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usataro.hatenablog.com
突然のホットエントリ入りで、今まで開店休業状態だったブログのアクセス数が3桁増えた。ちょうど仕事も一段落ついたところだし、ブログを再開するにはいいきっかけだった。 今回ブコメでいろんな意見を見ることができて、なかなかおもしろかった。で、まず思ったのは、案外土居氏の議論に乗ってる人が多いんだなという印象を持った。確かに地方への過剰な公共事業は、諫早湾干拓や長崎新幹線など(おっとどれも長崎だw)ずっと批判の対象になっている。だから地方に税金を投入すること自体に批判的な立場の人が多くなってるのかもしれない。そういう意味では、「公共事業肯定論」への反射的な拒否じゃないのかと想像する。ただ僕はそんなこと一言も言ってないので念のため。 けれども必ずしもこれが人々の「経済リテラシーの高まり」かというと、ちょっと違う気がする。「地方はお荷物」「都会が地方を食わせている」意識の垂れ流しでしかない意見がけっこ
私が地域格差に冷淡なのも、転居の自由が憲法で保証されているからだ。中国みたく、都市戸籍がなければその都市に住めないというのであればとにかく、日本はそういう国ではない。いやなら引っ越せばいい。自由がある以上、その自由を行使した結果、すなわち責任も我々にある。 404 Blog Not Found:自己責任から自己権利へ たとえば居酒屋かどっかで酒を酌み交わしながら、「そんな会社を見切れなかったお前がダメなんだよ。さっさと転職しろ。」と親身にアドバイスしてハッパかけている状況だというのなら、本文の話自体はかろうじて理解できる。このままだとアドバイスとしてもどうかと思うが。 ただ問題にしたいのは、むしろ「余談」の方。 権利としての「自由」が国家によって保障されているということと、社会生活を営んでいく上で個人が「自由」に転居しうるということとは、全く、とはいわなくともかなり違う話だ。 「転居の自由
もう4年、いや、四捨五入すると5年近く前に書いたこの記事http://d.hatena.ne.jp/usataro/20060408/p2が、突然はてなブックマークのホットエントリに入ってびっくりしている。 正直この頃は経済学的な考え方をそこまで知らなかったので、この土居氏の議論はほんとに驚きだった。今なら、少なくともこのJMMの記事はやや慎重な書きぶりだなということもわかるし、中山間地域の問題と地方の「郊外」地域の問題との切り分けが必要なことも指摘できる。で、確かにこの記事だとそこら辺がごちゃっとなっちゃってるんだよな。現在の僕の考えは以下の記事を参照してほしい。 地方都市の問題と限界集落の問題http://d.hatena.ne.jp/usataro/20080210/p2 地方都市の問題と限界集落の問題(その2)http://d.hatena.ne.jp/usataro/200802
バブル崩壊以降、地方経済が衰退したと言われて久しい。それを象徴するのが、地方都市商店街の崩壊だろう。また今年の大雪によって、山村地域の過疎の危機的な状況が改めて浮き彫りとなった。こういった状況を見て、なんとかしなければいけない、けれどもなかなか名案は浮かばない、というのが大方の人の考える“常識”だと僕は思っていた。 けれども、「経済学的」にはそうではないらしい。慶應義塾大学助教授の土居丈朗氏は、2006年1月16日号のJMMで、「地方間の格差の原因は「自助努力の差」だけか?」という問いに対して、以下のような文章を寄せている。少し長文になるが、引用する。 個人の所得格差ではなく、地域間格差に目くじらを立てるのは、経済学的に見て意味のないことです。自由経済の摂理に委ねていれば、地域間の(限界)生産力の格差や所得格差は、人々の自由な地域間移住、さらにはそれよりもっとスピーディーなはずの民間の資本
