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大そうじへの備え
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精神科医の帚木蓬生(ははきぎ ほうせい)氏の著書『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』と、文化人類学者の東資子(あずまもとこ)氏の著書『治癒と物語』は、一見すると異なる分野を扱っているように見えますが、どちらも「不確実な状況にどう向き合うか」という根源的な問いを扱っているという点で共通しています。『ネガティブ・ケイパビリティ』では、不確実な状況に耐え、性急に結論を求めないことの重要性が説かれています。一方、『治癒と物語』では、沖縄の民俗医療において、病気の原因や治療法が不確実な状況の中で、人々がどのように心の安定を保ち、治癒を目指してきたのかが具体的に描かれています。二つの著書は、不確実さを排除しようとせず、受け入れること、そして、その中で、自分なりの意味や物語を見出していくことの重要性を示してくれています。 将来への不安、健康への不安、人間関係への不安… 生きていく
沖縄本島北部の東部、天仁屋(てにや)という地区に、「嘉陽層の褶曲(かようそうのしゅうきょく)」という地形をみることができます。 場所:沖縄県名護市天仁屋 座標値:26.571157,128.116941 沖縄本島の北部と南部とでは、構成している地層の古さが異なります。北部では3億年から5000万年前につくられた地層、南部では5000万年前よりも新しい地層で、主に構成されています(下図参照)。 沖縄北部の基盤岩類でもっとも若い付加体である嘉陽帯(かようたい)は、砂岩層の構成率が比較的高い、砂岩と泥岩互層で構成されています。付加体とは、プレートがしずみこむとき、海で生まれた土や石が大陸にぶつかってくっついたものです。 参照:沖縄県公式ホームページ 参照:https://www.pref.okinawa.lg.jp/_res/projects/default_project/_page_/001
2024年6月28日(金)。西日本は大雨でしたが、山口県美祢市にある景清洞(かげきよどう)を訪れました。 場所:山口県美祢市美東町赤 駐車場のGoogle map 洞窟入口のGoogle map 壇ノ浦の戦いに敗れた平家の武将・大庭景清が潜んでいたと伝えられる洞窟。洞内には景清にちなんだものがたくさんあります。天井や壁は芸術品のようにすばらしく、フズリナ、サンゴ、海藻などの化石を見ることができます。 参照:山口県美祢市 秋吉台国定公園観光情報.天然記念物 景清洞 景清洞は、すぐちかくにある大正洞と比べて、天井からしたたり落ちる地下水があまりなく、比較的快適に洞内をあるくことができました。 入口の鉄格子▼ 梅雨時の蒸し暑い外気と比較して、洞内はひんやりとして半袖だと肌寒いくらいです。 観光コースとは別に闇の生物、化石を探す探検コース(所要時間:約1時間)もあります。また、近くには 景清洞トロ
【キーワード】site:hatenablog.com …でGoogle検索にかけると、はてなブログサービス内だけの検索結果が表示され、重宝しています。例えば以下のような感じです▼ 例) 沖縄の亀甲墓site:hatenablog.com 御嶽うたきsite:hatenablog.com 手書きノートを日常で活用するsite:hatenablog.com さらに「パワースポット」など、あまり結果に表示したくない言葉を省きたいときは、半角のハイフン「‐」を除外キーワードの前につけます。どうも半角のハイフン「‐」じゃないといけないらしく、ほかの形の似た横棒「-」だと除外されないようです▼ 例) 御嶽うたきsite:hatenablog.com -パワースポット この方法で、だいぶ個人的に好みなブログ記事にたどりつくことができるようになりました。はてなブログ内で記事を書かれているかたがたは、「好き
頓田第一貯水池と、頓田第二貯水池のあいだをはしる頓田一号線。頓田一号線沿いに鎮座する日吉神社。貯水池各所には無料の駐車場があります。日吉神社の北東50mほどの場所にも駐車場があります。 場所:福岡県北九州市若松区大字頓田 座標値:33.910862,130.733598
