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| 氏名 = 田辺 豊治
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'''田辺 豊治'''(たなべ とよはる、[[1960年]][[5月12日]]<ref>[https://formula1-data.com/article/toro-rosso-surprise-birthday-cake-for-tanabe ホンダF1田辺豊治にトロロッソからサプライズ、スペインGPの地に58歳の誕生日を祝うバースデーケーキが登場] - Formula1-Data・2018年5月13日</ref> - )は、[[日本]]の[[自動車技術者]]、[[テクニカルディレクター (スポーツ)|モータースポーツディレクター]]。[[東京都]]出身。[[本田技研工業]]所属。
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|氏名 = 田辺 豊治
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== 経歴 ==
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[[1984年]]、[[玉川大学]]工学部機械工学科卒業後<ref>[https://www.tamagawagakuyu.com/success/letter/letter_f1_570gp.html 玉川大学・玉川学園学友会「学友会員の活躍]</ref>、[[本田技研工業]]に入社。市販車用のエンジン開発に携わる。
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|生年月日 = {{生年月日と年齢|1960|05|12}}
[[1986年]]、ホンダの[[フォーミュラ1|F1]]プロジェクトに異動し、[[マクラーレン]]・ホンダの[[ゲルハルト・ベルガー]]担当エンジニアとしてチームに加わる<ref>{{Cite web|和書|url=https://f1-gate.com/honda/f1_41472.html |title= ゲルハルト・ベルガー、ホンダF1の田辺豊治TDの手腕に太鼓判|accessdate=2018-07-29|date=2018-03-16|publisher=F1-Gate.com}}</ref>。ホンダの第2期F1活動終了に伴い、[[1993年]]よりアメリカに移り、当時の[[チャンプカー・ワールド・シリーズ]](CART)向けエンジンの研究開発に関わる<ref name=stinger171201>[https://f1-stinger2.com/f1_news/%E3%83%9B%E3%83%B3%E3%83%80f1%E3%80%81%E6%96%B0%E4%BB%A3%E8%A1%A8%E3%81%AB%E7%94%B0%E8%BE%BA%E8%B1%8A%E6%B2%BB%E6%B0%8F%E5%B0%B1%E4%BB%BB ホンダF1、新代表に田辺豊治氏就任!!] - STINGER・2017年12月1日</ref>。
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'''田辺 豊治'''(たなべ とよはる、[[1960年]][[5月12日]] - )は、日本の[[F1]][[エンジニア]]である。[[ホンダF1]]のテクニカルディレクターを務める。
==エピソード==
*比較的穏やかな性格と評されており、第2期ホンダF1の時代からチーム内での人気は高かった<ref name=bestcar180130>[https://bestcarweb.jp/news/motorsport/2319 ホンダF1 復活はあるか? “セナの相棒”が信頼寄せた新リーダーの横顔] - ベストカーWEB・2018年1月30日</ref>。
*F1に長年携わって印象に残ったレースは、[[ジェンソン・バトン]]が優勝を果たした[[2006年ハンガリーグランプリ|2006年ハンガリーGP]]と語っている<ref>{{cite web|url=http://en.hondaracingf1.com/insights/getting-to-know-tanabe-san.html |title= THE POWER OF TANABE-SAN|accessdate=2018-07-29|date=2018-04-10|publisher=Honda Racing F1}}</ref>。
*ジェンソン・バトンは田辺のF1復帰に際し、エールを送った<ref>{{cite web|url=https://twitter.com/jensonbutton/status/971208801956151296?s=21 |title= Tweet|accessdate=2018-07-29|date=2018-03-07|publisher=Jenson Button}}</ref>。
*前述の2006年ハンガリーGP以来13年ぶりのホンダエンジン優勝となった[[2019年オーストリアグランプリ|2019年オーストリアGP]]では、表彰式で優勝チーム代表として登壇。しかし田辺の登壇は直前に決まったため、表彰台裏まで行った際に、ホンダ側スタッフが登壇すると聞いてなかったFIA職員から止められて、職員がレッドブルに確認を取っている間に、国歌斉唱が終わってしまうハプニングに見舞われたが、トロフィー授与が始まる寸前でなんとか登壇できた。優勝ドライバーの[[マックス・フェルスタッペン]]とコンストラクターズトロフィーの授与が終わり、2位の[[シャルル・ルクレール (レーシングドライバー)|シャルル・ルクレール]]([[スクーデリア・フェラーリ|フェラーリ]])には大会プレゼンターとして参加していたゲルハルト・ベルガーがトロフィーを授与。ルクレール、フェルスタッペン、[[バルテリ・ボッタス]]の健闘を称えたベルガーはそのまま田辺へ歩み寄り、抱擁を交わした。ベルガーと田辺は、ホンダF1第2期マクラーレン時代のドライバーとエンジニアの関係であり、ホンダの健闘を称えた。田辺とベルガーの時を経ても変わらぬ友情関係に、会場にいた人々からも割れんばかりの拍手が沸き起こった。
*同じレッドブルリンク開催となった[[2021年シュタイアーマルクグランプリ|2021年シュタイアーマルクGP]]と[[2021年オーストリアグランプリ|2021年オーストリアGP]]でチームは2年ぶりの優勝、さらに2連勝を達成し、レッドブル側の意向で同地の表彰台に2度目の登壇となった。


