はてなキーワード: リスナーとは
本来パソコンでのコピーを防止するために開発された技術だったはずなのに、ミニコンポやカーステレオなど通常のオーディオ機器で正常に再生できないケースがたくさんあった。
さらに悪質なのは、通常のオーディオ機器で再生できなくても、一切返品を認めなかった点だ。
このため、買う段階でリスナーに「再生できるかどうかわからない」というギャンブルを強いることになった。
また、日本で導入されているCCCDは、音質が通常のCDより劣っていた。
国内盤はCCCDだが、輸入盤は正規CDで発売されたビートルズの「Let It Be Naked.」などは両者にかなりの音質差があり、オーディオ専門誌でも音の悪さが指摘された。
音楽業界関係者の中には「違法コピーは反対だし、コピーコントロール自体は賛成だが、現状のCCCDはお粗末過ぎる」と反対する人も多かった。
確かにふくやマスターみたいに激シブねっちょり声のおじさんになって
幼女キャラが崖登り時に発する吐息を吸い込みながらあらゆる女キャラと結婚しようと主張しつづけリスナーからその子は俺の嫁だと言われてもじゃあ3人で暮らそうと一夫多妻ならぬ複夫多妻ワールドを展開していくようなストロングスタイルのネイティブ煩悩繚乱おじさんとしてゲーム実況できたらある意味ハイになれるだろうな
でも別にそこまでクレイジーキャラに振ってない普通の女性アバターの女性ゲーム配信者でも結構女キャラや男キャラの造形を舐め回すように見てセクシーさを褒め称えるオタク発言してる人も少なくないけどね
妙な自尊心を捨てられるかどうかってのはアバターや声以前の素質なんだと思うよな
まあ超高精度なおじさんボイチェンやアバターがあれば心を解き放つ習慣と縁遠かった女性の後押しにはなるかもしれないけどそれでも元々の気質は要ると思うね
オモコロかデイリーポータルZの女性ライターが「男性ライターはいいよな、何書いても面白いもん」みたいなエッセイを書いていたよ
それを思い出したよ
さて、「オモチャにしていいかどうかわからんのじゃないか」というような意見でしたが、おれはそうは思いません。
Vで、方向性を決めるのは半分はV自身、もう半分はリスナーということを申し上げておきたいとおもいます。
月ノ美兎が清楚という看板掲げてその実オモシロに踏み込んでいます。
この方向性は初回配信の「ムカデ人間」に言及した瞬間に確定したと言って差し支えないでしょう。
これが切り抜き配信で広まったために、清楚()を受容できるリスナーを集めることに成功したのです。
清楚()を理解しないリスナーが彼女を見たらどうなると思いますか?
カワイイJKちう設定とは矛盾だらけの話題を消化できずリスナーが離れていくか、あるいはVがリスナーに迎合してカワイイJKのロールプレイを続けるかでしたでしょう。
あなたには初回の配信で「ムカデ人間知っていますか」と質問してくれるサクラが必要です。
はじめからルールを文章で説明したとして、「こういう設定なので、見に来てね」という文言は草生えないんです。
まずは魔法を知ってください。
三谷幸喜を見てください。
平田オリザを見てください。
特に、平田オリザの著書には舞台に魔法をかける方法がかなり具体的に書かれています。
エレキギター、歌、ダンス、絵画、演技…これらの活動に共通していることは、プロアマ問わず
「やりたいからやっている」
ということだろう。
その意味で、表現のレベルや活動に対する考えは千差万別なれど、
「志の低い人間は一人もいない」
と言える。
だからレベルや考え方の壁を超えて同好の士として、更には仲間になれる可能性も、少なからずあるわけだ。
もちろん、どの活動だってキレイなことばかりじゃないのは百も承知なつもり。
どんなに頑張っても「つまらない」「ダサい」の一言で切り捨てられることは全然珍しくないだろうし、妬み僻みみたいな話だって無いわけ無いと思う。
