「ブルークリスマス」を含む日記 RSS

はてなキーワード: ブルークリスマスとは

2024-11-20

凄く失礼なことを敢えて書くけど、AKIRAって映画物語の中身なんもないよな…

童夢もそうだけど、神作画がなければ、何も成り立たないんじゃないかと思う

酷い絵でもデスノートならストーリーと、その恐怖みたいなものはまだ伝わると思うんだけど、

大友のあの手の漫画って、正直、なんか中身が感じられないんだよね、空洞

というか、空洞だからこそ、神作画が活き活きしてくる…

あー、まあ、そんなこといったらエヴァもそうだし、ツインピークスもそうだし、

謎があるように見せてるだけで、本当は謎なんてない、伏線の回収もしないし、論理的考察も成り立たない、

世の中に、エヴァ考察本が出たのを、庵野氏はアホだなぁみたいに思ってたようなこと言ってたし、

中身はない、重要ではないのかもしれない、それを覆すというか、逆手に取るぐらいの神作画とか、演出があって、

これは凄い伏線だ!と視聴者に思わせておきながら、それをまったく回収しないまま、

自己啓発セミナーオチに持って行った旧エヴァが、正直自分は好きだし、

アラフィフになてってしまった今にならなおさら庵野氏が現実に帰れみたいな嫌がらせ実写映像混ぜたのも分かる気がしてる

自分はそんなにエヴァに夢中になった方ではないと思うけど、大学にはたしかに夢中になってる奴らがいっぱいいた気がする

個人的には、いや、だって、あれガイナックスでしょ?

やおいの山なし、オチなし、意味なし、みたいなものでしょ?

作品を鑑賞しながら、あ!あれは~のパロディだ!オマージュだ!と語り合って悦に入るみたいな、そういうもんでしょ?

