郡上市 | |
---|---|
面積 | 約1,031Km2 |
人口 | 約4.6万人 |
市の花 | こぶし |
市の木 | もみじ |
隣 接 市 町 村 |
岐阜県 高山市 美濃市 関市 下呂市 福井県 大野市 |
2004年3月1日に旧八幡町を中心とする郡上郡7町全域が合併して誕生した市。岐阜県のほぼ中央部に位置し、高山市に次いで県2番目の市域面積を誇る。県内区分としては、中濃地方、奥美濃地方にあたる。ただし、ほとんどが山間地帯のため、実際に居住できる面積は少ない。
市の南北にかけて長良川、郡上八幡には長良川支流の吉田川が流れており、清流の街として知られている。
鎌倉時代から要衝として重要視されており、東胤行が幕府から山田庄(現在の白鳥、高鷲、大和、八幡北部)の地頭に任命された。(郡上東氏の始まり)
戦国時代には、遠藤盛数が郡上東氏に対して、兄の胤縁の弔い合戦の名目で「赤谷山城の戦い」を起こす。この戦いには後の郡上の両遠藤の一角となる胤縁の息子、遠藤胤俊も参戦。この戦いによって鎌倉時代から340年続いた郡上東氏が滅亡へと追い込まれた。
1566年、盛数の息子である遠藤慶隆は、織田信長の配下として姉川の戦いなどに参戦。そのかたわら、郡上八幡城や城下町の建設を推進した。(郡上八幡城の竣工)
江戸時代には郡上八幡城の大改修が行われ、その過程でおよし伝説という人柱伝説も生まれた。郡上八幡城は、明治時代に廃城となるも、1933年に木造で再建された。以降、日本最古の木造再建城として知られている。また、領民の融和を図るため、藩主の奨励によって郡上踊りを始めたのもこの頃とされる。この郡上踊りは、のちに国の重要無形民俗文化財に指定された。現在でも、徹夜まで踊り明かす徹夜踊りが行われている。
近代では、詩人の野口雨情が訪れ、「今夜逢いませう 宮ケ瀬橋で 月の出るところ のほるところ」と詩を詠み残している。
2008年7月5日に東海北陸自動車道が全線開通したことにより、車でのアクセスが格段に向上。また、北陸自動車道福井北ICから白鳥と飛騨清見を経由して長野県松本市まで行く中部縦貫自動車道が事業中で、早期開通が待たれる。
鉄道では、長良川鉄道が長良川に沿って南北に通り、市民の重要な足となっている。高速バスでは、JR東海バス、名鉄バスや濃飛バス、岐阜バスが乗り入れている。
食品 | その他 |
---|---|
観光スポット | イベント&祭り |
---|---|
掲示板
急上昇ワード改
最終更新:2024/12/20(金) 00:00
最終更新:2024/12/20(金) 00:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。