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□「愛嬌を振りまく」の意味…周囲に、好感の持てる態度・言動を取ること。 □「愛想を振りまく」はこれまで誤用とされてきましたが、最近では複数の辞書に正しい使い方として記載されています。ただし、まだ誤用扱いされる場合も多いので、試験や公の場では使用に注意してください。 □○を選んだ割合49.1%、△を選んだ割合42.7%【平成27年度調査】 青田買い
□ 意味…家宝として代々伝わる名刀。いざという時以外に使用しないもの。奥の手。 正しい言い方は「伝家の宝刀(でんかのほうとう)」であり、「天下の宝刀(てんかのほうとう)」という使い方は誤用とされています。 元々は「家宝として代々伝わる名刀」という意味の言葉でした。そうした名刀は肝心な場面や危機的状況下でしか使われないことから、「いざという時以外に使用しない奥の手」という意味を持つようになりました。「最も優れている」という意味の「天下」と混用しないようにしましょう。また、「家伝(かでん)の宝刀」も「伝家の宝刀」と同じ意味の言葉です。 平成24年度に文化庁が実施した世論調査では、「伝家の宝刀」という本来の言い方を選んだ人が54.6%、「天下の宝刀(てんかのほうとう)」を選んだ人が31.7%という結果がでました。 「伝家の宝刀」の使い方・例文 「伝家の宝刀」は、めったに使われない奥の手のことです
□ 意味…恥を仕返すことで除き去ること。多くは、競技などで以前負けたことがある相手を破って、名誉の回復をなしとげる場合に使われる。 本来の言い方は「雪辱を果たす(せつじょくをはたす)」であり、「雪辱を晴らす(せつじょくをはらす)」という使い方は誤用とされています。 「雪辱」の意味は「恥を除き去る」ですから、これに「不快感などを取り除く」という意味の「晴らす」を付け足すと重複表現になってしまいます。 「雪辱」には、「成し遂げる」という意味の「果たす」を付けてください。 また、「晴らす」が付く正しい意味の慣用句は、「屈辱を晴らす」「恨みを晴らす」「疑いを晴らす」です。「雪辱を果たす」と混同しないようにしましょう。 令和元年に文化庁が実施した世論調査では、「雪辱を果たす」という本来の言い方を選んだ人が38.3%、「雪辱を晴らす」を選んだ人が50.5%という結果がでました。 「雪辱を果たす」の例文
「不義理なことがあって、相手の家に行き難くなる」が「敷居が高い(しきいがたかい)」の本来の意味で、「高級過ぎたり格が高かったりして入りにくい。近寄りにくい」「達成するのが困難。気軽に挑戦できない」という意味で使うのは、長らく誤用だとされてきました。 しかし近年、『三省堂国語辞典 第7版』には「近寄りにくい」、『広辞苑 第七版』には「高級だったり格が高かったり思えて、その家・お店に入りにくい」という意味が記載されました。ですから完全に誤用扱いはできなくなりましたが、まだ一部の辞書に載っただけですので誤用扱いする人も多くいます。相手によっては言い換え表現を使った方がいい場面もあるでしょう。 また、単に「達成するのが困難。気軽に挑戦できない」という×の意味で使われ始めたのは1980年以降で、この意味を載せているのは『三省堂国語辞典 第7版』だけです。戦前から使われていた「高級だったり格が高かった
□ 意味…わずかな暇も無駄にしないさま。 「寸暇を惜しんで(すんかをおしんで)」が正しい言い方で、「寸暇を惜しまず(すんかをおしまず)」という言い方は誤りとされています。 寸暇の意味は「わずかな暇」で、惜しむの意味は「大切に思う」です。ですから「寸暇を惜しまず~する」と伝えてしまうと、「わずかな暇を大切に思わない=時間を無駄に使う」と意思表示することになってしまうので注意してください。 「惜しむ」は他にも「出し惜しむ」という意味を持ち、その意味で使われている「骨身を惜しまず」や「努力を惜しまず」との混交から誤用が広がったと考えられています。 文化庁が毎年行っている世論調査(平成22年度)によると、本来の言い方である「寸暇を惜しんで」と答えた人の割合が28.1%、誤った言い方である「寸暇を惜しまず」と答えた人の割合が57.2%となりました。 「寸暇を惜しんで」の例文
