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こう言うと今の日本では非常に強い反発を受けます。「お前は戦争する覚悟はあるのか。お前の子供が死んでもよいのか」という言葉も飛んできます。徴兵されて嬉しい人はあまりいないでしょう。まして戦争に駆り出されるとなるとなおさらです。これは個人の嗜好の問題ではなく、国民の義務の話です。 その前に、私が考えている徴兵制が、成人男子は一人残らず一定年数兵役に就くというものではないということは断っておいた方よいでしょう。私が考えている徴兵制とは、 ・日本国民は男女を問わず一定年齢に達すると軍役に就くことを正当な理由なく拒否できない ・軍役に就いた兵士は軍による許可なく軍を辞めることはできない ・交戦中の勝手な戦線離脱は軍による裁判による厳罰を下す という規定を設定することです。 今の自衛隊は国家公務員です。退職するのは本人の自由意思で緊急時、例えば日本国が攻撃され戦闘の必要がある場合でも「戦争は怖いので自
チンパンジーは集団に厳密な序列がある 人が強い怒りを覚える原因として、バカにされる、軽く扱われるということがあります。「バカにするな」が喧嘩の合図になるほど、その感情は強烈です。 しかし「バカにする」行為は直接危害を及ぼすものではありません。バカにされたからといって、怪我をしたり、金品を奪われるようなことはありません。 強いて言えば「名誉」を奪われるのかもしれませんが、他の人が気付かないように、薄ら笑いを浮かべながら「頭が悪いな」と呟かれても名誉を失うこともないでしょう。 一方、困ったことに人間は人をバカにしたいという抑えがたい欲求があります。「上から目線」を略して「ウエメセ」という言葉がなどネットでよく使われますが、人を小馬鹿にしたような言い方での批判は特に匿名ではネットで頻繁に見られます。相手から反撃されにくい匿名という衣をまとうと、すぐ人は他人をバカにするようになるのです。 バカにさ
今月(8月)10日李明博韓国大統領が竹島訪問を行ってから、日韓関係は一挙に緊張の度を増しました。竹島問題を国際司法裁判所に提訴するなど、それまで韓国への刺激を避けるために表立った抗議を抑制してきた日本政府は方針を一転しました。 竹島問題は当ブログでも何度か取り上げましたが(「竹島」 「竹島やっぱり韓国も変だよ」 など)領土問題はどちらの主張も絶対的な正当性を判断するのが難しい面もあり、他国は「日韓で仲良く解決してください」という以上の姿勢は基本的には取りません。 ところが、竹島問題の陰にはもう一つ「慰安婦問題」があります。韓国では慰安婦は女子挺身隊の別名にもなっているように、一般の婦女子を軍が銃剣で大量に(20万人という主張がされています)連行し日本軍の性的奴隷として奉仕させた、と広く認識されています。 つまり、戦前の日本は貪欲で侵略的な犯罪集団で、竹島はその侵略によって強奪された。その犯
竹島はただの岩の塊だが・・ 竹島はどこの領土? 日本と韓国で竹島がどこの領土かというアンケートをとると、おそらくどちらの国でも90%以上が自国の領土と答えるでしょう。韓国では多分ほとんど100%、日本は「竹島って何? わかんなーい」という人も結構多いので、「わかりません」を除くと80%くらいになるかもしれませんが、大多数の日本人は竹島は日本領土と思っているでしょう。もし真実というものが、どちらか一つだとすると、これは奇妙な現象です。どうして日本人も韓国人も竹島の自国への帰属を、やすやすと信じてしまうのでしょうか。 地図で見ると竹島は、よくもまーと思えるほど日韓の真ん中にあります。岩だらけの島の大きさは日比谷公園の1.4倍程度。今は約40名の韓国軍(武装警官)が駐留していますが、もともと人は住んでいません。と言うより人が住めるような島ではありません。人が住んでいれば、日本語が話されているか、
