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タケフブキ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
タケフブキ
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1969年4月13日
死没 1995年1月15日(26歳没・旧27歳)
パーソロン
ハヤフブキ
母の父 タリヤートス
生国 日本の旗 日本北海道浦河町
生産者 谷川牧場
馬主 近藤たけ
調教師 稲葉幸夫東京
競走成績
生涯成績 20戦3勝
獲得賞金 4346万9500円
勝ち鞍
八大競走 優駿牝馬 1972年
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タケフブキ日本競走馬である。1972年優駿牝馬(オークス)の勝ち馬。半弟に東京優駿(日本ダービー)や菊花賞天皇賞(春)を勝ったタケホープがいる。

略歴

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競走馬時代

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1971年9月にデビューし、緒戦を勝利で飾る。このデビュー戦では、後に菊花賞や有馬記念を制したイシノヒカルも参戦していた(5着)。その後は、京成杯3歳ステークストクザクラの3着に敗れ、3歳シーズンは2戦1勝で終わる。

1972年初頭は馬インフルエンザが大流行し、関東地区での競馬開催が2ヶ月中止になるなど日程が大きく順延されることとなり、タケフブキも3月から再始動した。条件戦を勝ち上がった後、12番人気で迎えた4歳牝馬特別では1番人気に応えたタカイホーマの2着に入線し、7月2日に行われた[1]オークスではタケフブキは3番人気で迎えた。レースでは1番人気のタカイホーマ[2]や2番人気のナオユキ[3]らを下して見事勝利。騎乗した嶋田功はこのタケフブキに続いて翌1973年ナスノチグサ1974年トウコウエルザとオークス3連覇を果たすことになる。ちなみにこの3頭は全て父がパーソロンである。

タケフブキが5歳となった1973年には1歳下の半弟・タケホープ(父・インディアナ)が「怪物」ハイセイコーを下して日本ダービー・菊花賞を制して姉弟クラシック制覇を果たす。しかし、その姉はというとオークス以降は凡走を繰り返し、結局6歳春に引退して故郷の谷川牧場に繁殖牝馬として帰ることになった。

繁殖牝馬として

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タケフブキはカブトヤマ記念2着のタケマサル(父・シンザン)や毎日杯2着のタケファイター(父・カラード)を産んだが、重賞勝ちまでには至ることはなかった。孫世代では障害競走でオープン入りを果たしたキャニオンストームが目立つ程度。牝系は現在も存続しており、曾孫世代には2013年のマーチステークスを勝ったグランドシチーが出ている。

血統表

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タケフブキ血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 パーソロン系
[§ 2]

*パーソロン
Partholon
1960 鹿毛
父の父
Milesian
1953 鹿毛
My Babu Djebel
Perfume
Oatflake Coup de Lyon
Avena
父の母
Paleo
1953 鹿毛
Pharis Pharos
Carissima
Calonice Abjer
Coronis

ハヤフブキ
1963 黒鹿毛
*タリヤートス
Tulyartos
1957 黒鹿毛
Tulyar Tehran
Neocracy
Certosa Prince Chevalier
Arctic Sun
母の母
ラインランド
1957 鹿毛
*ライジングフレーム
Rising Flame
The Phoenix
Admirable
マーヴェラス *プリメロ
オーマツカゼ F-No.12
母系(F-No.) 12号族(FN:12) [§ 3]
5代内の近親交配 Avena、Harina、プリメロ4×5・4=15.63%、 Tourbillon5×5=6.25%(父内)、Nearco5・5×5=9.38%(母内) [§ 4]
出典
  1. ^ [4]
  2. ^ [5]
  3. ^ [4]
  4. ^ [4][5]


脚注

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  1. ^ 春開催となった1952年以降ではもっとも遅い記録である。
  2. ^ レース中に落鉄していたことが後にわかった。
  3. ^ 引退後は繁殖入りし、ミスタートウジンの母となる。
  4. ^ a b c タケフブキ 血統情報:5代血統表”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年9月6日閲覧。
  5. ^ a b タケフブキの5代血統表”. netkeiba. Net Dreamers Co., Ltd.. 2019年9月6日閲覧。

外部リンク

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