たとえば山本太郎みたいなのを見て思うのですが、単に自分が「正しい」と考えていることを実行するだけで正義と信念の人と呼べるのあれば、在特会などのレイシスト連中の大半もまた正義と信念の人と呼ばねばならないことになります。その人が「善」あるいは「悪」と考えている対象は異なれど、自らの奉じる「正しさ」のために真剣に活動している、自分が害悪と信じるものから諸々を守るために身を捧げているという点では、何ら変わるものではありませんから。
排外主義者に対しては良識家ぶって眉をひそめてみせる人でも、しばしば排外主義者と似たような考え方をしているケースは困ったことに少なくないように思います。ある種の反原発論者とレイシストの類似に関しては、この1年で繰り返し触れてきたことですけれど、同様の例は他でも挙げられるわけです。たとえば排外主義者の中には外国人を悪し様に罵る一方で、そうした「悪質な」外国人のせいで「真面目に生きている」外国人までもが悪い目で見られるのだと説く人もいます。こういう主張、皆様はどう受け止めますか?
とりわけ生活保護に関しては、上記のレイシストと同じように考えている人が多いように見受けられます。まず「悪質な」生活保護受給者の存在を大々的に喧伝して、しかる後にそうした人々のせいで「本当に必要な人」に生活保護が行き渡らないのだと、そう素面で語る人も多いですから。なんだかんだ言って差別は良くないこと、排外主義は良くないことという認識を持っている人の方が多数派を維持できてはいますけれど、そういう認識を持っている人であればレイシズムの論理とは無縁かと問われれば、必ずしもそうではないように思われるところです。
生活保護、不正防止へ 申請者の口座を全国照会 厚労省が銀行に要請(産経新聞)
生活保護費の不正受給防止に向け、厚生労働省が申請者の口座を対象にした全国一括照会を銀行側に要請していることが5日、分かった。同省関係者が明らかにした。生活保護費の支給にあたっては、資産や収入などの調査が必要だが、銀行は現在、居住自治体周辺しか照会に応じていない。厚労省は、居住地から離れた銀行に口座を開設することで不正受給が可能となる実態があるとみて、銀行側に協力を求めている。
(中略)
同省によると、平成17年度に判明した不正受給は1万2535件(約71億9278万円)だったが、21年度は1万9726件(約102億1470万円)に増加している。ただ、これは氷山の一角で、税金を納めていない場合、不正受給は分からない。
生活保護受給世帯は23年10月に初めて150万世帯を突破。22年度に支給した生活保護費は3兆3296億円に上る。この背景には貧困層の増加があるが、不正受給の拡大も要因のひとつとみられる。
生活保護に詳しい民主党議員は「不正受給自体許せないが、防止できれば、かなりの歳出削減になる。銀行が口座の全国一括照会を行うことは技術的に可能なはずで、都銀は厚労省の要請に応じるべきだ」と話している。
この頃は保険医療を受ける人までもが対象にされつつありますが、昔から生活保護受給者へのバッシングは定期的に行われてきました。ただ「不正受給が横行している」というイメージばかりが一人歩きして、実際に「不正」とやらが占める割合は、むしろ目を背けられてきたように思います。何故か産経は21年度の不正受給額に対して22年度の生活保護費を挙げていますけれど、1年くらいで大きく数値が変動するものでもありませんので、この値で計算してみてください。生活保護に占める不正受給は金額ベースで見ると……総額の0.3%程度であることがわかります。過去に計算してみた頃(参考)よりも、むしろ割合が下がっている辺り、モラルの高さが窺われるところでしょうか。