核家族の失敗 戦前の社会制度は家が基本でした。家父長の権限は大きく、結婚を自分の意志で決めるのは不道徳とさえ考えられていました。家の存続は義務であり、娘しかいない家は婿養子を取って家を存続させることを求められました。 家からの自由は、戦後個人が得た大きな成果でした。結婚は憲法で両性の合意の結果と定められ、家は憲法からは存在を抹殺されました。おりからの経済発展で都市に村落からの大規模な人口移動が続きました。家からも村からも離れた個人は結婚して自分たちだけの核家族を作ります。家は距離的にも分断され名実共に機能しなくなりました。 個人は核家族を作ることで家からも村からも自由になりました。しかし、次第にその自由の対価は小さなものではないことが判ってきました。子育ては核家族にとっては大変な事業です。自分たちだけで子育てする負担は重く、女性が家の外で仕事持つことは難しくなりました。核家族の子育てはサラ
社畜。かなり侮蔑を含んだ言葉です。社畜というのは、いわゆるサラリーマン(これもそんなに良いニュアンスがありませんが)を指しますが、社畜つまり会社に飼われている家畜同然の人、とまで言うのはそれなりの理由があります。社畜と看做されるのは、 1. 自分の世界が会社だけで人生の成功も失敗も社内の出世次第 2. 持っている能力は社内で通用するものだけで、他社や一般社会では価値が著しく低い といった人達です。能力、スキルで評価されるのは社内人脈や会社独特の習慣や仕組みに通じていることで、公認会計士、弁護士といった世間では高い評価を受ける資格も、かえって「浮いた存在」になってしまう可能性があります。 社畜と呼ばれるような人々は会社に高い忠誠心を持ちますが、同時に会社が社会的には認められない行動をしてしまった時も、不正を隠蔽する、あるいはさらなる不正の実行に加担することも厭いません。ここまで来ると、社畜と
前回のブログ記事「社畜なんてひどすぎる」でも触れましたが、「社畜」というのはもはや絶滅危惧種です。企業がリストラという名の首切りを行い、終身雇用は最早存在しません。社畜として一生企業に飼われていくという会社人生は、これからは例外的なものになってしまうでしょう。 かつては特別の能力を持っているか、よほど自分のしたいことにこだわる人が主だった、企業とは独立して仕事をする、「フリーランス」が普通の職業の在り方になりつつあります。例え会社の正社員におさまっていても、終身雇用でなければ転職さらにフリーランスとして働くことを誰もが考えることが必要になりました。 しかし、会社を辞めることについては、「社畜人生とおさらばして自己実現」のようなバラ色の未来像か、その逆にフリーター、派遣社員という「企業社会の底辺に転落」といった悲観論ばかりが目立ちます。 ここではかつては会社で終身雇用の下で安定したサラリーマ
村上春樹氏は国際的にも高い評価を得て、ノーベル賞候補にも擬せられる、日本でもっとも高名な小説家の一人です。氏は今月9日スペインのバルセロナで行われた「カタルーニャ国際賞」の受賞式で「非現実的な夢想家として」と題する受賞スピーチを行い、原発廃止を訴えました(全文は例えばここ)。氏の影響力を考えるとスピーチの内容は相当広範囲の人々に届いたと思います。これは氏への私なりのメッセージです。 生活のすべてを置き去りにして遠く離れた避難所で不自由な日々を強いられている人々、育て上げた作物を放射能に汚染され廃棄しなければならない農民、不気味な音を響かせるガイガーカウンターの針を見つめながら子供の将来を台無しにするのではと不安におびえる母親。福島でそして日本中に広がっている恐怖と怒り、それらはたった一回の地震と僅か4基の原子炉が引き起こしたものでした。 科学者は「絶対はありえない」と言い、経済学者は「あら
