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今年の「#文学」
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先月末に、秋葉原で「第参回天下一カウボーイ大会」というイベントが開催されました。 このイベントはアスキーのサイトでも紹介されています。 「天下一」はラーメン屋さんのことではなく、「ドラゴンボール」からの引用だと思いますが、「カウボーイ」って何だろうという感じですね(IT系のイベントという気が全然しませんが、まあこれでもよいのでしょう)。 これは、知り合いの清水亮さんが代表取締役社長を務める株式会社ユビキタスエンターテインメントと週刊アスキーの共催です(たまたま見た、今週号の週刊アスキーにこのイベントの記事がありました)。 僕は清水さんに頼まれてそれに出ることになったのです。 僕は、前回のエントリーで触れたATの話をしようか、Synvie(動画アノテーションとその応用)の話をしようか迷った挙句、研究室で運用している会議システムの話をすることにしました。 その理由は、「テクノロジーがそれを使い
僕は、最近になってようやく自分の間違いに気がついた。 議論のスキルが向上するために最も必要なものは、ツールを使いこなすテクニックではなく、議論への参加意欲だった。 だから、どんな支援ツールを開発して運用しても、参加意欲がわかないのならば、学生たちの議論スキルの向上には結びつかないだろう。 実は、ゼミの成績を決めるときに、彼らの発表数と発言数を用いているのだけど、それがインセンティブになって積極的に参加してくれるかと思ったら大間違いだった。 つまり、参加者の意欲を高めることにもっと注力すべきだった。 どんな会議でもそうなのかも知れないけれど、僕たちのミーティングでは、ほとんど発言しない人がいる。 成績に関係するからたくさん発言してください、と言ってもその直後くらいに、申し訳程度に一度か二度発言するだけで、後はずっと黙っている。 講義じゃないんだから、黙って聞いていればよいというものではない。
僕のいる研究室でのミーティングではこれまでにさまざまな試みを行ってきているけれど、残念ながら議論の質を向上させるような革新的なものにはまだなっていない。 僕たちの努力の大部分は、会議内容を詳細に記録して、議論の検索や閲覧がやりやすくなるように、会議中にできるだけ多くのメタデータを付けて構造化し、コンテンツとして共有できるようにすることに費やされてきた。 しかし、たとえ、議論を(半自動的に)構造化コンテンツにするという試みがうまくいっていても、それだけで、よい議論ができるというものではない。 会議をコンテンツ化しても、それを役立たせる努力がなければあまり意味がない。 僕たちがこれまでに作ってきた仕組みは、会議後に繰り返しコンテンツを利用することでじわじわと効き目が出てくるもので、会議の運営そのものに直接的に効力を発揮するものではなかったのである。 実は、以前から気になっていたのだけど、ファシ
つい先日、情報処理学会第71回全国大会という研究集会が滋賀県の琵琶湖の近く(といっても琵琶湖は見れなかった)の立命館大学で開催された。 僕のいる研究室からは、ほぼ全員がそれに参加して研究発表を行った(僕も一応、発表登録をしたが、学生の発表と時間が重なってしまったのでキャンセルした)。 その中で「マルチメディアとメタデータ」という僕たちの研究テーマとよくマッチするセッションがあり、僕のいる研究室の学生の一人がそこで発表した。 これまでに作ってきたシステムのデモをいろいろ見せながら、実験結果も報告して、なかなかよい発表ができたと思っている。 僕はこのシステムの設計にはずいぶん知恵を絞ったので、かなりの思い入れがある。 この学生もよくがんばったし、僕の期待にも応えてくれた(正直、大学に来てから今までで、最も指導のし甲斐があった学生である)。 しかし、そのセッションの座長の評価はさんざんであった(
複数の人間が、自然に同じところに注目するような点をフォーカル・ポイント(focal point)と呼ぶ(注視点(focus of attention)とも呼ばれる)。 たとえば、川で隔てられた2つの街があって、その川には一本の橋がかかっているとする。 その地図を複数人に渡して、「もし突然、2つの街のどちらかにいることがわかっている複数の友人と待ち合わせをすることになったとしたら、どこで待ち合わせをしますか?」という質問をすると、大部分の人は橋の両端のどちらかの場所を示すらしい。 それは、2つの街のどちらにいるかわからないから、結局行き来しなければならなくなると思うので、それなら橋のどこかで待っているのが妥当だし、橋の中のどこかよりは特徴のあるところで待つのがよい、ということらしい。 機能的な側面と視覚的な側面の両方を考慮しているようだ。 このような場所は地図上のフォーカル・ポイントとなりう
