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カネヒムロ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
カネヒムロ
欧字表記 Kane Himuro[1]
品種 サラブレッド[1]
性別 [1]
毛色 鹿毛[1]
生誕 1968年3月28日[1]
死没 1997年9月16日(30歳没)
パーソロン[1]
カネタチバナ[1]
母の父 ヒカルメイジ[1]
生国 日本の旗 日本青森県横浜町[1]
生産者 青森牧場[1]
馬主 金指吉昭[2]
高萩成子[1]
調教師 成宮明光[1]中山美浦
厩務員 松村光雄[3]
競走成績
生涯成績 23戦4勝[1]
獲得賞金 4162万6600円[1]
勝ち鞍
八大競走 優駿牝馬 1971年
オープン 新春4歳牝馬ステークス 1971年
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カネヒムロ(欧字名:Kane Himuro1968年3月28日 - 1997年9月16日)は、日本競走馬繁殖牝馬[1]

1971年優駿牝馬(オークス)を優勝。繁殖牝馬としても1978年優駿賞年度代表馬であるカネミノブ(父:バーバー)を産んだ。

経歴

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デビューまで

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1968年3月28日青森県六戸町の青森牧場で鹿毛牝馬(後のカネヒムロ)が誕生[4]。2歳春には上北町の牧場に移動、母と同じく金指の所有となった[4]。金指は、冠名「カネ」を馬名の冒頭に用い、末尾には牝馬ならば植物名を組み合わせる命名ルールが存在した[5]。そのルールに則り、仔には「カネ」にヒノキ科の「ヒムロ」を組み合わせた「カネヒムロ」という競走馬名が与えられた[5]

金指は、競走馬デビューに際して、阿部正太郎調教師や野平省三調教師に管理を依頼したが、小さく貧しい馬体だったために、両方に断られた[3]。そこで金指は、阿部厩舎に入れず、余り物となった馬を多く管理していた若手の成宮明光調教師に依頼し、成宮厩舎に入厩が決定した[3]。カネヒムロは3歳春に白井分場に入厩、成宮によれば入厩当時は「尻尾の毛もわずかしかないし、ネズミみたいにちっこい馬で商品価値のない馬だなあ[5]」と振り返っている。

競走馬時代

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1970年8月30日中山競馬場新馬戦(芝1200メートル)に蛯沢誠治が騎乗して逃げ切り、デビュー戦勝利。2連敗の後、200万円以下のおみなえし賞で2勝目となった[5]。再び2連敗を経て年を越して1971年、4歳と始動戦には1月23日東京競馬場の新春4歳牝馬ステークスに、加賀武見に乗り替わり、9頭立て6番人気の支持で出走。後方待機で直線コースに向かい、追い込みを決めて3勝目とした[5]

新春4歳牝馬ステークス参戦直前は、発情を防ぐためにホルモン注射を行っていた[5]。発情による精神的不安を解消して勝利に至ったが、その代償として生理不順を起こし、それからクイーンカップ12着、蛯沢に戻った桜花賞トライアル競走阪神4歳牝馬特別では18着。桜花賞では岡部幸雄に乗り替わり、15着。優駿牝馬(オークス)の東京4歳牝馬特別でも8着となり、4連敗と調子を落としていた[5]

白井分場で調整された後、6月6日の優駿牝馬(オークス)は不良馬場の中、10番人気で出走した[2]。後方の位置から、直線大外に持ち出し追い上げていた。中団から先に抜け出していたサニーワールドを外からかわし、1馬身差をつけて先頭で入線した[2]。当時のレコードタイムとは、8秒遅い走破タイムで優勝、岡部にとって自身初となるクラシック勝利であった[4]。なお、参戦時の馬体重384キログラムは、GI級競走史上最少記録を更新した[6]。岡部は「(前略)ただオーバーペース気味だったので展開がカネヒムロ向きだった。とにかく道悪がうまい。それにギリギリに仕上がっていたし、一瞬の切れ味はハクセツと甲乙つけがたい[4]」と証言している。

以降、11戦に出走するも勝利することができなかった[7]。6歳3月の中山牝馬ステークスでは最下位で11連敗となり、可哀想に思った金指により引退が決定した[7]

1981年7月、日本中央競馬会が主催し、松屋で開催された「あなたが選んだサラブレッドなんでもベスト10」の「雨が降ると思い出を残してくれた馬」部門にて1万834票を集め、1位に輝いている[8]

