1953年ドイツグランプリ
レース詳細 | |||
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1953年F1世界選手権全9戦の第7戦 | |||
ニュルブルクリンク北コース (1927-1967) | |||
日程 | 1953年8月2日 | ||
正式名称 | XVI Großer Preis von Deutschland | ||
開催地 |
ニュルブルクリンク 西ドイツ ニュルブルク | ||
コース | 恒久的レース施設 | ||
コース長 | 22.810 km (14.173 mi) | ||
レース距離 | 18周 410.580 km (255.123 mi) | ||
決勝日天候 | 晴(ドライ) | ||
ポールポジション | |||
ドライバー | フェラーリ | ||
タイム | 9:59.8 | ||
ファステストラップ | |||
ドライバー | アルベルト・アスカリ | フェラーリ | |
タイム | 9:56.0 (12周目) | ||
決勝順位 | |||
優勝 | フェラーリ | ||
2位 | マセラティ | ||
3位 | フェラーリ |
1953年ドイツグランプリ (1953 German Grand Prix) は、1953年のF1世界選手権第7戦として、1953年8月2日にニュルブルクリンクで開催された。
1952年と1953年は通常適用されるフォーミュラ1のレギュレーションではなく、フォーミュラ2のレギュレーションが適用された。
レース概要
[編集]フェラーリのジュゼッペ・ファリーナが、2位のファン・マヌエル・ファンジオに1分以上の差を付けて優勝した。ファリーナは本レースがF1での最後の優勝となった。
ランキング首位のアルベルト・アスカリは、予選で唯一10分を切ってポールポジションを獲得し、決勝でも序盤から独走するものの、5周目に右フロントタイヤが外れてしまい優勝争いから脱落。9周目を終えて、首位と同ラップの4位を走行していたルイジ・ヴィッロレージと交代して逆転優勝を狙う。12周目には予選を上回るタイムでファステストラップを記録したが、15周目を終えた後にエンジンが壊れてリタイアした[1]。アスカリはファステストラップの1ポイントを上積みしただけだったが、この時点で2年連続2回目のチャンピオンが決定した[2]。なお、当時の文献では有効ポイントがベスト5戦と考えられており、次戦スイスGPがチャンピオン決定レースとされている。実際にはベスト4戦となったため、本レースでアスカリのチャンピオンが決定したことになる[2]。
昭和天皇の名代としてエリザベス2世の戴冠式に参列するなど、6ヶ月間の欧米歴訪中だった当時19歳の皇太子明仁親王が本レースを台覧した[3]。明仁親王はこの週末、西ドイツでの休暇日となっていたが、近くで「大きな自動車レース」が開催されることを知り、急遽ニュルブルクリンクを訪れた[1]。レース終了後の表彰台で明仁親王が優勝したファリーナを祝福し握手を交わした際の写真が通信社を介して各国に配信されており、その時の模様を伝えている。なお、明仁親王が自動車レースを観戦したのはこの1回のみである[4]。
エントリーリスト
[編集]- 追記
- ^1 - ゴンザレスは前週に開催されたスポーツカーによるポルトガルグランプリで重症を負い欠場[1]
- ^2 - エントリーしたが出場せず。アドルフ・ラングは2台のマシンをエントリーしていた
結果
[編集]予選
[編集]順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | タイム | 差 | |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1 | アルベルト・アスカリ | フェラーリ | 9:59.8 | — | |
2 | 5 | ファン・マヌエル・ファンジオ | マセラティ | 10:03.7 | + 3.9 | |
3 | 2 | ジュゼッペ・ファリーナ | フェラーリ | 10:04.1 | + 4.3 | |
4 | 3 | マイク・ホーソーン | フェラーリ | 10:12.6 | + 12.8 | |
5 | 10 | モーリス・トランティニアン | ゴルディーニ | 10:21.7 | + 21.9 | |
6 | 4 | ルイジ・ヴィッロレージ | フェラーリ | 10:22.8 | + 23.0 | |
7 | 7 | フェリーチェ・ボネット | マセラティ | 10:40.8 | + 41.0 | |
8 | 8 | オノフレ・マリモン | マセラティ | 10:41.0 | + 41.2 | |
9 | 9 | ジャン・ベーラ | ゴルディーニ | 10:45.5 | + 45.7 | |
10 | 11 | ハリー・シェル | ゴルディーニ | 10:46.2 | + 46.4 | |
11 | 17 | エマヌエル・ド・グラッフェンリード | マセラティ | 10:46.6 | + 46.8 | |
12 | 19 | スターリング・モス | クーパー-アルタ | 10:48.3 | + 48.5 | |
13 | 15 | ロイ・サルヴァドーリ | コンノート-リー・フランシス | 10:57.5 | + 57.7 | |
14 | 31 | ハンス・ヘルマン | ヴェリタス | 10:59.8 | + 1:00.0 | |
