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第一章:キエフ・ルーシの時代からソヴィエト連邦の時代まで
第二章:ロシア帝国、及びソヴィエト連邦の支配者達
1991年、ソヴィエト連邦は崩壊し、15の国家に分裂しました。その後の凋落はなんとなく知られるところで最大の失敗例がウクライナであると言えますが、その前に他の国々も幾つかピックアップしてみましょう。まず全体的な傾向として、「多民族国家」としての意識はロシアにのみ引き継がれ、新たに独立した国家は遅ればせながら単一民族を想定した国民国家を志向する傾向が窺えます。そして計画経済から新自由主義経済への移行に伴って国内市場は大混乱に陥り、大なり小なりソ連時代からの衰退を全ての構成国が経験することになったわけです。
ソ連時代には強みであったはずの重工業分野は振るわず、逆にソ連経済の弱い部分は西側資本に食い荒らされ、金を稼げるのは資源産業だけ、という状況は30年あまりを経た現在も完全には払拭できていません。そうなると「資源のある国」は一定の経済力を確保できるものの、「資源のない国」は窮乏するばかりと、旧ソ連構成国の間でも格差が広がっていきます。ロシアやカザフスタンなどは資源輸出によって外貨を獲得し続けている一方、ソ連時代に重工業の中心地であったウクライナは西側市場から買い手が付かず、かつての宇宙船工場も西側のメーカーの下請けに……という有様でした。
そして国内経済が低迷すれば、当然ながら国民の不満は高まる、そこで為政者が何をするかというと「ナショナリズムに訴えて批判の矛先をそらす」わけです。経済面で上手くいかない国ほど何らかの「敵」を見立てる必要に迫られる、結果として国内の少数派住民や隣国との間には大きな亀裂が走ることになります。これがエスカレートしていった中で最悪の結果を自ら招いたのが昨今のウクライナですが、残念ながら他の旧ソ連諸国にも似たような問題がないとは言えません。
まずソ連とは、実態と自認のいずれも「多民族国家」でした。それは15の構成国に止まるものではなく、多数の「自治共和国」や「自治州」が定められ、いずれも独自の行政権を有していたわけです。そしてロシアは軋轢や衝突はあれど多民族国家としての理念を継承しており、現在も「連邦構成主体」として独自の憲法、独自の議会、独自の公用語を持つ自治共和国が国内に数多く存続しています。しかるに他の旧ソ連諸国は単一民族国家的な拘りが強く、領域内の少数派住民の扱いに問題を抱えていることが多いです。
典型的なのは、州じゃない方のジョージアことグルジアでしょうか。コーカソイドの語源でもあるカフカス地方は「民族のるつぼ」と呼ばれるなど少数民族の数多く存在する地域です。国家としては他にアゼルバイジャン、アルメニアが成立していますが決して3つの民族に収束できるものではなく、あわよくば自民族の国家建設、独立までは行かずとも高度な自治を求める少数派がひしめいている状況です。そしてグルジアの領内には、アブハジア、南オセチア、アジャリアとソ連時代には自治を許されていた地域が含まれていました(なお"北"オセチアはロシア領内で自治共和国として認められています)。
実はソ連には連邦から離脱する権利と共に、連邦に「残る」権利もまた定められていました。グルジアにはソ連から離脱する権利がある、しかしグルジア領内にある自治共和国にはソ連に「残る」権利があったわけです。しかしソ連崩壊の混乱に乗じて各構成国はいずれも自国の最大版図を確保すべく、多数派民族とは異なる人々が住む自治区もまた有無を言わさず自国の領土として、これを手放すことなく「独立」を宣言します。それは当然ながら、時を待たずして火種となるものでした。
ソヴィエト連邦の時代は、様々な国籍の入り交じる共産党指導部が主導する多民族国家でした。これが連邦の崩壊後は独立した各国の多数派民族が主導する国民国家へと移行していったのですが、言うまでもなく多数派の陰には少数派がいます。グルジアはグルジア人の国家を目指した一方で、グルジア領内のアブハジア人、オセチア人、アジャール人はそれを歓迎しませんでした。グルジアの南部で自治を求めたアジャリアこそ鎮圧されたものの、アブハジアとオセチアは隣接するロシアに調停を依頼、結果としてロシアが監視する形で自治権を確保しています。
まずグルジア政府がグルジア人の国家を目指し、そしてグルジア国内の少数民族が自治権──ソ連時代は認められていたものであり、ロシアは今も認めているもの──を求めました。これをグルジア政府が軍の力で鎮圧しようとするも、アブハジアやオセチアはロシアに庇護を求めます。請われて介入したロシア軍はグルジア軍を斥け、両自治共和国はグルジア政府の支配から外れる形になりました。これを我が国ではロシアによる侵略と伝えているのですが、実態としてはどうでしょう? 西側の用語で言うところの「侵略」は、果たして何によって防ぎ得たのでしょうか?
