風のシルフィードとは、「週刊少年マガジン」にて1989年から1993年まで連載していた競馬漫画である。全23巻。続編に数年後の世界を描いた「蒼き神話マルス」がある。
概要
この映画が連載される直前、競馬界はオグリキャップやタマモクロスといった芦毛ブームに沸き、また競馬を題材にした映画『優駿』がヒットするなど空前の競馬ブームに沸いていた。このブームに乗ろうと週刊少年マガジン編集部は当時新人だった本島幸久を抜擢し、競馬漫画の連載を開始した。
競馬を扱った漫画はこれまでほとんどなく(『馬なり1ハロン劇場』は本作から2ヶ月後に連載開始)、また馬券を購入できない層が多い少年誌での連載ということもあり当初は短期で打ち切られるのではという不安もあったが、週刊少年マガジンの購読層は比較的年齢が高かったことやオグリキャップ引退後もメジロマックイーン、トウカイテイオーと競馬ブームは続き、さらに『はじめの一歩』や『名門!第三野球部』など当時週刊少年マガジンが得意としていたスポ根系の流れに乗ることに成功し、結果4年に渡る長期連載となった。
日本中央競馬会(JRA)の協力を得ており、当時の施設などはほぼ忠実に描かれているが、出走条件や訓練・騎乗方法に関してはスポ根漫画でよくある突っ込みどころ満載の部分が多い。これは週刊少年マガジン編集部の方針だったり、作者の本島幸久が競馬に関してあまり興味がなかった(競馬雑誌「週刊Gallop」でのインタビューで「連載当初は競馬のことをほとんど知らなかった」と認めており、その後の連載もゴルフ漫画が多く、競馬漫画はほとんど描いていない)ともされている。
アニメ化はされなかったが、1994年にスーパーファミコンでゲーム化されている。アクションゲームとしてはイマイチな出来で、あまりヒットはしなかった。
後年の影響
風のシルフィードの成功は競馬漫画という新たなジャンルが確立し、本作終了の翌1994年に週刊少年ジャンプで『みどりのマキバオー』が連載され、週刊少年マガジンでも本作の続編となる『蒼き神話マルス』の連載、週刊少年サンデーでは『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』週刊少年チャンピオンでは『優駿の門』と一時期四大週刊少年誌すべてで競馬漫画が連載される状態になった。
『みどりのマキバオー』では主人公の馬の脚質が追込など色々な共通点が見られるほか、ライバルも随所に共通点が見られる(尤もどちらも少年誌という特性上読者受け狙いのため似たり寄ったりになる場合がある)。さらに風のシルフィードの連載から25年後にアニメ『ウマ娘 プリティダービー』が放送され、出産で母親を亡くし、人手によって育てられるなど経緯がシルフィードに似ているスペシャルウィークを主人公にしている(モデルとなった競争馬のスペシャルウィークの経歴がシルフィードに酷似しているのはまったくの偶然である)。
登場人物
騎手
- 森川駿(もりかわ はやお)
- 千葉県の森川牧場の一人息子。自分が産まれた時に難産だったこともあり母親死亡している。同様に母馬が難産で死んだシルフィードを助け、自身も競馬学校に進み騎手になる道を選ぶ。デビュー戦で勝利すると着実に勝利を重ね、デビュー年にシルフィードが出走した日本ダービーでは勝利数が規定未満だったが特例で騎乗し2着。そして規定に達した菊花賞では減量に苦しみながらもG1初勝利を飾る。翌年シルフィードと共にフランスに渡り、日本人騎手初となる凱旋門賞に勝利[1]するなど騎手の質は日本トップレベルである。