繁殖牝馬時代

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引退後は、生まれ故郷の青森牧場で繁殖牝馬となった。初仔のカネミノブ(父:バーバー)が、1978年有馬記念を制し母仔での八大競走制覇を果たした。繁殖牝馬引退後も功労馬として北海道で余生を送り、1997年秋に放牧中転倒し右前脚骨折、安楽死の処置が執られた。

競走成績

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以下の内容は、netkeiba.com[9] およびJBISサーチ[10] の情報に基づく。

競走日 競馬場 競走名 距離(馬場)


オッズ(人気) 着順 タイム 0騎手 斤量
[kg]
1着馬(2着馬)
1970.08.30 中山 3歳新馬 芝1200m(良) 15 1 1 014.40(4人) 01着 01:12.5 0蛯沢誠治 49 (ヒダプリンス)
0000.09.13 中山 芙蓉S 芝1200m(良) 6 4 4 020.50(5人) 03着 01:12.8 0大和田稔 52 パワーエクスプレス
0000.10.04 中山 サルビヤ賞 2下 芝1200m(稍) 13 3 3 007.90(4人) 02着 01:12.1 0蛯沢誠治 52 ナスノカオリ
0000.10.17 東京 おみなえし賞 2下 芝1200m(不) 13 4 4 008.10(3人) 01着 01:13.9 0蛯沢誠治 52 (メジロゲッコウ)
0000.11.23 東京 府中3歳S 芝1600m(稍) 10 6 6 008.30(4人) 06着 01:41.0 0蛯沢誠治 53 ヤシマライデン
0000.12.06 中山 3歳牝馬S 芝1600m(良) 11 4 4 004.20(1人) 09着 01:38.6 0蛯沢誠治 54 ホウネン
1971.01.23 東京 新春4歳牝馬S 芝1600m(重) 9 5 5 018.80(6人) 01着 01:41.2 0加賀武見 53 (ヤマアズマ)
0000.02.21 中山 クイーンカップ 芝1600m(良) 17 7 14 012.50(4人) 12着 01:39.7 0加賀武見 53 ヤマアズマ
0000.03.28 阪神 阪神4歳牝馬特別 芝1400m(良) 21 8 20 144.9(20人) 18着 01:26.8 0蛯沢誠治 54 エリモジェニー
0000.04.18 阪神 桜花賞 芝1600m(不) 25 8 24 023.60(9人) 15着 01:41.8 0岡部幸雄 55 ナスノカオリ
0000.05.16 東京 東京4歳牝馬特別 芝1800m(良) 15 2 2 027.30(6人) 08着 01:51.0 0岡部幸雄 54 ナスノカオリ
0000.06.06 東京 優駿牝馬 芝2400m(不) 23 6 17 024.30(9人) 01着 02:36.0 0岡部幸雄 55 (サニーワールド)
0000.10.31 京都 京都牝馬特別 芝1600m(不) 21 8 21 038.0(10人) 11着 01:41.8 0岡部幸雄 53 ヤマニビーナス
0000.11.21 京都 ビクトリアカップ 芝2400m(良) 19 7 16 020.9(10人) 04着 02:29.9 0岡部幸雄 55 タイヨウコトブキ
1972.03.26 中山 東京新聞杯 芝2000m(不) 11 5 5 008.90(3人) 06着 02:09.8 0岡部幸雄 50 アカネテンリュウ
0000.04.30 東京 アメリカJCC 芝2400m(良) 7 3 3 030.90(6人) 04着 02:30.3 0岡部幸雄 52 メジロアサマ
0000.05.21 中山 ダイヤモンドS 芝3200m(良) 8 7 7 009.00(5人) 07着 03:25.3 0岡部幸雄 49 バンライ
0000.07.02 東京 日本経済賞 芝2500m(良) 13 2 2 111.9(12人) 12着 02:35.4 0岡部幸雄 52 カツタイコウ
0000.10.29 東京 牝馬東京タイムズ杯 芝1600m(良) 15 1 1 025.80(9人) 11着 01:37.6 0蛯沢誠治 53 トクザクラ
0000.12.09 中山 4歳上オープン 芝1800m(重) 10 8 9 015.50(7人) 08着 01:52.8 0蛯沢誠治 53 ノボルトウコウ
1973.01.07 東京 金杯(東) 芝2000m(不) 13 5 7 017.10(7人) 04着 02:06.0 0蛯沢誠治 49 クリイワイ
0000.02.11 東京 アメジストS 10下 ダ1600m(良) 9 8 8 016.70(6人) 08着 01:38.7 0蛯沢誠治 54 メールウイン
0000.03.18 中山 中山牝馬S 芝1800m(良) 12 2 2 026.1(11人) 12着 01:52.6 0蛯沢誠治 51 キョウエイグリーン

