改革クラブとは、
当記事では2について解説する。
概要
2008年8月に民主党の反主流派議員と保守系無所属議員が合同で結成した政党である。
2007年の参院選で参議院の過半数を失った自公連立政権が民主党に切り崩し工作を仕掛けた結果誕生した政党であったが、当時は優勢だった民主党から敢えて離党しようという議員はほとんど現れなかったため、政党要件を満たすために必要な国会議員数5人を維持するのが精一杯という状態だった。
法律上は独立した「政党」であったものの、一般党員の募集や地方政治への参加は一切なく、国政でも自民党と統一会派を組み、自民党と同一歩調を取り続けた。また麻生内閣では事実上の閣外協力与党として扱われていた。実態はむしろ「諸事情で自民党に移籍できない保守系議員の受け皿として結成された院内会派」 に近く、政党の体にこだわったのは各種の法的優遇措置、とりわけ政党交付金の分配を受けるためだったと見られる。
2010年4月に自民党を離党した舛添要一が新党の母体として改革クラブに目を付け、自身を代表とする新党改革への衣替えを断行した[1]。これに反発した議員・候補者の約半数が離党、政策にも舛添カラーが強く反映されるようになり、改革クラブ時代からは大幅な変化を遂げることになった。
以降は新党改革を参照。
なお法律上は改革クラブと新党改革は党名を変更しただけの同一団体であるが、実態的・世間的には別政党とみなされることが多いため、当大百科でも別記事で扱っている。
なお、新党改革は参議院議員選挙2016で全議席を失い解党した。
所属議員
概要の項でも述べたように、所属議員はみな何らかの理由で自民党に移籍できない事情を抱えた保守系議員という共通点があった。思想的には総じて保守的・右翼的な思想傾向の強い議員が多い。
- 渡辺秀央
- 民主党に所属していた元参議院議員。自由党時代からの小沢一郎の側近だったが、小沢に冷遇されたことから関係が悪化、小沢率いる執行部と距離を置くようになっていた。
- 元は自民党の出身であるため自民党への移籍に抵抗はなかったものの、民主党の比例区当選議員であったことから法律上自民党に移籍すると失職してしまうため[2]、別政党の体をとる必要があった。
- 改革クラブでは代表を務め、新党改革への衣替え後も最高顧問として残留。しかし腹心の大江に去られるなど影響力の衰えは隠せず、再選の見込みも立たなかったため、2010年7月の任期満了に伴い政界を引退した。
- 大江康弘
- 自由民主党に所属する元参議院議員。渡辺を師と仰いでおり、民由合併時も行動を共にした。しかし元来ガチガチの右派だったこともあって党に馴染めず、造反行為を繰り返すようになっていた。
- こちらも渡辺同様比例区当選議員であったことから、自民党への移籍は許されない身の上であった。
- 中道寄りの舛添に党を支配されることを嫌って新党改革への衣替え時に離党。直後に幸福の科学の信者でもないのに幸福実現党に入党して世間を驚かせるがこちらも半年で離党。結局任期ギリギリで辞職して自民党に復帰、2013年7月の改選で返り咲きを狙うも落選。2016年の参院選でも落選した。
- 荒井広幸
- 自由民主党に所属していた元参議院議員。元々自民党に所属していた郵政造反組の一人。当初は新党日本に身を寄せていたが、安倍晋三のシンパであったことから第1次安倍内閣発足後は親自民路線を明確にし、無所属に転じていた。
- 自民党の比例区選出議員であるため自民復党に法律上の支障はなかったものの、郵政造反時に除名処分を受けていたため、実際にはそう簡単に復党できる立場ではなかった。
- 新党改革への衣替え後も残留し、2010年の参院選では舛添効果で得た虎の子の1議席を確保した。舛添が国政を去ると新党改革代表に就任、第2次安倍内閣に協力的な野党として重用され、さらに政党交付金も独り占めするという幸運を味わっている。
2016年の参院選で新党改革が全議席を失った責任を取り政界引退した。 - 松下新平
- 自由民主党に所属する参議院議員。元は自民党所属の宮崎県議。2004年の参院選で県連を二分していた「上杉派」の領袖・上杉光弘に対する「江藤派」の刺客として無所属で出馬、当選を果たす。しばらくは民主系無所属として活動していたが、2007年の参院選で師匠の公認要請を拒絶されたのを機に自民系無所属に転じていた。
- 選挙区当選議員であるため自民復党に法律上の支障はなかったものの、党公認の上杉を落選に追い込んだ経緯や、県連内に残る上杉派の勢力を考えると、そう簡単に復党できる状況ではなかった。
- 2009年の総選挙で上杉が落選しその権勢が更に衰えたことに加え、直後に谷垣禎一新総裁が改革クラブとの選挙区バーターを否定したことで自民復党を決意[3]、宮崎県連の公募手続を経て復党を果たした。2010年と2016年の参院選では自民公認を得て圧勝を収め、今は順風満帆な政治家人生を歩んでいる。
- 西村眞悟
- 日本のこころを大切にする党に所属する元衆議院議員。民社党・新進党・自由党を経て民主党に合流していたが、政界でも五指に入る右派色の強さから党内では大江以上に浮いており、右翼活動家の事件屋に違法に弁護士名義を貸し与えた事件で逮捕されるとあっさり党を除名され、以後無所属で活動していた。民主党の比例区選出議員である上に、逮捕後の議員辞職勧告決議に自民党も賛成していたことから、あらゆる意味で自民党への移籍は不可能な身の上だった。
- 2008年9月に5人目の議員として入党、政党要件クリアに貢献したものの翌年の総選挙であっさり落選。その後も一応籍は置いていたが、大江同様舛添を嫌って新党改革には合流せず、たちあがれ日本に転じた。後に太陽の党を経て日本維新の会に合流すると比例上位に遇され、2012年の総選挙で返り咲きを果たした。ところが翌年党の会合で韓国人へのヘイトスピーチに及んだため除名され、太陽の党に代表として就任。その後、次世代の党(現日本のこころを大切にする党)に所属して2014年衆院選と2016年参院選に出馬するが落選。
- 中村喜四郎
- 無所属の衆議院議員。かつては自民党に所属していたが、収賄罪で収監され党を追われた過去を持つ。
- 後援会地盤の強固さゆえに出所後も無所属で選挙区当選を重ねているものの、その犯罪歴に加え、現在の選挙区で自民公認候補を敵に回していることもあり、自民党に復帰することはかなわぬ身の上であった。
- 2009年10月、西村の落選で再び政党要件を失っていた改革クラブに入党し政党要件回復に貢献。しかし彼もまた舛添を嫌って大江らと共に離党、無所属のまま自民党と統一会派を結成した。2012年と2014年の総選挙でも当選を飾り、現在は自民党派閥の志帥会(二階派)にオブザーバー参加するなど、半ば自民党に復党したような状態にある。
- 山内俊夫
- 自民党に所属していた元参議院議員。松下新平の自民復帰で国会議員数が4人になり、政党要件を満たせなくなることから自民党が用意した帳尻合わせ用のトレード要員。
- 元々2010年7月の任期満了に伴い引退する予定であり、「最後のご奉公」としてトレードに応じた。新党改革への移行後もそのまま残留し、予定通り引退した。
政党要件と政党交付金
政党交付金など様々な特権を得るために必要な「所属国会議員5人もしくは直近の国政選挙で得票率2%」のうち改革クラブが満たせるのは前者のみだったため、国会議員5人を確保するためありとあらゆる手が尽くされた。
年月日 | 政党要件 | 所属議員 | 備考 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
(結成前) | (○) | 渡辺秀央 | 大江康弘 | 荒井広幸 | 松下新平 | 姫井由美子 | - | 参加予定者 |
2008/08/28 | × | - | - | 姫井が直前で翻意 | ||||
2008/09/24 | ○ | 西村眞悟 | - | |||||
2009/08/30 | × | - | - | 総選挙で西村が落選 | ||||
2009/10/16 | ○ | 中村喜四郎 | - | |||||
2010/01/08 | ○ | 山内俊夫 | 松下・山内のトレード | |||||
2010/01/14 | ○ | - |
こうした努力の甲斐あって、2009年分として77,266,567円、2010年1月~3月分として33,904,000円の計111,170,567円を改革クラブ時代の政党交付金として受け取ることが出来た。ちなみに2010年4月の新党改革への衣替え時に、離党予定者も含めた全員で3か月分の交付金を600万円ずつ山分けにしている。
なお後身の新党改革は2010年の参院選比例区でギリギリ得票率2%をクリアしたことから、以後2016年7月までは議員集めに汲々とせずとも政党交付金を受け取れるようになっている。
政策・主張
公式サイト上の「活動方針」のページよりそのまま抜粋(色は編集者による)[4]。インターネットアーカイブを見る限り、結成時からずっとこの状態だったようである。
- 参議院そして、衆議院へと国会を変えます。
- 良識の府としての議論を深めます。
- 各党会派の議論をかみ合わせ、国民のための架け橋となります。
- 答えを出せるように努めます。
- 党議拘束をはずします。
- 拉致被害者救出国民運動を推進します。
- 郵政民営化の弊害を見直します。
- 是々非々を貫き、国会における良識を取り戻します。
- 国民の利益となる答えを出せるように努めます。
- 良識の府としての議論を深めます。
- 国民と国会の架け橋となります。
概要の項で述べたように、基本的に自民党と同一歩調を取っていたため党として特筆すべき政策はなかったが、クラスター爆弾禁止条約の不承認やパチンコ違法化、自衛権および自衛隊を明記する内容の憲法改正、政府広報テレビの設置などを求める請願を提出している。
もっともこれらの請願はいずれも西村眞悟個人が紹介議員となったものであり、党としての請願と言えるかどうかは微妙である。少なくともクラスター爆弾禁止条約については参議院で条約承認に賛成票を投じているため、改革クラブが党として請願に賛同していたわけではない[5]。
ネット世論調査
公式ニコ割アンケートのネット世論調査で毎月行われている政党支持率調査における改革クラブ支持率の推移は以下の通りである。2009年10月から12月までは政党要件があったにもかかわらず、調査対象から外されていた。
年 | 2010 | ||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
月 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | |
総合 | 0.8 | 0.9 | 0.7 | (新党改革時代) | |||||||||
年齢別 | 50代以上 | 1.4 | 1.8 | 1.2 | |||||||||
40代 | 0.7 | 0.8 | 0.6 | ||||||||||
30代 | 0.9 | 0.9 | 0.7 | ||||||||||
20代 | 0.9 | 0.9 | 0.9 | ||||||||||
10代以下 | 1.1 | 1.3 | 1.1 | ||||||||||
性別 | 男性 | 1.0 | 1.0 | 1.0 | |||||||||
女性 | 0.7 | 0.7 | 0.5 | ||||||||||
年 | 2009 | ||||||||||||
月 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | |
総合 | 0.9 | 0.8 | 0.7 | 0.8 | 0.6 | 0.7 | 1.1 | N/A | --- | --- | --- | --- | |
年齢別 | 50代以上 | 0.7 | 1.9 | 1.0 | 1.1 | 0.8 | 1.2 | 1.9 | --- | --- | --- | --- | |
40代 | 1.1 | 0.6 | 0.7 | 1.2 | 0.5 | 0.9 | 1.4 | --- | --- | --- | --- | ||
30代 | 0.6 | 0.6 | 0.5 | 0.6 | 0.5 | 0.7 | 0.9 | --- | --- | --- | --- | ||
20代 | 0.8 | 0.7 | 0.8 | 0.7 | 0.9 | 0.9 | 1.4 | --- | --- | --- | --- | ||
10代以下 | 1.1 | 1.1 | 1.1 | 1.2 | 1.4 | 1.3 | 2.0 | --- | --- | --- | --- | ||
性別 | 男性 | N/A | 0.9 | 1.0 | 1.1 | 1.6 | --- | --- | --- | --- | |||
女性 | 0.6 | 0.8 | 0.7 | 1.2 | --- | --- | --- | --- | |||||
年 | 2008 | ||||||||||||
月 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | |
総合 | (結成前) | --- | N/A | 0.5 | |||||||||
性別 | 男性 | --- | 1.0 | ||||||||||
女性 | --- | 0.0 |
関連動画
関連項目
脚注
- *1月1日時点で存在していない政党は同年中の政党交付金を受け取れないため、政党交付金が欲しい場合は独自に政党を興すのではなく既存の政党を乗っ取る必要があった。
- *公職選挙法99条の2
- *改革クラブとの選挙協力「統一会派とは別」 自民・谷垣総裁
- MSN産経ニュース
- *活動方針 | 改革クラブ
- *日程第3 クラスター弾等の製造の禁止及び所持の規制等に関する法律案(内閣提出、衆議院送付)
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