はてなキーワード: 若年性アルツハイマーとは
若年性アルツハイマーになりそう。昔あったよね? 閉鎖的なつくばの研究機関で毎日同じこと繰り返してたら、若年性アルツハイマーになった話。
一線級になりたいとかないならそれくらいでいい。
バカ「Pythonやらないと死ぬぞ!Rustやらないと死ぬぞ!Reactやらないと死ぬぞ!うわあああああああああああああああああ」
二種類のバカを信用するなという話だ。
まだマシな方。しかしあまりにもメンタルがバカすぎるので真似してはいけない。
暇な時間、仕事の合間とかプライベートで普段やってる趣味とか飽きてきたくらいに
ちょろっとやるくらいでも全然いい。
後は多分別の機会でメンタルやられて死ぬか、融通が聞かないタイプのアホが多い傾向なので仕事をうまく回せなくなって死ぬ。
お前は逆に何もしなさすぎ。
老人見てるとわかるだろ?
こいつらは若年性アルツハイマーみたいなもん。ホンマにその病気の人はまだ同情できるけど
会社の付き合いなんにもしません、それ俺の仕事じゃないんで、聞いてません。
いや、プライベートを重点的に頑張るのはアリといえばアリだろう。
社内政治も頑張らない。
いや、良いんだけど、真似したいとも、助けたいとも思わない。
このバカ共と同じ分類をしてはいけないのは社内政治を頑張る方々だ。
社内政治とは少し大げさに書いたが、しっかりとしたものからコミュニケーション、いわゆる飲みレベルまでを含んでいる。
当たり前に思うだろうが、会社の付き合いや持ち回りのあれこれをこなす方々にとって
さっきの不安バカの説明でも書いたが、あれくらいの感覚だとIT知識を身につけるお時間はないということはあり得る。
20代の頃は人がした話をかなり覚えてる方で、周りからも「よくそんな話覚えてるね」と驚かれたりしたんだけど、30半ばの最近はまあとにかく人の話が覚えられない。特に酒の席の話は壊滅的で、次の日にはほぼ全て忘れてる。そのせいで、よく飲む友人とは毎回「あれ?これこないだも話したっけ?」のオンパレードになる。
もしかして、俺って若年性アルツハイマー?と心配したりもしたけど、割と周りの人間も話を覚えてなかったりするし、他人が自分の話したことを忘れてても「あ、こいつ俺が言ったこと忘れてるな」と気付いててもスルーしちゃうから、相手も同じだったりするんだろうな。
みんな同じようなもんなんだろうか?それともこの歳にしては早過ぎる?
もしかしたら若年性アルツハイマーが始まってるかもしれない
当時は統合失調症って若い人がなる病気だと思っていて、発症時妻は36歳だったので正直ショックが大きかった。
発端は昨年7月。「フェィスブックがハッキングされてる!」と大騒ぎしていたので、ログイン履歴を確認して、誰にもハッキングされてないことを説明していたが、どうも納得してくれていなかった。
そのやりとりが週に1回あり、次第に頻度が増えていた。後半はめんどくさくなって「心配しすぎ!されてないよ!」とだけ答えていた。
その時点で統合失調症の初期症状を疑うべきだったと今でも後悔している。
ハッキングの被害妄想だけではなく、ものすごく色々なことに敏感になっていた。自分の食べるもの、着るもの何から何まで清潔じゃないと気が済まなくなったし、夜中にアパートの上の階の軽い物音がしたたけでイライラしていた。この時点ではコロナの影響によるストレスだと思っていたので、あまり心配していなかった。
10月にものすごい喧嘩をした。翌日に大事な仕事があったので、早めに就寝したかったのだが、夜中にハッキングされてるとか、隣の人がうちに入り込もうとしてくるとかよくわからないことを言っていたので、声を荒げて怒ってしまった。これが妻の症状を重くしたのではないかとすごく後悔している。
11月初め、仕事から帰ってくると、妻が靴も履かずに外に出ようとした。どうしたの?と聞いても何も言わないので、とりあえず私もついて行った。
いつもはマスクをつけるはずだが、何もつけずに外に出たので、これはおかしいと感じた。5分くらい外に出て徘徊→家に戻るが何度も続いた。認知機能障害もあるように見えた。
私がスマホでその異変を検索すると、妻が私のスマホを床に投げつけて、「これはハッキングされているものだから触るな」と怒りだし、大変な状況になってしまったと自分を責めた。
すでに病院は閉まっている時間だったので、精神科救急相談窓口に電話した。私は統合失調症か若年性アルツハイマー病を疑っていたが、窓口の方は統合失調症の可能性が高いですので、次の日に病院に行ってくださいと言われた。電話中ショックで泣いてしまい、なぜか窓口の方も泣いていて、「旦那さんが寄り添ってあげることが一番大事です。」と言われて、電話の後しばらく現実を受け止めるのに時間がかかった。
