龍馬伝 単語

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リョウマデン

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龍馬伝とは、2010年に放送された第49作大河ドラマである。

概要

脚本・監督福田靖。2004年新選組!」以来のNHKオリジナル作品である。
(翌年の「江〜姫たちの戦国〜」もオリジナル作品)

岩崎弥太郎過去回想という視点から、幕末に生きた坂本龍馬を描く。
そのため実質、役は坂本龍馬岩崎弥太郎の二人となっている。
無論馬の方が出番が多い)

演の坂本龍馬を演じるのは、福山雅治
なお福山はこのドラマにおいてカツラを付けておらず、地毛で出演している。
当の坂本龍馬本人も、福山髪型同様、縮れ毛であったと言われる。

もう一人の役ともいえる岩崎弥太郎を演じるのは、香川照之
春日局」(小早川秀秋役)「葵徳川三代」(宇喜多秀家役)「利家とまつ」(豊臣秀吉役)「功名が辻」(六太役)などの大河ドラマに携わった経歴を持つ。
なお、正子規役で出演した「坂の上の雲」第一部が終わった翌週に、龍馬伝に出たので正子規と岩崎弥太郎が混同するという事態も起きた。
さらに、龍馬伝最終回の翌週には「坂の上の雲」第二部で再び子規役に戻って出演したため、またしてもごっちゃになったことは言うまでもない。

あまりに貧窮し汚れた岩崎弥太郎の容姿のために、三菱グループ各社から「汚すぎる」NHKクレームが来た。

あらすじ

明治15年(1882年)、郵便三菱社長岩崎弥太郎は、催する宴会の席上で自らの半生を振り返るスピーチをしていた。語り終えた直後取り押さえられた暴を一し立ち去ろうとする弥太郎の前に土陽新聞記者、坂崎を掛ける。

坂崎「坂本龍馬という名前をご存知ですか?」

岩崎「・・・おんし、を調べて、どうするがぜよ」

坂崎「が聞いた話がほんとやったら、大変な人物やないですか。けんど、こんなひとがおったと、今はも知らん
がです。教えてください岩崎社長坂本龍馬とは、いったい、どんな人物であったがですか?」

岩崎「・・・はのう、わしがこの世で一番嫌いな男だった。あんな天気で、自分勝手で、人たらしで、女子(おなご)に好かれて、あればぁの立つ男はどこにもおらんとじゃき!」

キャスト・人物紹介

主人公・準主人公

坂本龍馬福山雅治
土佐脱浪士。商才谷屋の分である坂本に生まれる。武市半平太率いる土佐勤王党に所属するが袂を分かち脱勝海舟の元を訪れその子になる。海軍操練所閉鎖後は長融和の周旋を図り奔走。慶応2年(1866年)1月京都にて長同盟締結に立ち会う。慶応3年(1867年)に土佐後藤象二郎と提携して大政奉還を歴史の裏面で推進する。大政奉還が成った1ヶ後の11月15日、暗殺される。享年33。
岩崎弥太郎香川照之
土佐地下浪人。曽祖の代に郷士を売ったため郷士の中の更に最下級である地下浪人に落ちた一族に生まれる。極貧生活の中で学問・商業を学び、土佐参政・吉田東洋に認められ士として勤めるが、命無視により職を免じられる。その後後藤象二郎により再度士として活動。土佐商会の責任者に抜されて長崎に着任。率いる援隊の財政管理を嫌々任される。維新運業で財を成し、後の三菱財閥した。明治18年(1885年)病死。享年52。
武市半平太大森
土佐郷士。札と呼ばれる上士格で、土佐郷士達の首領として土佐勤王党を結成。合体吉田東洋の暗殺を揮し、土佐運動方針を勤王に導く。京都に赴き朝廷工作を行う一方で暗殺による威嚇を行い、長州士らと共に一時京都を席巻するが、文久3年の「八月十八日の政変」により山内容堂の弾圧を受け、土佐勤王党は壊滅。武市も捕えられ、慶応元年5月11 日に切腹享年36。
楢崎龍真木よう子
の妻。を亡くし女手ひとつで家族を養っていたが、を借金の形に取られ、取返しにいこうとしたところと出会う。のとりなしで寺田屋に預けられる。幕吏による襲撃時にはを助けるため薩摩邸に駆け込み救助をめた。薩摩邸に潜結婚する。暗殺後、三吉慎蔵によって坂本に送られる。

