中上貴晶
中上 貴晶 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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国籍 | 日本 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 |
1992年2月9日(32歳) 千葉県千葉市 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
現在のチーム | LCR ホンダ・イデミツ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ゼッケン | 30 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ウェブサイト | 公式サイト | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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中上 貴晶(なかがみ たかあき、1992年2月9日 - )は、日本のオートバイ・ロードレースライダーである。千葉県千葉市出身。血液型はO型。ニックネームは「タカ (TAKA) 」。
来歴
[編集]全日本時代 / WGP125cc
[編集]4歳よりポケバイに乗り始め、1998年(6歳)でポケバイレースデビューし優勝を記録する。2001年(9歳)からミニバイクレースに出場。ミニバイク全国大会で優勝し、最年少出場・優勝を記録する。その後もミニバイクレースで優勝を続け、全国大会では3年連続優勝を果たす。
2004年よりロードレースに参戦し、2005年は全日本ロードレース選手権GP125クラスにスポット参戦し、シリーズ13位となり、MFJルーキー・オブ・ザ・イヤーを受賞する。
2006年は全日本ロードレース選手権GP125クラスにフル参戦し、6戦6勝の完全優勝を史上最年少(14歳)で記録した。またMotoGPを運営するDORNAが開く「MotoGPアカデミー」のオーディションに合格し、その一環としてスペイン選手権 (CEV) への海外遠征も行った。2007年はスペイン選手権への参戦とともに、ロードレース世界選手権 (WGP) 最終戦バレンシアGPにて125ccクラスに初挑戦した。
2008年、16歳でWGP125ccクラスにフル参戦開始。イタリアのI.Cチームのアプリリアを駆り、決勝レース最高8位、年間ランキング24位。2009年はオンガッタ I.S.P.A.へ移籍し、決勝レース最高5位、年間ランキング16位。
2010年は125ccでのシートを見つける事ができず、日本に戻ることとなり、全日本ロードレース選手権ST600クラスに参戦。夏の祭典鈴鹿8時間耐久ロードレースにはハルク・プロより清成龍一・高橋巧とのトリオで出場し、第3ライダーとして決勝は走行しなかったが、鈴鹿8耐の最年少優勝者となった[1]。
2011年は全日本ロードレース選手権、J-GP2クラスに参戦。後述の負傷の影響で欠場したレースもあったが、参戦した全てのレースでポールトゥウィンを飾る圧倒的な強さで、シリーズチャンピオンを獲得。この年はロードレース世界選手権日本GPにおいて、Moto2クラスに参戦していたクラウディオ・コルティの代役として、イタルトランス・レーシングチームから3年ぶりにスポット参戦を果たした。ウォームアップ中に転倒し、負傷のため決勝は欠場となったが、この一戦でのパフォーマンスが評価され、同チームからの2012年のMoto2クラス参戦が決定した。日本人ライダーが一度世界選手権におけるシートを喪失した後に再びフル参戦するのは、史上初のことである。
Moto2
[編集]2012年はイタルトランス・レーシングチームからMoto2クラスに参戦。チームメイトはコルティが務めた。中上は世界戦でのブランクを感じさせない走りを見せ、第2戦スペインGPでは予選で2番手、決勝でも5位に入ると、第9戦イタリアGPでは初めてトップを走行するなど、実力を発揮した。しかしシーズンを通してみると浮き沈みが激しい内容が続き、シリーズランキングは15位(ルーキーライダーとしては2番手)に留まった。
2013年も同チームからMoto2クラスに継続参戦。チームメイトはコルティに代わり、フリアン・シモンが務めることとなった。シーズンオフから好調ぶりを見せ、期待された開幕戦カタールGPでは、序盤からトップを快走。中盤に入りポジションを落とすものの、3位に入り、自身初の表彰台を獲得した。第9戦インディアナポリスGPからは4戦連続で2位表彰台を獲得。優勝こそ挙げられなかったものの、3度のポールポジション・5度の表彰台を獲得するなどシリーズランキング8位と躍進。
