例のノエルくん。N高に通うらしい。逮捕後鑑別所に入れられて、その後なんかうだうだやっていたそうだ。
http://kai-you.net/article/28504
そういえば、ノエルくんが何をしているかわからない間、「高校辞めてプロゲーマーになる!」と豪語して周りから失笑ときつい説教を受けた高校生がいた。
http://togetter.com/li/947722
彼のことを例のノエルくんと比較してコメントしている人間は少なからずいた。
ノエルの超越者と、件の高校生の囲いは、同じタイプの人間だ。現金を出すだけ出してあとは知らんぷり。なんとなく頑張って欲しいとは思うが、それ以上は何もしない。
この点、ガラスの仮面の紫のバラの人は本当にすごかったと思う。彼は北島マヤに現金の支援をしていない。高価な化粧セットとか、期間限定で別荘を使わせてあげるとか、先生の病室を手配してあげるとか。お金がらみでいうと学費の援助と劇場の改修くらいだろうか。劇中を通してみても、マヤが自由に使えるお金を紫のバラの人が援助した描写はない。あくまでマヤの「演劇」を援助したかったのかもしれない。そしてこれらの支援はマヤが事実上芸能界/演劇界から干された時期でも継続していた。
無論、漫画と現実を比べるな、というご意見が来てもおかしくはないが、マヤが苦労の連続なのに対してドローンのひともプロゲーマー志望のひとも人生なめくさってる感はある。
まあ人生なめくさってても、別にいいんじゃないの?とは思う。それでイージーモードだと感じるままに人生終了しても楽しいと思えたならそれはそれでいいんじゃないの?とは思う。それもそれで人生だろう。人生楽しいと感じれるなら人生とか社会とかなめてても人生楽しくないと思えるよりはマシなのではないか?
そう思うのは自分や自分の周りがそれなりに苦労してるであろう人しかいなくて、というか人って程度の差はあれ人生の中で苦労をしていて、なんの苦労もないまま人生を終わらせる人ってこの世にいるのかな?って思うだけなのかもしれないけど。
彼らについては、人生なめくさっているというよりは周りの人を見下す中二病的感覚を自分は感じている。それを人生なめてるっていうのかもしれないけど。
ノエルやプロゲーマー志望を見てて、学校みたいな小さな社会の中では「普通じゃない」人間をどう支援していくのが正しいのか、はなんとなく考えることがある。自分は収入はそこそこあるけど家庭を持つことは考えていないので、なんとなく、顔を合わせなくてもいいから見ず知らずの子供を助けたいって言う気持ちが時々ある。それはStudyGiftのアレでも、ドローンでも、プロゲーマー()でもない、家が貧しいとか、何がしかの施設に通っていたりとか、イジメに遭って不登校になったりとかで、本当に何がしかの支援を求めている、求められているこどもたちに対して。少なくとも「個人に直接現金を送る」は駄目っぽいのはノエルとかプロゲーマー志望とかを見て思った。なんか変に増長させるから。でも、施設や団体を通すならモノよりはやっぱりお金なんだろう。自分もとある施設に通っていたことがあり、同じような施設にお金を送りたいと思うんだけど、「ここに振り込んで欲しい」っていう銀行口座もないので困っている。現金書留になるんだろうか。それとも銀行口座のある団体を選べばいいんだろうか。
○朝食:焼きオニギリ二つ
○調子
月曜日のゴロゴロチキンカレーを食べてから、完全に歯車が狂ってグダグダになってますが、
が、なんかちょっと昨日のゴタゴタとか、あのカレー食べたことによる体調不良とか、パンチラインが面白くなかったこととかも重なって、ちょっとゲームは出来なかった。
これじゃあいかん!
土日はしっかり遊ぼう!
