1956年ドイツグランプリ
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レース詳細 | |||
---|---|---|---|
1956年F1世界選手権全8戦の第7戦 | |||
ニュルブルクリンク北コース(1927-1967) | |||
日程 | 1956年8月5日 | ||
正式名称 | XVIII Großer Preis von Deutschland | ||
開催地 |
ニュルブルクリンク 西ドイツ ニュルブルク | ||
コース | 恒久的レース施設 | ||
コース長 | 22.810 km (14.173 mi) | ||
レース距離 | 22周 501.820 km (311.806 mi) | ||
決勝日天候 | 晴(ドライ) | ||
ポールポジション | |||
ドライバー | フェラーリ | ||
タイム | 9:51.2 | ||
ファステストラップ | |||
ドライバー | ファン・マヌエル・ファンジオ | フェラーリ | |
タイム | 9:41.6 | ||
決勝順位 | |||
優勝 | フェラーリ | ||
2位 | マセラティ | ||
3位 | マセラティ |
1956年ドイツグランプリ (1956 German Grand Prix) は、1956年のF1世界選手権第7戦として、1956年8月5日にニュルブルクリンクで開催された。
レース概要
[編集]フェラーリのファン・マヌエル・ファンジオ(45歳)がレースを制し、1939年ドイツグランプリでヘルマン・ラング(メルセデス)が記録したコースレコードを17年ぶりに更新した。後にスペイン国王となるフアン・カルロス1世(当時18歳)が友人[1]アルフォンソ・デ・ポルターゴの応援のため観戦に訪れ、表彰式に参加した[2]。
エントリーリスト
[編集]No. | ドライバー | エントラント | コンストラクター | シャシー | エンジン | タイヤ |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | ファン・マヌエル・ファンジオ | スクーデリア・フェラーリ | フェラーリ | D50 | フェラーリ DS50 2.5L V8 | E |
2 | ピーター・コリンズ | |||||
3 | エウジェニオ・カステロッティ | |||||
4 | ルイジ・ムッソ | |||||
5 | アルフォンソ・デ・ポルターゴ | |||||
6 | ジャン・ベーラ | オフィシーネ・アルフィエリ・マセラティ | マセラティ | 250F | マセラティ 250F1 2.5L L6 | P |
7 | スターリング・モス | |||||
8 | ウンベルト・マグリオーリ 1 チェーザレ・ペルディーサ 1 | |||||
10 | ロベール・マンヅォン | エキップ・ゴルディーニ | ゴルディーニ | T32 | ゴルディーニ 25 2.5L L8 | E |
11 | アンドレ・ミロー アンドレ・ピレット 2 | |||||
12 | ハリー・シェル | スクーデリア・セントロ・スッド | マセラティ | 250F | マセラティ 250F1 2.5L L6 | P |
14 | ジョルジオ・スカルラッティ | フェラーリ | 500 | フェラーリ Tipo500 2.0L L4 | ||
15 | ルイ・ロジェ | エキュリー・ロジェ | マセラティ | 250F | マセラティ 250F1 2.5L L6 | P |
16 | ロイ・サルヴァドーリ | ギルビー・エンジニアリング | マセラティ | 250F | マセラティ 250F1 2.5L L6 | D |
17 | ウンベルト・マグリオーリ 1 | スクーデリア・ガステラ | マセラティ | 250F | マセラティ 250F1 2.5L L6 | P |
18 | ルイジ・ヴィッロレージ ルイジ・ピオッティ 3 |
ルイジ・ピオッティ | マセラティ | 250F | マセラティ 250F1 2.5L L6 | P |
19 | ホレース・グールド | グールズ・ガレージ | マセラティ | 250F | マセラティ 250F1 2.5L L6 | D |
20 | パコ・ゴディア | オフィシーネ・アルフィエリ・マセラティ | マセラティ | 250F | マセラティ 250F1 2.5L L6 | P |
21 | ブルース・ハルフォード | ブルース・ハルフォード | マセラティ | 250F | マセラティ 250F1 2.5L L6 | D |