2014年はイタルトランス残留が決定していたものの、シーズン終了後に岡田忠之が監督するイデミツ・ホンダ・チーム・アジアへの移籍が決定した。以後、アジア人ライダー育成にとりくむホンダと出光興産から支援を受ける。マシンは中上の希望を取り入れる形でカレックスを使用。開幕戦カタールGPではいきなりエステベ・ラバトとの優勝争いを演じ、最終的に2位でチェッカーを受けるなど移籍初戦から幸先の良いスタートを切ったかに見えたが、レース終了後にマシンの技術違反が発覚し、失格とされた[2]。一転、以後のレースでは優勝争いはおろかトップ10にすら届かない大不振に陥り、この年の最高位は第13戦サンマリノGPの10位。前年の149ポイントに対しこの年は僅か34ポイントしか獲得できず、シリーズランキングは22位に沈んだ。
2015年も同チームからMoto2クラスに継続参戦。第13戦サンマリノGPでは2年ぶりの表彰台となる3位に入り、チームにも初の表彰台をもたらすなど、前年の成績不振からの脱却に成功。シリーズランキングでも再び8位まで挽回した。
2016年も同チームからMoto2クラスに継続参戦。開幕戦カタールGPでは3番手を走行するもジャンプスタート裁定により脱落、第3戦アメリカズGPでは表彰台を争いながら接触される形で転倒、第6戦イタリアGPでもやはり3番手を走行しながらレッドフラッグによりレースが中断、再開の際にこの年のレギュレーションであったクイックリスタートの規則に抵触してしまいグリッド最後尾まで後退するなど、上位に進出しながら噛み合わない内容が続くが、第7戦カタルニアGPで待望の3位表彰台を獲得。勢いを取り戻して迎えた第8戦オランダGPでは、レース序盤から積極的なオーバーテイクを見せ、9周目にトップへ浮上。じりじり後続を引き離し逃げに入る。レース中盤から雨が降り始め、2周を残して赤旗レース終了となり、中上がMoto2クラス初優勝を決めた。日本人選手によるグランプリ優勝は同Moto2の高橋裕紀以来6年ぶりの快挙。その後も後半戦に獲得した2度の表彰台を含め計4度の表彰台に上がるなど有力ライダーへの返り咲きを果たす1年となり、シリーズランキングは自己最高の6位に進出した。
2017年はMoto2クラス6シーズン目となる。第12戦イギリスGPでは4番グリッドからスタートし、序盤先頭争いをしていたアレックス・マルケスとフランコ・モルビデリに2秒以上の差をつけられたものの、ペースを上げ0.7秒まで差を縮めた。さらにマルケスが転倒、中上は一気に差を詰めその周にモルビデリを抜きトップに浮上し、そのまま逃げ切りキャリア2勝目を挙げた。地元の第15戦日本GPでは通算5回目のポールポジションを獲得し、レース中盤までマルケスとトップを争うが、最後は6位でフィニッシュした[3]。この年も4度表彰台に立ち、シリーズランキングは7位。
MotoGP
[編集]2018年、中上はHRC契約ライダーとしてMotoGPクラスに昇格し、サテライトチームのLCRホンダ・イデミツのRC213Vを駆る。日本人の最高峰クラスフル参戦は2014年の青山博一以来となる。予選では新人最多となる4度のQ2進出を果たした一方、決勝になるとスタート直後からレース序盤にかけて順位を落としていく展開がシーズンを通して続き、決勝での内容に課題を残すシーズンとなった。新人勢では3番手の総合20位で終え、ルーキー・オブ・ザ・イヤー獲得とは至らなかったが、雨のレースとなった最終戦バレンシアGPでは天候に翻弄され転倒する選手が続出する中、終始安定した走りを見せ初のトップ10入り、インディペンデントチーム最上位フィニッシュとなる6位入賞。新人選手全体で見てもこの年の最高リザルトを獲得し、一矢報いる結果を残した[4]。
2019年も最高峰クラス唯一の日本人選手として、LCRホンダ・イデミツからの継続参戦が決定[5]。開幕戦からトップ10フィニッシュを続け、イタリアGPではドライコンディションで自己ベストを更新する5位入賞。昨シーズンは差をつけられていたチームメイトのカル・クラッチローに対してもコース上で互角に渡り合う姿を見せるなど、2年目の成長を印象付けた。しかし、第8戦ダッチT.Tでヴァレンティーノ・ロッシの転倒に巻き込まれ高速クラッシュ。当初は左足首の負傷が疑われ、翌週開催となった第9戦ドイツGPでは実際に松葉杖を使用して歩く姿も見られていた。しかし、シーズンが進むにつれ、今度は右肩の怪我が徐々に悪化。苦痛を隠しながらレースを続けるも成績は低迷[6]。母国開催の日本GP終了後に軟骨除去手術を受けることを表明し、残り3レースを欠場した[7]。