ここで引用した産経新聞ならずとも、いわば不正受給神話とでも呼ぶべきものを堅く信じる人は、判明している数値を「氷山の一角」と言い放って、他にも不正受給が潜んでいる可能性に賭けるわけです。とはいえ、それは彼らの願望を表しているに過ぎず、具体的な数値や根拠は一向に見えてこないものでもあります。むしろ注目すべきは不正受給の「件数」と「金額」の差でしょうか。件数ベースで見ると「不正」は1.3%ほどなのに対し、金額ベースでは0.3%に止まっている、この意味は考えられてしかるべきです。
要するに「不正」の大半は所得隠しであり、生活保護受給者といえど必ずしも働いていないわけではなく不十分ながらも収入を得ている人も多い、しかるに制度上は収入の分だけ生活保護の支給額は減ってしまうため、それを惜しんで所得を隠す「不正」が原因として挙げられます。「不正」に受給しているのは全額ではなく隠した所得の分だけ、ゆえに不正受給の件数の割に金額は少なかったりもするのでしょう。むしろ氷山の一角として扱われるべきは、しばしば世間を賑わす絵に描いたような不正受給者像の方と言えます。
ところが、犬が人を噛んでもニュースにならないが、人が犬を噛めばニュースになるのが報道の世界であり、我々の社会に強固な印象を及ぼすものなのです。必要な人に支給されないことを「漏給」、必要のない人に支給されることを「濫給」と言いますが、専ら取り上げられるのは濫給の中でも氷山の一角に過ぎない悪質な事例に限定されており、上述したような一般的な濫急は元より漏給に関しては滅多に話題には上りません。そして、報道の頻度=実際に起こる頻度であるかのごとき錯覚は着実に浸透するものでもあります。
典型的な例が、青少年の凶悪犯罪でしょうか。これは統計上は顕著に減少してきたにも関わらず、少年犯罪報道が読者・視聴者ウケの良い格好の話題として流行したのか一時期は集中的に報道されていたわけです。まぁ、少年犯罪が昔に比べれば珍しくなった分だけニュースとしての価値は上がったのかも知れません。ともあれ実際には減少している青少年の凶悪犯罪が、あたかも急増しているかのごとく錯覚され、そのような誤った理解に基づいて政策を立案する政治家すら目立ったのは記憶に新しいところです。そして生活保護然り。現実に発生する頻度と報道される頻度が混同されています。
この現実の頻度と報道の頻度の混同は、生活保護支給を「渋る」上で格好の口実として機能してきました。最低生活水準を下回る収入で生活している世帯のうち、実際に生活保護を受けている人の割合を示す貧困補足率は日本の場合、概ね15~20%程度と推計されています。逆に言えば80%は漏給状態にあるわけです。そして補足「されている」内の0.3%程度が濫給に当たります。単純に計算すれば0.06%が濫給ということですね。0.06%の濫給と80%の漏給、どちらが問題であるかは考えるまでもありませんが、報道の頻度は逆であり、世論やそれに媚びる政治家が力点を置くのもまた逆なのです。
その辺は以前にも触れたことではありますけれど(参考)、20%×0.3%でしかない濫給が増減したところで全体としては何の影響もないわけです。不正受給がなくなって、その分が他の人にそのまま回されるという非現実的な想定をしたところで、貧困補足率を押し上げる効果は誤差の範囲、20%弱は20%弱のままにしかなりません。仮に不正受給が統計に表れない10倍もあると、これまた非現実的な想定を重ねてさえ影響は微々たるもの、吹けば飛ぶような数値なのです。濫給が皆無になろうと、漏給の問題解決には全く役に立ちません。「不正を無くし本当に必要な人へ」なんて文句は全くのナンセンスで、それは濫給に注目させることで漏給の問題から目をそらすための姑息なスローガンと言えます。
「防止できれば、かなりの歳出削減になる」と生活保護に強い偏見を持つ民主党議員は語ったそうです。102億という不正受給総額を単体で見ると大きく見えるかも知れませんが、3兆円を超える生活保護費の総額や、その倍以上の金額を必要とする漏給分と比較してみれば、そこは躓くべきポイントなのかどうか? むしろ不正受給は給付抑制の口実として喧伝、活用されてきたように思います。つまり世間では専ら濫給にのみ目が向けられ、あたかも濫給の存在が漏給を招いているかのように誤解されているわけです。そして行政が国民の誤解に乗じることで、漏給の問題を濫給のせいにする、社会保障の不備を批判する声の矛先を不正受給者に振り向けることで責任逃れをしてきたのが実情ではないでしょうか。