- シルフィードが事故死で一時期引退を考えたが、双子の子が産まれ、その片方の子がシルフィードにそっ来るな芦毛であったため駿の所有となり騎手に戻り、その子がシルフィードジュニアとして日本ダービーに出走した際も騎乗している。
- 続編の『蒼き神話マルス』では騎手を引退しアメリカで牧場主となっている。
- 夕貴潤(ゆうき じゅん)
- 駿の2年前にデビューしながらも4年で200勝に達し、一大ブームを巻き起こした名騎手。シルフィードのライバルであるマキシマムの主戦騎手でもある。元々は孤児で、それが勝利に拘る要因になっている。先輩騎手との行き違いもあり性格は孤高であるが、一方で感情を表に出すことが多く、併せ馬の際も先輩の調教助手に土下座のうえ泣きすがったり、マキシマムが骨折した際も落馬後周りを憚らず大泣きしている。駿を最初軽んじていたが次第にライバルと認め、さらに行き違った先輩騎手とも和解したことである程度は心を開くようになっている。
- 続編の『蒼き神話マルス』でも騎手を続けており、マキシマムとシルフィードの娘シルフィーナとの交配でできたエアリアルの騎手で凱旋門賞に勝利している。
- 島村圭吾(しまむら けいご)
- 青森の漁師の息子で、駿の同期。競馬学校時代はは馬に満足に乗れず駿に心配されていたが、騎手になると調整能力の高さを氷沼オーナーに認められ、ヒヌマボークの騎手として有馬記念に出走すると初平地レースが初G1グランプリレースでさらに初勝利という偉業を成し遂げる[2]。この勝利が自信をつけさせ、騎手として成長していく。
- 続編の『蒼き神話マルス』では直接登場していないが、回想で日本ダービーに勝利するなど名騎手になっている様子が描かれている。
- 谷村健太郎(たにむら けんたろう)
- 駿がデビューする前のシルフィードの主力騎手。八百屋の息子であるが父親を早くに亡くし、母親を助けるため騎手になる。馬と関わったことがない経緯や減量苦で勝利になかなか恵まれない一方で、また駿のよき理解者にもなっている。
- 騎手を選ぶシルフィードが駿以外では唯一心を許しており、皐月賞での落馬[3]後スランプに陥ったが、菊花賞のトライアルに騎乗し呼吸が合わず中盤から後退するも最後はシルフィードの奮起で追い上げ、通算200勝をプレゼントされてスランプを脱している。
- その後駿の中学校時代の担任と結婚し、続編の『蒼き神話マルス』では調教師になっている。
- 宇南正洋(うなみ まさひろ)
- 「逃げの宇南」と称されるベテラン騎手で、カザマゴールドに騎乗する。駿のデビュー戦で妨害を試みるも敗れ、以来駿に闘争心を燃やす。朝日杯3歳ステークスではシルフィードの顔に鞭を喰らわすなど汚い手を使うが、次第にシルフィードと駿の実力を認め、有馬記念では道を譲っている。
- 柴岡政雄(しばおかまさお)
- ベテラン騎手。当初はユメノタローに騎乗した駿に「競馬を甘く見るな」と言い放つが、ユメノタローの仕上がりを認め、以来ユメノタローの主戦騎手になる。
- 柳川(やながわ)
- 障害競走を主とする騎手。圭吾の先輩で、おだてに弱い。日本ダービーではシルフィードに騎乗予定だったが、シルフィードの気持ちを察し辞退している。
- 河北(かわきた)
- 関西を中心に活動しているベテラン騎手。当時京都競馬場と同じレイアウトだった新潟競馬場で内ラチの取り方を見せて駿に勝利するも、研究と駿の執念により新潟記念で負け駿を認めるようになる。
- 葵兵馬(あおい ひょうま)
- シャオツァンロンの主戦騎手。父親が関西の名調教師で他の馬も気に入れば父親の力で横取りする一方、騎手の実力は父親の名に恥じないほど高い。トライアルレースではマキシマムを破るが菊花賞では馬の能力を過度に信じすぎてオーバーペースで走らせてしまうミスを犯し、敗れた。