坂本家

坂本乙女寺島しのぶ
。非常に大柄な女性で武芸に秀でていたため「坂本のお仁王様」と渾名された。幼い頃のの躾け役となり、脱後の手紙のやり取りを行った最大の理解者の一人。
坂本児玉清
。安政2年にの活躍を見ることく死去。享年59。
坂本権平杉本哲太)
。頑固者だが根は優しく、女ばかりの坂本では少し肩身が狭い。の元を訪れた時、手違いで海軍操練所に入れられそうになる。
坂本前田敦子
の姪。を「叔父ちゃん」と呼んで慕っているが、年は割と近くにとってはのような存在。

岩崎家

岩崎次郎蟹江敬三
弥太郎喧嘩く騒動ばかり起こすダメ親父だが、嬌があってどこか憎めない。一家トラブルメーカーにしてムーメーカー
岩崎美和(倍賞美子)
弥太郎。夫とは対照的なしっかり者で、学問のために江戸へ行く弥太郎に貯めておいたへそくりを密かに渡した。この時のは、龍馬伝が放送された直後に実際に発見された。
岩崎喜勢マイコ
弥太郎の妻。弥太郎が肥だめに落ちたところを助けたのがきっかけで結婚、いつも強気な弥太郎彼女の前ではデレデレしてしまう。

土佐勤王党

中岡慎太郎上川隆也
土佐郷士。初め土佐勤王党に参加するが、からの弾圧が厳しくなり脱して長州に渡った。と共に和解のため活動。慶応3年には薩摩に同調して武力倒幕をす。龍馬伝での登場はかなり遅く、亀山社中を結成してから。そのため、それまでの活躍描写が全くい上に、本編での出番は非常に少ない。近江屋でと対談中刺客に襲われ死亡享年30。
岡田以蔵佐藤健
土佐郷士。通称人り以蔵。土佐勤王党に参加し、文久2年から文久3年の間にかけて京都で暗殺に手を染める。土佐に連行後、罪。享年26。
平井収二郎宮迫博之
土佐士。土佐勤王党に参加し、武市とともに京都で活動。文久3年に院宮(中川宮)に旨を受けたことをに咎められ切腹享年29、もしくは28。
望月亀弥太音尾琢真
土佐士。武市の命で、土佐勤王党から勝海舟海軍操練所に異動となる。過な攘夷思想から脱走してに潜池田屋事件で新撰組に襲われ非業の死を遂げた。享年27。

亀山社中・海援隊

近藤長次郎大泉洋
通称、饅頭長次郎海軍操練所閉鎖後はとともに亀山社中の一員として活動。軍艦買い付けの交渉を任される。外への密航計画を立てていたが露見してしまい、責任を取るため切腹享年29。
沢村惣之丞要潤
土佐郷士。と共に脱海軍操練所閉鎖後はとともに亀山社中の一員として活動。血気盛んな性格に反して語学堪であり、通訳を務める。
陸奥陽之助平岡太)
後の陸奥。元紀州士。勝の門下生の一人。亀山社中の一員として活動。かなりの毒舌で、時々トラブルを起こす。
池内蔵太桐谷健太
土佐士。天誅組の変や禁門の変で体中に数の傷跡がある。快な人柄で、お元にプロポーズするが、ワイル・ウエフ号が沈没した時に運命を共にした。
小曽根英四郎杉山々)
曽根堂の亀山社中に加わる。

土佐藩

山内容堂近藤正臣)
土佐。「幕末の四賢侯」の一人。自らを「酔侯」と称する。徳川慶喜将軍就任を支持する一に与したため、安政の大連座して隠居・謹慎の身となる。赦免後、隠居の身で再び政局に復帰。土佐勤王党を弾圧し壊滅に追い込む。深のために、アルコール中毒を患う節が見られる。
吉田東洋田中泯)
土佐士。山内容堂に仕える。参政就任後、門閥を退け人材育成・登用、兵の洋式化などを促進するが、東洋の合体論に反対する武市半平太の刺客により暗殺される。享年46。
後藤象二郎青木崇高
土佐士。吉田東洋の甥。山内容堂示の下土佐勤王党弾圧を実行。かなりサディスティックな性格で、弥太郎アゴでこき使う。慶応3年(1867年)、長崎の清亭にてと会談し、対立を乗り越え手を組むことになる。
溝渕広之丞ピエール瀧
土佐郷士。千葉場でのの同門。江戸での弥太郎生活を助け、後にの協力者の一人になる。
平井加尾(広末子)
平井収二郎初恋の人。安政6年に山内容堂の子女が公家三条ぐ際同行し、文久2年まで京都生活を送る。