当ブログでも何度か話題にさせていただている池田信夫氏が石油や石炭火力は原子力発電より危険だという論を展開しています(自動車や石油火力は原発より危険である)。原発は今回の福島原発の事故でも死亡者が出ていないように、過去に遡っても石炭火力より死亡事故という点でははるかに安全な発電方法だというのです。 もちろん石炭火力が炉心溶融を起こすことはありませんし、少なくとも日本で稼働している石炭火力発電所が死亡事故をしょっちゅう起こしているわけではありません。池田氏の論拠となっているのは石炭採掘で多くの鉱山労働者が死亡することです。 石炭の採掘は危険な作業です。石炭は採掘が進むにつれどんどん地下深くへと掘り進んでいきます。暗い地下は照明なしで作業できませんが、坑道の中は石炭の粉塵が舞い、何かの拍子で爆発的に燃焼する危険があります。 爆発事故でなくても地下深くでガスが発生したり、水が噴出すれば坑夫は危険な
救急車は無料タクシー? 「昔年寄り弱いものなし」というのは江戸時代の川柳ですが、年寄りが「近頃の若いものはなっとらん」というのは、今に始まったことではありません。 年寄りが若者への悪口を言うのは、「昔は良かった」と言われても、若者は昔を知らないので反論のしようがないということもあります。年寄りの方は、「昔は良かった」イコール、「自分たちは立派だ」ということになるので、悪い気持ちはしません。 そもそも若者の態度、行儀が悪いのは、赤ん坊が泣くのと同じくらい当たり前のことで、時代が変わればどうこうという話ではありません。年齢を重ねて物事を覚えれば、少しは礼儀作法が身に付きますし、エネルギーがなくなってくれば粗暴なこともしなくなります。 少年少女による凶悪事件があると、決まって「最近の親は悪い」「教育を何とかしなくては」という話になるのですが、少年少女による殺人、強盗のような凶悪事件は絶対数でも、
タッチタイピング挑戦を思い立つ タッチタイピング、ブラインドタッチと言う方が通りがよいかも知れませんが、「ブラインド」という言葉がご多分にもれず最近は差別語として引っかかって、タッチタイピングが正式な呼び名になっているようです。要はキーボードを見ずにタイプを打つことです。 キーボードだけでなく、ディスプレーも見ないのが本当のタッチタイピングなのですが(こうなると元の「ブラインド」タッチの方が意味がよく通ります)、日本語はカナ漢字変換が必要なのでこれは無理です。それでもキーボードを見ながらタイプを打つのと比べればスピードの違いは歴然としています。 私が大学を出てすぐにコンピューター会社に入社した頃、一般の日本人にとってタイプライターは限られた仕事の人が使うものでした。その限られた人々にコンピュータ業界の人間は入っていたわけですが、当時のコンピューター業界にはキーパンチャーという職種があって、
世の中に納得できない話などいくらでもありますが、気になっているものの一つに、日本の森林資源、水資源を買い漁る中国人への脅威論があります。中国人が日本の豊かな森林や水源に目を付けて、日本から奪おうとしていると言うのです。 これはごく一部の人が言っているのではありません。テレビなどマスコミでもそのような観点で報道されることが多くなっています。相当多数の日本人が中国人の森林や土地の買収に脅威や不安を感じていることは間違いありません。 しかし、少し常識で物事を考えれば、そのような脅威論は全くと言ってよいほど根拠のない馬鹿馬鹿しいものだということがわかります。まず、水資源について言うと、日本では1年におおよそ5千億トンの水が資源として利用可能とされています。 かりに、その1割を中国に持って行こうとすれば、5百億トン、10万トンの石油タンカー50万隻分に相当する量を輸送しなければなりません。これは日本