- 吉原泰人(よしわら やすと)
- 関西を主戦場としている騎手歴35年のベテラン騎手。若い頃は「剛腕」と称されたが、年を取ると「魔術師」と称されるスタイルに変貌する。GⅠ勝利に縁がない一方で、「マイラーの馬を天皇賞(春)で騎乗し、シルフィードやヒヌマボークとハナ差の3着で入賞させる」ほど能力が高い。天皇賞で引退した。
- 浜野幹也(はまの みきや)
- 騎手としてデビューしたが3ヶ月経っても騎乗馬がおらずデビューができず食堂をやっていた。後述の神崎の嫌がらせが原因で騎乗馬を奪われ続けていたため駿の機転で札幌記念で引退するバロンに騎乗することになった。実際は厩務員の仕事も積極的に手伝うため厩務員からの評判がよく、馬からも好かれている。バロンの脚が重馬場向きであることに気づき、札幌記念で勝利し初騎乗が重賞(GⅡ)で初勝利という偉業を成し遂げている(現実では1997年に武幸四郎がデビュー2日目のマイラーズカップ(GⅡ)で初勝利しているが、その前が13鞍騎乗し未勝利)。
- 神崎明(かんざき あきら)
- 父親が有力調教師の騎手。浜野をいじめ抜いて父親の威厳で騎乗馬を横取りするなどたちが悪い。菊池にも圧力をかけようとするも一蹴されて捨て台詞を吐いて立ち去る。札幌記念では浜野と勝負になるも敗れ、さらに乱暴な騎乗で擦り傷を負わせたばかりか担当厩務員に八つ当たり。これには駿も「お前は馬に乗る資格はない」と言い、さらに周りの厩務員からも総スカンを喰らってしまった。
- D・D(ダージリン・ダニアン)
- ラシューバに騎乗する女性騎手。反則した騎手を殴り飛ばすほど気性が荒く、女性と馬鹿にした夕貴に反発して服を脱ぎ、傷だらけの筋肉質の背中を見せて「あたしぐらい鍛えなおしてから出直しな三流騎手」と一蹴する。当初は駿を見下す態度をとるが、初対戦となったG2レースで接戦を演じたことで認めるようになる。
- サム・オートン
- リミュエールに騎乗する騎手。乱暴なむち打ちでリミュエールを骨折・予後不良にした張本人。サンジヴァルの騎乗をさせてもらえず、カルバンに抗議したところサンジヴァルに乗ることができれば乗せえやると言われたため手懐けようとしたが、後脚で顔面を蹴られて血まみれで失神している。
- レクター・アボット
- イギリス競馬界の頂点に立つ超一流の王室騎手。凱旋門賞に勝利したことがなく、悲願を達成するため気性が荒く騎手が見つからないザンジヴァルの騎乗を引き受ける。「パドックで暴れまわったサンジヴァルを指二本で落ち着かせる」「テレビ中継車の速度でシルフィードのトリックを見抜く」「シルフィードの左目が見えないことを見抜き、あえて左から狙う」などラスボスに恥じない展開を見せたが、最後は2着に敗れる。
- ルーク・アボットという息子がおり、仲違いを起こしてしまったが実際は息子を気にかけており、凱旋門賞で対戦することになったが直前にルークは事故死してしまう(その凱旋門賞で勝利したのはルークが騎乗予定だった馬である)。その経緯もあり、駿を見た際ルークとだぶらせる様子が伺える。
馬主
- 森川修一郎(もりかわ しゅういちろう)
- 駿の父親で、森川牧場の生産者。流行風邪によって借金を抱え、毎年担保として仔馬を1頭持っていかれている。
- 当初シルフィードの脚を見て「競走馬になれない」として薬殺処分をしようとするも駿に抵抗され、最後は「好きにしろ」と突き放す。実際は子煩悩で、駿がシルフィードの世話に疲れて寝てしまった時代わりに世話をしたり、借金返済のために駿が貯めこんでいた賞金に一切手をつけずフランス行きを快く送り届けている。