□ 意味…心身の全力を尽くして行う。 本来の言い方が「心血を注ぐ(しんけつをそそぐ)」で、「心血を傾ける(しんけつをかたむける)」という使い方は誤用とされています。 心血は肉体と精神の両方を意味しており、精神だけを意味する「心を傾ける」「精魂を傾ける」という言い方は正用とされています。 しかし「心血を傾ける」の用例は100年以上前からあり、「心血を注ぐ」と近い時期に使われ始めた言葉なので誤用とまではいえないと考える人もいます。 平成19年度に文化庁が実施した世論調査では、「心血を注ぐ」という本来の言い方を選んだ人が64.6%、「心血を傾ける」を選んだ人が13.3%という結果がでました。 「心血を注ぐ」を使った例文
□ 意味…大勢の中から犠牲者として選ばれる。また、大勢の中から特に選ばれる。 本来の言い方が「白羽の矢が立つ(しらはのやがたつ)」で、「白羽の矢が当たる(しらはのやがあたる)」という使い方は誤用とされています。 現代では「大勢の中から犠牲者として選ばれる」という悪い意味で使われることは少なく、「大勢の中から特に選ばれる」という良い意味で使われることの方が多いです。 平成29年度に文化庁が実施した世論調査では、「白羽の矢が立つ」という本来の言い方を選んだ人が75.5%、「白羽の矢が当たる」を選んだ人が15.1%という結果がでました。 「白羽の矢が立つ」の由来、昔は悪い意味の言葉だった 日本各地には、「神への生け贄に選ばれた少女の家の屋根に、白い羽のついた矢が立てられた」という古い伝承が残っています。 このことから「白羽の矢が立つ」は、「大勢の中から犠牲者として選ばれる」という悪い意味で使われ
□ 意味…食欲が起こること。欲望や興味が起こること。 本来の言い方が「食指が動く(しょくしがうごく)」で、「食指がそそられる(しょくしがそそられる)」という使い方は誤用とされています。 食指とは人さし指のことなので、「食指(人さし指)がそそらえる」「食指(人さし指)が伸びる」「食指(人さし指)が起こる」という言い方は誤りです。「触手を伸ばす(欲しいものを得ようと徐々に働きかけるの意)」との混同にも注意しましょう。 平成23年度に文化庁が実施した世論調査では、「食指が動く」という本来の言い方を選んだ人が38.1%、「食欲をそそられる」を選んだ人が31.4%という結果がでました。 「食指が動く」の由来・語源 「食指が動く」の由来は、中国の魯の歴史を記した『春秋』の注釈書『春秋左伝(しゅんじゅうさしでん)』にあります。 それは、鄭(てい)という国の子公・公子宋(こうしそう)が君主に会いに行く道中
□ 意味…伝統的なやり方にのっとった様子で。 伝統的な言い方が「古式ゆかしく(こしきゆかしく)」で、「古式豊かに(こしきゆたかに)」という使い方は誤用とされています しかし、一部の辞書(新明解国語辞典・第7版など)では「古式豊かに」の用例を許容しているので、今後正しい言い方として認められるようになるかもしれません。 また、「古式床しく」の「床」は当て字です。 文化庁が行った世論調査(平成22年度)で「古くからのやり方にのっとった様子で」を表す言い方を質問したところ、「古式ゆかしく」という言い方を選んだ人の割合が67.3%、「古式豊かに」を選んだ人の割合が15.2%という結果がでました。 「古式ゆかしく」を使った例文
「青田買い」の意味 意味1.稲の成熟前に、あらかじめ収穫量を見越して先買いすること。 意味2.優秀な人材確保のために、卒業予定の学生と早くから雇用関係を結ぶこと。 例文「就活の時期を極端に早めるような青田買いは、学生や生徒に負担を強いるので控えるべきだ」「しかし、実際には学業に影響が出るような青田買いが平然と行われている」「Bがやたら優秀だと思っていたら、青田買いで入社したと聞いて腑に落ちた」 「青田買い」の意味2は「優秀な人材確保のために、卒業予定の学生と早くから雇用関係を結ぶ」場合に使うため、この意味で「青田刈り」を使うのは誤用です。 誤用した場合は「能力の優劣を問わず、卒業予定の学生と早くから雇用関係を結ぶこと」という意味になってしまいます。 しかし、平成26年度に文化庁が実施した世論調査では、正しい言い方を選んだ人が47.4%、誤った言い方を答えた人が31.9%でした。約3割の人が