東京に原発を作ったらという提言があります。元々は広瀬隆氏の「東京に原発を」という著作で出てきた考えなのですが、これを主張する人はほとんど全て原発に反対する立場です。 それならなぜ東京を原発を作ったらなどと言うかというと、次のような理屈があります。 (1) 原発が絶対に安全なら、東京のそばに作ればよい。そうすれば送電設備や送電ロスが大幅に節減できる (2) もし原発が危険だから東京の近くに作れないと言うなら、原発が建設される地方の人の命は東京の安全のために犠牲になってよいのか。これは差別そのものではないか 一理あるようにも思えますが、反原発派の人が「東京に原発を作ればいい」と言う時には、「原発は絶対安全みたいな嘘っぱちを言っているが、いざ東京に原発を作ることになると、なんだかんだ言って作らない。それは結局原発が危険だということを白状していることだ」という思いが底にあります。 東京に原発作った
本文と写真は関係ありません 会社は従業員との自由で活発なコミュニケーションを行い、規則やノルマより創造性や積極性がいつも優先される。意味もない残業や上司への奉仕は必要がなく、必要な能力の育成に会社は積極的に援助をしてくれる。こんな会社で働きたいと誰しも考えます。しかし、そうもいきません。雇われる側から見れば、そんな会社は滅多にないし、雇用する側から見れば、そんなことをしても業績が伸びるとは限らないからです。 むしろ実態は急成長した企業のほとんどは上下の厳しい、創造性などより気合と根性を重んじる、言ってみれば体育会的な会社です。そしてその傾向はITベンチャーのような新しい企業でも、と言うよりそのような会社ほど強くなります。どうして会社は成長するために体育会的な秩序と規律が必要なのでしょうか。現実は理想となぜそんなに違うのでしょうか。 一つには日本のベンチャー企業の多くはグーグルやヤフーのよう
原発の議論をしていると、原発推進派の言い分が原発のPR活動で十分には伝わっていないように感じられることがよくあります。 私自身は原発の将来性には懐疑的で50年以上の時間をかけて段階的に原発を廃止すべきだと考えていますが、逆に原発の即時全廃は現実的でもないし必要もないと思っています。ここでは個人的な原発に対する賛否ではなく電力会社を中心とした原発のPR活動についての問題をいくつか指摘したいと思います。 祝島の原発反対運動 祝島と聞いてもあまり知らない人が多いでしょう。瀬戸内海の西の端、山口県に属するこの島は面積が千代田区の約7割の7.67平方キロ、漁業と農業を主として生計を立てている住民の数は五百人程度に過ぎません。 この祝島は、対岸の上関町四代田ノ浦に中国電力が建設を予定している上関原発に反対する住民が9割以上に達していると言われています。この反対運動には反原発派の運動家も参加し、住民と一
東京が美しい町かと聞かれて自信をもってイエスと答えられる人はあまり多くはないでしょう。皇居の周辺から丸の内を望んでみる景色は、堂々とした大都会の趣があるのですが、全体としてみると雑然としていてパリのような整った街並みとはとても比べられません。 日本人が美しい街並みを作る能力がないのかというと、そんなことはありません。京都の町屋や倉敷の蔵の連なる通りを見れば日本人が美しい町を作る伝統を持っていたことは疑いがありません。 東京も江戸時代は江戸城を中心に大名屋敷を配し職能別に作られた町割りをして、機能的でしかも美しい街並みを持っていました。その東京を今高層ビルから見ると、雑然とした建物がとりとめもなくどこまでも広がっています。東京は何の計画性もなくガン細胞が成長するように巨大化してしまった街です。 再開発と称して昔の建物を爆弾でも落としたように一掃してコンクリートで固めて無個性な高層ビルを林立さ
指導者の知的能力 2001年の6月、インターネットで某研究機関がブッシュ大統領(息子の方です)の知能指数(IQ)が91と推定したという噂が飛び交いました。この話は3年ほど前の当ブログでも取り上げました(ブッシュ大統領の知能指数)が、単なるいたずらだったことがすぐに判明します。しかし、噂を真に受けたところも多く、イギリスの高級紙ガーディアンも記事にしてしまいました。 ガーディアン紙を含め噂が広範囲に信じられてしまったのは、ブッシュの知能がそれほど高そうには思われていなかったことに大きな原因がありました。ブッシュ大統領の話しぶりは英語国民にとっては使用語彙があまり豊かではありません。ハーバードビジネススクールでMBAを取得していますが、クリントン大統領が権威あるローズ奨学金を受給してオックスフォード大学で学んだことなどと比較して、恵まれた環境で育ち学費の苦労など必要なかったにしては並みのレベル