- 岡恭一郎(おか きょういちろう)
- マキシマムの馬主で、「馬を見る天才」と称される。3億でマキシマムを購入した。アメリカで馬の育成を学び、その後帰国し父が経営していた牧場を引き継いでいる。当初は経営難で荒れた生活を送っていたがレッドキッドという馬[4]に助けられて彼が稼いだ賞金で牧場が再建され、日本一の牧場主に成長する。日本ダービー直前で急逝したレッドキッドの意思をマキシマムに託し悲願を達成するも、それまで相手にしなかったシルフィードを認めて「次はシルフィードに勝利する」と宣言(騎手の差で勝利したが馬では負けていたことを意味する)。マキシマムで世界進出を狙うも有馬記念で故障してしまい断念、代わりにシルフィードに自分の夢を託す。
- シルフィードの子が産まれる際に現れた駿を追い出すことなく逆に出産を手助けし、2頭目として産まれた子を「2頭目は虚弱体質になりやすいのでうちでは面倒を見ないので書いたところに送るよう」として森川駿と書いている。後に自身が保有した牝馬はシルフィーナと名付けられ、続編の蒼き神話マルスでエアリアルを産んだ。
- 風間新治(かざま しんじ)
- 風間不動産のオーナーで、カザマゴールドなどカザマの冠名を持つ馬を多く保有している(但しカモフラージュのためカザマと名のつかない馬もいる)。
- 気に入らない馬を潰すため、1つのレースに2頭以上出走させてはあの手この手で潰そうとする。特にセリ市でシルフィードが出た際「30万の価値」と言い放つも高額で買ったカザマゴールドに肉薄したことで潰しにかかるようになるが、ことごとく失敗している。最終回ではダービーにカザマゴールドの弟カザマダイヤモンドを送り出すが、マキシマムの子マックスハートにあっさりかわされた。
- 続編の『蒼き神話マルス』にも馬主としてセリで登場。相場眼はあまり無いのかマルスを血統だけでダメな馬だと罵倒していたが、その後は登場していない。
- 後藤一弥(ごとう かずや)
- 全国に50の支店を持つ大手銀行のオーナーで、登場する日本の馬主の中では岡や風間以上の日本一の金持ちである。常に冷徹で保有する馬を「ビジネスの道具」としており、馬に対する愛情は無い。
- 菊花賞ではシャオツァンロンの勝ちを確信していたが、ハイペースに耐えられず3着に敗れた。
- 続編の『蒼き神話マルス』でも馬主として登場しているがバブル崩壊で性格まではじけてしまったのか別人のようになっており、マルスを使い潰して稼ぐ目的でセリに応札。だが、主人公の祖父(母の父)にセリ落とされて買いそこねたことを根に持ち、シルフィードの時の風間のようにあの手この手で妨害するようになる。
- 氷沼蒼人(ひぬま そうじん)
- ヒヌマボークのオーナーで、氷沼牧場の生産者。「馬を見る神様」と称され、岡ですら頭が上がらない。戦前から牧場を経営しており妻子もいたが、太平洋戦争で出征中に所有する馬を軍馬として徴用され、妻子も空襲に巻き込まれて何もかも失うが、ただ一頭目立つため徴用されなかった芦毛の馬で再建を果たし、その子孫がヒヌマボークとして活躍していることが描かれている。
- 馬だけでなく騎手を見る目も正確で、その後名騎手になる圭吾を見て騎乗を依頼している。
- サラディン
- ラシューバの馬主。元々はアラブの石油関係者で、その資産を基にイギリスに広大な牧場を持つ。一方で名誉を軽んじており、イギリスのG1レースであるキングジョージVI世&クイーンエリザベスステークスのトロフィーを窓から投げ捨てるという暴挙に出ている。併せ馬でサンジヴァルがラシューバを噛みちぎった際、激怒してサンジヴァルを射殺しようとした。