帰宅して晩ご飯の用意をしながらテレビをつけていたら、神社をめぐる裁判で最高裁が違憲判決を出したというニュースが聞こえてきた。ニュースでは片手間に音声を聞いていただけだったので、ご飯食べ終わってから改めていろいろ調べてみた。ニュースサイトの記事はこんな感じ。 【毎日新聞】政教分離訴訟:「市有地に無償で神社」は違憲 最高裁 【朝日新聞】神社への市有地無償提供に違憲判決 最高裁 詳細な記事になってる毎日の方を引いとくと、こんな感じ。 北海道砂川市が市有地を無償で空知太(そらちぶと)神社に使わせていることは、政教分離を定めた憲法に違反するかどうかが争われた訴訟の上告審判決で、最高裁大法廷(裁判長・竹崎博允(ひろのぶ)長官)は20日、「憲法が禁じた宗教団体に公の財産を提供する行為」と述べ、市の土地提供を違憲と判断した。その上で「違憲性を解消する他の手段について審理が必要」と、1、2審判決を破棄し、審
仕事が本格的に始動し始めて忙しくなったのと、最近論文書きのための作業をやっているのとで、あんまり記事を書いてないんだけれど、はてブのコメントに反応があったので少しここで触れておく。 id:mujige さんの記事 「核実験の日、ピョンヤンにて」―朝鮮はなぜ核実験をしたのか - 訳者あとがきβ版(やくしゃ あとがき べーたばん) に対して、僕はこういうコメントをつけた。 北朝鮮にとって日本こそが脅威だという構造的問題はわかるし国内でも脅威を煽りすぎだとは思うけど、オバマの核についてのスピーチの直後に核実験をしたという北朝鮮の政治的判断はさすがに肯定できないでしょ。 それに対してid:islecapeさんが、どうもあんまりきちんとコメントを読んでいないのではないかとおぼしきまとめ方をされていた。 どこから応答すりゃいいのやら(一部修正・補筆済) - The cape of an island
3月14日のダイヤ改正に伴い、寝台特急の富士・はやぶさが廃止された。 ニュースでも大きく取り上げられたが、実はこの日東京駅に最終列車を見送りに行ってきた。九州出身の人間にとって、九州ブルトレは地元と東京とをつなぐ絆のような意味を持つ列車で、だからこそ、ただの列車の廃止とは違った意味を僕は感じていた。 だが実際に東京駅に行くと、予想はしていたもののそれ以上に人が多くて、最後の東海道本線優等客車列車をしんみり見送るという感じにはならなかった。この二日前にやはり東京駅で見送ったのが、しみじみと出発の風景を味わうことができた最後だったようだ。 ところで、東海道寝台列車についてこんな文章が目に留まった。 JR各社が夜行寝台列車に不熱心だった理由はいくつかある。 新幹線や航空機の台頭により、移動手段としての優位性を失った。 JR4社に跨り、調整が面倒。 夜行列車以外の客車列車が廃止され、夜行寝台のため
実はここ最近、「めぞん一刻」熱である。もちろん、いまさらはじめて読んだわけじゃない。中学・高校時代にアニメで知り、まだ刊行途中だった原作の単行本を夢中で買い集めて読んでいたものだった。 その単行本は実家に置いてきたのだが、久しぶりに読みたくなって実家に住んでいる妹に問い合わせると、どうやら処分してしまった様子。やっぱり重要なものは手元に置いとかねばだめだなと思いつつ、最近伊東美咲のドラマにあわせて刊行された新装版を買った。 ところで、前から知識として知ってはいたことなんだけれど、めぞん一刻の舞台である「時計坂」の街と駅のモデルは東久留米である。たまたまそのことをググってみたら、どうやら「時計坂駅」のモデルとなった東久留米駅北口駅舎が、駅の改良工事のため2008年度中に撤去されるという情報を入手した。これは今行かねば、という意気込みが高まってきたので、仕事の帰りに東久留米を訪れてみることにし
昨日の続き。 地方都市の問題 ここ数十年のあいだに無計画に拡大した「郊外」は、住民が自動車で移動することを前提に形成されている。郊外型の大規模店舗にしろ、田んぼや畠、山林をつぶして広がる住宅地にしろ、車なしでは考えられない。おそらくはアメリカのライフスタイルをモデルにした、自動車の存在を前提にした街づくり、地域づくりが、特にここ20年から30年くらい進められてきた。 そうした政策の結果、鉄道など公共交通網の衰退は著しくなっていく*1。中心市街地の衰退も、この文脈の中で捉えることのできる問題だろう。現在問題とされている「無駄な道路」の話は、街づくり、地域づくりという観点から言えば、こうした政策の失敗をどうするのかという話なんだろうと思う。 こうした政策の失敗は、70年代の田中角栄以来繰り返されてきた景気対策としての公共事業政策と、90年代の規制緩和の流れとが、奇妙に混じり合った結果ではないか