22 | オットリーノ・フォロンテリオ | オットリーノ・フォロンテリオ | マセラティ | 250F | マセラティ 250F1 2.5L L6 | P |
ソース:[3] |
- 追記
- ^1 - マグリオーリは当初17号車でエントリーしていたが、予選途中以降は負傷したペルディーサから交代して8号車で出走した
- ^2 - ピレットは予選で負傷したため、決勝はミローに交代
- ^3 - ピオッティは決勝でヴィッロレージにマシンを譲ったため出走せず
結果
[編集]予選
[編集]順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | タイム | 差 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 1 | ファン・マヌエル・ファンジオ | フェラーリ | 9:51.2 | — |
2 | 2 | ピーター・コリンズ | フェラーリ | 9:51.5 | + 0.3 |
3 | 3 | エウジェニオ・カステロッティ | フェラーリ | 9:54.4 | + 3.2 |
4 | 7 | スターリング・モス | マセラティ | 10:03.4 | + 12.2 |
5 | 4 | ルイジ・ムッソ | フェラーリ | 10:20.3 | + 29.1 |
6 | 8 | チェーザレ・ペルディーサ 1 | マセラティ | 10:23.5 | + 32.3 |
7 | 8 | ウンベルト・マグリオーリ | マセラティ | 10:27.6 | + 36.4 |
8 | 6 | ジャン・ベーラ | マセラティ | 10:31.6 | + 40.4 |
9 | 16 | ロイ・サルヴァドーリ | マセラティ | 10:32.4 | + 41.2 |
10 | 5 | アルフォンソ・デ・ポルターゴ | フェラーリ | 10:37.7 | + 46.5 |
11 | 21 | ブルース・ハルフォード | マセラティ | 11:04.1 | + 1:12.9 |
12 | 12 | ハリー・シェル | マセラティ | 11:16.5 | + 1:25.3 |
13 | 19 | ホレース・グールド | マセラティ | 11:32.2 | + 1:41.0 |
14 | 15 | ルイ・ロジェ | マセラティ | 11:39.0 | + 1:57.8 |
15 | 10 | ロベール・マンヅォン | ゴルディーニ | 11:55.8 | + 2:04.6 |
16 | 20 | パコ・ゴディア | マセラティ | 11:57.6 | + 2:06.4 |
17 | 11 | アンドレ・ピレット 2 | ゴルディーニ | 12:07.6 | + 2:16.4 |
18 | 14 | ジョルジオ・スカルラッティ | フェラーリ | 13:05.2 | + 3:14.0 |
19 | 18 | ルイジ・ピオッティ 3 | マセラティ | 13:50.1 | + 3:58.9 |
20 | 22 | オットリーノ・フォロンテリオ | マセラティ | 14:17.1 | + 4:25.9 |
ソース:[4] |
- 追記
- ^1 - ペルディーサは予選で負傷したため、セッション途中でマグリオーリに交代[5]
- ^2 - ピレットは予選で負傷したため、決勝はアンドレ・ミローに交代[5]
- ^3 - ピオッティはルイジ・ヴィッロレージにマシンを譲ったため、決勝は出走せず[5]
決勝
[編集]順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | 周回数 | タイム/リタイア原因 | グリッド | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1 | ファン・マヌエル・ファンジオ | フェラーリ | 22 | 3:38:43.7 | 1 | 9 1 |
2 | 7 | スターリング・モス | マセラティ | 22 | +46.4 | 4 | 6 |
3 | 6 | ジャン・ベーラ | マセラティ | 22 | +7:38.3 | 8 | 4 |
4 | 20 | パコ・ゴディア | マセラティ | 20 | +2 Laps | 16 | 3 |
5 | 15 | ルイ・ロジェ | マセラティ | 19 | +3 Laps | 14 | 2 |
DSQ | 21 | ブルース・ハルフォード | マセラティ | 20 | 失格(押しがけ) | 11 | |
NC | 22 | オットリーノ・フォロンテリオ | マセラティ | 16 | +6 Laps | 19 | |