- 岡とは数年来の友人で、駿や夕貴を招待している。凱旋門賞後、馬主資格を失ったカルバンの競走馬を全て引き取った。
- ジェフ・カルバン
- サンジヴァルの馬主で、アメリカの牧場主。岡とはアメリカ牧場時代の因縁があり、岡が一時失明した要因を作っている。
- とにかく馬を虐待しており、岡がアメリカ時代に面倒を見たラビアンローズやバルベス教授から騙し取ったリュミエールを虐待し、最終的に潰している。さらに大金をかけて生産したサンジヴァルという狂暴馬を作り上げ、ラシューバとの併せ馬を仕立てるもサンジヴァルがラシューバを噛みちぎった際も笑い飛ばすなど完全に壊れキャラであった。
- 凱旋門賞後ではアボットの申し出を拒否し虐待を続ける宣言をしたことで堪忍袋の緒が切れた岡に殴られたうえアメリカの馬主協会から持ち馬への虐待がバレて永久追放を喰らい(おそらくこの悪評で他国の馬主協会の入会も不可)、馬主としての活動ができなくなった。
その他関係者
- 菊池正太(きくち しょうた)
- シルフィードを管理する調教師。常に酒を飲んでいるが、調教師の腕は超一流とされ、他の名調教師の圧力も通用しないほどである。当時最先端だったパソコンを使ってのシミュレーションをする一方で自厩舎以外の馬には興味がなく、函館記念では前年のダービー馬であることにすぐに気付かず、天皇賞(秋)馬で有馬記念ファン投票1位のヒヌマボークを知らなかった。ちなみに名前の由来は作者の師匠(きくち正太)とされている。疲労の溜まったシルフィードのうっ血対策として槍みたいな針で出血させてその傷口に塩、卵白、ネギを擦り込む荒っぽい治療を行っているが、現実ではこんな治療方法は現実では行わない(後述)。
- 続編の『蒼き神話マルス』では厩舎を健太郎に譲り、後述の松造と一緒に馬の診療所を経営している。
- 松造(まつぞう)
- 森川牧場の従業員で、駿を「ぼん」と呼びよき理解者となっている。
- 修一郎があまり自分を表に出さない性格のため代弁する役を担っており、駿が騎手になるきっかけを作っている。
- 真雪(まゆき)
- 駿の幼馴染。父親が医者で、森川牧場に馬を預けている。
- 高校進学後はバブル景気の影響かどんどん衣装が派手になっていっている。また単行本20巻ではジャンヌ・ダルクの格好で馬に跨っている。
- 妙子(たえこ)
- 駿の中学時代の担任。笑顔が駿の母親にそっくりな模様で、駿が信頼を寄せていた。
- 競走のことはあまり知らなかったが、駿の紹介で健太郎と付き合うようになり、健太郎が落馬した際も病室で面倒を見て日本ダービーでは健太郎と一緒にテレビで応援していた。その後健太郎と結婚。
- マルセル・レヴィ
- フランスの新聞記者の子で、日本に住んだことがある。日本で事故に遭い母親を亡くし、自身も半分不随になるも、日本でシルフィードの雄姿を知り、さらにフランスでその雄姿を間近に見たことでリハビリに励むようになる。またサラディンはその様子を最初軽んじていたが、次第に考えを改めるきっかけとなった。
- シモン・バルベス
- バルベス牧場の牧場主で、大学教授。岡の知り合いで、フランスに来たシルフィードの特訓に協力する。娘がいたが、リュミエールをカルパンに騙し取られたうえ父親のやり方に理解できなくなり出て行ってしまう。
登場する馬
- シルフィード
- 芦毛がトレードマークの馬。名前は「白い妖精」のフランス語訳。母馬サザンウインドを死産させたうえ産まれた時に浅屈腱炎を患っており、修一郎に薬殺処分されそうになるも駿に助けられる。浅屈腱炎そのものは熱した鉄の棒で焼く荒治療である程度回復したが完全ではなく、セリ市で最低価格である500万円ですら買い手がつかなかった。