サンタフェの古い教会 サンタフェというと、今でも宮沢りえのヌード写真集の名前を思い出す人が多いかもしれません。1991年に発売された同名の写真集は、ニューメキシコ州の州都になっている人口6万人ほどのこの街で、篠山紀信によって撮影されました。スペイン語で「聖なる街」を意味するサンタフェは17世紀始めにできたアメリカで2番目に古い町で、多くの古い教会や街並みが残り、アメリカの宝石と呼ばれています。 サンタフェ研究所は1984年にサンタフェから50キロほどにある、ロスアラモス国立研究所の科学者たちによって作られました。原爆開発のために第二次世界大戦中に創設され、水爆の開発も行ったロスアラモス研究所は、10,000人以上の研究員を擁し、核兵器だけでなく、物理学、生物学、社会科学にいたる広範な研究を行っていますが、より学際的な問題にアプローチするために新しい研究組織が必要だと考えられたのです。 学際
ベビーシッター協同組合の経済モデル 昨年ノーベル経済学賞を受賞したアメリカの経済学者のクルーグマンは、コラムへの寄稿や一般向けの経済著書を多数書いていることでも知られていますが、その中で経済政策をわかりやすく説明するために、ワシントン・ベビーシッター協同組合(Washington Babysitter Co-op: WBC)というモデルを何度か使っています。 WBCの話はクルーグマンも書いているように、彼のオリジナルではなく、Joan and Richard Sweeneyの"Monetary Theory and the Great Capitol Hill Baby-Sitting Co-op Crisis." という記事が元になっているのですが、単なる比喩を超えて、通貨政策、マクロ経済を理解するすぐれた経済モデルになっています。 WBCは架空の話ではありません。1970年代に実際にワ
日本人は若く見られる アメリカのバーでアルコールを注文すると、年齢を証明するIDカードの提示を求められることがあります。外国人はパスポートとか国際免許証を見せればよいのですが、うっかり忘れるとアルコールを飲めないこともあります。日本人は若く見られることが多く、20代どころか人によると30代でもパスポートを携帯していないと酒も飲めないということになりかねません。 人種を大雑把に、白色人種(コーカソイド)、黄色人種(モンゴロイド)、黒色人種(ネグロイド)に分けることがあります*が、日本人を含むモンゴロイドは一般にコーカソイドなどと比べて次のような特徴があります。 1. 顔が扁平で丸く鼻が低い 2. 体毛が薄い 3. 手足が短く、胴が長い 4. 全体に小づくり これらは日本人でも、大人より子供により強く見られる特色です。つまり、モンゴロイドが若く見られるのは、モンゴロイドが幼児の外見をコーカソイ
大きななぞ 第二次世界大戦でスイスがナチスドイツの侵略を受けなかった理由については、様々な議論があり、大きななぞの一つとされています。 特に日本では過去に、憲法九条を擁護する立場から「永世中立」による平和主義こそ戦争に巻き込まれなかった理由とする意見と、逆に「国民皆兵の強力な軍事力が平和を守った」とする反対の意見がありました。 スイスは永世中立国として知られています。スイスの永世中立国としての地位は、1815年のウィーン会議で国際的に認められました。しかし、中立がドイツの侵略を防ぐ、決定的に有効な手段だったというのは無理があります。事実、オランダとベルギーは中立を宣言していたにもかかわらず、ドイツがフランスを攻め込む経路として真っ先に占領されてしまいました。 一方、強力な軍事力がドイツが侵略をする気持ちを挫いたというのも、全面的に真実とは言いがたいものがあります。何しろ、ドイツは第2次世界