なんかノベルゲはケチがついたので、EVEリメイクじゃない別のゲームをしよう。
嫁が同じことしても許せるかどうかじゃないの
一本数万もしなくて良いけど、日本酒は本当にピンキリ。コンビニや格安居酒屋で売ってるものはほぼ不味いと言って良いのでは無いかと思う。
えづかないのだと、メジャーどころでは獺祭とか。獺祭二割三部とかはお店で見つけたら飲んでみると良いかも。すっきり濁りは無いよ。
甘口だと、満寿泉の貴醸酒ってのが一番甘かったかな。500mlで¥2,300とかで(通販で)売ってるから飲んでみて。日本酒のイメージ変わる。
軽い気持ちで学部、修士と内部進学してきたハカセさんは、おなじ大学の「研究室」に入院することになる。しかし、そこは自分を含めてドクターコースがわずか5人の学校だった。居室には「センセーに気をつけろ」の置き書きがあり、論文は3年間に1本しか出ないほどのクソ教官の下での、ハカセさん、アイヤーが口癖の中国人留学生リーさん、キムチの苦手な韓国人留学生キムさんら博士課程学生の、日々の研究を描く。
つづく?
別に配偶者に気持よくしてもらえないなら、外部にそれを求めるのは普通なわけで
例えば配偶者が疲れて帰ってくるから、食事は外部サービスに任せてもいいでしょ?
じゃあ、マッサージなんかで肩こりほぐすとか、背中を揉んでもらうとかも全然ありじゃない?
まあ、別れたいからそのための理由を出したいだけってのはわかる、それなら勝手に他人とセックスしてんじゃねーよっていいたくもなる
でも、セックス自体が相手を満足させられてないなら、別に他人にそれを満たしてくれるサービスあるなら別に利用したって問題無いじゃんねー
社会人二年目になり、同じ年の友達との間に距離を感じはじめた。普段の会話ではなんともないのだけれど、ひとたび「男」の話題になるとわたしはとてもモヤモヤするようになった。
彼女たちは社会人になり、いつのまにか男をスペックで値踏みするようになっていた。どこに勤めているか、身長は高いか、顔はどうか、話はおもしろいか、その他もろもろ。たしかに、社会人と大学生とでは出会いの場というのがまるきり違って出会える「男」も多種多様な人々になるわけだし、彼らのことを知って取捨選択するには彼らのスペックから判断するようになるというのはごくあたりまえなことだとは思う。大学生のときだって、身長やらお顔やらを気にせずにいたわけではないのは、わたしもそうだったし、性格だけで考えろなんてけっこう無理な話だということはわかる。容姿は第一印象にダイレクトにつながっているのだから、顔やファッションで決めるななんて難しいことはいわない。
ただそのスペックに文句をつけるのもどうかと思う。求婚されたわけでもないのに彼のスペックを挙げては「この男はナイわー」という傍から見ればお前何様だ発言。逆に、「医者から言い寄られてるけどつまらない男だから興味がない」というスペックは合格だけれどおもしろくない、しかしそんな高スペックに言い寄られているワタシ感の満載な発言。なんなんだ、何様なんだきみたちは。
「社長で高身長!かっこいい!」とキャーキャー言いあうようなものはたのしいからわたしだって混ざりたい。でもそんなプラスのほうにキャピキャピすることがあまりにも少ない。何をそんなに不満をたれているのかわからない。社会人になってからの出会いの少なさと成功率の低さが不満なのだろうということはわかる。だからといって性格については言及せずにそのひとを貶める発言をするのは結果自分自身の価値を下げているとしか思えない。
とはいいつつ、わたしのほうがおかしいのかな、というおもいもある。そりゃだれだってニートとは結婚したいとは思わないし、理想というものは何に対してもあるものだし、それにあてはめる作業をすることはまだ若いわたしたちにはふつうのことなのかもしれない。わたしには社会人になる前から彼氏がいるから、その体験をまだしていないだけで、これから先彼氏と別れたあかつきには必死でその作業を繰り返すことになるのかもしれない。
そんなことをおもうともう何も言えなくなる。彼女たちの姿こそが正しい独り身OLの姿なのかもしれない。
けれそも納得がいかないのは、そうやってああだこうだと言って男を選定するわりには、夜な夜なクラブなどにおもむき知らない男たちとキスしたりそれ以上もしちゃったりすることが常習化していること。あれだけ毎度毎度自分で作り出したものさしで男たちをせっせと取捨選択しているのに、「暗くて顔がよく見えなかった」男や「べつにタイプではなかった」男とキスしたりそれ以上にまで発展させて、しかしそれ以上継続させることも恋人になることもないという彼女たちの謎の行動がわたしをより悩ませ、彼女たちを軽蔑していまいそうになる。ふつうにそれはきもちわるい。