直近の締切仕事はなんとかこなしたものの、まだ大物が控えていて、そろそろ火がついてきてる。原稿といえば、こないだ出した締切仕事とは別件のよびこーの方の原稿も、そろそろ準備しなくちゃいけない。 こーこーの方の授業も今週まではきっちりあるから、どうしてもそちらにエネルギーを取られてしまって、なかなか原稿に集中できない。こーこー男子なんていう、もっとも無駄な体力を溢れさせている時期の人間50人を相手にしているので、テンションを上げて声量で圧倒して鎮圧し、こちらの言うことを聞かせないといけないので、疲れてしょうがない。 で、その割には春が近づいてきているので、どうにも調子が上がらず、授業が終わるとどっと疲れが出てしまう。先週くらいまでは、今週連続して開かれる研究会にも行こうと思っていたんだが、このままだと原稿が全然進捗を見せないまま来週を迎えてしまうことになる。というわけで、来週火曜のよびこーの会議
実際のところ忙しいんだからまあしょうがないけど、なんだかんだで時間に余裕がない。なんでこんなに忙しいんだろうなあ。先週末は成績をつけて、日曜は死んでた。でも月・火はスケジュールが空いてたんだから時間に余裕があったはずだよなあ…。ああ、そういえば月曜は締切過ぎちゃった原稿を書いて送ったんだった。それでも火曜終日と水曜の午前は空いてたんだけどなあ。そこら辺は今日の報告の準備をしてたんだけれど、ちっとも進まなかった。 今日は史料読みの会で、読みの担当が当たっていたんだけれど、ほんとに散々な出来だった。僕はどうも、ある部分で疑問が出てくるとそれを徹底的にやっつけていかないと気が済まない質で、それは研究のとっかかりとしてはいいのかも知れないけれど、しばしば調査作業が中断するので、まんべんなく調べることを要求される史料読み報告の準備なんてのには実に不向きだ。ただ、だからといってさらーっと表面的な意味を
やっぱり無駄な道路は多いぞ - 雑種路線でいこう これから人口が減ろうという国で、人里離れた限界集落の維持に財政資金を注ぎ込む必要は全くない。医療制度は崩壊しつつあるし、世話してくれる若者も減っているし街に出てしまったのだから、年寄りは都市部に集住した方が身のためだ。 株価を上げる44市 (2ページ目):日経ビジネスオンライン 小規模農家の離農が進めば、高齢者が山間部や郊外から都市の中心部に移り住むようになり、医療や福祉などの行政サービスを効率的に提供できるようになるかもしれない。都市の中心部に人口を集め公共サービスのコストを削減する取り組みは、既に青森市などで実施されている。「30万人程度の人口規模になれば、医療や介護、教育などの分野で新たなビジネスチャンスも生まれてくる」 最近、地方の問題を論じるにあたって、「限界集落は消滅すべきだ」的な主張をみることが多くなったような気がする。僕はこ
週刊朝日の今週号(8月17日号)に、「消えたもうひとつの原爆ドーム−浦上天主堂廃墟はなぜ壊されたのか」という特集記事があった。 もともと浦上地区は隠れキリシタンがいた地域で、幕末には信徒発見のきっかけとなった地域である。明治に入ってから、浦上地区の禁教の舞台であった庄屋屋敷跡を買い取り教会としたのが浦上天主堂だった。貧しい信徒らが少しずつ寄進をし、約30年を掛けてようやく天主堂が完成した。だが浦上地区の真上に落とされた原爆によって、多くの信徒が亡くなるとともに、煉瓦造りの天主堂も廃墟と化した。 この記事では、そうした経緯をもつ浦上天主堂がなぜ原爆遺構として保存されることなく撤去されたのかを取り上げている。その中で記事が注目しているのは、アメリカ・セントポール市との姉妹都市提携。当時の市長は保存に積極的立場であったのが、渡米後には撤去派となる。そのきっかけが、姉妹都市提携ではないかというのが
月曜の授業だと、祝日の関係でどうしても授業数が少なくなってしまうので、先週はその調整のための授業案作りに追われる。ちょうど満州事変から日中戦争、太平洋戦争の辺りなのだが、関心のある生徒なんかはスタンスの左右を問わずよく知っているんだけれど、知らない子は驚くほど知らない。また、知ってる子でも情報源が偏ったりしているから、「南京事件の虚構性」みたいなことばっかり知識が肥大化してて南京が国民政府の首都だってことを知らないとか、総合的に通史上にその知識を位置づけられてない子もいる。 だからこの辺を通史としてきっちりやっておくのはぜひとも必要だと思い、なるべく通史的把握ができるように授業をやってみる。時間があればもちろん丁寧にやるんだけれど、時間がきわめて限られているなかで「ざっくり」やっていくのはなかなか難しいな。 トラックバックを下さった「図書館の費用対効果について。図書館が「費用対効果が高い公
