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rima2005.hatenadiary.org
高校生くらいの頃からの付き合いになる友達が今週中東京に帰ってきているのですけれど、この方とは歳も違うし生まれた土地も違うしで、たまたま同じ興味を持っていたのがキッカケである場所に集って知り合いましてそれからの仲なのですが、けっして頻繁に会う人ではないのです。会えるタイミングが合えば会えるのですが、妙に会っても久しぶりな気がしないし、なにより毎度会うのが楽しみになる人です。 それはなぜかというと、どうでもいい話から話題をひろげて”なんとなく”話せるからです。この人とは話し始めたことに対して『だからなに?』とか『俺、私ぐらいになるとなんたら』とか『その話題するならここらへんを話さないとダメだよ』とかいうくっだらねえ*1のが無いから好きです。同級生とかと違って、社会に出て知り合った人とってここらへんの付き合いが上手く出来ないのはなぜでしょう。なんで言い負かしたいんでしょう。人にはそれぞれ経験して
最近旦那さんとの会話で納得いかないのが『コーヒー入れてくれよ』という些細な頼みごとでして、コレを言われるたびに自分で入れたらどうかしらと思ってしまうんです。なぜなら旦那さんは自分で入れられる状態だから。そうでなければこちらも頼まれてコーヒーを入れるんですけど、そうでないとなんとなくモヤモヤしてしまいます。 普段育児と家事をしていてる私が自分で飲みたいなと思ったら自分で入れるので、外ではしっかり仕事ができている旦那さんにどうしてできないのか問うても『いいじゃねえかコーヒーぐらい入れてくれたって』と言われるのですが、こちらとしてはそのコーヒーぐらい入れられねえのかと思うわけです。それを人に言ったところで『旦那さん甘えてるんだようー』なんつう他所のそんな話聞いてカドを立てずにはそれしか言いようがない風に当たり前の感想しか返ってこないので、いつも心のどこかでこの人もし私が居なくなったらどうするのか
先週から実はなんとなく気分が優れません。頭をかすめるある曲と映像のせいです。それはNHKで大絶賛放映中のこどもにんぎょう劇場での『パンを踏んだ娘』という作品。人形劇といっても影絵のような作りなんですけども、その白と黒のエクスタシーが・・・。 内容はもともと貧しい家の子なのに、外見がよいからとお金持ちの家に引き取られて立派に高慢ちきな娘となったインゲルという主人公が、生みの親にあってあげなさいと育ての親にパンを一斤持たされて、しぶっしぶ、もうしぶっしぶ会いに行くんです。で、道端で産みの親と出くわすんですけど、もう見てらんないぐらい貧しい姿にやんなっちゃって自分が娘だって事を名乗らないで戻ってきちゃうんです。それでも産みの親は後姿だけでもインゲルだと解って追いかけてくるんだけど、振り切って逃げるんです。そうこうしてるうちに大きな水溜りに出くわして、自分の靴を汚したくないインゲルは、水溜りにパン
酒は呑んでも呑まれるなみたいなものは、本にもあてはまると思うのです。本を読んで世界を知った気になって、世界に絶望し、本でなく目を閉じてしまった人を、私は本に呑まれてしまったのだと思っています。本はなんでも教えてくれますが、それが全てではありませんし、正しいものでもありません。本は本です。あなたの口から誰かが書いたわけ解らん屁理屈を聞かなくたって知りたきゃ自分で図書館行って読むわよ。本の言葉を得る代わりに自分の言葉を失うなんて愚か過ぎる。わかった気になるなばか。 という昔の喧嘩をビール飲んでたら思い出しました。哲学なんて凡人が生きていくならへー面白いねーぐらいで止めておいたほうがいいと思っています。私も言葉あそびこのぐらいにしとこ。
自分がこういうふうに勘違いしてたって話なので、ここだけの話にしちゃいますけども、注目ブクマのなかで『【あとで】タグを使ったブクマがあることで、注目エントリーのランキングに影響が出るのはいかがなものか』て話があって、私、そこ読んでみたらどうもブックマークの使い方を勘違いしてたみたいなんです。というか解釈のしかたが違うのかなあ。 ヘルプをみると、こうあるんですよね。 はてなブックマークはブックマークを通じて他の人とつながったり、注目の話題を簡単に探すことができる、ソーシャルブックマークです。 例えばニュースなどを読んでいて面白いエントリー(ページ)があったらその場ではてなブックマークにブックマーク。 ていうもんですから、時間が無いときとか忘れないように私はとりあえず【あとで】ってコメントつけてたんです。で、読み終わったら記事に対するコメントに書き換えてました。しかし『人気エントリー』や『注目エ
いつか書きたいなあと思っていた話をちょうどid:yas-toroさんがチェクしてらっしゃいました。 懐古趣味になってしまうかも知れませんが、個人サイトのあのまったりとして、いつしか本来の趣旨から脱線していい意味での馴れ合いの場としていたあの掲示板はもう今はないのでしょうか。 私には今でもありますよ!そこはいつでも帰れる遠さだからこそ、なかなか帰らない実家みたいな感じです。でも帰れば誰か必ず居るし、いろんな年代の*1いろんな職種のいろんな趣味を持ったものすごい味の濃い人ばっかりで勉強になるし面白い人ばかりです。で、その掲示板の仲間がほんとにあんまり面白いのでブログやってみなようと声をかけてみたんですけれど『いや、でも、ココがブログみたいなもんだよね?』とレスポンスがあって、確かにそうだわと納得してしまいました。出入りする人数が決まっている個人サイトは、そういえばブログとあんまり変わらないです
考えていたいからよ。例えばね、『ママ』をしているいろんなママさんが集まって、お話を始める前に『あなたがオススメしたいことはなんですか』『みんなに聞きたいことはなんですか』って、たったの2つだけ質問が書かれた用紙を渡されるの。それにママさんが答えながらお話合いをしましょうってお茶会があるとするよね? それでね、ママさんの中にはそのたった2つの質問にも答えられない人がいたりするの。答えられないというか、ああ、私には何も思いつかないわ、と『考える努力をしない』んだと思うのよ。だって考えれば何だって書けるのに、何も思いつかないと思考停止してしまうんだもの。だけれどね、自分の気に入らない人の悪口や噂はポンポンお話できるの。そんなお話してるんなら、朗読会でも開いてお話の感想でも言い合っていたらいいのにね。 ママね、そういう『考える努力を忘れたママ』になりたくないからブログを書いてみたりしてるの。でもマ
ちょっとでも機嫌がよくなければ泣き、出すもの出しても一人でおむつも替えられません。お腹がすいてもひとりでごはんが食べられません。ご飯の量や好みの固さがあって、少しでもそれと違うとその場で吐き出しました。自分で始末する事ができません。歯磨きをしなければ虫歯になってしまいます。自分で歯磨きができません。袖と首を通すだけの服も自分で着れませんでした。 夜中だって朝方だって構いません、四六時中誰かに構ってもらわないとイヤでした。自分の思うことを言葉にするのもできませんでした。お出かけするのにはお金が必要ですが、自分で用意できませんでした。それを一つずつ手助けしたり、教えてくれたのが親や周りの大人達です。そうして尽くしてくれたその人たちに、機嫌がよければ愛想をふりまき、悪ければどんなに良くしてもらってもぎゃあぎゃあと泣きつづけました。それでもみんなはとことん付き合ってくれました。 そうして大人たちに
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