人は一生のうちにどれだけの量の文章を書くのだろう。 前回のエントリーで紹介したタイムマシンボードのテキスト入力のために、僕がこれまでに書いてきた文書を使って辞書(読みや表記の一部から単語を引くもの)を作ってみた。 それには、2冊の著書(1997年と2000年に書いたもの)とこのブログ(2005年8月から今月までのもの)といくつかの(単著の)論文から得られた形態素(文法的に分割される文の最小単位)が含まれている。 僕は、これはほぼ10年分くらいの個人的な文書量だと思っている(ただし、英語の文献や、共同執筆の論文やメールなどは含まれていない)。 延べ形態素数は約20万でその異なり数(重複を除いたもの。助詞と助動詞と記号を除く。動詞や形容詞などの活用するものはその基本形の異なるもの)は約9千であった。 意外に少ないなあと思う。 確かに、僕が公開を前提に書いている文章は、専門的な内容がほとんどだけ
ご無沙汰しています。 ようやく時間が取れるようになってきましたので、僕のいる研究室の最近の成果をご紹介したいと思います。 僕のいる研究室では、ホワイトボードを電子化・ネットワーク化した新しいミーティングツールとして、タイムマシンボード(TimeMachineBoard)と呼ばれるシステムを研究開発しています。 名前から想像できますように、このシステムは、AppleのMac OS X Leopardの機能の一つ、Time Machineとほぼ同じ発想に基づいています。 もっとも、AppleのTime MachineのようにPC内のデータのバックアップがメインではなく、過去のミーティングの内容を検索して、容易に再利用できるようにすることが目的です。 たとえば、以前に誰かが書いた文字や図は、ペンのストロークごとに詳細に記録されています(書いた時間、そのときのペンの色や太さ、書いたユーザーのIDも
ネットが破壊したいくつかの伝統的なものの中に学術的権威がある。 マスメディアは大衆の意識を操作するために学術的成果よりもその権威をよく利用した(誤用や意図的な誘導もたくさんやった。ちょっと古いが有名な例は「あるある大事典」)。 そして、マスメディアの腐敗の陰で、ネットが人々の目を覚ますために機能した。 しかし、当然の帰結として、マスメディアが重用してきた権威を疑うことになった(ノーベル賞のみが依然として権威を維持していると思われるのは脅威的である。なぜあの賞だけ世界が一様に評価しているように見えるのか説明できます?)。 確かに、マスメディアにおもねり芸能人もどきとなった知識人(大学教授とは限らない)はたくさんいるし、そういう人たちは深い学問を単純化してみせたり(わかりやすくすることと単純化することは同じではない)、特殊な事例を拡大解釈して一般化してみせたり、結論の出ていないことを言いきって
僕のいる研究室では、以前からミーティングのためのよいツールを模索してきました。 それで最近作っていたものは、PCを使ったプレゼンテーションに対して、参加者がスクリーン上にアノテーション(注釈付け)をするツールです。 それには今のところ2種類あって、それぞれをスティッキーとアンダーライナーと呼んでいます。 スティッキーとはポストイットのようにスクリーン上に付箋を貼るためのツールです。 付箋といっても、当然、紙を貼るわけではなく、スクリーンの任意の位置にテキストや画像を配置するというものです。 テキストや画像を配置する場所は、参加者全員が持つWiiリモコンで変えることができます。 また、画像の場合は、そのサイズもリモコンで変更できます。 そして、アンダーライナーは名前の通り、スクリーンに表示されているテキストに下線を引くためのツールです。 誰かのプレゼンテーションの最中に、スクリーンに投影して
ご無沙汰しております。 先月は、いろいろとモノ作りをしていたのでこのブログをおろそかにしてしまいましたが、これから少しずつ、これまでにやってきたことをご紹介していきたいと思っています。 僕たちが運営している動画共有・アノテーションサイトSynvieもようやく次の段階に入ろうとしています。 2006年7月1日にサイトを開設して、2年が経過しました。 まだあまり有名じゃないし、いわゆるイリーガルなコンテンツをまったく受け付けないサイトなので、内容的にかなり物足りない感じがしますけれど、いろいろと新しい試みを行っています。 次のトライアルは、シーン引用という仕組みを使った動画作文というものです。 これは、動画の一部を、文章の中に織り交ぜて新たなコンテンツを制作するというものです。 たとえば、ピクトグラム(絵文字)を用いて、文章を直感的にわかりやすくするというやり方がありますが、この絵文字の部分を
