シベリア(露:Сибирь、英:Siberia)とは、白い楽園である。
この項目は、編集者がシベリア送りになったため内容が少ないです。 この記事はシベリアの空気のように内容が希薄で、タイガの針葉樹のようにそこに立っているだけの記事です。加筆訂正などをして下さる同志を求めています。 |
概要
ロシア(ソビエト連邦)の中でも特に真東、ウラル山脈以東の地をしてシベリアまたはサイベリアという。
この語が示す領域はロシアの歴史に伴って大きく変化しており、現ロシアでは意外と小さい。
シベリアは古代から流刑地として扱われていたため、ロシア内では陰惨なイメージがついて回っていたが、革命闘士である諸君らも承知の通り、同地が同志によって解放された後はまさしく労働者の楽園となったのである。
同地は鉱物をはじめとした各種地下資源や、入植が遅れたことによる木材資源などが豊富であるという報告からも、この地がいかに労働者たちを惹きつけてやまないかは論を待たない。
木の本数を数える
同地では"観光業"が盛んである。何しろ日光を観察するだけでよいのだ。
また同地では"営林業"が盛んである。何しろ木の本数を数えるだけでよいのだ。
他にも石壁や石床の冷たさを(素肌で)モニタリングする作業、運河を掘削する作業など、往時のシベリアでは様々な業務が労働者諸君を満足させるべく網を張っていた。
しかし同地では"狩猟業"は認められていない。なぜならばそれは政治将校にのみ許された名誉職だからである。
特にこれらの業務はソビエト連邦成立以降に隆盛を極め、一時期は同志スターリンの栄誉ある転属証明書1枚だけで6600人もの人民がシベリアに奉公したともいわれている。
やんぬるかな、現在ではそのようなこともなくなりつつあったが、近年天然ガス田が発見されたことにより局地的ながら労働力が求められるようになった。もちろん、正規の手続きを経て。
シベリア超特急
この楽園たる同地の名前を冠した映画に「シベリア超特急」があるが、同作はこのような革命的新世界とは何も関係がないことを注記しておく。
シベリア(菓子)
傲岸不遜にもこの労働者の聖地を商標化した食品が存在する。その名はシベリヤ。シベリアケーキともいう。
この菓子は歴史が古く、"タイショウジダイ"にまで遡るという。同年号間にシベリアへ出兵するという蛮行を犯しており、そこからこの菓子の名前がついたという説が一般的である。
言語 (まじめな話)
シベリア地域ではかつては古シベリア諸語というグループに類する言語が用いられていたと考えられるが、その後アルタイ諸語 (トルコやモンゴル、満州系の言語) に押され、さらにはロシア語に追いやられ、今日では古シベリア諸語に属する言語の総話者人口は1万人に満たない程度までに減ってしまっている。
古シベリア諸語のカテゴリには時々アイヌ語を含めることがある。また北米の先住民の言語との関係を指摘する者もいる。
歴史 (まじめな話)
旧石器時代から人が住んでおり、マンモスなんかを狩っていたようである。彼らの一部は後に海を渡り、現在のアラスカからアメリカ大陸に移り住み、インディアンの先祖となったと言われている。
その後シベリアは遊牧民がまばらに住む土地となったが、西暦1500年~1600年頃にロシア・ツァーリ国が毛皮を求めてシベリアへ侵攻、極東に至るまでをロシアの領土とした。このころ、現在に続くロシアの領土と大体同じ感じになる。
ロシア帝国当時
ロシア・ツァーリ国の後継であるロシア帝国以前、モスクワ大公国時代から、いわゆるシベリア流刑は存在していた。シベリアを領土とした後も、モスクワやサンクトペテルブルグを初めとするほとんどの主要都市は西側に集中しており、シベリアへと流刑になるのは罪人への罰の一つであった。
が、そこは広すぎるロシアの領土、資源開発も進まないシベリアに送ったところで何をやらせるでもなく、罪人たちは手持ち舞沙汰に憲兵の見張りを受けながら「のんびり適当に」過ごすのが常であった。
このころのことが、言わゆる「日光を観察するだけ」「木を数えるだけ」と言われたシベリア流刑の温情時代である。後のソヴィエト連邦建国に携わるレーニンやスターリンもシベリア流刑を受けたことがあるが、「やり方が手ぬるすぎる」「やることがない」「暇なのでトナカイで遊ぶ」「妻と女中を呼びつけて一緒に暮らすことにしました」といった有様である。
強制収容所もなく、彼らは憲兵の見張るシベリアの村に追いやられ、「ホームステイ」させてもらうという方式だっとか。女たらしのスターリンはここでシベリア民の女の子といい関係になっちゃったりして…おや?誰か来たようだ
ソビエト社会主義共和国連邦当時
1917年に建国した偉大なるソビエト連邦においては、シベリアへの転属は恐怖羨望の対象となった。二代目最高指導者の同志スターリンはシベリアに眠る大量の資源に目をつけ、栄誉ある転属証明書1枚だけで多くの労働者人民諸君がシベリアでの労働に従事することになったのである。同志スターリンは時に革命的ジョークでもシベリアを引き合いに出した「君は色々知り過ぎた、シベリア送りにした方がよさそうだ!(笑顔」
なんにせよ、「日光を観察するだけ」やら「木を数えるだけ」などという労働意欲の欠片もない時代は終わり、資源を発掘するための人員、それを運ぶための鉄道建設作業員など、多くの栄えある労働力が必要とされ、それらは広いソビエト・ロシアの各国から送られるようになったのである。これを労働者の楽園と言わずしてなんと言う。
え?まじめな話?すごくまじめに書いているんだが・・・(内務人民委員部の視線を受けながら)
ロシア連邦現在
ソビエト連邦が崩壊し、再びロシアの名を冠する国の領土となった。他の資源もそうだが、特に重要なロシアの欧州向けの強いカードである天然ガスが豊富なのがこのシベリアであり(今度キエフに頼もう、ガス代を金で払えって)、ロシア連邦の縁の下の力持ちとして多くの労働者がシベリアで日々頑張っている(強制的な意味ではなく)。
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関連項目
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