ほんとうに謎なんだけど?誰か教えてほしい。
タイプのひとを見つけてしまってワンナイトラブ、ならまだわかる。タイプのひとっぽかったのでワンナイトラブしたけど後から思えばそうじゃなかった、というのもまだなんとかわからんでもない。でも最初から顔もよく見えないしタイプでもないとわかりきっている男にああだこうだされてしまう彼女たちは、「若いうちしかできない」だの「いまのうちに遊んでおかなきゃ」だのといつものたまっている。確かに「若いうちしかできない」ことではあるけれど、「若いうちにしておかないといけない」ようなことなのだろうか。よくわからない。その行為は自分自身の価値やハードルを下げてしかいないようにおもうのはわたしだけなのだろうか。
わたしは簡単に、それこそわたしが良しと思わないような相手に自分の体をどうこうさせたりはしたくない。よくきく陳腐なセリフだけど、「わたしはそんなに安い女じゃない」。(使い方あってる?)
確かに文字通り「若いうちしかできない」ことには変わりがないので、彼女たちの人生だし誰に迷惑をかけているわけでもないので特段止めにはいったりは今のところしていないけれど、話をきくだけでモヤモヤするし軽蔑してしまうようになった。ほんとうにどういうことなんだろう。社会人になるまえは彼女たちもこんなんじゃなかったはずなのに。それともわたしがお固くて、ただきれいごとを都合よく言っているだけなのだろうか。
俺たちは嘘だらけのネットの上から真実を見抜けるんだから、俺たちの目利きが現実と食い違ってるとしたらそれは現実の方が嘘だってことだよ
休みというものはいつか終わってしまうわけだから、それが今日だろうと明日だろうと日曜日だろうと、まあ、それは仕方ないのだと思う。特に自分は独身で友達もいないので、休みの予定というものがなく、ボーッとしてるか仕事しているかの差ぐらいでしかない。
いつも人生について考えている。休みになると色々と考えることが増える。学生の頃は意味もわからない小難しい本を読んでみたり、色々なものからすぐに影響を受けたり、人生に意味はないなんて達観してみたり、まあ、若いってことなのかもしれないけれど、今になってみても何かしらの結論が出たということはないわけで、その時間自体がだいたい意味がなかったりするのだろう。
毎日忙しくするということは、そういう生産性のない思索の鬱々した沼から逃れられるのだから、案外悪いことではない。
自分からアクションをしなければ何も起こらない、というのは三十数年生きてきた中で数少ない教訓である。とはいうものの、自分自身が何をしたいのかよくわからない。毎日仕事したり適当にやってれば勝手に時間は過ぎていくわけだから、自分がどうしたいという希望がなければアクションを起こしようもない。
まあ、具体的に言ってしまうならば、そろそろ家庭を築くのか、それとも適当に生き続けるのかを決める分岐点ではないかと思っている。とはいえ、それ自体自分が社会の空気的なものを勝手に読んでいっているだけなので、本当に家庭などというものを築く必要があるのか、というのはよくわからない。しかし、このまま何もせずに生きていれば、ずっと一人でこのまま死んでいくのだろう。それはすこしばかり寂しいのかもしれないな、と最近思うのだけど、実際に何かしようと言うモチベーションはどこからも湧いてこない。
婚活だとかせっせとやってる人はなにをモチベーションにしているのだろう。それなりに生きていけるのだから、今はまだあったこともない人と結婚することを目指すっていう、人生の大変革をなぜ起こそうとしているのだろう。そのアクションをすることで、まあ、幸せという漠然としたものを目指しているのだろうけど、幸せだけならば結婚という結果を求める必要はない。独身の自分がそれをいうと、何わかってないやつが勝手なこと言ってると既婚者から馬鹿にされるのが常だろう。
そういうことをウダウダと考えていると、どんどん時間が過ぎていって何もする気が起きないわけで、行動することは改めて正義であると思い知らされるわけである。
深刻なAV出演強要被害は、大手メーカー作品にも少なくない。業界の自主的改善の動きはあるのか?