でも好きだから続ける、というかやめられない。
それだけで本当に素敵だと思うし、これ以上ないくらい輝いている。
その眩しさが、心底羨ましい。
えー、そんな大げさな…と思うかもしれない。
しかし、幼少からスタートしないとプロになれないような一部の楽器やスポーツでは、この「志の高さ」が当たり前ではないという現実がある。
わかり易い例では、確かWBCだったと思うけど、野球のことが大大大大大好きなイチローが、松坂に厳しく対峙していた話がある。
要するにイチローがプロとかどうとか関係なく、辞めろと言われようが、仕事として続けられなくなろうが辞めない気満々なレベルで野球が好きなのに対し、松坂はむしろ「仕事でやってるだけ」感が前面に出すぎていたと。
つまり純粋な野球好きとして「それで満足するとか、本当に野球が好きならそうはならんやろ」「てか、なんで好きでもないのに野球やってんの?」と思わずにいられず、ああなったわけだ。
そりゃ筆者含め、仕事については適性があったから食うためにやっていることだし…と割り切っている人は珍しくないというか、それが大多数だと推測される。
なんなら「こんなことして食うなんてやめたい」くらい仕事を嫌っている人も普通にいるだろう。
そして幼少から始めないとプロになれない技芸というのは、親が子の適性とか素質を見込んで、外堀を埋める形でプロになるよう頑張る以外に道がないルートに追い込み、そこで生き残れた人だけがプロになる流れだ。
そこで本人の好きかどうかなんて気持ちは顧みられないというか、なんなら本人がどこかでその感覚をかなぐり捨てて取り組んできたまであるので、好きでやってる人を探すほうが多分難しい。
その意味では、松坂のスタンスも同じ社会人として、共感できる部分がないわけではない。
しかしながら、楽器やスポーツはそれを趣味としてやっている人がいて、そういう人からするとプロが一般の仕事と同じくらい「割り切って」やっている現実を目の当たりにすると、なんとも言えない気持ちになるわけで。
少なくとも自分は、自分が趣味にしている楽器についてその現実を知ったとき、そういう一部のプロの演奏なんて聴きたくもなくなったくらいには落胆させられた。
しかもそのきっかけが、全く適性が無いながら自分の演奏にどうしても納得できずレッスンを続け、気がつけば音大受験レベルの曲を弾けるくらいになったタイミングで、何人かの配信者の演奏を聴いて違和感を覚えたことからだったり。
無駄に耳が肥えてしまったせいなのか、「確かに上手いし弾けてるし、リスナーが大満足なのも間違いない。でも本当にその楽器が好きなら、そんな大味な音で絶対納得するはずがないんだけどな…」と思わされる演奏が非常に多いことに気づいたと。
そしてそれは全然気のせいじゃなく、「上手いけど、楽器が好きじゃない」人の出す音なんだと確信するまで、そう時間はかからなかった。
聞けばプロの現場で指揮者が最も苦労し、かつ演奏者と対立する点もまさにそこで、最悪「弾けて当たり前なのはいいけど、やっつけ仕事まで当たり前にしないで欲しいんだが」VS「なんだコイツ、何にも知らないくせに」みたいなギスギス展開も珍しくないと。
ちなみにアマチュアの出す音というのは、海外では"Funny Noise"と言われているらしい。
でもそれは決して侮蔑ではなく、むしろ好意や敬意を備えた意味なんだろうなーと、最近は思うようになった。
好きでやっていることは素晴らしい!というのを、こんな形で実感したくはなかったけどね。
紅白、最初から観ていたんですよ。リアルタイムだと源さんだけ、どこか異質に見えたんですよね。
改めて見返したんですが、元気な曲に挟まれている弾き語りの落ち着いた曲。照明や化粧の関係なのか疲労からなのか、源さんはやけに青白い顔をしている。表情も少しこわばっているように見える。