「檄を飛ばす」の正しい意味 ○ 自分の主張を人々に伝えて同意を求めること。また、そうすることで決起を促すこと。 「檄を飛ばす」の正しい意味は「自分の主張を人々に伝えて同意を求める。また、そうすることで決起を促す」ですから、「激励する」という意味で使うのは誤用です。 「檄を飛ばす」の「檄」は、「激励」の「激」とは別の字なので混同しないようにして下さい。 平成29年度に文化庁が実施した世論調査では、正しい意味を選んだ人が22.1%、誤った意味を答えた人が67.4%でした。 現状は誤用する人の方が多数派なので、場合によっては類語に置き換えようにしましょう。 「檄を飛ばす」の使い方・例文 「檄を飛ばす」は、2つの条件「自分の考えや主張を広く伝える」「そうすることで同意を求めたり決起を促したりする」に当てはまる場合に用います。 例文 ■部活の顧問は初めて行ったミーティングの際、指導方針が伝わるように
□ 意味…全ての神々に誓って。天地の神々に誓って。 本来の言い方が「天地神明(てんちしんめい)」なので、「天地天命(てんちてんめい)」という使い方は誤用です。 「天地天命に誓う」は意味をなさない言葉です。それに「神明」を「神命」と誤って書かないように注意しましょう。 「天地神明」の意味は、「全ての神々。天と地の神々」です。 この語は弁明や釈明をする際に、「全ての神々に誓っているので、自分の言っている事に嘘偽りはない」というような意味合いで使われます。 「天地神明に誓って」の形の他には、「天地神明にかけて」の形でも使われます。 また、文化庁が実施した国語に関する世論調査(平成30)年度では、正しい言い方を選んだ人の割合が32.1%、誤った言い方を選んだ人の割合が53.7%でした。誤答率が全ての年代で50%を超えており、正答率は16~19歳が目立って低く13.6%しかありませんでした(20代・
□ 「足をすくわれる」の意味…隙をつかれて、失敗・敗北に導かれる。 本来の言い方とされる「足をすくわれる」は多くの辞書に記載されていますが、誤った言い方とされる「足元をすくわれる」は一部の辞書にしか記載されていません。 「掬う(すくう)」の意味は、「下から持ち上げるようにして払う」です。誤用であると主張する人たちは、「『足下』は足の周辺のことなので、地面や空間をすくうことはできない」という理屈を根拠にしています。 しかし三省堂国語辞典の編集委員の飯間浩明さんは、「『足下』には足先・足の下部という意味があるため、『足下をすくう』ことは可能」との見解を示しています。1947年には戯曲「廃墟(三好十郎)」で「足下をすくう」が使われており、「足をすくう」が使われ始めたのも同時期です。 三省堂国語辞典などの一部の辞書には「足下をすくう」が載っているので、今後他の辞書にも記載されるようになるかもしれま
□ 「いやが上にも」の意味…なおその上に。なお更に。 □ 「否が応でも」「否でも応でも」の意味… 「何がなんでも。無理にでも」 本来の言い方が「いやが上にも」なので、「いやが応にも」という使い方は誤用です。 「いやが上にも」の「いや」は漢字で「弥(旧字体・彌)」と書き、「弥」の意味は「段々と状態が甚だしくなるさま」です。ですから「いやが上にも」の意味は、「ただでさえ甚だしい状態なのに、その上に・更に=なおその上に・更に」となります。 この語は、「ますます~」「一層~」と伝えたい場合に使って下さい。 また、「嫌が上にも」は誤字です。 一方、「いやが応にも」は誤った言い方で、正しくは「否が応でも(いやがおうでも)」と言います。 「否が応でも」と同じ意味の言葉に「否でも応でも(いやでもおうでも)」があり、この「否」は「不承知」、「応」は「承知」を表しています。つまり「承知でも不承知でも=何がなん
「老害(ろうがい)」の本来の意味は「組織の指導的立場を高齢者が占め、若返りが行われない状態」ですから、「傲慢・横暴・時代遅れな高齢者。また、そういう高齢者がもたらす害」という意味ではないのです。 この語は「集団・組織の中心人物の若返りが行われていない状態」を意味し、 高齢者を直接批判するような意味は含まれていません。 ですが現在のネット上では、誤った意味で使われる事が殆どですね。「老害」という言葉は40年ほど前には存在していて、20年ほど前に一気に使う人が増えました。比較的新しく出来た言葉なので、意味が変化しやすい時期であると考えられます。今後「傲慢・横暴・時代遅れな高齢者。また、そういう高齢者がもたらす害」の語義を加える辞書が出てくるかもしれません。 「老害」を使った例文
