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明朝体を中心とした考現学的な話題や問題提起をテーマとして,とりあえず100回ぐらいまでは続けようという「適当な」目標を立ててスタートしたこのブログも,ついに(!)100回を迎えた。当初の予定にしたがって,今回を以って一応の幕を閉じることにしたい。 もとより内容や構成に関してしっかりした計画を立てて臨んだわけではなく,常々疑問に思っていること,その時々に感じたこと,または時事的な話題を書いてきただけである。したがって全体を読み直してみても,何の統一も脈絡もなく,通して読んでいただくと,たぶん,かなり支離滅裂な感じを受けられるかもしれないし,かならずしも重要なことを優先的に記してきたとも言えない。 そういう意味では,まだまだ書きたいこともあるので,また別のブログを立ち上げて論じていきたい。とくに,「これだけは主張しておきたい」と思っていることが十分に論じ切れなかったという思いを強く持ってい
「常用漢字表」の改定作業が進んでいる。文化審議会の漢字小委員会において,今月15日に188字の追加漢字と現行の5字を外す暫定案が了承されたことがニュースで伝えられている。 明朝体考現学(?)を標榜するこのブログとしては,若干でも触れないわけにいかないであろう。 追加案の188字は以下の文字である(配列等を含めてasahi.comから引用)。 藤誰俺岡頃奈阪韓弥那鹿斬虎狙脇熊尻旦闇籠呂亀頬膝鶴匂沙須椅股眉挨拶鎌凄謎稽曾喉拭貌塞蹴鍵膳袖潰駒剥鍋湧葛梨貼拉枕顎苛蓋裾腫爪嵐鬱妖藍捉宛崖叱瓦拳乞呪汰勃昧唾艶痕諦餅瞳唄隙淫錦箸戚蒙妬蔑嗅蜜戴痩怨醒詣窟巾蜂骸弄嫉罵璧阜埼伎曖餌爽詮芯綻肘麓憧頓牙咽嘲臆挫溺侶丼瘍僅諜柵腎梗瑠羨酎畿畏瞭踪栃蔽茨慄傲虹捻臼喩萎腺桁玩冶羞惧舷貪采堆煎斑冥遜旺麺璃串填箋脊緻辣摯汎憚哨氾諧媛彙恣聘沃憬捗訃 一方,削除の対象文字は, 銑錘勺匁脹の5字である。 これが今月31
シカバネの形について,篆書→隷書→楷書→明朝体という変遷の中で,おのずから字形も変わっていくのに,たとえば隷書の筆法をそのまま明朝体に再現するような選択をしてはならないことを述べた。これに対して,々々さんからコメントをいただいたこともあり,少し補足しておきたい。 この種の明朝体字形は,実際にもかなり存在する。文字鏡フォントの「尸」を見ても,かなりの数が確認できる。第1図はその中のほんの一部の,「居」とこれを部分字形に持つ文字の例である。 これらは,ほとんど隷書や古い時代の楷書に引きずられた結果の字形であろうと考えたいところであるが,結論を出す前に諸橋『大漢和辞典』を見ておくことにする。ここでは「尸」が左上が開いている字形の俗字とされており,その根拠を『正字通』に求めている(第2図)。 このあたりに篆書字形を正字とする思想が垣間見られるように思われる。 篆書→隷書→楷書という変遷の過程で
前回は明朝体と楷書の構造差を意識することさえ難しいことを述べた。したがって他の書体になるとさらに混乱が助長される。 上図は,そこに示された隷書の「居」が明朝体としてどの字形に該当するかという問題であるが,正解は上の「居」,すなわち常用字体でよいのである。そもそも隷書は小篆から派生した書体であり,小篆は下図のような形であった。 前図の隷書の「居」は魏の王基残碑(二玄社『大書源』より引用)であるから当時の書風であり,そのころにはいまのシカバネの形は存在していなかったはずである(もちろん,構造がある時期を以って一気に変わるなどということはあり得ず,「いつのまにか」主流の字形が変化していくのであるから,まったくなかったとは断定できないのはもちろんである)。 したがって前図の隷書の「居」を明朝体で表現すれば常用漢字字形の「居」の形でよい。こういう判断をせずにバカ正直に同一字形にしようとするから「
明朝体の様式踏襲と字形構造の正確な表現は両立するのであろうか。 それを考えるために,若干アンチテーゼのようであるが,まずGT明朝の字形を検証する。この書体の開発経緯と位置づけについては,とくに説明を要しないであろう。10年ほど前に,この書体開発にほんのわずかだが(間接的に)関わったので,個人的には思い出深いものがある。ただフォント・組版関係者からは不評だった。字形デザインに対する評価が主たるものであったが,結論的に言えば「明朝」という名称を用いたのは,よい選択ではなかったかもしれない。この書体のデザインは,重心が一定しなかったり,線質に未完成な部分が多いといった欠点もあるが,「明朝」という呼称を使わなければマイナス評価の声はもっと少なかったであろう。 この書体の文字の一部を右に掲げる。一般の明朝体と違うのは,「見掛け画数表現」を排除したことである。漢字字形を,その漢字が持つ属性を踏まえ