2020年もLCRホンダ・イデミツより3年目のMotoGPに参戦。右肩の状態が万全ではないまま3月の開幕戦カタールGPを迎えたが、新型コロナウイルス感染症 (COVID-19) の拡大によりMotoGPクラスがキャンセルされ、レース再開までの4カ月間体力の回復に努めた。シーズン再開直後の第2戦スペインGPでは、同じホンダ陣営の王者マルク・マルケスとクラッチローが相次いで負傷離脱。さらにこの年から最高峰クラスに昇格したばかりのアレックス・マルケスもマシンへの習熟が必要な時期であったことから、事実上のホンダのエース選手の1人としてメーカーを牽引していく立場となっていった。続く第3戦アンダルシアGPではフリー走行で2度トップタイムをマークし、決勝もホンダ勢最高の4位で自己ベストを更新した[8]。第6戦スティリアGPでは自身初の予選2位スタートから優勝争いに加わるが、2番手走行中にレースが赤旗中断。4番手以下の選手とのギャップが失われただけでなく、再スタート時には予備のフレッシュタイヤが残っておらずユーズドタイヤで臨むこととなってしまったため、フレッシュタイヤへと交換できた選手と状況が逆転し、結果7位に後退。初表彰台を逃した[9]。その後も不振のホンダ勢の中で奮闘し、第2戦スペインGPから第11戦アラゴンGPまで全選手中唯一の10戦連続トップ10フィニッシュを達成。ホンダ勢の最上位入賞をコンスタントに続けたことも評価され、契約2年延長が決定。第12戦テルエルGPで最高峰クラス自身初のPPを獲得[10](日本人ライダーのMotoGPクラスPP獲得は2004年の玉田誠以来16年ぶり)。
人物
[編集]- 世界GPではゼッケン30番を付け続けている。14歳でスペイン選手権に参戦した際、MotoGPアカデミー監督のアルベルト・プーチに選んでもらった番号で、それ以来気に入って付けている[11]。
- 憧れのライダーは加藤大治郎。幼い頃、雑誌「モトチャンプ」の企画で日本GPを訪れ、加藤からもらったレーシングブーツを今でも大切に飾っている[12]。
- 富沢祥也とはポケバイ時代から切磋琢磨してきたライバルであり、親友であった。2010年のサンマリノGPで彼が事故死した時にはレースへのモチベーションを見失ったこともあったが、彼の家族に励まされ再起した[13]。サンマリノGPが行われるミサノ・サーキットは富沢から特別なパワーをもらえる得意なサーキットだといい[13]、Moto2時代に3度表彰台を獲得している。
- 2度目の世界GP参戦以降は、イタリアにあるイタルトランスの専務(イタルトランスの本業は運送会社)の自宅に居候している。その邸宅はかなりの豪邸で、番組の企画で訪れた坂田和人と福田充徳が驚愕していた。2015年以降はスペインのバルセロナに住んでいるが、イタルトランスとは個人スポンサーとして良好な関係を保っている。
- 2019年まで原動機付自転車免許しか所持しておらず、大型自動二輪車免許を取得していなかった[14]。
レース戦績
[編集]- 1997年
- ポケバイレースデビュー
- 1998年
- 1999年
- 全日本ポケットバイク選手権 優勝
- 2000年
- 全日本ポケットバイク選手権 2クラス優勝
- ライフカップシリーズ 2クラスチャンピオン
- 2001年
- ミニバイクレースデビュー
- ミニバイク全国大会 優勝
- 2002年
- 秋ヶ瀬モトチャンプ杯シリーズチャンピオン
- 桶川関東ロード選手権シリーズチャンピオン
- 榛名選手権シリーズチャンピオン
- 2003年
- ミニバイク全国大会 優勝
- 2004年
- 筑波選手権GP125クラス ランキング2位
- 筑波・もてぎ・菅生選手権シリーズ 8戦8勝
- MFJ全日本ロードレース選手権GP-monoクラス 3戦3勝
- 2005年
- 東日本チャレンジカップ選手権シリーズチャンピオン
- 全日本ロードレース選手権GP125ccクラス(ホンダRS125R/CLUB HARC-PRO.)シリーズ13位
- MFJルーキーオフザイヤー受賞
- 2006年
- 全日本ロードレース選手権GP125ccクラス(ホンダRS125R/team HARC-PRO.)シリーズチャンピオン(6勝)
- ロードレーススペイン選手権GP125ccクラス(ホンダRS125R/MotoGPアカデミー)ランキング12位
- 2007年
- ロードレーススペイン選手権GP125ccクラス(ホンダRS125R/MotoGPアカデミー)ランキング6位
- ロードレース世界選手権GP125ccクラス最終戦バレンシアにスポット参戦(ホンダ-RS125R/MotoGPアカデミー)転倒リタイア
- 2008年
- ロードレース世界選手権GP125ccクラス(アプリリアRS125/I・Cチーム)ランキング24位
- 2009年
- ロードレース世界選手権GP125ccクラス(アプリリアRS125/ONGETA・TEAM・ISPA)ランキング16位
- 2010年
- 全日本ロードレース選手権ST600クラス(ホンダCBR600RR/MuSASHi RT HARC-PRO.)ランキング8位