ご無沙汰しています。 個人用移動体の自動走行のプログラムを書いていて、よく思うことは、実世界の(主に物理的)制約というのは、予想以上にやっかいなものだということである。 同じ実験を繰り返しても、結果が同じにならないからである。 無論、PCやセンサーの不具合やプログラムのバグのせいで、うまくいかないことも多いけれど、ちょっと向きが違ったとか、ちょっと距離が違っただけで、予想と全然違う動きをすることがあるのである。 やっぱり、実世界というのは複雑で面白いなあ、と思う反面、仮想世界ならこんなことは問題にもならないのに面倒だなあ、とも思う。 ロボットの(知的な)自律行動の研究をしている人たちが研究室内の実験環境から離れたがらない理由はよくわかる。 しかし、僕たちは日常環境で利用可能な知的移動体を作っているのだから、いつも同じところだけで実験をしているわけにはいかない。 この研究の目指すところの一つ
4年ほど前に、僕たちが研究開発している個人用知的移動体ATを、アメリカのMITのある教授に見せたときにこう言われた。 「これはアナザー・セグウェイ(要するに、セグウェイの二番煎じという意味)か」 それに対して、僕は、ATとセグウェイの違い(立ち乗り用から座り乗り用への変形機能、無線による連携協調走行機能など)を説明した後で、「これはセグウェイではない。ATという新しい乗り物だ」と言った。 確かに、セグウェイに影響を受けたことは間違いない。 しかし、僕たちはセグウェイの先にあるものを作ろうとしているのであり、アナザー・セグウェイと呼ばれるようなものを作っているのではない。 しかし、トヨタが先日発表したウィングレットという乗り物は、アナザー・セグウェイとしか言いようがない。 「自分たちはセグウェイをより小さく作れます」ということを誇示したいためにこれを作ったのだろうか。 セグウェイと違って体重
以前に、WikiScannerというツールが話題になった。 Wikipediaの編集履歴を、編集者の使用マシンのドメインや項目ごとに検索可能にするものである。 つまり、(非ログイン)ユーザーがどのドメイン(IPアドレス)のマシンでWikipediaのどの項目のどの部分をどのように編集したのかわかるということである。 それによって、そのユーザーの編集の裏にある何らかの意図を読み取ることができる。 これを見て思ったことは、これでWikipediaが荒らされにくくなるだろうということだった。 これと同様の仕組みが、2ちゃんねるなどの匿名掲示板にも適用できるかも知れない。 誰が書き込んでいるかはわからないとしても、どんな組織に所属している者が書いたのかわかれば、内容が事実かどうかの判断材料の一つになるだろう。 しかし、このような技術の先にあるものは、ネット上の個人の活動を不特定多数が容易にトレース
つい先日、網膜走査ディスプレイ(Retinal Imaging Display. 以下RID)を企画・開発したブラザー工業の人たちが僕のいる研究室に来て、このディスプレイをデモしてくれた。 RIDは、ヘッドアップディスプレイ(Head-Up Display.いわゆるVR向けのHead-Mounted Display(HMD)とは異なる)の一種で、目の近くに装着した小型デバイス(本体とは光ケーブルで接続されている)から、目に入れても安全な明るさの光を網膜に当て、その光を高速に動かすことによる残像効果を利用して、網膜に映像を直接投影するものである。 このディスプレイの最大の特徴は、装着者以外の人間には絶対に見えないことである(網膜に直接投影するのだから当然だが)。 ノートPCならともかくケータイの小さい液晶にも偏光フィルタを貼って、隣にいる人に見られないようにする人もいるくらいだから、自分にし