場所:福岡県北九州市小倉南区頂吉 座標値:33.742465,130.803928
場所:福岡県北九州市戸畑区夜宮
帆柱山、権現山のふもとに鎮座する鷹見神社へとつづく道沿いに庚申塔がまつられていました。 場所:福岡県北九州市八幡西区市瀬 座標値:33.836754,130.763489 「庚申尊天」という文字のみが確認でき、建立年などの銘は確認できませんでした。
地蔵菩薩がまつられる「帆柱四国第六十九番札所」。札所の敷地内に庚申塔が一基まつられていました。 場所:福岡県北九州市八幡西区市瀬 座標値:33.835178,130.765259 「謹上 庚申尊天」と刻まれています。庚申塔にむかって右側面に「享保」の文字がみえます。数字の部分は剥落しており確認できません。享保年間は、1716~1736年の間です。 庚申塔にむかって左側面に「十一月十三日」の文字が確認できます。
北九州市八幡西区、町上津役(まちこうじゃく)西に鎮座する蛭子神社の境内に庚申塔が一基まつられていました。 場所:福岡県北九州市八幡西区町上津役西 座標値:33.823704,130.751575 「幸神尊天」と刻まれています。庚申塔にむかって右側面には「享保九年」が確認できますが、左側面の文字は判読できませんでした。 享保九年は西暦1724年、干支は甲辰(きのえたつ)です。 蛭子神社 蛭子神社の始原は、御牧郡上上津役村・町上津役誕生のおり、村落共同の産土神を往還沿いの古野の一角に創建したことによると思われる。以来、里人の崇敬あつく、こんにちに至っている。祭神は事代主命である。明治期ここ早田に遷座された。(境内の案内板)
場所:福岡県北九州市八幡西区畑 座標値:33.804746,130.769969 畑貯水池をぐるりとまわる道路をはしっていると、脇に庚申塔がまつられていました。 石祠とともに、縦長の自然石の庚申塔はまつられています。 庚申塔正面には「庚申□堂」と刻まれています。「□」の箇所は読みにくく、何と刻まれているのかわかりません。おそらく「祭」と刻まれているように思えます。もしそうだとすると「庚申祭堂」と刻まれていることになります。 庚申塔にむかって右側面には、「寶永戊子」という文字が確認できます。宝永年間で、干支が戊子(つちのえね)の年は宝永五年で、西暦では1708年です。 庚申塔にむかって左側面にも建立月がきざまれているようですが、読み取ることができません。かろうじて「月」だけが読めます。
ちいさな空き地にコスモスの花が咲いていました。萎れはじめていましたが、ひとつひとつの花をみると綺麗です。各所にちいさなコスモス畑をみかけます。 場所:福岡県北九州市若松区小敷 座標値:33.892024,130.702698
場所:山口県山口市木町 座標値:34.190161,131.472919
場所:福岡県宮若市龍徳 座標値:33.737684,130.689176
宮若市をはしる福岡県道98号線から50mほどはずれた場所。空き地の端に、おおきな庚申塔がまつられていました。 場所:福岡県宮若市龍徳 座標値:33.738904,130.691124 風化がすすみ、庚申塔かどうか判断に困りましたが、よくよく観察してみると、「庚申尊天」という文字がかすかに確認できました。建立年などは刻まれているようでしたが、判読できませんでした。 庚申塔の裏側には、ノミで削った痕のような横線が刻まれています。 この庚申塔がまつられている、すぐ北側には、採石場のような場所があります。 地質図naviで確認すると、このあたりは砂岩・泥岩で構成されているようです。 参照:https://gbank.gsj.jp/geonavi/geonavi.php#16,33.74022,130.69181 庚申塔表面の剥がれ落ち具合から考えると、こちらの庚申塔は、おそらく泥岩でつくられたもの
初夏、田植えが終わったころや秋の稲穂が波打つころ、水辺や田の水の取り入れ口に四角い竹の棚を見ることがある。これを土地の人たちは水神棚と呼んでいる。『穂波町ものがたり』P.124 こちらの写真は福岡県嘉麻市の千手(せんず)という地区でみかけた水神棚です。2018年2月25日に撮影しました。小川というか用水路の上に、この神棚が設置されていました。 場所:福岡県嘉麻市千手 座標値:33.520793,130.717544 2023年10月13日現在、Googleストリートビューでも確認することができます。 水神棚をみたのは、このときがはじめてでした。なにか神様をまつっているのだろうということは想像できましたが、どういう神様を、どういう目的にまつっているのかはわかりませんでした。 嘉麻市以外にも、北九州市若松区の蜑住(あますみ)という地区でもみかけました。 場所:福岡県北九州市若松区蜑住 座標値:
福岡県道462号線沿いをながれる黒丸川のそば。宮永の福田という集落のいりぐちに三基の庚申塔がまつられていました。下の写真の右側から順番にご紹介してゆきます。 いちばん左側の庚申塔です。 場所:福岡県宮若市宮永 座標値:33.725649,130.590428 「庚申尊天」の文字が正面に刻まれます。庚申塔にむかって右側面に「天明四年」、左側面に「辰十二月吉日」の文字が刻まれます。 天明四年は西暦1784年、干支は甲辰(きのえたつ)です。
福岡県道462号線沿いをながれる黒丸川のそば。宮永の福田という集落のいりぐちに三基の庚申塔がまつられていました。下の写真の右側から順番にご紹介してゆきます。 まんなかのいちばん大きな庚申塔です。 場所:福岡県宮若市宮永 座標値:33.725642,130.590434 「猿田彦大神」の文字のみが確認できます。建立年などの銘は確認できませんでした。
福岡県道462号線沿いをながれる黒丸川のそば。宮永の福田という集落のいりぐちに三基の庚申塔がまつられていました。下の写真の右側から順番にご紹介してゆきます。 いちばん右側の庚申塔です。 場所:福岡県宮若市宮永 座標値:33.725631,130.590441 「庚申尊天」と、正面に刻まれています。その両脇に建立年月がきざまれているようですが、判読することができませんでした。かろうじて「二月」らしき文字がみえます。
日少神社(北斗宮)の鳥居よこに庚申塔がまつられていました。 場所:福岡県宮若市黒丸 座標値:33.7192726,130.5825653 庚申塔正面には「庚申尊天」と刻まれています。むかって右側面に「安永三午天」、左側面に「□月吉日」と刻まれています。安永三年は西暦1774年、干支は甲午(きのえうま)です。
宮若市 長井鶴(ながいづる)という地区に八所神社が鎮座します。本殿の裏側に五基の庚申塔がまつられていました。下の写真は五基の庚申塔が、すべて写っています。木製鳥居のすぐそばに一基、鳥居の奥に四基の庚申塔がまつられています。四基の庚申塔の右隣には石祠がまつられています。 庚申塔のおおざっぱな配置図です。 今回の記事では、⑤の庚申塔をご紹介します。 場所:福岡県宮若市長井鶴 座標値:33.732312,130.651855 「庚申尊天」と正面にきざまれています。庚申塔にむかって右側面に「安永五年」、左側面に「二月吉日」と刻まれています。 安永五年は西暦1776年、干支は丙申(ひのえさる)です。
宮若市 長井鶴(ながいづる)という地区に八所神社が鎮座します。本殿の裏側に五基の庚申塔がまつられていました。下の写真は五基の庚申塔が、すべて写っています。木製鳥居のすぐそばに一基、鳥居の奥に四基の庚申塔がまつられています。四基の庚申塔の右隣には石祠がまつられています。 庚申塔のおおざっぱな配置図です。 今回の記事では、④の庚申塔をご紹介します。 場所:福岡県宮若市長井鶴 座標値:33.732316,130.651862 「庚申尊天」と正面に刻まれています。庚申塔にむかって右側面に「天保九戌春」、左側面に「講中」と刻まれています。 天保九年は1838年、干支は戊戌(つちのえいぬ)です。
宮若市 長井鶴(ながいづる)という地区に八所神社が鎮座します。本殿の裏側に五基の庚申塔がまつられていました。下の写真は五基の庚申塔が、すべて写っています。木製鳥居のすぐそばに一基、鳥居の奥に四基の庚申塔がまつられています。四基の庚申塔の右隣には石祠がまつられています。 庚申塔のおおざっぱな配置図です。 今回の記事では、③の庚申塔をご紹介します。 場所:福岡県宮若市長井鶴 座標値:33.732319,130.651868 「庚申尊天敬白」と中央に刻まれ、その両側に「享保十九天」「十二月十九日」という文字が確認できます。 享保十九年は西暦1734年で、干支は甲寅(きのえとら)です。 「敬白(けいはく)」は、うやまって申し上げること、つつしんで申し上げることという意味をもつそうです参照。
宮若市 長井鶴という地区に八所神社が鎮座します。本殿の裏側に五基の庚申塔がまつられていました。下の写真は五基の庚申塔が、すべて写っています。木製鳥居のすぐそばに一基、鳥居の奥に四基の庚申塔がまつられています。四基の庚申塔の右隣には石祠がまつられています。 庚申塔のおおざっぱな配置図です。 今回の記事では、②の庚申塔をご紹介します。 場所:福岡県宮若市長井鶴 座標値:33.732321,130.651873 「謹請 庚申尊 安鎮給」と中央に刻まれており、その両側に「元禄七天」、「十二月吉日村中」と刻まれています。元禄七年は西暦1694年、干支は甲戌(きのえいぬ)です。「安鎮給」とは、ひとびとの安穏を願って刻まれる文字なのだそうです参照。
宮若市 長井鶴という地区に八所神社が鎮座します。本殿の裏側に五基の庚申塔がまつられていました。下の写真は五基の庚申塔が、すべて写っています。木製鳥居のすぐそばに一基、鳥居の奥に四基の庚申塔がまつられています。四基の庚申塔の右隣には石祠がまつられています。 庚申塔のおおざっぱな配置図を下に示します。 1番から順番にご紹介してゆきます。 「□鳥庚申」と刻まれていますが、剥落している箇所には「取」という文字が刻まれていたと考えられます。よって「取鳥庚申」という文字が刻まれていたと考えられます。めずらしいトリ庚申です。書籍『遠賀川』P.46を参照 場所:福岡県宮若市長井鶴 座標値:33.732307,130.651978 庚申塔にむかって右側面に「天保八丁酉歳」と刻まれています。 庚申塔にむかって左側面には「正月吉祥日」と刻まれています。書籍『遠賀川』P.46を参照すると「正月吉祥日」の文字の下に
鞍手町の八尋という地区に十六神社が鎮座します。神社のいりぐちに立派なクスノキがあります。その根元に庚申塔がまつられていました。 場所:福岡県鞍手郡鞍手町八尋 座標値:33.760716,130.659759 「尊」という文字のみが残っていますが、おそらく「庚申尊天」と刻まれていたと考えられます。 庚申塔にむかって右側面に「元禄十三庚辰天」の文字。 庚申塔にむかって左側面に「十一月吉日」の文字が刻まれています。 元禄十三年は、西暦1700年、干支は庚辰(かのえたつ)です。
法正寺貴船神社の本殿にむかって右側に二基の庚申塔がまつられていました。また貴船神社の北側へすこしはなれた場所に一基の庚申塔がまつられていました。 今回ご紹介するのは、神社の北側へすこしはなれた場所にまつられている庚申塔です。 場所:福岡県京都郡苅田町法正寺 座標値:33.750062,130.923828 こちらの庚申塔は、すでにGoogle map上に、登録してくれていたかたがいました。 Google map 庚申塔とだけ文字が確認でき、建立年などの銘はありませんでした。 もともとの自然石の庚申塔を、土台部分でコンクリートにて囲い、補強しています。
法正寺貴船神社の本殿にむかって右側に二基の庚申塔がまつられていました。また貴船神社の北側へすこしはなれた場所に一基の庚申塔がまつられていました。 今回ご紹介するのは境内の二基のうちの一基です。前回ご紹介した庚申塔は、猿田彦大神と刻まれたものでした。今回は、「庚申思門」と刻まれた庚申塔です。 場所:福岡県京都郡苅田町法正寺 座標値:33.749971,130.923956 庚申思門とだけ刻まれており、その他、建立年などの銘は確認できませんでした。 「庚申思門」という文字は、はじめてみるケースです。思門とはどのような意味がこめられた文字なのでしょう? カタレル名前辞典を参照すると、「思」という文字は「他人を思いやる」「何事も、きちんと考えて行動する」「心配する」「考える」という意味あいが込められているようです。 「門」という文字は「新しい人生の門出を出発する」、「いいスタートをきって、邁進する
法正寺貴船神社の本殿にむかって右側に二基の庚申塔がまつられていました。また貴船神社の北側へすこしはなれた場所に一基の庚申塔がまつられていました。 今回ご紹介するのは境内の二基のうちの一基です。 場所:福岡県京都郡苅田町法正寺 座標値:33.749976,130.923965 猿田彦大神とだけ刻まれており、その他、建立年などの銘は確認できませんでした。
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