http://bylines.news.yahoo.co.jp/itokazuko/20160423-00056577/
1. 監督官庁の設置
3. 違約金を定めることの禁止
4. 意に反して出演させることの禁止
5. 女性を指揮監督下において、メーカーでの撮影に派遣する行為は違法であること
を確認する。
7. 契約の解除をいつでも認めること
はっきり言います
なぜならば、これらが施行される事によって、俺の大好きな「素人罰ゲーム物」が100%偽物であると証明されてしまうからです。
俺は「はじめ企画」や「ATOM」などが出す素人物、特にゲームやって負けたら罰ゲームというタイプのAVが大好きなんです。
ていうかそれしか見てないんです。
別に俺だってああいうのは大部分はヤラセだって解ってるんです。解ってるんですよ。
「はじめ企画」に至っては女優検証ブログなんてのも作られて、複数の作品に名前変えて出てる女優が素人のフリして出てるのは明らかだったりします。
でもね、俺は気持よく騙されたいんですよ。
もしかしたら本当に素人さんがわけも分からず出てエッチしちゃってるっていう「想像の余地」を残してもらいたいんですよ。
例えばSODですけど「100万円つかみ取り! 湘南水着ギャル編」はですね
最後に出てきた女の子が罰ゲームのSEXのクジを引き当ててエッチ突入しちゃうんですけどね
「やぁやぁ・・・ホントに恥ずかしい///」って照れながらおっぱい揉まれてですね、そんで男優とキスするんですけど、この瞬間さっきまで恥じらってた子が「女の顔」になるんですね。うっとり、とろ~んとした表情になってディープキスして。
で、男優が「積極的じゃないですかあなた!」ってツッコんだら女の子が急激に照れだしてカメラをバシッと叩くんですよ!!
これ、演技だとしてもものすごいですよ!!めっっっっっちゃ興奮した!!!!!!
これなんですよ俺が求めているのは!!!!
演技かもしれない、でももしかしたら本当なのかもしれない!このギリギリの境目がもっとも興奮できるんです。
前述の要望が施行される事によって、AVは全て「プロ」が100%出ている世界が確定となってしまい、素人とプロの境目から生じる「想像の余地」は完全に消滅してしまいます。(私は女優の名前でAV借りる趣味はありません)
よく考えたらtwitterで300回言及される程度だと思ったらしょぼかった。
しかもtwitterで300言及されたら20000PVくらいいってたのに300ブクマで14000PVくらいってしょぼすぎ。
人生50年と言われた時代ならもう折り返し、何もすること無く連休が終わるので振り返る。古い記憶は思い出すのが難しく、新しい記憶ほど濃く出てしまうのは仕方ない。
進研ゼミをやってたこともあり勉強はそれなりに、いやそもそも小学校の範囲なんて普通に聞いてればどうにかなるだろうと。
運動は苦手というか嫌いで部活はインドア系、今で言う程の虐めは無かったがからかわれたりされるキャラ。同じ目立たな系グループや、全方位社交的タイプの人や、辛うじてまだ友人と呼べる人がいた。
この頃、パソコン(PC-9821)を買って貰った。もちろん建前は一家共用のもの、だけど実際に使うのはほぼ自分だった(PC-98というところかしてお察しください)。
当時のパソコン通信もやるようになり、「馬鹿(なことを言う奴)は叩かれる」という現代に通ずる教訓を得ることができた。
そして勉強。生来のズボラさ、真面目系クズの因子があるとこの辺で勉強に付いていけなくなる。当然、落ち零れ始めると進研ゼミはテキストも開かない、課題提出もしないまま高3まで継続することになる。
この頃、一人だけ自分に対して話しかけてくれる女の子がいた。「○○って好きな人とかいるの?どんな人?だれだれ?」と妙に絡んできたり、将来はパソコン使う仕事がしてみたいとか話したら、教室の班内で日記的なものを順に書き教師に提出するノートで(明らかにそんな興味はなさそうなのに)「パソコンの仕事がしてみたい」と書いたり、それなんてエロゲ的な知識からするとフラグと思えなくも無いが目に見えないフラグなんて何の意味も無いし気付くわけが無い。しかし今でも夢に見ることがある。お陰で、上述したエピソードどころかその存在すらも夢の中で自分が妄想したものではないかとすら疑い始めている。