その後もグルジアは長らく反ロシア感情に訴える政治が続きました。ただ、それが自国の発展に結びつくことはないことに漸く国民も気づいたのか、近年は中立派が与党の地位を確保しロシアとの間で関係改善の機運も見られます。一方でこうした動きへの反応として日本を含む西側諸国のメディアからはグルジア政府へのネガティブな、そして不当な報道が相次いでいる状況です(参考、本家ジョージアには既にある法律)。ことによるとグルジアでもウクライナのように、政権転覆が仕掛けられる可能性は決して低くないと言わざるを得ません。
なお旧ソ連構成国のナショナリズムが往々にして反ロシアへと繋がる中で、かつては例外であったのがアルメニアです。アルメニアの場合は、隣国アゼルバイジャンの内部にあるアルメニア人居住区、カラバフ地方へとナショナリズムの目が向けられました。そして軍事力の行使によってカラバフ地方を奪取することに一時は成功したわけですが、これを守り切るには何らかの大国の庇護が必要になる、その結果としてアルメニアはロシア寄りの政体を維持する必要に迫られます。
しかるにロシアと結んでカラバフ地方を確保してもアルメニアの発展には繋がらず、カラバフ死守を掲げた強硬派が妥協派の現職大統領パシニャンに敗れると方向性は一転、アルメニア自身がカラバフの守りを放棄、そこをアゼルバイジャンが軍を動かして奪還するに至りました。そしてパシニャン政権はロシアがカラバフを守らなかったと非難の声を上げてNATO側にすり寄る姿勢を見せているのが現状です。地理的に隔たれたアルメニアにはNATOもあまり興味を示さず、今でもロシアと完全に決裂したとまでは言えないものの、新たな火種を作り出そうとしている国として要注意ではあります。
なおもう一つのカフカスの国家であるアゼルバイジャンは、なんともつかみ所がありません。宗教はイランと同じシーア派が主流ですが、さりとてイランと協調するでもなく、民族的にはテュルク系でトルコとの関係は深いのですが、そのトルコと対立しているイスラエルとも親密な関係であったりします。ウクライナやモルドヴァと反ロシア同盟を結成している一方でロシアとの国交は何事もなく続いているかと思えば、昨今はニューカレドニアの暴動を巡ってフランスとやり合ったり等々、インドもかくやの全方位外交を展開しており予測の難しい国です。
次に中央アジアの5つの国家に目を向けますと、こちらも自国の産業自体は低調、カザフスタンやトルクメニスタンなど輸出資源に恵まれた国は一定の豊かさを保っているものの、そうでない国は決して良い状態とは言えません。中央アジアもまたナショナリズムに頼る中でロシア語教育を捨てて国内の多数派民族の言語のみを公用語としてきた結果、ロシア人技術者は流出し、ロシア語が話せる国民も減っている状態です。しかし自国に産業が乏しいが故に隣国即ちロシアへ出稼ぎに行く人は減りません。そしてロシア語を話せない移民は出稼ぎ先で言葉が通じず社会的に孤立したあげくイスラム過激派に取り込まれ、この一部の人間のイメージで尚更ロシア社会から危険視される……みたいな悪循環も起こっているようです。
幸いにしてヨーロッパから地理的に距離があるおかげで、中央アジアの5カ国はこれまでNATO諸国からの干渉を受けることも相対的に少ないところがありました。ただアメリカの敵か味方かを厳しく問われる現在の国際情勢の元では中立を保つことも難しく、カザフスタンを筆頭に欧米諸国による介入の痕跡が見え隠れする場面も増えているのが現状です。19世紀のグレート・ゲームが時を隔てて再開される、中央アジアがNATOの出先機関となり新たな紛争地となる、そんな可能性も残念ながら否定できません。
続いてモルドヴァですが、こちらは隣国のルーマニアと言語・民族の面で大きく共通した国となっています。これはドイツとオーストリア、セルビアとモンテネグロの関係のようなもので、言語や民族はほぼ同じでもその地域を支配した王朝が異なる、違う国として成立してきた時代が長いわけです。ただソ連時代からの反動で大ドイツ主義ならぬ大ルーマニア主義的な盛り上がりも散見され、モルドヴァ語を捨ててルーマニア語を唯一の公用語と定める等、これまた歪んだナショナリズムの強い国でもあります。
