前田大然(まえだ だいぜん、1997年10月20日 - )とは、日本のサッカー選手である。
スコットランド、スコティッシュ・プレミアシップのセルティックFC所属。サッカー日本代表。
概要
大阪府南河内郡太子町出身。50メートル6秒を切る快速が売りのアタッカー。とりわけ加速力は世界でもトップクラスだと言われ、試合中にスプリントを何度でも繰り返すことができるスタミナの豊富さも武器となっている。このスピードとスプリント力は攻撃のみならず前線からの守備でも献身的にプレスをかけるなど、チームに大きく貢献できる。
当時J2リーグだった松本山雅FCでキャリアをスタートし、横浜F・マリノス時代の2021年にはJ1リーグの得点王に輝いている。2022年1月にセルティックFCに移籍すると、ここでも自慢の快足を売りに主力に定着。セルティックのサポーターの間では、「足の速いクリリン」と呼ばれる。
サッカー日本代表には2022年2月にデビュー。2022 FIFAワールドカップ カタール大会では前線からの積極的な守備を買われてレギュラーとして起用され、ラウンド16のクロアチア戦では先制ゴールを決めるなど、存在感を見せた。
新人時代からスキンヘッドがトレードマークの強面だったが、愛娘が嫌がるようになったことから2024年あたりからイメチェン。現在は髪を伸ばし、金髪のショートヘアとなっている。
経歴
プロ入り前
獣医師の父親と父が働く動物病院を支える母親を持ち、5人兄弟の2番目として生まれ育つ。兄弟は姉が1人、弟が1人、妹が2人という構成となっている。名前と風貌から実家はお寺だと勘違いされがちだが、実家は堺市で動物病院を経営している。
両親が自由にやりたいことをやらせてもらえる方針だったこともあり、幼少の頃はオリンピックを見て憧れた器械体操をやっていた。しかし、身体が固く柔軟が全然できず挫折していた。そんな折、小学校4年生のときに友達に誘われて太子町JSCへ入団しサッカーを始める。元々好きな競技だったこともありのめり込むようになり、小学5年の頃になると持ち前の俊足が買われてトレセンにも選ばれる。
中学はより高いレベルでのプレーを求めて強豪クラブの川上FCでプレーする。やんちゃだったこともあり、悪さをして数か月サッカーから離れた時期もあったが、県大会出場などを経験。
高校は、2010年1月の全国高校選手権で優勝した山梨学院大学附属高校に憧れ、大阪を離れて越境で同校へ入学。100人を超える部員が所属する大所帯のチームで最初のうちは試合に出るか出られないかのレベルだった。それでも持ち前のスピードを武器に頭角を現すようになるが、2年生のときにまたも悪さをし、チームの約束事に違反するなど規律を乱したことで1年ほど部活動を禁止となる。その後反省期間を経て部に復帰すると、吉永一明監督から「絶対プロになれるから」と励まされたこともあって奮起し、全国大会出場は一度も叶わなかったものの3年生の頃にはプリンスリーグで12得点を挙げて得点王になる。これがきっかけでJリーグのクラブの練習に呼ばれるようになる。
松本山雅
高校卒業後は大学進学も視野に入れていたが、練習に参加したときの実力が認められ、2016年にJ2リーグの松本山雅FCへ入団。2月28日、J2開幕戦であるロアッソ熊本戦で途中出場しプロデビューを果たす。8月28日の天皇杯1回戦徳山大学戦でプロ初ゴールを記録。しかし、プロ1年目はなかなか出場機会を得られず、リーグ戦では9試合0得点という結果に終わる。
水戸ホーリーホック
2017年1月6日、出場機会を求めて同じJ2リーグの水戸ホーリーホックへ期限付き移籍する。3月14日の第2節ツエーゲン金沢戦に途中出場し、Jリーグ初ゴールを記録。その後スタメンに定着するようになると、規格外といえる50m5.8秒のスピードが話題となり「水戸の韋駄天」と呼ばれ、人気選手となる。この頃、得点能力も開花するようになり、林陵平との2トップは2人揃って二桁得点を記録。チームは最後に失速したものの一時は上位を狙える位置まで躍進し、最終的に36試合13得点という成績を残す。
松本山雅復帰
ブレイクを果たした水戸での武者修行を経て、2018年は松本山雅へ復帰。背番号は7に変更となる。開幕当初は控えという立場だったが、5月3日の第12節古巣の水戸戦でシーズン初ゴールを決める。以降は自慢の"反則的なスピード"で相手を掻き回し、反町康治監督がコンセプトとする「全員攻撃・全員守備」を体現する。この頃、東京五輪代表での活動のためにチームを離れることがあり、その五輪代表での試合での負傷もあって2か月ほどチームを離れることに。それでも復帰戦となった10月14日の第34節金沢戦で決勝ゴールを決めると、大事なシーズン終盤戦を戦い抜き、松本のJ2初優勝と4年ぶりのJ1昇格に貢献する。
2019年は初めてJ1リーグの舞台でプレーすることになる。日本屈指のスピードスターのJ1初参戦として期待される中で開幕からなかなかゴールを決められずにいたが、4月20日のJ1第12節サガン鳥栖戦でJ1での初ゴールを決める。開幕から14試合連続でスタメンに名を連ねた後、コパ・アメリカ出場のため離脱。7月に念願だった海外移籍が決まり、ラストマッチとなった7月20日のサンフレッチェ広島戦でゴールを決めている。
マルティモ
2019年7月21日、ポルトガル・プリメイラ・リーガのCSマルティモへの期限付き移籍が発表される。背番号は13。開幕戦となった8月11日のスポルディング・リスボン戦で途中出場しデビューを果たすと、第3節のトンデラ戦で移籍後初ゴールを決める。そのまま主力に定着すると、公式戦12試合で3ゴールを決めるなど順調なスタートを切っていた。11月に監督が交代しても主力としてプレーしていたが、新型コロナウィルスによる中断期間を経た6月22日のポルティモネンセ戦で突如メンバー外となる。理由は、6月30日までとなったレンタル期間の延長に前田側が消極的だったためとされ、本人はコロナ渦でのポルトガルでの生活に不安を感じたからだと語っている。6月30日付けで契約期間が満了となり、シーズン終了を待たずにマルティモを退団する。
横浜F・マリノス
2020年8月3日、J1リーグの横浜F・マリノスへの期限付き移籍が発表される。背番号は38。将来的な海外への再挑戦を見据えた国内復帰となったが、8月19日の第11節清水エスパルス戦で移籍後初ゴールを決める。主に左WGでの起用が中心となり、リーグ戦23試合で3得点を記録。シーズン終了後、松本を正式に退団し、完全移籍に移行することが発表される。
2021年シーズンは開幕から好調ぶりを見せ、3月7日のJ1第2節広島戦では2ゴールの活躍によりチームを開幕連敗の危機から救うと、ここから第5節徳島ヴォルティス戦まで4試合連続ゴールを決める。また、第8節のセレッソ大阪戦では計測開始史上最多となる62回のスプリントを記録。また、左サイドでのプレーに馴染むようになり、ゴール前に飛び出せる回数が増えたことで得点力が飛躍的に向上。7月3日の柏レイソル戦で先制ゴールを決め、J1では自身初となるシーズン二桁得点に到達。8月15日の第24節大分トリニータ戦では、自身プロになって初めてとなるハットトリックを達成。攻撃的なサッカーを掲げるチームにおいて前田のスプリントは必要不可欠なものとなり、シーズンが後半に入っても勢いは衰えず、レアンドロ・ダミアンと激しい得点王争いを繰り広げる。J1最終節の川崎フロンターレ戦は同点で得点王を争う両者の直接対決となり、レアンドロ・ダミアンが先制ゴールを決めた中、後半29分に同点ゴールを決める。結果、シーズン23ゴールで両者は並び、得点王を分け合うことになり、史上2番目の若さでJリーグ得点王を獲得する。また、この年のJリーグベストイレブンにも選出。Jリーグアウォーズには袴姿で登壇する。
セルティック
2021年12月31日、横浜FMで指導を受けたアンジェ・ポステコグルー監督の誘いもあり、スコットランド スコティッシュ・プレミアシップのセルティックFCへの期限付き移籍が発表される。背番号は38。ちなみに、旗手怜央、井手口陽介と同時加入となり、古橋亨梧と合わせて日本人4人が在籍することになる。
2022年1月19日、第21節のハイバーニアン戦でスタメンデビューを果たすと、早速開始5分で初ゴールを記録。勝手知ったるポステコグルーが監督であることも追い風となり、横浜FM時代と同じ左WGの位置でチームにフィットする。また、自慢のスピードは現地のメディアやサポーターの間でも話題となる。5月7日のミドロシアン戦では古橋との初のアベックゴールが実現。最終的には6ゴール5アシストという成績を残し、セルティックの2シーズンぶりのリーグ優勝に貢献する。シーズン終了後の5月23日に完全移籍することが発表される。
2022-23シーズンは右ウイングを主戦場に開幕4試合で3アシストを記録しており、2022年8月21日の第4節ハーツ戦では古橋のゴールをアシストしている。9月1日のレアル・マドリード戦では途中出場からUEFAチャンピオンズリーグデビューを果たす。一方でなかなかゴールが決まらず、CL早期敗退もあって批判が飛び交うようになるが、10月15日の第11節ハイバーニアン戦で待望のリーグ戦シーズン初ゴールを決める。ワールドカップ後は、2023年1月2日の宿敵レンジャーズFCとの伝統の一戦で先制ゴールを決めるなど、爆発的なスピードと献身的な動きで評価を高めるようになる。また、やたら珍ゴールを決め話題になる。3月9日のハーツ戦でゴールを決め公式戦二桁得点に到達。その後もポステゴグルー監督の信頼を得て攻守に渡ってチームに貢献。セルティックの国内三冠の立役者の一人となる。
2023-24シーズンプレシーズンの日本ツアーでは、古巣横浜F・マリノスを相手にハットトリックを記録。開幕後も左ウイングの定位置を掴み、2023年9月23日第6節リヴィングストン戦では豪快な左足でのシーズン初ゴールを記録。しかし、11月7日のCLグループステージ第4節アトレティコ・マドリード戦では危険な足裏タックルによって前半23分に一発退場となり、チームは0-6の大敗。さらにこのプレーによって膝を負傷し、6週間の離脱となる。2024年1月2日の第22節セント・ミレン戦では試合開始早々に先制ゴールを決める。セルティックでの通算100試合目の出場となった3月10日のスコティッシュ・カップ準々決勝リヴィングストン戦では移籍後初となるハットトリックの大活躍を見せ、自らのメモリアルマッチに花を添える。4月7日のリーグ第32節宿敵レンジャーズFCとのオールド・ファーム・ダービーでは開始早々にチームの先制ゴールを決める。リーグ連覇を決めた5月15日の第35節キルマーク戦では1ゴール1アシストの活躍によって勝利に貢献している。
2024-25シーズン最初の伝統のダービーとなった2024年9月1日のリーグ戦第3節レンジャーズFC戦ではシーズン初ゴールを含む1ゴール1アシストの活躍によってチームを勝利に導く。9月18日、CLリーグフェーズ第1節スロバン・ブラチスラバ戦ではCL初ゴールをマーク。11月2日、リーグカップ準決勝アバディーン戦ではハットトリックの活躍を見せ、現地メディアから10点満点の高評価が付けられる。
日本代表
2018年3月、東京オリンピックを目指すU-21日本代表のメンバーに選出される。8月にベトナムで開催された第18回アジア競技大会のメンバーにも選ばれ、パキスタン戦で初ゴールを決める。しかし、準決勝のUAE戦で右前脛腓靭帯および右前距腓靭帯損傷の怪我を負う。2019年3月にミャンマーで開催されたAFC U-23アジア選手権2020予選では、マカオ戦で2ゴール、ミャンマー戦ではハットトリックを決める。
2019年5月24日、ブラジルで開催されたコパ・アメリカ2019に出場する東京オリンピック世代を中心に構成された日本代表に選出される。6月18日のグループリーグ初戦チリ戦にスタメンで起用され、フル代表デビューを果たす。だが、南米の猛者を相手に爪痕を残すことができず、2試合0得点という結果に終わり、チームもグループリーグ敗退に終わる。
2021年7月には、東京オリンピックに出場するU-24日本代表のメンバーに選出される。グループリーグ第3戦のU-24フランス戦でゴールを決める。準決勝のU-24スペイン戦では0-0で迎えた延長戦から起用されるが不発に終わる。大会では林大地、上田綺世に次ぐFWの3番手という立ち位置で出場はいずれも途中出場からで6試合中3試合の出場となったが、FWの中では唯一ゴールを決めている。
その後、J1リーグで得点王になったこともありフル代表への待望論が大きくなるが、メンバーに選ばれても出場機会は与えられずにいた。2022年2月1日、2022 FIFAワールドカップ アジア最終予選のサウジアラビア戦で途中出場し、2年ぶりにフル代表の試合に出場する。6月10日のガーナ戦で代表初ゴールを記録。9月23日のアメリカ戦では1トップでスタメンに抜擢されると、スピードを活かした猛烈なプレッシングで貢献し、評価を高める。
2022年11月にカタールで開催された2022 FIFAワールドカップに出場。1トップのスタメンとして3試合に出場し、自慢のスピードを生かした前線からの積極的な守備でドイツ戦とスペイン戦の歴史的な白星に貢献。特に、スペイン戦では後半17分に交代するまで両チームで最多の62回のスプリントを記録している。またラウンド16のクロアチア戦では、スペイン戦を上回るスプリント回数を記録しつつ、前半43分にはCKの流れから吉田麻也の折り返しに反応し、先制ゴールを決めている。チームはPK戦の末に敗れたが、スプリントを生かした前線の守備が海外メディアから高く評価された。
2024年1月にカタールで開催されたAFCアジアカップ2023では、グループリーグ第2戦と第3戦に途中出場。準々決勝のイラク戦では周囲の予想に反して左ウイングとしてスタメンに抜擢。持ち前のスプリントで前線の守備で貢献するなどあらためて評価されるが、自身が交代した後にチームは逆転ゴールを許してしまい、ベスト8で敗退となる。
2024年9月5日、2026 FIFAワールドカップ アジア最終予選初戦の中国戦では途中出場から代表では1年3か月ぶりとなるゴールを決めている。
個人成績
シーズン | 国 | クラブ | リーグ | 試合 | 得点 |
---|---|---|---|---|---|
2016 | 松本山雅 | J2リーグ | 9 | 0 | |
2017 | 水戸ホーリーホック(loan) | J2リーグ | 36 | 13 | |
2018 | 松本山雅 | J2リーグ | 29 | 7 | |
2019 | 松本山雅 | J1リーグ | 18 | 2 | |
2019-20 | マルティモ(loan) | プリメイラ・リーガ | 18 | 2 | |
2020 | 横浜F・マリノス(loan) | J1リーグ | 23 | 3 | |
2021 | 横浜F・マリノス | J1リーグ | 36 | 23 | |
2021-22 | セルティック(loan) | スコティッシュ・プレミアシップ | 16 | 6 | |
2022-23 | セルティック | スコティッシュ・プレミアシップ | 35 | 8 | |
2023-24 | セルティック | スコティッシュ・プレミアシップ | 28 | 6 | |
2024-25 | セルティック | スコティッシュ・プレミアシップ |
個人タイトル
プレースタイル
最大の武器であり、特徴は何と言っても手動計測ながら50mを5.8秒を記録したこともある規格外のスピード。スピードだけならキリアン・エムバペやガレス・ベイルに匹敵する世界レベルの持ち主と言われている。これらのデータが示す通り、ストロングポイントであるスピードで勝負するタイプであり、スペースへトップスピードで飛び込んでいく。前線であればどこでもこなせるが、得点王を獲得した2021年の横浜FMでは左WGが主戦場となり、チャンスとなるとPA内に入り込んでゴールの近い位置でストライカーの役割を果たす形がベストポジションとなりつつある。フィジカルも強く、相手に引っ張られてもスプリントでそのまま振り切ることができる。
運動量も豊富であり、スプリント能力も規格外である。J1リーグの選手試合別スプリント回数ランキングでは上位20名のうち、のべ16回ランクインし、2021年8月15日のJ1第24節大分トリニータ戦では計測開始史上最多である64回のスプリントを記録。また彼のスピードは前線の守備でも生かされており、あのスピードで献身的に迫ってくるのだからDFとしては脅威でしかない。本人も「守備から自分のペースを作るタイプ」と語っており、守備ができなくなったら自分は引退するしかないと述べている。
かつては自分のスプリント能力に頼り切った部分があり、オフ・ザ・ボールの際の質が低かった。だが、ポルトガルに移籍して以降はDFの死角から走る動きを覚えるようになり、課題だった得点力の向上にも繋がった。一方で足元のレベルは高いと言えず、スペースの無い状態でボールを貰っても何もできずにあっさりボールを失うことがある。
エピソード・人物
5人兄弟全員が自然にちなんだ名前となっており、大然という名前は「大自然」からきている。
2018年7月10日に20歳の若さで結婚。翌年夏に長女が誕生。2021年9月には第二子となる長男が生まれている。長男誕生の直前に開催された東京オリンピックでゴールを決めた際には生まれてくる子供のためにボールをユニフォームのお腹に入れるパフォーマンスを披露している。
スキンヘッドがトレードマークという強面の風貌だが、子煩悩であり、横浜FM時代からは娘がアンパンマンが大好きという理由でアンパンマンのキャラクターを模したゴールパフォーマンスを披露している。
高校2年生のときに規律違反で1年間部活動禁止処分となるなど、吉永一明監督が大阪の実家に出向いて「このままでは置いておけません。転校も含めて考えていただきたい」と両親に告げるほどの不良だった。だが、謹慎期間中にサッカーから離れて「もっと周りのことを考えるようになり、みんながいるから自分がいる」ことを学び、人間として成長。後にアルビレックス新潟の監督に就任した吉永監督は「規律違反は美談にならないが、あの時間があったから日の丸を背負う選手になれたと思う」と当時を振り返っている。
横浜FMに移籍したばかりの2020年に投稿された公式YouTubeでチームメイトのチアゴ・マルチンスに年齢を聞かれ「22歳」と答えると、貫禄のある雰囲気に違和感を覚えたのか、チアゴ・マルチンスに「ウソをつくな!」、エリキに「ブラジル人をだますな!」と言われてしまう。
2024年に入ってから髪が伸び始め、その後、金髪にイメチェン。それまでトレードマークだったスキンヘッドを辞めた理由について愛娘に「坊主が嫌」と言われたことだった。ちなみに娘さんがリクエストしたヘアスタイルは南野拓実だった。
関連動画
関連項目
外部リンク
親記事
子記事
- なし
兄弟記事
- 1
- 0pt