エヴァだって、あー、ブルークリスマスだね、岡本喜八だね、とか言いながら見ものであって、どうせ謎なんてない、

下手したら最後宇宙戦艦ヤマトが登場して、超強引な解決をして大団円とか、そういう人たちでしょ、あの人たちは…😟

そんな風に斜に構えてリアルタイム視聴していたら、まさか自己啓発セミナー下宿でつい大爆笑してしまって、

ただ、世の中的にはエヴァ一般人にもブームになってきていて、多分、そういう人たちなんだろう、があのラストに怒ったらしくて、

怒ったからなのか、最初から計画なんだろうけど、旧劇場版ができて、現実に帰れ!って、そりゃそうだろ!って思った側だけど、

でも、アラフィフになっても夢みたいなこと考えてたりする自分も同様だったんだな、現実に帰らなきゃな、って思いました

あれ?何の話してたんだっけ…😟

2024-08-16

ラーゼフォン、やっぱり難しいなぁ…

なんか、感想見るとやたらエヴァエヴァ書かれてるんだけど、まあ、時期的にエヴァの影響がないとは言い難いけど、

基本は小松左京岡本喜八、それと勇者ライディーンな…

エヴァをパクったというより、出渕氏と庵野氏が世代的に近いからか似た作品の影響を受けてるわけで、

ラーゼフォンムーリアンの血が青いのはブルークリスマス元ネタだし、

エヴァパターン青!使徒です!の青も同じ岡本喜八ブルークリスマス元ネタで、

元ネタが被ってるんだよ、エヴァをパクったというよりはな…

自分は出渕、庵野世代よりも若いので、ブルークリスマス雑誌ロードショーだったか

映画雑誌バックナンバーを近所の図書館とか、あと親戚の家で収集している人がいて、

それでブルークリスマスを実際に見たことはなかったけど、雑誌で見てトラウマひとつになってたんだよな

円谷の昔のホラーとか、見たことないけど子供心には怖かった、ガス人間とか、電送人間とか

大人になって見て、ドゴラとかも子供の頃のトラウマだったんだけど、実際見てみると正直ショボかったんだよな

エヴァエヴァ言ってる人も、エヴァ元ネタってちゃんと分かってんのかな?って思ってしま

自分第一からウルトラマンかー、と思ってたし、活動限界とかカラータイマーあるしw

ウルトラマン風呂入ってるwwwとか爆笑してしまったし、

ガイナックス作品とかって、分かる人が見たら、そこで突然みんな爆笑し始めたりするんだよな

大学時代にみんなで視聴してたりすると…

しかし、ラーゼフォンはよく分からんな…

話が難しいから嫌い、という人も多いみたい…

流石にそれは勿体ない、単なる時空の捻じれ?によって年齢が離れてしまった男女の恋愛ものとして見ればいいと思うし…

しかし、それにしてもラストバトルだけ取り出しても自分にもよく分からんのよな

神名綾人って名前通り、主人公神様なんだろう

で、綾人の遺伝子上の母親久遠なわけだけど、ラスト久遠と殴り合いするわけで、

まり母親と息子が壮絶な殴り合いをするわけで、という理解でいいのかな…

父親殺しというのは物語パターンとしてよく聞くわけだけど、

例えば、初代ガンダムだって父親殺しであるし、あぁ、あれも母親殺しとも言えるのかな…

アムロは両親を見捨てる、見限るわけだけど、精神的に殺してるわけだよな

それが少年大人になる、自立するという意味なんだと思うんだけど、

ラーゼフォンはなんで遺伝子とはいえ母親と殴り合いの取っ組み合いの喧嘩するのかさっぱり分からん

なんだかんだ久遠とか麻弥はムーリアンのはずだからムーリアンとして、異次元から侵略者として、

地球というか、この世界側をムーリアンの都合がいい世界に完全に改変したかった、ということなのだろうか?

まり東京ジュピター以上に、この世界ムーリアンが完全に乗っ取りたい、それだけ?

綾人がオチのような世界調律したい理由はまったく納得できるので、そこは問題ないんだけど…

2021-03-15

シンエヴァネタバレを読んで

ラーゼフォンしか思えなかったり

時期的に、というかエヴァの影響は受けているだろうけど

そういえば、ラーゼフォンは「首都消失」「さよならジュピター」「ブルークリスマスネタだったよなあ

小松左京庵野氏が大好きな岡本喜八

主人公が神になって世界調律を果たす

調律された世界には東京ジュピターエヴァ使徒に当たるドーレムも当然ムーリアンも存在しない

東京ジュピターが出現して離れ離れになって、自分彼女だった遥は主人公の代わりに?双子の弟、樹と交際するも別れてしま

調律された後の世界では主人公と弟が合体したような人物になっている

物語は完全になかったことになっていて、主人公大学研究職で出世、(紫東)遙とは普通に結婚

出産した娘の名前主人公世界を再構築する権利を争ったもう一体の神である如月久遠になっている

世界ループするたびに登場人物の役が変わるみたいな感じ

ラーゼフォンイケメン無双なところが観ててツライけど、フィクションとしては好き

ただ、裏側を調べててちょっと胡散臭い新興宗教っぽく思えたのは気になるけど

作り手側がどういう思想宗教観なのかは引っ掛かるけど、フィクションとしては面白いし好きなんだよなあ

メカとかそういう設定も好きだった

ライディーンオマージュというのも良かった

違いがあるとするなら、ラーゼフォン純愛路線だった

東京ジュピターによって離れ離れになり、東京ジュピターの中では時間の流れが遅くなるため、

離れ離れになった同い年の二人は年齢差が開いてしま

ウラシマ効果みたいなものでもある

少年東京ジュピターの中で少年のまま、少女はオバサンになってしま

それでも互いに恋愛関係になり、最終的には再調律によって問題自体がなくなってしま

シンエヴァは脇道から現れた巨乳眼鏡と結ばれてしまうという点でリアルといえばリアルなんだろう

ラーゼフォンTV版と劇場版で設定が異なっていたと思うけど、

引き離された恋人同士が最後は結ばれる点では同じだったと思う

そんな理想通りいくわきゃねーだろ、となればシンエヴァみたいになるのかもしれない

2016-01-23

エヴァQと旧世紀版のテーマの相違について

エヴァQを今更観て考察を色々読みふけっていたのだけれども、新用語定義をうんうん唸って考察しているページばかりで、作品テーマというか結局庵野はこれで何が言いたいわけ?というところを誰も言及していないので自分で書く。

