.jp/lelele/20061113/1163395260 たとえばフリースペースとかフリースクールとか、そういうものの存在を熟知していて「逃げ場所」として機能してるのならともかく、そうではない状況で、学校でも家庭でも塾でも……ない「逃げ場所」を探そうとしたら、それは「あの世」しかないんじゃなかろうか。 「あの世」にしか逃げ道を見出せない状況で自殺するというのは
<いじめ>先生1000人集め緊急研修会 東京・品川区教委 東京都品川区教委は10日、区立小中学校の全教員約1000人を緊急招集し、いじめへの対応を考える臨時研修会を開いた。自治体内の全教員を一堂に集める研修は極めて異例だ。研修会は小中一貫校の区立「日野学園」の体育館で行われた。若月秀夫教育長が檀上で、自殺防止の方法などについて指導した。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061110-00000159-mai-soci 学校周辺の警戒強化へ=自殺予告の11日−警視庁 「いじめが原因で学校で自殺する」と予告した手紙が文部科学省に届いた問題で、投函(とうかん)場所とみられる東京都豊島区にある警視庁の池袋、巣鴨、目白の3署は10日、自殺予告日の11日に区内の学校周辺をパトロールするなど、警戒を強化することを決めた。 各署の地域課員が小中高校周辺を車両で回るほ
ジェンダーとメディア・ブログのエントリ。 最後に、最近の女性学会では、男性学者ばかり前に出てくることについても一言言いたい。2002年のポルノグラフィーについての議論のときも男性学者ばかりをパネリストに上げていておかしいと主張したが、なんだか、常に男学者がしゃしゃりでてくるような土壌になったようだ。『論座』や『世界』などがジェンダーバッシングを取り上げる際も、男の学者を起用するようになった。 男の学者に「退却戦略は有効か?」などと女の代理であるかのような顔をしてほしくない。女たちは一体どこに退却したのか。女が退却したことと、女性学の威圧、自粛要請は深く関係していそうだ。女が退却して男女の権力関係の変革は望めるというのだろうか。そのような方略があればぜひ聞きたい。 妥協策であったはずの男も女も共に参画という国の「男女共同参画」政策だが、女性学の現状をみると、誘導されたか、自主的な戦略だったの
ということで、内田センセのエントリに対して。 内田樹の研究室: 性的マイノリティと性の言説化 http://www.tatsuru.com/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/676 今回はネチネチといってみることにしたい。 私が興味をそそられるのは、「同性愛を社会的イッシューだと思って、熱っぽく議論している人たちはいったい何をしたくてそうしているのか」問題である。 これは大きな社会問題であり、エロスと権力にかかわる重要な論件である。 「指を見るな、月を見よ」 という言葉がある。 しかし、この問題については私はむしろ「月を見るな、指を見よ」という立場にある。 同性愛という論件「そのもの」に私は興味がなく、同性愛を論じることによって、論じている「その人」は、いったい自身のどのような「欲望」を達成しようとしているのか、どのような「空虚」を埋めようとしているのか、どのような「基盤」を構築し
先日以文社から発売された『VOL』ですが、今回第二特集「アヴァン・ガーデニング」の冒頭論文でもある、ピーター・ランボーン・ウィルソン(ハキム・ベイ)の「アヴァン・ガーデニング」という論考をわたくしめが訳出しております。書店で見かけましたら、どうぞよろしくお願いします。結構大きめで、厚く、ボリュームのある本です。 ハキム・ベイといえばイカれた爺さんという印象が強いし、書いてることも抽象的というよりかは幻想的な記述―まるで幻想文学を読んでいるかのような―が多いわけですが、この「アヴァン・ガーデニング」においてもそうしたハキム・ベイの文章の特徴が見られます。でも、その一方で一種の庭園史としても読むことができる内容になっています。特集全体としては、ニューヨークにおけるジェントリフィケーション(宅地開発を目的とした都市の再開発計画)に対する「抵抗」という点に焦点が当てられているようですが、「アヴァン