高速道路は公共財? 民主党はマニフェストの中で、都市部を除く高速道路の無料化を主張しています。例によって無責任な野党による、財源の裏付けのない単なるバラマキと思う人も多いのですが、他の政策は別にして、高速道路の無料化は、ただのバラマキとは違った意味合いを持っています。 防衛のように、対価を支払う支払わないに関係なく、誰もが同様な便益を得られるものを公共財と言います。公共財は自分が対価を負担しなくても提供されますが、皆が利己的に負担をしようとしなくなってしまうと、維持することができなくなってしまい、全体の利益が損なわれてしまいます。 そこで、公共財の提供には税金などの形で強制的に皆から費用を徴収することが必要になります。道路は公共財の中で、防衛と並んでもっとも一般的な例とされています。皆が道路の建設費を負担しない、あるいは自分の使う道路しか対価を支払わないと言い出すと、道路はつながらず、役に
ノーベル物理学賞を受賞した小林、益川両氏 科学の中の科学 2008年度のノーベル物理学賞は3人の日本人、南部陽一、小林誠、益川敏英の三氏に与えられました。さらにノーベル化学賞を下村脩氏受賞し、同じ年に4名の日本人がノーベル賞を受賞することになりました。 アジアの主役の座をとっくに中国に明け渡した観のある日本ですが、中国のノーベル賞受賞者は台湾と合わせても、まだ4人です。1960年以降の受賞者はおらず、基礎科学の実力は日本に一日の長があると言ってもよさそうです。 ノーベル賞を取るというのは、もちろん容易なことではなく、科学者にとっては大変名誉なことです。しかし、その中でもノーベル物理学賞、なかでも今回のように理論物理学に対して与えられるものは、格別な意味があります。 現代のような巨大科学の時代には、大博士が地下の実験室に独りこもって大きな研究成果をあげるということは稀にしかありません。研究は
マイク・ホンダ議員 従軍慰安婦問題というのは、日本が第二次世界大戦中、朝鮮半島や占領地域の女性を強制的に連行し、日本兵に対する性的サービスを強要したとするものです。今年の1月になり、アメリカの民主党マイク・ホンダ議員他7人の下院議員が、「日本は若い女性を強制して性的奴隷である慰安婦とした事を認めて謝罪すべきである」とする非難決議を提案し、民主党優位の中で採択される見通しが高まってきたため、問題は深刻化の様相を帯びてきました。(その後2007年8月に下院で非難決議は可決されました) 従軍慰安婦問題については安部首相がアメリカ議会の動きに対し「狭義の強制はなかった」と答弁したため、1993年8月の当時の河野官房長官が従軍慰安婦への日本軍の関与を認め謝罪した、いわゆる河野談話と矛盾したとして韓国、中国だけでなくアメリカからも非難を受けました。結果的に安部首相は河野談話を踏襲するとする立場を再確認
日本の食料自給率は40% 中国製の冷凍餃子に農薬が含まれていたことで、食料自給の低さが、改めて論じられるようになりました。TVでコメンテーターや有名人が、「日本の農業を復活させなければならない」とか、果ては「自分で食べるものは自分で作るのが当たり前だ」とまで言いだしました。 言葉は勇ましいのですが、「自給率を高くしろ」「食料を外国に頼るのは危険だ」と言っている人の誰も、自分で農業をしようとは思っていないでしょう。かりに食料自給率を高くするために、日本でもっと沢山の農産物を作るとしても、それは誰か他人の日本人で自分ではありません。 現在の日本の食料自給率は40%程度と言われています。 江戸時代の日本の食料自給率は100%ですが、日本人の90%以上は農民でした。それでも、一般的日本人の栄養状態は極めて悪く、男女とも平均身長は現在と比べ10センチ以上低い状態でした。江戸時代の人口は3千万人程度で