けれど、事実としてとても優しい声で歌っていて。
以前根も葉もないことでつらい思いをされて、今回は過去に関わった他者の影響で急遽対応に追われ。
年の瀬にバタバタで心身ともに大変だっただろうに、それでも「良いお年を」とあの場で皆に言える人に。
その後のラジオではリスナーからのメッセージに言葉を詰まらせ、年明けのバラエティではニコニコと楽しそうに過ごし、ドラマでは素敵な役を演じていた人に。
なるべく沢山の幸せがあってほしいなと強く、強く思った次第です。
土砂降りのような言葉の奔流を浴びることがたいそう辛い
漫才は基本的にその場で起こってることを観客の側が全部理解できていることを前提らしく、真剣に向き合う必要があるのがしんどい
少しでも聞き漏らせば何が面白いのかもわからぬままそっぽを向いて次に行ってしまうし、観客の笑いがBGMを超えてうんざりする
面白い漫才は確かに存在すると思うし、他人のおしゃべりが嫌いというわけではない
例えば深夜ラジオだったり、Vtuberの一人語りや解説動画の饅頭同士の掛け合いは好きだ
伊集院光は20年近いヘビーリスナーだし、月ノ美兎とかめっちゃ面白いなって感じてる
この違いがあまりよくわかっていないので、俺はM1とかの意味が未だに分からない
ただ、ミルクボーイのそれは漫才というより技法そのものであり、全然苦痛ではなかったしとても面白い
物事の本質に一定の入射角で焦点を当てているその手法はいろんな分野で応用されて使われてるし、確立された芸術の一派にも感じ取れた
漫才が嫌いなことを克服したいわけでもない
竹田ダニエル氏や能條桃子氏が「荻上チキ・ Session」にゲストとして出演すると必ずといっていいほど、一部リスナーに攻撃されている。
竹田氏や能條氏が女性であることが攻撃に拍車をかけているのだろう。
女性差別だ。
日々勉強して、価値観をアップデートしている人たちなのに、自分たちの気に入らない女性が表に出れば、差別的な対応をとってしまう。
女性に対して攻撃的な姿勢が反映されたXにおけるポストは読んでいて不快だ。
彼らにはすぐさま退場をしてもらいたい。
番組はこのようなリスナーによる攻撃に左右されずに(そもそも左右されるような番組ではないが)、今後も適切な人物をゲストとして呼んでほしい
自分が見てる某Vtuber事務所のメンバー(たぶん増田の例と別)は、数字の話をするどころか伸びた後輩のグッズ展開ツイにぶら下がって「私は?」ってクソうざ絡みしてたな。
先輩に刺されたのにその後も繰り返してたからなんつうか…自分の発言が人気に直結してることへの自覚すらなさそう。
人気ゲームをやるのは数字を気にしてる人がするムーブとしては順当な気がするから個人的にはそんなに嫌じゃない。
でも、なんのゲームをやるかよりリスナーが面白いと感じるリアクションを取れるほうが先だしまずそっちに力入れたら?って感じる。
お笑いの学校とか話術を学ぶとか歌ならボイトレとか色々あるだろうに、そういう面倒くさいことは避けて特定の条件さえ満たせば人気出るだろうってやってる感出してるのはなんかイラッと来る。
数年前から見ていた某Vtuber事務所のメンバーが「伸びないよ~!」と嘆いていた
その姿を見てイラッとしたので、伸びていないのは自分のせいやぞという思いを込めて、伸びていないVtuberの特徴を列挙していくことにする
数字ばかり気にして勝手にヘラってるVtuberほどつまらないコンテンツはない
人の目に触れるところで数字の話をしている時点で素人丸出しのつまらないVtuberであることが確定するのだから、伸びないのは当たり前である
数字の話でしていいのは良い結果が得られたときに感謝する、これだけだ
これを翻訳すると「現状で数字が取れておらず、新規リスナーが来ません、企画の中身もありません」になる
こういう言葉がタイトルについていたら確定でつまらないので、自分で見る価値なしのシールを貼っているようなものだ