千葉道場

千葉定吉里見浩太朗
流の開祖・千葉周作の実江戸における師匠
千葉太郎渡辺いっけい)
定吉の息子友。と佐那の間を取り持つ。「君が大好きだアッー!
千葉佐那貫地谷しほり
定吉ので、重太郎。北免許皆伝を持つ。初対面のフルボッコにするが、付き合う内に恋愛感情を持つようになる。生涯独身を貫き(異説有り)、明治時代になると灸師になった。

長州藩

木戸貫治(谷原章介
旧名・桂小五郎、後の木戸孝允長州士。維新三傑の一人。吉田松陰亡き後、陰の教え子達の的な存在として頭をあらわす。京都政治活動を行っていたが、禁門の変後長州に帰還。長州の実質上の導者となる。京都にて西郷隆盛と面会し、長同盟を締結する。
高杉晋作伊勢友介)
長州士。吉田松陰松下塾門下生。久坂玄瑞とともに「松下塾の双璧」と称される。佐幕に制圧された長州クーデターによって反幕府に転換させる。伊藤俊輔井上聞多と長崎武器調達をしていたところをが訪れる。第二次長州征伐にて幕軍を破るが労咳(結核)に冒され死去。享年29。
久坂玄瑞(やべきょうすけ)
長州士。松下塾門下。高杉晋作とともに「松下塾の双璧」と称される。禁門の変で自享年24。
三吉慎蔵(筧利夫)
長州の支である長府士(作中では長州士と紹介される)。の護衛として同行する。伏見寺田屋で幕吏の襲撃を受けたを護衛し、危機を救う。
吉田松陰生瀬勝久
長州士。に乗り込み米国渡航を企図するが受け入れられず出頭。その後通商条約締結反対や老中の暗殺を唱たため、江戸に送還され斬首享年29。
伊藤俊輔尾上寛之)
後の伊藤博文長州士。松下塾門下。高杉井上長崎武器の調達を行う。
井上聞多加藤虎ノ介)
後の井上長州士。高杉伊藤長崎武器の調達を行う。

薩摩藩

西郷吉之助高橋克実
後の西郷隆盛薩摩士。維新三傑の一人。勝の依頼を受けらの身柄を預かる。京都にて木戸貫治と面会し、長同盟を締結する。
小松帯刀滝藤賢一
薩摩家老西郷と共に薩摩を代表する人物。京都にて木戸貫治と面会し、長同盟を締結する。2年前の大河ドラマ篤姫」の準役であり、こちらではの盟友であったが、龍馬伝ではあまりと深く関わっていない。
大久保一蔵及川光博
薩摩士。維新三傑の一人。西郷小松岩倉具視と図り倒幕運動を推進する。を快く思っていなかった。

江戸幕府

徳川慶喜田中
江戸幕府第15代将軍。京都政治活動に携わる。なぜか眉毛い。慶応3年(1867年)10月、大政奉還の決断を下した。
松平春嶽夏八木勲)
越前。「幕末の四賢侯」の一人。文久2年に幕府の政事総裁職に就任し、文久の幕政改革を実行する。を引見し勝海舟との面会の旋をする。の願いを聞き入れ勝海舟の私塾に資金援助を行う。夏八木勲は1977年大河ドラマ神」でを演じた。
勝海舟武田鉄矢
旧名・勝太郎。幕臣。役職は海軍奉行並、後に海軍奉行。自身の元を訪れた子として教育する。禁門の変後、操練所が閉鎖に伴い薩摩小松帯刀西郷隆盛ら塾生の身柄を預ける。
小栗忠順(斎藤洋介
幕臣、勘定奉行。フランスとの関係を深め、幕府権力の回復を図る。
佐々木只三郎中村達也
幕臣、京都見廻組与頭。坂本龍馬暗殺実行犯の1人とされる。
渡辺一郎藤野秀樹
幕臣、京都見廻組組士。坂本龍馬暗殺実行犯の1人とされる。
今井信郎市川亀治郎
幕臣、京都見廻組組士。坂本龍馬暗殺実行犯の1人とされる。弥太郎に対し、幕臣の大政奉還への恨みを語った。

