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ルーチョ・チェッキネロ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ルーチョ・チェッキネロ
2011年イギリスGPで
国籍 イタリアの旗 イタリア
レースでの経歴
ロードレース世界選手権
活動期間1993年 - 1994年, 1996年 - 2003年
初レース1993年 125cc オーストラリアGP
最終レース2003年 125cc バレンシアGP
初勝利1998年 125cc マドリードGP
最終勝利2003年 125cc イタリアGP
チームアプリリア, ホンダ
チャンピオン0
出走回数 勝利数 表彰台 PP FL 総ポイント
149 7 12 3 0 914

ルーチョ・チェッキネロ ( Lucio Cecchinello, 1969年11月21日 - ) は、イタリアヴェネツィア出身の元モーターサイクルロードレースライダー。現在はロードレース世界選手権MotoGPクラスでチーム・LCRを運営している。

ライダーとしての経歴

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オートバイレースのメカニックとして働いていたが、1989年にライダーとしてレースを開始する。イタリア国内のスポーツ・プロダクション選手権にNSR125を駆って参戦し、3戦目のモンツァで初優勝を果たした。翌1990年にはマックス・ビアッジに次いでシリーズ2位に入った。

1991年にはかつてメカニックとして所属していた Team Italia からロードレースヨーロッパ選手権に参戦を開始する。初年度はシリーズ10位、翌1992年にはシリーズ2位となった。そして1993年に、Gazzaniga Team からロードレース世界選手権125ccクラスにデビューを果たした。翌1994年には GIVI チームに移籍し、プライベーター仕様のホンダ・RS125を駆って初ポイントを獲得した。1995年にはヨーロッパ選手権に戻り、パオロ・ピレリのチームでRS125を駆って11戦中8勝を収め、チャンピオンを獲得した。

1996年はチェッキネロにとってターニングポイントとなった。自らがオーナーとなる、1台体制の小さなチームを立ち上げ、グランプリ125ccクラス復帰を果たした。1996年、1997年とトップ10圏内フィニッシュを何度か記録し、1998年第6戦ハラマでGP初優勝を果たした。

その後も125ccクラスに参戦を続け、2001年には第6戦カタルニアで通算2勝目を記録し、シリーズランキングでは4位に入った。2002年はおそらくチェッキネロのベストシーズンであり、年間3勝を果たし再びシリーズ4位を記録した。現役最後の年となった2003年には、ホームグランプリのムジェロで優勝を果たすという夢を叶えた。

ロードレース世界選手権 戦績

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シーズン クラス 出走 1位 2位 3位 表彰台計 PP バイク ポイント シリーズ順位
1993年 125cc 12 - - - - - Gazzaniga - -
1994年 125cc 14 - - - - - ホンダ 5 30
1996年 125cc 15 - - - - - ホンダ 59 15
1997年 125cc 15 - - - - - ホンダ 73 14
1998年 125cc 13 1 - 2 3 - ホンダ 130 5
1999年 125cc 16 - 2 2 4 3 ホンダ 108 9
2000年 125cc 16 - - - - - ホンダ 91 11
2001年 125cc 16 1 2 1 4 1 アプリリア 156 4
2002年 125cc 16 3 2 - 5 - アプリリア 180 4
2003年 125cc 16 2 1 - 3 - アプリリア 112 9
合計 149 7 7 5 19 4 914

凡例)(太字ポールポジション斜体ファステストラップ

クラス チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 順位 ポイント
1993年 125cc ガッザニーガ AUS
Ret
MAL
Ret
JPN
Ret
ESP
18
AUT
28
GER
26
NED
Ret
EUR
18
RSM
25
GBR
26
CZE
24
ITA
Ret
USA
22
FIM
1994年 125cc ホンダ AUS
18
MAL
21
JPN
Ret
ESP
Ret
AUT
19
GER
14
NED
15
ITA
NC
FRA
NC
GBR
23
CZE
17
USA
17
ARG
NC
EUR
14
30位 5
1996年 125cc ホンダ MAL
NC
INA
12
JPN
7
SPA
NC
ITA
6
FRA
Ret
NED
NC
GER
14
GBR
9
AUT
18
CZE
8
IMO
NC
CAT
Ret
BRA
7
AUS
6
15位 59
1997年 125cc ホンダ MAL
10
JPN
SPA
15
ITA
8
AUT
FRA
NED
IMO
GER
5
BRA
8
GBR
10
CZE
5
CAT
6
INA
13
AUS
7
14位 73
1998年 125cc ホンダ JPN
4
MAL
12
SPA
ITA
Ret
FRA
5
MAD
1
NED
4
GBR
6
GER
NC
CZE
3
IMO
CAT
4
AUS
7
ARG
3
5位 130
1999年 125cc ホンダ MAL
17
JPN
6
SPA
2
FRA
NC
ITA
9
CAT
5
NED
NC
GBR
NC
GER
3
CZE
3
IMO
NC
VAL
NC
AUS
2
RSA
8
BRA
21
ARG
NC
9位 108
2000年 125cc ホンダ RSA
11
MAL
18
JPN
NC
SPA
6
FRA
7
ITA
NC
CAT
NC
NED
4
GBR
7
GER
NC
CZE
4
POR
4
VAL
8
BRA
5
PAC
Ret
AUS
NC
11位 91
2001年 125cc アプリリア JPN
6
RSA
19
SPA
2
FRA
5
ITA
NC
CAT
1
NED
NC
GBR
5
GER
5
CZE
2
POR
16
VAL
8
PAC
4
AUS
5
MAL
3
BRA
NC
4位 156
2002年 125cc アプリリア JPN
9
RSA
Ret
SPA
1
FRA
1
ITA
6
CAT
4
NED
5
GBR
Ret
GER
Ret
CZE
1
POR
6
BRA
10
PAC
Ret
MAL
2
AUS
2
VAL
8
4位 180
2003年 125cc アプリリア JPN
4
RSA
8
SPA
1
FRA
2
ITA
1
CAT
Ret
NED
16
GBR
10
GER
8
CZE
Ret
POR
Ret
BRA
18
PAC
Ret
MAL
Ret
AUS
Ret
VAL
9
9位 112

チーム・LCR

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チェッキネロは1996年に自らがオーナーのレーシングチームを設立した。当初はチェッキネロ自身がライダーとなる1台体制で、ホンダ・RS125を駆って125ccクラスを戦った。1998年にはチーメイトに上田昇を迎えて2台体制に拡大、2001年にはマシンをアプリリアにスイッチした。

2002年には新たに250ccクラスにも参戦を開始し、のちにMotoGPワールドチャンピオンとなるケーシー・ストーナーのデビューチームとなった。チェッキネロは2003年シーズン終了をもって現役を引退するが、LCRはランディ・ド・プニエをエースライダーに参戦を継続した。

2006年にはストーナーをライダーに、ホンダ・RC211VでMotoGPクラスに参戦を開始する。ストーナーの活躍によって、参戦初年度に表彰台とポールポジションを獲得した。翌2007年はストーナーがドゥカティワークスに引き抜かれたためベテランのカルロス・チェカをライダーに迎えた。2008年からはド・プニエがチームに復帰、2011年からはド・プニエからトニ・エリアスに替わり、2015年からカル・クラッチロージャック・ミラーの2台体制、2016年からカル・クラッチローの1台体制に戻り、2018年からはカル・クラッチローと中上貴晶、2021年からはクラッチローに変わってアレックス・マルケスが加入しての2台体制で最高峰クラスに参戦を続けている。

脚注

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外部リンク

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