上で書いたように不正受給は全体に比してあまりにも少ないため、これがどうなろうと漏給の問題はどうにもなりません。しかるにメディア報道を鵜呑みにしていくと、不正受給が現実の1000倍くらい存在するように思えてしまうもののようです。それはある種の人々が妄想する脳内日教組のごとく、現実のそれとは裏腹に巨大な影響力を持つ存在なのでしょう。そして不正受給が横行すると信じる世論に支えられる形で、生活保護を必要とする人々を水際で追い返す運用が継続されてきたと言えます。不正受給が跋扈しているのだから窓口の対応が厳しくなるのも仕方ないと、そういう誤った理解は少なからず行政を甘やかしてきたはずです。
同時に、不正な受給者がいる、悪い奴がいるという世界観はしばしば、小泉や橋下に代表される「悪者」をシバキ上げると有権者に約束するポピュリストの台頭を歓迎します。そしてポピュリストは支持者の期待通りに不正な受給者を締め上げるべく社会保障の給付を抑制しようと努め、結果として弱者が締め出されるわけです。でも、そうなった原因をあくまで不正な受給者に求め、社会保障給付を抑え込もうとする政治家の台頭を許したのがどういう気運であったかは考えられることがありません。無責任な話です。
現実に存在する大半のことは「0」にはできません。どんなに安全対策をとっても事故は起きるものですし、どれほど治安の良い国でも凶悪犯罪に手を染める青少年や外国人が0になることはないのです。そして新聞やテレビの格好のネタとして登場する絵に描いたような生活保護の不正受給者もまた、年百万人もの受給者の中から探していけば必ず見つかります。なるべく少なくなるように努めるというのは肯定されるとしても、「0」でないことを以て問題視するのは、率直に言ってバランス感覚に欠ける、常軌を逸した考え方であり、それに行政が乗じることは社会に深刻な損害を与える結果を招くことでしょう。
0ではない以上、個別のエピソードを探すことには苦労しません。いかに減少傾向にあろうとも「探せば」青少年の凶悪犯罪は次々と出てくるもので、それを大きく取り上げていけば、あたかも青少年の凶悪犯罪が激増しているかのごとく見せかけることは簡単です。同様に外国人犯罪が多発しているかのごとく見せかけるのも容易ですし、生活保護の不正受給、それも絵に描いたような暴力団関係者なりの受給が横行しているように錯覚させるのは常套手段ですらあります(「自分はこういうケースを見た」と検証不能の個人的体験を、あたかも普遍的なものであるかのように語るのもまた頻繁に見られますね)。そして「悪い奴がいるから」と考えがちな勧善懲悪の世界の住民は、濫給こそが問題であると信じ込むわけです。
法に触れる行為を犯した外国人と、そうした(断じて多くはない)事例をことさらに誇張したり時には捏造したりして外国人の脅威を説いては排除を訴える人々、どちらが悪質なのでしょうか? それは順序を付けるようなものではないのかも知れません。ただ少なくとも、後者に問題がないとは決して言えないはずです。そして生活保護の場合を考えてください。ごく限られた例外でしかない不正受給の事例に嬉々として飛びついては針小棒大に語っては憤って見せ、あたかも生活保護受給者全体がそうであるかのごとくに語る人々もいます。確かに、不正な受給者は0ではありませんし、中には悪質なケースも見つけられることでしょう。けれど大半は単に貧しいだけではなく病人であったり高齢者であったり、断じて謂われなき中傷を受けて良い人々ではないわけです。排外主義者に対してそうであるように、生活保護受給者に対する偏見を広めようとする輩に対しても、我々は立ち向かうべきではないかと思います。
←応援よろしくお願いします