- 2011年
- 全日本ロードレース選手権J-GP2クラス(ホンダCBR600RR/MuSASHi RT HARC-PRO.)シリーズチャンピオン(5勝)
- ロードレース世界選手権Moto2クラス第15戦に参戦しリタイア イタルトランス・レーシングチーム スッター・MMXI
- 2012年
- ロードレース世界選手権Moto2クラス(カレックスMoto2/イタルトランス・レーシング)ランキング15位
- 2013年
- ロードレース世界選手権Moto2クラス(カレックスMoto2/イタルトランス・レーシング)ランキング8位
- 2014年
- ロードレース世界選手権Moto2クラス(カレックスMoto2/IDEMITSU Honda Team Asia)ランキング22位
- 2015年
- ロードレース世界選手権Moto2クラス(カレックスMoto2/IDEMITSU Honda Team Asia)ランキング8位
- 2016年
- ロードレース世界選手権Moto2クラス(カレックスMoto2/IDEMITSU Honda Team Asia)ランキング6位
- 2017年
- ロードレース世界選手権Moto2クラス(カレックスMoto2/IDEMITSU Honda Team Asia)ランキング7位
- 2018年
- ロードレース世界選手権MotoGPクラス(ホンダRC213V/LCR Honda IDEMITSU)ランキング20位
- 2019年
- ロードレース世界選手権MotoGPクラス(ホンダRC213V/LCR Honda IDEMITSU)ランキング13位
- 2020年
- ロードレース世界選手権MotoGPクラス(ホンダRC213V/LCR Honda IDEMITSU)ランキング10位
- 2021年
- ロードレース世界選手権MotoGPクラス(ホンダRC213V/LCR Honda IDEMITSU)ランキング15位
- 2022年
- ロードレース世界選手権MotoGPクラス(ホンダRC213V/LCR Honda IDEMITSU)ランキング18位
- 2023年
- ロードレース世界選手権MotoGPクラス(ホンダRC213V/LCR Honda IDEMITSU)ランキング18位
- 2024年
- ロードレース世界選手権MotoGPクラス(ホンダRC213V/LCR Honda IDEMITSU)ランキング19位
鈴鹿8時間耐久ロードレース
[編集]開催年 | バイク | チーム | パートナー | 総合順位 |
---|---|---|---|---|
2010年 | ホンダ・CBR1000RR | MuSASHi RT HARC-PRO. | 清成龍一/高橋巧 | 1位 |
2017年 | ホンダ・CBR1000RR | MuSASHi RT HARC-PRO. | ジャック・ミラー/高橋巧 | 4位 |
2018年 | ホンダ・CBR1000RRW | Red Bull Honda with 日本郵便 | パトリック・ジェイコブセン/高橋巧 | 2位 |
ロードレース世界選手権
[編集]シーズン | クラス | バイク | チーム | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2007年 | 125cc | ホンダ | レッドブル MotoGP アカデミー | QAT | SPA | TUR | CHN | FRA | ITA | CAT | GBR | NED | GER | CZE | SMR | POR | JPN | AUS | MAL | VAL Ret |
- | 0 | ||||
2008年 | 125cc | アプリリア | I.C. チーム | QAT 19 |
SPA 15 |
POR 19 |
CHN Ret |
FRA 16 |
ITA 16 |
CAT 22 |
GBR 8 |
NED Ret |
GER 18 |
CZE Ret |
SMR 19 |
IND Ret |
JPN 13 |
AUS Ret |
MAL Ret |
VAL 16 |
24位 | 12 | ||||
2009年 | 125cc | アプリリア | オンガッタ チーム I.S.P.A. | QAT 20 |
JPN 20 |
SPA 16 |
FRA 5 |
ITA 15 |
CAT 15 |
NED 17 |
GER Ret |
GBR 5 |
CZE 19 |
IND 9 |
RSM 20 |
POR 11 |
AUS 18 |
MAL 11 |
VAL 14 |
16位 | 43 | |||||
2012年 | Moto2 | カレックス | イタルトランス レーシング チーム | QAT 14 |
ESP 5 |
POR 18 |
FRA Ret |