15 | 14 | プリンス・ビラ | コンノート-リー・フランシス | 11:02.1 | + 1:02.3 | |
16 | 16 | ケネス・マッカルパイン | コンノート-リー・フランシス | 11:07.3 | + 1:07.5 | |
17 | 38 | アラン・ブラウン | クーパー-ブリストル | 11:08.7 | + 1:08.9 | |
18 | 23 | ヴィリー・ヒークス | ヴェリタス | 11:18.0 | + 1:18.2 | |
19 | 18 | ジャック・スウォーターズ | フェラーリ | 11:18.9 | + 1:19.1 | |
20 | 40 | ロドニー・ナッキー | クーパー-ブリストル | 11:22.1 | + 1:22.3 | |
21 | 28 | テオ・フィッツァウ | AFM-BMW | 11:23.4 | + 1:23.6 | |
22 | 20 | ルイ・ロジェ | フェラーリ | 11:27.4 | + 1:27.6 | |
23 | 21 | ハンス・スタック | AFM-ブリストル | 11:37.2 | + 1:37.4 | |
24 | 35 | エドガー・バース | EMW | 11:40.8 | + 1:41.0 | |
25 | 12 | ジョニー・クレエ | コンノート-リー・フランシス | 11:45.5 | + 1:45.7 | |
26 | 36 | ルドルフ・クラウゼ | BMW | 11:49.5 | + 1:49.7 | |
27 | 34 | クルト・アドルフ | フェラーリ | 11:53.1 | + 1:53.3 | |
28 | 24 | テオ・ヘルフリッヒ | ヴェリタス | 11:56.3 | + 1:56.5 | |
29 | 22 | ウォルフガング・ザイデル | ヴェリタス | 11:59.3 | + 1:59.5 | |
30 | 41 | ギュンター・ベチェム | AFM-BMW | 12:13.3 | + 2:13.5 | |
31 | 30 | エルンスト・ローフ | ヴェリタス | 12:16.8 | + 2:17.0 | |
32 | 37 | エルンスト・クロドヴィヒ | BMW | 12:24.6 | + 2:24.8 | |
33 | 32 | エルヴィン・バウアー | ヴェリタス | No time | — | |
34 | 26 | オスヴァルト・カルヒ | ヴェリタス | No time | — | |
DNP | 39 | ヘルムート・グロックラー | クーパー-ブリストル | No time 1 | — | |
ソース:[7]
|
- 追記
- ^1 - グロックラーは予選でエンジントラブルが発生したため出走せず
決勝
[編集]順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | 周回数 | タイム/リタイア原因 | グリッド | ポイント |
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1 | 2 | ジュゼッペ・ファリーナ | フェラーリ | 18 | 3:02:25.0 | 3 | 8 |
2 | 5 | ファン・マヌエル・ファンジオ | マセラティ | 18 | + 1:04.0 | 2 | 6 |
3 | 3 | マイク・ホーソーン | フェラーリ | 18 | + 1:43.6 | 4 | 4 |
4 | 7 | フェリーチェ・ボネット | マセラティ | 18 | + 8:48.6 | 7 | 3 |
5 | 17 | エマヌエル・ド・グラッフェンリード | マセラティ | 17 | + 1 Lap | 11 | 2 |
6 | 19 | スターリング・モス | クーパー-アルタ | 17 | + 1 Lap | 12 | |
7 | 18 | ジャック・スウォーターズ | フェラーリ | 17 | + 1 Lap | 19 | |
8 | 1 | アルベルト・アスカリ ルイジ・ヴィッロレージ |
フェラーリ | 17 | + 1 Lap | 1 | |
9 | 31 | ハンス・ヘルマン | ヴェリタス | 17 | + 1 Lap | 14 | |
10 | 20 | ルイ・ロジェ | フェラーリ | 17 | + 1 Lap | 22 | |
11 | 40 | ロドニー・ナッキー | クーパー-ブリストル | 16 | + 2 Laps | 20 | |
12 | 24 | テオ・フィッツァウ | ヴェリタス | 16 | + 2 Laps | 28 | |
13 | 16 | ケネス・マッカルパイン | コンノート-リー・フランシス | 16 | + 2 Laps | 16 | |
14 | 36 | ルドルフ・クラウゼ | BMW | 16 | + 2 Laps | 26 | |
15 | 37 | エルンスト・クロドヴィヒ | BMW | 15 | + 3 Laps | 32 | |
16 | 22 | ウォルフガング・ザイデル | ヴェリタス | 14 | + 4 Laps | 29 | |
Ret | 4 | ルイジ・ヴィッロレージ アルベルト・アスカリ |
フェラーリ | 15 | エンジン | 6 | 1 1 |
Ret | 38 | アラン・ブラウン | クーパー-ブリストル | 15 | エンジン | 17 | |