- 一方で走法がシンザンを髣髴とさせるもので、母親譲りの末脚を持っていたことからデビュー戦では最後方から驚異的な勝利。主戦騎手が駿になってからは菊花賞と春の天皇賞で勝利し、その後フランスに渡りラシューバとの接触で左目を失明するも日本の馬で初めて凱旋門賞に勝利した[5]。凱旋門賞から帰国後はジャパンカップの出走をキャンセルし引退、種牡馬となる。通算成績は15戦10勝、連対率86.6%(朝日杯3着、皐月賞落馬を除きすべて2着以内)。
- 最初の種付けから間もなく迷い込んだ宅配会社のトラックに跳ねられ死亡。タイミング的には逃げ切れるはずだったが、一緒にいたウサギを護るため自ら盾になった。
- 子は先に産まれた雌馬と後に産まれた牡馬の双子で、うち牡馬はシルフィードジュニア[6]として駿と一緒に日本ダービーに出走。雌馬のほうは続編の『蒼き神話マルス』では名前がシルフィーナと判明し産駒のエアリアルが登場している。シルフィードの血統も父がユキカゼと判明している。
- モデルとなった馬は追込かつ「白い稲妻」という表現があることからタマモクロスであったが、後脚を鍛えすぎて血行障害を起こしたこと[7]から末脚を封印する代わりに蹄を削ってスタートダッシュを得意とする逃げまたは先行の戦術に変更。結果同じ芦毛で最強ステイヤーと称されたメジロマックイーンの脚足に近くなっている(実際凱旋門賞を含むG1レースで勝利したのは逃げまたは先行の戦術によるもの)。
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シルフィードの戦績
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- マキシマム
- 父は名種牡馬、母は凱旋門賞を勝利したこの上ない名馬で、セリ市では3憶円と当時最高額の値が付いた。シルフィードの宿命ライバルとして登場する。
- 新馬戦を大差で勝利すると朝日杯3歳ステークス(現在は朝日杯フューチュリティステークス)、皐月賞、日本ダービーとG1レース3連勝を達成する。しかし次第にシルフィードに追いつかれそうになったことから菊花賞トライアルのセントライト記念では菊花賞レコードを狙うレースに徹したためシャオツァンロンに敗れる。菊花賞ではシャオツァンロンに貫録を見せるも大外から追ってきたシルフィードに差され2着。そして有馬記念ではヒヌマボークに最後抜かされシルフィードと同着(2着)になるがここで左足を骨折してしまう。予後不良も考えられたが手術が成功し関係者の尽力もあって一命を取り留めるが、岡の意志により引退となった。通算成績は7戦4勝、連対率100%。引退後もトレーニングを続け、シルフィードと併せ馬をしている。続編の蒼き神話マルスでは海外で種牡馬となっている。
- ヒヌマボーク
- シルフィードやマキシマムと1歳年上の芦毛の馬で、充血により目が赤い。新馬線で圧勝するも脚がついていけずに骨折してしまい、クラシックを棒に振る。5歳(現4歳)の秋に復帰し、視野を狭めるブリンカーをつけて闘争心を抑えながらも毎日王冠と天皇賞(秋)に勝利する。有馬記念ではブリンカーを外して出走しシルフィードとマキシマムに勝利。翌年の中山記念でもブリンカー付きでレコード勝ちし、もはや敵なしと思われたが、天皇賞(春)ではシルフィードと競ったすえ2着となり、初めて敗北する。その後ジャパンカップではラシューバと競い勝利しており、(長距離を除けば)作中で最強馬と称される。
- カザマゴールド
- 風間オーナーの所有馬で、マキシマムに対抗するため2億円で購入した逃げ馬。