新撰組

近藤勇原田泰造
新撰組局長。おを気に入り寺田屋に入り浸る。討ち取りに執念を燃やす。
土方歳三松田悟志
新撰組副長。
沖田総司(栩原楽人)
新撰組一番隊組長

長崎の人々

お元蒼井優
長崎の芸長崎奉行所の間者で隠れキリシタンキリシタン取締を逃れて外亡命した。
大浦(余美子
長崎の貿易商。興味を持ち護する。
曽根本田博太郎
長崎商人に資金提供を行う。
トーマス・グラバーティム・ウェラード
スコットランド人の政商。社中を仲介役として長州武器を売却する。

その他の人々

茂田一次郎中尾彬
紀州勘定奉行。いろは丸事件にてとの談判に応じる。
登勢刈民代)
寺田屋の女将。依頼でお寺田屋に雇い入れる。の亡き・幸に二つ。
佐藤与之助(有芳記)
幕臣で勝の子。勝塾塾頭。
横井小楠山崎一
肥後熊本士。松平春嶽の招聘を受け、越前福井に赴き嶽の心を務める儒学者。
坂崎浜田学)
土佐出身。明治13年に創刊された高知県の土陽新聞筆を勤め、連載小説千里の駒」などで坂本龍馬を取り上げる。これがきっかけでの名が世間に知られ始めることになる。

用語・時代背景

上士(じょうし)と下士(かし)

龍馬伝前半の舞台となる土佐(土佐)は、戦国期から安土桃山時代にかけて長宗我部氏の領土であった。
しかし時の領長宗我部盛親は関が原の戦いにおいて西軍についたため、徳川家康により改易(全領地収)となってしまった。
そして代わりに土佐となったのは、4作前(大河ドラマ功名が辻」)の主人公である山内一豊であった。
しかし、一領具足(長宗我部氏の遺臣団)は度々反乱を起こした。山内氏はこれを鎮圧浦戸揆においては反乱兵を全員斬首するという強硬策に出た。

そして長宗我部遺臣団を郷士(下位の身分の者)、旧来からの山内氏家臣団を上士に区分。
これは江戸時代を通して明治維新まで受け継がれた身分制度であった。

しかし龍馬伝の作中では格を大きく分け「上士」と「下士」と呼んでいる。

これは上士以外の身分の者は、「郷士」のほか「札」(郷士の系のうち功績のあった当のみを上士待遇にする)「地下浪人」(土佐郷士の(身分)を売却したものの、未だに内に居座っている浪人)など様々な身分が存在するため、その総称として「下士」という名称をつくったと思われる。

下士への差別

第1話において、弥太郎が上士にぶつかったため上士やその子息により礼打ち(殺)にされかけるシーンが存在するが、これはオーバーな描写である。

身分差別はあったものの理由のい、ないし軽度の理由の「切捨て」は、江戸時代中期より幕領や各においては御法度であった。最悪、切腹も許されず斬首刑になるケースもあった。

また坂本は、元が商(屋号は才谷屋)でありながら郷士になったというとても裕福な系だったので、相当な額の大金を上士たちに貸し付けていた。そこの次男坊を細な理由で殺でもしようものなら、奉行による判断では、士倫理に背き切腹一家お取り潰しになりかねない大沙汰であった。

なお、第11話で下士・池田之進がを上士に殺され、上士に対して仇討ちを行い、上士と下士が内乱状態寸前まで至ったのは事実である。(井口傷事件)

史実との差異

坂本龍馬岩崎弥太郎は若い頃から知り合いだったか

若い頃絶対に会ったことがないと断定はできないが、確認できる史料がないため初対面は慶応3年(1867年4月頃の長崎と思われる。なお、司馬遼太郎の「がゆく」でも弥太郎は若い頃から交流があるが、本作の弥太郎を嫌悪している。