この辺りから、顔を知っているという程度の知人はいても友人というほど親しい存在がいなくなっていた。放課後に誰かと遊びに行くこともなく、パソコンにかまけていたんだと思う。
中学時代の女の子は帰り道が一緒になったときに声を掛けてくれたりたまに話してくれたりもしたが、いつしかそれも無くなり、逆に自分が無意識に目で追っていることに後で気付いた。
大学受験は散々だった。理系なのに数学の内容が全く理解できない時点で終わってる。結局、3月過ぎの最終日程で、得意な現国一教科受験が可能なFラン大学の新設情報系学部へ滑り込みを果たした。
(高い)金さえ出せばアホでも行けるという周囲の評判通り、他学部ではチャラそうな男女が目に付いたが、一日自由に誰の目を気にすることも無く快適なパソコンとネットが使えるというのは大変に魅力的で暇さえあれば通い、家では新作エロゲをひたすらプレーしていた。
ゼミのメンバは(イベント毎があれば何かしたがるリア充的な彼ら特有のノリで)大変に気さくで飲みに行くこともあったが、それ以外の場ではやはり話す人も無く、遊びに行く友人も無く、淡々と3年で必修単位を取ることに徹した。卒業1年後、ゼミの同窓会的な催しの連絡があり行ったが、その後は音信不通となった。
氷河期と呼ばれる時代は辛い。私はこの時点まで使う必要がないことから携帯電話を持っていなかったが、さすがに差し障りが大きいということで親名義のものを譲って貰った。
就活は自己分析に始まり自己否定に終わる。誰もが思ってもいない建前を並べ、何処でも良いから内定を寄越せという本音を隠そうとするがそれでも否定され、自分が社会に不必要な存在であると言うことを実感させられる。
「性格分析の結果だと、凄く明るくて社交的なのに全然違うね?」と宣うぐらいなら、性格検査なんていうアホな試験をさせるべきでは無い。何処の世界に就活で、自分は暗くて内向的なコミュ障ですとアピールする奴がいるというのだ。
「凄く優秀そうなのに、どうしてまだ未内定なのか不思議です」、その理由はすぐ横にいる人事に聞けばいい(これを言われた面接で落とされた)。
しかし50、60、と面接の回数を重ねると利点が一つだけ有る。心身が疲弊しきって、面接程度ではもはや緊張を覚えなくなるのだ。相手も本気で新卒に何かを求めているわけじゃない、地雷かどうかを見極めているだけだ。グループ面接で聞き飽きた他人のエピソード第一位は「サークル or バイトのリーダーとしてイベント or 仕事を成功させた」だが、横で聞いてる自分ですらまたかよと思うのに採用担当者ともなればもうやめてくれと思うんじゃ無かろうか。
そんな無我の境地が奏功したのか、一社だけ内定を得ることができた。自分のやりたかったこと(開発)とは微妙に異なるがIT系ではあるので運が良かった。
アキバをオタクの聖地だなんて今でも言うのか知らんが、半導体からアニメまで界隈に集い、ここに慣れてしまうと他が物足りなくショボく見えてしまうのは仕方ないことだと思う。毎週通うために回数券で切符を買っていた。
仕事の方は、残業70~90H/月程度だったがこの頃は羽振りがまだ良く残業時間にうるさくは無かった。むしろ残業代の形で還元されることもあり、周囲含めて生活残業が多かったのだと思う。
しかしそんな給与は1円も貯金すること無く、エロゲやアニメDVD、同人誌、マンガ、CDへと消えていった。
社会人何年目かで、アキバで出会ってしまったのがいわゆるドールだった。フィギュア的な造形でありながら、フィギュア以上の表現力を持ったそれにすっかり魅せられてしまった。