夜中もずっと徘徊をするので、自分も朝まで付き添った。朝になり、病院に行くことを伝えると妻は必死に嫌がった。精神病棟に入院するのではないかと疑い、ずっとあなたは私を騙そうとしていると言っていた。みるみる人格も変貌していて奇声を発したり、包丁を持って自殺しようとしていて、いっそのこと2人で自殺した方がよいのではないかと考えていた。
ふとした瞬間に元の妻の人格に戻ったので病院に行くか、一緒に自殺するかの選択を迫ると病院に行く方を選んだので、タクシーに乗ってすぐに精神科に行った。
病院の待合室でもアカジシア(絶えず貧乏ゆすりをしたり、身体を動かす衝動)の症状が出ていて、妻も辛そうだった。医師からは「精神病棟への入院」か「あなたが見るか」を迫られたが私が見ることを決断した。薬はジプレキサを処方いただいた。薬を飲んでも2日くらいは状態が変わらずに、だいぶ不安になったが、徐々に元の妻に戻ってきてたまらなくうれしくなった。
統合失調症って初期であればあるほど回復も早いので、7月の段階で病院に行っていればとか、自分と結婚しなければならなかったのではと今も自分を責めることがある。
母の一周忌が来た。
幼稚園頃だったと思う、自我の強い友人たちが「私」を使いこなしているのを見て、
見よう見まねで母に一人称としての「私」を使ってみた。
『私ってだあれ?』
…誰?確かに誰なんだ?
それ以降、どうしても使わなければならない時以降、
一人称としての「私」は使わなくなった。
一人称としての私を使うと、「誰?」が脳内にこだまするからだ。
ちなみに、この文章はミロを飲みながら書いている。
母にミロを飲まされていたのを思い出す。
小2ぐらいの頃、私が脚気と診断されて母は泣いた。
父と祖父に何か言われていたのであろう。(※生まれたころから母方の祖父と暮らしていた)
それを含めなくても、正直、母の飯は色々足りていないものが多く、まずかった。
母方の祖母(母の母)が早くに亡くなり、中学生くらいから家庭のことはすべて「やらされていた」のが原因だと思っている。
恐らく、誰にも教わることなく今まで来ていたんだろう。
それに関して、祖父も父も、指摘はするが学ばせようとしなかったのだろうか。
怒鳴るしかしなかったのだろうか。
母については、他人の愚痴を言っているか、怒鳴られているかの記憶しかない。
しかも母は、自分の子供の友人の親について、子供の前で陰口をたたくタイプの人であった。
こうはなりたくないな、しか思っていなかった。
そんなこんなで、本当はさっさと家を出たかったのだが、
母が笑うようになった。
話は戻るが、
私が小学生の頃から、聖書を持っている系の黒服女性2人が定期的に玄関に現れていた。
私は、月1でもらえる2種類の冊子をよく読んでいた。
ある時から、本当に来なくなった。
黒服女性が来なくなってから、母は何もない空間を見て笑うようになった。
父は「何か見えているのか?」と不安そうに私たちに聞いてきた。
そう思うんなら直接聞けよ、と思っていた。
笑うようになってから、母はだんだんうまく座ることもできなくなってきた。
座れずにそのまま転んで頭を打つこともあった。
笑う、泣く、ツイッターのbotのように出てくる支離滅裂な言葉、
だからできるだけ家にいないようにしよう
友人がアーケードゲームを教えてくれた頃だった。
陸上部は、母が学生の頃、家庭の事情で入れなかった部活だった。
運動が得意なわけではなかった私が、短距離であれば瞬発力だけでどうにかなった(と思っている)。
ゲームも凄く得意ではなかったが、音楽ゲームは難易度によっては瞬発力でできるものが多かった。
気付けば音楽ゲーム経由でいろいろな音楽を漁るようになっていた。
そして、聴く音楽で自分のメンタル状態を把握・コントロールできるようになっていた。
これは、今の自分を作ってきたモノたちだと思っている。
そうやって私が我が家からの現実逃避をしていくに従い、母の状況は悪化していった。
いつの年かの年始、家から飛び出し、踏切沿いで母が見つかったことがあった。
デイサービスを始めてから、私のことをデイサービスのお姉さんだと思って
「どうしたのお姉さん?」と娘の話を始めたこともあった。
「うちのお姉さんは陸上部が忙しくて帰りが遅いんですよ」と、大学生の私に向かって話した。
目の前にいるのに。
その時、珍しく母は笑顔だった。
その後、ケアマネージャーの方のおかげで母は若年でも入れる施設に入り、
昨年ようやく亡くなった。
死因は若年性アルツハイマー型認知症、病歴20年。
病歴を見たとき、人生の半分以上を母に持っていかれた気分だった。
母の一周忌が来た。
今までいろいろな物事を諦めたような気がする。
結婚なんてできる気がしない。
母と同じような結末を迎える気がしてならない。
この先どうやって生きていくべきか分からない。
でもまだ生きていたいから生きている。
ただそれだけ。
言い方はよくないが、母が亡くなったことで
一人称としての私は、取り戻し始めている。
いるよ!元増田に届け!