武市半平太岡田以蔵を渡して自殺をすすめたか

実際には以蔵の族に対してさせるための許可を得ようとしたが拒絶されたため実行はしていない。武市から殺されそうになったことを悟った以蔵が自したという話があるが、小説などの創作にしか出て来ない話(維新土佐勤王史にもあるが史料と較した結果信憑性が低いことを郷土史横田達雄が摘している)であり、実際には土佐に送還されてすぐに自している。自した時点で死罪は免れず、関係者に累が及ぶことを恐れた武市自殺をすすめようとしたのが事実。また以蔵にのみ特に死をめたわけではなく、実の田内衛吉に対してもを渡しており、拷問に耐えられず自した田内は自殺している。

坂本龍馬武市半平太の身代わりになろうとしたのか

ドラマでは土佐に戻って後藤象二郎に啖呵を切っているが、操練所を出てからの江戸に行って軍艦の買い付け交渉を行っている。その後京都に赴き鹿児島に渡っている。土佐に戻るのは慶応3年(1867年8月9月の二度。

武市半平太は自したのか

最期まで自はしていない。三文字切腹事実。なお武市命日慶応元年(1865年5月11日で、その時期は下関に滞在して西郷の到着を待っている。

坂本龍馬と操練所のメンバー薩摩に渡っていないのか

勝海舟旋で鹿児島に渡っている(だけはひと足遅れ)。この時鹿児島に渡った人々が亀山社中結成時のメンバーになる。

長崎高杉晋作に面会したのか

3部になってから時系列テロップで出て来ないため何年何なのか不明だが、伊藤俊輔井上聞多が武器調達のため長崎に来たのは慶応元年(1865年)の7月20日頃。高杉は同行していない。

薩摩は幕府に追い詰められていたのか

実際には薩摩政治工作阿部正外・本宗秀の2老中が兵を率いて京都を制圧しようとしたのを阻止し、逆に将軍を再度上京させるように仕向けるなど、むしろ幕府側が苦慮している。また慶応元年(1865年9月には長州再征が決定されたが、大久保利通は「非義の勅命は勅命ではない」と批判して協力を拒んだ。薩摩を始め全の大半は長州再征に反対だったが、幕府は旧来のごとく強引に決定して諸政治から遠ざけようとしたため、西郷隆盛薩摩達は幕府との協調路線は不可能と判断して長州との関係修復を模索していた。

近藤長次郎の死について

近藤長次郎が死んだのは通説では慶応2年(1866年)の1月14日だったが、薩摩士の日記には23日死去、墓のある寺過去帳には24日死去と記載があることが発見されており、23日説、24日説が有力。なおこの時期京都に滞在し、鹿児島に出発するのが2月末頃のため近藤葬儀には立ち会っていない。→関連サイトexit

岩崎弥太郎長同盟締結の時期に京都に行ったのか

行っていない。

岩崎弥太郎新選組に捕まったことがあるのか

ない。

とお薩摩邸で結婚したのか

本人元治元年(1864年8月に金蔵寺という寺で住職を仲人に内祝言を上げている。またお自身は語っていないが、慶応2年(1866年)の薩摩邸潜中に式を挙げて内縁関係から正式な夫婦になったという話もあるが偽不明。因みに寺田屋で遭難した際に逃げ込んだのは伏見薩摩邸だが、1月末頃に京都薩摩邸に移動している(伏見中ではない)。

は内戦を起こさないために長同盟を締結させようとしたのか

木戸が書いた箇条書きには「内戦を起こさないため」と言った文言はなく、長州に対する支援や復権のための協力に重点が置かれている。幕府の攻撃が始まればすぐ行動を起こす事が取り決められており、内戦を起こさない事が的ではない。も第二次長州征伐開始後、高杉晋作の要請を受けて小倉口での戦に参加している(参戦していないという説もある)。

大政奉還について

作中では木戸から大政奉還という策について初めて聞かされた事になっているが、史実では文久3年(1863年)の4月初め頃、幕臣の大久保一翁と面会の際に聞いた学問だったと思われる。記録が最初に大政奉還について語ったのは慶応2年(1866年8月頃の福井下山尚との面会時である。

亭会談について

後藤記録上初対面となるこの会談は日時が確定されておらず、慶応3年(1867年)の1月末から2月の初め頃と推定されている。清亭での会談というのも千頭清臣の『坂本龍馬』(大正3年)が初出で、以降定説化したが確定はしていない。作中では弥太郎が引きあわせたようになっているが、実際に引きあわせたのは溝渕広之丞である。また弥太郎長崎に着任したのは慶応3年の3月頃のため、日時も一致しない。