「妙齢(みょうれい)」の本来の意味は「若い年頃。特に、女性の若い年頃についていう」なので、「中年の女性。若いというには微妙な年齢」という意味で使うのは誤用です。 現代では男性に対して使われることは殆どなくなり、「妙齢の女性」「妙齢の婦人」「妙齢の美人」の形で20代前半までの女性によく使われます。 「妙」の字には「若い」という意味がありますが、「微妙」にも使われているため「微妙な年齢の意」と誤解する人が増えたのかもしれません。「奇妙」「巧妙」「絶妙」「珍妙」など、他の「妙」を含んだ熟語から「若い」という意味を類推することも無理でしょうね。 「婦人」と一緒に使われる事も多く、「婦人」と「夫人」を勘違いして「中年の女性」というイメージが付いたとも考えられます。 ただ、時代によって「若い年頃」の認識は違いますし、昔よりも上がっています。高齢者・中年・若者のそれぞれで、「若い年頃」が異なっているかも
「閲覧(えつらん)」の正しい意味は「書物・書類・ウェブページなどを調べながら読むこと」ですから、「動画や芸術作品を鑑賞すること」という意味で用いることはできません。 動画や芸術作品を単に楽しんでいる場合や単に見ている場合には「閲覧」を使いません。その場合は「観る・見る・視聴する・鑑賞する」などの言葉を使って下さい。 「閲覧」は、書物・書類・ウェブページなどを調べながら読む場合にだけ用いましょう。 「観覧(かんらん)」は「見物すること」と「書物を見て調べること」という意味を持っていますが、後者の意味で用いられることは殆どありません。 「観覧」は、主に催し物・名所・景色などを見て楽しむ場合に使います(動物園の観覧、大相撲の観覧、美術展の観覧、テレビ番組の観覧など)。 また、過激な動画であることを警告するために「閲覧注意」という使い方をするのも誤用です。 「閲覧注意」は「調べながら読めるもの」に
「情けは人の為ならず(なさけはひとのためならず)」の正しい意味は「人に情けをかけておけば、やがて良い報いが自分に戻ってくる」ですから、「情けをかけるのは、かえって人の為にならない」という意味で使うのは誤用です。 「人の為ならず」は「人の為にならない」という意味ではなく、「人のためではない(=自分のため)」という意味です。「他人への親切は巡り巡って自分のためになる」と伝えたいときに用いて下さい。 平成22年度に文化庁が実施した世論調査では、本来の意味を答えた人が45.8%、間違った意味を答えた人が45.7%でした。 「情けは人の為ならず」の語源・由来 「施せし情けは人の為ならず 己がこころの慰めと知れ」 「我人にかけし恵みは忘れども ひとの恩をばながく忘るな」 出典…[新訳]一日一言: 「武士道」を貫いて生きるための366の格言集 この言葉は、旧五千円札の肖像にもなった新渡戸稲造(にとべいな
「やおら」の本来の意味は「ゆっくりと事を行うさま」なので、「急に。唐突に」という意味では使えません。 「やおら」は副詞ですから後ろの用言に係り、「やおら歩き出す(ゆっくりと歩き出すの意)」というように使います。 誤用が広まったのは、「ゆっくり」と「急に」の両方に解釈できる場合が多いのが原因かもしれません。「やおら歩き出す」「やおら立ち上がる」と言われた時にこの語の意味を知らなければ、「急に歩き出す」「急に立ち上がる」と誤って解釈する人もいるでしょう。 「やにわに(突然に)」との混同も考えられます。 また、一部の地域では70年ほど前から誤った意味で使われていたようです。 平成29年度に文化庁が行った「国語に関する世論調査」では本来の意味を選んだ人が39.8%、間違った意味を選んだ人が30.9%という結果が出ています。 「やおら」の類義語 ◇徐に(おもむろに)…動きが落ち着いているさま。 ◇徐
「天地無用(てんちむよう)」の正しい意味は「上下を逆さまにしてはいけない」ですから、「上下を気にしないでいい」という意味で用いるのは誤っています。 「天地」の意味は「荷物の上下」、「無用」は「してはいけない」という意味です。「無用」に「してはいけない」という意味があることを知らない人が増えたのが、誤用が広がった理由の一つと考えられます。 「無用」には他にも「いらない」「用がない」などの意味があります。この事から「上下の心配はいらない」「上下に用がない=上下は関係ない」などと誤った解釈をする人が増えたのかもしれません。 また、「天地無用」は元々運送業などで使われていた業界用語のようで、配達物の梱包の外側などに書かれていました。昔は、「天地入替無用」「天地を逆さにすること無用」などと書かれ、「入替」「逆さにすること」などの言葉が併せて使われていました。しかし、現在はそういった言葉が省略されてし