大変ご無沙汰しています。 Synvieの新しいビデオシーン引用の機能を使って、大学での講義の内容の一部をご紹介します。 新しいシーン引用は、ブログ内でビデオシーンを視聴することができます(ビデオ画面にマウスカーソルを置いてクリックしてください)。 2画面が横に並んでいるものは、2つのビデオのシーンを共引用したもので、同期的に再生することができます(ビデオ画面右下の「同期再生」ボタンをクリックしてください)。 講義内で語られている内容は、僕が10年くらい前から研究を行っているセマンティックトランスコーディングというWebコンテンツ技術に関するものです。 これから、セマンティックトランスコーディングについて講義で説明したビデオの一部をご紹介します。 まず、コンテンツをより高度に利用できるようにするためのアノテーションと呼ばれる仕組みについて説明しています。 アノテーションとは、メタコンテンツ(
ご無沙汰しています。 新学期が始まり、僕のいる研究室も7年目に入りました。 相変わらず悩みは尽きないですが、これからもがんばろうと思います。 先月、情報処理学会という、IT業界では老舗の学会の全国大会(会員なら誰でも発表する機会が与えられる会議)が開催された。 僕のいる研究室のほぼ全員がそこで研究発表を行った。 これは僕たちの毎年の恒例行事である。 この会議では、学生の発表するセッションとそれ以外の人の発表するセッションが明確に分かれていて、学生セッションと一般セッションと呼ばれている。 学生セッションの特徴は、10件程度の発表がある各セッションで最も優秀な発表に、学生奨励賞と呼ばれる賞が与えられることである。 この賞は基本的にセッションの座長によって決められる。 そのため、僕が見ていてあまり適切とは思えないものが選ばれることもあるが、たいていの座長は観客が納得できる理由で納得できるものを
大変ご無沙汰しています。 昨年末から1月にかけてはあまりにもいろいろあって、ブログを見たり書いたりすることができませんでした(今日になってデータベースがダウンしていたことに気がつきました。ブログを停止したと思われた方もいらしたと思います。大変失礼しました)。 最近、僕のいる研究室では、メンバー全員が自分専用のWiiリモコンを持って会議(研究室のゼミ)に参加しています。 それ以前は、以下の写真に示すような会議3点セットと呼ばれるツールを使っていました。 これらは、発言を開始するときに上に掲げてアピールすると同時にメタデータを作成するための2枚の議論札、発言中にスクリーン上の対象を指し示すためのレーザーポインタ、そして、発言を評価したりマーキングしたりするためのdボタンと呼ばれるボタンデバイスです。 ほぼ同時に使用する道具が3種類もあると、持ち替えたりする手間が増え操作が煩雑になって使い勝手が
構想から半年にしてようやくWiiリモコン用のオリジナルデバイスが完成しました。 赤外線にIDがエンコードされた新型センサーバーと、Wiiリモコンに装着する赤外線デコーダです。 赤外線デコーダは、Wiiリモコンの拡張コントローラとして動作します。 以下の写真をご覧ください。 上が新型センサーバー(上から2点バージョンと1点バージョン。電源はUSBから取ります)、下がデコーダ付きリモコンです。 デコーダのケーブル(Wiiのヌンチャクのものを切ってコネクタを付けたもの。ヌンチャクと接続して使うこともできます)が筺体の横に接続されている理由は、リモコンを持つときにケーブルが邪魔にならないようにするためであり、またデコーダの後方には新しいセンサーをマイコンに接続できるようにするための拡張用コネクタが付いているからです。 デコーダの基板は以下の写真のようになっています。 ちなみに、マイコンはATMEL
僕のいる研究室で制作された、多人数が同時にWiiリモコンを使って行うゲーム「ポインタ危機一髪(別名、ポインタスター。略称、ポイスタ)」をご紹介します。 名前からおわかりのように、これは「黒ひげ危機一発(なぜ危機一髪じゃないの?)」という有名なおもちゃにインスパイヤされています。 Wiiは4人まで同時に遊べますが、このゲームは基本的にいくらでも人数が増やせるようになっています。 ただし、同時に遊べる人数はマシンパワー(および画面の解像度)に依存します。 以下の写真は、研究室のメンバー12人が一緒に遊んでいる様子です(写真には一部の人しか写っていません)。 実は、これは多人数が同時にポインタを使って画面上で操作するとどのくらい迷惑なことになるか(自分のやっていることの邪魔になるか)を調べるための一つの実験なのです。 それぞれのポインタは色分けされており、場合によっては移動の軌跡を残すことができ