最後に生活保護があると思うこと。他の制度が優先だから全て使い切る。自治体によって違う内容があるかもしれないから細かいところは調べてみて。もう知ってることならすまない。
父親。今後毎月20万かかると書いてあるけど疑問。個室に入ってる?実は年金かなりもらってるとか他に所得がある?70歳以上で住民税非課税になってない?後期高齢者医療は?高額療養費の対象には?あと、障がい者手帳や特定疾患はない?とにかく医療費はもっと安くなりそう。
70歳以上で住民税非課税なら『限度額適用・標準負担額減額認定証』を役所で発行してもらって病院に出す。保険外を足しても月に10万程度?になるかもしれない。寝たきりで胃瘻で挿管してるなら転院して長くなりそうだけどそれなら施設より病院にいた方が安い。
もし状態が落ち着いて病院から施設にという話が出たら、年金所得が少ないなら金額的には特養一択。特養で個室ユニット型は生活保護にするときに困る(住居の金額が生活保護の基準額を超える)から、多床室で胃瘻対応してくれるところを探して待機者に入る(住民税非課税ならユニット型でも母親の施設より安くなると思う。ちな複数の施設に申込み可)。看護師が対応できるところ探すの大変だけどがんばれ。特養は待機者が多いから一度他の施設で待つという手もある。ぼったくりに注意。金をとるか介護の内容をとるか。
医療保険なら高額療養費、介護なら高額介護サービス費。さらに1年間に世帯でかかった医療と介護の自己負担を合算して少しは戻るかも。
母親。グループホームで月18万なら部屋代5万以上?これから生活保護も考えてることを(生活保護で賄える室料の部屋に移れるように)ホームに話をしておく。母親の年金が少ないなら生活保護のために父親との世帯分離も考える。両親とも本人名義の貯金は使っていく(残高多いと駄目だから)。
生活保護になるまでの間、グループホームで訪問看護とかの医療系サービス使ってると介護保険の自己負担分も医療費控除の対象になる。母親の高額介護サービス費や自治体独自の制度は申請してる?多少でも負担が減るかもしれない。若年性アルツハイマーなら発症から5年位と言われてるけど、少しずつのお金でも年で積もれば大きい。
生活保護申請するときに親族含めて扶助できるか文書でも照会がある。子供たちだけでなく両親の兄弟にも連絡があるかもしれないので今のうちから「大変で…」と話しておくこと。医療費だけ生活保護にしたり、両親のうち一人だけ生活保護とかもある。それまでは両親の貯金使う。家や土地の処分も準備しておく。残るものはなくても親の金を親が自分達のために使うと考える。できるだけ自分の財布から持ち出さない。ときどき行くのは大変だけど遠くてもどうにかなる。ハードモードすぎるけど金は割り切って。元増田もご安全に。
最近、教え子に薄っぺらい人生だなって言われて狼狽えている増田を読んだ。
僕も時々「自分の人生はなんて薄っぺらいんだ」と自己嫌悪になることがあって考えこんだ。
まず、薄っぺらい人を探そうとした。
喫茶店で新聞を読みながらモーニングを食べる冴えないオッサン? 奥さんに家を追い出されて来たのかもしれない、ひとり身なのかもしれない。それなりに修羅場を潜り抜けてきたのかもしれない。窓際かもしれない。人生の意味について悩んでいるかもしれない、いないかもしれない。
コンビニですれ違ったヤンキー? 僕の知らない苦労があるだろうし、喜びもあるだろう。クルマも服もセンスは違うけど、きっと違う世界で同じ時間を生きてるんだよ。
引きこもりの人? 実家暮らしの苦労は絶えないだろう。未来に不安も感じるだろう。時間の流れも感じるだろう。引きこもり者の配信を見たら実母とバトルが始まってみている僕の心拍数が上がった。いったいどこが薄っぺらいと言えるか。