- 京成杯3歳ステークス(現在は京王杯2歳ステークス)で勝利し、朝日杯3歳ステークスでも2着に入るが、スプリングステークスではシルフィードの妨害に失敗し6着と惨敗し、皐月賞の出走権を逃してしまう[8]。日本ダービーでも距離が合わず惨敗したことでその後はマイルレース中心になったが、長距離の有馬記念に出走しており、さらに東京新聞杯に勝利したが安田記念ではなく距離適性のない天皇賞(春)に出走。風間社長の私怨でシルフィードを潰しにかかるも失敗に終わる。『蒼き神話マルス』の回想では天皇賞(秋)にも出走している。
- シャオツァンロン(小蒼竜)
- 後藤オーナーの馬で、青鹿毛。スピードとスタミナ共に申し分なく、バタフライ走法から繰り出す末脚など完成度の高い競走馬として登場。デビューは遅れたが、夏の函館記念では前年の日本ダービー馬を5馬身差で勝利し、さらにセントライト記念では本年ダービー馬のマキシマムに圧勝するなどダービー馬キラーっぷりを披露した。しかし菊花賞ではペース配分を誤った事で無理が祟って失速。最後はマキシマムに貫録を見せられ大差の3着に敗れた。
- その後は有馬記念とジャパンカップ、『蒼き神話マルス』の回想では天皇賞(秋)に出走している。
- ユメノタロー
- シルフィードの同期。当初は体調を崩しやすく体重が400kgを切っており勝てなかったが、山根調教師の献身の世話の結果430kgまで増量するなど体調を戻す。駿が騎乗して2着になり、柴岡に乗り替わり未勝利戦を勝利するとスプリングステークスではシルフィードに次ぐ2着、皐月賞では5着、日本ダービーではマキシマムとシルフィードに大差をつけられるも他の強豪馬を抑えて3着に入った。この年の有馬記念にも出走している。
- グラングローリー
- シルフィードの同期で、脚足も追込とシルフィードと同タイプであることから「黒いシルフィード」と評されている。NHK杯でシルフィードと初対戦し2着。日本ダービーでは末脚を発揮することなく4着。神戸新聞杯で再度シルフィードに立ちはだかるも2着とオリジナルのほうに1度も勝ったことがなかった。但し(失格を除けば)シルフィードに勝ったことがある馬は片手で数えるほどなので、実力馬なのは確かである。
- メタルガン
- 天皇賞(春)で吉原が騎乗した馬。本来はマイラーの馬で、解説も「ふざけとるやろ、0点や!」と散々罵っていた[9]。しかし吉原の魔術で前半を抑えに抑えてマイルレースと同じ状況を作り、後半戦で一気に差しにかかりシルフィードとヒヌマボークを抜いてあわやな状況を作った。結果はわずかに届かずハナ差の3着。(現実的に考えたら3200を1600と同じ消耗で済ませるなど無理に決まってるが)
- バロン
- シルフィードと同じ厩舎で、よく併せ馬の相手をしている。2・3着に入ることが多く、特に2着に入った数は日本一と称されているが、一方で臆病とされ、これがあと一歩のところで勝てない原因になっている。また雨に弱いとされていたが、実際は蹄が深く重馬場向きであることを浜野が気付き、引退レースとなった雨の札幌記念に勝利し有終の美を飾った。
- キュータ
- 倉杉オーナーの馬で、鞍を乗せようとすると大暴れする(それを隠して菊池に預けようとしたらすぐにバレて当然菊池は大激怒)。一方で強い馬を見ると負けん気を発揮し、デビュー戦を勝利するが、再び戻ってきた時は丸々と太り、手が付けられなかった。菊池はおとなしくさせようと去勢されそうになるが、倉杉オーナーの子・克弥に抵抗されてニュージーランドトロフィーの勝利を条件にされる。
- そのニュージーランドトロフィーでは5戦5勝の外国産馬・パトリオットを相手にするが、贅肉の下は筋肉の塊で、さらに負けん気が発揮し圧勝。これには菊池も驚き、「これでセン馬にしたら馬鹿にされる」と評した。