高杉晋作は不戦論者だったのか

高杉「不戦?ナニソレ美味しいの?(^Д^)
    っていうか幕府ブッ滅ぼすぞヽ(`Д´) ノ」

なお、1977年大河ドラマ神」の高杉(演:中村雅俊)はバリバリ論者であった。

いろは丸事件について

作中では紀州側に全面的な過失があるかのように描かれているが、実は援隊側にも過失があるのではないかとも言われている。いろは丸側の照明が点いていなかったという摘がそれで、もし照明が点いてなかった事が事実であればいろは丸側にも本来は過失責任が問われることになる。また平成17年海底調では積荷としてしていた金や小銃400挺は全く見つからなかった。この事かららが紀州当たり屋のようなフッカケをしたとも取られる。

船中八策について

作中では本人が書いているが、通説によると援隊士の長岡謙吉に起させた事になっている。

通説では船中八策慶応3年(1867年6月15日長崎から兵庫に向かう洋上で援隊士の長岡謙吉に起させ、後藤に示したものとされている。だがこの船中八策下原本が確認されておらず、確認されている初出は『維新土佐勤王史』の元になった諸伝の1つである毛筆本の『坂本龍馬伝』とされる。『坂本龍馬伝』の初稿は明治31年頃の事で、現時点で確認されているものとしては最も古い。これが初めて活字化されたのは大正元年の『維新土佐勤王史』で、以後千頭清臣の『坂本龍馬』(大正3年)や、岩崎編『坂本龍馬関係文書』(大正15年)などに「所謂八策なるもの」として紹介され始めた。その後年を経ていつからか「船中八策」と呼ばれるようになった。がいつ船中八策と言い出したのかはよく分かっていないが、おそらく郷土史平尾道雄ではないかと思われる。原本が見つからないため、近年では船中八策は元々存在しなかったのではないかと言う論者もいる。

お元について

お元は実在した人物で、清亭会談の際に後藤が呼んだとされる。長崎における現地妻のような人物だったらしいが、生年や経歴など詳しいことは不明。長崎奉行所の密偵やキリシタンだったという設定は当然フィクション 

と容堂の対面について

と容堂が対面し、の説得によって容堂が大政奉還の建白書を書いたように描かれているが、実際には会っていないと思われる。が脱後土佐に戻ったのはイカルス号事件の始末の時、土佐小銃1000挺を売りつけた時の2回で、その頃には既に後藤ら土佐重臣たちによって容堂への上奏がなされていた。小銃売りつけの際に会ったとする逸話もあるが史料による確認が取れないため創作と思われる。

◯◯◯について

本人が書いた原本が二通残されている所謂『新政府綱領八策』に「◯◯◯自ら盟と成り」と記載があり、現代でもが当てはまるのか議論がある。「慶喜」とする説、特にを想定しているのではなく、見たものが好きに名前を入れれば良いとする説などあるが、が何を思って◯◯◯としたのか実際は不明。なお、この◯◯◯に西郷大久保が不信感を持ち、中岡を刺客としてけしかけるような場面があったが、両者が大政奉還後にについてどう思っていたかについてははっきりした史料が存在しないため、敵意を持っていたという描写自体が彼らの政治的立場から考えられる憶測に過ぎない。そもそも西郷大久保10月17日鹿児島に戻っているため京都には居ない。再び京都に入ったのは大久保11月15日西郷11月23日のことである。

暗殺者について

最終回にて佐々木只三郎今井信郎渡辺一郎渡辺篤)らが登場し、彼らによって暗殺されているため定説通り京都見廻組暗殺者の正体。この事件の詳細については近江屋事件を参照。

近江屋テロップ襲撃事件

2010年11月28日、この日は大河ドラマの「龍馬伝」の一年の締めくくりである堂々たる最終回(第48話)、「」が放映された。その放映内に起きた見組による坂本龍馬中岡慎太郎の襲撃シーンで、起きた出来事である。首謀者はNHKであり、につつまれている点も多い。

一年にもわたる大河ドラマは普段、12月に終わるのが定番となっていた。しかし、この昨年からスペシャルドラマである「坂の上の雲」が三年がかりで4、5回にも渡って放送されるためである。そこで今年も10ヶという普通の年とは1ヶ短い放送になった。