最近、「CONTENT'S FUTURE ポストYouTube時代のクリエイティビティ」(小寺信良・津田大介著 翔泳社 2007)という本を読んだ。 この本は複数の人との対談集なので、いろいろな人のいろいろな意見がざっくばらんに入っていて、主張点が分散してしまい、内容が記憶に残りにくい。 そこで、この本を僕なりに編集し直して、何が言いたいのかもう少しわかるようにしてみようと思う。 この本はコンテンツの未来を語るというより、コンテンツの今(つまり現実)を語っている部分が多い。 実際にコンテンツの制作に関わっている人を多く集めているのだから当然だけど。 この本は今後現れるであろう新しいタイプのコンテンツについてはほとんど何も言っていない。 多少思いつき程度で語られているものはあるけれど、実は今のテクノロジーですでに実現されているもので、未来のコンテンツと言えるほど発想が飛躍しているものではない
前回のエントリーからの続きです。 ネット時代のコンテンツの共有に関して、音楽業界の人がいいことを言っている。 「かたやコンテンツホルダー側から見ると、YouTubeはもう既成事実としてあるわけじゃない。 で、ぶっちゃけあれに対してどう接していいのかわからないんですよ。 僕も「ネットの違法コピーがこれだけあるから逸失利益がこれだけある」みたいに数字を仮定で算出するバカらしさは理解できるけど、でもじゃあYouTube的な違法コピー認めるの?って言われたら「No!」と言わざるを得ないし、業界はそういう方法でしか身を守る手段がわからないんじゃないかな。 「違法は違法じゃねえか!」っていう。 逆に言えば、行政の側もそれくらいしか提示できないんだよ。 彼らもどうすればいいかわからなくなっている。 だからね。 補償金の議論で言えば、僕は「補償金」って名前に抵抗感のあるユーザーがいるんだったら、じゃあ補償
僕のいる研究室で研究開発されたビデオシーン検索システムDivieが一般公開されてからほぼ半年が経過しました。 これを開発した学生は、この研究に関する論文で2つの学会から賞をいただきました。 しかし、Divieのビデオシーン検索が一般に浸透しているとはまだとても言えない状況です。 Synvieのシーン引用型ビデオブログ(このエントリーがその例)も同様ですが、もっと多くの人に使ってもらえるための努力をするべきだと思っています。 たとえば、シーン検索やシーン引用の意義やありがたみがよくわかるように説明して、多くのビデオ共有サイトにその仕組みを取り入れてもらえるように働きかけることです。 それは、学生ではなく、僕がやるべき仕事だと思いますが、まだちょっと戦略が練りきれていないのです(そもそも僕はビジネストークが苦手ですし)。 その理由として、一般ユーザーが投稿するビデオはほとんどの場合あまり時間が
表題は、任天堂の最新のゲーム機の名称Wii(ウィー)とInnovation(イノベーション。革新)を合わせた言葉である(そのまんまで恐縮です)。 以前にこのブログで紹介した「超ダートマス会議」の賞品としてWiiを購入したときに、ちょっと興味が湧いたので、研究用にさらに3台購入して、いろいろ試してみた。 実はゲームマシンを購入したのは生まれて初めてのことである(ゲームはPCで十分だと思っていた)。 Wiiリモコンとそのユーザーインタフェースはまったくすばらしい。 民生用のデバイステクノロジーに心が躍らされたのは、最近ではiPod(特にクリックホイール)以来である。 ケータイやカーナビに続いて、世界に誇れる日本の情報技術がまた一つ誕生したのだな、と思う。 これを作ったことで任天堂はさらに大きく飛躍し、作れなかったことでソニーは(この業界で)敗北したのだと思う。 日本の家電メーカーは、Wiiのテ
最近ようやく、僕たちが以前から作ってきた個人用知的移動体ATの9番目の機体の設計がほぼ完了した。 今回は構造が以前のものより複雑なため、詳細な設計はプロの人にやっていただいたのだが、基本的な仕様やデザインは僕が考えたものである。 今年の9月までにはとりあえず動くようにして、学外の人にもお披露目しようと思っていますので、興味のある方は是非見に来てください(ただし、場所は名古屋大学です)。 AT9号機の最大の特徴は、全方位に動けることである(全方向と言わないのは、上下方向にはまだ動けないからである)。 僕はそのような移動体を「オムニムーバー(OmniMover)」と呼んでいる。 オムニムーバーは、セグウェイのようにその場回転をして任意の方位を向いてから走行するようなものではない。 静止状態からならばどの方位にもすぐに動けるのである。 すでに動いている状態で任意の方位に動くためには慣性を何とかし