書体にはそれぞれの様式がある。それによって書体としての特徴が浮き彫りにされる。様式から逸脱したデザインは,アイキャッチャーとしては存在し得ても,正統的書体としては落第と言われかねない。 しかし,それにもかかわらず書体の分類は一意には定まらないことが多い。それだけ末広がりになっているとも言える。ただ,そうした中でも明朝体だけは別格だ。なぜなら明朝体は日本における規範書体だからである。ここで言う規範,すなわち則るべき規則とは,この文字はこの字形を正しいこととする,という宣言でもある。したがってあまりに自由闊達な表現がなされると規範書体とは言えなくなるのである。 明朝体のよいところは可読性に優れているということだが,しかしこれも絶対とは言えなくなった。紙に印刷する以外の用い方が多くなったからである。現今ディスプレイの表示用としては明朝体はかならずしも適していない。また,横組適正も優れていると
最小線幅と最小線間の管理について考える。 壁に貼られたランドル氏環を見て行う視力検査は誰もが経験している。これは,5メートル離れたところから7.5ミリの環における1.5ミリの切り欠きを認識できれば視力1.0と定義される。 これをそのまま25センチ視力に変換すると,切り欠きの幅は簡単な計算で約0.07ミリになる。この数値は「視力1.0の人が二つのものを二つに分離して見える閾値」である。これは10ポイントサイズの明朝体の横線幅に近い。 文庫の本文は8ポイント,新書は9ポ,そしてワープロのデフォルトサイズは10.5ポ,10.5ポというのは五号に相当し,伝統的に行政文書の文字サイズに採用されていた。 このような実態からみれば,明朝体の横線幅という数値は重要な意味を持つ。この数値以下では見えない(線がトンデしまう)し,二つの線の間隔がこの数値より狭いと分離して見えないということである(これは
さいきん,井上雅靖著『牙青聯話』(書籍工房早山刊)を読んだ。この中に「沛 水部四画」という章があるのだが,漢字字形を生業とする身には気になるところである。 「沛」はサンズイに市(一+巾の4画)だが,この旁は市場の「市」(シ)とは義も違う。しかしいかにも紛らわしい。私も2月の講演で,たまたまこの文字を取り上げたばかりである。 井上氏は「沛」の意味からはじめて,この「紛らわしい」問題に入っていく。氏は4画の市(ハイ)と5画の市(シ)について,この《市》の字と前述の「市」の字は、その成り立ち、意味もまったく異なる別の字である。しかし、現在手にすることのできる一般的な辞書では、この二字は区別されていない。実に不思議なことと言わざるをえない。 と書いている。一般的な辞書が国語辞典なのか漢和辞典なのかはわからないが,漢和辞典であれば,義も画数も違うのであるから同一視するということはありえない。あ
前回,明朝体デザインの構造を概観する図を示した。そこでまず重要な要件が「正確な構造表現」であることを述べたが,これらについて,もう少し掘り下げて考えていきたい。 図の右側に「環境条件」という機能項目を記した。今回は正確な構造表現とは何かを環境条件からみていくことにする。 環境条件とは何か。たくさんあるのだが,今回はフォントデザインと使用文字サイズについて検討する。現在のフォント環境は,理論的にはどんな文字サイズでも実現できる。しかし極小から極大まで利用可能な文字のデザインなど存在しない。かならず最適範囲というものがあるはずである。それにも関わらず,不思議なことに使用推奨サイズを明記したフォントは,ほとんどないのである。使用者の責任で判断せよ,と言いたいのかもしれないが,「こういうコンセプトでデザインし,どのぐらいの文字サイズに適している」といった程度のことはデザイナとしての最低限の開示
