フェアウェイ(Fairway)とは、1925年イギリス生まれ・調教の競走馬・種牡馬である。
兄を超える才能と褒めそやされ、競走馬・種牡馬としてそれを証明してみせ大帝国を築き上げた天才。
え?現代だとあまり聞かない?なんでやろなあ……
血統背景
父は17代ダービー伯が生産した大種牡馬Phalaris、母は既に結果を出していたScapa Flow、母父はやはりダービー伯の生産したスーパーな母父Chaucerという血統。全兄にPharosがいる良血である。
勘のいい人であれば枕の文の意味がわかったと思うがまあまだフェアウェイのターンなので、うん。
馬名のFairwayは母と兄同様、船の用語から取り「危険のない航路」の意味である。ゴルフのフェアウェイを思い浮かべた方もいらっしゃるかと思うが、由来は同じなので間違いではない。
雄大かつ長い馬体とそれを一杯に使った大きなストライドから17代ダービー伯には兄を超える大物とそれはそれは期待され、お抱えの調教師であるジョージ・ラムトン師に預託された。
競走馬時代
1927年、2歳5月にデビューしたが、おおらかでのんびり屋であった兄とは違い神経質でカリカリしたタイプであったが故かグダグダなレースっぷりで敗退してしまう。
しかしその後は巻き返し3連勝。最終戦となったシャンペンステークスで楽勝したことによりダービー戦線の主役と目されるようになった。2歳戦はここで引き上げ、4戦3勝としてクラシックに臨むこととなった。
3歳となった1928年、前年いっぱいで勇退しダービー卿のアドバイザーとなったラムトン師に代わり、これまた後に超名伯楽となるフランク・バターズ師が引き継ぐこととなった。
そんな3歳初戦は2000ギニーを予定していたが前日に口内炎を起こし回避を余儀なくされ、早速三冠の夢は潰えた。まあラムトン師曰く晩成傾向とのことなので出ても勝てたかは不明だが……
仕切り直した前哨戦では他馬をなんとも思わないくらいの楽勝で通過。1番人気でダービーに向かったがパドックから本馬場の間で観衆に囲まれて尻尾の毛を抜かれるなど散々な目にあってしまい、神経質なフェアウェイは落ち着きを失っていた。とどめを刺すように当時は今のスターティングゲート式ではないスタートであったためフライングが発生。完全に集中が切れた中始まったレースは出遅れた上鞍上が「半分走った時点でもう終わっていました」とこぼすような状況で完敗。春のクラシックは散々な結果となってしまった。
その後バターズ師は必要以上の気性難にさせないよう様々な工夫をし、なんとかリカバリーに成功。エクリプスステークスへ出走させた。古馬との対戦になったが8馬身差つけてコースレコードを叩き出し圧勝。ダービーの鬱憤晴らしに成功。
そして夏を越して悲願のクラシック獲得のためセントレジャーへ。兄が胴の詰まった短距離馬であったためスタミナ面を懸念されたものの1番人気に推されそれに応え悠々と抜け出すと楽勝。ついに悲願であるクラシックタイトルを手に入れたのであった。
続いて出走したのはチャンピオンステークス、再びの古馬との再戦になったがほぼ追わず馬なりで楽勝。5戦4勝とし3歳シーズンを終えた。
1929年、4歳は3連勝で勢いに乗って連覇に挑んだエクリプスステークスで前年圧倒した相手に思いっ切りやり返されて完敗するという締まらない夏までであったが、これまた連覇に挑んだチャンピオンステークスでは回避続出でマッチレースとなったレースを完勝。ジョッキークラブカップで18f戦という超長距離戦に挑んだが馬なりで大楽勝。4歳を6戦5勝として終えた。
5歳も20f戦アスコットゴールドカップなど当時の大レース制覇に挑む予定であったが、屈腱炎を起こし結局1走もできず引退。種牡馬入りとなった。通算成績は15戦12勝。
種牡馬時代
屈腱炎が癒えるのを待ち、6歳時(1931年)にダービー伯所有のウッドランドスタッドで種牡馬入りしたフェアウェイであったが、ダービー伯の期待の大きさは半端なものではなく全兄のPharosが種牡馬として成功しそうな予兆を見せていたのに血の偏りを懸念してフランスに売却したほどであった。その兄は残された産駒で英愛リーディングを獲得している。
しかしその過大すぎる期待にフェアウェイはよく応え、初年度からFair Trialらが登場。その後も戦争によるセントレジャー中止で有力視された英国三冠への挑戦権を奪われた悲運の馬・Blue Peterらを出して英愛リーディングを4回(1936・39・43・44年)獲得し、英愛リーディングブルードメアサイアーも2回(1946・47年)獲得と圧倒的実績を残し、大種牡馬として名を馳せた。