※追記(2016/4/25):はてな内外からたくさんの反響を頂いて驚いた。投稿後、考えが変わったところもある(特に震災の影響を見逃していたこと、ヴィレの分離の意味について)のだけれど、もう一度全部見直して加筆修正する時間が取れない。近いうちに頑張りたい(ここ見てる人も少ないだろうが)。

TV&旧劇(旧世紀版)のテーマ

新劇場版テーマ考察するにあたって、まず旧世紀版のテーマ確認しておきたい。

結論から言えば、旧世紀版の中心テーマは(1)組織上位の命令とあれば人殺しさえやってしま人間の悪辣さ、(2)若者を自らのエゴの実現のために利用する大人の悪辣さ、(3)自分価値を見出せない現代人のコミュニケーション不全、(4)馬鹿は死ななきゃ治らない、の4つである。以下詳述する。

(1)組織上位の命令とあれば人殺しさえやってしま人間の悪辣さ

旧世紀版において明かされる最大の謎と言えば、使徒とヒトとがほとんど同じ存在であるということである。そのことはミサトの台詞から良く分かる。

私たち人間はね、アダムと同じ、リリスと呼ばれる生命体の源からまれた、18番目の使徒なのよ。他の使徒たちは別の可能性だったの。ヒトの形を捨てた人類なの。」

そして第24話において登場する渚カヲルに至っては、ヒト以上の容姿能力パーソナリティを持つ魅力的な存在として現れた。そのことはシンジも認めるところで、以下のように述べている。

「そうだ。生き残るならカヲル君の方だったんだ。僕なんかよりずっと彼の方がいい人だったのに。カヲル君が生き残るべきだったんだ」

しかし周知のように、シンジはこれを殺してしまう。TV版第25話第26話は主としてこの懺悔に費やされるが、そこで繰り返されるのは、ヒトを守るためには命令通りにカヲル殺害するのは仕方なかったという言葉である

シンジ 「結局、僕はこれに乗るしかないのか?好きな人を殺してまで。父さんやみんなの言う通りに、またこれに乗って戦えっていうの?母さん、何か言ってよ、答えてよ」

テロップ 『何故エヴァに乗るのか?』

碇シンジ 「みんなが乗れって言うから

ここには、人殺しさえも上の命令であれば仕方ないとしてしま人間の悪辣さが表れている。

そしてこの人間の欠陥は、エヴァンゲリオン元ネタとしてしばしば監督自身が挙げる、岡本喜八ブルークリスマス』、富野由悠季イデオン』で繰り返し述べられるテーマでもあり、その両者の背景にあるのは第二次世界大戦である

なお、エヴァ以降の作品であるが、インドネシア大量虐殺を扱ったドキュメンタリールック・オブ・サイレンス』においては、被害者の遺族になぜ家族を殺したと問い詰められた加害者が、シンジと同じ言い訳をしているのが分かる。

(2)若者を自らのエゴの実現のために利用する大人の悪辣さ

ここでいう大人とは、ゲンドウとゼーレの面々である

劇場版では、上記のようにシンジカヲル殺害させ、深い絶望(=デストルドー)に陥れ、そのデストルドートリガーとしてサードインパクト引き起こしている。

その動機は、ゲンドウについては「ユイに再び会いたい」というもので、ゼーレにいたってはキリスト教的な原罪から人間贖罪させたいというものである。どちらも身勝手な発想に基づくもので、到底人類全てを滅ぼす理由とはなり得ない。