« その8:まとめ | Main | 正しい漢字の表現(2) » 2008年03月18日 …【明朝体デザインの「キモ」とは】 正しい漢字の表現(1) 「表外漢字字体表」の解析から,漢字のデザイン差とは何か,というレベルのことでさえ大きな誤解が巷に横行していることがはっきりした。字形の面から漢字の「あるべき姿」を追求する姿勢は意外に疎かにされており,その結果,無駄な漢字が「創造」される一方で,漢字本来の字形構造をまともに表現できていない文字もまた多いのが現実だ。 文字のキレイさだけを追求する風潮が,真に必要な漢字デザイン問題を曖昧なものにしている実態も無視できない。そういう意味で,文字における真のユニバーサルデザインとは何かを問うてみることは無駄ではない。 今月2日の朝日新聞日曜版“be on Sunday”の『日曜ナント カ学』はユニバーサルデザインフォントの開発状況を中心としたフォン
以上,『表外漢字字体表』例字字形に関して考察した。これをまとめれば,例字文字は平成明朝体を採用した。『表外漢字字体表』建前としては,『常用漢字表』を引き継ぎ,デザイン差について,きわめて広範囲に定義しているように見える。しかしその一方,デザインレベルで標準の平成明朝体の字形を変更した。この字体表は「印刷標準字体」としての性格を持ち,したがって字形の細部まで関心が集まるにも関わらず,その理由については,同字体表上でまったく触れられていない。さらに,この変更された差異が「印刷標準字体」としての拘束条件になるかのような誤解を助長する可能性がある。すでに,この字形に引きずられた字形デザインを行った漢和辞典が出現している。といったところであろう。しかし,この変更によってデザイン統一がなされ,模範的な例字字形を提供したのであれば納得もできる。だが実態はそうでもないのである。 『表外漢字字体表』には「
« その1:筆押さえの有無について | Main | その3:部分字形「盾」について » 2008年01月17日 …【表外漢字字体表の「字形問題」】 その2:「久」の字形 次は部分字形「久」である。 表外漢字字体表では,平成明朝体本来の字形をいくつか変えているが,部分字形「久」もその一つである。次図は,上が本来の平成明朝,下が修正の上で表外漢字表例字字形として採用された文字字形である。部分字形「久」の3画目起筆位置が下がっていることがわかる。 この差は字体差ではなく,単なるデザイン差である。それにも関わらず「あえて」手を入れて変更したわけだが,その理由は何であろうか。常用漢字表の「久」は3画目起筆位置が下がっているが,これが理由とは考えにくい。 実は表外漢字には「久」を部分字形に持つ文字にはもう一字あるのだが,これは本来の平成明朝も3画目起筆位置が下がっているので変更していない。このこ
まず最初に「筆押さえ」を取り上げる。 表外漢字字体表の例字字形では,平成明朝体にあった筆押さえがすべて取り去られた。表外漢字1,022字の中から,オリジナルの平成明朝に筆押さえがある文字と表外漢字字体表の文字を並べて比較してみよう(下図)。 筆押さえの有無については常用漢字表でデザイン差と明記しており,表外漢字表においても常用漢字表の考え方を基本的に踏襲して同様の解釈をしている。表外漢字字体表(印刷標準字体)は字体を規定したものであるから,デザイン差レベルの字形変更の意味があるとは思えない。 とくに表外漢字字体表制定にあたっては文化庁の『明朝体活字一覧』を参照しているのであるが,ここに収載された活字でしかるべき箇所に筆押さえがない文字はほとんどないはずだ。それにも関わらず恣意的に筆押さえを排除した。なぜであろうか。かなり想像を逞しくしてみたものの真意は謎である。むしろ他の方針との矛盾
新年明けましておめでとうございます。 今回で78回目を数えます,いよいよ明朝体考現学の話題も佳境に入っていきますので,本年もよろしくお付き合いください。 さて, すでに「非」の字形について二回ほど取り上げた。いわゆる4画目の「出る・出ない」問題である。この差がデザイン差であることは常用漢字表の解説にも明記されている。 そして,表外漢字字体表の「参考」の中の「表外漢字における字体の違いとデザインの違い」で,常用漢字表のこの箇所を再掲した上で「表外漢字における該当例」で,“誹”を例に挙げ,4画目の「出る・出ない」はデザイン差であるとしている。 つまり常用漢字であろうと表外字であろうと,この差はデザイン差だと明確に規定しているのである。 デザイン差というのは,たとえば書体が変われば揺れるものだということである。同じ明朝体であってもA明朝体は「出している」が,B明朝体が「出さない」とい