「テレビのクイズ番組にあなたは参加しています。番組の中で3つのドアがあって、そのうち1つのドアの後ろには新車が、2つのドアの後ろにはヤギがいます。あなたからは、ドア向こうが何かわかりませんが、新車の隠れているドアを開けると新車がもらえます。ヤギの隠れているドアを開けても何ももらえません。あなたが1つのドアを選んだ後、ドアの後ろに何があるかを知っている司会者が残りの2つのドアのうちヤギがいる方のドアを開けました。そして、今あなたは自分が選んだドアと、残っている開けられていないドアを交換しても良いと言われます。あなたは交換すべきでしょうか。」 多くの人は「2つのドアが開けられていないので、ヤギか新車かはどちらのドアも50%づつ」だから「変えない」と考えます。ところが、直感的には正しそうなこの答は間違いです。残っている方のドアの後ろに新車がある確率は50%ではなく、3分の2、約66.7%なのです
人間がお互い同士良く理解し合ったグループを形成するとするには、グループの人数は150人を超えてはいけないそうです。この説はもともと英国の人類学者のダンバー(Dunber)という人が発見して、Dunber's Numberとも呼ばれています。 ダンバーは霊長類の群れの大きさを研究して、大脳皮質の大きさとグループの大きさに相関関係があることに気がつきました。これは霊長類がグループを作るにはグルーミングつまり毛繕いをお互いするような濃密なコミュニケーションが必要で、このような濃密な関係を維持するのは大脳皮質の大きさに制約されるからだとダンバーは考えました。彼によると言語というのはグルーミングをお手軽にする(cheep grooming)と考えられ、人間は言語によりグループサイズを他の霊長類より大きくできるのすですが、個々の関係を濃密に保つには150人が限度だということです。 ダンバーはこの150
スイスのIMDは国の競争力を判定している 国と企業は違うが・・・ 最初にお断りしておきますが、国と企業は違います。 企業は利潤を生むという明確な目的がありますが、国にはそのようなものはありません。社員はCEOの部下ですが、国民は総理大臣の部下ではありません。企業は従業員を雇用し、時には解雇しますが、国民であることは普通は国にも国民にも選択の結果ではありませんし、解雇もありえません。 国と国とが企業のようにある産業で競争をし、どちらかが勝ってどちらかが敗れるというのは意味がなく、あくまでもは個々の企業の問題です。 国の問題ではありません。国どうしの競争力が本当の意味で発揮されるのは戦争をするときだけです。 しかし、ある国に住んでいることが国民にとって他の国の国民であるより幸福かどうかというのは重要です。そして幸福の度合いの大きな部分が経済的な成功に依存していることは間違いありません。高度な医
かつて喫煙をポジティブにとらえる文化がありました。「紫煙をくゆらす」というのは、大人がゆっくりとくつろいでいる様子を想像させましたし、男らしさを象徴する小道具として、007やゴルゴサーティーンにも欠かせないものでした。 昔の映画を見ると、外国映画でも日本映画でも驚くほど煙草を吸うシーンが出てきます。そのような映画で二枚目俳優が煙草を優雅に口にくわえる仕草は格好良く、男なら真似をしたくなるようなものでした。喫煙は嗜好品としてだけでなく、ファッションとしても溶け込んだ文化だったのです。 現在では喫煙文化は嫌煙文化という正反対の文化の攻撃にあっています。喫煙文化と嫌煙文化は対立する文化です。一つ場所は喫煙が許されないかの二つに一つで、中間ということはありえません。 文化とはある人間の集団が共有する認識です。文化は科学的な根拠がある場合も、ない場合もあります。ユダヤ教徒が豚を食べない、日本人が犬を
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