次に、薄っぺらくない人を探そうとした。
インドに行ってバックパッカーになればいいのか、アニメを見てひとりでキャンプを始めればいいのか、脳梗塞で半身不随になればいいのか、若年性アルツハイマーの親を抱えて介護で絶望すればいいのか、沢山お金を稼いだらいいのか、ツイッターで100億円配ればいいのか、映画スターに、漫才師に、落語家に、パイロットになればいいのか。
どうやら、どれも当てはまりそうにない。
って言われた。
その言葉が出るきっかけは「最近物忘れが酷い、認知症のケがあるかも」という会話だった。
そう言い出した人はまだ30代後半の若い人だったから「若年性アルツハイマーとかではなくストレスなのでは?」と返したのだけど、「私はストレスで酷い物忘れになったことありますよ」と、その流れで過去にセクハラを受けた時のことを話した。
当時、酷い物忘れ(毎日顔を合わせて話をしてる同僚が目の前に居るのに名前が全く思い出せない、等)にとどまらず、最終的に胃潰瘍になって退職するまでに至った。
どうしてセクハラを受けた側が退職せざるを得なかったのか。所謂ブラック企業だったので、全く対処して貰えなかった。
そもそも人手が足りなさすぎたり皆が毎日のように上司の尻拭いばかりさせられたりと、業務内容的にも問題は多かったから今は辞めて良かったとは思っている。
あの時私にセクハラをした男性も、30代後半だった。早く生殖機能がなくなればいいのに。まあ、生殖機能なんかとっくの昔になくなったようなおじいちゃんも若い女が好きだったりするけど。
ひと回り以上違う男とか無理。自分の年齢考えろよって思う。18歳差とかになれば最早若めなお父さんでしかないから。本当に無理。どんなにイケメンでも無理。
35歳辺りから顕著に似た感じの症状出ている。
こないだは紹介されて、打ち合わせて一時間向かいに座っていたのに、その翌週にあったら、顔をわすれたいた。。。
若年性アルツハイマーじゃないかって、時々恐くなる。
若年性アルツハイマー病をうたがったほうがいい
だって、認知症になったたからって生物としての欲望はたぶんなくならないから、認知症になった自分も、認知症そのものが原因で「死にたい」とはならないと思うんだよね。
自分の祖母は脳血管性の認知症で、家族を認識しているのかどうかもよくわからない状態になって、意味のある言葉はほとんど話さなくなって、
でもなぜか、五十音表をみせながら「あ、い、う」とか周りが言うと、後について「あ、い、う」と続けたりして、赤ん坊みたいになってしまったのだけれど、
なぜかある日、とくに発病以前に焼き芋が好きなんて話は誰も知らなかったのに、「やきいも!」「やきいも!」と叫びだして、とりあえず焼き芋をあげたら、
なんだか、正直、見ていられないような下品な食べ方でむしゃむしゃたべて
当時の幼い自分にとっては、ばーちゃんが、あんなふうになっちまったのが、すごくつらかったんだけれど、
あれはあれで、ばーちゃんは必死に生きていたんだと思う。
認知症になってみっともない姿をさらしたくないとか、周りに迷惑かけたくないからっていう理由は、「美しい」とは思うけれど、
じゃあ、病気で周りに迷惑かけるようになった人間は死ぬべきなのかって話になると、なんか恐ろしいし。
「家族や周りに負担がかかる」というのは。直接「認知症=死にたい」ということじゃなくて、
若年性アルツハイマーの初期なんだと、だんだん自分の認知症が進んでいくことに、すごい恐怖や不安を覚えたりするっているけれど、だからってダイレクトに「死にたい」とはならない気がするしなあ。
もう自分で栄養を取る力すらなくなっているのに、胃に穴をあけて栄養を送り込んでまで寝たきりの自分を延命させてほしいとは思わないけれど、