クーリエジャポン5・18号に掲載されていた「マッカーシズムの再来か? "反ブッシュ"教師を追放へ 右翼学生たちの陰湿な『密告』」という記事が興味深かった(元は『ガーディアン』紙の記事)。 記事全体の流れとしては、最近アメリカの大学において右派学生や右派教員たちによる左派教員への攻撃が増している、というもの。この「攻撃」の手段としては、左派の動向を知るための監視組織を作ったり、あるいはネット上に糾弾サイトを作って実名での人格攻撃を行ったりする、といったことが含まれている。攻撃の対象となった一部の教員は、この現象を一過性のものと見ているが、一過性のものとしては放置できないとする教員もまた存在している。 イェール大学アフリカ系アメリカ文化研究学科だったポール・ギルロイは、最近よく似た経験をした。発端はイラク戦争についての討論会で行った発言だった。 「クラスター爆弾やウラン弾、デイジーカッター弾と
上記のエントリの続き。記事後半編。 メディアに密告する生徒 同様の問題は、中学や高校でも起こっている。今年1月、コロラド州の高校の社会科教員ジェイ・ベニッシュは地理の授業中、ブッシュ大統領のスピーチについて生徒から質問を受けた。ベニッシュは大統領のものまねをしながら「軍隊を使って世界に出ていき、世界をアメリカのようにすることがアメリカ人の義務だ」と言ったうえで、こう続けた。「(中略)もちろんブッシュとヒトラーがまったく同じだなどと言うつもりはない。でもこの二人の使う言葉は不気味なほどよく似ている」。 実はこのとき、ショーン・アレンという16歳の生徒が授業の一部を録音していた。共和党員であるアレンの父親はこれを聞いて激怒し、地元の保守系ラジオ局に持ち込んだ。そこから巡りめぐって、保守派のマイク・ローゼンが司会を務めるトーク番組がこの件を取り上げた (中略) 翌日、チェリークリーク学区はベニッ
id:hidex7777:20040826#p1においてid:hidex7777さんがフェミナチをいう言葉を「自分の観点がフェミニズムに基づいていると勘違いしてる馬鹿に対して」蔑称として使っておられるんですが、これを読んで、その怒り(なのかな?)は理解しながらも、やはり僕はフェミナチという言葉は使いたくはないなー、と思いました(以下、フェミナチという言葉を巡る僕の問題関心を述べさせてもらいます)。 これは別に良い子ちゃんぶって言っているわけではなく、単純に論敵を「ナチ」に例えればそれで批判した気になれてしまうというのが嫌だなー、と思うため。 これについては思い起こすも5年前、NATOによるコソボ空爆が行なわれていたとき、ユーゴスラビア(セルビア)側も西側諸国も、互いに互いを「ナチス」または「ヒトラー」になぞらえて批判を行っていたわけです。西欧諸国の人道活動家はミロシェビッチを指して「ミロシ
上記のエントリでは呑気なことを書いてしまったが、現場ではとんでもない弾圧が生じていたようだ。 http://www.geocities.jp/precari5/ 2006年4月30日、神宮前午後から行われた「自由と生存のメーデー06」のデモが、原宿警察と渋谷警察によって参加者3名を逮捕されるという弾圧を受けました。詳しい情報は以下の通りです。 目次 (1)弾圧の状況 A.デモ申請時における原宿警察の約束違反と恫喝 B.原宿警察の暴行と略奪 C.渋谷署も弾圧に加担 D.警察署の差し入れ拒否 (2)★お願い★ A.救援カンパを! B.被弾圧者の早期奪還のために抗議を! ――――――――――――――――――――――――― (1)弾圧の状況 A.デモ申請時における警察の約束違反と恫喝 このメーデーを開催する前のデモ申請時においては、デモ出発地点を管轄する原宿警察は、主催者側に対してデモ時に音楽を流
