とは、室町幕府の第13代将軍。
塚原卜伝・上泉信綱から剣を学んだ剣豪将軍として知られる。
(詳細は後述)
天下五剣をはじめとする、名高い業物を宝具として複数所有した刀剣蒐集家のセイバーでもある。クラスはジェネラルともソードマスターとも。
概要
室町幕府第12代将軍足利義晴の長男として生まれた。幼名は菊童丸。
11歳のときに父から将軍職を譲られたが、時は日本各地で戦乱が起きる乱世。将軍の権威は公家や皇家により傀儡化・弱体化しており、実権はなきに等しかった。それでなくとも父義晴が管領の細川晴元と対立しており、将軍職の譲渡も逃亡先の日吉神社で行われるなど、いつ有力な大名から排斥されるかという不安定な地位にあった。
実権が無くて暇を持て余したからかは解らないが、塚原卜伝や上泉信綱といった、当代一流の剣の達人の教えを受けていた。
一方で将軍としては積極的に各地の大名間の紛争の調停に関わり、また自分の諱である「義」または「輝」の一字を大名に与える(偏諱授与)させるなど、将軍家の権威の回復に努めた。足利家再興のため邁進し、後見という名目で将軍家を牛耳ろうとする三好長慶やその寵臣の松永久秀、政所の伊勢貞孝ら幕臣との政争を綱渡りしていく。
足利義輝から一字をもらった主な人は以下の通り。
自らを傀儡としていた三好長慶の死後は、軍神や第六天魔王といった高クラスのサーヴァントである上杉謙信や織田信長を上洛させて三好家からの脱却を図り、ボンバーマン松永久秀を京より追放しようとする。しかし、「将軍の権威?なにそれ美味しいの?」なギリワン松永久秀に動きを察知され、幕府の権力掌握を目論んだ松永久通(松永久秀の子)、三好義継(三好長慶の甥)、三好三人衆らにより、永禄8年(1565年)5月19日、二条御所武衛陣で襲撃された。
のちに永禄の変と呼ばれる大事件である。
最期
約一万の軍勢に対して義輝側の戦力は僅かに数百。絶体絶命の状況下、足利義輝は「剣聖」として逃げるを良しとせず、戦う道を選んだ。
天下に知られる名刀の数々を畳に突き刺して待ち構え、迫り来る敵兵を斬りまくった末、四方八方より攻めかかられ、遂に討ち取られた。
……といわれているが、半分以上は後世の創作である可能性が高い。
そもそも、同時代に書き記されたフロイスの書簡や彼の書いた「日本史」、公家の日記「言継卿記」には、「畳に刺した複数の刀を取り替えながら戦った話」どころか、「名刀を使った」ことすら一言も書かれていない。
更に「剣聖」という評価も、「武勇に優れていた」とフロイスの報告があるだけで本当に剣聖であったかどうかは不明で、上泉・卜伝から奥義『一の太刀』を授かったという伝承も「甲陽軍鑑」のみで確認されており、こちらも真偽は不明。義輝が剣術において免許を皆伝したという明確な記述も存在していない。
実際のところ確かなのは、一旦は避難するものの家臣の強い説得により御所に戻った後、久秀と三好三人衆率いる軍勢に部下とともに立ち向かった事。部下が全員戦死した後も、多勢に無勢ながらも奮戦の末に戦死ないし自害したことである。
つまり「剣豪将軍」は史実の義輝とは一切無関係であり、フィクションとしての呼称である。でも浪漫あるよね。
公方様は、とても武勇すぐれて、勇気ある人だったので、まず薙刀を手にして自ら戦い、数名のものに手傷を負わせ、 他の者たちを殺した。人々はその技量のみごとさにおおいに、驚いた。......(中略)
かれは、より敵に接近するために、薙刀を投げ捨て、剣を抜いて戦った。その奮戦の様子は、さながら勝利を目前にしている者にも劣らない物だった。......(中略)
ついに敵は、公方様の胸に一槍、頭に一矢、顔には刀傷二つを加え、公方様が、地面に倒れ伏すや、皆で、公方様に襲い掛かり、所きらわず、打叩いて、完全に公方様を殺逆してはてた。
今に残る辞世の句は、
五月雨は 露か涙か 不如帰 我が名をあげよ 雲の上まで
享年30(満29歳没)。この時、多くの奉公衆が討死または自害しており、生母である慶寿院も自害している。
武人らしい覇気にあふれた姿勢や悲劇的な最期から、室町幕府将軍の中でも人気の高い人物の一人である。
しかし彼が幕臣に暗殺されたことにより、足利家の衰退は決定的なものとなってしまった。その後義輝の弟、15代将軍・足利義昭の代をもって足利の名は将軍職、そして中央権力の座から完全に姿を消すことになった。
その他「足利義輝」の詳細についてはWikipediaの該当記事参照の事。
天下五剣(てんがごけん)
室町以来、特に業物として名高かった刀剣五振を指してこう呼ぶ。当時の有力な文献が見つかっておらず、後世の創作という説もあるが、今日では広く人口に膾炙している。
このうち数珠丸恒次を除く四振は足利将軍家に伝来したとされ、これ以外にも「二つ銘則宗」「骨喰藤四郎」「大般若長光」など多くの名剣名刀があった。その多くは足利家没落後に織田、豊臣、徳川と伝わり、あるいは天皇家に奉じられている。
詳細は「天下五剣」を参照。
創作
戦国大戦
「足利幕府よ…永遠なれ!」
戦国大戦では他軍として参加。剣豪将軍と言われたその実力は伊達ではなく、2コストでは破格の武力8統率4に気合・魅力と特技を二つも所持しているハイスペックぶりである。兵種こそアクションの無い足軽であるが、高い兵力と気合持ちは相性が抜群と特別デメリットでもない。
計略「秘剣一之太刀」は範囲内の敵を斬って直接ダメージを与える計略と、彼にふさわしい計略となっている。必要士気は4と低く、チャージするほど威力は上がるが、一回斬ると終わりなので過信は禁物である。
他に同計略を持つ武将として共に塚原卜伝から奥義を授かった北畠具教がいる。
戦国BASARA
「戦国BASARA4」より参戦。詳細は足利義輝(戦国BASARA)を参照。
その他
小説では宮本昌孝『剣豪将軍義輝』が知られる。
2016年には『剣豪将軍義輝~戦国に輝く清爽の星~』として舞台化され、翌年続編となる『剣豪将軍義輝~星を継ぎし者たちへ~』が上演された。
関連動画
▼いちじょーP作のiM@S架空戦記シリーズ短編でアイドル如月千早の相手役をつとめた。
▼OMIKATAでおなじみ足利義輝主役のプレイ動画「足利義輝の野望」
※OMIKATAとは、イギリスとの交易で手に入る「長弓(ロングボウ)」の事である。
正式名称は、
Old type Missile ; Intensified Kyu-jutsu Arrow Throughout the Air
(天駆ける超強化型和弓である古式ミサイル)
であり、おおよそ五里先を攻撃可能となる戦国時代の弾道ミサイルである。
▼PC版太閤立志伝Ⅴではイベントコンバータでデータを追加し、単独で城を落とすという無双っぷりを発揮!
補足
※官位補正があるシリーズは、ここからさらに征夷大将軍補正が入る。
軍事能力 | 内政能力 | |||||||||||||
戦国群雄伝(S1) | 戦闘 | 51 | 政治 | 75 | 魅力 | 100 | 野望 | 65 | ||||||
武将風雲録(S1) | 戦闘 | 75 | 政治 | 71 | 魅力 | 100 | 野望 | 69 | 教養 | 80 | ||||
覇王伝 | 采配 | 88 | 戦闘 | 75 | 智謀 | 20 | 政治 | 72 | 野望 | 54 | ||||
天翔記 | 戦才 | 154(A) | 智才 | 60(C) | 政才 | 146(B) | 魅力 | 100 | 野望 | 89 | ||||
将星録 | 戦闘 | 76 | 智謀 | 50 | 政治 | 74 | ||||||||
烈風伝 | 采配 | 90 | 戦闘 | 64 | 智謀 | 39 | 政治 | 67 | ||||||
嵐世記 | 采配 | 72 | 智謀 | 25 | 政治 | 56 | 野望 | 84 | ||||||
蒼天録 | 統率 | 70 | 知略 | 23 | 政治 | 47 | ||||||||
天下創世 | 統率 | 72 | 知略 | 22 | 政治 | 50 | 教養 | 72 | ||||||
革新 | 統率 | 74 | 武勇 | 97 | 知略 | 25 | 政治 | 56 | ||||||
天道 | 統率 | 74 | 武勇 | 95 | 知略 | 45 | 政治 | 56 | ||||||
創造 | 統率 | 79 | 武勇 | 83 | 知略 | 54 | 政治 | 56 |
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関連項目
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