- ラシューバ
- サラディンが所有する小柄な馬。ダービーステークスを20馬身差で、翌年にはイギリス最高峰のキングジョージVI世&クイーンエリザベスステークスも勝利するなど凱旋門賞優勝の最有力馬。シルフィードとの最初の対戦では激突し、シルフィードの左目失明の原因にもなっている。
- リミュエール
- 元々はハルベス教授に育てられていたが、カルバンにだまし取られて連れ去られてしまった。ドーヴィル大賞典に出走したが、カルバンの虐待によって人間不信に陥り教授を見て威嚇するまでになっていた。騎手のサムによる無謀な追い込みによって足を骨折してしまい、最後は教授の元へ戻り看取られながら息を引き取った。
- サンジヴァル
- 父母ともに超がつく程の良血馬であるが、カルバンによって虐待されており、これまで2人の厩務員を噛み殺し、さらに併せ馬でラシューバの肩を噛みちぎってしまう。この性格から誰も騎手が務まらないと思われたが、アボットによって落ち着きを取り戻すと凱旋門賞では良血馬らしい好走を見せ、最後シルフィードに敗れるも2着に入る。その後アボットが虐待の跡を暴露し、カルバンが馬主資格を喪失したことでサラディンの元へ渡り、アボットが面倒を見るようになった。凱旋門賞後は来日しジャパンカップに出走している。
関連動画
関連項目
競馬を題材とした他の作品
その他
脚注
- *現実ではいまだ凱旋門賞に勝利した日本人騎手はおらず、近年では欧州遠征は外国人ジョッキーに依頼される事が多く日本人ジョッキーが挑戦する機会が少なくなっている。
- *有馬記念で騎乗するには障害を含めて30勝が必要なので本来であれば出走できない。
- *馬から離れているがゴールラインの状況で谷村は馬からは離れているが地面についていないため落馬ではないという見解もある。 実際の類似例として2018年7月17日に浦和競馬場第6レースで的場文男騎手がゴール直前に馬から投げ出されたが、「地面についていない状態でゴールラインを超えた」という理由で1着となっている。尤も地方競馬の話で、中央競馬の場合どのような判定になるかは不明。
- *牧草がなくなりレッドキッドがヨモギを食い始めたシーンで岡は驚いていたが、ヨモギはキク科のためグラスワンダーなどむしろ大好物な馬もいる。
- *現実では凱旋門賞はおろか当時は海外重賞(GⅢ以上)に勝利した馬すらいなかった。なお、連載終了後の1995年にフジヤマケンザンが海外重賞(香港「香港国際カップ」、GⅡ)初制覇、1998年のシーキングザパールが海外GⅠ初制覇(フランス「モーリス・ド・ゲスト賞」)を達成している。
- *現実では日本では馬名は9文字以内と制限されているため、10文字となる馬名は不可である。海外では長い馬名を持つ馬もいる。
- *この時「刃物で鬱血した黒い血を抜いた後塩・卵白・ネギを混ぜたもので殺菌する」という描写が厩務員サイドから「こんな治療法はしない」「塩を刷り込むのは虐待である」と週刊少年マガジン編集部へ抗議がいき、編集部が「(サラブレッドでない別の馬で)こういう治療法があったことをそのまま取り入れてしまった」と釈明する事態になっている。
- *現実では京成杯1着と朝日杯2着の賞金額で皐月賞に出走できるが、当時の作者はそれを知らなかった模様。続編の蒼き神話マルスでは賞金でレースに出られる描写があった。
- *但し実際の競馬でも賑やかし要員として明らかに距離適性の合わない馬を出走させる事があった。有馬記念は特に顕著で、ダイタクヘリオスやツインターボが有名である。