ドールは大量生産に向かないためか通常に買う場合でも一体6~10万、過去の人気ドールともなるとヤフオクで20万、30万、もしくはそれ以上という異常な価格となる。しかし買えない価格では無い。そう、社会人にとっては多少無理をすれば大抵のものは買えてしまう。
ある時、どうしても欲しいドールがあり、初めてキャッシュカードに付属したキャッシング枠を使った。そしてクレジットカードと同じように後日それを返すだけ。
人間の感覚というのは本当に恐ろしいもので、一度味をしめると慣れが生じる。経験が油断を生み、警戒心を歪ませる。
間が悪いことにこの頃、親会社への出向が解除となり入社以来縁がなかった自社に戻ることになった。子会社にとって残業時間管理は死活問題、定時を過ぎて用が無ければ帰れとしつこく言われ、何年かぶりに明るい時間の帰宅をした時は戸惑うしか無かった。
残業時間が減れば残業代が減る。残業代が減れば収入が減る。収入が減れば欲しいものが買えなくなる。ここで話は戻り、足りないなら借りるしかないということになる。
最初のキャッシュカードの使用枠はいつの間にかなくなり、別の消費者金融のカードを作っていた。最初は50万だけだったのが、100万、200万となり、気付けば借金は3社で計400万近くなっていた。
消費者金融における総量規制により年収の1/3以上を借りられなくなるという話を聞いたとき、ようやく現状を省みることができた(総量規制に便乗した、いわゆるおまとめローンの案内が来た)。
多分、一種の買い物依存症だったのだろうと思う。買うという行為自体に満足感を覚え、DVDやマンガなどは買ったときのレジ袋のまま部屋に放置していたというのがその証拠だろう。酒や煙草は全く嗜まないこともあり、溜め込んだストレスを知らず知らずのうちに買い物という方法でしか解消できなくなってしまっていた。
この400万近い借金の返済には6年を要した。途中、1円単位で小金を集めて用意することもあったが一度の遅延もなく(信用情報上、大きな借金がある時点で不利なのにさらに遅延があると極めて不利になるので絶対に避けたかった。また、大きな借金があっても遅延無く支払っているのであれば継続的に安定した収入があると見做される)、むしろ終盤には収入が増えて余裕ができたこともあり予定より三ヶ月ほど早く完済が叶った。
あれほど金が無い、金が無いと言っていたのに今では200万程の残高がある。しかし三十路を過ぎた男が200万しか貯金が無いというのは余りに情けない。
しかも20代の頃はただ闇雲に浪費を重ね、何かを極めたわけでも、引き換えに何か誇れるものを得たわけでも無い。そして30代の前半は今月分を返済したら幾ら残るかを考えるだけで過ぎてしまった。
社会人になってから自名義で契約した携帯電話としてiPhoneを持っているが、その番号を知る知人、友人、家族はいない。掛ける相手もいないので履歴は全てセールスの着信で、発信履歴はない。
一度、中学校の同窓会案内が転送されてきたことがある。当時はそれどころではなかったのと、中学時代の同級生に特に思い入れも無かったこともあり返信すらしていなかったが、引越の時にその案内書がでてきた。よくよく見ると同窓会の告知するwebサイトの案内があり、ふとした興味で何となく覗いてみた。いわゆるBBS、当日の写真といったものがあり、聞き覚えのある名前を発見することができた。
写真は年相応になった懐かしい(…とはあまり思えなかったが)面々、年老いた教師、といったものだったが、BBSの方は久闊を叙するメッセージの狭間に「当日は子供の世話が…」「嫁の都合で…」といった文言が有り衝撃を受けた。恐らく当時は26、27ぐらいの年齢だと思うが、見覚えのある名前がそういう状況になるというのはなるほど奇妙なものだ。赤の他人の話であることに違いはないのに、すぐ横で出し抜かれたような気がしてしまうのだ。
今となってはもう友人も恋人も結婚も望むべくもないし全てが遅すぎた。もし来世があり、草や木に生まれなかったのなら次はもう少し人間らしい人生を送ってみたかったと戯れに考えてしまう。