Ret | 11 | アンドレ・ミロー | ゴルディーニ | 15 | エンジン | 21 | |
Ret | 5 | アルフォンソ・デ・ポルターゴ ピーター・コリンズ |
フェラーリ | 14 | アクシデント | 10 | |
Ret | 18 | ルイジ・ヴィッロレージ | マセラティ | 13 | エンジン | 20 | |
Ret | 12 | ハリー・シェル | マセラティ | 13 | オーバーヒート | 12 | |
Ret | 4 | ルイジ・ムッソ エウジェニオ・カステロッティ |
フェラーリ | 11 | アクシデント | 5 | |
Ret | 2 | ピーター・コリンズ | フェラーリ | 8 | 燃料漏れ | 2 | |
Ret | 3 | エウジェニオ・カステロッティ | フェラーリ | 5 | 電気系統 | 3 | |
Ret | 8 | ウンベルト・マグリオーリ | マセラティ | 3 | ステアリング | 7 | |
Ret | 19 | ホレース・グールド | マセラティ | 3 | 油圧 | 13 | |
Ret | 16 | ロイ・サルヴァドーリ | マセラティ | 2 | サスペンション | 9 | |
Ret | 10 | ロベール・マンヅォン | ゴルディーニ | 0 | サスペンション | 15 | |
Ret | 14 | ジョルジオ・スカルラッティ | フェラーリ | 0 | エンジン | 17 | |
DNS | 8 | チェーザレ・ペルディーサ | マセラティ | 予選でアクシデント | 6 | ||
DNS | 11 | アンドレ・ピレット | ゴルディーニ | 予選でアクシデント | 18 | ||
DNS | 18 | ルイジ・ピオッティ | マセラティ | ヴィッロレージにマシンを譲る | |||
ソース:[6]
|
- 追記
注記
[編集]- 車両共有:
- 5号車: アルフォンソ・デ・ポルターゴ(10周)、ピーター・コリンズ(4周)
- 4号車: ルイジ・ムッソ(8周)、エウジェニオ・カステロッティ(3周)
- F1デビュー戦: アンドレ・ミロー - 当レースのみ参戦
- F1最終出走: ルイ・ロジェ
- F1キャリア初: パコ・ゴディア - 初入賞
第7戦終了時点のランキング
[編集]- ドライバーズ・チャンピオンシップ
順位 | ドライバー | ポイント | |
---|---|---|---|
1 | 1 | ファン・マヌエル・ファンジオ | 30 |
1 | 2 | ピーター・コリンズ | 22 |
3 | ジャン・ベーラ | 22 | |
4 | スターリング・モス | 19 | |
5 | パット・フラハーティ | 8 |
- 注: トップ5のみ表示。ベスト5戦のみがカウントされる。
脚注
[編集]- ^ “El Rey Don Juan Carlos I, el mejor embajador de Ferrari en España”. Revista CAR (2017年5月31日). 2018年1月13日閲覧。
- ^ Födisch, Jörg Thomas; Völker, Bernhard; Behrndt, Michael (2008). Der große Preis von Deutschland. Alle Rennen seit 1926. Königswinter: HEEL Verlag. p. 75. ISBN 9783868520439
- ^ “Germany 1956 - Race entrants”. statsf1.com. 2018年1月12日閲覧。
- ^ “Germany 1956 - Qualifications”. statsf1.com. 2018年1月13日閲覧。
- ^ a b c “Germany 1956 - Result”. statsf1.com. 2018年1月13日閲覧。
- ^ “1956 German Grand Prix”. formula1.com. 19 March 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。9 August 2015閲覧。
参照文献
[編集]- 林信次『F1全史 1956-1960』ニューズ出版、1999年。ISBN 4-938495-27-9。
外部リンク
[編集]前戦 1956年イギリスグランプリ |
FIA F1世界選手権 1956年シーズン |
次戦 1956年イタリアグランプリ |
前回開催 1954年ドイツグランプリ |
ドイツグランプリ | 次回開催 1957年ドイツグランプリ |