「枯れ木も山の賑わい(かれきもやまのにぎわい)」の本来の意味は「つまらないものでも無いよりまし」なので、「人を多く集めれば賑やかになる」という意味で使うのは誤用です。 枯れ木は「つまらないもの」、山は「その場所」の事です。この語は、「枯れ木のようなつまらないものでも殺風景な山に趣を添えることができ、ないよりもあった方がその場が賑やかになる」という状況を上記の意味に例えています。 「枯れ木も山の賑わい」は、参加を求められた側・招待された側が自らや身内を「つまらないもの」と謙遜して使う語です。参加を求めた側・招待をした側が使うと「つまらないもの(相手)でもないよりもまし」と認識している事になるので、非常に失礼な誘いとなってしまいます。特に、目上の人やお年寄りには用いないように注意しましょう。 文化庁が平成26年度に実施した「国語に関する世論調査」では正しい意味を答えた人が37.6%、間違った意
「まんじり」の主な意味は「少し眠る」で、否定形の「まんじりともせず」「まんじりともしない」にして多く用いられています。ですから「まんじりともせず」の正しい意味は「少しも眠らない」となり、「少しも動かない」という意味で使うのは誤用です。 この語は、心配して寝れなかったり状況的に睡眠がとれなかったりする場合によく用いられます。 「まんじり」には他に、「じっと見つめる」「何も手につかないでいる」という2つの意味があります。「じっと見つめる」の意味は動いていない状態に使われることが多いため、誤った意味「少しも動かない」と勘違いする人が増えたのかもしれません。 また、本来の意味「少しも眠らない」は、誤った意味「少しも動かない」と同じく活発に行動しない場合に使われることが多いです。ですから誤って用いたのかどうかが分かり難く、この事も誤用が広まった理由の一つと考えられます。 平成25年度に実施された「国
「噴飯もの」の本来の意味は「あまりのおかしさに、思わず吹き出して笑ってしまう事柄」なので、「とても腹立たしいこと」という意味で使うのは誤用です。 噴飯は「あまりのおかしさに、思わず口の中の食べ物を吹き出して笑ってしまう」という意味の言葉ですから、「噴飯もの」はそのおかしい事柄に対して使います。 この語は、単に面白くて笑う場合と嘲笑する場合の両方に使えますが、後者の意味で使われる事の方が圧倒的に多いです。ですから面白くて笑うという意味で使っても、嘲笑していると誤解される可能性があります。相手や状況によっては、言葉を言い換えた方がいいでしょう。 また、文化庁が平成22年度に実施した「国語に関する世論調査」では本来の意味で答えた人が19.7%、間違った意味で答えた人が49.0%でした。正答した人の2倍以上の人が間違った意味を選んでおり、分からないと答えた人が27.4%もいました。 「噴飯もの」を
「初め」と「始め」の意味 1.はじめること。また、開始時期。 例文「仕事始め」「手始め」「映画を観始める」 2.起こり。起源。 例文「民族の始め」 3.最初の頃。副詞的にも使う。 例文「初めから上手かった訳じゃない」「一学期の初めに仲良くなった」 4.順序の一番先のもの。 例文「年の初め」「月初め」「初めに電源スイッチを入れ、次にパスワードを打ち込む」 5.多くの中で先に立つもの。また、代表的な例となるもの(「~をはじめ」「~をはじめとして」の形で使う)。 例文「会長をはじめ皆様方にはお世話になりました」 6.一部始終。 「初め(はじめ)」と「始め(はじめ)」の意味に大きな違いはありません。しかし、慣用的に使い分けがされており、「初め」は「最初」の意味合いを表す場合に用いられ、「始め」は「開始」の意味合いを表す場合に用いられています。 「初め」の主に使われる意味「3.最初の頃」「4.順序の
