大津市とは、滋賀県の琵琶湖南西部に位置する市で、滋賀県の県庁所在地である。
基本データ
人口 | 343,704人(2024年2月1日付) |
世帯数 | 157,161世帯(2024年2月1日付) |
面積 | 464.51km² |
人口密度 | 737人/k㎡ |
市の木 | ヤマザクラ |
市の花 | エイザンスミレ |
市の鳥 | ユリカモメ |
概要
大津市は、2009年から国の中核市に指定されている。また、全国で10番目の「古都」である。
東は琵琶湖、西は京都府に挟まれているため、南北に大変長くなっている。そのため、同じ市内の中でも場所によっては気候が異なり、気候区が市内で分断されている大変珍しい事態になっている。特に市内北部は日本海側気候に属しており、冬場は雪が多く降る。
東部に琵琶湖が広がっていることもあり、市内には琵琶湖をテーマにした観光スポットや、びわ湖温泉、びわこ競艇場などといった琵琶湖関係の施設が多数見られる。
ちなみに余談ではあるが、大津市よりも三重県にある津市の方が面積は大きい。
歴史
古代~江戸
大津は古来から畿内、北陸、東国の三方向の交差点にあたる。陸上と湖上の接点ともなるこの地は交通の要衝として古代から栄えてきた。
天智天皇の時代に大津に近江宮が置かれた。その後、壬申の乱によって近江朝廷は滅び、再び飛鳥へ都が戻される。ここから平安時代は「古津」と呼ばれた。
奈良時代は良質な木材の供給地として、市の南東部にある田上山から木が切り下される。その結果はげ山となってしまい、明治時代にオランダ堰堤が作られるきっかけとなった。
平安時代になると「大津」という名が復活する。比叡山の延暦寺には最澄が延暦寺を開く。
源平合戦の時代、木曾義仲は大津市の粟津の地で源頼朝が派遣した武将に敗れた。義仲に従っていた今井兼平はこの時、壮絶な自害を遂げる。現在、義仲は膳所の地にある「義仲寺」に供養されている。
中世に入ると、延暦寺の勢力が大きくなった。しかし、織田信長は比叡山の焼き討ちを行う。以後、明智光秀が坂本城に入る。
関ヶ原の戦いでは、城主の京極高次が東軍につく。西軍は大津城に攻め入り、戦いには勝利する。しかし、この戦に兵力を割いたことにより、関ヶ原では劣勢になった。
江戸時代に入ると、大津城から膳所城に再び移動。幕府は現在の浜大津周辺を重要な地点として再興する。東海道の宿場町になり、湖岸には蔵屋敷が立ち並ぶほど経済的に繁盛した。
一方で、膳所城を拠点とする膳所藩は財政的にひっ迫していた。隣にある大津のせいで、都市としては発展しなかったからだ。ぶっちゃけ今の大津市と京都市・草津市の関係に似ている。
明治~現在
明治に入ると、元々幕府領・旗本領だったところは大津県となり、膳所藩も膳所県となる。
また、大津から湖北地方に向けての汽船航路が開通し、交通の要衝としては相変わらずだった。しかし、鉄道が敷かれたことにより事態は変わる。
これまでは宿場町として、そして港町としての役割を保っていたが、鉄道の開通によってただ通過されるだけになったのだ。よって、経済的にも衰退した。今の大津市の状況に似ている。
1891年には「大津事件(湖南事件)」が発生。巡査・津田三蔵が、ニコライ2世に斬りかかった事件である。
この時の判決は、我が国の司法権の独立を保ったこととして有名である。
1898年に大津町から大津市に昇格
1933年には膳所町・石山町と合併し、改めて大津市が発足される。
戦争が終わってからの1958年に現在の市章が制定。
その6年後の1964年に琵琶湖大橋が開通する。
市域の拡大は続き、瀬田町と堅田町を1967年に吸収合併。
2006年に志賀町と合併。
2009年に国から中核市の指定を受けた。
ちなみに、彦根に県庁所在地を移そうとしたことが過去2度もあった。もし彦根が県庁所在地だったら、現在のような滋賀県内の南北格差は無かったかもしれない。
観光地
地味と言われて久しい地域ではあるが、観光資源には恵まれているだろう。
浮御堂、日吉大社、延暦寺、近江神宮、三井寺(園城寺)、石山寺など有名な寺社が多い。古くから和歌に詠まれ、風光明媚な地である。
また、坂本城や膳所城など歴史を色濃く残す町並みも見られる。
かつては性風俗が多かった雄琴も、現在は「おごと温泉」として地域のブランド力を挙げようとしている。
交通
湖上交通