ただモルドヴァ国内にはロシア系住民、ウクライナ系住民、そしてテュルク系のガガウズ人なども暮らしており、当然ながら大ルーマニア主義的な機運には強い反発がありました。結果としてドニエストル川の東岸では独立運動が勃発、ロシアとウクライナの両国が軍事支援を行い「沿ドニエストル共和国」という「ロシア語・ウクライナ語・モルドヴァ語」の3つを公用語とする事実上の独立国が成立しています。またガガウズ人も自治区を構成、こちらも「ガガウズ語、ルーマニア語、ロシア語」の3つを公用語とするなど、単一民族国家を目指すモルドヴァ政府とソ連時代の多民族主義を受け継ぐ自治区とで対比をなしていると言えそうです。
そんなモルドヴァでも軍事的には中立を保つ、NATOとロシアの対立からは距離を置く方針が長らく維持されてきたのですが、ルーマニアの市民権を持ちアメリカで教育を受けたマイア・サンドゥが大統領に就くと事態は一転、NATO加盟も視野に沿ドニエストルやガガウズへの圧力を強めるなど、徹底した強硬路線に転じてしまいました。沿ドニエストルとガガウズはいずれもロシアに救援を要請しており、しかしながら両地域とロシアの間にはウクライナが障壁として立ち塞がっているのが現状です。ロシアに救いを求める両地域に手を差し伸べるためにはオデッサまでを解放しなければならないことになりますが、今回のウクライナを舞台にした戦争の着地点を探る上では、このモルドヴァの姿勢も問題になってくることでしょう。
一方で旧ソ連構成国の優等生と評価できるのは、ベラルーシです。こちらもソ連崩壊後の一時期は混乱が続きましたがルカシェンコ政権下で安定を取り戻し、輸出資源には恵まれないながらも堅実な経済成長を見せています。他の旧ソ連構成国が軒並みナショナリズムに訴えることで失政を隠してきた中、ベラルーシはナショナリズムに頼らずロシアとの利害対立があっても話し合いでの解決を重ねる等々、隣り合う同胞ウクライナに国家運営の手本を示しているとすら言えるのかも知れません。
しかるに戦争の火種作りとは最も距離の遠いベラルーシは、同時に欧米諸国から最も非難される国の一つでもあるわけです。それは即ち、旧ソ連圏の支配を目指すNATOの戦略にとっての障害であるから、でしょうか。ベラルーシの反政府活動家にはノーベル賞が授与されるなど、「西側」からの肩入れは鮮明です。いつかベラルーシもアメリカの資金提供を受けたNGOによって政権が転覆される、ウクライナと同じ道を辿らされる、それは十分に考えられる未来でありプーチンもルカシェンコも大いに警戒しているところでしょう。
最後にバルト三国などと一括りにされがちなエストニア、ラトビア、リトアニアを取り上げます。このうちリトアニアは元からロシア系住民が少なかったこともあり、ナショナリズムに走る中でも比較的問題は起こっていないようです。逆にエストニア、ラトビアはソ連崩壊後も国内にロシア系住民が多く居住し、その処遇が争点となりました。いずれもエストニア人の国家、ラトビア人の国家が目指される中、ロシア系住民には「国籍を与えない」ことが決定され、一時期は国内居住者の40%が無国籍に達するなど、旧ソ連構成国の中でもとりわけ人権面での遅れが際立っていると言えます。
もっとも我が国も戦後は、元・大日本帝国領である朝鮮半島や台湾にルーツを持つ国内居住者へ日本国籍を付与しない方針をとっており、エストニアやラトビアには親近感を覚えるところでしょうか。こうした人権面での後進性は欧州の理念とよく合致するところで、2004年にバルト三国はEUとNATOにも揃って加盟を果たします。いずれもEU内では最貧国に位置し、人口流出の続く状態ではあるのですが、それでも名目GDPは旧ソ連諸国の中では上位に入り、ロシア系住民の排斥についてもNATOの威を借りてロシアからの非難を断固として寄せ付けない等々、とりあえず政府の思惑は満たされているようです。
そしてウクライナが目指したものは、エストニアやラトビアのような国家であったのでしょう。EUの中では貧しくとも旧ソ連諸国の中では豊かになれるかも知れない、NATOの軍事力を盾にすればロシア系住民を弾圧してもロシアは手を出せなくなる、そんな期待で動いてきたのが近年のウクライナであったと言えます。しかしロシアから見た場合のウクライナはバルト三国とは重要度が全く違った、バルト三国のNATO加盟時と比べて現代のロシアは他国に干渉できるだけの力を取り戻していた、それはロシアのレッドラインを超える判断でした。
こうした流れを踏まえて、次の章ではソ連崩壊後のウクライナに焦点を当てて、2022年までの流れを振り返っていきたいと思います。
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