「混ぜる」を使う場合 「混ぜる」:別々のものを一緒にした後で、元のものを区別・分離できなくなる場合に使う。 例文「紅茶に砂糖を混ぜる」「複数の絵の具を混ぜ合わせて別の色を作る」「水と卵と小麦粉を加えて混ぜる」 「交ぜる(まぜる)」と「混ぜる(まぜる)」はどちらも「別々のものを一緒にする」という意味の言葉ですが、一般に使い分けがされています。 「交ぜる」は別々のものを一緒にした後で元のものを見分けられる場合に用い、「混ぜる」は別々のものを一緒にした後で見分けがつかなくなる場合に用います。 しかし、男女の組合わせであることが前提の「男女混合チーム」や、複数のパートの組合わせであることが前提の「混声合唱」には、「混」の字が使われていますね。これは混声合唱の一部のパートを除いたり、男女混合チームの男性か女性のどちらかを除いたりすると存在自体が成立せず、分離できないため使われているのです。 また、ト
「姑息(こそく)」の本来の意味は「その場しのぎ。間に合わせに物事をする」なので、「卑怯なさま」という意味で使うのは誤用です。 この語は、「根本的な解決策を講じるのではなく、その場しのぎで状況を切り抜ける」と伝えたい時に使います。 「姑息な手段(その場しのぎの手段)」など、方法や行為に対してよく使用されます。 ただし、根本的な解決を図らず「その場しのぎ」の方法を取り続ける人は、「卑怯(正面から立ち向かわないことの意)」と評価されてしまうことがあります。「急場をしのぐために姑息な方法を取ったな」という文だけでは、正しい意味で使っているか誤った意味で使っているかを判別できませんね。 「姑息」と「卑怯」は用いられる状況が似ているため混同されやすい言葉です。きちんと文脈を捉えて相手が何を伝えたいかを正確に理解できるようにして下さい。 また、文化庁が平成22年度に行った「国語に関する世論調査」では正し
須く(すべからく)の正しい意味は「当然の事として。是非とも」で、「全て。全部。皆」という意味で使うのは誤用です。 字面・読みが時代掛かった言葉なので、類義語を使った方が違和感のない文章になる場合も多々あります。 「須く(すべからく)」の使い方 使用頻度の低い語で、語尾には「べき」「べし」を付ける 「須く」は、「何かをすべき」「何かをしなければならない」「何かをする必要がある」といった文脈で用いられます。ただし、書き言葉として使われる事が多く、日常会話で使われることはあまりありません。 また、本来の用法は後に「~べき」「~べし」という言葉を伴いますが、それらの代わりに「~しなければならない」を伴って用いたり、「~べき」「~べし」「~しなければならない」を省略する人も増えてきています。 正用か誤用かが分かりにくい もう一つ注意しなければならないのは、正用か誤用かが分かりにくい場合です。 例えば
「確信犯」の正しい意味 ○ 政治的・思想的・宗教的等の信念に基づいて行われる犯罪。また、その犯人。政治犯。思想犯。 「確信犯(かくしんはん)」の本来の意味は「政治的・思想的・宗教的等の信念に基づいて行われる犯罪。また、その犯人。政治犯。思想犯」です。この言葉は、「法に触れることを知りつつも、信念に基づいて正しいと確信してなされた犯罪や、その犯人」に対して使われます。 ですから、「悪事だと分かった上で行われる行為。また、その行為者」という意味で使うのは誤用です。信念のない犯罪や、犯罪ではない行為には使えません。×の意味に当たる言葉は「故意犯(こいはん)」です。 「確信犯(かくしんはん)」は法律用語ですが、この言葉が一般に浸透するにつれ「故意犯」の意味で誤用されるようになりました。 最近では誤用する人の方が多数派になったため、×の意味を載せる辞書が徐々に増えてきています。 また、文化庁が平成1
「にやける」の本来の意味は「男性が女性のように、なよなよとした色っぽい態度を取る」で、「薄笑いをする。にやにやする」という意味で使うのは誤用です。 「にやにや(声を出さずに、意味あり気に薄笑いをするの意)」や、「にやつく(にやにやするの意)」と語感が似ていますが、意味が全く違うので注意しましょう。 また、「にやにや」は女性にも使える言葉ですが、「にやける」は男性のみを対象にした言葉ですから女性には使えません。 「にやける」を使った例文 正しい意味「男性が女性のように、なよなよとした色っぽい態度を取る」の例文
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