ここには、若者自己エゴの実現のために利用する大人の悪辣さが表れている。

なお、エヴァには影響は与えていないが、深作欣二仁義なき戦い』においては同様のテーマが描かれていて、その背景にはやはり第二次世界大戦がある。

(3)自分価値を見出せない現代人のコミュニケーション不全

周知のように、シンジ自分価値エヴァパイロットであることにしか見出せず、それを失って人に見放されることを非常に恐れている。

TV最終話ほとんどこのテーマについての議論に費やされている。その一部を引用する。

碇シンジ 「僕に価値はない。誇れるものがない」

惣流アスカ 「だからエヴァに乗ってる」

碇シンジエヴァに乗ることで、僕は僕でいられる」

(4)馬鹿は死ななきゃ治らない

以上のような問題を抱えた人類は、旧劇場版においてサードインパクト突入し、シンジアスカ以外全滅してしまう。

生き残ったシンジは、隣に横たわるアスカの首を絞めてしまう。これは(解釈余地はあるが)シンジの対人恐怖症がまったく解決されていないことを意味している。馬鹿は死ななきゃ治らないのである

エヴァQテーマ

以上の点を踏まえて、エヴァQでは旧世紀版のテーマをどう扱っているのだろうか。

結論から言うと、シンジは相変わらず人を殺し、大人に利用されている。これは旧世紀版との比較を表にしてみると分かりやすいかもしれない。

旧世紀版新劇場版
殺した対象カヲル君(をはじめとする使徒ニアサーインパクト震源地付近住民
殺害正当化理由上位の命令に従っただけであり仕方がない愛する綾波を救うためであり仕方がない
罪の代償深い絶望周囲の非難
贖罪方法戦自に殺されることを望む2本の槍と13号機で世界の修復をする
上記行為の結果ミサトに自殺を阻止され、戦地に送られるが、デストルドーゲンドウ(とゼーレ)に利用されてサードインパクトが発動。人類シンジアスカを除いて滅亡。世界修復の希望ゲンドウに利用されて、フォースインパクトが発動。目の前でカヲルの首が飛ぶ。

主な変更点としては、①殺害正当化理由が「上位に命令されて・・・」という消極的ものから、「綾波を救う」という積極的ものに変化したこと、②贖罪方法自殺という消極的ものから世界の修復という積極的ものに変化したこと、が挙げられる。

さらに、③「(3)自分価値を見出せない現代人のコミュニケーション不全」という問題がほぼ扱われなくなっている。

これらの変更の結果、エヴァテーマは(その善し悪しはともかく)矮小ものとなった。すなわち、旧世紀版においては第二次世界大戦により露わとなった「人類問題点」ともいうべき大問題が扱われていたのに対し、ここで扱われている問題あくまで「シンジ問題点である。このことは、愛する者のために人殺しをしてしまうというのはいかにもフィクションが好みそうなところで、現実でこれが問題となる例は少ないということからも分かるだろう。

さらに、「(3)自分価値を見出せない現代人のコミュニケーション不全」という問題がほぼ扱われなくなったことでテーマはより普遍性を失っている。

なぜテーマの変更は起こったか(ここは完全に妄想

上記の点を踏まえた上で、なぜテーマの変化が起こったかを考えてみると、私はエヴァ成功自身結婚が背後にあるのではないかと睨んでいる。

エヴァ成功により庵野自身の生きる価値を見出すことができ、「(3)自分価値を見出せない現代人のコミュニケーション不全」という問題が解決できてしまった。

さら結婚により、人殺し正当化理由として「愛する者を救うため」という理由俎上に載ったものと推測される。

次回作はどうなる?

 Qの次回予告においては、次回作では「ファイナルインパクト」が起こることが示唆されている。しかし、それが仮に起きたところで解決される問題は、上記のようなシンジ個人の問題点で、我々からするとどうでもいい問題である次回作はかなり小規模な作品になるんじゃないかと個人的には思う。

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん