コンテンツにスキップ

ルピナス (競走馬)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ルピナス
欧字表記 Lupinus
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1965年4月4日
死没 不明(1984年10月転売不明)
ネヴァービート
コウカ
母の父 ブッフラー
生国 日本の旗 日本
北海道浦河郡浦河町
生産者 幌別牧場
馬主 藤田正明
調教師 茂木為二郎(東京
競走成績
生涯成績 35戦7勝
獲得賞金 4291万9200円
勝ち鞍 優駿牝馬(1968年)
テンプレートを表示

ルピナス1965年4月4日 - ?)は、日本中央競馬会に所属していた競走馬繁殖牝馬抽せん馬ながら、1968年オークスを優勝。

馬齢2000年まで使用されていた旧表記(数え年)を用いる。

経歴

[編集]

ネヴァービートは2・3歳時に10戦1勝で重賞でも入着級と、競走馬としては大成できなかったが、良血が買われて1963年種牡馬として日本に輸入されることとなった。翌1964年から供用が開始され、3度のリーディングサイアー1970年, 1972年, 1977年)に輝いた。ブルードメアサイアーとしても、メジロラモーヌサクラユタカオー等の活躍馬を送り出すなど、優れた成績を残しており、3度のリーディングブルードメアサイアー(1984年, 1986年, 1988年)となっている。

1967年(3歳)夏の福島でデビューし、3戦目の未出未勝で人気に応えて勝ち上がる。1968年(4歳)は年明けから3連勝して迎えた初重賞のクイーンカップは2着、桜花賞を目指して関西に入ると、阪神4歳牝馬特別は6着に終わるも、本番の桜花賞では5着と掲示板に入る。その後は主戦菅原泰夫から中野渡清一に交代し、改築工事の影響で6月末の開催となった優駿牝馬に出走。好景気を反映して売り上げは前年の倍以上の14億円を記録した。桜花賞馬コウユウは直前に出走を回避し、2着のニツトウヤヨイが1番人気に支持され、ルピナスは8番人気であった。レースはルピナスが直線を抜け出すと、スズガーベラの追い込みをクビ差交わして優勝。ニツトウヤヨイは7着に敗退。鞍上の中野渡は初めてにして最後のクラシック制覇となり、抽せん馬の優駿牝馬制覇は1978年ファイブホープまで待たねばならなくなる。父ネヴァービートもマーチス皐月賞を制しており、初年度産駒からいきなりマーチス、ルピナスと2頭のクラシック馬を生み出した。秋には菅原に再び交代し、年末には有馬記念にも出走してリュウズキの8着となる。同年の成績は16戦6勝で重賞は優駿牝馬のみであったが、啓衆社賞最優秀4歳牝馬に選定されている。1969年(5歳)は最初は古牡馬相手に苦戦するが、秋の福島で七夕賞福島大賞典と連続2着と結果を残す。1970年引退。

引退後は1971年に繁殖入りし、7頭の産駒を残したが、活躍馬は送り出せなかった。

競走成績

[編集]
  • 1968年(5戦3勝)
    • 1着 - 3歳特別
  • 1969年(12戦1勝)
    • 1着 - 優駿牝馬
    • 2着 - 4歳牝馬特別(東)
    • 3着 - 牝馬東京タイムズ杯、フラワーカップ
  • 1970年(3戦0勝)
    • 2着 - アメジストステークス

太字八大競走を含むGI級レース。

脚注

[編集]

外部リンク

[編集]