== 脚注 ==
[[2017年]]の第101回[[インディ500]]では[[佐藤琢磨]]と共に優勝の快挙を達成した<ref>{{Cite web|url= https://f1-gate.com/honda/f1_42746.html|title= ホンダF1 田辺豊治TD、佐藤琢磨とのインディ500制覇を語る|date=2018-05-27|publisher=F1-Gate.com|accessdate=2018-07-27}}</ref>。
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}


== 外部リンク ==
==経歴==
* [https://ja.hondaracingf1.com/team.html ホンダF1公式サイト チーム紹介]
1984年(昭和59年)[[本田技研工業]]に入社。


{{ホンダF1}}
2018年(平成30年)[[ホンダF1]]の初代テクニカルディレクターに就任<ref>{{cite web|url=https://www.honda.co.jp/news/2017/c171207a.html |title= 2018年シーズンの新たなスタートに向け、F1運営体制を変更|accessdate=2018-07-27|date=2017-12-07|publisher=本田技研工業}}</ref>。
{{スクーデリア・トロ・ロッソ}}
{{レッドブル・レーシング}}
{{B・A・R}}
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[[Category:日本の自動車技術者]]
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[[Category:日本のモータースポーツ関係者]]
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[[Category:1960年生]]
[[Category:存命人物]]

2024年12月11日 (水) 23:07時点における最新版

田辺 豊治

たなべ とよはる
生誕 (1960-05-12) 1960年5月12日(64歳)
国籍 日本の旗 日本東京都
教育 玉川大学工学部
業績
専門分野 自動車エンジニア
テクニカルディレクター
所属機関 本田技研工業
勤務先 本田技術研究所
ホンダ・パフォーマンス・ディベロップメント(HPD)
ホンダ・レーシング・ディベロップメント(HRD)
ホンダ・レーシング(HRC)など
プロジェクト ホンダF1
成果 インディ500(2017年)
F1世界選手権ドライバーズタイトル(2021年)
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田辺 豊治(たなべ とよはる、1960年5月12日[1] - )は、日本自動車技術者モータースポーツディレクター東京都出身。本田技研工業所属。

ホンダグループのモータースポーツ分野で、エンジン部門の要職を歴任。後年はホンダF1のテクニカルディレクターを務めた。

経歴

[編集]

1984年玉川大学工学部機械工学科卒業後[2]本田技研工業に入社。市販車用のエンジン開発に携わる。

1986年、ホンダのF1プロジェクトに異動し、マクラーレン・ホンダのゲルハルト・ベルガー担当エンジニアとしてチームに加わる[3]。ホンダの第2期F1活動終了に伴い、1993年よりアメリカに移り、当時のチャンプカー・ワールド・シリーズ(CART)向けエンジンの研究開発に関わる[4]

2003年にはF1に復帰、B・A・Rジェンソン・バトンの担当エンジニアとなる[4]。BARがホンダに買収され「ホンダF1」となったあとも2007年まで同職を務めたほか、テストマネージャーなども務めた[4]2008年には本田技術研究所に戻りF1エンジンの開発責任者となるが、同年限りでホンダがF1を撤退(第3期の活動終了)したため、2009年からは一時市販車用エンジンの開発に回った[4]

2013年ホンダ・パフォーマンス・ディベロップメント(HPD)のシニア・マネージャー及び、レースチーム チーフエンジニアを兼任。ホンダのインディカー・シリーズへのエンジン供給の責任者となる。2017年の第101回インディ500では佐藤琢磨と共に優勝の快挙を達成した[5]

2018年1月1日、ホンダF1のテクニカルディレクターに就任し[6]スクーデリア・トロ・ロッソへのエンジン供給を担当。翌2019年には親元のレッドブル・レーシングにもエンジン供給を拡大したため、トロ・ロッソと合わせた現場統括を兼任する[7]。同6月のオーストリアGPにてレッドブルが優勝し、パワーユニット(PU)サプライヤーとして復帰してからの初勝利に貢献した[8]

2021年シーズンにレッドブルがドライバーズタイトルを獲得し、エンジンサプライヤーとして30年ぶりの偉業に貢献[9]。そして今期限りでホンダ第4期のF1活動が終了し、ホンダのPUを継承するレッドブル・パワートレインズへの引き継ぎ完了までイギリスに残留[10]、翌2022年5月に帰国した[11]。一部の報道でその後は定年を迎えるとしていたが[12]、栃木県さくら市のホンダ・レーシング(HRC)に異動し同年秋の時点では「後輩たちの仕事(PU運用)を後ろから支える形(サポート)」と答えている[13]