« まとめ | Main | ふたたび「非」の字形問題 » 2007年12月29日 …【表外漢字字体表の「字形問題」】 まず「常用漢字表」の解説を検証する これから何回かにわたって『表記外漢字字体表』における字体差/デザイン差を論じようと思う。もちろん,もとよりこの字体表の存在意義自体を批判したり否定するつもりはまったくないが,この字体表の例字字形と,この字体表の解説については大きな問題を感じざるを得ない。そして,この問題が日本の漢字行政にも少なからぬ影を落としていると考えるのである。 この「問題」を論ずる前に『常用漢字表』について指摘しておかなければならないことがある。常用漢字表には「(付)字体についての解説」という項があるが,この中の「第一 明朝体デザインについて」では,常用漢字表では,個々の漢字の字体(文字の骨組み)を,明朝体活字の一種を例に用いて示した。現在,一般に使用されている
白川静先生は,「字統」,「字訓」,「字通」の辞書3部作を世に問うた後,『字書を作る』(平凡社刊)を上梓した。この中からいくつかの箇所を引用して,このシリーズのまとめとしたい。いまの漢和辞典の問題点や字典のあり方について示唆に富むと考えるからである。文字を古代学的な立場から理解しようとする試みは,かつてなされたことがなかった。それは[説文]の字形学の権威があまりにも強く,新しい文字学の方法の導入を,容易に許さない状況にあったことも,その一因であろう。たとえば[段注]では[説文]を殆ど経典として扱っており,また章炳麟のように,音韻学に新しい発想をした人でも,甲骨文・金文はみな偽作,信ずべからずとするなど,新しい資料に拒絶反応を示している。しかし資料的には,甲骨文・金文をこそ信ずべきであり,[説文]の依拠した篆文は,古代文字が字形的に整理された最終の段階のもので,すでにその初形を失っているところ
9月末に新潮社から『新潮日本語漢字辞典』が発売された。同社の創立110周年記念出版ということで,かなり力が入っている。 従来の漢和辞典とは意識的に趣を異にした編集方針を採っており,その挑戦的スタンスには敬服する。 その特徴には多くの同意できる点があるものの,やや問題を感じないわけにはいかないものもある。それらの「特徴」を簡単にレビューしておきたい。 巻頭の「刊行にあたって」には,これまで日本で刊行された漢和辞典は、一般の日本人とは縁遠いものでした。漢和辞典のほとんどは、中国の言葉を、それも古代の中国語を日本で学ぶための辞書だったからです。したがって、日本で育った漢字の字形、意味、熟語などを引こうとしても、載っていないということがしばしばあったのです。 そもそも、中国語は外国語の一つです。私たちは『新潮日本語漢字辞典』を、その中国語としての漢字ではなく、「日本語としての漢字」を知るた
漢字の部分字形としての「人」と「入」は,よく置換対象になる。「内」もいろいろに解釈されるが,旧字体では「入」につくる。啓成社版の大字典では,わざわざ【注意】として「俗に冂と人の合字とす。されど本字は入に従うべし」と記している。部首も「入」である。康煕字典においても部首「入」,実際の字形も冂+入となっている。しかし,これを「人」につくる辞典もある。 さて,全字形の「内」はまだよいとして,部分字形となった場合に中が「人」なのか「入」なのかがわかりにくいデザインを見かける。それは漢和辞典の中にも散見される現象である(屋根付きだからと言って「入」と断定することは間違いである)。 とくに「兩」や「齒」が部分字形になった文字などは,もともとデザイン領域が狭いために,よほど意識してデザインしないとどちらなのかがわからない文字になってしまう。 漢和辞典の親字デザインは辞書編纂者とフォントデザイナーの
左図に示すのは角川書店発行の雑誌『俳句』と富士見書房発行の雑誌『俳句研究』の背表紙(部分)であるが,両者の「俳」字の字形が若干違っていることがわかる。旁「非」の4画目、すなわち左下の右ハネアゲ収筆部が3画目を貫いているかどうかという瑣末な差だが,ほんらいはどれが正しいのだろうという疑問を持つ人もいるに違いない。 「どちらでも良い」というのが正解だが,そうは思わないという人がいたとしても不思議ではないのである。この文字は常用漢字であり,『常用漢字表』の例示字体では「出ていない」ので、多くの書体設計においては,この例字字形を踏襲して「出さない」デザインにしているのである。JIS例字字形においても例外ではない。 ところで常用漢字表の「(付)字体についての解説」の中で,常用漢字表では,個々の漢字の字体(文字の骨格)を,明朝体活字のうちの一種を例に用いて示した。現在,一般に使用されている各種の明