例外は「登録者○人耐久」くらいだろう、応援してくれている人とともに記念すべき瞬間を迎えて盛大に祝ってもらうのは良いことだ
お互いに伸びていない者同士のコラボだから、知らないやつと知らないやつが絡んでいるだけになり、当然の如くつまらない
ただ一緒に遊ぶだけで新規の興味を惹く企画になってもいないし、互いのファンが少ないから互いに登録者が増えない絶望的な光景がそこにはある
教師役と生徒役に分かれた講座形式にして役に立つ内容にするとか、画面を見る指示出し担当と画面見るの禁止の操作担当に分かれてスイカ割りのようにするとか、見たくなるような工夫が欲しい
現状で数字が取れておらず、そのくせ歌枠ばかりしているVtuberの歌が上手いことはほぼ皆無である
上手くなるためのトレーニングをサボり、Vtuberという立場を活かしてゲーム配信やトークでファンを増やす努力も怠り、安易な歌枠に逃げているのだから当然だ
そんなに歌枠ばかりやりたければ基礎トレーニングの部分から全部配信で流して成長ログにしたほうがまだ価値のあるコンテンツになる
高価な機材など入手できないから音質は仕方ないとして、伸びていないVtuberは音量調整や画面づくりが高確率でガバガバだ
トランジションでもたつくことも多く、画面も地味、ゲームの腕前もトークの内容も平々凡々、もはやただの一般人である
伸びたいという気持ちが少しでもあるのなら自分の配信アーカイブを見て改善しなければならない、特に音量は他の有名配信者を参考に揃えて欲しい
自己管理能力が低いのかやる気がないのか知らないが、伸びていないVtuberほど配信を急にキャンセルしたり、延期したりする
ただでさえ伸びていないのに、見てくれている人まで裏切っていくのだから伸びるわけがない
伸びたいのならスケジュールは守れ、守れないならスケジュールなんて出すな
伸びたいと言っているくせに活動の量がそもそも少ないVtuberもいる
副業などで時間が取れないVtuberですら同じ曜日・同じ時間帯に出現することで遭遇率を上げる工夫をしている
時間を取れるやつがろくに活動せず工夫もしていないケースはわざとやっているとしか思えない、伸びたいなら活動しろ、活動しないと伸びないのだから
大して興味もないのに有名作に手を出して途中でやめるやつも伸びない
好きなゲームを楽しんでいる姿を見たいと思って訪れてくれた人に、つまらなそうにしている姿を見せつけ、あまつさえ投げるのだ
伸びていない自分は配信がへたくそだと認め、せめて好きなことをやって楽しんでいる姿を見せないと話にならない
漢字でGO、声真似キング、その他諸々の流行りの企画やゲームに便乗し、案の定伸びていないVtuberもいる
流行りに便乗して伸びるのは「あなたがやっているところも見てみたい」と思ってもらえる伸びているVtuberだけ、要するにファン向け企画であり、新規を呼び込める企画ではないのだ
伸びていないVtuberが伸びたいのであれば、最近よそで見たから知らない人のやつは見なくていいやと思われないよう、今やっている人がいない・少ないことを探さなければならない、とても大変だが仕方がない
案件、イベント、グッズ販売、ファンボ通話に、メンバーシップ……伸びていないくせに課金誘導ばかりしているVtuberも伸びない
推し活という言葉を免罪符に金を巻き上げることばかり考えて、リスナーに充実した時間を過ごしてもらうVtuberの存在意義すら忘れていたら、伸びることがもはや罪であろう
楽しんでもらう時間は楽しませることだけに集中しなければならない、宣伝や告知は基本的にエンディングでいったん区切った後だ
宣伝を見てもらえる数が減る? 二度と配信を見てもらえない数を増やしたければ、もう勝手にしてくれ
全然数字が取れていないけど驚異的に歌が上手いVtuberの情報なんかは普通に興味がある