CAT 6 |
GBR 19 |
NED 12 |
GER 19 |
ITA 7 |
IND 16 |
CZE 17 |
RSM 11 |
ARA 29 |
JPN 7 |
MAL Ret |
AUS 9 |
VAL Ret |
15位 | 57 | ||||
2013年 | Moto2 | カレックス | イタルトランス レーシング チーム | QAT 3 |
AME Ret |
ESP 4 |
FRA Ret |
ITA Ret |
CAT 5 |
NED DNS |
GER 10 |
IND 2 |
CZE 2 |
GBR 2 |
RSM 2 |
ARA 11 |
MAL 8 |
AUS 22 |
JPN 9 |
VAL 13 |
8位 | 149 | ||||
2014年 | Moto2 | カレックス | イデミツ ホンダ チーム アジア | QAT DSQ |
AME 11 |
ARG 15 |
SPA Ret |
FRA 16 |
ITA 16 |
CAT 13 |
NED 14 |
GER 21 |
IND 11 |
CZE 19 |
GBR 15 |
RSM 10 |
ARA 15 |
JPN 13 |
AUS 11 |
MAL Ret |
VAL 14 |
22位 | 34 | |||
2015年 | Moto2 | カレックス | イデミツ ホンダ チーム アジア | QAT 14 |
AME 10 |
ARG 20 |
SPA 17 |
FRA 7 |
ITA 13 |
CAT 20 |
NED 13 |
GER 7 |
IND 9 |
CZE 12 |
GBR 14 |
RSM 3 |
ARA 8 |
JPN 22 |
AUS 4 |
MAL 4 |
VAL 11 |
8位 | 100 | |||
2016年 | Moto2 | カレックス | イデミツ ホンダ チーム アジア | QAT 14 |
ARG 9 |
AME 15 |
SPA 7 |
FRA 5 |
ITA 9 |
CAT 3 |
NED 1 |
GER 11 |
AUT 7 |
CZE Ret |
GBR 3 |
RSM 3 |
ARA 5 |
JPN 4 |
AUS 5 |
MAL 21 |
VAL 6 |
6位 | 169 | |||
2017年 | Moto2 | カレックス | イデミツ ホンダ チーム アジア | QAT 3 |
ARG Ret |
AME 3 |
SPA 21 |
FRA 7 |
ITA Ret |
CAT 10 |
NED 3 |
GER 10 |
CZE 24 |
AUT 6 |
GBR 1 |
RSM 10 |
ARA 8 |
JPN 6 |
AUS Ret |
MAL Ret |
VAL 7 |
7位 | 137 | |||
2018年 | MotoGP | ホンダ | LCR ホンダ イデミツ | QAT 17 |
ARG 13 |
AME 14 |
SPA 12 |
FRA 15 |
ITA 18 |
CAT Ret |
NED 19 |
GER Ret |
CZE 17 |
AUT 15 |
GBR C |
RSM 13 |
ARA 12 |
THA 22 |
JPN 15 |
AUS 14 |
MAL 14 |
VAL 6 |
20位 | 33 | ||
2019年 | MotoGP | ホンダ | LCR ホンダ イデミツ | QAT 9 |
ARG 7 |
AME 10 |
SPA 9 |
FRA Ret |
ITA 5 |
CAT 8 |
NED Ret |
GER 14 |
CZE 9 |
AUT 11 |
GBR 17 |
RSM 18 |
ARA 10 |
THA 10 |
JPN 16 |
AUS |
MAL |
VAL |
13位 | 74 | ||
2020年 | MotoGP | ホンダ | LCR ホンダ イデミツ | QAT C |
SPA 10 |
ANC 4 |
CZE 8 |
AUT 6 |
STY 7 |
RSM 9 |
EMI 6 |
CAT 7 |
FRA 7 |
ARA 5 |
TER Ret |
EUR 4 |
VAL Ret |
POR 5 |
10位 | 116 | ||||||
2021年 | MotoGP | ホンダ | LCR ホンダ イデミツ | QAT Ret |
DOH 17 |
POR 10 |
SPA 4 |
FRA 7 |
ITA Ret |
CAT 13 |
GER 13 |
NED 9 |
STY 5 |
AUT 13 |
GBR 13 |
ARA 10 |
RSM 10 |
AME 17 |
EMI 15 |
ALG 11 |
VAL Ret |
15位 | 76 | |||
2022年 | MotoGP | ホンダ | LCR ホンダ イデミツ | QAT 10 |
IDN 19 |
