マイク・タイソンとは、実在するアメリカの元黒人プロボクサーである。ニューヨーク出身。
概要
ヘビー級としては小柄な180cmの身長と平均200cmはあるはずのリーチ(攻撃範囲)が短い180cmながら、異常なまでのスピードで接近・適所に打ち込まれる強力なパンチ、防御と回避を使い分ける丁寧なディフェンスを兼ね備えた「史上最強のボクサー」の1人。
1966年、ニューヨークでも特に治安の悪かったブルックリン地区で生まれる。
両親と勉強の出来る兄(現在は医師)、病弱な姉の5人暮らしだったがタイソンが2歳の頃に父が蒸発。母は新しい交際相手の男性に暴力を振るわれており、憎しみしか育まれなかったとタイソン本人はインタビューで告白している。母はタイソンが16歳の頃、姉はタイソンが23歳の頃に病気で亡くなっている。
幼少期のタイソンは大きな眼鏡をかけた内向的ないじめられっ子の少年であり、やや躁鬱の気があった。唯一の友達であったペットの鳩をいじめっ子グループに殺され、激昂していじめっ子達を半殺しにするまで殴り倒した事で自分の持つ異常なまでの強さに気付き、非行の道へと走る事になる。
転機は13歳。服を盗難するなど51回目の逮捕で少年院に送られたタイソンはそこで更生プログラムの1つであったボクシングに出会い、ボクシングトレーナーのイタリア系アメリカ人のカス・ダマトを紹介される。
映画『傷だらけの栄光』のモデルになったロッキー・グラジアノ、『はじめの一歩』でお馴染みのガゼルパンチの考案者フロイド・パターソンといった名選手を育て、余生を送っていたダマト老人は170cm、85kgを超える肉体を持ち、大人を仰け反らせる程の勢いのパンチを放っていた13歳のタイソン少年を見るなり、彼が後の世界チャンピオンになることを確信。自身が身元引受人となり、タイソンを出所させた。
タイソンがダマトの心にもう一度火を点けたように、タイソンもまた自身と非常に似た境遇のダマト(同じニューヨークで生まれ育ち、幼少期から喧嘩に明け暮れた結果12歳の時に喧嘩で片目を失明、22歳で総白髪、色盲になってしまった)に心を許し二人三脚のトレーニングが始まる。25kgの錘を抱えたランニングや2時間ぶっ通しの腹筋・腕立てといった過酷なトレーニングを続けた結果、たった2年で当時の世界チャンピオンのスパーリングパートナーを雇わなければ練習にならないほどの強さに成長していた。
1985年、18歳の時に相手を1RでTKOしてしまう衝撃的なデビューを飾るとそのまま29連勝でWBC世界ヘビー級王座を獲得。立て続けにWBA、IBFのタイトルも獲得してしまい、たった2年で世界の主要3団体全てのタイトルを持つ統一王者となり、モハメド・アリ以来の大スター、アメリカン・ドリームの象徴と称されるまでになった。
が、85年に恩師ダマトが、88年にはお目付け役のマネージャー・ビルが死去。一目惚れで結婚した妻との家庭不和もありタイソンの精神は不安定になっていく。
88年、ダマトの後継者であるトレーナーのルーニーやマネージャーなど周囲のスタッフを立て続けに解雇、新たなプロモーターにドン・キングを指名する(ドンがタイソンの妻に取り入ったと言われている)。生前のダマトから絶対に近付くな、と念を押されていた悪徳プロモーターのドンと手を組んだ事や、露払い役でもあったルーニー氏を解雇した事で金目当てのイエスマンがタイソンを囲むようになり、訴訟沙汰や練習不足、度重なる試合の延期や離婚騒動などのトラブルやゴシップが一気に増加した。
89年、タイソンのピークは終わっていた。キレの無い動き、タイミングの合わないパンチ、粘りの無い防御、エンスウェル(顔の腫れを防ぐ冷やした金属)の使い方も知らず、氷で顔を押さえるセコンド。90年にはジェームス・ダグラス相手にプロ初のKO負け。91年には元交際相手の女性からレイプ訴訟で6年の懲役刑(女側の狂言説もあるがドン・キングが弁護士費用をケチった為に判決を覆せなかった)、収監されてしまう。
96年に仮釈放され、2つの世界王座を取り戻すが2ヶ月で防衛失敗。翌年には対戦相手のイベンダー・ホリフィールドの耳を噛み千切る前代未聞の事件を起こし、ライセンス停止処分に追い込まれてしまう(ホリフィールドの反則スレスレの行為とそれを咎めないレフェリーに対する抗議、という説が濃厚。現在は和解済)。
停止解除後も年に1回試合を行うのがやっと、という状態のまま2003年に暴行で二度目の逮捕、04年に靭帯断裂、器物破損で三度目の逮捕。2005年に無名のボクサーと戦い、6R棄権。「もうこれ以上、ボクシングを侮辱したくない」と語り、現役引退。引退後は顔面にトライバルパターンのタトゥーを施している。
06年、コカイン所持で四度目の逮捕。現役時代からコカインの常用者であった事を告白。
09年、パパラッチへの暴行容疑で五度目の逮捕。
同年、愛娘を不慮の事故で亡くした事をきっかけに菜食主義へと転向する。
現在は自叙伝の執筆や趣味の鳩の飼育、アニメの声優や映画俳優にもチャレンジ。2013年に放送されたドキュメンタリー「BEING MIKE TYSON」では3人目の妻や幼い2人の子供を溺愛する様子やホリフィールド、モハメド・アリとの対談、若手格闘家への公演や演技のトレーニングに悪戦苦闘する姿が映されている。かつての豪邸は売却され、とうの昔に廃墟となってしまったがピアノ教室に通う娘を見守るタイソンの顔はとても穏やかであった。
ゲーム
任天堂のファミコンソフト「マイク・タイソンパンチアウト!!」のラスボスとして登場。こちらは数々の不祥事と肖像権を考慮してMr.ドリームなる架空のキャラに差し替えれた。2013年に本人にプレイさせた動画をFox sportがYoutubeに動画投稿した。強面の好戦的な性格の彼だが、子供がゲームを楽しんでいるような意外な素顔を覗かせた。
カプコンの「ストリートファイター」シリーズの「マイク・バイソン」は彼が元ネタ。好戦的な性格も反映されてる。海外では肖像権の問題で「バルログ」の名前になっている。
関連動画
関連項目
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