1957年イタリアグランプリ
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レース詳細 | |||
---|---|---|---|
1957年F1世界選手権全8戦の第8戦 | |||
モンツァ・サーキット(1957-1971) | |||
日程 | 1957年9月8日 | ||
正式名称 | XXVIII Gran Premio d'Italia | ||
開催地 |
モンツァ・サーキット イタリア モンツァ | ||
コース | 恒久的レース施設 | ||
コース長 | 5.750 km (3.573 mi) | ||
レース距離 | 87周 500.25 km (310.84 mi) | ||
ポールポジション | |||
ドライバー | ヴァンウォール | ||
タイム | 1:42.4 | ||
ファステストラップ | |||
ドライバー | トニー・ブルックス | ヴァンウォール | |
タイム | 1:43.7 | ||
決勝順位 | |||
優勝 | ヴァンウォール | ||
2位 | マセラティ | ||
3位 | フェラーリ |
1957年イタリアグランプリ (1957 Italian Grand Prix) は、1957年のF1世界選手権第8戦(最終戦)として、1957年9月8日にモンツァ・サーキットで開催された。
レース概要
[編集]1955年と1956年に使用されたオーバルコースの併用をやめ、ロードコースのみが使用された。それでも高速サーキットであることには変わりがなく、空力に優れたヴァンウォール勢が1-3位を独占した(スチュアート・ルイス=エヴァンズは初ポールポジション)。レースでもマセラティ2台と激しいトップ争いを演じた末、スターリング・モスが制して連勝した。ファン・マヌエル・ファンジオは2位が精一杯だった。マセラティはずっと開発を続けていたV型12気筒エンジンをジャン・ベーラの250Fに搭載しトップ争いにも加わったが、中盤過ぎにエンジンが壊れてリタイアに終わった[1]。フェラーリは1950年以来の未勝利に終わった。
マセラティは市販GTカーの開発に専念するため、11月にレース活動の休止を発表した[1]。さらに王者ファンジオが翌シーズンはフル参戦しないことを発表した。
エントリーリスト
[編集]No. | ドライバー | エントラント | コンストラクター | シャシー | エンジン | タイヤ |
---|---|---|---|---|---|---|
2 | ファン・マヌエル・ファンジオ | オフィシーネ・アルフィエリ・マセラティ | マセラティ | 250F | マセラティ 250F1 2.5L L6 | P |
4 | ハリー・シェル | |||||
6 | ジャン・ベーラ | マセラティ 250F1 2.5L V12 | ||||
8 | ジョルジオ・スカルラッティ | マセラティ 250F1 2.5L L6 | ||||
10 | パコ・ゴディア | |||||
12 | ルイジ・ピオッティ | ルイジ・ピオッティ | マセラティ | 250F | マセラティ 250F1 2.5L L6 | P |
14 | ホレース・グールド | H.H. グールド | マセラティ | 250F | マセラティ 250F1 2.5L L6 | D |
16 | ブルース・ハルフォード | ブルース・ハルフォード | マセラティ | 250F | マセラティ 250F1 2.5L L6 | D |
18 | スターリング・モス | ヴァンダーヴェル・プロダクツ・リミテッド | ヴァンウォール | VW5 | ヴァンウォール 254 2.5L L4 | P |
20 | スチュアート・ルイス=エヴァンズ | |||||
22 | トニー・ブルックス | |||||
24 | ヨアキム・ボニエ | スクーデリア・セントロ・スッド | マセラティ | 250F | マセラティ 250F1 2.5L L6 | P |
26 | マステン・グレゴリー | |||||
28 | オットリーノ・フォロンテリオ 1 アンドレ・シモン |
オットリーノ・フォロンテリオ | マセラティ | 250F | マセラティ 250F1 2.5L L6 | P |
30 | ピーター・コリンズ | スクーデリア・フェラーリ | フェラーリ | 801 | フェラーリ DS50 2.5L V8 | E |
32 | ルイジ・ムッソ | |||||
34 | マイク・ホーソーン | |||||
36 | ヴォルフガング・フォン・トリップス | |||||
ソース:[2] |
- 追記
- ^1 - 交代要員としてエントリー
結果
[編集]予選
[編集]順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | タイム | 差 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 20 | スチュアート・ルイス=エヴァンズ | ヴァンウォール | 1:42.4 | — |
2 | 18 | スターリング・モス | ヴァンウォール | 1:42.7 | + 0.3 |
3 | 22 | トニー・ブルックス | ヴァンウォール | 1:42.9 | + 0.5 |
4 | 2 | ファン・マヌエル・ファンジオ | マセラティ | 1:43.1 | + 0.7 |
5 | 6 | ジャン・ベーラ | マセラティ | 1:43.9 | + 1.5 |
6 | 4 | ハリー・シェル | マセラティ | 1:45.1 | + 2.7 |
7 | 30 | ピーター・コリンズ | フェラーリ | 1:45.3 | + 2.9 |
8 | 36 | ヴォルフガング・フォン・トリップス | フェラーリ | 1:45.5 | + 3.1 |
9 | 32 | ルイジ・ムッソ | フェラーリ | 1:45.7 | + 3.3 |