フェアウェイがすごかったのは息子たちも種牡馬として大成功したことであり、特にFair Trialは父を引き継ぐかのように英愛を中心にCourt MartialやPetitionなど多数のフェアウェイを継ぐものたちを送り出す。南米など各地域に輸出された産駒もその地域で大活躍し、フェアウェイ系を確立し繁栄を極めたのであった。
日本でも直子*ハロウェー(スターロツチ、タニノハローモアの父)や孫の*ソロナウェー(キーストンの父)、*ソルティンゴ(Petitionの孫、スズパレードの父)、*エルセンタウロ(南米に渡った子の末裔、天皇賞馬ニチドウタローの父)などが活躍。一時は結構な勢力を築いていた。
ダービー伯やラムトン師はステイヤーという見立てをしていたし、成功しそうな予兆を見せていたにも関わらずフェアウェイを残しPharosを売り払ったのは、ステイヤーと見たフェアウェイをより良い存在と見たことが一番大きな理由であったのだが、種牡馬としての産駒傾向は2000ギニーや1000ギニーに強いスピードタイプであった。ここは父に似たと思われる。
斯様に順調な種牡馬生活を送っていたが21歳の時に腰の麻痺で種付けを中止して以降は種牡馬としての活動はなく、2年後に麻痺が下半身全体に拡大し安楽死となった。享年23歳であった。
その後のフェアウェイ系
さて、フェアウェイ系は英愛を中心に大帝国を作り上げたと言っても過言ではないほどに繁栄を極めていたが今となっては稼働している種牡馬はいわゆるパート1国、競馬における列強諸国には平地種牡馬としてはおそらく存在していない。したとしても一桁種付けしていればいいほうだろう。というかその他の地域にもいないと思われる。
どうしてこうなってしまったのだろうか?それはフェアウェイにより追われた兄の子孫の逆襲を受けたのが最大の要因であった。
Pharosはフランスでも相当な活躍を見せたのだが、天才的ともいわれたイタリアの馬産家、フェデリコ・テシオ所有の牝馬Nogaraのベストパートナーと目されたことにより、世界を革命する馬の父になる事ができた。
……当初はフェアウェイこそがベストとしてなんとか種付けを模索したが、英愛で超人気だったため権利を入手できずその代用で種付け権を取りやすいフランスに居る全兄にしよう、血統は同じだ!とやや後ろ向きな理由で選定したらしいが……
そうして生まれた馬の名前はNearco。今や世界の父系のかなりを占める程に子孫が繁栄している旧世代を駆逐し尽くした種牡馬群を生み出した大種牡馬である。
とはいえ、1970年代くらいまではフェアウェイ系も*グランディやBrigadier Gerard、豪州でManikatoを出すなど頑張っており、Nearcoが生んだ大種牡馬であるRoyal ChargerやNasrullah、HyperionやBlandfordなど他系統の大種牡馬ともうまく共存してやっていた。
例えばBrigadier Gerardと1971年の三強を形成したMill Reefと*マイスワローはそれぞれNasrullahの分派Never Bend、Tourbillonを継ぐDjebelの系統とバリエーションがあり、まだ圧倒的Nearco一強というほどではなかった。
しかし、カナダで生まれた地味なNearcoの分岐であるNearcticからそんな時代を終わらせる終焉の使者が生まれてしまう。Northern Dancerである。
このNorthern Dancerが英愛どころか欧州の環境を自分一色で染め上げ始めると*グランディの種牡馬大失敗、Brigadier Gerardも想定されたより伸びずに埋もれていったことなどが重なり、フェアウェイ系の運命は決まってしまった。
ギニーなどに強かったスピードタイプの血統はNorthern Dancerの桁外れのスピードに1980年代にほぼ滅ぼされ、スタミナ面が強調されてステイヤー方面で生き残った血統もそっち方面にすら進出してこられるとスピードの違いでやはり2000年代には平地ではほぼ滅ぼされてしまった。
まだ障害方面では残ってるかもしれないが筆者はそっちまで詳しくないのでちょっとわからない。とにかくNorthern Dancerはあまりにも無慈悲にフェアウェイ系など自身よりスピードのない系統を押しつぶしていった。
フェアウェイ系にとって致命的であったのは英愛が中心過ぎて欧州大陸や北米では存在感が薄かったことであり、特に北米で発展できなかったのは痛すぎた。Nearcoも北米血統と結びついた結果とてつもない影響力を得たからである。Northern DancerもそうだしNasrullah、Royal Chargerも北米と強く結びつくことで勢いを増したのは事実としてある。
日本においては*ハロウェーや*ソロナウェーあたりの二代目が内国産種牡馬という理由で敬遠され伸びきれず、*ソルティンゴは早逝し後継のスズパレードもうまく行かず、*グランディなど80年代に欧州で見切られてやって来た連中もイマイチ、Shergar産駒唯一のGⅠ馬*アウザールも障害種牡馬ではなく平地種牡馬のチャンスもらえただけよかった、的な結果になってしまう。
1980年代時点では*ノーザンテーストや*マルゼンスキーに押されながらスズパレードやHorlicks、キョウエイタップがGⅠを勝っており、まだ希望は残していたのだが……*サンデーサイレンスの来襲でそのわずかな希望すら断ち切られてあっという間に滅び去った。この*サンデーサイレンスも北米に渡ったRoyal Charger系、即ちNearcoの末裔であった。かつて辺境と呼ばれた日本においてすら兄の逆襲からは逃れられなかった……
生産者ダービー伯の寵愛をずっと受け続けそれに応えた弟フェアウェイ、同じ血を持ちながら当時評価されない短距離馬だったがために種牡馬の才で劣らない存在であったのに早々に放出された兄Pharos。どちらも素晴らしい馬であったが、最終的に世界に残れたのは冷遇された兄Pharosの血であった……というと、貴種流離譚みがあるかもしれない。
競馬のドラマはこういうところにもあったりするのだ。
繁殖牝馬の中に残る「確かな航路」
とはいえ滅びかけなのは例によって直系種牡馬の話であり、これまた例によって繁殖牝馬の基礎を担う血としては様々な衰退した大種牡馬たち同様に優秀な存在であった。大種牡馬たるもの母父としても有能でなければならないのだ。
例えば女王陛下のHighclereとして有名なHighclereは父がBrigadier Gerardと同じでありフェアウェイ系に属するが今や世界に輝く一大牝系を構築しているし、日本国内の代表格で言えばスターロツチが一大牝系の祖としてサクラユタカオーやマチカネタンホイザ、ウイニングチケットを出すなど大活躍した。
一例に上げた牝馬の末裔以外にも5代前6代前あたりにフェアウェイの血を引く馬は結構ポピュラーである。直系種牡馬は滅んだとしても、拓いた航路は途絶えることはおそらくないだろう。
血統表
Phalaris 1913 黒鹿毛 |
Polymelus 1902 鹿毛 |
Cyllene | Bona Vista |
Arcadia | |||
Maid Marian | Hampton | ||
Quiver | |||
Bromus 1905 鹿毛 |
Sainfoin | Springfield | |
Sanda | |||
Cheery | St. Simon | ||
Sunrise | |||
Scapa Flow 1914 栗毛 FNo.13-e |
Chaucer 1900 黒鹿毛 |
St. Simon | Galopin |
St. Angela | |||
Canterbury Pilgrim | Tristan | ||
Pilgrimage | |||
Anchora 1905 栗毛 |
Love Wisely | Wisdom | |
Lovelorn | |||
Eryholme | Hazlehatch | ||
Ayrsmoss |
クロス:St. Simon 3×4(18.75%)、Springfield 4×5(9.38%)、Hermit 5×5(6.25%)
基本的にはPharosと全く同じ。なので血統解説は兄の項をどうぞ。
余談
このフェアウェイ、ガタイもデカかったがアレもデカかったらしい。Oh!Bigdick!
どのくらいデカかったかというと種付けをする際に牝馬のアレを突き破るん違うか?と思われたくらいらしい。
関連項目
- ファロス(競走馬)
- シャーガー
- ブリガディアジェラード
- タニノハローモア
- キーストン
- スターロツチ
- スズパレード
- ホーリックス
- ブラックタイド(ファロスとフェアウェイの再演をやるかもしれない兄弟の兄)
- ディープインパクト(ファロスとフェアウェイの再演をやるかもしれない兄弟の弟)
- 競走馬の一覧
- 2
- 0pt