2024年12月、故アイルトン・セナを回顧するホンダの特設サイトに登場。この時点でも尚在職中であり、役職はHRC四輪レース部開発室チーフエンジニアと紹介されている[14]

エピソード

[編集]
  • 比較的穏やかな性格と評されており、第2期ホンダF1の時代からチーム内での人気は高かった[15]
  • F1に長年携わって印象に残ったレースは、ジェンソン・バトンが優勝を果たした2006年ハンガリーGPと語っている[16]
  • ジェンソン・バトンは田辺のF1復帰に際し、エールを送った[17]
  • 前述の2006年ハンガリーGP以来13年ぶりのホンダエンジン優勝となった2019年オーストリアGPでは、表彰式で優勝チーム代表として登壇。しかし田辺の登壇は直前に決まったため、表彰台裏まで行った際に、ホンダ側スタッフが登壇すると聞いてなかったFIA職員から止められて、職員がレッドブルに確認を取っている間に、国歌斉唱が終わってしまうハプニングに見舞われたが、トロフィー授与が始まる寸前でなんとか登壇できた。優勝ドライバーのマックス・フェルスタッペンとコンストラクターズトロフィーの授与が終わり、2位のシャルル・ルクレール(フェラーリ)には大会プレゼンターとして参加していたゲルハルト・ベルガーがトロフィーを授与。ルクレール、フェルスタッペン、バルテリ・ボッタスの健闘を称えたベルガーはそのまま田辺へ歩み寄り、抱擁を交わした。ベルガーと田辺は、ホンダF1第2期マクラーレン時代のドライバーとエンジニアの関係であり、ホンダの健闘を称えた。田辺とベルガーの時を経ても変わらぬ友情関係に、会場にいた人々からも割れんばかりの拍手が沸き起こった。
  • 同じレッドブルリンク開催となった2021年シュタイアーマルクGP2021年オーストリアGPでチームは2年ぶりの優勝、さらに2連勝を達成し、レッドブル側の意向で同地の表彰台に2度目の登壇となった。

脚注

[編集]
  1. ^ ホンダF1田辺豊治にトロロッソからサプライズ、スペインGPの地に58歳の誕生日を祝うバースデーケーキが登場 - Formula1-Data・2018年5月13日
  2. ^ 玉川大学・玉川学園学友会「学友会員の活躍
  3. ^ ゲルハルト・ベルガー、ホンダF1の田辺豊治TDの手腕に太鼓判”. F1-Gate.com (2018年3月16日). 2018年7月29日閲覧。
  4. ^ a b c d ホンダF1、新代表に田辺豊治氏就任!! - STINGER・2017年12月1日
  5. ^ ホンダF1 田辺豊治TD、佐藤琢磨とのインディ500制覇を語る”. F1-Gate.com (2018年5月27日). 2018年7月27日閲覧。
  6. ^ 2018年シーズンの新たなスタートに向け、F1運営体制を変更”. 本田技研工業 (2017年12月7日). 2018年7月27日閲覧。
  7. ^ ホンダF1、レッドブル・レーシングへの供給に伴い田辺豊治の役割を調整”. F1 Gate (2019年2月12日). 2019年3月18日閲覧。
  8. ^ F1ホンダが味わった撤退、酷評……。13年ぶりの勝利の美酒に嬉し涙。”. Number (2019年7月2日). 2019年7月2日閲覧。
  9. ^ 30年ぶりのF1王座を獲得したホンダ「皆さんと一緒に獲ったタイトル。ホンダの意地を見せ技術力の高さを証明」と山本”. autosport web (2021年12月13日). 2022年3月20日閲覧。
  10. ^ ホンダ田辺豊治元F1テクニカルディレクター、今も英国に残り業務を継続「新しいチャレンジへ向けスタート」 - motorsport.com 2022年1月8日
  11. ^ レッドブル&HRC密着:ホンダとの新たな第一歩を踏み出したバーレーンGP。初日はフェルスタッペンが首位発進”. auto sport-web (2022年3月19日). 2022年3月20日閲覧。
  12. ^ 無限ホンダが戻ってくる!?”. F1 STINGER (2020年10月9日). 2022年7月8日閲覧。
  13. ^ F1日本GP、ホンダ・レーシングの浅木氏と田辺氏が鈴鹿でトークショー”. インプレス【Car Watch】 (2022年10月8日). 2022年10月8日閲覧。
  14. ^ セナとHondaの6年間 Vol.3 セナに鍛えられたHondaF1エンジン”. Honda Global (2024年12月4日). 2024年12月12日閲覧。
  15. ^ ホンダF1 復活はあるか? “セナの相棒”が信頼寄せた新リーダーの横顔 - ベストカーWEB・2018年1月30日
  16. ^ THE POWER OF TANABE-SAN”. Honda Racing F1 (2018年4月10日). 2018年7月29日閲覧。
  17. ^ Tweet”. Jenson Button (2018年3月7日). 2018年7月29日閲覧。

外部リンク

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