目先の数字にばかり気を取られ、広告で虚飾に満ちた数字を盛り、その実さっぱり中身がついてこないVtuber事務所を見るのはもう、ほとほと疲れてしまった
YMO(Yellow Magic Orchestra)は、日本の音楽史において極めて重要な位置を占めており、その評価の高さは革新性、音楽的影響力、そして国際的成功に基づいています。以下に、その評価を支える要素を日本の音楽における歴史的文脈と革新性を交えて詳説します。
a. ポップとテクノロジーの融合
• YMOは1978年に結成され、日本のポップ音楽(歌謡曲や演歌)が主流だった時代に登場しました。当時の音楽シーンにおいて、テクノロジーを積極的に活用した音楽制作は画期的でした。
• シンセサイザー、リズムマシン、シーケンサーといった電子音楽の技術を駆使し、日本独自の音楽性と融合させることで、ポップ音楽に新たな次元を開きました。
• 日本で「テクノポップ」というジャンルを確立し、他のアーティスト(坂本龍一、高橋幸宏、細野晴臣がそれぞれの活動を通じて影響を広げました)を巻き込む形で、テクノロジーを基盤とした音楽の普及に寄与しました。
• YMOの成功をきっかけに、テクノポップは一時的なブームとなり、プラスチックスやピチカート・ファイヴなど後のアーティストたちに影響を与えました。
2. 革新性
• 当時の音楽シーンでは、電子楽器の使用は主に実験音楽や映画音楽に限定されていましたが、YMOはそれをポップミュージックに取り入れました。
• アルバム『Solid State Survivor』や『BGM』では、シンセサイザーとリズムマシンを駆使しながらもキャッチーでありながら知的な楽曲を作り上げ、多くのリスナーを魅了しました。
• 楽曲「Technopolis」や「Rydeen」では、当時まだ一般的でなかったサンプリングやシーケンスの技術を駆使しました。このアプローチは後のエレクトロニカ、ヒップホップ、ハウスなどに直接的な影響を与えました。
• 細野晴臣のエキゾチシズム、坂本龍一のクラシカルな音楽教育、そして高橋幸宏のロック・ポップス志向が融合し、多文化的な音楽を生み出しました。
• 「東洋的なサウンド」を意図的に取り入れた楽曲(例: “Firecracker”)は、当時の西洋リスナーにとって新鮮かつ魅力的であり、日本独自の音楽文化を国際市場に発信しました。
• アルバム『Solid State Survivor』は日本国内だけでなく、海外でも高い評価を受けました。特に、アメリカやヨーロッパのエレクトロニカシーンにおいてYMOは一種のカルト的な人気を持つ存在となりました。
• 初期MTV時代にも、彼らのビジュアル表現やスタイリッシュなパフォーマンスが注目されました。
• YMOの音楽は、後にテクノ、エレクトロニカ、IDM(Intelligent Dance Music)といったジャンルの発展に寄与しました。Aphex Twinやエイフェックス・ツイン、ダフト・パンク、ジャスティスなどのアーティストにその影響が明確に見られます。
• YMOは、アジアのアーティストが世界的に成功する道筋を作ったパイオニアとして評価されています。彼らの音楽は、「日本の高度経済成長期」における技術革新を象徴する文化的な成果としても語られています。
• YMOの楽曲やアルバムアートワークは、常に「未来」を感じさせるものでした。例えば、『Technodelic』ではアルバムタイトル自体が「テクノ」と「叙情」を掛け合わせており、電子音楽と人間の感情を統合する試みが見られます。
• メンバー全員が音楽だけでなく、映像やテクノロジーへの深い関心を持っており、YMOのライブパフォーマンスやプロモーションビデオにおいて、当時としては非常に先進的な視覚演出を採用していました。
a. 後進アーティストへの影響