今日は勉強の日。午後は史料講読のゼミに出席。けっこうおもしろい内容の史料が取り上げられてて興味深かった。その後移動して、次のゼミ。ここでも、僕の専門に相当近い問題が取り上げられてた。年の初めから、いろいろと刺激を受けるなあ。僕もがんばらなくちゃ。 別に意識してたわけじゃないのに、今日はたまたま本の関係で気に留まったことが。 一つは、後輩との話のなかで出た、最近出版される本の数が多すぎて買えないよなあという話。歴史系出版社も最近はいろいろと大変で、史料集刊行で定評のあった出版社も倒産しているし、著書の刊行もここ数年はけっこう多くなってきている気がする。 研究費は一銭もないとはいえいちおう研究者の端くれとしては、ある程度の刊行数なら揃えておこうかという気にもなってなんとか買おうとするが、ここまで新刊が多くなるととても追いつかなくって最初から一通り揃えようなんて気にならなくなる。自分が出す側にな
最近、よくはてなブックマークでブックマークされた記事を見ている。2chが極論や言いっぱなしの無責任な話である割合が多いのに対して、はてブのコメントはずいぶんまともな気がする。いろいろとはてブの仕組み的なものもあるんだろうけど。 まあそれはいいとして、ちょっと気になった記事が一つ。図書館の公共性をめぐる論争だ。 ほどよい司書さんによる図書館の「民営化」という馬鹿馬鹿しさという記事に対し、プリオンさんが「図書館の公共性という馬鹿馬鹿しさ」という批判記事を書き、それに対して司書さんが反論、プリオンさんが再批判、司書さんがさらに反論という形で議論を展開している。 僕の印象としては、プリオンさんの批判は、全体の論理構成としては揚げ足取りに近いもので、司書さんの主張により説得力を感じる。プリオンさんの議論が揚げ足取りだというのは、たとえば図書館の所得再配分機能をめぐる次のような論述にみられる。 図書館
伏見宮系について、tosiitoさんのコメントを受け、昨日の書き方だと不足だと思い、ちょっと補足したい。 もともと伏見宮系が分立したのは14世紀後半のこと。北朝の天皇・上皇・皇太子らが、後醍醐の子後村上天皇率いる南朝勢力に拉致され、困った幕府がなんとか皇位に就かせたのが後光厳天皇。伏見宮系というのは、拉致された崇光天皇の子孫。もともと嫡流だったこちらの一流は、南朝方によって廃位され京都から連れ去られたことにより、一気に庶流へと転落してしまった。 だが15世紀前半、称光天皇の死没によって後光厳系子孫の絶滅が現実化したため、幕府と後小松上皇(後光厳系)は伏見宮系の彦仁王を猶子とし、後花園天皇として即位させる。伏見宮系が嫡流として再興されたと見なせる。また、現天皇家自体が伏見宮系だと見なすことも可能だ。 ただ、その後伏見宮家は貞常親王に継承され、彼の男系子孫は天皇にはなっていない。したがって、6
昨日はどうも体調が悪く、いまいち。翌日が仕事なので、早めに就寝。 一昨日に引き続き、今日は横浜でお仕事。その後少し飲んでから、東海道線に乗る。相方さんのお仕事がそろそろ終わるかなあと思って連絡を入れてみたんだけれど、多忙のようだったので、東京駅から中央線に乗り換える。ところが、新宿駅での人身事故、武蔵境駅での人身、さらに新宿駅での火災騒ぎでの非常ブザーなどで、新宿到着がけっこう遅れる。車中では、中央・総武線での人身などとアナウンスがあったのに、脇の線路を当の中央線各停がバンバン抜いていく始末。新宿で降りるも、大雨が降ってて外にはとても出られそうにない。なんだか特定の数十分だけツイてなさが集中してた感じだった。 kousさんのこの文章、批判の対象になっているのはおそらく僕の日記の文章ではないかと思い、反批判というほどではないけれど、いくつかの指摘についてコメントしておきたいと思う。 まず小泉
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