しかし、折り悪く、この2010年11月28日和歌山知事選と愛媛知事選という、二つの都道府県知事の選挙があった。視聴者はそのことを知ってか知らずかNHK総合にて8時から9時15分にもわたる最終回拡大で行われたドラマ本放送を見ていた。なのでBS最終回を見ていた人には気づかなかった人が多い。

その後、最初は、和歌山知事選のためのテロップが表示されたがこの時は大して重要でない箇所で流れたため、視聴者は、特に何とも思っていなかった。

そして近江屋に滞在するの下に、中岡慎太郎が登場。は新政府建設のために、新政府導者を「○○○」と書いた、これが薩摩の反感を買った。もしもがこの「○○○」を徳川慶喜だったら中岡り殺すと誓約し、の下を訪れるシリアスシーンであった。

そしてそのことが誤解とわかり、中岡が二人でこれからの自分たちのこと(夷地の開拓、西洋文化確認のための洋行等)といったことを語り合ってる間に、見組の連中が近江屋に押し入り、二人の背後にび寄り、中岡が「いかん!」と叫び、応戦するまもなくられる直前に、事件はおきた。

愛媛県知事当選 新人の中村時広氏 当選確実」という文字が大々的に画面の上部、約5分の1程度を占める部分に表示されたのだ。この直後、を切られながら「どういてじゃ!どういて!」と大で叫びながらを持って応戦し、血まみれの二人の顔を少し隠すようにして数分にもわたりこのテロップが流れた。これが最終回における最大の見所、暗殺場面でのできごとであった。この直後数時間、NHKにはクレームが殺到し、公式HPはつながらない状態となった。

当選した中村新知事はかつて三菱商事の社員であった経歴を持つ御仁である。

なお坂の上の雲第一話冒頭(2009年12月放映)では、松山(当時の愛媛県松山市に本拠地を置く)が土佐に戦わず恭順し、15万両という大金を払い、から士に至るまで経済状況が悪化し、その当時に生まれた五男の主人公秋山之)が寺に出されそうになるといった話が存在する。

この2つの事は何かの縁なのだろうか。

音楽

ハゲタカのようなシリアスドラマからプリキュアのような子供向けアニメ作品まで幅広く手がける、佐藤直紀氏が担当する。

オープニングテーマ時代という荒波に立ち向かう、の如く力強い曲となっている。スケールの大きさも相まって、ニコニコではOP曲をアニメゲーム映像に合わせたMAD大河OP×アニメMADシリーズを参照)が数多く作られている。

リサジェラルドの歌唱部分は空耳で「煮込みおーでん♪」と聞こえると一部から言われている(他に「煮込み豆」「煮込みラーメン」と聞こえる人も)。また、太鼓の達人14にも収録されたおり、今ではゲームセンターでもこの曲を聴くことが出来る。もちろん、大河ドラマのOP曲が採用されたのは初めて。

実写版るろ剣との関わり

本作のチーフディレクターを務めた大友啓史は、龍馬伝の制作終了に伴いNHKを退職・フリーとなった。大友監督は、かつて自身が演出を手掛けたNHKドラマハゲタカ」の劇場版監督を務めた経験もあるが、龍馬伝の次に彼が手掛けた作品が、漫画アニメ共に大ヒット作となった「るろうに剣心」であった。近年は漫画アニメ実写化が増え、酷評され失敗に終わる作品もまた増する中、実写映画版「るろうに剣心」は3作品合わせて行収入100億円を突破し、ファンからの評価も概ね好評と成功を収めた。

制作にあたり、大友監督主人公緋村剣心役に佐藤健名したが、佐藤は「龍馬伝」が時代劇初出演作ながら本作で岡田以蔵役を好演した事によるものであった。この他にも、実写版るろ剣には下記の通り龍馬伝のキャストが多数出演している。また、音楽は先述の佐藤直紀が龍馬伝に引き続き登板し、迫力ある圧倒的なサウンド映画本編を盛り上げた。

龍馬伝 るろうに剣心
福山雅治 坂本龍馬 比古清十郎
香川照之 岩崎弥太郎 武田観柳
佐藤健 岡田以蔵 緋村剣心
青木崇高 後藤象二郎 相楽左之助
田中 吉田東洋 柏崎念至
音尾琢真 望月亀弥太
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