上下が逆さになった字形を持つ文字について述べた。明朝体にしてしまうと,どういう筆法かが読み取れない。いままで何回も述べてきたように,現在の日本における規範書体が明朝体である以上,漢和辞典は明朝体で親字を表記せざるを得ず,したがって特段の説明がないかぎり辞典から筆法を知ることはできない。このことについても前回記したとおりである。 漢字を知るための辞典として漢和辞典があるのだとしたら,こうしたことも問題視しなければならない。どうも現今の漢和辞典でさえ,明治期の目的をそのまま無批判に踏襲しているように思われてならないのであるが,これは要するに出版社の努力不足なのではないか,という問題提起でもある。 さて,それはさておき(この問題は,別途詳細に論ずる予定なので)上下が逆さになった字形は,いったいどのように書くのだろうという疑問に関する補足をしておきたい。「苦しいときの『大書源』頼み」というわけ
前回,大漢和辞典の文字番号16274を例に挙げて画数問題を論じた。この文字の冠部は「止」を上下逆さにした字形であったが,この冠部の中央縦画起筆部には墨溜りを持たないし,二番目の横画収筆部にはウロコはない。しかし明朝体様式では,こうした表現はよくある。字形的にとくにおかしいところはない。唯一,右上の転折部を示す形状が角ウロコであるから,その形状を是とするのであれば画数が違うということを指摘したのであった。 数ある漢字の中には,ある漢字またはその部分字形の上下が逆になった字形を持つものがある。大漢和辞典の文字番号16274もそのうちのひとつと言える。「上」と「下」も,そういう関係にある文字と解釈したとしてもあながち間違いとは言えない。 しかしもっと顕著な例がある。たとえば「或」を上下逆にした文字がかなりあるのである。少し例示してみよう(画像をクリックすると拡大表示されます)。 ところで,
« 不思議なカクシガマエ(補足その2) | Main | 漢和辞典における漢字の画数属性 » 2007年09月25日 …【漢和辞典の字形を「斬る」】 見掛け2画表現について さらに重箱の隅をつつくようだが,明朝体様式のひとつである「見掛け2画」に関してみてみたい。 見掛け2画でよく例に出されるのが「衣」である。この4画目が2ストロークに見える。これが見掛け2画と呼ばれているものである。 漢字には「形・音・義」の3要素を持ち,さらに形(すなわち字形)には部首とともに画数という属性がある。字形がきわめて似ていても画数が違う文字はたくさんあり,また,漢和辞典を引く際にも画数を拠りどころとすることが多いので,漢字の画数というのは日常生活の場でも非常に重要な属性情報である。 この観点からは,上述の「見掛け2画」はややこしい問題を引き起こす。これと同じ問題が,いわゆる「ゲタ」の存在にもみられるこ
9月10日の「不思議なカクシガマエ(補足)」で通常のクニハコガマエ,カクシガマエと「ウロコ付きカクシガマエ」(これが不思議なカクシガマエなのだが)の違いを図示して説明した(右図に再掲)。しかし日本の近代漢和辞典の字形が『康煕字典』からはじまった以上,この字形に触れないわけにはいかない。それと『大字典』の両カマエについても見ておきたい。それらを並べて見ると,なぜ「不思議なカクシガマエ」なのか,という実態に迫れそうな気がする。 まず上図に『康煕字典』のクニハコガマエとカクシガマエを示す。両者ともエレメントはよく似ており,違いは左上の1画目と2画目の接し方のみである。 つぎに『大字典』のクニハコガマエとカクシガマエを下図に示す。『康煕字典』の字形とはかなりイメージが違うが,これもまた左上の1画目と2画目の接し方を除き,両者のエレメントは非常によく似ている。 つまり,『康煕字典』,『大字典』