10 | 34 | マイク・ホーソーン | フェラーリ | 1:46.1 | + 3.7 |
11 | 26 | マステン・グレゴリー | マセラティ | 1:48.9 | + 6.5 |
12 | 8 | ジョルジオ・スカルラッティ | マセラティ | 1:49.2 | + 6.8 |
13 | 24 | ヨアキム・ボニエ | マセラティ | 1:49.7 | + 7.3 |
14 | 16 | ブルース・ハルフォード | マセラティ | 1:51.6 | + 9.2 |
15 | 10 | パコ・ゴディア | マセラティ | 1:52.2 | + 9.8 |
16 | 28 | アンドレ・シモン | マセラティ | 1:52.8 | + 10.4 |
17 | 12 | ルイジ・ピオッティ | マセラティ | 1:52.9 | + 10.5 |
18 | 14 | ホレース・グールド | マセラティ | 1:53.7 | + 11.3 |
ソース:[3] |
決勝
[編集]順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | 周回数 | タイム/リタイア原因 | グリッド | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 18 | スターリング・モス | ヴァンウォール | 87 | 2:35:03.9 | 2 | 8 |
2 | 2 | ファン・マヌエル・ファンジオ | マセラティ | 87 | +41.2 | 4 | 6 |
3 | 36 | ヴォルフガング・フォン・トリップス | フェラーリ | 85 | +2 Laps | 8 | 4 |
4 | 26 | マステン・グレゴリー | マセラティ | 84 | +3 Laps | 11 | 3 |
5 | 8 | ジョルジオ・スカルラッティ ハリー・シェル |
マセラティ | 84 | +3 Laps | 12 | 1 1 |
6 | 34 | マイク・ホーソーン | フェラーリ | 83 | +4 Laps | 10 | |
7 | 22 | トニー・ブルックス | ヴァンウォール | 82 | +5 Laps | 3 | 1 1 |
8 | 32 | ルイジ・ムッソ | フェラーリ | 82 | +5 Laps | 9 | |
9 | 10 | パコ・ゴディア | マセラティ | 81 | +6 Laps | 15 | |
10 | 14 | ホレース・グールド | マセラティ | 78 | +9 Laps | 18 | |
11 | 28 | アンドレ・シモン オットリーノ・フォロンテリオ |
マセラティ | 72 | +15 Laps | 16 | |
Ret | 30 | ピーター・コリンズ | フェラーリ | 62 | エンジン | 7 | |
Ret | 20 | スチュアート・ルイス=エヴァンズ | ヴァンウォール | 49 | エンジン | 1 | |
Ret | 6 | ジャン・ベーラ | マセラティ | 49 | オーバーヒート | 5 | |
Ret | 16 | ブルース・ハルフォード | マセラティ | 47 | エンジン | 14 | |
Ret | 4 | ハリー・シェル | マセラティ | 34 | オイル漏れ | 6 | |
Ret | 24 | ヨアキム・ボニエ | マセラティ | 31 | オーバーヒート | 13 | |
Ret | 12 | ルイジ・ピオッティ | マセラティ | 3 | エンジン | 17 | |
ソース:[4]
|
- 追記
注記
[編集]- 車両共有:
- 8号車: ジョルジオ・スカルラッティ(50周)、ハリー・シェル(34周)。5位に入賞したため、2人に1点が与えられた。
- 28号車: アンドレ・シモン(40周)、オットリーノ・フォロンテリオ(32周)
- イタリアGPが最終戦になったのはこの年が最後である。
- マセラティはV12エンジンを実戦投入し、ジャン・ベーラのみ決勝で使用した。ファン・マヌエル・ファンジオもV12エンジンを試走させたが、決勝は従来の直列6気筒エンジンを使用した。他のドライバーは全て直列6気筒エンジンを使用した。
ランキング
[編集]→ドライバーズ・チャンピオンシップの詳細については「1957年のF1世界選手権 § 1957年のドライバーズランキング」を参照
- ドライバーズ・チャンピオンシップ
順位 | ドライバー | ポイント | |
---|---|---|---|
1 | ファン・マヌエル・ファンジオ | 40 (46) | |
2 | スターリング・モス | 25 | |
3 | ルイジ・ムッソ | 16 | |
4 | マイク・ホーソーン | 13 | |
5 | トニー・ブルックス | 11 |
- 注: トップ5のみ表示。ベスト5戦のみがカウントされる。ポイントは有効ポイント、括弧内は総獲得ポイント。
脚注
[編集]- ^ a b (林信次 1999, p. 41)
- ^ “Italy 1957 - Race entrants”. statsf1.com. 2018年1月26日閲覧。
- ^ “Italy 1957 - Qualifications”. statsf1.com. 2018年1月26日閲覧。
- ^ “1957 Italian Grand Prix”. formula1.com. 18 February 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。9 August 2015閲覧。
参照文献
[編集]- 林信次『F1全史 1956-1960』ニューズ出版、1999年。ISBN 4-938495-27-9。
外部リンク
[編集]前戦 1957年ペスカーラグランプリ |
FIA F1世界選手権 1957年シーズン |
次戦 1958年アルゼンチングランプリ |
前回開催 1956年イタリアグランプリ |
イタリアグランプリ | 次回開催 1958年イタリアグランプリ |