(キングストン)ジャマイカのある大学の生徒たちが暴動を起こし、警察官がゲイの生徒をキャンパスから護衛する事態が発生した。 デイリー・グリーナー紙の報道によると、ゲイの生徒がある学生をトイレに誘ったことが原因で、キャンパス内で数人の学生に追い回された。 その後何十人もの学生が加わり暴徒化し、ゲイの生徒は大学内の建物で保護された。 暴動の見物人たちは学内の警備隊に学生たちを鎮めるよう訴えたが、ゲイの学生が殺害される可能性があると恐れた大学当局は警察に通報。 同紙によれば、その後ゲイの男子生徒を保護するために武装した警官が暴徒と衝突。学生らは警官に向かって危険物を投げつけたり、ゲイの生徒は別の学生に刺されたりした。傷は軽症。ある警官の一人が発砲した際、群集は散らばり始めた。 ジャマイカにおいて同性愛者の性行為は違法に当たり、逮捕された場合、10年間の刑務所収監と重労働が科せられる。 ジャマイカ:
猿虎さんのここ数日のエントリを読んでの感想。 猿虎日記 - 勉強とヒマとデモ 猿虎日記 - デモの行き方1 猿虎日記 - デモなんか行かない方がいい。むしろジョギングを。 たとえば、デモに参加しようとして集合場所に行ったとする。 大抵の場合は主催者側による集会かなんかが行われていて、旗やノボリが立ち並び、仰々しい字や奇妙なほどに媚びた字で書かれた「可愛い」横断幕が貼られていたりする。集会の中心にはスピーチする人と主なデモの参加者たる聴衆がいて、遠巻きに十数人の規模の公安警察が集会を眺めている。――これが典型的な「デモ前の集会」の情景だろう。 で、デモが始まってみると、どこから沸いたのか知らないが、いつの間にかデモの隊列の外側を、まるで薄いラバーのようにピッタリと警官が寄り添い、見張られてるのか護送されてるのかよく分からない様相を見せて、一つの粘菌の群体のようにうねうねと通りを移動していくこ
参考URLとして、http://www.nintendo.co.jp/wii/ 任天堂が開発している次世代ゲーム機の名前が「Wii」に決定したとのことで、いろいろな反響を呼んでいる模様。 とりあえずの感想を書かせてもらうと、英語圏でのマーケティングを意識するのなら、「なるほど」と思うネーミングであると言えそうだ。 この「Wii」という名称は、その発音から「We」を連想することは容易く、この「We」という響きが何とコントラストを為すかと言えば、言うまでもなくそれは一人称単数である「I」なのだ。そして、ここ近年において「I」をキーワードに巧妙なマーケティングを行っているのがアップルコンピュータであったことも言うまでもない。アップルの、たとえばi-macやi-podという商品が、「I」を冠にのっけることで何を意識していたかと言えば、それはコンピュータや音楽プレーヤーの徹底したパーソナライズであっ
ところで、ここまでの話にかかわるかどうかは分からないけれど、下記のエントリが面白かった。 私の出身ゼミの4回生A君は内定が無いどころか、なかなか選考に進めず苦しんでいます。A君は賑やかな人ではないものの落ち着きがあり、ゼミのディスカッションの時はいつも自分の意見をしっかり表明して積極的に参加しています。そんな彼に内定が出ないのは、浪人・留年(複数年)で同級生よりも年上だからと思われます。エントリーで切られてしまうこともかなり多いらしいです。一方、ディスカッションの時は地蔵かぬいぐるみかと見まごうばかりに沈黙を貫いていた(ちなみに飲み会では喋る)他の4回生達には、らくらく内定が出ているというのは先にも述べたとおりです。特に役に立たないゼミのディスカッションでは喋らずに、大切な面接では喋るという効率的なコミュニケーション能力が評価されたのでしょうか。 こういうことは今年だけではなく、毎年起こっ
対談の中で、鈴木謙介氏が、電子コミュニケーションが現実に近いようなビデオチャットのようなことが技術的にはできるようになったのにテキストでコミュニケーションをしたがることを指摘、言葉を深読みすることによって、気を遣ったりしなければならず、コミュニケーションから抜けられないという。それに対して斉藤環氏が、 それは2ちゃんもそうだし、ブログもそういうところがある。携帯のメールなんてまさにそうです。結局つながりたい欲求が最初にあって、ぼくの言葉でいえば、毛づくろい的コミュニケーションですね。ぼくの考える「コミュニケーションの達人」とは、内容のない話をいつまでも続けられる人です。話題がなくてもだらだらしゃべってるのはかなりコミュニケーション当事者にとっては心地よい。実際、若い患者のメールを見せてもらうと、本当に一行か二行しか書いてない。大事なことは来た瞬間に返しているかどうかとか、形式的な部分です。
聞き取りが4月10日に行われることが決まりましたので、ここに関係各位に報告いたします。 http://d.hatena.ne.jp/syujisumeragi/20060406/1144249304 この件については無事終了しました。 後々スメラギさんのほうからエントリの投稿があるかと思うので、そちらもご覧になってください。 …たとえば「ミヤダイ」と「宮台」とか*1、「北野武」と「ビートたけし」だとか、登場・露出するメディアによって、人物は同じでも異なるキャラクターを使い分ける、ということが、メディアが多岐化して以降、コミュニケーションのメソッドとして定着していったように思う。斎藤環はこのようなことを、人格の「解離」化として論じているが*2、この傾向はネットにおいても見られたことだった。ネットにおいては、ハンドルネームを用いたりアバターを用いたりして、現実の「自分」とは違った人格を表出する
トニオ氏に求めているのは、上記のマルクスの言葉を借りれば「首尾一貫したまえ」ということだ。 自分の発言には責任を持ち、思いつきのその場かぎりの発言を控え、文脈の欠落した「現代思想」的ジャーゴンで文章を虚飾することなく、他人の言い分に耳を貸し、批判的なコメントがあったとしても煽りで返さない。そのうえで、自分の主張を一貫させてごらんなさいな。
DoYouLikeWorms『 (中略) そんなふうにだから、あの人はrirくん追い込んで平気だったんですね。畜生ですよ。 そんなふうに、その二つを切り分けると言う考え方が納得できない。そんなふうに言うのならば、非モテや非コミュを前提にしてしゃべる貴方が「ネット界」の虚妄に過ぎなくて、「生身の世界」の貴方が議論の外側にいることになってしまう。そんなふうに、「生身」を疎外するしているものが、はたしてホントに弱者とかマイノリティとかまあ何でもいいんですが、そんなものを救えるんですか。 そんなふうに自らのテクストに何も賭けられないなら、なにも言わなければいいのに。』 http://d.hatena.ne.jp/utsutsu/20060410#c トニオ氏はrir6くんの件で加野瀬氏を散々非難しているが、id:mojimoji氏が指摘しているように「rir6」というはてなキーワードを作成したのは
>出家日記さま 『これは、直前の3月末に話題にしていたものとなにか関係があるんですか。関係ない気がしてしまう書き方だな。』 (2006/04/01 17:44) ハードリンクしているのではないですが、関連したエントリではあります。以前のエントリに関係させていえば、ある程度一般的な規範を他者に対しても求めてきたようなタイプのブロガーが(そしてそうしたブロガーは「左寄り」であることが多かった)、自分の主張してきた規範とは裏腹に、突然ブログの全記事を削除して遁走してしまう、という点について、それを「左」のコミュニケーションの問題でもあるのではないか、と考えて書いてみました。 >上野俊哉さま Toshiya the tribal 『貴兄の今回の記述におおむね文句はないですが、あまりにも日本語環境しか見ていない議論で、これでは保守的かつシステム維持志向の、いわゆる凡俗の操作者的な「J社会学」の枠には
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/kanose/20060330/tonioのコメントから。 2006年03月31日 brainparasite はてな, blog レフトの人に閉鎖→移転を繰り返す人が多いのはなんでだろう。それが保守に対する革新の証なのだろうか(考えすぎ)。 かつては、僕も含めて「左翼」と言われるような人々にとって、webとは基本的に運動や活動なんかの「手段」だった。 僕が学部時代師事していた上野俊哉なんかがよく用いた言葉として「メディア・アクティヴィズム」というのがあったのだけれど、これは海賊ラジオやビラ、ポスター、小規模出版といったメディアの使用を第一に考えて運動を展開するアクティヴィズムなのだと言える。地域によってはラジオでのアクティヴィズムが有効であるところもあれば、ビラ配りやポスターを張ったりした
http://d.hatena.ne.jp/using_pleasure/20060326/1143351495に対するTrickstarさんのコメント。 Trickystar 『誰の肩を持つつもりも無いが、「コミュニケートしない」というコミュニケーションも含め『コミュニケーションに対しては私を含めて「皆」が「皆」に対して責任を負う」として、かかる責任を負うと言う限りは、それに対応する「権利」なるものもあるはず。であるとすればそうした「権利」に痕跡を消去する可能性が含まれるか否かは即断できないのでは? 更に言えば、コミュニケーションの接続強制やその痕跡の確保を「責任」や「権利」と関係付けること自体の普遍妥当要求ですら、個別的な倫理性のける価値確信でしかないし、その逆もまた然りなのだから、それをスタティックに要求することはやはりできないのでは?』 (2006/03/27 02:45) 僕がそ
とりあえず、大学合格おめでとう。>rir6君 で、君の書いたコメントに対するリプライなのだが。 が、もしこれが次の様な場合でしたらどうでしょう? 「自分が普通のエントリを書いていたら、その文章に勝手に腹を立てた他者から一方的に罵倒され、その罵倒が見るに耐えないものであったので仕方なくブログを消去した」 ことに対し 「その罵倒を行ったネガティブな感情の持ち主に対する応答責任」 は存在するでしょうか?当然そんなものは存在しません。 いいですか? ブログに限らず、文章というものには基本的に誤読可能性や誤配可能性というものが存在します。なので、読者の中には筆者の予想もしなかった「読み」をする人もいる。そこで、文章の筆者というのはその誤読可能性や誤配可能性ということを考慮しながら、なるだけ誤読が少なくなるような文章というものを書くわけですな。その際、文章を書く側は読む側のことを意識して文章を書くこと
http://72.14.203.104/search?q=cache:d.hatena.ne.jp/VanDykeParks2/20060226/1140888403 キャッシュが残っていたんでブクマしておいたんだけど、自分がみっともないエントリを書き、それが原因で他人から説教されたからといって、そのエントリを含めブログそのものを抹消するというのは、この当該の彼が散々非難していたrir6君がやっていることとまったく同じなのだ。 文章すべて削除してケツまくればそれでいいのかよ、おい。 そのエントリにおいて執筆者のネガティブな感情の捌け口とされた人に対する応答責任はどうなるんだよ、自分だけブログ削除して何もかもなかったことにしても、それじゃ遺恨が残りつづけるだけなんだよ、分かってんのか、その辺のことをさ。仮にもプライド持ってブログでエントリ書いてる(た)んなら、自分が書いたことで引き起こされ
http://d.hatena.ne.jp/using_pleasure/20060316/1142463858のつづき。 前回のエントリを書いたら、宮台さん本人からも遠まわしな形で応答をいただき、また宮台さんが言及していた博論の執筆者である田辺氏本人からもメールをいただいたり、田村さんや超変さんへのコメントにも返信しなければならないため、とりあえずひとつのエントリとしてまとめることにしたい。 まず宮台さんからの応答。 ですが、イメージ・メイキングな書き方であることは文脈から自明でしょう。本旨は、論壇誌を読む読まないに関係なく、各国に共通して、「拝外主義的愛国主義者には、低所得か低学歴が多い」という一点にあります。 (中略) しかしこれを簡単に批判することはできません。人文科学や社会科学の領域では、学問的な発見や考察は、多かれ少なかれ、政治的な波及効果を必然的に伴うものだからです。ただ、ど
via 田村哲樹さんのダイアリ(http://d.hatena.ne.jp/TamuraTetsuki/20060315/p3) ■昔からフランクフルト学派の人たちが言ってきた通りで、権威主義者には弱者が多い。これは統計的に実証できます。私の在職する大学で博士号を取得した田辺俊介君の博士論文『ナショナル・アイデンティティの概念構造の国際比較』(2005)が、ISSP(国際社会調査プログラム)の1995年データを統計解析しています。それによるなら、排外的愛国主義にコミットするのは、日本に限らず、低所得ないし低学歴層に偏ります。 ■要は『諸君』『正論』な言説の享受者は、リベラルな論壇誌のそれより、低所得か低学歴だということです。この問題に、私が年来言ってきた「丸山眞男問題」を重ねられます。教育社会学者の竹内洋氏が最近『丸山眞男とその時代』(中公新書)を出しましたが、丸山の戦後啓蒙がなにゆえ今日
via 成城トラカレ(http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20060312) 日本経団連の奥田会長は8日の記者会見で、残虐シーンが含まれるゲームソフトが原因で社会に適応できない若者が増え「ニート」増大の一つの要因になっていると指摘。 チェック体制の確立に向け検討を始めたことを明らかにした。 経団連は「ニート」が日本の若者に増加していることを問題視。具体的な対応策を検討しているという。奥田会長は記者会見で「ゲームで残虐なシーンを見て、社会に適応できなくなったのなら、そのようなソフトをつくるのは問題」との認識を示した。その上で「ニートは社会的弱者で、国家的なセーフティーネットが必要」との考えを示した。 若者や子供が夢中になっているゲームソフトについては、のめり込みすぎることで仕事や勉強の意欲をそぐ原因になっているとの指摘もある。残虐な描写などを含むゲームソフトは、十八
12%の中学校が男女同室着替え ジェンダーフリー教育調査 花も恥じらう中学生が同じ部屋で着替え! 県教委が実施した調査によると、「体育の授業や身体測定の際の男女同室での着替え」を行っている中学校は12・7%に上ることが七日、分かった。施設面の問題によるもので、性差を否定するジェンダーフリー教育に基づくものではないとの見解だが、改善を求めてゆく方針だという。 ジェンダーフリーの蔓延(まんえん)度を調べるため文部科学省が行っている初の実態調査で明らかになった。横浜、川崎の両政令市以外の県立校を調査、小学校低学年では76・7%が同室で着替えをしていた。 同室で着替えが行われている理由は「空き教室がない」「更衣室があっても教室から遠い」などだった。より問題の度合いが大きいとされるキャンプや修学旅行での男女同室の宿泊を行っている学校はなかった。 県教委では「男女が同室で着替えるのは好ましいことではな
上野千鶴子人権講座講師着任が拒否られた問題(http://d.hatena.ne.jp/using_pleasure/20060124/1138093526)の続報。 国分寺市から上野氏に対する回答が為され、東京都から国分寺市民による抗議文への回答が為された模様。 まずは国分寺市による回答から。 国教教生発第47号 平成18年2月13日 上野 千鶴子 様 国分寺市教育委員会教育部 生涯学習推進課長 熊谷 淳 公開質問状について(回答) 平成18年1月13日付,国教教庶収第484号文書,及び平成18年2月7日付,国教教庶収第522号文書,市長,教育委員長,教育長,生涯学習推進課長宛の2件の公開質問状について,下記のとおり回答します。 記 (1)国分寺市教育委員会は,東京都教育委員会と実施計画書の内容について協議しましたが,東京都教育委員会の意向からモデル事業の再委託を受けることは困難と判断
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