僕は、今月の20日から宮崎シーガイアで行われる人工知能学会第21回全国大会のプログラム委員長をしています。 全国大会というのは、学会の会員向けサービスの一つで、会員なら誰でも(一応、内容が適切かどうかのチェックがありますが)研究発表の機会が与えられ、優れた研究は学会の名によって表彰されるという、学会にとって最も重要なイベントなのです。 今回の大会では、有名なプログラミング言語Rubyの開発者まつもとゆきひろさんの招待講演もあります。 といっても、例年特に盛り上がりもなく、ただ淡々と「集まって、発表して、発表が終わったら適当に観光して帰る」という普通の会議になってしまうことも多いのです。 それで、今年はちょっと目新しいことをやってみようと思いました(ちなみに、昨年は「研究者の人生ゲーム」というイベントが行われて、そこそこ盛り上がったそうです)。 全国大会は300人以上が集まる会議ですが、そこ
はじめに断っておきますが、これは愚痴です。 教育に対する僕の信念は「学生を鍛えることに関して妥協をしない」ということである。 教育というのは極端なことを言えば、相手に特に望まれてもいないものを与えようとするおせっかいである、と思っている。 それでも僕は学生を鍛えたいと思う。 それは僕の方が学生よりも時間的に長い範囲のことを考えることができるからである。 しかし、どうしても学生に持たせることができないものがある。 それは「責任感」である。 これだけは、学ぶという行為からは得られないと思う(働くという行為からは得られる可能性がある)。 いろいろなことがわかるようになる、あるいは(具体的なことが)できるようになることと、責任感を持てるようになることはまったく次元の異なることだからである。 責任感を持てる人間は、もともとその素養のある人間だと思う。 僕がこれまで、この人は真面目な人だと思った人はす
人間の脳をダイレクトにコンピュータにつなげるという研究があるらしい。 血管内に挿入して治療に用いるカテーテルを電極として用いて、首のあたりから脳に侵入させるのだそうである。 電極を脳の神経系に直接つなげるわけではないと思うが、頭の皮膚に貼り付けるタイプの電極と違って、頭蓋骨によって減衰することはないし、かなり高い精度で脳内の電気信号を測定できるだろう。 昔から、ブレインマシンインタフェースという研究領域はあったけれど、脳波や脳内の血流を測定して精神生理学的状態を推論しマシンの制御に用いる、という一方向的なものが多かった。 しかし、電極を脳に挿入すれば、おそらく双方向の情報伝達ができるだろう。 ロボトミー(lobotomy)のように人間の感情や意識に多大な影響を与えることになるだろう。 その結果、人間の記憶がマシンを経由して統合されるだろう。 そして、記憶の統合された複数の人間はまるで一人の
連休中にやろうと思っていたことの半分もできなくて残念です。 ワードローグのコーディングも途中で投げ出したままだし、本の原稿も完成してないし。。。やれやれです。 つくづく未来の予測はむずかしいと思う。 PDF(Portable Document Format)やドローツールのIllustratorで有名なAdobe(アドビシステムズ社)が、SVG(Scalable Vector Graphics)のサポートを停止する(正確には、SVG表示ソフトのSVG Viewerに関して、2007年末にサポートを、2008年末に配布を終了する)、という発表をしたのを聞いて、「しまった、読みを間違えた」と思ったのである。 SVGは、PDFとほぼ同じ表現能力を持つ、Webブラウザ向けのベクターグラフィック言語のことである。 実は、SVGが発表され、Adobeがそのビューア(Webブラウザのプラグイン)を公開し
多くの人にとって、ネットでの検索と言えば、たいてい、自分の要求にかなうコンテンツを見つけることを指すだろう。 しかし、ある程度大きなボリュームを持ったコンテンツの場合は、コンテンツを見つけるだけでは不十分であり、そのコンテンツの中身に対する検索も必要になる。 たとえば、ある調べものをしているときに関連する専門書を発見できたとして、その本のどの部分に知りたいことが書かれているのか、さらなる検索が必要だろう。 スニペット(snippet)と呼ばれる、検索エンジンの検索結果に含まれるテキスト情報のように、検索キーワードに関連したコンテンツの一部分を抽出して表示するというやり方があるが、キーワードがそのコンテンツ内にどのように分布しているのか、たとえば、一部にしか現れていないのか、あるいは万遍無く現われているのか、などを詳細に知りたい場合があると思う。 つまり、当然ながら、コンテンツ検索の次にはコ
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