繁殖成績

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生年 馬名 毛色 戦績 勝ち鞍、備考 供用 出典
初仔 1974年 カネミノブ 鹿毛 バーバー 37戦8勝 1978年:有馬記念アルゼンチン共和国杯日本経済賞
1980年:目黒記念(春)毎日王冠
種牡馬 [11]
1975年 不受胎 バーバー [3]
2番仔 1976年 カネテツセン 鹿毛 バーバー 2戦0勝 繁殖牝馬 [12]
3番仔 1977年 カネスズラン 鹿毛 バーバー 3戦0勝 繁殖牝馬 [13]
4番仔 1978年 プリンセスジュラ― 鹿毛 バーバー 10戦2勝 [14]
1979年 不受胎 アレツ
5番仔 1980年 ネジロオパール 鹿毛 バーバー 22戦2勝 [15]
6番仔 1981年 カネバンダイ 鹿毛 バーバー 25戦1勝 [16]
7番仔 1982年 デビューせず 鹿毛 バーバー 未出走 当歳時骨折のため安楽死[3] [17]
1983年 空胎 [3]
1984年 不受胎 バーバー
グッドリー
[3]
1985年 不受胎 リアルム [3][18]
1986年 不受胎 マナード [3][18]
8番仔 1987年 ワンアンドレディ 鹿毛 マンオブビィジョン 未出走 片目失明のため競走馬デビューせず[3] 繁殖牝馬 [19]
1988年 不受胎 パーフライト
ルイヴィルサミット
[3][18]
1989年 不受胎 ルイヴィルサミット [18]
1990年 不受胎 カネオオエ [18]
1991年 不受胎 ルイヴィルサミット [18]

血統表

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カネヒムロ血統パーソロン系 / Tourbillon5×5=6.25%、Colorado5×5=6.25%) (血統表の出典)

*パーソロン
Partholon 1960
鹿毛 アイルランド
父の父
Milesian 1953
鹿毛 イギリス
My Babu Djebel
Perfume
Oatflake Coup de Lyon
Avena
父の母
Paleo 1953
鹿毛 フランス
Pharis Pharos
Carissima
Colonice Abjer
Colonis

カネタチバナ 1963
栗毛 日本
ヒカルメイジ 1954
黒鹿毛 日本
Bois Roussel Vatout
Plucky Liege
*イサベリーン Canon Law
Legal Tender
母の母
*コンキユバイン
Concubine 1948
鹿毛 イギリス
Le Pacha Biribi
Advertencia
Climax Precipitation
Riot F-No.9-c


脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o "カネヒムロ". JBISサーチ. 2021年8月25日閲覧
  2. ^ a b c 『優駿』1990年2月号 39頁
  3. ^ a b c d e f g h i j k 『優駿』1990年2月号 43頁
  4. ^ a b c d 『優駿』1990年2月号 40頁
  5. ^ a b c d e f g 『優駿』1990年2月号 41頁
  6. ^ "JRA史上最軽量!334キロ馬デビュー". 競馬予想のウマニティ. 2021年8月26日閲覧
  7. ^ a b 『優駿』1990年2月号 42頁
  8. ^ 『優駿』1990年2月号 38頁
  9. ^ "カネヒムロの競走成績 | 競走馬データ". netkeiba.com. 2021年8月24日閲覧
  10. ^ "競走成績:年度別累計成績/主な成績|カネヒムロ". JBISサーチ. 2021年8月24日閲覧
  11. ^ "カネミノブ". JBISサーチ. 2021年8月26日閲覧
  12. ^ "カネテツセン". JBISサーチ. 2021年8月26日閲覧
  13. ^ "カネスズラン". JBISサーチ. 2021年8月26日閲覧
  14. ^ "プリンセスジュラー". JBISサーチ. 2021年8月26日閲覧
  15. ^ "ネジロオパール". JBISサーチ. 2021年8月26日閲覧
  16. ^ "カネバンダイ". JBISサーチ. 2021年8月26日閲覧
  17. ^ "カネヒムロの1982". JBISサーチ. 2021年8月26日閲覧
  18. ^ a b c d e f "繁殖牝馬情報:カネヒムロ". JBISサーチ. 2021年8月27日閲覧
  19. ^ "ワンアイドレデイ". JBISサーチ. 2021年8月26日閲覧

参考文献

[編集]
  • 優駿』(日本中央競馬会
    • 1990年2月号
      • 横尾一彦「【サラブレッド・ヒーロー列伝 48】泥だらけの女王 カネヒムロ」

外部リンク

[編集]