Ret | 8 | オノフレ・マリモン | マセラティ | 13 | サスペンション | 8 | |
Ret | 35 | エドガー・バース | EMW | 12 | エグゾースト | 24 | |
Ret | 12 | ジョニー・クレエ | コンノート-リー・フランシス | 12 | エンジン | 25 | |
Ret | 26 | オスヴァルト・カルヒ | ヴェリタス | 10 | エンジン | 34 | |
Ret | 23 | ヴィリー・ヒークス | ヴェリタス | 8 | トランスミッション | 18 | |
Ret | 9 | ジャン・ベーラ | ゴルディーニ | 7 | ギアボックス | 9 | |
Ret | 11 | ハリー・シェル | ゴルディーニ | 6 | エンジン | 10 | |
Ret | 14 | プリンス・ビラ | コンノート-リー・フランシス | 6 | サスペンション | 15 | |
Ret | 28 | テオ・フィッツァウ | AFM-BMW | 3 | エンジン | 21 | |
Ret | 34 | クルト・アドルフ | フェラーリ | 3 | トランスミッション | 27 | |
Ret | 41 | ギュンター・ベチェム | AFM-BMW | 2 | エンジン | 30 | |
Ret | 10 | モーリス・トランティニアン | ゴルディーニ | 1 | ディファレンシャル | 5 | |
Ret | 15 | ロイ・サルヴァドーリ | コンノート-リー・フランシス | 1 | エンジン | 13 | |
Ret | 32 | エルヴィン・バウアー | ヴェリタス | 1 | エンジン | 33 | |
Ret | 21 | ハンス・スタック | AFM-ブリストル | 0 | エンジン | 23 | |
Ret | 30 | エルンスト・ローフ | ヴェリタス | 0 | 燃料ポンプ | 31 | |
ソース:[8]
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- 追記
注記
[編集]- 車両共有: (アスカリとヴィッロレージが車両を交換した)
- 1号車: アスカリ(9周)、ヴィッロレージ(8周)
- 4号車: ヴィッロレージ(10周)、アスカリ(5周)
- ファリーナはF1世界選手権での最後の勝利となった(この時点で46歳)。
- 決勝で34台が出走したが、これはF1における決勝出走台数最多記録である[9]。
第7戦終了時点でのランキング
[編集]- ドライバーズ・チャンピオンシップ
順位 | ドライバー | ポイント | |
---|---|---|---|
1 | アルベルト・アスカリ | 33.5 (37.5) | |
4 | 2 | ジュゼッペ・ファリーナ | 20 |
2 | 3 | ファン・マヌエル・ファンジオ | 19 |
2 | 4 | マイク・ホーソーン | 18 (20) |
2 | 5 | ホセ・フロイラン・ゴンザレス | 13.5 (14.5) |
- 注: トップ5のみ表示。ベスト4戦のみがカウントされる。ポイントは有効ポイント、括弧内は総獲得ポイント。
脚注
[編集]- ^ a b c 林信次『F1全史 1950-1955』ニューズ出版、2000年、80頁。ISBN 4-89107-019-6。
- ^ a b 林信次『F1全史 1950-1955』ニューズ出版、2000年、83頁。ISBN 4-89107-019-6。
- ^ Födisch, Jörg Thomas; Völker, Bernhard; Behrndt, Michael (2008). Der große Preis von Deutschland. Alle Rennen seit 1926. Königswinter: HEEL Verlag. p. 69. ISBN 9783868520439
- ^ “上皇陛下がF1をご覧になった日|1953年F1ドイツGP”. motorsport.com (2019年10月22日). 2019年10月23日閲覧。
- ^ “Scaramanzia in F1: lo sfortunato numero 13”. PANORAMAUTO (2012年2月29日). 2017年7月23日閲覧。
- ^ “Germany 1953 - Race entrants”. statsf1.com. 2017年7月23日閲覧。
- ^ “Germany 1953 - Qualifications”. statsf1.com. 5 May 2016閲覧。
- ^ “1953 German Grand Prix”. formula1.com. 18 January 2015時点のオリジナルよりアーカイブ。4 August 2015閲覧。
- ^ “All time Formula One records”. f1technical.net. 4 August 2015閲覧。
参照文献
[編集]- 林信次『F1全史 1950-1955』ニューズ出版、2000年。ISBN 4-89107-019-6。
外部リンク
[編集]前戦 1953年イギリスグランプリ |
FIA F1世界選手権 1963年シーズン |
次戦 1953年スイスグランプリ |
前回開催 1952年ドイツグランプリ |
ドイツグランプリ | 次回開催 1954年ドイツグランプリ |