9月6日付の「不思議なカクシガマエ」で『大字源』のウロコ付きカクシガマエを取り上げ,この字形が異質であることを指摘した。さらにそこでは「他の辞典にはほとんど現れない形」と書いた。しかしこの説明だけでは誤解を与える。この形のカクシガマエは『大字源』の専売特許ではないのである。 さらに『大字源』においても,カクシガマエのすべてがウロコ付きというわけでもない。 そこでまず「區」という文字を例に,辞典によるカマエの形状の違いと「ウロコ付きカクシガマエ」の存在を確認しておきたい。 この問題については,このBLOG開設のきっかけになった国際大学GLOCOMでの講演で取り上げたので,ここではあえて触れなかったのだが,正しい理解を得るためにも,もう一度ここで論じておくことにしたものである。 漢和辞典で「區」という漢字を引くとする。辞典によって,その字形はまさに区々である。少し例示してみる(下図をクリ
少し日にちがたってしまったが,今月8日の日本経済新聞朝刊に「漢字調べ、若者は携帯で」という記事が載った。 漢字の書き方がわからないときに,二十代の若者の約八割が携帯電話の漢字変換機能を用いて調べているということが,文化庁の「国語に関する世論調査」でわかったというのである。これにはあらためてビックリさせられた。 たしかに最近のケータイの文書作成支援機能は非常に便利になってきて,最初の二,三文字を入力すれば多くの候補文字が次々に現れるから,「辞書代わりになる」というのも頷ける。しかしケータイの画面では文字によっては一点一画までは正確に表示されない。いい加減さがますます助長されるのではないかと心配になる(写真は同記事より転載)。 しかしそれよりも,数多くの漢和辞典を,あたかも自分の身体の一部のように使っている身にとっては,そもそもケータイで漢字を調べるなどということ自体,とても考えられなかっ
前回,クニガマエとカクシガマエの中間のようなカマエについて述べた。その形状は一般的な明朝体様式からは外れており,これを「ウロコ付きカクシガマエ」と呼んで,ややもすれば字形解釈上の混乱を招く虞があることを指摘した。 しかし,この独特ともいえるカマエの実際の形状が,説明用の図の表現力の問題でよくわからないものとなっていたようであった。そこで,この字形について補足することにした。 上図を見ていていただければ一目瞭然であろう。左は通常の「クニガマエ」,つぎは,これも通常の「カクシガマエ」だが,問題は右のカマエだ。この形のカマエは他の辞典には現れないものである(現存するすべての漢和辞典に当ったわけではないが)。辞典による解釈の差はあるものの,クニガマエとカクシガマエの位置付けは部首としてもはっきりしている。しかし右のカマエは様式から逸脱しているだけに困るのである。 前回は検字番号4355の文字
伝統的な部首の中にハコガマエ(匚)とカクシガマエ(匸)がある。もともとはまったく別モノなのであるが,新字体・旧字体の差の指標にしている辞典もあり,字形解釈上も気をつけなければならない。 ところが,ハコガマエとカクシガマエの中間的とも言える字形を採用している漢和辞典がある。今回取り上げるのは角川『大字源』である。 左図を見ていただきたい。これはお馴染みの「区」の新字体と旧字体であるが,新字体(検字番号898)がハコガマエであることは当然として,旧字体(検字番号897)のカクシガマエが一種独特なのである。カクシガマエの2画目転折以降が横画になって収筆部にはウロコまで付いている。まさにハコガマエとカクシガマエを足して二で割った感じの字形である。他の辞典ではほとんど現れない形だ。私はこれに「ウロコ付きカクシガマエ」と命名している。 文化庁の『明朝体活字字形一覧』には,「区」の旧字体として,モ
漢和辞典の親字は例外なく明朝体である。しかし,中にはどうしても明朝体にみえない文字もある。今回も『大漢和辞典』を対象とし,その中から明朝体にはみえない「問題字」を挙げることにする。 『大漢和辞典』の文字番号248~250の3文字は次のような字形である(図をクリックすると拡大表示されます)。 どうみてもゴシック体にしか見えない。ほんとうにこんな字形の文字なのか。 大漢和248の文字は「上」の古文であり,大漢和249の文字は「下」の古文である。ちなみに古文とは周・春秋戦国時代の金文を指すことが多いようであるが,「説文古文」と言われるものは孔子の旧宅を壊した跡から得たといわれるものである。 「上」と「下」の古文は『康煕字典』では次図のように表記されており,これならば明朝体表現といって差し支えない。 しかし,この表現を踏襲すると,とくに大漢和248の文字は漢数字の「二」と区別が付かないこと
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