• YMOの活動は、坂本龍一や細野晴臣が手がけたソロ作品やプロデュース活動を通じて、多くの後進アーティスト(例えば、小室哲哉、電気グルーヴ、Perfume)に直接的・間接的な影響を与えました。
• 日本の音楽制作において、MIDIやシーケンサー、デジタルオーディオ技術の使用を普及させた功績は非常に大きいと言えます。
まとめ
YMOは、日本の音楽史において「テクノポップ」という新しいジャンルを確立し、世界的な電子音楽の潮流をリードしました。その革新性は、音楽的、技術的、文化的な側面で非常に広範囲にわたり、現在でも多くのアーティストやプロデューサーに影響を与え続けています。YMOの存在は、日本音楽のグローバルな発展とその多様性を象徴するものと言えるでしょう。
聞いていたインディーズのPodcast突然おわたんだけど、リスナーが緩くすら繋がってないタイプの番組だったからただただそれぞれが呆然として面白い(俺含む)
ハッタグとか番組の略称もなかったし、「絶対エゴサしないから言いたいことはお便りだけで伝えてくれ」というスタイルだった。流石に見られる可能性0%だとモチベーション沸かないのであろう(俺含む)、感想ツイートをする人すらほぼいなかった。
ハッシュタグがあったりなど感想を促進するスタイルだったらリスナー同士がなんとなくコミュニティ然としただろうし、そうすると需要ができて番組の感想スレ的な場所ができて、場所があると「せっかく場所があるなら書くか」みたいに言わんでもいいこと書く人が現れて、それでハードルが下がると文句がたくさん書き込まれたりするんだろうし、そういうのに懲りてたから流れを作らないようにしてたのかもな(その配信者はそれ以前にもグループでポッドキャストをやっていた)。
エピソードタイトルも、入れた方が注目を集めそうな固有名詞も不自然なくらい入れないようにしてたし、静かにやりたい人だったのだろう。
⚫︎周年記念グッズ梱包と発送終わったー!
ほんとめんどくさかったなー。
開封した時にほんのり私の好きな植物フレーバーのする香水ふっといたから、開けた時びっくりするかな?
私の匂いだと思ってせいぜい使ってね!
好きな自分
本当の自分
罪悪感プログラム
偏差値50 70
なんで生きてるのか
なんで生き続けてるのか
なんで死なないのか
死んだらどうなるのか
この世の仕様
この世の原理
目的はなにか
ない
なにしてもいいよ
どうでもいいだろ
金使おうが 別に
ティッシュを落としたら落ちる
セイpあるし
事故で死んだ人
どうでもいいだろ
いかにコツコツ積み上げるかでしょ
そういうメンタリティでやってない
放送してるけど、リスナー鮮魚主任の給料とかボーナス信じへんな一昨日冬ボーナス入ってたけど97万やったで役職で手取り44万やのに
なぜリスクを回避できなかったのか なぜ未来を読めなかったのか こうなる未来を
おれのこころのもんだい
なんちげ なんかちがうんだよな
しにたくもいきたくもない ただ時間を消費したい
はやくはやくはやくおれを連れてってくれ
いつも仮の場所だと逃げて逃げて
逃げたい どっかに逃げたい
解放されたい
何も決めたくない 逃げたい
行動に対する『かわいい』には未熟であり不完全であるというニュアンスも含まれると思う。
文中の例で
例えば、「35:35のとこめっちゃ可愛かった〜🥰」ではなくて、「35:35の普段しないミスして焦ってたところ、あんま見られない顔見れて嬉しい🥰」の方が、配信者本人がリスナーのウケを分析する上でも役に立つはずだ。
というのがあるけど、
みたいことが魅力的だったとしても『かわいい』は合わない。
『かわいい』を使っていいかは未熟であり不完全だということを好感として受け取れる話題なのかということになりそう。
自分が何かが劣っている人間ではないとアピールしたい傾向の男性に対してだとその話題はかなり限られる。