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戦時中の東京、関東地区の高射砲陣地があった場所を特定して現在の地図にプロットする作業を一年ほど続けている。現在の東京で当時の痕跡を留めるものはほとんど残っていない。そもそも街の中にそんなものがあることも知らなかった。果たして当時はどうだったのだろう。78年前の今日、東京は火の海だった。 1945年(昭和20年)3月10日の未明、米軍の325機のB-29爆撃機が房総沖より東京上空に侵入する。深川区、本所区、浅草区、日本橋区、そして芝区(港区)へと爆撃範囲は広がる。投下された焼夷弾は38万1300発、1665トン。死者は10万人、焼失家屋26万8千戸、罹災人口100万人。後に東京大空襲と呼ばれる下町エリアの無差別爆撃であった。日本側も戦闘機46機が迎撃、地上からは高射砲で応戦している。撃墜したB-29爆撃機は14機(日本側資料*では撃墜18機、66機損傷)
年の始めはフィギュアの話をしてみます。去年の正月の記事がそうだったからという訳でもないのだけど、車両のキットレビューみたいなプロダクツの解説よりは、フィギュアを通して見える世界のことを、日常のルーティンに飲み込まれる前のこのタイミングで語るのは悪くない気がします。
桜花(おうか)。日本軍が戦争中に開発した「特殊滑空機」。機首部に大型徹甲爆弾を装着、加速用のロケットを3本搭載してグライダーのように滑空する。着陸装置は持たず、飛行士が自ら操縦して目標を攻撃(体当たり)するための、いわゆる特攻兵器である。桜花11型は戦争末期に755機が生産され、55機が出撃。 離陸機能はなく、大型爆撃機に吊り下げて目標近くまで誘導する必要があった。しかし母機の一式陸攻(設計搭載量800kg)にとって2140kgの桜花は完全にオーバーウェイト。鈍重な爆撃機は相手の戦闘機にとって、もはや格好の標的でしかなかった。実際、初陣となる1945年3月21日の作戦では、部隊は敵のレーダーに補足されたちまちF6Fヘルキャットの迎撃を受ける。出撃した一式陸攻18機は桜花もろとも全滅、援護した零戦隊も30機中10機が未帰還という惨憺たる結果に終わっている。
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