大津は水運の要衝として栄えた。京や大坂などから運ばれた物資は大津港で積み替えられ、琵琶湖にある各港へ輸送された。
明治期に入ると、官営鉄道の大津駅が開業する。現在の東海道本線は東京方面からと神戸方面からで別々に建設されたが、大津から先の路線はなかなか造られなかった。
この鉄道未通の期間に活躍したのが、水運であった。日本海航路で運ばれてきた物資は、長浜駅まで鉄道(現在の北陸本線)で運ばれた後、鉄道連絡船である太湖汽船に載せ替えられて、大津港まで運ばれ、そして大津駅から各駅に輸送された。
しかし、官営鉄道と太湖汽船との連絡切符が発売された1883年(明治16)年5月15日からそう経たずして、この繁栄は突如終わりを告げる。1889(明治22)年7月1日に、現在の東海道本線が全通したためである。
その後、湖上運輸は衰退の一途を辿り、現在では主に遊覧船が入港する。
道路
まず、高速道路は
が通る。
・国道1号線
・国道8号線(市内ではずっと国道1号線と重複)
・国道161号線
・国道367号線
・国道422号線
・国道477号線
の6本(実質5本)である。
市内では道路網が一応成り立っているものの、渋滞がよく発生する。
それもそのはず、天下の国道1号線ですら片側1車線であるのだ(ただし、市街地から大きくそれる京滋バイパスは全線片側2車線)。市内には狭い道路が多い。しかし、国道161号線はバイパスの整備が進みつつある。
県庁所在地らしくないとか言っちゃダメ
また、バスは
が乗り入れている。
鉄道
JRの路線では、
が通る。
肝心の大津駅はというと、県庁所在地とは思えないくらいショボい。市内でもっとも乗降客数が多い駅は石山駅だ。
かつては現在の湖西線の部分には江若鉄道が営業していた。
JR線を補完する市内交通として、京阪電鉄の大津線(石山坂本線と京津線)が走る。
この京津線には地下鉄・登山電車・路面電車の三役を果たす電車が走っている。鉄道ファンなら必見かも
なお、坂本と比叡山を結ぶケーブルカーの「坂本ケーブル」は日本最長のケーブルカーである。
産業
主な企業
伝統産業
京都市との関係
大津市と京都市は隣同士である。その間は10kmもかからないぐらいで、これほどまでに都道府県庁所在地が隣接するのはここぐらいである。JRに乗れば10分程度で京都に行ける。
そのため、大津市と京都市の結びつきは強く、現在でも文化、政治等で交流や協力が続く。
なお、大津市から京都方面へ就業・通学する住民も多く、現在では京都市の衛星都市やベッドタウンと化している。
行政
市役所の下位機関として「支所」を設ける自治体が数多くある。
しかし、大津市はなんといっても数が多い。
なんと、小学校の学区ごとに支所を設けたのである。
南北に細長い市としては、細かい行政サービスを送れるようにする配慮であろうか。
教育行政
大津市の負の面として、教育委員会がかなり腐敗していたことが挙げられる。
いじめを黙認するわ、被害者に責任転嫁するわ・・・。全国から怒りを買い、市のイメージを著しく落とした。
以下にその腐敗ぶりを載せておく。関連リンクも参考にしていただきたい。
- 大津市身体障害者リンチ殺人事件(2001年3月31日)
- 未成年5名(主犯格の15歳と17歳青年2名、見張り役3名)による身体障害者の16歳青年に対する凄惨なリンチ致死事件。奇しくも少年法改正前日に起こったため、主犯格2名は刑事裁判にかけられる事無く少年院送致、見張り役3名は処分なしで釈放された。
- 大津いじめ事件(2011年10月)
- 滋賀県大津市の中学2年生がいじめを苦に自宅マンションから飛び降り自殺した事件。当該記事を参照。
なお、現在はいじめ事件を受けて新しい体制で再スタートを図った模様。
余談
- 大津駅は県庁所在地の代表駅ではあるが、非常にショボい。乗降客数も同じ市内の石山駅に追い越されている。更にその石山駅の乗降客数ですら、隣の草津市にある草津駅・南草津駅には及ばない。
- 京阪石山坂本線の膳所本町近くにある美富士食堂で出される料理はあまりにも量が多いことで有名。
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関連項目
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