ARG 12 |
AME 14 |
POR 16 |
SPA 7 |
FRA 7 |
ITA 8 |
CAT Ret |
GER Ret |
NED 12 |
GBR 13 |
AUT Ret |
RSM 15 |
ARA Ret |
JPN 20 |
THA DNS |
AUS |
MAL |
VAL 14 |
18位 | 46 | |
2023年 | MotoGP | ホンダ | LCR ホンダ イデミツ | POR 12 |
ARG 13 |
AME Ret |
SPA 9 |
FRA 9 |
ITA 13 |
GER 14 |
NED 8 |
GBR 16 |
AUT 18 |
CAT 15 |
RSM 19 |
IND 11 |
JPN 11 |
INE 11 |
AUS 19 |
THA 14 |
MAL 18 |
QAT 19 |
VAL 12 |
18位 | 56 | |
2024年 | MotoGP | ホンダ | LCR ホンダ イデミツ | QAT 19 |
POR 14 |
AME Ret |
SPA 14 |
FRA 14 |
CAT 14 |
ITA Ret |
NED 16 |
GER 14 |
GBR 15 |
AUT 14 |
ARA 11 |
RSM 13 |
EMI 17 |
INE 11 |
JPN 13 |
AUS 18 |
THA 13 |
MAL Ret |
BAR 17 |
19位 | 31 |
脚注
[編集]- ^ 記録上では18歳の中上が最年少優勝となるが、実質的にはチームメイトの高橋巧の20歳が新記録とみなされている[1]。
- ^ Sports, Dorna. “2位獲得の中上貴晶が技術規則違反で失格 | MotoGP™”. www.motogp.com. 2018年11月28日閲覧。
- ^ “MotoGP日本GP Moto2決勝:マルケス弟が優勝。ポールスタートの中上は悔しい結果に”. autosport web (2017年10月15日). 2020年8月1日閲覧。
- ^ 「波乱のMotoGP最終戦バレンシアGP。中上貴晶、自己最高位の6位「自分でも驚いている」|motorsport.com日本版」『』。2018年11月28日閲覧。
- ^ Sports, Dorna. “Nakagami to continue with LCR Honda Idemitsu in 2019” (英語). www.motogp.com. 2018年11月28日閲覧。
- ^ “【中上貴晶】大クラッシュからの復活、そして見据える未来|MotoGP”. レッドブル (2020年3月4日). 2020年8月1日閲覧。
- ^ “MotoGP:中上貴晶の右肩手術成功。2020年2月のテストへ「速やかに理学療法を開始するつもり」”. autosport web (2019年10月31日). 2020年8月1日閲覧。
- ^ “自身ベストリザルト4位の中上「やっとここまでこれたという大きな自信になった」/MotoGP第3戦”. autosport web (2020年7月27日). 2020年8月1日閲覧。
- ^ “悔し過ぎる7位に中上貴晶、怒りと失望。赤旗後の苦戦は「新品タイヤが無かった……」”. motorsport.com日本版 (2020年8月24日). 2020年10月24日閲覧。
- ^ “MotoGP:中上貴晶が最高峰クラスでポールポジション獲得。日本人ライダーとしては16年ぶりの快挙/第12戦テルエルGP”. autosport web (2020年10月24日). 2020年10月24日閲覧。
- ^ “MotoGP:中上貴晶、ホンダRC213Vのお気に入りは「シームレス・ギヤ」”. autosport web (2017年12月6日). 2020年8月1日閲覧。
- ^ “【中上貴晶】全開全速ドリーマー、最前線を駆る日本人最速ライダーの素顔|MotoGP”. レッドブル (2019年3月18日). 2020年8月1日閲覧。
- ^ a b “MotoGP:中上、亡き友に健闘誓う。ミサノは「祥也がいつも特別なパワーをくれる」”. autosport web (2018年9月7日). 2020年8月1日閲覧。
- ^ “中上貴晶のtwitter2019年1月13日のツイート”. Twitter. 2021年3月15日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 中上貴晶公式ウェブサイト
- 中上貴晶公式BLOG
- 中上貴晶 (@takanakagami) - Instagram
- 中上貴晶 (taka.nakagami.jp) - Facebook
- 中上貴晶 (@takanakagami30) - X(旧Twitter)
- LCR TEAM
- ハルクプロ